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記憶の残滓 by arkibito

2017-01-17

22年目の1.17

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22年目の1.17を迎えました。

この日ばかりは身が引き締まる思いがします。

毎年、前の晩から東遊園地へ歩いて向かうのですが、

週末からの体調不良が深刻で残念ながら今年は見送りました。

でも、追悼のつどいにはどうにか参加したいと、

始発電車に乗り込んで三ノ宮まで。

午前5時46分黙とう

何とか今年も追悼することができました。


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今年は平日にあたりましたが、たくさんの方々が集まっていて、

中でも学生など若い人たちが多かったような印象があります。

きっと、22年前の震災を知らないであろう世代だとは思いますが、

興味本位でもいいので、こういう現場に足を運んで、何かを感じて、

同じ思いに馳せるだけでも大変意味のあることだと思います。


今年の遺族代表の方がお話しされていましたが、

22年という歳月はもはや歴史の世界のことのようになってきています。

でも、自然の猛威は日常のすぐ隣り合わせにあります。

去年も、熊本鳥取地震による大きな被害が出ました。

北海道では台風の被害も甚大でした。

それ以外にも、震度3や4といった、

昔ではびっくりするような大きな地震が、

当たり前のように全国各地で頻繁に起こり、

なんだか麻痺してしまっているような感覚を覚えることも正直あります。

神戸東北を経験し、耐震技術や防災意識が格段に上がり、

人も建物もずいぶん強くなって、

被害の程度は軽減されては来ていると思います。

でも、自然はいつだって人間の想定を簡単に超えてくるのです。

それを絶対に忘れないためにも、

1.17を風化させないこと、思いを繋ぐことは大切です。


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2017-01-16

からほりへ

木曜日あたりからどうもノドの奥辺りがチクチクし始め、

そっからどんどん具合が悪くなり、

金曜の晩も酒も飲まずに寝床へ一直線。

土曜日は丸一日寝床で安静で少しましになる。


日曜日。家族で谷九へ観劇(これについては別記事)。

その帰りに近いので、ひさびさに空堀へと寄り道。

このエリアは、自分が院生時代に大分深く入り込んで関わった場所。

もう10年以上前の話になりますが、

都心部の再生、リノベーションというのを修士のテーマに、

地元の建築家や、地域住民のみなさん、

古い町並みに惹かれてやってきた新進の芸術家デザイナー

店舗の方々と一緒に、このエリアの再活性化を実践的に行いました。

おかげさまで、「からほり」という町がちょっとした話題のエリアとなり、

そのあとも、中崎町と並んで、大阪都心部における

古くて新しい町として認知されるようになりました。


社会人になって以降は、近いんだけど微妙な距離

なかなか足を運ぶ機会がなく、今回も5,6年ぶり。

ちょっと寒すぎて町歩きはほどほどに、

町の中心的な施設である「練」へ。

クレープ屋さんで休憩してから、

有名チョコレート屋さんのエクチュアさんでお買い物。


↓からほり練

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↓エクチュア蔵本店

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それから向かったのはずいぶんとお世話になった雑貨の「ひなた」。

毎年お年賀のやり取りはしているのだけど、

本当に久々にお会いしましたが、

変わらずほっこりした雰囲気で、

マキさんにお出迎えいただきました。

お店も当時の感じそのままで、なんか安心します。

長女は可愛らしいものがたくさん並んでいて、

ワクワクしながらショッピング。

30分ほどまったりさせていただきました。

また遊びに行きます。


↓ごぶさたの「ひなた」にて

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↓「みんなのHappyNewYear2017」

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2016-09-20

現代演劇レトロスペクティヴ<特別企画> AI・HALL+生田萬『夜の子供2 やさしいおじさん』

それは偶然が偶然を呼び、

生まれた小さな奇跡だったのかもしれません。


土曜日の深夜にたまたま見ていたバラエティ番組に、

片桐はいりさんが出ていて、ちょうど流れで、

元々の出身はどこ?という話になり、そのとき発せられた言葉、

それが「ブリキの自発団」!

