主婦戦線「國澤静子WEB」関連画像&記述倉庫

2016-04-19

4/29

4/29 京都立命館大朱雀で 私も観にいきます

https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=967722013310195&id=386588224756913

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4/29『ゆきゆきて、神軍』『全身小説家』などで知られる原一男監督初期2作品の上映会を開催します。

大学での企画上映ですので、企画内容はやや固めに思われるでしょうが、どちらの作品も、人間の根源的なパワーが炸裂し、シリアスとお笑いが紙一重でせめぎあう驚愕の内容です。

参加費無料ですので、ぜひお越し下さい。

原一男監督と考える 70年代の生の軌跡―障害・リブ・沖縄

〜 初期ドキュメンタリー作品上映とトーク 〜

【日時】2016年4月29日(金・祝日)13:00(12:30開場)

【会場】立命館大学朱雀キャンパス5F大ホール(JR地下鉄「二条」駅下車徒歩2分 京都市中京区西ノ京朱雀町1)

■上映作品

◇『さようならCP』(1972年 監督・撮影:原一男

◇『極私的エロス・恋歌1974』(1974年 監督・撮影:原一男

【 参加費無料・申し込み不要】

主催:原一男作品上映実行委員会京都

共催:立命館大学生存学研究センター

■お問い合わせ先

◆企画内容について

原一男作品上映実行委員会京都

E-mail:fourwallingkyoto@gmail.com

◆会場に関して

立命館大学生存学研究センター

E-mail:ars-vive@st.ritsumei.ac.jp

プログラム

12:30 開場

13:00 『さようならCP』上映

14:25 報告1:障がい者運動と自主上映 …… 立岩真也

[休憩]

14:50 『極私的エロス・恋歌1974』上映

16:30 報告2:ウーマンリブと「性」 …… 村上潔

16:40 報告3:沖縄返還前後の闘争 …… 大野光明

[休憩]

17:00-18:30 全体討議:対話に向けて/1970年代〜交錯する運動

       原一男監督を囲んで(進行:岡本晃明)

■さようならCP

1972年/82分/16ミリ

監督・撮影:原一男  製作:小林佐智子  録音:栗林豊彦

「われらは、愛と正義を否定する」「われらは、健全者文明を否定する」。強烈な行動要領を掲げ、施設から街へ飛び出し脳性まひ者でつくる「青い芝の会」。CPとは脳性まひのこと。障害を持つ身体を路上にさらし、社会と対峙する姿と言葉にカメラでぶつかった原一男監督の第1作。ノーを叫ぶ初期衝動、撮る側と撮られる側の荒ぶる魂がうねる。

■極私的エロス・恋歌1974

1974年/98分/16ミリ

監督・撮影:原一男 製作:小林佐智子 録音:久保田幸雄 編集:鍋島

音楽:加藤登紀子

原監督が、かつて一緒に暮らした女性を追って、本土復帰前後の沖縄へ向かう第2作。米兵、妊娠、衝突、それでも回し続けるカメラ。ドキュメンタリーの最果てへ、時代と魂を揺さぶった幻の映画。「極私」を突き詰めたゆえに、在日米軍基地と女性、ウーマンリブ運動といった時代の断面が切り取られた逆説。トノンレバン国際独立映画祭グランプリ受賞。

原一男監督プロフィール>

映画監督1972年、小林佐智子と〈疾走プロダクション〉を結成。『ゆきゆきて、神軍』(1987年)でベルリン映画祭カリガリ映画賞毎日映画コンクール監督賞などを受賞。『全身小説家』(1994年)でキネマ旬報ベストテン1位・作品賞・日本映画監督賞などを受賞。

*本企画はDVD上映となります。ご了承ください。

車いすでのご入場には誘導が必要になりますので、入口でスタッフにお伝えください。

*会場には駐車場がありませんので、ご来場の際は公共交通機関をご利用ください。












ホホホ座さんの写真

2016-03-26

レズビアンアイデンティティーズ  堀江さんの「レズ」定義は「フェミ」の甘さを 揺るがす正論とおも

洛北出版|書籍詳細|『レズビアンアイデンティティーズ』


www.rakuhoku-pub.jp/book/27224.html - キャッシュ

堀江有里 著. 『レズビアンアイデンティティーズ』. 発行元 洛北出版 四六判 並製 364頁 . ISBN 978-4-903127-22-4 C0036. 定価(本体価格 ... わたしは、使い古された言葉「 アイデンティティ」のなかに、その限界だけでなく、未完の可能性をみつけだしてみたい。

価格:2,592円 (2016年3月25日現在)


2016年3月例会

「〈反婚〉のフェミニスト神学」〜レズビアンアイデンティティーズの視点から〜

話: 堀江 有里さん

...

2016年3月例会 - 日本フェミニスト神学・宣教センター

2016年3月例会のお知らせ 「〈反婚〉のフェミニスト神学」〜レズビアン・アイデ...



cftmj.cocolog-nifty.com

レズビアンという生き方 ―キリスト教異性愛主義―を問う』著者堀江有里


立命館  天田城介


紛争家族化する戦後日本型家族の行方

22(11) 2012年10月


ポスト経済成長時代の超高齢社会における夢から覚めて

現代思想 40(10) 170-186 2012年9月



胃ろうの10 年――ガイドライン体制のもとグレーゾーンで処理する尊厳死システム

現代思想 40(7) 165-181 2012年5月



歴史と体制を理解して研究する――社会学会の体制の歴史と現在

保健医療社会学論集 23(1) 56-69 2012年3月



体制の歴史を描くこと――近代日本社会における乞食のエコノミー

生存学研究センター報告17 408-427 2012


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●公開レクチャー・シリーズ 第30回 一ツ橋大 青山薫

「親密な関係にかんする市民権――異国籍同性カップルが日本で子どもを産み育てる場合」

講師:青山薫さん(神戸大学国際文化学研究科教授)、リル・ウィルスさん(心理カウンセラー

家族になること。一緒に暮らすこと。子どもを産むこと、育てること。親になること。

私的で親密な領域で行われるとされていることも、実際には、地域、職場、国といったさまざまな公的な領域における制度や習慣と重なっています。国籍の違う同性のパートナー同士が日本で生活を築こうとすれば、血縁主義、戸籍制度と国籍制度、国境を越える移住の制限、職業選択や社会保障の制限など、あらゆる分野で普段は見えない壁が立ち現れます。〈ヘテロ〉セクシズムとナショナリズムレイシズムが個々人の権利にどのように挑戦するか、具体的に実感できるというわけです。 今回は、研究者青山薫さんと心理カウンセラーのリル・ウィルスさんをお招きし、お二人の経験から、「異国籍同性カップル」が日本で子どもを産み育てようとすると何が起こるかを、日々の人間関係から国家の法制度までにつなげ、多層的にお話ししていただきます。

予約は不要です。ふるってご参加ください。




 講師紹介

青山薫(あおやま かおる)

神戸大学国際文化学研究科教授。研究分野およびテーマは、社会学ジェンダー/セクシュアリティ、移住、性労働など。主著に『「セックスワーカー」とは誰か』(2007年、大月書店)、Thai Migrant Sexworkers from Modernisation to Globalisation, Palgrave Macmillan, 2009.

