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記憶の残滓 by arkibito

2018-04-18

『火垂るの墓』 高畑勲監督

火垂(ほた)るの墓 [DVD]

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高畑勲監督の追悼で先日放映された『火垂るの墓』を観る。

小学生の頃に初めて映画館で見て(トトロと二本立て!)以来、

何度か観ているが実はちょっと苦手な作品である。

というのはどうにも感情が抑えられず、

相当なエネルギーを消耗してしまうから。

子供の頃は、自分にも妹がいるので、

どうしても清太に自分を置き換えて観てしまって、

あれこれと考えを張り巡らせたし、

阪神大震災を経験して以降は、

作中の焼け野原地震の光景がオーバーラップしてしまう。

そうして今では自分に小さな娘たちがいて、

彼女たちのことを想いながら見てしまったら、もうどうにも止まらない。

先日も、ずっとずっとこらえていたのだけど、

とうとう、どうしようもなく嗚咽していたら、

長女がそっと手を握ってくれて、涙腺が決壊してしまった。


そういう風に、どう頑張っても感情が圧倒的に押し寄せてしまって、

作品について、あるいは作中に描かれている事柄について

冷静な分析だったり、解釈が難しい作品だったのだが、

先日はできるだけ目を逸らさず、正面から受け止めることに努めた。


原作者の野坂さんも、高畑監督も、

戦争という忌むべきものに対しては、もちろん大反対だし、

それがもたらす様々な災い、

つまり親しい者たちとの死別や、

飢え、貧困、暴力、排除、無秩序、絶望といったものへの

嫌悪は言わずもがななのだが、

彼らが訴えたかったことのなかには、

戦争がもたらすものへのNOだけではなく、

戦争をもたらすものへのNOも含まれているのではないだろうか。

つまり、排他的な思考、

絶対的な権力が暴力的に国を支配するような状況、

あるいはそれらを着実に根付かせる思想的教育の恐怖について。

その重要なメッセージが、

スクリーンに映し出される悲しい物語に対する

激しい感情の高ぶりに隠れて

自分自身、今まであまり認識できていなかったように思う。

ただ単純に戦争はいけないということ以上に、

その異常な社会が異常でないように感じられるような

考え方や社会の在り様こそが、最も忌むべきものであるということだ。


そのメッセージを紐解くうえで、

自分が一番、この作品で着目した点は、

清太が叔母の家を出て、自活をすることを決めたことだ。

もちろん、叔母の言動には耐えがたい屈辱や嫌悪を感じざるを得ないし、

自分たちの居場所が極めて窮屈に感じるのは間違いない。

しかし、もし清太が本当にあの時代を生き延びるのだという

ゆるぎない意思があり、

なにより節子が無事に生きる、成長することを第1に考えるとしたら、

己がプライドを捨て、どれだけ我慢を強いられ、

地べた這いつくばってでも、

あの家に残ることを選択しただろうし、

あるいは農家のおじさんが諭すように、急に瀕した状態で、降参して

屈辱的であっても、家に戻るということができたはずだ。

もし自分が同じ状況ならというのを昔から何度も何度も考えたが、

やっぱりそれがあの状況では最善の選択だったろうというところに落ち着く。

しかし清太はそれをしなかったし、考えもしていない。

あれだけ大切な妹の生存を脅かしてまで、

何が彼をそこまで頑なにしてしまったのだろうか。

そこがずっと引っかかっていた。


もちろん精神的に複雑な青年期にある少年の純粋な強がりやエゴ、

大人への反抗心が働いたということもあるだろうが、

清太にその選択をさせなかったのは、

彼が軍エリートの一家に生まれた長男であるという点に

一番の要因があると思われる。

空襲により、母親が死に、孤児となって運命が一変してしまったが、

それまではむしろ裕福で、何不自由のない生活を送っていた。

連合艦隊の幹部としての父親に絶大な信頼と誇りを抱き、

大日本帝国勝利することを信じて疑わない姿勢が、

作中で随所に描かれている。

もし彼らが、普通の一般的な水準の家に生まれていたら、

