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地下室のアーカイブス(岩川ありさBLOG) このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter


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2016年12月30日

[] 「共感の手前で」


12月24日(土)

 クリスマス・イブだった。一日中家にいる。朝から「ベイマックス」を見る。亡くなったお兄さんがベイマックスをつくったとき、弟にメッセージを残す場面で思わず泣いてしまった。お昼まで眠って、その後、SMAPが出ている「世にも奇妙な物語」を見た。この世界は奇妙なことばかりという結論にいたりつく。ヤマシタトモコ『さんかく窓の外側は夜』第4巻を読んだ。冷川さんがどんな少年だったのか気になる。


12月25日(日)

 体調が悪い。一日中、機動戦士ガンダム鉄血のオルフェンズ」のヤマギのことを考えていた。どのような結果になったとしても、ホモフォビア(同性愛嫌悪)とミソジニー女性蔑視)なしで、ヤマギとシノのことを描いたら、本当にこのアニメーションは新しいものとなる。眠る前に、「ユーリon ICE」の勝木優利のことを考えた。私は、ユーリ・プリセツキーが大好きだ。しかし、優利が負けたことが未だに悲しい。


12月26日(月)

 「コクリコ坂から」を見る。港南学園の学生たちの自治部室棟であるカルチェラタンが取り壊しになろうとしているとき、理事長の徳丸社長に直談判に行ったあと、水沼が「いい大人っているんだな」というセリフがとても好きだ。いい大人ってこの頃どれくらいいるだろう。また、宮崎駿(およびジブリ)は労働を描き続けてきた。人が働くこと、食べること、生きることをしっかりと描いている。私がスタジオジブリのアニメーションで一番好きなところはこの辺りだ。

コクリコ坂から [DVD]

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 宮内悠介「カブールの園」(『文學界2016年10月号)、日系の移民3世の女性・サラが主人公。母との葛藤やいじめなど様々なトラウマを負っている彼女は、ヴァーチャル・リアリティ(VR)を用いた治療を試みている。彼女が休暇に訪れたのは、第二次世界大戦中、日系人が強制収容されていた収容所の跡地に建てられた博物館。言葉にされないまま、2世3世にも、戦争のトラウマは伝わっている。本書は、個人のトラウマと歴史的なトラウマを重ねており、「日系」、「アメリカ人」といったカテゴリー自体を問うている。

カブールの園 (文春e-book)

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12月27日(火)

 歯医者に行った。すごくエンパワメントしてくれる歯医者だった。「普段、頑張り過ぎてるでしょう。力を入れているから、歯が削れちゃったの。でも、本当に綺麗な歯よ。自信を持っていいのよ。」みたいなやりとりが続いた。なんだか、1年間頑張ったなと思えた。


 古川真人「縫わんばならん」(『新潮』2016年11月号)は一族世代にわたる物語。古川は、新潮文學新人賞の受賞インタビューで、親族の物語が持つ記憶の不可思議さに言及している。あやふやになったり、異様にはっきりとすることもある記憶そのものの性質を描いた点が果敢な一作。


12月28日(水)

 採点をした。3時間で40名は遅いのかどうか。手をとめて、ふっと、問いのための問い、すでに自分の答えがある問いではなくて、誰かと一緒に答えを手探りしたり、時にはつくり出すような問いこそ、大事なんじゃないかと思う。


 山下澄人「しんせかい」(『新潮』2016年7月号)。2年間共同生活をしながら、俳優や脚本家を養成する演劇塾が舞台。「スミト」という名前の語り手「ぼく」は、俳優になりたいと考え、塾がある「【谷】」と呼ばれる場所で自給自足の生活をするための労働を続ける。しかし、塾の主宰者であり、テレビドラマなどで活躍する脚本家「【先生】」との感情のすれ違いなど、スリリングなやりとりも見事に描かれる。後半の疾走感が心地よい。

しんせかい

しんせかい


12月29日(木)

 「この世界の片隅に」を見た。広島市に住むすずは、呉に暮らす北條周作と結婚する。絵が得意なすずだが、空襲が激化する中で、それもできなくなる。周作の両親、姉の徑子、その娘晴美との生活の中で、すずは挫けそうになりながらも、暮らしを続けてゆく。1945(昭和20)年、すずは時限爆弾の爆発に遭遇する。それは誰にとっても時を遡れないある時点があるということを明示する場面でもある。また、すずを演じたのんの演技は、ユーモラスであり、同時に、怒りに満ちている。劇的に演じてはいけない作品で見事にそれを果たしたのは素晴らしい。

 けれども、そこで、問わないとならないことがある。わたしがこの映画に共感するとすれば、なぜなのかと。歴史学者テッサモーリス-スズキは、「あとから来た世代」も過去の出来事と深く結びついていることを「連累(インプリケーション)」という言葉で示した。


わたしたちは過去の出来事に連累(インプリケーション)している。過去によって創られた制度、信念、組織のなかに生きているからである。しかし、同時に、過去がわたしたちのなかに生きているからでもある。意識して、あるいは無意識のうちに、たくさんのメディアから吸収してきた歴史知識によって、誰に共感するか、現在のどの出来事に喜び、同情し、怒るのか、そうした出来事にどう対応するかが決定される。 (テッサ・モーリス-スズキ『過去は死なない』岩波現代文庫2014年、309頁)


 「この世界の片隅に」は、とてもいい映画だ。けれども、たやすく自分の側に吸収してはならないとも思う。『ユリイカ』(2016年11月号、青土社)の「こうの史代特集」で、村上陽子の論考(「原爆文学系譜における『夕凪の街 桜の国』」)はそのことについて書いているように思う。「共感の手前で踏みとどま」って読まなければならない。


12月30日(金)

 ようやく、J.M.クッツェーイエスの幼子時代』(鴻巣友季子訳、早川書房、2016)を読んだ。さすがのクッツェー、さすがの鴻巣訳。引き込まれて一気に。忘年会へ。

イエスの幼子時代

イエスの幼子時代


今年も残るところわずか。本年もお世話になりました。どうぞよいお年をお迎えください。来年もよろしくお願いいたします。