愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

ユニット制とシンメは両立するか

id:ozuumi:20040901#p2
ozuumiさんから先日の日記(id:ariyoshi:20040831#p3)の

ジュニアの変容を一番表している事実は、過剰なユニット制よりもシンメがいないことのような気がしてならない。

という言葉に対して反応をいただいてしまいました。ozuumiさん、ありがとうございます!実はこの言葉、私自身も具体的にうまく説明ができなかったのでなんとなく書き逃げしてしまったものだったのですが、なぜそう思ったのがきちんと考えてみようと思います。ちなみに私はユニットよりもシンメ贔屓の傾向があるので、そのへんのことを差し引いてお読みください。それとジュニアの過去話の中で、間違った認識があったらご指摘いただけると嬉しいです。
ozuumiさんは

ユニット制とシンメ制が相容れないのかと言われれば、元々は別にそうでもなかったような気もして(シンメが成立していた頃も、ユニットはユニットとしていくつか存在はしていたはずですし)

とおっしゃられているのですが、私もそう思います。シンメとユニットというのは相反するものではない。というか、ちょっと前まではシンメというのは同じユニットに属することが当たり前のことだったと思います。島田くんと萩原くんはHisHだったし、俊太と福ちゃんもMAD(というくくりでよいのか未だによく分かっていませんが、とりあえず便宜的にMADとしておきます)だったし、山下さんと生田さんもBIGやFOUR TOPSというユニットだったわけだし、デビュー組だけどキンキさんなんて最強シンメがそのままユニットになっていますし*1
私はユニットよりシンメの方がつながりが強いと思っています。…つながりというのはおかしいかもしれない。なんというかシンメというのは「ただそこにあるもの」だと思っているんですよ。もうちょい詳しく言いかえると、ユニットは絶対的な制度だけれど、シンメというのはダンスを重ねるごとになんとなく生まれてくる概念だと思っているので、私の中では同じ土俵で考えることじゃないんですよね。そんなことはともかくシンメ話なのですが、固定のシンメというのはすべてのジュニアにいるわけではありません。前にやっさんと聖さんとナゴマルくんが対談をしていた時に

田中「オレも安っさんと何か似たものを感じる。やっと見つけた、壮大な東と西のシンメ(笑)」
安田「やっと見つけた、ここにいた!」
Wink up 2003年11月号)

とドリブラでも歌ってやりたいような会話をしていて、シンメというのはやっぱりそうそういないもので、ジュニア本人もそれを理解してるんだなぁと妙に感心したことを覚えています。この会話のあとナゴマルくんが「なんか運命的な出会いですね(笑)」と続けているのですが、私はシンメの出会いは運命的なものだと信じています。
だからユニットよりもシンメのつながりの方に私はこだわりを持ってしまうし、シンメが同じユニットに入るのは当たり前のことだと思っています。ええ、今でも思っていますとも。なので私はユニット制とシンメというのは普通に両立しうるものだと考えています。
とりあえずここまで。肝心の「ジュニアの変容とシンメがいないこと」についてはまた別に書きます。いつかシンメに対する熱い想いをまとめたいと思っていたんですが、こんなに長くなるとは思わなかった…。どうでもいいけど、上の対談の時のやっさんの髪型好き。それとこの号の長谷川さん、いや、プリンス長谷川がかっこよすぎる!!!

*1:滝つばさんはなんとなくシンメという感じはしません。なんでだろう。私が翼翔組好きだったからだろうか…