戦時における日常においては、

すでにあれくらいの理不尽な出来事は

当たり前のこととして受け入れられたのであろうが、

彼らの育ちが、生き恥をさらして無様に生きるなら、

尊厳ある死を選ぶというような、

極端で誤った武士道めいたものへと導いてしまったのではないだろうか。

それはまさしく、当時の日本が誤った正義に邁進してしまったことと重なる。


一般的に、彼らの行動については

理不尽な大人の世界に反旗を翻したという評があるが、

自分から見ると、むしろ理不尽な大人の世界の理屈を信じて疑わずに

子どもながらに突き詰めてしまったからこその悲劇のように映った。

つまり、戦争という異常な時代の中で、その状況を異常とせず、

自らの生活に落とし込んだうえで、現実の戦争と同じ理屈で、

彼らなりの小さな戦争をしかけたのではないだろうか。

それも初めから負け戦とわかっていてである。

人によっては、あの選択をもってして、

自業自得だと切り捨てるような安易な結論を下す人もいるかもしれないが、

まだ自立もできないような少年少女にすらそういう思想が植え付けられ、

ああいう選択を強いられたという点や、

まだ未熟な者たちを正しい道へと導くことができない社会に

翻弄されたという点において、

やはり彼らもまた悲しい犠牲者だと言わざるを得ない。


この作品でせめてもの救いは、

彼らが死後、強い絆でもって

再び魂がひかれあって再会を果たしているという事が

描かれていることである。

それがたとえ、生きる者の願望が、

いいように想像してしまった産物であったとしても、

それがもしなかったら、もう自分は本当に心が張り裂けて

二度とこの映画を観れないかもしれない。

だからあのように描くことは、きっと、

高畑さんの心からの優しさなのだろう。


実際にあのような悲劇とほぼ同じようなことが、

たかだか70年前のこの日本で繰り広げられたこと、

そして依然として世界から戦争や紛争がなくならないこと、

また、その恐ろしい影がこの現代日本においても、

ひたひたと出番を伺うような不穏な空気が

少しずつ濃くなっていることを考えれば、

大人こそ、この映画をマジメに直視して観るべきだろう。

そして高畑さんが残したメッセージをつないでゆき

二度と同じ過ちを犯さないことが、

高畑さんへの、そして清太や節子への

一番の追悼になるのだと信じてやまない。

2018-04-02

さよなら京都みなみ会館 ラストは『太陽を盗んだ男』 by長谷川和彦監督

京都で名画でを観るなら

東寺の近くにある「京都みなみ会館」が決まりでした。

映画小僧だった学生時代、

電車代をケチって京都駅から一駅よく歩いて通いました。

企画上映もよくやっていて、

オールナイトでW・カーウァイ監督やクストリッツァ監督の映画を

ぶっ通しで見てホヤホヤの頭で朝を迎えるなんていうのも

懐かしい思い出。

その思い出の映画館が、建物老朽化に伴い、3月末で閉館しました。

また別の場所での復活を模索しているというので、

しばしのお別れですが、

なじみの場所がなくなってしまうのはやはり寂しいことです。


↓閉館のお知らせ

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京都みなみ会館

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↓ゆかりの人たちによる惜別のメッセージ

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↓スクリーンの方が高くなっていく独特な造り

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ラストの1週間は、さよなら興行ということで、

これまで上映してきた数多くの作品の中から

えりすぐりの名画を40近くをラインナップ。

普段なかなかスクリーンで見ることのできない

あれやこれや満載の魅力のプログラムでしたが、

時間的に難しいため、悩みに悩んで1つだけチョイスして

ラストを締めました。

往年の映画ファンがこぞって来ていたので、

すごい混雑でしたが、なんとかラスト観に行けてよかったなあ。

また次のステージで会いましょう!


