Hatena::ブログ(Diary)

記憶の残滓 by arkibito

2017-02-24

本屋トーク 辻山良雄(Title)×大井実(ブックスキューブリック)

水曜日の晩は、いつものスタンダードブックカフェのイベントに参加。

今晩は「本屋トーク」と銘打って、

東西3つの人気個性派ブックストアの店主が集まって

本が売れないと言われる時代に、

どう本屋をやっていくのか、

本屋の立ち上げ方とか、本屋の存在意義とか、

さらにその先、本屋発の地域活性・地方創世まで、

なかなか興味深いお題。

自分の仕事にも直結するお話なのですが、

自分はずっと編集畑で作り手サイドにしかいないので、

その先の流通とか営業とか、

知っていそうでなかなか知らなかったりなので、

勉強させていただきにあがりました。

19時会場だったのですが、

業界関係者も含めてざっと見渡しても50人はいたでしょうか。

あの広いカフェスペース一杯の盛況ぶりで、

関心の高さがうかがえます。


↓左から大井さん、辻山さん、中川さん

f:id:arkibito:20170222193657j:image:w640


まずはこの日の主役お三方の紹介。

2001年、福岡で近年珍しい新規開業の独立系小書店を立ち上げた

ブックスキューブリック大井実さん。

2006年にブックフェスティバルの元祖と目されるブックオカを立ち上げ、

本の魅力や本屋のあり方について全国で伝道されている方。

また本屋という枠に収まらず、

それを地域活性・地方創世へと発展させる試みを行っておられます。


続いては、2016年荻窪に本屋Titleを開いた辻山良雄さん。

この方は大手書店リブロで長く活躍されて、

池袋本店のマネージャーもされていた方。

町の本屋さんを開くこと、本屋から地域をつなぐことの意味を

とても大切にされていらっしゃいます。


ラストはおなじみ、

スタンダードブックストアの中川和彦さんが大阪代表として。

中川さんは親が本屋さんだったことから跡を継いだのがきっかけですが、

そこから色々な経験を経て、本屋の可能性に気づかれて

単に本を売るということではなく、

人と人を繋ぐ、直接触れ合い会話をする場を築くに重きをおいて

スタンダードブックストアを営まれています。


この3人の想いは一緒です。

本屋というのはただ単に本を売るというのではなく、

人や地域を繋ぐ潤滑油としての役割があって、

こんな時代だからこそ、

再び本屋がその役割を発揮する必要がきっとあるはず。

だから本屋がなかったら困るじゃないか!ということです。

同感!

