Hatena::ブログ(Diary)

記憶の残滓 by arkibito

2018-04-18

ばーすでー

毎年奥さんのバースデーケーキを自作する。

料理は好きだが、

製菓はなかなかどうして精密さが問われるので苦手なので、

ケーキを作るのは1年にこの日だけ。

今年は夜なべをして、イチゴレアチーズケーキをこさえました。

ミキサーが見当たらないので、

イチゴのピューレを作るのに

茶こしにすりこぎスタイルでひたすらイチゴをつぶしたり

なかなか大変でしたが、家族には大変好評でした。


f:id:arkibito:20180417000309j:image:w360


f:id:arkibito:20180417023146j:image:w360


義母が気を利かせてディナーを予約してくれていて

夫婦で美味しいフレンチをいただいてきました。

もうぼちぼちエエ年になってきましたが、

このまま、これからも一緒に年を重ねていければなと思います。


f:id:arkibito:20180417185212j:image:w360


f:id:arkibito:20180417194315j:image:w360

『火垂るの墓』 高畑勲監督

火垂(ほた)るの墓 [DVD]

火垂(ほた)るの墓 [DVD]


高畑勲監督の追悼で先日放映された『火垂るの墓』を観る。

小学生の頃に初めて映画館で見て(トトロと二本立て!)以来、

何度か観ているが実はちょっと苦手な作品である。

というのはどうにも感情が抑えられず、

相当なエネルギーを消耗してしまうから。

子供の頃は、自分にも妹がいるので、

どうしても清太に自分を置き換えて観てしまって、

あれこれと考えを張り巡らせたし、

阪神大震災を経験して以降は、

作中の焼け野原地震の光景がオーバーラップしてしまう。

そうして今では自分に小さな娘たちがいて、

彼女たちのことを想いながら見てしまったら、もうどうにも止まらない。

先日も、ずっとずっとこらえていたのだけど、

とうとう、どうしようもなく嗚咽していたら、

長女がそっと手を握ってくれて、涙腺が決壊してしまった。


そういう風に、どう頑張っても感情が圧倒的に押し寄せてしまって、

作品について、あるいは作中に描かれている事柄について

冷静な分析だったり、解釈が難しい作品だったのだが、

先日はできるだけ目を逸らさず、正面から受け止めることに努めた。


原作者の野坂さんも、高畑監督も、

戦争という忌むべきものに対しては、もちろん大反対だし、

それがもたらす様々な災い、

つまり親しい者たちとの死別や、

飢え、貧困、暴力、排除、無秩序、絶望といったものへの

嫌悪は言わずもがななのだが、

彼らが訴えたかったことのなかには、

戦争がもたらすものへのNOだけではなく、

戦争をもたらすものへのNOも含まれているのではないだろうか。

つまり、排他的な思考、

絶対的な権力が暴力的に国を支配するような状況、

あるいはそれらを着実に根付かせる思想的教育の恐怖について。

その重要なメッセージが、

スクリーンに映し出される悲しい物語に対する

激しい感情の高ぶりに隠れて

自分自身、今まであまり認識できていなかったように思う。

ただ単純に戦争はいけないということ以上に、

その異常な社会が異常でないように感じられるような

考え方や社会の在り様こそが、最も忌むべきものであるということだ。


そのメッセージを紐解くうえで、

自分が一番、この作品で着目した点は、

清太が叔母の家を出て、自活をすることを決めたことだ。

もちろん、叔母の言動には耐えがたい屈辱や嫌悪を感じざるを得ないし、

自分たちの居場所が極めて窮屈に感じるのは間違いない。

しかし、もし清太が本当にあの時代を生き延びるのだという

ゆるぎない意思があり、

なにより節子が無事に生きる、成長することを第1に考えるとしたら、