↓さよなら上映は大盛況

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↓さようなら〜

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で、そのラスト1本に選んだのが、

伝説の映画監督長谷川和彦監督の『太陽を盗んだ男』です。

ちなみに何が伝説かっていうと、

長谷川監督はまだたったの2本しか監督していないのですが(ともに70年代)、

その2つが日本映画界に激震を走らせ、

今なお多大な影響を及ぼしているうえに、

その2作以降40年近く新作を撮っていないという幻の監督さんなのです。


太陽を盗んだ男

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主人公は都内の中学で理科を教えている平凡で冴えない男子教師・城戸誠。

しかし、社会見学の帰りに壮絶なバスジャックに遭い、

そこから彼の内側に眠っていた何かが目を覚ます。

彼は東海村原子力施設からプルトニウムを盗み出し、原爆を自作する。

絶大な武器を手に入れた彼は自らを9番を名乗り

(当時、核保有国が8つあり、その次の存在という意味)、

プロ野球ナイター中継を試合終了まで見せろ」

ローリング・ストーンズを日本に呼べ」と、

日本政府に無理難題を要求して挑んでゆく。

自分自身でも、自分が何者か、何がしたいのかわからない主人公が、

対決の相手に選んだのは、バスジャック事件で英雄的な活躍をした凄腕刑事・山下だった、

というお話。

当時人気絶頂だったジュリーこと沢田研二の気だるく危ういセクシーさと、

まるで銭形警部のように質実剛健でスポコン精神丸出し、

そしてゾンビの如く不死身の菅原文太の鬼気迫る演技。

そして原子力施設からプルトニウムを盗んで原爆を作るっていうコンセプトだけでも

もはや現代ではタブーに近いような話の上に、

皇居前でバスジャックするシーンをゲリラ撮影を敢行したり、

何でもありの無茶苦茶なアナーキーズムが、

エネルギーとなってスクリーンから放出され、

もうそれを受け止めるだけでもお腹いっぱいというような、

史上稀にみる過激作なのです。


興味深いのは、決して筋書き通りの勧善懲悪

ハッピーな終わりを迎えるのではなく、

漠然とした悪が勝ってしまうという点だったり、

そもそもこれだけの大犯罪を企てる主人公には何らその動機がなく、

原爆を持て余すという点。

しいて動機を挙げるとすれば、

誰かに自分という存在を知ってほしいという承認欲求だけという点が、

現代にも通じる病を思い浮かべざるを得ない。


あの常に眠たげなジュリーの瞳の沈んだ闇の深さや、

天皇に直訴を訴える老人のかっと見開いた形相、

そして全身に鉛を撃ち込まれてもなお不気味に突進してくる刑事の気迫、

どれを取ってもトラウマになる。


いやもう、この有り余る熱量は、言葉では語りつくせるものではなく、

実際に映像を目の当たりにしないとわからないので、

ぜひ一度観てみることをお勧めします。

『オン・ザ・ミルキーロード』 by エミール・クストリッツァ監督

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先日、湊川公園のパルシネマしんこうえんで、

エミール・クストリッツァ監督の9年ぶりの新作

『オン・ザ・ミルキーロード』を診てきました。

実は、これもっと前に封切りされていたのですが、

しばらく映画情報から遠ざかっていて見逃していたところ、