業界ではただただ本が売れないという嘆き節ばかりが広まっています。

そしてネット通販という無機質な売り買いのシステムが広く普及し、

点と点だけを繋ぐだけで、

人と人が直接交わらない形での流通が主流になってきています。

そんな流れの中でも、ただ手をこまねいているばかりじゃなく、

何かやれるんじゃないか、面白いようにできるんじゃないか、

今晩はそういう同じ思いの人が自然と集まった会なのです。


f:id:arkibito:20170222212701j:image:w360


トークショーはいつもの軽快な中川さんの進行で盛り上がり、

多岐にわたる内容、示唆に富む内容で大盛り上がり。

あっという間の2時間でした。

留めておきたい内容は山ほどありますが、

ここでは主だった点だけ、自分の感想や言葉も加筆して

書き残しておきたいと思います。


【みんな勧められたがっている】

みんな勧められたがっている。

情報の海があまりに広大すぎるために、

どの情報が自分にとって必要でそうでないかがわからなくなっている。

そんな中で、これはこうです。今はこうです、という風に

誰かが情報を整理して、道筋を示してもらいたがっている。

実際に、POPや売り場での会話などで

お客さんとのコミュニケーションが発生したものほどよく売れるそうで、

また店主が思い入れが強く余分に発進したものほど売れていくとのこと。

要は、目利きの質というか、わかりやすく言えばソムリエみたいな存在ですね。

数多あるワインの中から、その日その人にぴったりの一本を選び出すように、

本屋は”知の道しるべ”としての存在であると感じています。

知というのはつまり生活を豊かにするための知恵という意味です。

本の中には例えば料理のレシピだったり、旅行記だったり、物語だったり、

色々な知がコトバとして紡がれて本に収められている。

本屋はそれらを一つの空間に収めたワインセラーのようなものです。

さらに言えば、お客さんは別に本=紙を束ねた物体を欲しているのではなく、

そこに書かれた事象や、描かれる知を欲しているわけで、

そう考えると、なにも本という形式に留まる必要はなくて、

例えばそれが本の記述から飛び出して、

音楽CDだったり、食器や雑貨、衣類だったり、

あるいは知を経験する時間や空間だったりしてもいいのです。

今回の御三人方は”知の道しるべ”としての

本屋の役割に気づいているからこそ、

本を売る場所というもっとも単純な形態に留まらずに、

本の内容と関連しながら、本ではない様々なものを一緒に置いていたり、

様々なイベントや仕掛けを行っているのであろうと思います。


また、単に勧めるといっても、

例えば得体のしれないネットの住人が発信している情報を得るのと、

実際に顔と顔を突き合わせてお勧めされるのとでは、説得力が違います。

これは、本と本屋にまつわることだけではなくて、

例えばグルメでも、”キュレーター”などと称して、

単に自分が食べたものをネットにアップしているだけの連中の

情報を鵜呑みにするのと、

実際に町を歩いて地元の人にこの辺で旨い店知りませんかと尋ねるのとでは

全然違うわけです。

顔が見えることの説得力というのは、

どの分野においても大きいことです。

今回最も印象に残ったのが、本屋titleの辻山さんが

「本屋さんというのは本を紹介するのが仕事です」という言葉。

当たり前のことを言っているようですが、

本を「売る」のではなく、本を「紹介」することを使命としているというのは

本屋としてのプロフェッショナルの表れだと思いました。

同じ意味で、本屋さんは結婚相談所みたいなもので、

本とお客さんをお見合いさせて、

いい出会いの場を作って成就させるというのも

なんだかとてもわかりやすい表現でした。


【大手にはない魅力/わざわざ立地の法則】

いきなり余談だが、上京するたびに、

発達しすぎる交通ネットワーク困惑してしまう。

どこへでもどんな風にでも路線は繋がっているけれど、

選択肢が多すぎるが上に、どの路線を使っていのかわからず、

結局迷子状態に陥ってしまう。

これは本屋でも同じような現象が起きていて、

ターミナル駅大型書店へ行けば、絶対的な在庫量があって、

必ず欲しい本がどこかにはあるはずなんだけど、

あまりに情報が多すぎるせいで探せない。

逆にスタンダードブックストアや恵文社、ホホホ座など

売り場は大型書店と比べれば圧倒的に小さな書店でも

自分にぴったりの読みたい本がすぐに見つかるし、

欲しい本との出会いの場数が格段に上がる。

