あらきけいすけの雑記帳

2009-02-24 (Tue)

追記 2009.2.25 このあらきのエントリそのものはクソである…

まず、数多くのコメント、ブックマーク、トラックバックを頂きました。ありがとうございます。いまのところ全部、拝見させていただいておりますが、返事を書くほうは断念させてください。すみません。


さて「いまどき」「クソ」は釣りでございます。ご不快になられた方々には、心よりお詫び申し上げます。(このエントリの執筆に際してはここここを参考にさせていただきました。あまりの効果に驚いています。)


…さて


このあらきのエントリそのものはクソである。そこには「ゾッとするようなプロセスの軽視」に対する処方箋、「自分で捏ね上げた答え」が何もないからだ。エラそうな上から目線で「いまどき」で始まるオヤヂ系の愚痴をこぼしたって何にもならない。ボクだって逆の立場なら、そう思うだろうよ:若者について語ることの気持ち悪さ。

自分が卒業研究の指導で「考える力」を育てているかと言われたら、自信なんかない。ボクにできるせいぜいの事はと言えば
 ボク「(こう卒論に書いてあるけど)なぜ?」
 学生「○○○」
 ボク「ああ、なるほどね、じゃあそいつもついでに書いておこう」
…と、丁寧に説明や思考のルートにツッコミを入れて、学生に状況の伝達をするための前提や記述法を指示し、自分の考えているプロセスの背景をひとつひとつ掘り起こして整理することだけだ。(特に説明文をゼロから作るのって、学生が当初思っているほど簡単なものじゃない。)思考を掘り起こして言語化するのは「手ほどき」がいる。そしてその程度の事しかしてやれることがない。
 「思考のプロセスを育てる」なんて、とてもおこがましい言い方だ。


…さて、「誰だよ…」と言い放ち、多くの皆さんにコメントをつけていただいたのですが、ボクは「犯人さがし」には全く興味がありません。ボクの目の前にいる学生たちをどうすれば「行き当たりばったりと、発見快楽」「自分で道を切り開く快楽」に導けるかに関心があります。


この関連で、今回の増田氏と next49 氏のエントリに共通して見られるひとつの特徴が気になって仕方ありません。それは「先生と学生」という垂直な関係ロールモデルだけが、学問、学習のプロセスのエピソードの中に登場し、「学生どうし」のような水平型のエージェント間相互作用の話がきっかけすら出てこないことです。もちろんエントリの内容上、そうならざるを得ない部分もあるとは思います。

ですが、このような違和感を覚えたエントリはこの二つに限りません。ずいぶんと前に「はてな」を賑わした頭のいい人が成功できるかどうかの境目や、最近では頭のいい人の、無邪気さと傲慢さのあいだ - 千早振る日々など、そこに出てくる登場人物の行動を見ていると水平型の関係が研究、学習の場面で上手に出てこないと思えるのです。前者は「自分と教師」「教えて君としての同僚と教師」の関係、後者は「発表の練習のコーディネートが内輪で出来ない下級生達」「教えて君ちっくに発表のレビューをせがむ頭の良い子」のような上下関係の記述が目に付くのです。


(そしてそのような事への愚痴が「はてな」界隈のフラットな空間に解き放たれ、多くの共感と反感を呼び起こしているというのも皮肉な話だと思います。このようなフラットさが、なぜゼミ内に形成されないのか。)


大学のゼミを運営していく上でどうしても「先生と学生」のような上下関係は生じます。しかし、それと同時に「ゼミ仲間」という形での協調と共存のような水平関係が同時に形成されており、その関係が卒業研究を進めていく上で「師弟関係」を補完する形で動作していたように思います。しかしそのような関係性の形成がうまくいかないような、たとえばゼミ週間報告の際の他の研究への無関心のようなものが目立ってきているように思われます。