リル・ウィルス(Lil Wills)

心理カウンセラーロンドンの家族・子ども支援NPOで5年、コルチェスターの性暴力サバイバー支援NPOで7年間勤務。現在は、神戸English Counseling Kansai主催。

日時:2015年2月2日(月曜日) 16:30-18:30

2016-03-23

原一男監督と考える 70年代の生の軌跡――障害・リブ・沖縄

〜 初期ドキュメンタリー作品上映とトーク 〜

2016年4月29日(金・祝日)13:00〜18:30

於:立命館大学朱雀キャンパス5F大ホール

last update: 20160322

【企画趣旨】

 1960年代を揺るがしたカウンターカルチャー社会運動のうねりが退潮した70年代前半。自主上映というかたちで、社会を鋭くえぐるドキュメンタリー映画のフィルムが全国を廻り、さまざまな人の出会いや対立、抵抗を呼び覚ましつつ、新たな運動を切り拓いていく先駆けとなりました。

 本企画では、原一男監督の初期ドキュメンタリー作品である『さようならCP』と『極私的エロス・恋歌1974』を上映し、原監督を交えて、1972〜1974年の障害者運動、ウーマンリブ運動、そして沖縄の運動の軌跡をたどります。

 「さようなら」から「極私的」へ。その流れの意味は、社会的な運動が分断されている現在を照らし、運動と生活、ドキュメンタリーアートの緊張関係、そして映画の在り方を問い直す力につながるはずです。70年代を知る/知らない/改めて知りたい人たちが、共に考える機会になれば、と願っています。

【日時】2016年4月29日(金・祝日)13:00(12:30開場)〜18:30

【会場】立命館大学朱雀キャンパス5F大ホール(JR地下鉄「二条」駅下車徒歩2分|京都市中京区西ノ京朱雀町1)

[アクセスマップ]http://www.ritsumei.ac.jp/accessmap/suzaku/

【参加要件】

参加費無料・申し込み不要

車いすでのご入場には誘導が必要になりますので、入口でスタッフに車いすで入場する旨をお伝えください。

*お席は十分余裕がございますが、万一満席の場合はご入場を制限させていただきますので、ご了承ください。

*会場には駐車場がありませんので、ご来場の際は公共交通機関をご利用ください。

*ホール内での飲食はできません。ロビーにてお済ませください。

【主催】

主催:原一男作品上映実行委員会京都

共催:立命館大学生存学研究センター(http://www.ritsumei-arsvi.org/

■上映作品

◇『さようならCP』(1972年/82分/16ミリ 監督・撮影:原一男

◇『極私的エロス・恋歌1974』(1974年/98分/16ミリ 監督・撮影:原一男

*本企画はDVD上映となります。ご了承ください

■トーク

対話に向けて/1970年代〜交錯する運動

報告1:障がい者運動と自主上映 …… 立岩真也

報告2:ウーマンリブと「性」 …… 村上潔

報告3:沖縄返還前後の闘争 …… 大野光明

◇全体討議:原一男監督を囲んで(進行:岡本晃明)

プログラム *変更の可能性あり

(0)12:30 開場

(1)13:00-13:02 開会挨拶

(2)13:02-14:24 『さようならCP』上映

(3)14:25-14:40 報告1

 [休憩]

(4)14:50-16:28 『極私的エロス・恋歌1974』上映

(5)16:30-16:40 報告2

(6)16:40-16:50 報告3

 [休憩]

(7)17:00-18:30 全体討議

原一男監督プロフィール

 1945年生まれ。映画監督1972年、小林佐智子と〈疾走プロダクション〉を結成。『ゆきゆきて、神軍』(1987年)でベルリン映画祭カリガリ映画賞毎日映画コンクール監督賞などを受賞。『全身小説家』(1994年)でキネマ旬報ベストテン1位・作品賞・日本映画監督賞などを受賞。1995年、次世代のドキュメンタリー作家の養成を目指し、自ら塾長となって〈CINEMA塾〉を開講。対談集に『ドキュメンタリーは格闘技である――原一男 vs 深作欣二 今村昌平 大島渚 新藤兼人』(筑摩書房2016年)がある。

■お問い合わせ先

◆企画内容に関する事柄

原一男作品上映実行委員会京都

E-mail:fourwallingkyoto[at]gmail.com *[at]→@

◆会場に関する事柄

立命館大学生存学研究センター

E-mail:ars-vive[at]st.ritsumei.ac.jp *[at]→@


>TOP

■参考事項

◇原 一男

ドキュメンタリー映画の鬼才 原一男公式サイト(http://docudocu.jp/title/

原一男 _ neoneo web(http://webneo.org/archives/tag/%E5%8E%9F%E4%B8%80%E7%94%B7

◇『さようならCP

◇疾走プロダクション 19720408 『シナリオ さようならCP

◇『さよならCP』上映運動関連資料(MS Word 83.5KB|作成:定藤邦子) *“さよなら”は資料原文ママ

◇『さよならCP』上映運動関連資料・2(MS Word 74.5KB|作成:定藤邦子) *“さよなら”は資料原文ママ

◇青い芝の会

◇横田弘

障害者(運動)史のための年表

沖縄闘争(1960年代後半〜1970年代前半)

■告知

◆2016/03/22 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/712069184952279040

「4月29日…原一男監督の、1972年の『さようならCP』と1974年の『極私的エロス・恋歌1974』を上映し、原監督に話を聞く、他という企画…まず『さようならCP』についてのページを増補したので、しまいまで、見てください。」→http://www.arsvi.com/ts/20162133.htm

◆立岩 真也 2016/03/19 「04/29『さようならCP』『極私的エロス・恋歌1974』上映+・1――「身体の現代」計画補足・133」

 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1703477963252517

◆2016/03/18 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/710761113055408128

URL忘れ再送:04/29「原一男監督と考える 70年代の生の軌跡〜障害・リブ・沖縄 初期ドキュメンタリー作品上映とトーク」於:京都http://www.arsvi.com/2010/20160429hk.htm 行こうかという人立岩真也までご一報を→tae01303@nifty.ne.jp

◆2016/03/18 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/710754397442019328

04/29「原一男監督と考える 70年代の生の軌跡〜障害・リブ・沖縄 初期ドキュメンタリー作品上映とトーク」於:京都,出演:原一男・村上潔・大野光明・岡本晃明・立岩真也他。数予測したいので行こうかという人は立岩までご一報いただければと→tae01303@nifty.ne.jp(続く)