物量では勝負できない小さな書店が、

大型書店やネットと同じ土俵で勝負していくには、

当然、何かしらの武器・強みがないとやっていけないわけです。

そこで試されるのは先ほど出てきた目利きの力量。

ちなみに、福岡ブックスキューブリックさんは

博多天神という町の中心から一歩外れた赤坂の、

しかも駅から徒歩10分ほどに位置し、

また、本屋titleさんも23区の西の端、

荻窪の駅から徒歩10分という場所にあります。

この「わざわざ立地」だからこそ、できる強みがある。

つまり、様々な場所から様々な人が入れ代わり立ち代わりやってくる

大型書店や、駅前の書店は、

高い賃料を払わないといけないので、

売り上げを上げないといけないためというのもあり、

すべての人に向けてまんべんなく売るために

全方向的にラインナップをそろえないといけません。

それはどうしても薄く広くという傾向に陥り、

全く特徴のないものになってしまう。

逆に、わざわざ立地であれば、そういう配慮をせずに、

店主が本当にお勧めしたい本、

興味のある分野に特化しやすい環境が整うのです。

少数精鋭で刺さるもの、ホンモノがそこにあれば、

例え、ちょっと不便だったり、遠かったりしても、

絶対に人はそれを求めてやってくる。

そして、そういう人たちは、

わざわざ時間をかけて足を運んだんだから

何か結果を出して帰りたい、手ぶらで帰るのではなく

何か買って帰りたいと思うはず。

そういった意欲のあるお客さんに対峙し、

期待を絶対に裏切らないようにするには

プロフェッショナルであり続けること、

仕事への熱量が必要なのです。

このことはハンバーガーのエスケールのM沢さんも

まさしく同じことをおっしゃられていました。

あそこも、大阪市内にいくつも絶品のグルメバーガー屋さんはありながら、

わざわざ山を越えて多くの人が足を運ぶのは、

そこにしかないホンモノの味があるからこそ。

逆にそれだけの自信があるからこそ、

M沢さんもあんな辺鄙な場所にあえてお店を構えているわけです。


そしてこの発想は何も本屋という単位だけではなく、

地方活性にも直結する話。

自分も仕事柄よく地方の方とお話をさせていただき、

地元PRとか、相談とかいろいろされます。

でも自治体がPRに来られて、

うちは自然がきれいで、新鮮な海の幸が自慢で、

今度地産地消のレストランもやって、ゆるキャラも作ってみました、

どうでしょう?お客呼べますか?なんていうところが

本当に山ほどあります。

でも、よく考えてください。

ここは島国日本。

自然がきれいなところ、新鮮な海の幸を自慢にするところ、

ザラにあります。

それはもうPRポイントなんかじゃ全然ないんです。

地産地消、そうでしょう。

ゆるキャラリストラもすでに始まってます。

どこか他所でヒットしたものを

そのままそっくりパッケージを丸写しにしたって、

消費者はごまかせません。

都会から、全国から、あるいは世界から、

貴重な休日を使って、高いガソリン代や旅費を払って、

その自治体までの道のりの途中にある

いくつもの魅力的なエリアを全部すっ飛ばして、

わざわざそこへ足を運ばせるには、

やっぱり刺さる何か、

日本あるいは世界でそこだけにしかないもの

それもホンモノがないとダメなんです。

それは別に、ある人が見たら

馬鹿にしてしまったりしまうようなものでもいいんです。

10の人がいるとしたら10の人にまんべんなく受け入れられなくても、

それが3でも4でもいいんです。

何かトリッキーで、ユニークで、個性の匂い立つものこそ、

本当の武器になるわけです。

これは確かに簡単な話ではありませんし、

ものすごく頭を回転させて、しかも民と官がタッグを組んで

エネルギーを燃やさないとできないことではあります。

でも根本理念はさっき言った、わざわざ立地の法則なんです。


もっといえば、これは人にも当てはまるかもしれませんね。

誰にでも差しさわりのない人、

周りに流されてまんべんなく仲良くしようとする人ほどつまらないし、

酷い言い方をすれば、替えの効く存在でしかありません。

敵が多かったり、評価の別れる人間でも、

何かその人にしかない個性や考え方の持ち主の方が、全然魅力だし、

真にオンリーワンを貫けるような気がします。

メインストリーム王手を振って歩くのは

アイドルやハリウッドスターにでもやらせておけばよいのです。


【地域活性の中心としての役割】

自分が子供の頃は、1つの駅前には本屋がありました。

ヘタすると駅の出口ごとにあったりして、

