[]給食のおかわり、ルールを変えませんか?

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Fさんが、



「先生、給食のおかわり、ルールを変えませんか」



と話しに来た。





4年生になったらルールがなくなっちゃったので、

復活させたい、と言う。



「3年生の時と同じルールがいいです」





それは、おかわりルールというべきもので、

おかずを減らした人は、おかわり禁止とする


というルールなのだそうだ。





なぜそう思ったのか。



先日のこと。

給食のデザートで、フルーツポンチが出た。



隣の席のSくんが、あろうことか、他のおかずをかなり減らした。

野菜とお汁をかなりの量、減らしたらしい。



Fさんは、そのとき、



「Sくん、今日は食欲ないのかなあ」



と思ったそうだ。





しかし!



おかわりの時間になったとたん、Sくんはすぐに行動し、余っていた



フルーツポンチを、お皿の上に山盛りにして、喜び勇んで席にもどって、



「どや!フルーツの大盛り!」



と言った。







Fさんは、許せないと思った。



「だって、フルーツポンチをたくさん食べたいからって、野菜を減らすのは、ダメでしょう?」





そこで、3年生のときのように、クラスのルールをきちんとしたい、というのだ。



「野菜を減らした人は、おかわり禁止にすればいい。そうすれば、みんな野菜も食べて、本当に欲しい人だけがおかわりをすることになる」



Sくんのような、不当なフルーツポンチの享受をゆるしてはならない、ということらしい。









「わたしがおかずを食べ終わって、フルーツポンチのところに行ったら、少なくなっていたもん」



Fさんが、Sくんを恨む気持ちもわかる。



Sくんは、何でもダイレクトに大声で反応するタイプ。

フルーツポンチを遠慮して、少なくするなんてことは絶対しないタイプだ。



「わー、フルーツポンチ!!!たくさんゲットーーー!!」



それを、隣の席にも、うしろの席にも、前の席にも、斜め前の席の子にも、

みんなに見せたくなる、そういうお人柄。



「ほらみて!山もり〜ッ♪!!」









Fさんが、フルーツポンチの恨みを忘れることは当分、なさそうだ。



「ねえ、先生。公平なルールをつくった方がいいよ」



「あ、そう。そうかなあ」



わたしは、腕組みをして考える。



「フルーツポンチ、人気だものねえ」



「そうだよ、みんなだって、Sくんはとりすぎだって、言ってたよ」



「うははは」



わたしは、つい大声で笑ってしまう。









「よし、わかった。今度、フルーツポンチが出たら、Fさんに大盛りにしてあげよう」



「え、ほんと。でも、みんなから、ずるって言われる」



「いいよ。先生の分をあげるから」



「わーい」



これで、もうご機嫌で、すっかりルールのことなんて、言わなくなりましたぜ。



「今度、フルーツポンチが出たら、おかわり欲しい人がどのくらいいるか、みんなに聞いてみてからにしようね」



「うん」



fruit_punch



[]先生、ねむい。

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Aさんが、授業中、少し、寝てた。



「先生、Aちゃん、寝てる」







Aさんにきくと、



先生、ねむい。



というので、全員で10分寝ることにした。



「カーテンしめて!」



「ヒャッホー!」



「電気けそう!!」




寝よう、と言っただけで、このハイテンション。



もう、目は完全に冴えている様子。









カーテンをしめると、すこし暗くなる。(でも昼間だから明るい)



「みんな、しゃべらないで!」



と、ふだんは、とーっても、おしゃべりなFさん。



「キャハハハ」



「Fさんが、しゃべらないでって、言ってるよ!」



と、ふだん、本当にすごいおしゃべりな、Uさん。



「よし、だまろう」



「ようし!!しゃべるなー」



「よし!!!!気合を入れて寝よう!」



「ウハハハ」




子ども同士、おたがいに、そんなことばかり言ってる。







静かになって10秒後、くすくす、笑いが起きる。



くすくすが広がり、ゲラゲラになるのに、30秒ももたない。





「みんな、笑い過ぎ!」




リーダー格のHくんが、顔は完全に笑いながら、みんなをいさめようとする。







「よし、本格的に寝よう!」



ふたたび、静寂が訪れる。



・・・



とつぜん、Sくんが、



「先生、寝れないわ。子守唄をうたって」



「キャハハハ」




爆笑がつづく。











はい、約束の10分が経ちました。



睡眠、終わりです。



「なんだか、保育園のときみたい〜」







おめざめは、いかがですか?