報道



UP: 20160317 REV: 20160319, 0321, 0322

◇原 一男  ◇『さようならCP』  ◇青い芝の会 

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2016-01-14

当事者  <当該と支援の立ち位置>


インタビュー

藤原千沙(法政大学准教授

情報労連REPORT2015年7月号掲載

先進国の中でも低水準である日本の最低賃金。なぜ低いまま抑えつけられてきたのか。なぜ引き上げる理由があるのか。生活給という思想の弱点から探る。


 日本の最低賃金水準が低いままである背景には「生活給」思想があるのではないか。生活給とは、労働そのものや仕事や職務に対応して賃金を支払うのではなく、働く人の生活を考えて賃金を支払う考え方である。典型的な属人給であり、労働者の生活に配慮した賃金思想が、低すぎる最低賃金で生活できない労働者を増やしているとしたら、逆説的でもある。

 日本の賃金の特徴といわれてきた年功型賃金カーブは、労働者のライフコースにそった生計費の増減におおむね重なることで、労働者の生活を支えてきた。生活給という言葉は使われていなくても、正社員賃金体系では、年齢給や基礎給といった土台の上に、職能や職務に対応した部分が積み重なる形が今でも多い。職務遂行能力の形成や役割付与の面でも事実上年齢や勤続にしたがって運用される結果、たとえ職能給や成果給と名づけられていても年功型賃金カーブは実質的に維持され、労働者の生計費を事実上保障してきた。労働者賃金で生活しているのだから、賃金が生活できる水準を下回らないことは当然といえる。

●生活給思想の魅力と陥穽

 1950年代から60年代にかけて臨時工の処遇が社会問題になった際も、不安定な有期雇用差別的低賃金では生活できないという訴えがあり、本工化の運動につながった。だが高度経済成長期に既婚女性が「主婦パート」として働くようになると、彼女たちは生活には困らないという前提で低処遇は社会問題にならず、パートの賃金最低賃金制度や地域相場といった市場価格で決められてきた。

労働運動の側も、正社員賃金交渉では「物価が上がった」「生活が苦しい」など“生活”を前面に掲げて賃上げを訴えるが、非正規労働者については時給何円アップという交渉スタイルである。非正規はその仕事の賃金だけで生活しているわけではないと前提しているからであり、「同一労働同一賃金」原則と対極にある生活給思想である。

 主婦パートは夫がいるから、学生アルバイトは親がいるから、「生活できるから」低賃金でも問題はないという賃金思想は、外国人労働者も「母国に帰れば生活できる」「母国物価に比べて低くはない」という理由で、低賃金正当化につながる。仕事そのものの価値や職務に応じて賃金を支払うのではなく、その人の生活を加味して賃金を支払うという生活給思想は、一見、労働者の暮らしを大切にしているように見えながら、労働者の属性や身分に基づく差別をもたらす危険があるのである。だが生活を大切にするという思想は魅力的で、私たちはまだその罠から逃れられていない。

税制社会保障制度での強化

非正規労働者低賃金でも生活には困らないという考え方は、税制社会保障制度によっても形作られた。パートの非課税限度額の引き上げ、配偶者特別控除国民年金の第三号被保険者など1980年代の諸政策は、主婦パートは扶養の枠内で働いたほうが有利である構造を作り出し、非正規の賃上げ要求の封じ込めに成功した。企業にとって非正規労働者は、社会保険料の企業負担なく、賃上げも叫ばず、いつでも雇い止めができる便利な労働力として位置づけられたのである。

 そのような構造で苦境に追い込まれていたのは、夫のいないシングルマザーや単身女性である。だが女性労働者低賃金なのは仕方がないと、これまた属人的に賃金が理解され、労働問題ではなく社会福祉で対応する領域とみなされた。今日ようやく非正規労働者低賃金が“問題”となったのは、非正規雇用が男性にも広がったからにほかならない。

●「生活できない」という訴えの脆さ

非正規雇用賃金は、とりわけ地方では最低賃金の水準に張り付いた形で決められている。にもかかわらず、最低賃金審議会は、公益代表、労働者代表、使用者代表いずれも最低賃金とは縁のない暮らしの人たちで構成されている。こんな低水準では貧困から抜け出せないという最低賃金労働者の声を審議会に届けても、どうしても切実に聞こえないのが実情ではないだろうか。むしろ最低賃金を引き上げると企業がつぶれる、雇用が失われるといった声のほうがリアルに響き、最低賃金は低水準に留め置かれてきた。

 「生活できない」「貧困から抜け出せない」と訴えて最低賃金を引き上げる戦略には脆さもある。なぜなら最低賃金水準で働く労働者の中には、まさに主婦パートや学生アルバイトなど彼らが属する世帯でみると低所得ではない人々が存在しており、最低賃金の引き上げはそういった中堅所得層にも恩恵をもたらす結果、貧困対策としては効率的ではないという見方があるからである。貧困問題の解消策としては「給付付き税額控除」など税の再分配によるほうが効果的であるという意見は経済学者の間では強い。

公平性と社会正義の問題

 では最低賃金の引き上げは政策的に不要であるかというと、私はそうは考えない。現状の最低賃金は、絶対的な水準としても正社員との賃金格差でみても、あまりにも低すぎるからである。「生活できるかどうか」を判断の基準として属人的に賃金を考えるのではなく、労働そのものを見つめるべきだ。

最低賃金の仕事であっても、労働というものは、誰もが簡単に労力なくできるものではない。スーパーのレジ仕事は日本では立ちっぱなしのまま迅速で正確で丁寧な接客が要求される。介護仕事では腰痛は当然視され、過酷で劣悪な労働環境も多い。「生活できるから」低賃金でも良いという考えは、労働そのものの価値を貶めるものである。公平性(フェアネス)の観点から、あるいは社会正義(ジャスティス)の観点から、日本の最低賃金水準は問題視されるべきだ。

雇用優先の弊害

最低賃金を引き上げると企業がつぶれる、雇用が失われるといった主張に対しては、それはどんな企業であり、雇用なのかを問いたい。労働者フルタイム働いても貧困であるような賃金しか支払えない企業は、社会に「寄生」する害悪でもある。

 日本は社会的な安定装置として「雇用」を大切にしてきた社会であり、雇用を守ること、企業を支えることが重要視されてきた。だが「ブラック企業」という言葉に象徴されるように、労働者を買い叩き働き詰めにして病気になれば使い捨てるような雇用も残念ながら存在している。

 どんな雇用でもあるだけましという雇用優先の考え方は、失業率を低く抑える効果をもたらしたが、過労死過労自殺精神疾患ワーキングプア少子化など、数えきれない外部不経済を生み出した。また皮肉なことに、雇用の質の劣化を許す結果となった。最低賃金を引き上げると企業がつぶれるという主張は、労働者の価値を低賃金であることにしか置いていないことと同義である。