通学帰りには必ず買う買わない問わずに覗いたものです。

そうやって町の中に自然と人が集まるスポットがあって、

それなりの時間滞在するという場が、昔はあったように思います。

例えば、たこ焼き屋さんとかお好み焼き屋さん、

角打ちの酒場や駄菓子屋など。

そこでお店の人や、出入りする他のお客さんたちが

自然と会話をしたり、遊んだり、コミュニケーションを育んでいました。

これらは全てコンビニに取って代わられ、

そこはもはや滞在する場というより、単なる消費の場と化しました。

滞在する場と言えば、都心ではスタバを代表するカフェなどが増えましたが

そこは不特定の人とコミュニケーションする場ではなく、

都会の雑踏の片隅に自分の居場所を確保して閉じこもる、

例えば、イヤホンで音楽を聴いたり、

本を読んだり、勉強をしたりして、

その場所を長い時間占拠しさえすれど、

そこは交流の場では決してありません。

そうやって、様々な場所が消費行動を単純に行うだけの場や、

敷居のないパブリックな個室とでもいうような場所が増幅するご時世に、

地域やエリアを「パッケージ」として活性化させる、

その中心に本屋があってもいいのではないでしょうか。

その役割は別に本屋でなくても果たすことができるかもしれませんが、

本屋の強みは、まずはタダで時間をつぶせるということ。

結果的に商品を買わずに、長時間ぶらぶらとうろついていても

誰も文句を言ったりしません。

これは他のお店ではありえないことですね。

コンビニですらトイレを借りたらなんか買わなきゃという気になります。

そしてもう一つは、老若男女を問わないということ。

酒場なら当然大人だけ、駄菓子屋なら子供だけと、

世代や男女で偏りが出がちですが、本というのは人を選びません。

当然色々な価値観や経歴の人が絶えず出入りすることになり、

そこには多様性が生まれることになります。

なので、実はスタンダードさんがやっているように

多様な人たちのイベントとか仕掛けとかをとてもやりやすい環境であったのです。

ただ単に本を流通させる、消費するというだけの場所ではなく、

本屋の持つ本来の特性をフルに生かせば、

それは文化の発信基地となりうる。

個人的に、ハコをもっているというのはとても強いなあと感じています。

空間を所有していれば、必ず人がそこに出たり入ったり、集まります。

しかもネットのコミュニティとは違って、

そこに集う人の顔があり、実態がある。

その人たちがコミュニケートして化学反応が起これば

面白いことが起きるかもしれない。

本屋自体が人と人とを媒介する(mediate)メディアとしての

可能性をもっているということです。


といったところでしょうか。

密かに将来の夢は本屋兼カフェをやることというのを秘めている身、

地域の活性に取り組みたいと考えている身としては

とにかく、色々な可能性を感じたのは確かです。

何より目の前に実体として先駆者がいるのですから、

これほど説得力のあるものはありません。

(ただ私、経営とかお金を稼ぐということが不得意分野…)

とにかく、大変勉強になりました。


この後トークショーに続いて、延長の懇親会もあり、

出席させていただいたのですが、

ちょっとこの日具合がすこぶる悪かったので早々に退散せざるを得ず…

また、これからもこのムーブメントは続いていくと思いますので

ぜひ応援していきたいと思います。

2017-02-23

Music Life 『なんでもないや』 弾き語り練習


引き続いて弾き語り

上の娘が『君の名は』が好きで、

もういっこの曲ではなくこちらの『なんでもないや』をリクエストされたので。

後半に連れて盛り上がっていくメロディアスな曲で、なかなかドラマチック。

歌唱も思いを込めやすくて歌いやすいと思います。

寒さで手がかじかんでいつも以上にギターはヘタですが、

長い曲なので撮り直しが面倒なのでこれで終了。


ただ、歌詞の内容がちんぷんかんぷんでわからない。

映画の内容はよく把握しているので、

それと照らし合わせみても個人的にはしっくりこない。

冒頭部分、唐突に出てくる”父”の言葉に心打たれたはずなのに

真似たのは君だったり(じゃあわざわざ父をチョイ出しした意味は何?)、

いつもしゃべらない”あの子”に今日は話しかけてみたのだが、

それは”あなた”がそばについてくれて心強かったからって、

どういうシチュエーションなのか。

(彼女の前で別の女の子にちょっかい出すってことか?)

そもそも”僕”と”君”の話だったはずなのに、”あなた”とは誰なのか?