「うん。快適」







わたしは、可笑しくてならない。

みんな、ちっとも寝てないのに。





子どもと話すというのは、こういうことのくりかえし。







写真は、「森は生きている」より。



omijika









消しゴムをひろってくれる人【道徳授業】

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落ちた消しゴムを、拾う。



自分が落とした消しゴムは、



「あ」



と思って、拾う。



なんでひろうのかな。



「自分が使うから」







となりの子の消しゴムが、落ちた。



それを、自分がひろう場合は・・・。



そのときも、



「あ、ひろおう」



と思って、拾う。



なんでひろうのかな。



「自分は使わないけど、〇〇くんが使うから」



「〇〇くんだと、なんでひろうのかな」



「え?なんで?・・・考えたことない」







なんで、消しゴム、ひろうのかな。



となりの〇〇くんの消しゴム、なんで拾うのかな。







「理由は無いけど、拾いたくなる」



わたしが意地悪く、



「えー、理由はなんか、あるでしょう」



と煽ると、



「えー?」



「理由?ある?」



みんな、口々に言って、混乱する。







「やっぱ、理由ない」



「あ、そうだ。わたしが踏んじゃうかもしれないから」





わたしは、さらにつっこむ。



「踏んじゃうかもしれないと、なんで拾うの?」



「えー??そこまで考えるの?ええーっ??」







なんで拾うのかなあ。



拾ったって、拾わなくったって、どちらでもいいのに。



拾いなさい、と指示されたわけでもなく、



拾わなきゃならん理由もなく、



拾うからトクとか、一切無いのに。







〇〇くんに、どう思われるかが気になるから、拾う?



「えー?ぜーんぜん!!」







じゃあ、いったい、なんで拾うのか??







ぼくら、なんで、ここにいるんだろうか。

こうして、いっしょに、ここにいる理由って、なんだろう?







こういうことを考えた後、とくに結論はでないけど、



教室の中の空気は、かなりしっとりと、いい雰囲気です。



みんな、機嫌がよくなって、満足しています。



道徳の授業をした後は、こんな空気になるから、おもしろい。



bunbougu_keshigomu

[]「困らない」への道 その2

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(「困らない」への道 その1より つづき)