長年頭の中に漂っていた最後のミステリーの一つが、

ついに解き明かされた瞬間でした。


自分の文化的な嗜好に一番影響を与えてきたのが

実は母親だったというのがこの年になってよく思い知らされます。

うちの母親は音楽とか映画とかかなりマニアックな面があって、

いつもステレオからは、ジャンゴ・ラインハルトや、ピアソラ

ムスタキなんかの曲が流れていましたし、

そういうのをまだ自己の記憶がはっきり形成される前、

小学生低学年の頃から、無意識の表層に植え付けられてきたようで、

それらが自分の原風景として今になってふっと湧き上がってくるのです。

ただそれらの中には、当然おぼろげなイメージだったり、

ほんのわずかな断片としてしか思い出せないものもたくさんあり、

その正体が何だったのか、誰の、何の作品だったのか、

検索しようにもそのとっかかりとなるようなヒントすらわからないものが

いくつもあります。


その中で、長年そのイメージだけが何度も押し寄せては増幅し、

その正体をつかみたいと思いながら、

全く手がかりのなかったもの。

それは、昔、母に何度も見せられていた演劇だったのだけど、

怪しげな仮面や衣装を着けた人たちがぞろぞろと練り歩く様子、

「全自動オートメーション工場」というフレーズ、

真夜中に子供たちが奇想天外な旅をするという話だったか、

とにかく誰が演じていて、どんなあらすじで、

どんな作品かは全く分からないまま、

そういったおぼろげなイメージだけが、

ずっと頭の中にモヤモヤとあったのです。

その作品はまさに、

80年代の小劇場ブームを席巻した劇団「ブリキの自発団」による

『夜の子供』という作品だったのです!

ちょうど観た映画『君の名は』のように

大切な存在だけど、夢が目覚めてしまえば思い出せない

その相手の名前・存在にやっと巡り合えたかのようでした。


一気に謎が解けて、あまりにうれしくなって、

さっそくネットでいろいろ検索をしていたら、なんと!

この週末に伊丹AI・HALLで、

ブリキの自発団の主宰だった生田萬さんが、

『夜の子供2 やさしいおじさん』という作品を上演中というではないか!

30年来の謎が解けたちょうどそのタイミングで、

地元の劇場で、後継作品がやっているなんて、

これはもう行くっきゃない!

さっそくチケットを手配して伊丹AI・HALLへはせ参じました。


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今回の作品は、1986年、バブル絶頂期に生まれた『夜の子供』の続編として、

バブル崩壊期の90年に上演されたもので、

今回、作者の生田萬さんが、

オーディションで選ばれた関西の若手演者たちとタッグを組んで、

演出に挑んだものです。


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20世紀(ニジッセイキ)最後の大晦日の夜。

とある売れない少女漫画家ヤスベーが、

東京オリンピックを目前に控えた1964年の夏の日を追憶しながら、

マンガを描いていくうちに、

現実の世界と虚構の漫画の世界の壁が徐々に崩れ去り、

あの年眩しかった少年少女たちの甘酸っぱくも苦々しく、

とにかく得体のしれないエネルギーがスパークするような日々の情景が、

にょきにょきと目の前に現れるのでした。


「われ思う、夢にわれあり」

「さよならニジッセイキ」

「お座敷小唄」

「僕があの日飲まなかったコカコーラ

「ペンシルキャップの宇宙ロケット

東京タワー舞妓さん付き灰皿」


ノスタルジックを掻き立てる極めて詩的な言葉の数々と

二次元的でダイナミックな表現方法。

2000年大晦日の現実と1964年の虚構を絶妙に行き来する

時代転換・舞台転換の面白さ。

そして何よりも、舞台に対する並々ならぬ熱意がビンビンと伝わる

なんともいえない生っぽさが、どうにもスバラシイ!

特に、主演のヤスベーを演じたサリngROCKさんのなんともいえぬ存在感が気になった。

ちょっとこれから演劇にも注目していきたいなあと思いました。

とにかく今はこの素晴らしい演劇に出会えた喜びを、

コカコーラで祝杯を挙げたいと思います!