運よく遅れて新開地で公開されていて飛んでいきました。

myベストの映画は今も昔もダントツで、

クストリッツァ監督の『アンダーグラウンド』で、

当時何度も映画館に足を運んだことを覚えています。


本作も例にもれず、旧ユーゴスラビア紛争を彷彿とさせる

戦場の村が舞台。

戦場の村でロバにまたがりミルクを運ぶ係をしている男(監督本人)と、

突然村の権力者の花嫁として連れてこられた

謎の美女モニカ・ベルッチ)の逃避行の物語。

わんさかわんさかとアヒルや猫や動物たちが、

画面狭しとわななき大暴れをし、

陽気なジプシーの旋律がにぎわう中、

そこかしこで銃声やら爆発が起こり、

冒頭からクストリッツァ節全開でしたが

物語としては過去の作品の焼き増し的な印象がどうしても否めず、

比較をしてしまって物足りなさが募りました。

また、途中に出てくるヘビの下りなどでCGが使われているのだけど、

その技術の使い方が本当にへたくそで、興ざめしてしまいました。

昔は、同じような表現でも、CGに頼らないことで、

独特の浮遊感や寓話性を醸し出していたのに、何で?という思い。

期待値が高かっただけに、ちょっと残念感の方が多かったです。

2018-02-06

『いただきます みそをつくるこどもたち』 by オオダヴィン監督

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土曜日。音楽教室の後、

十三のシアターセブンに家族で映画鑑賞。

先日、1つ上の第七藝術劇場に映画を見に来た時、

気になる作品を見つけてやってきました。

『いただきます みそをつくるこどもたち』という映画です。


舞台は福岡の保育園。

そこでは、知育・体育・保育の全ての根源は食育にありということを

30年以上前から理念として取り組んでこられている施設で、

昔ながらの日本の食卓にのぼっていた和食を推奨し、

生きた酵母を摂取することのできる

重要なタンパク源として味噌と納豆、

玄米に旬の無農薬野菜を積極的に食べることをしています。

しかもその味噌を園児が自分たちでこしらえるのです。

そして驚きは、この保育園では毎日、給食は100%完食。

飽食、偏食の時代にこれは極めてすごいことなのです。

食べ残しゼロで、園児たちは元気いっぱい。

アレルギーもなく、インフルエンザにもならない、

元気で生命力の高い子どもたちの姿を見ると、

こちらも元気をもらうようでした。


日本人は、明治の文明開化までの時代、

1000年近くほぼほぼ肉食をせず、

魚は別としてベジタリアンに近いような食文化を続けてきた民族。

その歴史は我々の体にDNAとして刻まれていて、

現代の欧米型の食事、

つまり肉を食べ、乳製品を取るような食生活

そもそもそれに適応した内臓を

持ち合わせていない日本人には不向きで、

さまざまな病気や疾患、アレルギーを引き起こすのだと

科学的にはっきりと証明されているそうです。

食を改善することで、そういった弊害を取り除くことができ、

また生き生きとした生活を起こることができる。

まさに食べたものがわたしになる,ということなのです。


我が家も小さな娘たちのことを考えて、

できるだけ旬のものを使った料理、

和食中心を心がけてはいますが、

どうしても共働きで忙しい毎日だと、

なかなか難しい側面もあります。

昼は昼で外食はラーメンだったり、丼ものに偏りがちで

多々反省しなければ!!


そしてびっくりしたのは、

エンディングテーマが、坂本美雨 with CANTUSのみなさん!

しかも『星めぐりの歌』!