 「地位が人をつくる」という言葉があるように、企業の経営者に対しては、最低賃金労働者にも役割や権限を与えて能力を醸成し、賃金は高くなってもそれに見合う生産性を発揮できる労働者に育ててほしい。それこそが、人を雇用する企業の社会的責任であり、そういった企業や雇用こそ私たちは守る価値がある。

低所得世帯は消費性向が高いため、最低賃金の引き上げで所得が増えれば、確実に消費に回り、内需は拡大する。OECDの調査でも、所得格差の拡大は経済成長の低下につながるといった報告がなされており、最低賃金の引き上げは長期的にみれば経済成長にも寄与する。

非正規労働者の拡大によって、日本の労働者賃金面での成果配分は極めて弱くなった。低すぎる最低賃金は労働の価値への冒涜であり、組織労働者にとっても決して無縁の問題ではない。社会全体の労働者に目を配り、労働の尊厳と成果配分を求める運動に力を注いでほしい。

藤原千沙さん言及の  労賃の意味  


インタビュー

藤原千沙(法政大学准教授

情報労連REPORT2015年7月号掲載

先進国の中でも低水準である日本の最低賃金。なぜ低いまま抑えつけられてきたのか。なぜ引き上げる理由があるのか。生活給という思想の弱点から探る。


 日本の最低賃金水準が低いままである背景には「生活給」思想があるのではないか。生活給とは、労働そのものや仕事や職務に対応して賃金を支払うのではなく、働く人の生活を考えて賃金を支払う考え方である。典型的な属人給であり、労働者の生活に配慮した賃金思想が、低すぎる最低賃金で生活できない労働者を増やしているとしたら、逆説的でもある。

 日本の賃金の特徴といわれてきた年功型賃金カーブは、労働者のライフコースにそった生計費の増減におおむね重なることで、労働者の生活を支えてきた。生活給という言葉は使われていなくても、正社員賃金体系では、年齢給や基礎給といった土台の上に、職能や職務に対応した部分が積み重なる形が今でも多い。職務遂行能力の形成や役割付与の面でも事実上年齢や勤続にしたがって運用される結果、たとえ職能給や成果給と名づけられていても年功型賃金カーブは実質的に維持され、労働者の生計費を事実上保障してきた。労働者賃金で生活しているのだから、賃金が生活できる水準を下回らないことは当然といえる。

●生活給思想の魅力と陥穽

 1950年代から60年代にかけて臨時工の処遇が社会問題になった際も、不安定な有期雇用差別的低賃金では生活できないという訴えがあり、本工化の運動につながった。だが高度経済成長期に既婚女性が「主婦パート」として働くようになると、彼女たちは生活には困らないという前提で低処遇は社会問題にならず、パートの賃金最低賃金制度や地域相場といった市場価格で決められてきた。

労働運動の側も、正社員賃金交渉では「物価が上がった」「生活が苦しい」など“生活”を前面に掲げて賃上げを訴えるが、非正規労働者については時給何円アップという交渉スタイルである。非正規はその仕事の賃金だけで生活しているわけではないと前提しているからであり、「同一労働同一賃金」原則と対極にある生活給思想である。

 主婦パートは夫がいるから、学生アルバイトは親がいるから、「生活できるから」低賃金でも問題はないという賃金思想は、外国人労働者も「母国に帰れば生活できる」「母国物価に比べて低くはない」という理由で、低賃金正当化につながる。仕事そのものの価値や職務に応じて賃金を支払うのではなく、その人の生活を加味して賃金を支払うという生活給思想は、一見、労働者の暮らしを大切にしているように見えながら、労働者の属性や身分に基づく差別をもたらす危険があるのである。だが生活を大切にするという思想は魅力的で、私たちはまだその罠から逃れられていない。

税制社会保障制度での強化

非正規労働者低賃金でも生活には困らないという考え方は、税制社会保障制度によっても形作られた。パートの非課税限度額の引き上げ、配偶者特別控除国民年金の第三号被保険者など1980年代の諸政策は、主婦パートは扶養の枠内で働いたほうが有利である構造を作り出し、非正規の賃上げ要求の封じ込めに成功した。企業にとって非正規労働者は、社会保険料の企業負担なく、賃上げも叫ばず、いつでも雇い止めができる便利な労働力として位置づけられたのである。

 そのような構造で苦境に追い込まれていたのは、夫のいないシングルマザーや単身女性である。だが女性労働者低賃金なのは仕方がないと、これまた属人的に賃金が理解され、労働問題ではなく社会福祉で対応する領域とみなされた。今日ようやく非正規労働者低賃金が“問題”となったのは、非正規雇用が男性にも広がったからにほかならない。

●「生活できない」という訴えの脆さ

非正規雇用賃金は、とりわけ地方では最低賃金の水準に張り付いた形で決められている。にもかかわらず、最低賃金審議会は、公益代表、労働者代表、使用者代表いずれも最低賃金とは縁のない暮らしの人たちで構成されている。こんな低水準では貧困から抜け出せないという最低賃金労働者の声を審議会に届けても、どうしても切実に聞こえないのが実情ではないだろうか。むしろ最低賃金を引き上げると企業がつぶれる、雇用が失われるといった声のほうがリアルに響き、最低賃金は低水準に留め置かれてきた。

 「生活できない」「貧困から抜け出せない」と訴えて最低賃金を引き上げる戦略には脆さもある。なぜなら最低賃金水準で働く労働者の中には、まさに主婦パートや学生アルバイトなど彼らが属する世帯でみると低所得ではない人々が存在しており、最低賃金の引き上げはそういった中堅所得層にも恩恵をもたらす結果、貧困対策としては効率的ではないという見方があるからである。貧困問題の解消策としては「給付付き税額控除」など税の再分配によるほうが効果的であるという意見は経済学者の間では強い。

公平性と社会正義の問題

 では最低賃金の引き上げは政策的に不要であるかというと、私はそうは考えない。現状の最低賃金は、絶対的な水準としても正社員との賃金格差でみても、あまりにも低すぎるからである。「生活できるかどうか」を判断の基準として属人的に賃金を考えるのではなく、労働そのものを見つめるべきだ。

最低賃金の仕事であっても、労働というものは、誰もが簡単に労力なくできるものではない。スーパーのレジ仕事は日本では立ちっぱなしのまま迅速で正確で丁寧な接客が要求される。介護仕事では腰痛は当然視され、過酷で劣悪な労働環境も多い。「生活できるから」低賃金でも良いという考えは、労働そのものの価値を貶めるものである。公平性(フェアネス)の観点から、あるいは社会正義(ジャスティス)の観点から、日本の最低賃金水準は問題視されるべきだ。