教師になってからは、仲間に恵まれた。



現場の、同じ職員室の仲間や先輩にもめぐまれたが、



なによりも、同じ地域ですごす、気の置けない友人たちがいた。



わたしの話に、親身になって、耳をかたむけてくれた。





わたしがときおり、



「学校の話、きいて」



と出すこと、こんなこと考えてる、ということ、深呼吸するように、思って出すことを、



家族の居間のような雰囲気で、何度もきいてくれた。



その座談会の場所を提供してくれていた、宿のご主人もいた。





また、なによりも、わたしを育ててくれたのは、子どもたち。



ていねいに話をしていけば、それが通じているよ、と答えてくれた。



こんなふうにしていきたい、と伝えれば、いっしょにやろうよ、と応えてくれた。



先生、こんなふうにしたいよ、これがおもしろいよ、と教えてくれた。



幸福でありたい、と毎日わたしに伝え続けてくれ、教えてくれたのは、子どもたちである。







さらには、このブログも大きい。



気づくと、もう10年になる。



ほぼ毎日のように、書き続けてきた。



これが、わたしの「ひとりごと」。



わたしが想像した人へ、なにかわたしの言いたいことを、受け取ってくれそうな人を想像しながら、



毎日ここでこうやって書き続けて、頭の中のことを表しつづけていると、



ふと、だれかに通じているような気がして、落ち着いて初心(というのか?)に



かえることができる。





なかには、ときおり、コメントや励ましのメールをくださる方もいる。



三重県には、そんなわたしを呼んで、「いっしょに話をしよう」と言って下さる方たちも、いる。







書いてきてよかったなあ、と、このことでも、そう思える。



書きながら、自問する日々。



今は、着実に、明るく、ひたすらに心地よい道を、歩んでいる。







先日、また、わかい大学生から、メッセージをもらった。



ブログを見て、という人。



教師になろうかどうか、と思っているそうだ。



「教師がブログを書いているのはいろいろみたが、こんなふうに教室の風景や出来事、教師の心理を描写しているブログは、少ない」とのこと。



自分なりの理想をめざして、たのしみに毎日勉強している、らしい。



ぜひ、「困らない自分」で、進んでいってほしい、と願う。





がんばれ!!



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[]「困らない」への道 その1

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わたしが困らないようになったのは、幼いころに受けた経験もあるし、



また、10代、20代に周囲のいろいろな人や事象から、学び、影響を受けてきたからだと思う。



30代になり、ほぼ、



「これは、人生、困らないでも行けるかもな」



と思い出して、



教師をめざすようになったのは、そのように、



「困らないようになった」



ことが、ひとつの大きな条件だったろう。



もし、困るようであれば、教師にはならなかったろうと、ふりかえって思うことがある。



また、困るようであれば、多くの人に相談しただろうが、



わたしはほとんど、相談もせず、自分で必要と思われることをひたすらやりつづけた。



これも、今思えば、



「困らない」



ということが、自分にあったからだろう。



もし、困るようであれば、周囲の人に相談しまくって、結局は「やめたら」と言われて、やめていたのではないか。

〇30代

〇家族持ち(嫁さまと赤ん坊)

〇貯金なし

〇免許なし

〇高卒


この条件で、たった今から教師を目指します。



というのは、ふつうに考えれば、困る要素に満ちている。



もし、試験に落ち続けたら・・・

もし、採用されなかったら・・・

もし、勉強時間がつくれなかったら・・・

もし、免許がもらえなかったら・・・

もし、一か月間の教育実習に行くことができなかったら・・・




こういうことに、「困る」ようであれば、最初からやらない。

『困らない』からこそ、挑戦し、課題をクリアし、教師になった。





わたしが30代になってから免許も無いのに結婚し、子どもが生まれてから教師をめざした、というと、



「すごい強い信念で、夢を追い続けたのですね!」




と、感心して言って下さる方がいた。







ところがネ。



強い信念なんて、もったことがない。



そうではない。



誤解です。



強い信念など、不要なのです。



必要なのは、



「困らない」



ということ。





ほとんど、世の中の課題というものは、この一点で、のりきることができるのだろうと思います。(つづく)



先生ありがとう2

[]子育て応援フェア「つながる子育て in おかざき 2017」

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久しぶりに、わたしの住んでいる岡崎のことを。



いよいよ来週にせまってきました。



子育て応援フェア「つながる子育て in おかざき 2017」が開催されます。



市内で活動する子育て支援団体が集まります。



ワークショップやステージイベントなど様々。





なかなか、たのしい一日になりそうです。



こういう情報交換の場は、とてもいいと思います。



顔見知りが増えるのも、ちょっと楽しみですよね!



小さなお子さんをお持ちのお母さんお父さん、親子でぜひ遊びに行きましょう!









開催日時:平成29年6月3日(土) 午前10時〜午後3時

 場 所:図書館交流プラザ りぶらホール・お堀通り




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三重県で講演

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ブログを読んでくださっている方のご厚意により、



三重県鈴鹿市でお話することになりました。



どんなお話ができるか、わくわく・・・。



お近くの方は、ぜひお越しくださいネ!





6月10日(土)15:00開場 15:30開始 17:30終了予定

会場 鈴鹿カルチャーステーション

参加費 事前申し込み800円 当日1000円

主催 NPO法人鈴鹿循環共生パーティ・子育てセミナー実行委員会

共催 おふくろさん弁当・一般社会法人鈴鹿カルチャーステーション

後援 鈴鹿市

申込み先 お名前と連絡先を鈴鹿カルチャーステーションまで電話かメールでご連絡ください。

TEL 059-389-6603  E-mail scsoffice@scs-3.org




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