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2016-07-20

記念日、宝塚にて

土曜日。

娘は午前中は学校の土曜授業。

昼から、プール。

この日はテスト日で、無事に昇格されておりました。


7/16は9年前に結婚式を挙げた日。

この間ニュースで、私たち夫婦が式を挙げた宝塚ホテルが、

将来的に歌劇付近に新築をし、

現在の建物は老朽化により取り壊されることが決まったと耳にした。

本当は10年の節目の時に盛大にと思っていたが、

ひょっとしたら来年にはなくなってしまう可能性もあるので、

記念日のディナーを予約。

4か月の赤ん坊が果たしておとなしくしてくれるかヒヤヒヤだったけど。


↓宝塚ホテル

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↓旧館の雰囲気が好き

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式場をここにしたのは、

武庫川水系にずっと暮らしてきた身としては

思い入れのあるホテルだということや

自分の祖父が末期で入院している病院から近かったことと

(結局式に出る前に亡くなってしまった)、

関係者とつながりがあってもろもろ段取りしやすかったことなどがあったが、

なんといっても旧館の趣と歴史を感じる雰囲気が素晴らしかったから。

今はティーラウンジになっている1Fので、総勢80名ほどを招待して挙式。

中庭でライスシャワーを浴びて、ブーケトスをして。

懐かしいなあ。


↓赤絨毯と古いしつらえ

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↓9年前を思い出す

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↓中庭

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↓中庭を上から

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食事の前に写真室の方で記念撮影をしてもらい、

それから仏蘭西料理「プルミエ」にてディナー。

赤ん坊がいるということで個室にしていただき少し安心できましたが、

「赤ん坊をうまくあやしながらフレンチを食べる」という新種目はなかなか大変。

奥さんと交代しながら、美味しい食事をいただきました。

大泣きしたり、大声を上げたりせずに、ご機嫌でいてくれたので親孝行です。

長女も初めての本格的なディナーの雰囲気に戸惑いながらも

楽しく食事をしてくれました。

最後のデザートの時に、9th wedding aniversaryのデコレーションがうれしや。


↓個室を用意していただきました

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↓フリュイ・ルージュとプティ・ポワのクレーム 菜園仕立て

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↓帆立貝のムスリーヌとコンソメ・ヨードのジュレ ハーブの香り

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↓ロマランの香り イベリコ・ベジョータ頬肉のコンフィ

ジャガイモとポロ葱のフォンダン

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↓ドーバー産 舌鮃のムニエールとアスペルジュ・ヴェルトの軽い燻製