雇用優先の弊害

最低賃金を引き上げると企業がつぶれる、雇用が失われるといった主張に対しては、それはどんな企業であり、雇用なのかを問いたい。労働者フルタイム働いても貧困であるような賃金しか支払えない企業は、社会に「寄生」する害悪でもある。

 日本は社会的な安定装置として「雇用」を大切にしてきた社会であり、雇用を守ること、企業を支えることが重要視されてきた。だが「ブラック企業」という言葉に象徴されるように、労働者を買い叩き働き詰めにして病気になれば使い捨てるような雇用も残念ながら存在している。

 どんな雇用でもあるだけましという雇用優先の考え方は、失業率を低く抑える効果をもたらしたが、過労死過労自殺精神疾患ワーキングプア少子化など、数えきれない外部不経済を生み出した。また皮肉なことに、雇用の質の劣化を許す結果となった。最低賃金を引き上げると企業がつぶれるという主張は、労働者の価値を低賃金であることにしか置いていないことと同義である。

 「地位が人をつくる」という言葉があるように、企業の経営者に対しては、最低賃金労働者にも役割や権限を与えて能力を醸成し、賃金は高くなってもそれに見合う生産性を発揮できる労働者に育ててほしい。それこそが、人を雇用する企業の社会的責任であり、そういった企業や雇用こそ私たちは守る価値がある。

低所得世帯は消費性向が高いため、最低賃金の引き上げで所得が増えれば、確実に消費に回り、内需は拡大する。OECDの調査でも、所得格差の拡大は経済成長の低下につながるといった報告がなされており、最低賃金の引き上げは長期的にみれば経済成長にも寄与する。

非正規労働者の拡大によって、日本の労働者賃金面での成果配分は極めて弱くなった。低すぎる最低賃金は労働の価値への冒涜であり、組織労働者にとっても決して無縁の問題ではない。社会全体の労働者に目を配り、労働の尊厳と成果配分を求める運動に力を注いでほしい。

論説における 立ち位置の自覚 #正確には <当該と支援の立ち位置>

セックス・ワーク概念の理論的射程 : フェミニズム理論における売買春家事労働 >

名古屋市立大 菊池夏野さんの論文  (リポジーーvol_24 所収)

B422-20150731-37 (438.71KB) [ 392 downloads ]

facebookに流れてきた、菊地さんファンなのでdownし拝読

売買春の具体性がないまま 紙幅の多くが<主婦の定義>の流れについやされている、この件は

立命館大学村上潔さんの博論とかで十分分析されつくしている。

いまさら石垣_武田とたどる意味もない、国家公認の戸籍記載一夫一婦制性関係の優位性に裏ずけられ

年金 税制 など金額で計量できる分野から、××の妻 嫁 母など社会生活上の肩書き等々単に「家事担当」である当該女子の切れ目のない気働き労働の定性定量には「その余」が山積している。

方や己の身一つ気持ちひとつでの「売買春」当事者は 比較しようもない「無産」状況である。

それは「主婦」の「家事労働」000万円と金額に兌換される以前に主婦と分類される女子がこの名のもと

果たさざるを得ない膨大な分野の極一部が「性」行為だからである

主婦となずけれれた女子はこの「性」の分野だけでも

排卵ー月経ーあるいは妊娠−つわりー分娩ー授乳---と連綿と身体負荷を担う


この膨大な負荷と墓地、家屋管理、次世代教育を含む「家事労働」と

売買春での金銭授受、社会的認知こみでも  対比するにはおおくの「点検事項」を無視できない

この手立てを省略して言語表示のみでいわゆる女性学的対比は本来不可能じゃないか?

女性学?とゆうカテゴリが 時代とともにでこぼこ?

状態で膨張してきた1985年以降 この現にある「買売」される「性行為」にそしてその行為で

生活している女子にどんな「言辞」をおくったか?

いまできるとしたら 性交(一過性)妊娠(代理母)つまり 膣貸し 子宮貸問題のフィールドワーク

ではないだろうか?膣内射精暴力論?とも交差すべきだろうし、

-------------------------------------------------------

さて、こうまでいってしまうのは、ここのところ「当事者」と「論者」が不明確なまま、端的にいえば

「女」であると免罪符にして当事者ぽく論述をしたててしまうん安易さがめだつからである。

ー大昔対談メンバーの一人が榎美沙子とききにげだしてしまい、急遽婦人民主新聞編集長本多房子さんから

電話で代打を依頼され、議員会館の先生のお部屋で鼎談したとき、

女性党」をつくりましょう!とはしゃぐ榎に 市村房枝さんは、たんたんと

「女もいろいろですよ!」ととりあわず、お茶菓子にとクッキーの缶あける手先が不器用にうごいていた。

そう!女も「いろいろ」です。全員が「私も女で、だから主婦!」といわれると「主婦問題」は混沌と

してしまう。

都心の道路沿いガードレールで段ボウルハウスに寝るホームレスの人たちとガスコンロでおつゆつくり

ご飯もたいて夕餉のパーテイをしていたリーダーを「襤褸はきてても心はーー」と見た目の形容をした

某女性教授に「ためしに一度この道路パーテイにきてご飯ご一緒にどうでしょう?おうちの残り物1品持参でご参加を」と主催者がメール。

なんとお返事は「私材料使い切るので、あまり物はないので、、」と不参加のお返事が。。。。

政府\\の委員もされてて、講義論文ご多忙とのお返事じゃなく「あまりもの無い!」と。。!「なに!」

主婦戦線星組の私は腸にえくりかえって、、、もう7、8年たつのに まだくやしい。。

詳述しますと主婦が台所であくせくうごいてるとき、食材や調味料「全部使い切る」なんてこと絶対にありません!次の食卓明日のおかず 連綿と続く食事ずくりに すきやきのねぎ一本あすの味噌汁に残す的「素材やりくり」こそ主婦の手際!まして味噌しょうゆ 油 砂糖 在庫あるのが普通の台所。