こんなところでみなさんと再会できるとはいと嬉し。


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今年は順調に映画鑑賞に通っているが、

いわゆるハリウッド大作とかじゃなくて、

こういうドキュメントはかかせない。

話題作とかは、いずれソフトが出たりTVでやったりするけれど、

こういうドキュメントはまずソフト化されることがないから

上映している間に観ておかないと

次またいつ観れるかわからないのだ。

ある意味アウラな体験。

2018-02-05

NO MORE 広島の旅

随分時間が経ちましたが、

18きっぷ広島の旅の最終章を。


雨に沈む呉の町を後にし、

列車は広島湾をなぞりつつ、

活気あふれる広島タウンへと滑り込む。


↓呉を離れ一路広島へ

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昼過ぎには広島を離れて岐路に着かねばならないが、

それまでの数時間で観光と、

やっぱりお好み焼きを食べて帰らないと。

昨晩、ずいぶん贅沢をしたツケで、お財布が心もとなく、

お土産代とお好み焼き代をざっと勘定してみると綱渡り。

ここは経費削減とばかりに、

広電は使わず、徒歩で中心部へと向かう。

まだぽつりぽつりとは降っていたものの、

気になるほどでもなく、駅前大橋、稲荷橋と渡り、八丁堀へ。

そこからアーケードを伝って平和記念公園へ。


まず訪れたのは、原爆ドームのすぐ裏手にある島病院。

言わずと知れた広島原爆の爆心地。

この上空約600mで原子爆弾「リトルボーイ」がさく裂、

人類史上初めて実戦投入された原子爆弾の威力はすさまじく、

広島を瞬時に地獄絵図へと変えてしまいました。


原爆ドームの裏にある島病院

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↓爆心地

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そこからすぐのところにある原爆ドームへ。

当時、広島県産業奨励館としてモダンな佇まいを見せていた建物は

日光の数千倍の熱線と、

衝撃波を伴う秒速440メートル以上の爆風にさらされ

350万パスカルという爆風圧をほぼ直上から食らいました。

衝撃を受けた角度や、

窓が多く衝撃が外へ抜けやすい構造だったことなどから

その骨格だけは破壊をまぬかれ、

人類の負の遺産として残ることになりました。

灼熱の炎と想像を絶する衝撃にさらされた残骸は、

戦争の悲惨さや原爆の恐ろしさを伝える遺産でもあり、

ひいては平和を願うシンボルでもあります。

身の引き締まる思いがします。


原爆ドーム

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↓生々しい衝撃

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そこから見えている橋は相生橋。

すずさんと周作が、ばけもんにさらわれて、

初めて出会った場所として描かれています。


↓相生橋

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↓相生橋

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平和記念公園へ足を踏み入れます。

かつてここには活気あふれる中島町という下町が広がっていました。

しとしとと涙色にくれる空の下、静かな緑の中を歩きます。

原爆の子の像のところには、全国各地、世界各地から届けられた

平和の祈りが込められた無数の折り紙の鶴が備えられています。

アメリア大統領として初めてこの地を訪問したオバマ大統領も

千羽鶴を折ったことで、注目を浴びていますね。


↓平和記念公園

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原爆の子の像

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それから黙々と灯り続ける平和の灯へ。

あの日街を焼けつくした炎と同じ火。

でもこの日は、あの日の思いを灯し続け、

一井の人たちのささやかな暮らしを照らし続けるための火。

なんといってよいやら言葉もない。


↓平和の灯

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原爆慰霊碑

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さらに独特な静寂に包まれた公園を歩きます。

重たすぎる歴史がこの場所に根差しているのがひしひしと伝わる感じ。

1.17の東遊園地のあの感じを思い起こします。

そうして広島平和記念資料館に立ち寄ります。


↓広島平和記念資料館

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入ってすぐのところに、

原爆投下の様子を再現したCG映像があります。

かなり生々しくショッキングですが、

目を背けてはいけない事実。

動画を上げておきますが、

ぜひ一度現地で目の当たりにしてほしい。

あの日、あの場所で、息づいていた一井の人たちの暮らしが、

一瞬で跡形もなく焼き尽くされ、破壊されたのだ。


↓失われた人々の暮らし

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↓ショッキング

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↓核兵器の危険性(右は原爆投下命令書)

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↓原子爆弾のモデル(ファットマンとリトルボーイ)

