愚民14歳

2018-7-12

大阪ロマネスクの魔法

関ジャムの7人でのラストライブを見ました。そこで大阪ロマネスクを10年ぶりくらいにきちんと聴きました。

ロマネを初めて聴いたのは2004年の松竹座でのクリパでした。当時、エイトは関西に行かなければ会えないアイドルでした。「ほんじゃに!」は関東ローカルで何ヵ月も遅れて放送されていて、コンサートの開催は大阪松竹座のみ。私は時間と元気だけは有り余っている大学生だったので、夜行バスや青春18切符を使って、エイトに出会える大阪にせっせと通っていました。あの頃、関西以外のファンにとって大阪はまさにCool magic cityで、そこに行くとワクワクする一方で、関西人でないことに対してどうしようもない寂しさと疎外感を抱かずにいられませんでした。松竹座のトイレで標準語で話していると、地元の松竹姐さんにどこから来たのか聞かれるくらい、松竹座はアウェーな空間でもあったのです。

そんな中で歌われたのが「大阪ロマネスク」でした。恋をするため心斎橋に来るなんてフレーズは、関西の人からすれば「ナンパしにきてるだけだろ(笑)」と思われるんでしょうし、雅でもなんでもないんでしょうが、文字通りエイトに会うためだけに大阪に来ていた私の心にはものすごくしっくりと寄り添ってくれました。「この街の言葉 乱暴と言ったね」という歌詞も本当にその通りで、関西弁は憧れると同時に少し怖い言葉でもあって、その意見を肯定も否定もせずに「でも僕は変えないよ 好きやと言うから」と柔らかく包み込んでくれるロマネが、本当に大好きでした。この歌を聞いている時は大阪も関東も関係なく、魔法にかかったような、本当に時間が止まっていくような不思議な感覚にいつも陥っていました。


私はエイターになれなかったエイトファンでした。


すばるさんがエイターという言葉を使い始めたのは内くんがいなくなってからでした。内くんがいた頃のエイトは心地よいヒエラルキーのあるグループで、頂点に三馬鹿がいて、一番下に楽器隊の3人がいて、その間に亮ちゃんがいて、内くんがそのすべての階層をふわふわ動いて、全体が緩やかに繋がっているイメージが私の中でありました。

内くんがいなくなってから、そのヒエラルキーはなくなり、ファンにもすばるさんからエイターという名前が与えられて、エイトはファンまで含めて横並びに繋がるようになりました。そのあたりで私はエイトファンとは言えなくなってしまいました。内くんがいなくなったことと、エイターという言葉が生まれたことは関係ないのかもしれません。ただ、エイトはそういう風に形を変えることによって7人でエイトというグループを守ったんだと私は思っています。

ある時、ロマネに魔法を感じなくなって、そのあたりからエイトを離れてしまいました。当時の私には内くんがいないまま変わっていく(ように私には見えた)エイトを受け入れることができませんでした。


だけど、久しぶりにロマネを聞いて、中心にいるすばるさんが光を背に静かに歌い始める姿を見て、彼らは何も変わってなくて、ただ当時の私が若すぎて少しずつ売れるようになっていった彼らを受け入れられなかっただけなのかもしれないと思いました。確かに彼らが失ったものはあったかもしれないけど、それ以上に得たものがものすごくたくさんあって、あの小さな松竹座でロマネを歌っていた日から積み上げてきたものが、関ジャムのロマネには詰まっていて、こんな立派な舞台でロマネを歌うすばるさんが誇らしかった。

私がエイトファンだった時間は今思えば短かったのですが、初めて遠征もして、初めてうちわも作って、エイトの周りで起こる色んなことに対してすぐに笑ったり泣いたり怒ったりしていて、その濃密な時間は一つの青春だった気がします。


ロマネには魔法がありました。その魔法は今でも褪せることなく、時間を止めるどころか遡らせ、あの頃の気持ちをまざまざ思い出させてくれます。

最後にロマネを選んでくれてありがとう。エイトは何人になってもエイトだ。