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パートI感想

パートIになったからといって何が変わるかというと、大して変わんないよ、ってのは分かった。
http://d.hatena.ne.jp/MARIUS/20061120#p2

これまで日本競馬が国際にパート2だからという理由で存在感がなかったり、発言権がなかったりというわけではなく、先にアラブ首長国連邦がパート1になっていようが、アジア競馬界の盟主は日本であった。

この辺を読んで思ったのは単純に「格付け意味ねえじゃん」ということ。このパートI昇格ってのはJRAにとって意味があるというより、むしろ、この格付け自体にとって意味があるという風に思った。
http://www.jra.go.jp/news/200611/112002_02.html#4

外国調教馬に対してICSブックに記載されるレースの50%以上の開放。それらの競走は3歳以上のものでもかまわない。

具体的には、平成16年時点で22競走(平地)であった(国際)競走を段階的に増やし、平成17年に58競走、18年に85競走、19年に111競走とし、ICSブック(平成17年)に記載されている競走数217の50%を超える競走を(国際)競走として外国調教馬に開放することとしました。

条件は結構妥協してる感もあるけど、217レースって案外多いようにも感じた。実際のところ、前から言われてるように「レースを開放したところでこねえだろ」ってことなんだろうけど。
レースの国際化より馬主問題の方が厳しいよ、ってことならJRA分かりやすすぎだ。

MM/Memoからリニューアルの方に変えた

ようやく乗り換えようかと。
http://1470.net/user/arikui/
まだちゃんと使ってないからいいけど、タグとかグループ絞込みでFeed出力ってできるのかな。これができないとトラセンクリップの方をちょっと考えないと駄目だ。まあ、そう難しい問題でもないんだけど。トラセンで使ってるアグリゲータがdc:subjectの扱いいまいち問題があったはず。

blogについて語るというのは非常に格好悪いですが

http://megahorse.blog4.fc2.com/blog-entry-600.html

ただ、NEOさんと違うなぁーって思うのは、私は反応に対しては素直に冷静に返事を書いているつもりです。相手のことをどーこー、嫌味ったらしく書くのは人間としてよくないですね。

ここにも書こうと思ったことだけど、根本的にゆたゆたさんとNEOさんのやり取りって対話になってない。いきなりメメタァな話に飛んだりとか、もともとNEOさん突っ込みどころ多すぎとかいろいろ理由はあるが……。いや、そんなことになったのにだっていくばくかの理由はある。基本的にはこれ。
http://d.hatena.ne.jp/MARIUS/20061117#p1 (最近Marlさんとこリンクしすぎ)

このブログを閲覧して頂いてる方にはそのような腐った人間はおられないと信じています。

何なのだ?この文章は。他者からの批判に耐えられないのなら、blogを公開しないか、批判を完全に無視するべきです。

こういったblogツールの使い方に関しての批判が繰り返されるのはもはや仕方がない。元気があればその都度反応するか、放って置くしかないだろう。ただ、実はそのどちらもが難しい。ちゃんとした対話ってのは疲れるものだし、かといって分かっていることについては完全放置もできない。中途半端なリファラ・コミュニケーションに終始してしまう。いくらblogツールにコミュニケーション機能が搭載されていようと、人間自体が変わらないのだから、それを完璧に使いこなすことなんて到底無理だ。
だからといって、blogによる対話というものがコミュニケーションとして非常に強力であるということは否定できないだろう。本来、ウェブで公開するということは自分から批評の目に晒していることにもなるのだから、そこに強力なコミュニケーション機能を搭載したblogツールを利用すれば、自身に暴力的な影響を及ぼす可能性が勝手に増してしまうわけだ。
そういった可能性について考えない者はblogの流行とともに非常に増えた。面白いのは、自身が晒されているということに気づかずに、旧来のマスコミュニケーションのような晒されているメディアを安易に批判していることだ。NEOさんのコメントが非常に分かりやすい。「このブログを閲覧して頂いてる方にはそのような腐った人間はおられないと信じています。」 それは何てインターネットなんだと。
しかし、彼らのような人々に本当に必要なのはメタな批判だろうか。ゆたゆたさんとNEOさんの事実を見れば分かるように、そのような批判は全く通じず意味が無かった。どのような方法がいいかは分からないが、個々の対話に持っていくしか今のところは考えられない。一対一であれ、そこには批判しあう関係性が出来上がるからだ。強引ではあるが、本来ウェブにあるべき土俵に持ち込むことができる。
対話のコミュニケーションは何度繰り返しても未だに難しい。荒川久美子さんとのやり取りだって、非常に失礼な対応を取っていたんじゃないかと思うと私にも反省すべきことは多い。荒川久美子さんがこのようなエントリーを出したことは「Megahorseは信用できるか」という点に関して大きな意味があることだと思う。今後Megahorseについて言及するかというと、恐らくしないだろう。今回の議論がよいものであれば、それは私にとって意味があったことだし、それ以上やる必要もない。無駄に終わったとしても、それ以降そのblogに対するひとつのイメージが定着するだけだ。
なんにせよ、私にできることといえば対話することだけだし、そのエネルギーの要る行為は誰にも強制はできないのだ。