Hatena::ブログ(Diary)

地下室のアーカイブス(岩川ありさBLOG) このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter


■ 人文系の研究者・岩川ありさのブログです。
■ メールでのコンタクトはこちらから。
■ Oficial Websiteへ。→Arisa Iwakawa Oficial Website

2017-03-31

[]マクギリス・ファリド

3月26日(日)

鉄血のオルフェンズ」。マクギリスはガエリオを確かに「友人」だと思っている。けれども、そこに「友情」はない。感情を殺した少年時代の彼は、怒りの中で生き、友情という「生ぬるい感情」ではなく力を選んだ。一方、ガエリオは、「人であるからこその思い」や「この世の全ての尊い感情」を選ぶ。第43話でガエリオが「結局お前を理解できなかった」といったのは、温度差の違いや心のすれ違いではない。彼は、何も持たないマクギリスがファリド家にいた意味を理解していなかった。「仮面」をつけなければ生き抜けない友だちについて想像すらできなかった。だから、第49話で、「幸せに本物と偽物があるのか」と尋ねられたとき、一緒に生きていたはずの友だちが、「そんなことすら知らなかった」のだと想像さえしなかった自分に気がついて、ガエリオは泣く。見なかった自分、見せなかった彼。その上に成り立っていた友情。その直前に、「いわれずとも見えているさ。いや、見えていながら見えないふりをしていた」とマクギリスが語るのは、見えているものを成立させているのが犠牲だと知っていたから。疎外された少年時代の自分がそれを認めることを許さない。第二の自分は生まれ続ける。

第34話でマクギリスがアルミリアに語ったのは、「人が人らしく生きられる世界」であり、「愛する者を愛せる世界」。マクギリスの言葉に「嘘」がないのは、この理念に反することをしないから。「友人」という言葉も、「嘘」ではなく、彼にとって本当のことだ。しかし、「友人」と「友情」という言葉の受けとめかた、世界や人への考え方から、二人にはすれ違いが生まれる。ラスタルが見極めようとしたのはここだ。大義の名の下にラスタルは二人を見世物にした。「民間報道機関の統制」をしいたことも含め、私はラスタルを許さない。ラスタル・エリオンは、降伏した鉄華団を国際条約で禁止されているダインスレイヴ砲で攻撃し、「大義」といった。「法」に反した方法で「平和」を得たわけである。これからも、民間報道機関の統制は続くだろうし、第二、第三の鉄華団も「悪」とするのだろう。鉄華団の名前が歴史の中に刻まれなかったことで、外部に敵を見つけて恣意的な解釈を加え、忘れ去るということがギャラルホルンでは常態化する。そのトップにジュリエッタは立つ。

最後にガエリオが「頼む、言わないでくれ」と告げたのは、マクギリスもまた違う論理で自分のことを「友人」だと認めていたと知ったから。友だちになりたい、見てほしい。友人だった、見えていた。ガエリオはマクギリスとだけ呼びとめて、ファリドという名を呼ばなかった。

第49話 マクギリス・ファリド

第49話 マクギリス・ファリド

3月28日(火)

栃木に。世界文学の中で鳥居さんの短歌を捉えた。文学で結びつくことが何よりもうれしい。コテージから出ると、何も音がない、光がないことがうれしい。人がいることがうれしい。

2017-03-28 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

3月11日(土)

アムネスティ・インターナショナル日本で、「"思い込み"から抜け出そう!LGBTと多様な社会を考える」というセミナー渡辺大輔さんとお話をした。私は、自分が理解できる範囲でのLGBTの人権でいいのかという点を中心に話した。LGBTという言葉は、アイデンティティを確立するための大事な言葉だ。しかし、その言葉ですべてを理解できると思い込んだとき、思わぬぬかるみにはまる。歴史的背景から読書案内まで幅広く扱っている、社会学者の森山至貴の近刊『LGBTを読みとく――クィア・スタディーズ入門』(ちくま新書)でも、「正確な知識」だけではなく、「LGBTについてなら知っているよ」という「度し難いまでの有知」をも問うているように思う。

3月12日(日)

東京大学駒場キャンパスで、「複数の言語、複数の文学 ーやわらかく拡がる創作と批評」というシンポジウムを聴いた。作家の温又柔が、漢字の固有名詞の読みにこだわるところから小説を組み立てているという話は、言語、国籍、アイデンティティにわたる視座を持っていて、興味深かった。『ナボコフ 訳すのは「私」―自己翻訳がひらくテクスト』でよく知られる秋草俊一郎は世界文学とナボコフをつなぐものでこれも面白かった。英語圏の文学を研究している中村和恵は、例えば、スピヴァクの理論ばかりに関心が行くが、彼女が訳した小説を読むことからはじめることが必要なのではないかと提起した。詩人である中村の実践とも重なって考えるところが多かった。

来福の家 (白水Uブックス)

来福の家 (白水Uブックス)

ナボコフ 訳すのは「私」―自己翻訳がひらくテクスト

ナボコフ 訳すのは「私」―自己翻訳がひらくテクスト

3月13日(月)