己がプライドを捨て、どれだけ我慢を強いられ、

地べた這いつくばってでも、

あの家に残ることを選択しただろうし、

あるいは農家のおじさんが諭すように、急に瀕した状態で、降参して

屈辱的であっても、家に戻るということができたはずだ。

もし自分が同じ状況ならというのを昔から何度も何度も考えたが、

やっぱりそれがあの状況では最善の選択だったろうというところに落ち着く。

しかし清太はそれをしなかったし、考えもしていない。

あれだけ大切な妹の生存を脅かしてまで、

何が彼をそこまで頑なにしてしまったのだろうか。

そこがずっと引っかかっていた。


もちろん精神的に複雑な青年期にある少年の純粋な強がりやエゴ、

大人への反抗心が働いたということもあるだろうが、

清太にその選択をさせなかったのは、

彼が軍エリートの一家に生まれた長男であるという点に

一番の要因があると思われる。

空襲により、母親が死に、孤児となって運命が一変してしまったが、

それまではむしろ裕福で、何不自由のない生活を送っていた。

連合艦隊の幹部としての父親に絶大な信頼と誇りを抱き、

大日本帝国勝利することを信じて疑わない姿勢が、

作中で随所に描かれている。

もし彼らが、普通の一般的な水準の家に生まれていたら、

戦時における日常においては、

すでにあれくらいの理不尽な出来事は

当たり前のこととして受け入れられたのであろうが、

彼らの育ちが、生き恥をさらして無様に生きるなら、

尊厳ある死を選ぶというような、

極端で誤った武士道めいたものへと導いてしまったのではないだろうか。

それはまさしく、当時の日本が誤った正義に邁進してしまったことと重なる。


一般的に、彼らの行動については

理不尽な大人の世界に反旗を翻したという評があるが、

自分から見ると、むしろ理不尽な大人の世界の理屈を信じて疑わずに

子どもながらに突き詰めてしまったからこその悲劇のように映った。

つまり、戦争という異常な時代の中で、その状況を異常とせず、

自らの生活に落とし込んだうえで、現実の戦争と同じ理屈で、

彼らなりの小さな戦争をしかけたのではないだろうか。

それも初めから負け戦とわかっていてである。

人によっては、あの選択をもってして、

自業自得だと切り捨てるような安易な結論を下す人もいるかもしれないが、

まだ自立もできないような少年少女にすらそういう思想が植え付けられ、

ああいう選択を強いられたという点や、

まだ未熟な者たちを正しい道へと導くことができない社会に

翻弄されたという点において、

やはり彼らもまた悲しい犠牲者だと言わざるを得ない。


この作品でせめてもの救いは、

彼らが死後、強い絆でもって

再び魂がひかれあって再会を果たしているという事が

描かれていることである。

それがたとえ、生きる者の願望が、

いいように想像してしまった産物であったとしても、

それがもしなかったら、もう自分は本当に心が張り裂けて

二度とこの映画を観れないかもしれない。

だからあのように描くことは、きっと、

高畑さんの心からの優しさなのだろう。


実際にあのような悲劇とほぼ同じようなことが、

たかだか70年前のこの日本で繰り広げられたこと、

そして依然として世界から戦争や紛争がなくならないこと、

また、その恐ろしい影がこの現代日本においても、

ひたひたと出番を伺うような不穏な空気が

少しずつ濃くなっていることを考えれば、

大人こそ、この映画をマジメに直視して観るべきだろう。

そして高畑さんが残したメッセージをつないでゆき

二度と同じ過ちを犯さないことが、

高畑さんへの、そして清太や節子への

一番の追悼になるのだと信じてやまない。

2018-04-16

『ちっちゃな魔法使い』 by Saigetsu

f:id:arkibito:20180413083910j:image:w640