このかたは「まい包丁」お持ちだとか、夕餉の支度にご親友とコンビニにはいられたとか、お天気いいので

洗濯ほしてて講義に遅刻とか。。一見「家庭的」「主婦ぽい」イメージがついてくるが、♀ではあっても

「主婦」的状況からは かなり遠い立ち位置

市川房枝さんがゆうように「女もいろいろ」でこの世が資本主義でお金持ち&貧乏が混在しているのは自明

の状況です。

しかしです!この世の表男社会はこうゆう台所事情などおかまいなし。彼女は「女性」ときに「主婦」代表

としてコメントもとめられ、なんの痛覚もなく コメントがながれる、、、、

るるのべましたのは

「当該」と「支援」の立ち位置はくれぐれも 御自覚いただきたいとゆうこと、

この立ち位置の峻別こそ 言論で状況を云々される幾多の学究におねがいしたいことです、

2015-08-28 連合 総研 レポ


DIO 2015, 7, 8

寄稿

藤原 千沙

法政大学大原社会問題研究所准教授

「 多 様 な 働 き 方 」に お け る

生活賃金の課題


特集

働く者にとって望まれる「多様な働き方」の前提条件

1 ある仕事説明会での経験から

 2011年東日本大震災後、被災地で開かれ

た仕事説明会に参加した。会場であるハロー

ワークの会議室には首都圏から来た複数の会

社の担当者が並び、震災で仕事を失った被災

者への就業支援として自社ではこのような仕

事が提供できるという説明が続いた。いま政

府も推進しているテレワークの紹介である。

 テレワークとは「tele=離れた場所で」「work

=働く」ことを意味する言葉とされ、パソコン

インターネットを活用することで、働く場所と

時間を柔軟に選択できる働き方とされている。

地元に仕事はないが地元を離れられない被災

者にとっては格好の就業機会であり、その説

明会への参加は雇用保険受給者の求職活動と

しても認められることから、多くの求職者が

参加していた。

 だがそこで紹介された仕事は驚くもので

あった。ある仕事は、意味のない数字や文字

をひたすらデータ入力する仕事だった。会社に

とっては意味のある文書だが、あえて意味が

わからないよう文字や数字を多数に切り分け

て発注するため、情報漏洩の心配や管理に困

らず安心できる仕事だと説明された。

 ある仕事は、指定されたキーワードを使っ

て文章を作成する仕事だった。指定回数以上

キーワードが入っていれば文章の中身は問わ

ないが、インターネット上からの文章のコピー

盗作は厳禁だと注意点が示された。単に

キーワードを適当に散りばめただけの文章に

何の価値があるのかわからなかったが、イン

ターネット上での検索ランキングを上げるため

にそういった文章が 使用されるのかもしれな

いと想像した。

 ある仕事の説明では、仕事の報酬は現金で

は な く「 ポ イ ン ト 」 で 支 払 わ れ る と 明 言 さ れ た 。

インターネット上の買い物では現金同様に使え

るほか、ポイント交換サイトを利用すれば現

金や電子マネーにも交換できるので、現金と

同じですというのが担当者の説明であった。

「それは許されるのか」と驚き、会場にいるハ

ローワークの職員から何らかの注釈や補足説

明があるものと期待したが、何事もなく会社

の説明は続き、その日の仕事説明会は終了し

た。

2 雇用か請負か、生計維持か社会参加か

 国土交通省の説明によれば、「ICT(情報通

信 技術)を活用した場所にとらわれない柔軟

な働き方であるテレワークは、家庭生活との

両立による就労確保、高齢者障害者育児

介護を担う者の就業促進、地域における就

業機会の増加等による地域活性化余暇

増大による個人生活の充実、通勤混雑の緩

和等、様々な効果が期待されている」とある

1

総務省厚生労働省経済産業省、国土交

通省など関係省庁が連携して普及促進を図っ

ており、第3次男女共同参画基本計画におい

ても、テレワークは「仕事と生活の調和を可能

にする多様な働き方」「ライフスタイルに応じ

た多様な働き方」として、短時間正社員制度

等と並んで推奨されている

2

 たしかに、会社に雇用されて働く労働者

オフィス勤務だけでなく在宅勤務ができる日も

選択できるようになれば、労災認定の困難な

ど懸念もあるとはいえ一定の利点はあるだろ

う。月給や労働時間は変わらず、通勤時間だ

けを節約できれば、その時間を生活時間に充

てる ことで「 仕 事 と 生 活 の 調 和 を 可 能 に する 働

き方」といえなくもない。

 だがテレワークにはこのような在宅勤務とし

ての雇 用型だけでなく、 自営業の 個人事 業 主

として扱われる請負型が存在する。請負型の

テレワークは業務を安定的に受注できる見込

みもなければ、労働時間に見合った報酬が得

られる保証もない。しかも冒頭の仕事説明会

で紹介された仕事のように、最低賃金すら保

障されないばかりか現金でもない「報酬」。自

分が労働力を提供した行為の意味も知らされ

ず、それを通して自身が学び 成長することもな

い「仕事」。このような請負型のテレワークも

「多様な働き方」として推奨されるのだろうか。

このような仕事でどうやって生活できるのか。

 生計維持手段がほかにあるならば、安定的

でない仕事量も労働時間に見合わない報酬

も、 とくに支 障はないという人はいるのかもし

れない。社会とつながるために仕事をしたい

人にとっては、働きたいときに好きな場所で自

由に仕事を選べる請負型のテレワークも選択

肢のひとつになるのだろう。だがそれは年金

や個人資産といった、働いて得る「賃金」が

なくても生活できる人に限られている。仕事量

も報酬も不安定な請負型のテレワークは、生

きがいを求めて働く人の社会参加の手段とは

なっても、それで 食べていく生計維持の手 段

とすることは困難である。

 このような雇用型と請負型、生計維持と社

会参加という、二つの異なる特質が区別され

ずに一括して「多様な働き方」と総称され、さ

もこれからのICT社会や男女共同参画社会に

とって望ましい働き方のように喧伝されること

は問題である。被災地の仕事説明会に参加し

た求職者は、「生きていくために働く」「食べ

て い く た め に 働 く 」「 生 活 で き る 仕 事 」 を 求 め て 、

参加したはずである。にもかかわらず、そこ

で紹介された仕事は、その仕事で生活できる

ものではまったくなかった。

3 「多様な働き方」で生活できるか

 では、このような事例は、自営業にくくられ

る請負型のテレワークだったからこそ生じた問

題であり、雇用労働であれば生じないのだろ

うか。つまり、労働基準法最低賃金法など

雇用労 働者としての基 本的権利が 守られる仕

事であれば、その仕事で食べていくこと、生

活していくことはできるだろうか。

 残念ながら、必ずしもそうではない。パート、

アルバイト、臨時、非常勤、嘱託、契約、派

遣といった非正規雇用では、たとえフルタイム

働いても生活できる賃金が得られるとは限ら

ず、非正規 雇用の増加は日本 社会における貧

困の拡大につながった。

 厚生労働省国民生活基礎調査」によると、

2012年の相対的貧困率は16.1%であり、比較

可能な1985年以来、最悪の高さである。国際

的にみても日本の貧困率は高く、18歳〜 65歳