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本当ならもっとじっくりと時間をかけてみて回りたかったが

そろそろ時間的な余裕がなく駆け足になってしまいました。

それでもこの場所で起こってしまった事の重みと、

子供たちや次の世代へ自分がやれることは何かという自問と、

にわかに物騒になりつつある今の日本への憂国心とについて

深く考えざるを得ない。

人類の歴史上唯一の被爆国でありながら、

核兵器禁止条約に参加しようとしない矛盾。

”想定外”の大地震によって深刻な被害を被りながら、

原発を推進・再開し、原発ビジネスに依存し、

他国に技術を輸出し続ける矛盾。

そして、芸能人とは仲良く会食するのに

核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)の事務局長とは会おうとせず、

アメリカの武器商人の言いなりで、

暴走を続ける現政権が、その危険が明らかなのに、

今もって権力の座を確固たるものにしてしまっている国民の意識の矛盾。

そろそろ本気で考えないといけないんじゃないかニッポン。


続いてお隣の国立広島原爆死没者追悼平和祈念館へ。

地下へらせん状に続いていく通路を折り、

静まり返った慰霊所でしばし佇む。

外国のツーリストが多数訪れていて、

熱心に解説を読んだり、

目をつむって黙とうしているような姿がとても印象的だった。

まぎれもなく起こってしまった事実を目の当たりにすれば

戦争が、そして核兵器が、いかに悲惨で残忍でどれだけ野蛮なのか、

万国共通で理解できるはずだ。

あれこれ机上の空論を戦わせて、

一見して、さも高尚な理念や理屈を振りかざしてみても、

結局は誰かが、他人の犠牲を払って、己が利益を優先しているに過ぎない。

そしてそれが可能なのは、

一般の市民ではなく、権力のある人間に限られる。

だからこそその権力ある人間を、あらゆる手段・方法を用いて、

常にウォッチし、精査し、批判しなければならない。

それが自由民主主義によってもたらされた権利であり義務であるはずが、

その根本を政治家はもちろん、多くの国民が忘れ去ろうとしている。

自分の都合さえよければ、自分の利益さえ確保できればそれでよし。

それではもはや公共の理念は保てないし、国民国家の体をなしていない。

面倒なことは専門家に丸投げ、どうせ変わりようがないと投票を放棄して、

権利をドブに捨てているうちに、

実はそれが自らの意思で行使しないということだったのが、

いつの間にかその権利をはく奪されているということに、

巧妙にすり替わっていく静かなる恐怖。

それに気づいた時にはもうはや手遅れ、

などということにならなければよいが…


↓国立広島原爆死没者追悼平和祈念館

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↓戦没者リスト

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↓雁木

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平和記念公園で一通り見て回り、

色々な思いを胸に秘めてそろそろ帰り支度。

そのまま広島駅を目指し歩きつつ、

どこかでお昼ご飯を食べてから出立。

有名店はどこも昼時は観光客の行列で、とてもじゃないが待てない。

どうしようかと路地裏を歩いていると、

空いているお店があったので飛び込みます。

「みっちゃん太田屋」さん。

あの有名な方の「みっちゃん」とはたぶんあまり関係がないです。

地元の人たちが主なアットホームなお店。


↓みっちゃん太田屋

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↓やっぱ鉄板前はええです

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スペシャル(生イカ・えび・肉ダブル・玉子)のそばと、

おビールを注文。

鉄板のカウンターに座りながら、

たくさんのお好み焼きが焼かれていくのを眺めつつ。

大阪のお好み焼きとは違って、広島のはほとんど生地がなく、

キャベツ焼きに近い感じ。

大きなコテでぎゅうぎゅう押し付ける焼き方も大阪とは全く違います。

ハフハフ言わせながら香ばしいキャベツと、

プルプルの麺を味わいました。


↓いただきます♪

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あっという間に食べ終えて、大急ぎで駅へ向かいます。

駅の売店でおみやげをチャチャッと買って、

混雑する糸崎行の列車に飛び乗ります。

帰りはなけなしの所持金で買った

カープハイボールとイカフライでチビチビやりつつ。