先日の京都精華大でお会いしたSaigetsuさんの卒制木版パネルです。

ココン烏丸Kara-S(精華大のアンテナショップ)で販売するとのことですが

しかも印刷的な問題で今のところ一点モノとしてということだったので、

早速連絡を取って、

一番最初に心奪われたこちらの『ちっちゃな魔法使い』を取り置きしてもらっていました。

そうして週末にわが家に新しい仲間入り。

これからの明るい夢もありながら、どことなくノスタルジックな気分にもなる

素敵な画ですね。

Saigetsuさんどうもありがとう。これからも応援してます。

2018-04-10

Music Life 『川の流れる街で』 by 島田歌穂

大阪北部にお住いの人なら、

きっと一度は聞いたことのあるあの曲をカバーしてみました。

唄っているのはミュージカル界のレジェンド島田歌穂さんです。

1990年の歌なので、かれこれ30年近いのですね。


D


【川の流れる街で】

唄:島田歌穂

作詞:公文健、作曲: 石川大明


せせらぎの音に 耳かたむけて

何を見つめる 美しい瞳

素晴らしい恋が 生れるでしょう

夢が叶うわ この街で


DREAMING EYES 心秘めて

ときめきのときを待つ


HAVE A NICE TIME HAVE A GOOD DAY

光り輝く ひとときを

HAVE A NICE TIME HAVE A GOOD DAY

川の流れる街で


流れ行く水に 想いを馳せて

二人囁く 限りない未来

新しい恋が 水面に揺れる

波にきらめく 愛の街


SHINING EYES 祈り込めて

新しいときを見る


HAVE A NICE TIME HAVE A GOOD DAY

光り輝く ひとときを

HAVE A NICE TIME HAVE A GOOD DAY

川の流れる街で


HAVE A NICE TIME HAVE A GOOD DAY

光り輝く ひとときを

HAVE A NICE TIME HAVE A GOOD DAY

川の流れる街で

2018-04-09

FOLKLORE ライブ feat. 坂本美雨 at rizm/colissimo_cafe selen

風が優しく髪を撫で、山が大きく深呼吸する。

花はサヨナラを告げてゆくが、

夜空は絶えずこちらへとメッセージを放ち続ける。

そうして僕らはFOLKLOREの優しい音の輪に抱かれて眠りにつく____


↓FOLKLORE ライブ feat. 坂本美雨

f:id:arkibito:20180407170125j:image:w640


土曜日。

この日は長らく楽しみにしていた

FOLKLORE&坂本美雨さんの演奏会。

午前の音楽教室を終えて、

そのまま家族で丹波路快速に乗り込んで、

三田から3つほど行った相野駅で降りる。

そこから路線バスに揺られて

丹波立杭焼の里のはずれにある今田集落へ。

ここに昔郵便局として使われていた建物をリノベーションした

カフェ・コリシモさんがあり、

そこから少し歩いたところにある米蔵を改装した

rizmという空間が今回の会場です。


↓colissimo

f:id:arkibito:20180407173356j:image:w640


↓美雨さん来ます

f:id:arkibito:20180407172839j:image:w360


バスの本数が少なく、会場の1時間ほど前に到着したので、

カフェでコーヒーをいただきながら時間を過ごす。

マイカーじゃない人はみな同じなので、結構混雑していました。

開場時間となり、自分だけ先に、

rizmさんへチケット清算と場所取りに向かうと、

道すがらに美雨さんとばったり!

どうも!と声をかけると、ちゃんと覚えてくださっていて、

あとでまた娘ちゃんとも!とご挨拶してくれました。


それから、なんと絵本作家谷口さんの姿も!