ソース・シャンパーニュ

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↓ソルベ

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↓国産牛フィレのソテー ピストゥー風味

松の実のクロッカント タンンドン・ダシルのピカントを添えて

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↓お子様用コーンポタージュ

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↓お子様プレート

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↓お子様デザート

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↓デゼール

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↓デコレーションがうれしい

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正直、見るからに老朽化しているし、

自分が子供のころと比べて今や宝塚は特別なレジャーエリアから、

単なる郊外の住宅地となり、ホテルの周囲にもマンションが立ち並んで

雰囲気はずいぶんなくなってしまっている。

でも、あの阪急文化の1つの象徴的な空間がなくなってしまうのは

時代の流れとはいえ寂しい。

実際まだ具体的な移転は未定らしいので、

来年以降もできるだけ記念日ディナーを続けられたらいいなあ。

2016-01-21

1.17鎮魂ウォーク2016

今年もまた1.17を迎える。

去年20年という大きな節目を越えたが、

それで阪神大震災が終結したわけではない。

去年も地震だけではなく、

集中豪雨による堤防決壊や土砂災害、

竜巻被害や火山の噴火など、

自然災害による被害が出た。

当然、自然というあまりにも大きすぎる相手に対して、

あらがえない部分もあるかもしれないが、

事前の備えや十分な知識、防災意識があれば、

被害を最小限に抑えることはできるはずだ。

日々忙しい生活の中では、ついそんなことを忘れてしまうこともあるが、

せめてこの日だけは一度立ち止まって、

ゆっくりそのことについて考えをめぐらし、

記憶を呼び起こす。


前日はレッスンなどでとてもあわただしく、

そのなかでうっかり、プールでがっつり泳いでしまい、疲労がハンパない。

そして翌日の午前中にはコンクールが控えていて、

なかなかスケジュール的にも体力的にも厳しいのだが、

最終電車に乗って、今年も東遊園地までの震災ウォークへと向かった。

今年も去年に引き続いて、阪神西宮駅からスタートする。

毎年ルートは変えていて、今年は湾岸を歩いていこうと最初から決めていました。

去年まではどちらかというと

今なお残された震災の傷跡を辿るようなテーマでしたが

節目を越え、今年は過去を振り返るというより、

これからの希望、新しいものを発見してみたかったのです。


↓阪神西宮からスタート

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0:20に阪神西宮駅を出発する。

同じ電車から降りた乗客が、駅から暗方々へと散っていく。

ロータリーを過ぎて、西宮神社の参道を歩き、西宮戎にでる。

おなじみの「ひるね」さんのところからR43をまたぎ、

そのまま西宮浜のほうへと進んでいく。

去年は歩き始めから雨が降って相当寒かったが、

この夜は比較的暖かく歩きやすい。

テクテクとえべっさん通りを南下すると、白鹿の工場のところに出る。

震災時には酒蔵も相当ダメージを受けた。


↓西宮神社

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↓白鹿

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前浜町で県道193号をまたぐと、そこから先は堤防に仕切られた水辺を歩く。

ここで一眼レフを取り出しいつでもシャッター押せる状態に。

11月にスマホに変え、最初はiPhoneのカメラ機能って

意外といいかもと思っていたのだが、やっぱり所詮スマホのカメラだった。

iPhoneのカメラで撮った写真は一見発色がいいように見えるのだが

それはiPhoneのディスプレー上で見た時に限られ、

PCの大きな画面で見たり、プリントアウトすると、ザレザレで使い物にならない。

おそらく撮影の際に、自動的にISOを上げてくれているのだろうが、

そのせいで画質がひどい。

夜景など暗い場所で撮ったり、ズームアップ撮影には全く向かないことがわかった。

今回は初めからそれがわかっていたので、一眼レフをもってきた。

ただし小さなザックだったため、三脚を持ってこれず、

ちょっと苦戦してしまいました。


↓堤防沿いに歩く

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話を元に戻すと、そのまま堤防沿いに進んでいくと、

小さな船溜まりがあり、海の匂いがする。

そのまま堤防沿いに行くと、目の前に西宮大橋が伸び、

橋のたもとにはたくさんのヨットが停留するマリーナ。

この辺りは、芦屋の裕福層たちの海の遊び場として有名で

なんとなく雰囲気が違う。

マリンクラブの脇をかすめていくと、

その奥には小さいながら西宮浜のビーチがあり、

ビーチの脇にはリゾート感たっぷりのバーやレストラン、

アメリカンなトレイラーが立ち並ぶ異国情緒たっぷりな空間。

こんな面白そうなところがあるなんて、

やっぱり地足で歩くと発見があります。

近隣では珍しいサラサラの砂浜で色々と撮影。


↓西宮浜

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↓ヨットが多数

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↓ビーチ発見

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しばらくビーチで写真を撮り、そこから対岸の人口島へ渡ります。

堤防から内側の道路へ戻ると、西側に芦屋浜の有名なモンスターマンションが、

まるで水辺に浮かんでいるように暗闇の中に姿を現しました。

あそこは学生時代に自主映画を撮影したゆかりの地です。

昼間に訪れた方が実際不気味さのある建物ですが、

夜闇にきらめく遠景もまた別の味わいがあります。

三脚があればもうちょっと撮れたのだけど、それはまた別の機会に。


↓芦屋浜のモンスターを望む

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そこから道なりに進んでいくと、歩行者専用の小さな跳ね橋。

こんなところにこんな橋があるというのも発見です。

トコトコと渡って湾岸の人口島へ渡ります。

そのまま湾岸線の高架に出て西へ転じる。

途中、神戸新聞の配達工場があり、

あわただしく配達員がトラックに荷詰めをしているところだった。

震災の時に、この神戸新聞が果たした役割は非常に大きかったのは言うまでもなく、

神戸が誇るものの1つだと思う。


↓跳ね橋

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ここからは阪神高速湾岸線の側道的に並走する県道573号をトレースして行く。

