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地下室のアーカイブス(岩川ありさBLOG) このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter


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2017-03-28 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

3月11日(土)

アムネスティ・インターナショナル日本で、「"思い込み"から抜け出そう!LGBTと多様な社会を考える」というセミナー渡辺大輔さんとお話をした。私は、自分が理解できる範囲でのLGBTの人権でいいのかという点を中心に話した。LGBTという言葉は、アイデンティティを確立するための大事な言葉だ。しかし、その言葉ですべてを理解できると思い込んだとき、思わぬぬかるみにはまる。歴史的背景から読書案内まで幅広く扱っている、社会学者の森山至貴の近刊『LGBTを読みとく――クィア・スタディーズ入門』(ちくま新書)でも、「正確な知識」だけではなく、「LGBTについてなら知っているよ」という「度し難いまでの有知」をも問うているように思う。

3月12日(日)

東京大学駒場キャンパスで、「複数の言語、複数の文学 ーやわらかく拡がる創作と批評」というシンポジウムを聴いた。作家の温又柔が、漢字の固有名詞の読みにこだわるところから小説を組み立てているという話は、言語、国籍、アイデンティティにわたる視座を持っていて、興味深かった。『ナボコフ 訳すのは「私」―自己翻訳がひらくテクスト』でよく知られる秋草俊一郎は世界文学とナボコフをつなぐものでこれも面白かった。英語圏の文学を研究している中村和恵は、例えば、スピヴァクの理論ばかりに関心が行くが、彼女が訳した小説を読むことからはじめることが必要なのではないかと提起した。詩人である中村の実践とも重なって考えるところが多かった。

来福の家 (白水Uブックス)

来福の家 (白水Uブックス)

ナボコフ 訳すのは「私」―自己翻訳がひらくテクスト

ナボコフ 訳すのは「私」―自己翻訳がひらくテクスト

3月13日(月)

月評を書いている。他の原稿も書いている。ほぼ書き上げて、文章は書けば書くほど、的確に書けるようになると知った。苦しいけれども、楽しい。

3月14日(火)

朝日新聞」の鷲田清一「折々のことば」で舞城王太郎の「秘密は花になる。」(新潮3月号)が取り上げられていた。この小説の主題は母娘の葛藤。そこから抜け出すには自分たちが似ていることを認めて適切な距離をとるほかない。「お母さん、全身全霊で、状況をコントロールするもんね」という言葉には慄く。舞城は最近新しいフェイズに入っている。『淵の王』の路線から変化したが、次作が楽しみなのは確かだ。

淵の王

淵の王

3月15日(水)

しばらく忙しさにかまけて読めないままでいた本を一気に読んだ。荒井裕樹『差別されてる自覚はあるか: 横田弘と青い芝の会「行動綱領」』 (現代書館、 2017)。「人間・横田弘」に圧倒され、荒井の文体にうちふるえた。言葉を伝え、言葉を受けとるということはこういうことなのだと実感する1冊。

『21世紀日本文学ガイドブック6徳田秋聲』(紅野謙介・大木志門編、ひつじ書房)。秋聲、名前だけは聞いたことがあるという状態だったが、紅野謙介の作家案内から興味深く読んだ。文学理論と接合した論文など、新しい世紀の日本文学ガイドブックの名の通りでおもしろい。

『JOURNAL東京迂回路研究3』。言葉をさがし、言葉をつむぐ1冊。もやもやフィールドワーク、演劇ワークショップ哲学対話など幅広い。ダンサーの北原倫子を撮影した齋藤陽道の写真も魅力的だった。この試みが続くことを願う。

3月16日(木)

漱石の『文学論』について教えてもらった。かっこでとじられていることが大事。

凡そ文学的内容の形式は(F+f)なることを要す。Fは焦点的印象又は観念を意味し、fはこれに附着する情緒を意味す。されば上述の公式は印象又は観念の二方面即ち認識的要素(F)と情緒的要素(f)との結合を示したるものと云ひ得べし。(夏目金之助『文学論』冒頭)

文学論〈上〉 (岩波文庫)

文学論〈上〉 (岩波文庫)

3月17日(金)

色々な人から指摘してもらうと、論文の精度が増す。最初の段階のふわっとした感じが恥ずかしい。私に色々と教えてくれる人がいなくなったら、どうしようとそのことを考えて不安になった。後生畏るべしという言葉を浮かべると大丈夫だとひとりで納得した。