先日お店にお邪魔したときに、コリシモさんの話になって、

行こうかなとお話しされていたので、もしやと思ったら、

遊びに来られていて、驚きの再会でした。


10分前になりカフェにいるみんなを呼びに行って、会場へ。

広々とした天井に、ピンの張りつめた冷たい空気が漂う空間で

青森で撮られたという星空を投影しながら、

演奏会が静かに幕を開けました。


↓rizm

f:id:arkibito:20180407150357j:image:w360


青木さんが奏でる音の粒の1つ1つの豊かさと愛おしさに導かれ、

haruka nakamuraさんのピアノが優しい物語を紡ぎだす。

そこに、内田輝さんのサックスがそっと寄り添って、

気づけば、小さな小さな星空がどんどんと広がってゆき

遥か彼方の宇宙の果てまでを射程に捉えてゆく。

どこまでもどこまでも広く奥行きを帯びた音の世界に、

まるで自分が溶けだしてしまうような幸福な居心地。

そして、そのあまりに壮大で果てしない世界に、

一筋の光を差し伸べるかのようにして

美雨さんのどこまでも透明な歌声が祝福のメロディーを羽ばたかせて、

ああ、これが音楽というものだなとしみじみと感じられる。

とても素晴らしい演奏会でした。


小さいころから知っている童謡「きらきらぼし」が

あれほど壮大で、感動的で、

思わず温かい涙をこぼしてしまいそうなほどに

胸に響くなんて思いもしませんでした。

こんな幸福感を味わうことができて、本当に素晴らしい。


演奏後、美雨さんとカフェでいろいろとお話しできました。

奥さんと娘の手作りクッキー(美雨さんとこのサバ美嬢をデザイン)を

谷口さんところで買ったクッキー缶に入れて、お土産にお渡ししたり、

味噌づくりの話をしたり、もちろんアンサンブルズ東京の思い出も。

美雨さん、本当に気さくで心遣いの方です。


↓お手製のサバ美クッキー

f:id:arkibito:20180409143304j:image:w360


FOLKLOREの青木さんとも

先日の京都ワークショップに参加したこともあり、

演奏後に色々とお話しできました。

つま弾く音の1つ1つがとても丁寧で、意味があり、

深みを感じられる心地よいギターに惚れ惚れしてしまいます。

素晴らしい音楽家は、足し算ではなく引き算で音楽を奏でますが

青木さんもまさしく。

あんな風に温かい音を出せたら、きっといいだろうなあ。


↓美雨さんと

f:id:arkibito:20180407170621j:image:w360


素朴で豊かな山里の、素敵な空間で、

春の終わりに開かれた小さな小さな音楽会は、

どこまでも広がる星空と繋がっていました。

↓青木隼人さんと

f:id:arkibito:20180407174118j:image:w360

2018-04-03

『梅田哲也/hyslom 船・2017』パフォーマンス・クルーズ

ブログ停滞で少し時間が経ちましたが、

『梅田哲也/hyslom 船・2017』パフォーマンス・クルーズについて。


以前から注目していたのだけど、

スケジュールがなかなか合わずにいたイベントにようやく参加できました。

日常のありふれたモノ・コトを使い、

環境や音、光、行動などについて新たな”現象”を引き起こす

ライブ・インスタレーションを行っている、

大阪在住のアーティスト梅田哲也さんと、

様々な冒険や旅を通じて得られた経験や新たなモノ・人との遭遇を

表現に昇華させるアーティスト集団・hyslomの面々が、

大阪の水路や河川・港湾で繰り広げる水上パフォーマンスクルーズです。


あいにく当日は寒の戻りと雨というバッド・コンディションでしたが、

20人ほどが屋根のない小さな船に乗り込んで

東横堀川にある本町橋船着き場を20時に出航しました。

乗客はヘッドホンを手渡され、

そこから様々なアナウンスとともに

言葉のパフォーマンスが流れるようになっています。


↓本町橋船着場

f:id:arkibito:20180320194747j:image:w360


↓乗船

f:id:arkibito:20180320195901j:image:w360


まずは、阪神高速の高架橋に閉ざされた

薄暗い東横堀川をゆっくりと南下していきます。

大阪の水路はちょいちょい船で行き来しているので、

比較的なじみの景色ではあるのですが、

夜中に通るのは初めてなので、また違った味わいがありました。

ふしばらくすると前方にhyslom隊の小さなボートが出現し、

船を先導していきながら、

ライティングやもろもろのパフォーマンスを繰り広げていきます。