帰宅したのが20時ごろでした。


↓呑み鉄モードで帰ります

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↓かすむしまなみ海道

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↓尾道通過

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2018-02-02

『私が殺したリー・モーガン』 by ガスパー・コリン監督

1972年2月19日深夜、極寒のNY。

Manhattanの一角にあるJAZZCLUB「Slugs'」は猛吹雪にも関わらず盛況。

稀代のトランぺッター率いるクインテットは、

今日も熱狂的な演奏を続けていた。

ミッドナイトに差し掛かる頃、

濃密な空気が充満する室内に風穴を開けるように、運命のドアが開く。

吹き込む吹雪とともに、一人の女。

駆け寄る男たちを押しのけて、ステージへ。

おもむろに手がバックの中へと差し伸べられる。

そこにはスポットライトの真ん中で、

次の演奏までのつかの間の休息を楽しむ男。

そして振り向きざま…

聞きなれぬ乾いた音がこだまする。

外は依然として猛烈な雪。

凍り付いた街並みを切り裂ようにして響くサイレンの音。

夜の闇はいまだ深く、もう二度と朝はやってこない。

男の名は、LEE MORGAN。

世界を熱狂させた稀代のトランぺッター。

その成れの果て。


ジャズ史上最悪の事件として、

今なお深い傷跡を残し続けているリー・モーガンの射殺事件。

運命の引き金を引いた内縁の妻ヘレン・モーガンの

生前に残したカセットテープの独白と、

親交のあった様々なジャズミュージシャンたちの証言インタビューを軸に

33歳で突然、世界からフェイドアウトしてしまった

リー・モーガンの最期について迫るスリリングなドキュメンタリー。

全編に、都会の風を体現するような乾いた珠玉のトランペットが鳴り響き、

60’70’のアメリカを切り取った印象的なショットの数々がスクリーンを飾る。

JAZZな男にふさわしいJAZZな作品でした。


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もはや説明不要なほど、ジャズ界の伝説的トランぺッターですが、

リー・モーガンについて少しだけ解説。

若干18歳で、ディジー・ガレスピーによって発掘された逸材で、

同年にジャズの名門ブルーノートからデビュー。

大先輩や大御所にも物怖じせず、果敢にプレイするスタイルは

瞬く間に熱狂の渦を作り出します。

しかし、他の多くのジャズメンがそうだったように、

ドラッグの深刻な罠に陥っていきます。

早世の栄光はもはやはるか彼方の遺物となりつつあるような

どん底の日々から彼を救ったのが、

NYのジャズメンの世話焼き姐さんとして慕われていたヘレンだった。

彼女との二人三脚の円満な日々によって立ち直ったモーガンは、

名盤『Sidewinder』で華々しくカムバックを遂げます。

時代はもはやJAZZからROCK全盛へと移り変わる頃。

ロックテイストをふんだんに盛り込んだ変速ブルースは、

一世を風靡しました。

しかし、ジャズ界きってのヤンチャ坊やは、

年上女房の不安をよそに

再び甘い甘い罠に手を染めてゆきます。

夜な夜なスポーツカーを乗り回しては、

どこかの街角で、どこかの女とドラックに興じる日々。

若いガールフレンドに破天荒な生活を続けるモーガンに対する

ヘレンの焦りといら立ち、

それを母親のようにしかりつけるヘレンを疎ましく感じるモーガン。

はたから見れば堅い絆で結ばれているかのような二人の間に

徐々に冷たいすきま風が吹き荒れてゆきます。

そうして運命の夜。

死へのカウントダウンはその前から始まっていました。

若いガールフレンドを乗せ、

「スラッグス」へ向かうフォルクスワーゲンが、

大雪に足を取られてスリップし、カーブを曲がり切れずに大破。

モーガンは楽器だけを抱え、身も凍る思いで店にたどり着きます。

一方、ヘレンは長らくモーガンの演奏場所へは顔を出すことがなかったが、

この日は別の店へ別の演奏を聴く道すがら、

「スラッグス」へタクシーを走らせました。

彼から護身用にともらったピストルをバッグに忍ばせて。

そして悲劇は起こったのでした。

普通に考えれば、女たらしでだらしのない男の哀れな末路。

よくある色恋沙汰なのですが、

そこはそれ。

JAZZによって彩られた悲劇は

一段とドラマチックに感じられます。


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ザ・サイドワインダー+1

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