の稼働年齢層の貧困率14%はOECD平均10%

を上回り、稼働年齢層の貧困率において日本

OECD先 進34か国のうち7番目に高い国と

なっている

3

 しかも日本の貧困の特徴は「仕事がないか

ら」「失業しているから」貧困なのではない、

という点にある。世帯主が稼働年齢にある貧

困者の世帯状況をみると、世帯内に就業者

いる割合は、イギリス33.0%、ドイツ33.6%、

フランス62 . 5%、アメリカ71.9%などに対して、

日本は82.7%ときわめて高い

4

 就業者がいるにもかかわらず貧困であると

いうことは、その労働報酬が生活できる水準

を満たしていないことを意味する。働いても貧

困から 抜 け出 せ ず、 働くことが 報 われ ない 社

会構造は、資本制経済社会の根幹を揺るがす

事態である。労働組合労働運動にとっても

労働の価値の凋落は見過ごすことのできない

抵抗すべき課題ではないだろうか。

 これまで日本の労働組合は、いわゆる電産

賃金で知られるように、「食える賃金」「生

活できる賃金」を求めて、生計費を考慮した

賃金要求を行ってきた。純 粋な生活給として

だけでなく、職務給、職能給、成果主義賃金

など賃金をめぐってさまざまな議論が行われる

なかでも、雇用労働者である以上、賃金で生

活することは大前提であり、たとえ仕事や成

果に応じた賃金であろうと生活できる賃金

準を下回ることは想定されていなかった。賃

金が生活できる水準であることは当然であり、

― 9 ―

賃金をめぐる労使の議論はその水 準を超えて、

どのような賃金 決定が 公平・公正であるかが

焦点とされてきたのである。

 労働組合は、少なくとも正社員賃金につ

いては、その賃金制度がどうであれ、生活で

きる賃金水 準を曲がりなりにも獲 得してきたと

して、では「多様な働き方」ではどうなのか。

「多様な働き方」とは従来のような正社員では

ない働き方を意味するものだとすると、そう

いった働き方を選択しても生活できる賃金

保障されるのか。

 「多様な働き方」の議論で決定的に欠けて

いるのは、果たしてそれで食べていけるのかと

いう、賃金の視点である。

 不思議なことに、「多様な働き方」の議論

おいては、その仕事の賃金だけで生活するこ

とは想定されておらず、他に生計維持手段が

あることが前提されているかのようである。

パートの女性は夫がいるので、生活できる賃

金水準でなくても困らないという前提で、正社

員の賃金とはかかわりなく、最低賃金制度や

労働市場の需給関係で賃金が決められてき

た。

 このように、正規と非正規とでは賃金の考

え方や決め方がまったく異なり、均等処遇が

行 わ れ て い な い 日 本 の 現 状 に お い て 、「 多 様 な

働き方」=「従来の正社員ではない働き方」

が広がれば、生活できる賃金を得ることので

きない労働者が増加するのは必然である。稼

働年齢層の貧困率が他の先進諸国と比べても

高い日本の現状は、非正規雇用賃金では必

ずしも生活できないことを知っていながら対処

してこなかった労使の双方と、賃金の不十分

性を税や社会保障といった所得再分配でも対

処してこなかった政府、政労使すべての責任

である。

 稼働年齢層の世帯には18歳未満の子ども

育てられていることが多いため、稼働年齢層

貧困は「子ども貧困」と密接に関連する。

2010年前後で、子どものいる稼働年齢世帯の

貧困率14.6%はOECD平均11.6%より高く、な

かでも、ひとり親世帯の貧困率50.8%はOECD

平均31.0%をはるかに超え、日本は他のどの

国よりも高い

5

。稼働年齢層の貧困は、子ど

もの貧困につながり、子ども貧困は、社会

の未来につながる。「多様な働き方」を推進し

ていくのであれば、生活できる賃金をすべて

労働者に保障することが、社会の存続にとっ

て不可欠である。

4 生活できる賃金とは何か

 では、生活できる賃金をどのように考えてい

けばいいだろうか。

 第一に、世帯モデルとしては、親1人子1人

モデルを提唱したい。現状でも最低賃金でフ

ルタイム働けば自分一人の生計費は確保できる

かもしれない。だが労働者一人の生活をかろ

うじて満たすだけの賃金水準では、子ども

産み育てることはできず、労働力世代的再

生産は不可能となる。

 他方、親2人子2人といった共稼ぎモデルで

は、その賃金水準の半分で親1人子1人の世帯

が暮らせるわけではない。規模の経済が働か

ないからである。むしろ、親1人子1人が生活

していくことができる生計費を「生活できる賃

金」水準として設定すれば、親が2人いれば

子どもは2人以上養育することが可能となるの

であり、母子世帯や父子世帯であっても少な

くとも子ども1人であれば貧困に陥らずに生活

して いくことが できる。

 第二に、その賃金水準を得るために必要な

労働時間は、日々の労働力再生産のために、

また世代的な労働力再生産のために、必要な

生活時間が加味されていなければならない。

これについては、連合が掲げる「年間総労働

時間1800時間」モデルは、労働時間1日7.5時

間、年間労働日240日(週休2日)をベースとし

たものであり、妥当であろう。

 生活できる賃金を考えるうえで労 働時間の

視点は重要である。時給1000円で年間3000

時間働けば年収300万円を得ることはできる。

だが年間240労働日で年間3000時間とは1日

12.5時間労働である。1日24時間の半分が有

償労 働に費やされ、それ以外は生物体として

生理的時間だけで毎日が終わる暮らしは、

生活しているとはいえない。ただお金があれ

子どもが育つわけではなく、子どもと向き

合いともにすごす時間が 必 要である。労 働力

の再生産にとって必要なのはお金だけではな

く、時間の保障が不可欠である。

 第三に、このように設定された生活できる

賃金を、 誰 がどのように保 障 するかである。

DIO 2015, 7, 8

― 10 ―

DIO 2015, 7, 8

直接賃金として個別企業に求めるのか、ある

いは間接賃金として税や社会保 障のルートで

求めるのか、いずれの方法もありうる。 

 たとえば、労働者が最低限の生活を営むの

に必要な賃金水 準として連合が試算している

連合リビングウェイジ(2013年)では、さいた

ま市、自動車なし、親1人子1人(小学生)世

帯で、月あたり必要生計費は171,326円とされ

ている。税・社会保険料込で年収換算すると

2,508,012円であり、それを年間1800時間の

労働時間で得るには時給1394円以上が必要と

なる。

 このような試算は、個別企業が支払う直接

賃金ですべての必要生計費を賄うことを前提

としている。だが公営住宅、家賃補助、教育

費の無償化医療費の免除など、税や社会保

障を通した所得再分配で賄われる範囲が広が

れば、必要生計費は下げることが可能である。

 もっとも、税・社会保険料といった非消費

支出は増えるため、必要生計費の低下相当分

がそのまま賃金の低下につながるわけではな

く、企業コストとしては変わらないかもしれな

い。だが生活できる賃金の一部が個別企業か

らではなく政府を通した所得再分配のルート

で 保 障 さ れ る よ う に な れ ば 、た と え 失 業 し て も 、