この部分に関しては「いまどき」と敢えて言わせて下さい。ここ数年、顕著になったような気がしますから。


…なんとかして、水平的なコミットメントの空間を、学問、学習の場で形成できないか…


実験的に実施をしてみたい項目はある。あるにはあるのだが、あらきは怠惰なので実施したことはない(いい加減ですみません)。教育改善には名大のティップス先生のように古くから知られているサイトもあるのだが、ぼくが試してみたいと思うのは次の二つである。

  1. peer-led team learning
    これは元々は北米の化学(chemistry)教育の中から出た技法らしい。クラスを少人数に分けて、各グループに上級生が何人か張り付いて、下級生の学習の進行を手助けする。自習の技法のようなものなのかなーと思っている。これは1、2年生の講義の補助手法として使ってみたい。少人数のグループにすることで学生の「場へのコミットメント」を引き出せたらいいなあ。
  2. focus groups
    これは元々はマーケティング(多分)から発生した技法で、グループディスカッションの一種である。少人数のグループで、特定のテーマを決めて、時間を決めて司会者がある程度議論の流れを制御しつつ、フリートークを流していく。(本来の目的はここでユーザニーズを引き出す事。ブレインストーミングにも似てるような気がする。)ルールとしては「どんな意見でもネガティブなコメントをしない」など。アイディアを練り上げるために複数回、複数グループを対象に実施する。 これを卒論のテーマについて、学生を司会者にして実施してみる。当該学生以外のゼミ生のコミットメントを引き出せたらいいなあと思っている。

うまくいくかどうかはやってみなくちゃ分からない。だから面白い。多分、「文化」とか「風土」を作る最初の一歩ってそんなものなんじゃないかな?


長文をお読みいただきありがとうございました。

y_arimy_arim 2009/02/25 06:21 「自分で物事考えられる」の意図的な誤読ではありませんか?
ドイツ語やフランス語では「知る」という単語に相当する複数の語がありますが、ドイツ語ならばkennenとwissen、フランス語ならばconnaitreとsavoirの違いにも似たものが、ここで言う「物事考えられる」にもあるのではないでしょうか。
前者は認識的な意味での「知る」であり、子供の「考える」はこちらに近いのですが、学問に求められる知的プロセスは知識として「知る」ことを意味する後者に近いのではないかと思います。増田氏の言わんとしていることは、後者の方法論が最初からインストールされている人間はいないということだと愚考するのですが、いかがでしょうか。

肉団子肉団子 2009/02/25 08:08 >誰だよ、彼らにこんな態度を仕込んだやつは。
効率よく数学を学ぶ方法として、答えを見て学ぶというやり方がありますよね。
チャート式数学とかで答えを真似て、記憶で受験数学を解くというアレ。

さらに全優取っていい会社に入るのがいいとかいう結果至上主義。優やらなかった学生から後ろから刺されそうな殺気を感じた教官って結構多いと思いますよ。

なんにせよ、いっぱい本を読んで、遊んで、その知識や経験をもとに面白い事を言うやつが徹底的に減ったのは、それやってるとフリーターにしかなれないというこの国の糞ぶりでしょう。

lets_skepticlets_skeptic 2009/02/25 11:23 > 誰だよ、彼らにこんな態度を仕込んだやつは。

 テストで点数を取ることが学力だという評価基準を確立した全教育課程ではないでしょうか。学力低下論争だってそうですよね。小学校はまだ救いようがありそうな雰囲気がありますが、中学以降は改革が必要でしょう。

BesucherBesucher 2009/02/25 12:39 子どもの知が認知的な知でしかないとする id:y_arim さんの見解も意図的な誤読であるように思います。ここで言及されているのは知の内容ではなく獲得のプロセスであって、その試行錯誤のさなかに動員される子どもの思考の作業は「知識」の探索と本質を同じうするということでしょう?

