最後の作品

世紀の天才レオナルド・ダ・ヴィンチも、生涯政情変化に翻弄されつづけた・・・。
晩年はミラノにもローマにも留まることが出来ず、「アンボワースの宮殿に近い、ロワール河畔の荘園の館で隠遁生活を送られよ」、というルイ12世の後継者フランソワ1世の要請を受け、フランスへ二人の弟子(美青年)とともに移住することになった。
じつはこのとき(最晩年のフランス時代)に、計画の始まっていた「シャンボール城二重螺旋階段を持つ建築)」の設計に携わったのではないかとされているのです。彼の原案は、城の中心に「四方」から利用できる「四重螺旋階段」というものでしたが、実際に採用されたのは不完全な二重螺旋階段でした。しかし、多数の人間の往来を効率よく分離させるために、「機動力を二倍にした装置」という機械的な発想は、彼によるものと思いたいです。
建築、医学、航空学etcとあらゆる才能を駆使してきた天才の最後のデザインが、このミステリな階段であったのだろうか。
しかし、着工には間に合わず、67歳の誕生日から一月たたない1519年5月2日、フランス国王の見守る中、天才は静かにこの世を去っている。

(・・機械的にデザインされたこの城も、意図したように使われることはなかったようですが、、