業者でも、自営業や請負労働者でも享受で

きるようになり、社会連帯は広がるだろう。

5 課題

 連合リビングウェイジは文字通り最低限の必

要生計費である。先の事例では、住居費はわ

ずか月額41,854円、教育費も月額8,377円しか計

上されていない。それでも時給1400円未満では

1人の子どもも育てることはできないのであり、

非正規雇用が広がった現代の日本社会がいか

少子化を招き、子ども貧困を拡大させるか

を物語っている。

 留意すべきは、この必要生計費は子ども

小学生と仮定していることである。小学生の子

どもはやがて成長し、中学生、高校生、専門

学校 生や大学生になっていくだろう。子ども

成長にともなう生計費の上昇に、賃金の上昇が

追いつかなければ、子どもを育てて生活してい

くことは できない。

 このように考えると、生活できる賃金とは、

単なる一時点の処遇の問題を超えて、すべての

労働者が仕事を通して学び、成長し、役割を得

て、能力を発揮し、相応しい待遇を獲得する長

期的な展望をともなわなければならない。なぜ

なら企業の賃金支払いを労働者個々人の具体

的な生活に対応させることは非現実的であり、

実際の賃金制度は職務や能力に対応したもの

にならざるをえないからである。

 重要なのは、労働者の職務に合わせた賃金

であっても、労働者の能力に合わせた賃金

あっても、それが生活できる賃金 水 準を下回ら

ないことである。そしてその水準は子どもの養

育費用が全額社会化されない限り、労働者

年齢にしたがって上昇していく。それゆえ、労

働者の年齢にしたがっていかに賃金を上げてい

くことができるか、能力形成や職務配置のあり

方が具体的な労使の課題となる。また、現実

問題として、3年や5年といった有期雇用が広が

るなかでは、単なる一企業の処遇のあり方にと

どまらず、 企 業 横断的な教 育訓練や評 価 制度

のあり方を考えていかなければならないだろう。

おわりに

 2012年の総務省「就業構造基本調査」によ

ると、2011年10月から2012年9月までの1年間に

雇用者(役員を除く)として初職についた者で

正規の職員・従業員だった割合は、男性で

64.9%、女性で46.8%である。つまり男性の3分

の1以上、女性の2分の1以上は、もはや初職か

ら非正 規 雇 用者としてキャリアをスタートさせて

いる。このような若者が仕事を通して学び、成

長し、出産・子育てもしながら、働いて生活し

ていけるかどうか。非正規から正規への移行を

促すばかりでなく、非正規でも暮らしていくこと

ができる社会を設計していかなければならな

い。「多様な働き方」が広がるなかで、生活で

きる賃金のあり方が問われているのである。

1 国土交通省ウェブサイトhttp://www.mlit.go.jp/

crd/daisei/telework/index.html)。

2 内閣府男女共同参画局「第3次男女共同参画基本計画」

の第4分野(雇用等の分野における男女の均等な機会

と待遇の確保)と第5分野(男女の仕事と生活の調和)

の成果目標にあげられている。

3 OECD Factbook 2014。2010年前後の比較である。

4 OECD Factbook 2009。2000年代半ばの数値である。

5 OECD Family Database 2015。

女性で安心な社会に―女性の貧困のほんとうの解決策へ声をあげましょう― 「女性は世界の労働の三分の二を行っているにもかかわらず、収入は五%でしかなく、資産は一%にも及ばない」(ILO:国際労働機関) 男性の貧困が、女性なみの貧困になってきた(貧困の女性化)ことで「貧困」が社会問題視されるようになりました。しかし、女性はずっと前から貧困でした。そして今、女性の貧困は悲惨さを増しています。 女性の約54%が非正規労働者として、正規男性の約40%の低賃金で働いています。シングルマザーの暮らしは平均年収171万円で手当があってもギリギリです。DVから避難した女性たちは不安に怯えながら「自立」を求められています。高齢女性の年金は低額で、生活に困難を抱えています。生活の厳しさから精神を病む人も多く、男性に頼ってもが更なる暴力や貧困につながる場合もあります。外国籍の場合、困難は非常に大きくなります。 しかし、女性の貧困はこれまでほとんど問題視されてきませんでした。なぜでしょうか。 日本では男性が外で仕事、女性が家事育児という価値観が根深いため、女性は男性に扶養されるのだから低収入で当然と思われ、女性が声を上げても男性の賃上げが優先され我慢を強いられてきました。女性自身も結婚すればなんとかなると思って来ましたが、結婚してもDVや夫のリストラや借金などさまざまなリスクと直面するケースが増えています。離婚後の子どもを扶養する責任は女性が負うことが多いのですが、子どもへの支援はまったく手薄です。 日本の企業は大小問わず、男女雇用均等法が成立した以降も女性をパートや派遣労働に追い込み、安上がりの労働力として利用してきました。また男性主導の労働組合の多くも、足元の非正規問題と男女の賃金差別を放置してきました。企業だけではなく行政において、福祉職や事務職において非正規雇用の率は増加し、正規職員のみではもはや現場は回らない状況です。パート労働や派遣労働の便利さに味をしめた企業・行政機関がそうした労働力をより多く求め、労働の規制緩和が進むことで、1990年代後半には主婦だけでなく多くの若い男女に、不安定な非正規労働しかない状況が産まれたのです。さらに、生活保護や児童扶養手当、教育援助、雇用保険、医療保険などさまざまなセーフティーネットが崩壊し、更なる貧困が女性たちを直撃しています。社会的な差別構造を抜本的に解決する対策が喫緊の政治的課題です。 私達は、様々な貧困問題に直面する女性たちが集まり、女性と貧困の問題の実態を明らかにし、訴え、女性たちの貧困の真の解決を図るために「女性と貧困ネットワーク」を結成します。私達は全国の仲間と情報を共有し、貧困にさらされている女性達の問題解決のために助け合いのネットワークを広げます。女性の貧困問題の解決のために、提言を行なっていきます。  これまでの貧困問題の解決のための活動に敬意を払うとともに、提案をします。一つは、貧困状態にある男性の意識の問題、たとえば「男が妻子を養わなければならない」という認識が男性たちをより一層追い詰める要因になっていることへの気づきです。二つ目には女性の貧困を可視化し、女性が心身ともに自立できる労働とセーフティーネットを充実させることが、すなわち男性の貧困問題の解決につながることを共有化したいと思います。三つ目は今ある「労働市場」に「男性並み」に参入することではない働き方を作り出していくことです。労働基準法や産休等の様々の権利を企業・行政に働きかけ、時には法そのものを変革するなかで、男性中心の「労働」のイメージと現実を変えていくことです。それは女性のみならず男性にとって「賃労働者」としてだけではない「生活者」として生きる姿を示していくことでしょう。女性の働き方を考えること、それは労働の根幹を揺るがす力を持ち得るのです。女性も男性も共に「人としての尊厳」を持続できる、差別のない公正な雇用と安全で心豊かな社会を目指して、共に力を携え合いましょう。最後に、私たちのネットワークを、一緒にあなたの身近な人に伝えてください                                  2008年9月28日