この問題について、初等教育から全てにおいてプロセス軽視が浸透していることがひとつ背景にあるのは明らかです。
例えば、最近は小学校でも理解力向上のため思考過程を重視した教育を行っていると聞きましたが、その内容たるや、いくつかのプロセスを提示してそのうちのどれか(理解しやすいもの)を覚えなさいという程度のものなのだそうです。
全教員に指導方法を周知徹底しようとすると、本質をとり逃した指導要領でよしとしなくてはならなくなる本末転倒、生徒を教師が疎外し、教師を行政が疎外する構造が、まさに知的なプロセスの欠如によって強化されているように思います。

そのような悪循環、あるいは不幸な連鎖をどうやって断ち切るか、義務教育課程の教師も親も、子どもも、真剣に考える立場に立てていないんでしょうかね。そこはよく分かりませんが。

ながながと失礼しました。

pollyannapollyanna 2009/02/25 14:26 「ジャンプしてごらん、受け止めてあげるから」と教師が腕を広げているのに、そこに学生が飛び込めずに足がすくんでしまっているような状況が、つらいなあと思いました。

無条件に受け止められる経験、失敗は失敗として人格とは切り離して評価される経験が、もしかしてそういう学生さんには足りていなかったのかもしれませんね。
学校もですが、親子関係にも根はあるかもしれない、と思いました。

失敗しても叱責されても、自分の全人格が否定されたとまでは思わない“強い”(ある意味鈍感な)人が研究業界を目指し、生き残っていたのは昔の話で、今はそういった“強さ”(鈍感さ)をまだ得ていない人も大勢研究業界を目指しているというあたりで、なにかしらコンフリクトが生じるのかもしれません。

企業をはじめとする一般社会でも「自分でものを考えられる」人材を求めているはずで、こういった摩擦は起きても良さそうなものですが、なぜかそこまで目立ちません。
昔ながらの企業(私がかつていたところもそうでした)は疑似家族のようなもので、親・祖父母・兄弟・おじおばなどになぞらえられるような奥行きのある人間関係の中で、「受け止められる経験」「失敗しても誰かは自分を認めてくれる経験」を再体験でき、新入社員は無理なく成長していけるのかもしれません。

その点、研究室だと、どうしても指導者と学生の一対一の関係になってしまうため、たとえていえば母子密着のような問題が起こりやすいのかなあ、などと思ったりしました。

この件で教員の皆さんが責められているのをみると、子供の育ち方の責任をすべて母親に押しつけるような構図と似たようなものを感じ、たまらず出てきた次第です。

通りすがり通りすがり 2009/02/25 15:53 「いまどきの学部学生をクソだと思う一つの理由」というタイトルはひどいように思うのですが、それは充分に考えられたタイトルなのでしょうか? それと、自分で考えない人間の態度をなげくときに、その人は釣られてたらいけないんじゃないかともちょっと思いました。
僕は「考える」ことのできない人間ですので、「考える」ことのできる方はお手本であるように、冷静に論理的に、時間を掛けて丁寧に、読み、考え、書いていただければ参考になるかなと思います。

deltadelta 2009/02/25 23:45 >だれも君の「きれいな答え」なんて見たくもない。
学生も「きれいな答え」なんて見たくもない。興味もない。
そもそも「答え」に興味がない。
>「自力で捏ね上げた自分の答え」
とか言われて困る。今どきそれはない。
正直「答え」を求められているというのに驚いた。
何年も生徒や学生をやってるけどたぶん「答え」を求められたことはないと思う。
それを良いとも悪いとも思わない。
だって「自力で捏ね上げた自分の答え」なんて言ってたんじゃ単位取れないし。
今答えを求められても困るな。

akihitoakihito 2009/02/25 23:52 あらきさまの文章からは、教育者として非常に偏った思想を感じずにいられません。
クソなのは、学生ではなく教員のほうだったりするのではないでしょうか。

以下をお読みになり、ぜひ私に反論していただきたいと思っています。
http://akihito.s354.xrea.com/blog/archives/269

akihitoakihito 2009/02/27 02:21 私のブログに丁寧にコメントをいただき、ありがとうございました。
お礼の意味もこめまして、下記にあらきさまのコメントへの返答を書かせていただいておりますので、よろしければご覧ください。
http://akihito.s354.xrea.com/blog/archives/269

parisparis 2009/02/28 22:10 >>delta
それはちょいと極論過ぎると。