↓東横堀川を南下

f:id:arkibito:20180320201238j:image:w640


いくつもの橋をくぐり、

深緑に淀んだ水面に波紋を刻みながら進んでいくと、

不意に、梅田さんの無線の声が忘れられた水路の物語を紡ぎ始めます。

「ガタロ?何でんねん、そのガタロて…」

まるで怪談話のように低く垂れこめた声が脳天に直接流れ、

その薄気味悪さと、

目の前に広がる非日常の暗闇の世界

(煌びやかな陸の世界の裏側で、確かに存在する暗い水路)が相まって、

まるで異空間へと迷い込んだような錯覚を覚えてきます。

我々は今どこへ引きずり込まれようとしているのか。

まるで長い間川底で息をひそめていた亡霊が、

満を持して水面へ浮上して、

その深い業にまみれた姿を現そうとしているのだろうか。


↓梅田さんの念仏のような声が異空間へいざなう

f:id:arkibito:20180320201501j:image:w360


↓鈍色に反射する水面

f:id:arkibito:20180320201602j:image:w360


そうやって徐々に、

現実と幻想のあわいに堕ちててゆき

片道切符の黄泉の国への渡しを渡ろうかという矢先、

東横堀川はプツリと切断され、

矛先を直角に変えて道頓堀川へと続いていきます。

それまで明かりの刺さない薄暗い洞穴のようなところを

ぬるぬると滑り抜けていたのが、

日本橋を潜り抜けた瞬間に、

眩いばかりの光の世界へと放り込まれ、

ありったけの栄華を誇るネオンの輝きに、

ただただ魅了され、我を忘れる。

それはまるで三途の川を抜けた先にある

お花畑にたどり着いたのかもしれなかった。

走馬灯のように駆け巡る光と雑踏の渦のなかで、

耳元で念仏のように続く世迷言のような物語だけが、

現実と非現実の輪郭を保ち、

ワタクシという自我をどうにか繋ぎとめるのでした。


↓島之内から道頓堀へ

f:id:arkibito:20180320201723j:image:w640


↓一気にオモテ世界へ

f:id:arkibito:20180320202532j:image:w640


↓戎橋

f:id:arkibito:20180320202829j:image:w360


おとぎ話の竜宮城の如く煌く道頓堀の幻想が

儚い夢のように過ぎ去って、

目の前に冥界への入り口のように水門が現れました。

道頓堀川水門です。

道頓堀川は潮の満ち引きによって水位が変動してしまうので、

水位を一定に保つための調整弁として水門が設けられています。

門のこちら側と向こう側では水位が違うので、

船舶の通航時にはゲートを閉めて、

水位を調整する役割を担っています。


この門をくぐれば、いよいよあの世の境地かと、

固唾をのんで水位の調整を見守っていましたが、

実はこの門は”アフリカ”への入り口でした。

温かいサバンナの風が髪をそっと撫でたような、

いや、まさか…


↓道頓堀川水門

f:id:arkibito:20180320204400j:image:w640


ゲートをくぐると、川の十字路へと躍り出ます。

今辿ってきた道頓堀川と中之島から下ってきた木津川がクロスし、

一方は岩崎運河を経て尻無川、もう一方は木津川が南下して、

ともに南港の海へと注ぎます。

一行はそのまま直進して、岩崎運河へと向かい、

環状線の味わいのある鉄橋をくぐっていきます。


↓岩崎橋をくぐって尻無川へ

f:id:arkibito:20180320210025j:image:w640


この辺りはもう海が間近ということもあり、

雨と風が一層激しさを増してきました。

このしぶきを浴びながら、

ただ船舶の鈍いエンジン音だけを頼りに、

闇夜を切り裂いていく。

そこに自然と生まれる緊張感が、

この屋根のない低身の船をD-DAYの上陸用舟艇へと姿を変え、

今まさに死地へと赴くような錯覚を作り出し、

勢いを増す波の揺れとあべこべに高鳴る鼓動が加速してゆく。


↓ダンケルクかD-DAYのような緊張感

f:id:arkibito:20180320210333j:image:w640


せめぎあう住宅地の合間を抜け、

水路は徐々に幅を広げて、水面と夜空が溶け合う頃、

前方の暗闇におぼろげにアーチ型の水門が浮かび上がってきた。

それはまるで、輪廻の環を模ったような出で立ちで、

生ける場所からの離脱を告げる場所として存在していた。

我々はなす術もないまま、

銀河鉄道の夜がいよいよ石炭袋へと引きずり込まれていく要領で、

そちらへといざなわれてゆく。


↓尻無川水門。国内に3機しかないアーチ型水門

