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棒日記VII -Life without art is stupid- このページをアンテナに追加 RSSフィード

2012-01-20 「死」の情景が生み出す、奇妙なすがすがしさ

或るろくでなしの死 平山夢明 B+

| 19:51

或るろくでなしの死

『DINER』から4年、という帯には驚かされた。そんなに経っていたか・・・あまりに刊行がのびのびになっていたもんだから、勝手に2年ぐらいだと思っていたよ。

大きく時間が空いたものの、平山夢明らしさは変わらない。

というよりも、過去作よりも凝縮されていると言っていいだろう。エロやグロ、あるいは奇想は最小限に抑えられ、「死」という約束された結末へ向かっていく描写に焦点があてられている。

個人的には『DINER』は散漫な印象だった。平山夢明の物語に、長編の分量で耐えうるほど、人間は心も体も強くない。結果的に物語の密度が下がっていて、少し物足りなく感じたのだった。


収録された短編を読んでいて、やはり最初に目に付くのはグロテスクである

平山作品におけるグロテスクというのは、スプラッタのような激しいものは少なく、唐突な痛みや死、理不尽な不幸のように、文脈を破壊してしまうような暴力のこと。この衝撃によって読者は胸ぐらを掴まれ、転げ落ちゆく結末へ向けて、ずるずると引きずられていくのである。

しかし本書の醍醐味は、何よりも読後感にあるだろう。僕が強くこの物語から感じたのは、奇妙なすがすがしさのようなものだ。もちろん、僕が救いのない物語が大好きな変態野郎である、というわけではない。


本書の登場人物は、皆、何らかの理不尽によって「死」を迎える。逃避、思いやり、悪ふざけ、あるいは真摯姿勢、全くの偶然。きっかけはなんであれ、皆等しく理不尽に襲われ、様々な「死」が唐突に訪れる。

「死」は人にとって、絶対的な「終わり」である。死んだものは、生き返らない。不可逆なのだ。取り返しがつかない、ということもできよう。

人は、取り返しのつかないものを見たとき、どうなるだろうか。自分の力では何も状況を変えることができない、どうにもならないものを。

僕の考えはこうだ。

バカみたいに口をあけて、惚けたように突っ立っているしかない。どうにもできないことを隠すために、呆れたように笑ってみせるのが関の山だ。そうして己の無力をまざまざと認識するということは、辛く悲しくもあるが、同時にすがすがしいものでもある。


本書の短編は、「死」を描いた物語である、とタイトルで銘打っている。従って登場人物の誰かに、何らかの「死」が訪れることは確定している。ほとんどの人が、少し身構えながら本書を読むはずだ。

しかし平山夢明は、その防御を想像以上の理不尽によってやすやすと打ち砕く。そして、きっかり「死」で物語を閉じることで、読者に「終わり」を突きつける。悲しみを味わう余韻はないし、「死ぬってなんだろう」なんて思索に耽る余地はない。

ただそこにあるのは料理のしようがない「死」の情景であり、我々はそれをただ咀嚼するのみなのである。

poppop 2012/02/05 22:22 こんにちは。
いつもブログ拝見させていただいています。
しばらく新エントリが無い様子でしたが、またarchitectさんのレビューが拝読できて嬉しいです。
実は、こちらブログのレビューから長谷敏司『あなたのための物語』に興味を持ち手をつけたくちでして、こちらもまた死の不条理感が描かれているという『或るろくでなしの死』にも興味が湧いてきました。(もちろん、それぞれの作者の執筆傾向からしても、具体的なテーマや物語の内容はまったく別物でしょうが)

こちらの短編集は、例としては、『独白するユニバーサル横メルカトル』よりも全体のテーマが一貫しているといった感じなのでしょうか。

architectarchitect 2012/02/06 20:37 見て頂き、ありがとうございます!更新安定せず、申し訳ございません。多分これからも安定しませんが、気長に見守って下されば嬉しいです!

>こちらの短編集は、例としては、『独白するユニバーサル横メルカトル』よりも全体のテーマが一貫しているといった感じなのでしょうか。
おっしゃる通り、全体のテーマは一貫しています。特に本書は、特別な死ではなく、どこかにあるような「死」を描いているのではないかと思います、それが「或る」というタイトルにも表れているのではないかと。
従って作品集としてはかなりテーマ性の強いものとなっております。ただ、テーマ性が強い一方で作者の考えを明確に表明するものではありませんので、死を突き付けるような『あなたのための物語』と違って、読者によって様々な受け取り方があるのではないかと思います。

オススメ、ですよ!