君=あなたであれば、なぜ人称をここだけ使い分けるのか。

一般的に、物語でも何でも、

人称や表記は統一するというのが基本的なルールだ。

君がお前になったり、テメエになったり、youになったりはしない。

なので、あえて人称を変えるということは

何か意図があってのことだろうけど、

それについて歌詞の中で説得力のある筋や、風景が描かれていない。

そもそもそれらに何かの意図があったとしても、

伝わらなければもはやそれは意図が成就できていないし、

伝わらなくてもコトバが意味を越えてイメージとして

脳裏に焼付けばいいのだがそんな効果もない。

コトバで勝負する場面でそれは致命的だと思われる。

これらの疑問ついては他のブログなどでも色々と考察はされているけど、

正直無理やり後付けしたような解釈ばかりで釈然としない。

なかには視点や時間軸の転換によって書き分けられているとか

なかなかに高尚な考察もあったが

歌詞全体を見渡しても

そんな高いレベルのスキルが用いられているとも思わない。

これらの考察の多くも、映画やアーティストが好きだから、

それをいい風に解釈しようという前提があって客観性を欠いている。


それに全体として具体を歌っていないので、

なんとなくなんとなくというぼんやりとした印象しかなく、

風景がほとんど頭に浮かんでこない。

映画の映像があるから、その断片が浮かんでは来るけど、

それはこの歌自身が発するものではなく、

イメージを思い起こさせるという肝心要な役割を

映像にアウトソーシングしてしまっているということだ。

逆に映像は、この歌を大音量で流し、

そのドラマチックなメロディーにカバーしてもらって、

無理やりエンディングを盛り上げているのだが、

それは逆に音楽に物語性をアウトソーシングしているということになる。

それはよく言えば、互助的な関係を築いているとはいえるのだが、

結局それは、どちらも単体では乏しい存在ともいえる。

この映画をRADWIMPSPVでしょという意見はある意味マトを得ている。

いずれにせよ作り手も受け手もいかに雰囲気重視かということ。


この歌も映画も、好きなんですけど、

過去の偉人たちのマスターピースとどうしても比べてしまうとなあ。

2017-02-22

またひとり鬼才が逝く

最近、訃報続きで淋しい限りですが、

日本映画の鬼才、鈴木清順監督が亡くなられた。

殺しの烙印』とそれをリメイクした『ピストルオペラ』、

ツィゴイネルワイゼン』、『陽炎座』、『夢二』etc

寺山・天井桟敷夢野久作などとおそらく根っこは共通しているであろう、

日本独特のキッチュでおどろおどろしい世界観や色彩美。

それでいてダンディズムが漂う硬派な映像は

若かりし自分にとっても衝撃を受けました。

たしかルパン三世の監督もしていたんではなかっただろうか。

カッチョええおじいさんだったなあ。

ご冥福をお祈りいたします。


f:id:arkibito:20170222152057p:image:w360

2017-02-21

Music Life 『別れのサンバ』 by 長谷川きよし

ヤイリギターをゲットして以来、ますます練習を続けてきたギター。

今までの安ギターと違って、音の鳴りが全然よくて、

フレットもショートで押さえ易く、指の負担が大幅に軽減。

それだけでもなんだか上手くなったような気がします。他力(笑)


で、ようやくNEWギターで初の動画アップ。

どうしても1発目はこの曲で、ということで、

長谷川きよしの不朽の名曲『別れのサンバ』。

死ぬまでに弾けるようになりたい曲の筆頭として、

1年ほどずっと練習してきましたが、

さすがにあの生で観たきよしさんのような

超絶テクができるはずもありません!

でも、ようやくそれなりには。


ギターは小さなオーケストラだと言われますが、

和音でメロディーを奏でるだけでなく、

同時にリズムを司ることで、

たった一つの楽器で世界観を表現できます。

そのことをこの曲は見事に実現していますね。

ある意味ギターの原点・ベーシックになりうる曲ですが、

それが一番難しいというのは、なかなか高い壁です(泣)

でもやっぱり何度聴いても素晴らしい曲。



D


【別れのサンバ】

作詞・作曲:長谷川清志


何にも思わず

涙も流さず

あなたの残した

グラスを見つめて一人


みんなわかって

いたはずなのに

心の奥の淋しさを あ〜


わかってあげれば

別れも知らずにすんだの


きっと私を

強く抱く時も

あなたは一人

淋しかったのね


あなたの愛した

この髪さえ

今は泣いてる

今は泣いてる

今は泣いてる

2017-02-16

俳句 冬

俳句を始めましたと書いて久しい。

何よりほかが忙しいうえに、

今年に入ってオリジナル楽曲の方に注力をしているのでなかなか。

でも密かにLINEのプロフィールのコメント欄には

季節ごとに1句詠っていたります。

頭の体操、言葉遊びにいくつか。

ということで、冬編。


『凍りつく 鴎の眼 曇天』


厳しい寒さの中、

身を丸めて海風に耐え忍ぶ鴎(カモメ)の目が死んでいる様。

あの光景を見るだけでも、

びっしびし寒さが骨身にしみる思いがします。

冬って白じゃなくて青がかったグレーなんです。


『年の瀬の 黒岩の盃 山鴉』


年末、山納めに訪れる黒岩で、

ひっそりと1年を締めくくる小宴をひとり。

気が付けば夕暮れの空に、

山ガラスが物侘しい鳴き声を1つ、カァと上げて、

寝床へと飛んでゆく。

ああ、しみじみと1年が終わりを迎えるなあという想いを歌いました。


『落葉降る プールサイドに 眠る猫』


寒いのは嫌いだが、冬の季節は実は好きで、

その閑散とした感じ、ほどよく引き締まる寒さ、

ぽっかりと穴の開いたような空虚感が心地よい。

たぶん、猫という生き物はそれを知っている。はず。


『冬枯れの 田園に舞う 千羽鶴


稲穂が刈り取られ、禿げ坊主の田圃に、

色とりどりの千羽鶴が舞う。

なんとなく不吉で、究極に淋しい風景。

ちょっと寺山ワールドに染まりたく、

でもあそこまで野蛮にエグるのは凡人には無理だなあ。


『人去りて 季節巡れど 北極星


冬の詩になっているのかどうかはわかりません。

なんとなく北極星で一句詠いたく。


こう見ると下の句が体言止めのものばかりだなあ。

余韻を残したような、先へ続くような詠み方より、

ビシッ、ハイ、終わりという方がどうも好きなよう。

改めて、5・7・5に思いを込める、世界を描くことの難しさよ。