f:id:arkibito:20180320210717j:image:w640


いよいよ、結界を越境して、

河川から闇の海原へ解き放たれると、

どこからともなくhyslom船が現れ、

まるで黄泉の水先案内人のごとく、

まばゆい光線を発しながら波を繋いでゆく。

その光は実に心強く、そしてまた

夜闇に確かな方角を与える北極星のように愛おしい。

少しずつ歩みを速めて、その光へと近づいて行く。

激しい波しぶきに抗いながら、

光の道を絶やすことなく前進し続けてゆくhyslom船は

次第に後方へと小さくなってゆく。

そうしていよいよ、

流れの堰き止められた大正内港へと孤独に歩み出す。


↓アーチをくぐれば海

f:id:arkibito:20180320210209j:image:w640


↓hyslom船のおでまし

f:id:arkibito:20180320210330j:image:w640


↓躍動する発光船

f:id:arkibito:20180320210452j:image:w640


↓さよなら愛しい光

f:id:arkibito:20180320210610j:image:w640


そこはまるで、かつて栄華を極めた面影を

いまだに引きずり続ける廃墟のように

ただモノクロームの世界が広がり、

切り裂く波と、気張り続ける船のエンジン音以外には

何も聞こえない。

無名の画家の描きかけの風景画の中に

突如放り込まれたかのような、

非現実的な時間の淀みを掻き分けながら、

出口を求めて彷徨い続けていると、

黒々とした建造物の塊の一角に刻まれた僅かな隙間を見つけ、

そちらへと身をねじ込んでゆく。

ゆっくりと水をかいて、反対側へと頭を出すと、

そこには黙々と煙を吐いて呼吸する鉛の街が広がっていた。

夜行性の獣達が、

もはや生者でも死者でもなく得体のしれない我々の気配を察して

じろりと眼を光らせているかのように、

毒々しい蛍光の明かりがそこかしこで点滅し、

何処からともなく漂うケミカルな臭いが、

ここに長く留まることを拒絶している。

我々はできるだけ彼らをこれ以上刺激しないように、

忍び足で遥か彼方に見える一筋の光に向かって進む。

その道すがらに、この廃墟の王国のかつての英雄を祀る

墓標のごとくそびえる鉄骨のオブジェが何体も空を突き刺し、

よそ者の我々が二度と侵入しないように見守っている。


↓船町の工場地帯

f:id:arkibito:20180320211750j:image:w640


↓中山製鉄所

f:id:arkibito:20180320212118j:image:w360


↓鉛の墓標

f:id:arkibito:20180320212534j:image:w640


しばらく静かな運河をゆっくりと遡上していくと、

前方が急に開けてゆく。

振り返れば、あの黄泉の世界の最前線に置かれた鉛の要塞が

少しずつ小さくなってゆく。

我々は再び生なる環を模したような橋をくぐって、

無事に生還を果たした。

しかし、一度目が覚めれば、もはや思いだせない夢のごとく

あの夜の世界はもはやなかったことのように記憶を抹消されてしまう。


↓夜の世界が遠くなる

f:id:arkibito:20180320212446j:image:w360


↓再び黄泉のアーチをくぐる

f:id:arkibito:20180320212539j:image:w360


煌々と照らし出された三軒家の水門が、

まるで迷子をしかりつけるような形相で我々を迎え入れ、

この小さな難破船は戻ってきた。

我々の無事を確かめるかのように、

hyslom船は水路の真ん中で役割を終えた光を水の中へと沈め、

今宵蘇らせた水都の記憶を手厚く供養する。

推進力を失ったhyslom船はこの後しばらくの間、力なく漂流したのち、

漆黒の海へと帰っていった。


↓三軒家水門

f:id:arkibito:20180320213651j:image:w640


沈殿する水都の記憶を頼りに、

普段立ち入ることのない水路をあてどなく巡る旅はこうして幕を閉じた。

伝道師の語りを道しるべに、頭の中で一夜限りの筋書きを浮かべて、

日々横たわっている風景を書き換えるというのは

とてもクリエイティブな作業で、

ただ単に風景を切り取ったり、工場萌えな写真を狙うのではない、

新鮮な境地を楽しむことができました。


大阪ドーム千代崎港にて下船

f:id:arkibito:20180320215339j:image:w360


↓運航ルート

f:id:arkibito:20180322111103p:image