月評を書いている。他の原稿も書いている。ほぼ書き上げて、文章は書けば書くほど、的確に書けるようになると知った。苦しいけれども、楽しい。

3月14日(火)

朝日新聞」の鷲田清一「折々のことば」で舞城王太郎の「秘密は花になる。」(新潮3月号)が取り上げられていた。この小説の主題は母娘の葛藤。そこから抜け出すには自分たちが似ていることを認めて適切な距離をとるほかない。「お母さん、全身全霊で、状況をコントロールするもんね」という言葉には慄く。舞城は最近新しいフェイズに入っている。『淵の王』の路線から変化したが、次作が楽しみなのは確かだ。

淵の王

淵の王

3月15日(水)

しばらく忙しさにかまけて読めないままでいた本を一気に読んだ。荒井裕樹『差別されてる自覚はあるか: 横田弘と青い芝の会「行動綱領」』 (現代書館、 2017)。「人間・横田弘」に圧倒され、荒井の文体にうちふるえた。言葉を伝え、言葉を受けとるということはこういうことなのだと実感する1冊。

『21世紀日本文学ガイドブック6徳田秋聲』(紅野謙介・大木志門編、ひつじ書房)。秋聲、名前だけは聞いたことがあるという状態だったが、紅野謙介の作家案内から興味深く読んだ。文学理論と接合した論文など、新しい世紀の日本文学ガイドブックの名の通りでおもしろい。

『JOURNAL東京迂回路研究3』。言葉をさがし、言葉をつむぐ1冊。もやもやフィールドワーク、演劇ワークショップ哲学対話など幅広い。ダンサーの北原倫子を撮影した齋藤陽道の写真も魅力的だった。この試みが続くことを願う。

3月16日(木)

漱石の『文学論』について教えてもらった。かっこでとじられていることが大事。

凡そ文学的内容の形式は(F+f)なることを要す。Fは焦点的印象又は観念を意味し、fはこれに附着する情緒を意味す。されば上述の公式は印象又は観念の二方面即ち認識的要素(F)と情緒的要素(f)との結合を示したるものと云ひ得べし。(夏目金之助『文学論』冒頭)

文学論〈上〉 (岩波文庫)

文学論〈上〉 (岩波文庫)

3月17日(金)

色々な人から指摘してもらうと、論文の精度が増す。最初の段階のふわっとした感じが恥ずかしい。私に色々と教えてくれる人がいなくなったら、どうしようとそのことを考えて不安になった。後生畏るべしという言葉を浮かべると大丈夫だとひとりで納得した。

2017-03-24

[]百年の散歩

3月18日(土)

今村夏子「星の子」(『小説トリッパー朝日新聞出版2017年春号)が素晴らしい。芥川賞候補になった『あひる』などで断片的に描かれていた宗教と家族の問題を主題にして、最後まで一気に読ませる。私にとって小説を読むことが何よりの幸せである。午後、昔の女子プロレスの映像をずっと見ている。三田絵津子の引退記念試合が胸にしみた。

星の子

星の子


3月19日(日)

映画「海は燃えている」を見た。色々な解釈ができる映画だが、多くの人の感想にあるとおり、同じ海の上にいながらも、難民の現実と街にいる人の現実の乖離に愕然とする。私はイタリアの難民問題について何も知らなかった。貧富の差や人種、国籍なども重なる領域を描いた映画でもある。新大陸を発見したコロンブスの名前が出てきたり、植民地主義の歴史的な経緯がほのめかされているのもこの作品では重要だろう。


3月20日(月)

よく晴れた春分の日、朝から「鉄血のオルフェンズラジオ放送局(略して鉄ラジ)」を聞いている。タカキ・ウノ役の天崎滉平がゲスト。ブルゾンちえみのネタなどあって面白い。第48話でオルガが大変なことになったので、この明るさがかえって私にはよかった。昼頃から大学に行って月評の続きを書く。そのあと、踏切の下の喫茶店でも原稿を書く。書き方が少しわかってきた。書評のときのようなあらすじは最小限でよくて、よいところと改善点を書くことが必要である。


3月21日(火)

雨が降っている。新しい服と新しい靴ででかけた。図書館の地下二階には文芸誌のバックナンバーがほぼそろっている。


3月22日(水)

多和田葉子『百年の散歩』(新潮社、2017)。たくさんの読み方ができる一冊。一つの単語ですらどこまでも宇宙をつくる。

百年の散歩

百年の散歩


3月23日(木)

午前中、籠池証人の国会中継を見ていた。


3月24日(金)

校正ゲラを返す。

2017-03-15

[]婚ひ星(よばひぼし)

3月4日(土)

1日中、論文校正をしていた。昨年の12月3日に 「ちょっと私は校正がひどいので、自分の校正もしっかりやろうと心に決めた」と書いたのだが、心に決めたことを守れなかったのである。先延ばしを回避するためのメモを書いておこう。「まずははじめてみる」というのは、「まず間違ってみる」ということだと思う。書けない、できないのは当たり前。まずは間違いにゆこうというくらいではじめると恐怖が強い場合の対処になる。小分けにするとは、1頁を書こうではなく、1文字タイプし、1行書こうからだ。