この道はチャリンコでは何度も利用しているなじみの道。

人口島をいくつか繋いでおり、その度にアップダウンが伴うが、

その代り橋の上からは絶景が拝める。

まずは西宮浜から南芦屋浜まで1つ目の橋を渡る。

海沿いではあるがこの夜はとても穏やかで風はなく、寒さをあまり感じない。

パチパチと写真を撮るのだが、車が来るたびに橋自体が揺れて

うまくブレずに撮るのが難しい。ここは三脚があっても厳しい。

先ほど遠景にあった芦屋のモンスターマンションを対岸のそばに見ながら

次の深江浜まで進む。

ここは橋自体がかなり高度があり、登るのに一苦労する。

登りきると、前方には神戸の夜景が広がり、

そこからずーっと右へ視界をパンすれば、ひとつながりの街の明かりがあり、

その奥にはべったりと黒く塗りつぶされた六甲の山並みが見える。

もし21年前のあの日にタイムスリップしたとしたら、ここからきっと、

燃え盛る炎の嵐と、黒煙が幾本も立つ恐ろしい光景が広がっているのが見えるだろう。

橋の頂上からいよいよ神戸市に入る。


↓誰もいない

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↓いくつも湾岸の橋を渡っていく

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神戸市に入ります

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↓眠らぬ港湾

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深江浜に入ると、県道573号はおしまいとなり、山側へ戻らねばなりません。

大通りを北へと取り、深江大橋を渡る。

そのままR43も過ぎて、阪神電車に沿って歩くことにしました。

深江から青木の区間では線路の高架化の工事が行われている。

それは街の発展にとっては大事なことなんだろうけど、

ベルリンの壁のように地域と地域が寸断されてしまうようで悲しかったりもする。

魚崎、住吉とすぎ、御影まではずっと線路沿いに進んでいく。

誰もおらず町はひっそりと眠っている。


↓高架化の最中

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御影駅に到着して広場で缶コーヒーを買って少しだけ休憩。

駅の脇にある商店街を抜けて、澤之井と呼ばれる井戸へ寄り道。

ここは古来からの湧水で、御影の地の由来でもあり、

灘の酒(御影郷)を育んだ名水です。

震災を経た今なお、コンコンと豊かな水をたたえています。


↓阪神御影の高架下の商店街

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↓御影水

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御影からは味わい深い高架下を歩く。

この駅前には名物の立ち飲み屋がひしめいているので

また別でリサーチしてみよう。

徐々に駅前のネオンから離れていき、

眠る街へと再び戻っていこうとしたとき、ふと高架を見上げると、

真っ暗な闇の中に怪しく真っ赤な物体が目に飛び込み、

思わずぎょっとする。

よく見ると、御影でこの日の営業を終了した阪神電車の特急が停車していました。

なんとなくちょっと不気味さを感じて撮る。


↓高架は味わい深い

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↓突然火車が現れる

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↓少しホラー

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御影を過ぎ、石屋川まで来ると、そろそろお腹も減ってきて、

間に合うかと思ってR2のもっこすへ向かったのだが、

タッチの差で3時閉店。

そこからR2を疲労感たっぷりで歩く。

西灘で脇道に入る。

岩屋の手前で阪神線が地下へ潜るポイントをまたぐ。

その先、JR灘駅の南側から、一本の遊歩道が伸びている。

これは神戸港まで貨物を運んでいた旧臨海線の線路跡を利用したもの。

マンション群を抜け、R2の上をまたぎ、HAT神戸までを繋いでいる。

R2の陸橋のところ辺りは、当時線路だったころの遺構がちらほらある。


↓旧臨海線を歩く

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臨海線を歩いたら、少し北側へ戻る。

春日野道の商店街を入り、そこから西へ折れて下町の生活道路をずんずん進む。

生田川を渡れば、まだ昔ながらの雰囲気を残した三宮の東側のエリア。

そうして4:30に三宮に到着しました。

阪急北側にある、この長らく仮設の売り場として活躍していた建物も

建て替えのため取り壊されると、つい先日ニュースになっていた。

まだ少し時間があったので、駅前の丼屋で休憩と補給を済ます。

そして30分前には東遊園地へと向かう。


↓春日野道の商店街

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↓おっぱい山

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去年は公園に入るだいぶ手前から人があふれて、

果たして入れるのかどうかというくらいの混雑ぶりだったが

今年は明らかに人手が少ない。

もっとも去年がすごすぎたのかもしれないのだけど。

すでに岳灯篭に入ったろうそくには火がともり、

キビキビと冷たい空気の中、不思議なほど静かに人が佇み、

その時を待っている。

自分は人ごみを分け入って、いつもの場所へ。

そうして、アナウンスと時報が鳴り始め、5:46を迎える。

黙とう


↓竹灯籠

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↓祈りよ届け

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↓復興は続く…

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今年もまたこの地に立てたことをうれしく思いながら、

震災への想い、防災への意識を今一度はっきりと心に刻み、

慌ただしく家路に着いた。