3月5日(日)

鉄血のオルフェンズ」。シノが・・・。ヤマギの気持ちを考えるとやりきれない。流星のことを古語では「婚ひ星(よばひぼし)」と呼ぶらしい。だから、シノがフラウロスに「流星号」という名前をつけ、ヤマギが「おかえり、流星号」といったのは偶然ではなかったように思う。ほかに方法を持たない彼らの答えだったように思う。彼らはずっとお互いを呼び求めていた。「オルフェンズ」の脚本とシリーズ構成をした岡田麿里は漢字の名前に相当意味を持たせている。また、ホモフォビアに陥らない形で二人を描いている一方、家族に回収したのはなぜかと思ったが、鉄華団が親族関係の語彙で語られてきた根本的な理由が見えてきた。

第45話 これが最後なら

第45話 これが最後なら

3月6日(月)

5年間、関わってきたプロジェクトの一区切りのシンポジウムに参加した。この場所で私は多くの領域の研究成果に触れ、新たな視点を知った。そして、研究対象すらも広がった。私たちが協働しうるのは、他者からどうしようもなく呼びかけられたその瞬間なのかもしれない。

3月7日(火)

UTCPのワークショップ「日本のサブカルチャーダイバーシティに耐えるか」を聴きに行った。川村覚文、田中東子、筒井晴香の発表はどれも歴史とサブカルチャーとの関係を問うものだった。ディスカッサントの隠岐さや香が、読者共同体と製作者の意識を分析しながらコメントを加えていたところも興味深い。2015年11月に行われた「イケメン×2.5次元」のワークショップと連なっていて、その点も印象に残った。

3月8日(水)

津島佑子『半減期を祝って』(講談社、2016)、村田沙耶香コンビニ人間』(文藝春秋、2016)の読書会。やはり何人かで読むと見え方が変わる。私は、「コンビニ人間」を悲観的に捉えていたが、そうではない見方に触れたのはよかった。

半減期を祝って

半減期を祝って

コンビニ人間

コンビニ人間

3月9日(木)

温又柔『来福の家』(白水Uブックス、2016)。同じ漢字に別の音がある。母語とは何か、国語とは何か、国籍とは何かを問う小説。描写自体も生き生きしていていい。

来福の家 (白水Uブックス)

来福の家 (白水Uブックス)

3月10日(金)

来月発表する書評を書いている。この作者はどこまで行くのだろうとそう思える小説だ。

2017-03-04

[]言語によってなぞってきた過去

2月25日(土)

2年間務めた日本近代文学会の運営委員の任期が終わった。2016年の11月例会「言葉と被傷性──クィア・スタディーズの現在と文学研究」をはじめ、多くの人との出会いがあり、充実していた。私は、研究者としても未熟で、遅筆なので論文もあまり多く出せないでいるのだが、自分の仕事を受けとめてくれる場所があると信じられることは心強い。

2月26日(日)

評価というのは難しい。世界文学になりうるもの、100年を耐えるもの。それが一番私の中ではしっくりくる。「機動戦士ガンダム鉄血のオルフェンズ」が厳しい展開に差しかかった。どうかシノがヤマギのもとに帰ってきますように。

2月27日(月)

昨日のR1グランプリ、ブルゾンちえみのことをずっと考えていた。第1回戦では新しいネタを出したらよかったのではないか。キャリアウーマンのネタで会場は沸いたが、「本物だ!」という反応。このネタはおもしろいので、それでも笑いは起きていたが、コンテストに向けて作ったネタで勝負してもよかったのかと思う。あきら100%のことを宴会芸と呼んでいる人もいるようだったが、今回、芸があったのはその人だけだ。練習の跡があり、客とのコミュニケーションが成り立っていた。ブルゾンちえみは2年目とのことだ。来年のR1が楽しみな芸人である。

2月28日(火)

「本を読むのはつらいし、内容も忘れてしまう。それでも人は読む。読み取るのは、「無数の人々が経験しその痕跡を言語によってなぞってきた過去」なのだと詩人管啓次郎さんが書いている。それが未来を切り開く手立てになるのだと。」(「天声人語」『朝日新聞2017年2月28日朝刊)。大変いい言葉だなと思った。

本は読めないものだから心配するな〈新装版〉

本は読めないものだから心配するな〈新装版〉

3月1日(水)

源氏物語』「帚木」。「うちつれ聞え給ひつつ、夜晝、學問をも遊びをも、もろともにして、をさをさたち後れず、いづくにても、まつはれ聞え給ふほどに、おのづから、かしこまりもおかず、心のうちに思ふことをも、隠しあへずなむ、むつれ聞え給ひける。」。頭中将とから源氏への印象といえば、「女にて、見たてまつらまし」の方がよく知られているが、彼らの後の関係性が凝縮されているのはこの一節だろうかと思う。

源氏物語〈1〉 (岩波文庫)

源氏物語〈1〉 (岩波文庫)

3月2日(木)

校正をしてから出かける。昨今の文学についてあれこれと語り、おもしろい時間だった。

3月3日(金)

新宿にあるロシヤ料理屋にいった。雰囲気のよい店で楽しかった。