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記憶の残滓 by arkibito

2016-09-20

現代演劇レトロスペクティヴ<特別企画> AI・HALL+生田萬『夜の子供2 やさしいおじさん』

それは偶然が偶然を呼び、

生まれた小さな奇跡だったのかもしれません。


土曜日の深夜にたまたま見ていたバラエティ番組に、

片桐はいりさんが出ていて、ちょうど流れで、

元々の出身はどこ?という話になり、そのとき発せられた言葉、

それが「ブリキの自発団」!

長年頭の中に漂っていた最後のミステリーの一つが、

ついに解き明かされた瞬間でした。


自分の文化的な嗜好に一番影響を与えてきたのが

実は母親だったというのがこの年になってよく思い知らされます。

うちの母親は音楽とか映画とかかなりマニアックな面があって、

いつもステレオからは、ジャンゴ・ラインハルトや、ピアソラ

ムスタキなんかの曲が流れていましたし、

そういうのをまだ自己の記憶がはっきり形成される前、

小学生低学年の頃から、無意識の表層に植え付けられてきたようで、

それらが自分の原風景として今になってふっと湧き上がってくるのです。

ただそれらの中には、当然おぼろげなイメージだったり、

ほんのわずかな断片としてしか思い出せないものもたくさんあり、

その正体が何だったのか、誰の、何の作品だったのか、

検索しようにもそのとっかかりとなるようなヒントすらわからないものが

いくつもあります。


その中で、長年そのイメージだけが何度も押し寄せては増幅し、

その正体をつかみたいと思いながら、

全く手がかりのなかったもの。

それは、昔、母に何度も見せられていた演劇だったのだけど、

怪しげな仮面や衣装を着けた人たちがぞろぞろと練り歩く様子、

「全自動オートメーション工場」というフレーズ、

真夜中に子供たちが奇想天外な旅をするという話だったか、

とにかく誰が演じていて、どんなあらすじで、

どんな作品かは全く分からないまま、

そういったおぼろげなイメージだけが、

ずっと頭の中にモヤモヤとあったのです。

その作品はまさに、

80年代の小劇場ブームを席巻した劇団「ブリキの自発団」による

『夜の子供』という作品だったのです!

ちょうど観た映画『君の名は』のように

大切な存在だけど、夢が目覚めてしまえば思い出せない

その相手の名前・存在にやっと巡り合えたかのようでした。


一気に謎が解けて、あまりにうれしくなって、

さっそくネットでいろいろ検索をしていたら、なんと!

この週末に伊丹AI・HALLで、

ブリキの自発団の主宰だった生田萬さんが、

『夜の子供2 やさしいおじさん』という作品を上演中というではないか!

30年来の謎が解けたちょうどそのタイミングで、

地元の劇場で、後継作品がやっているなんて、

これはもう行くっきゃない!

さっそくチケットを手配して伊丹AI・HALLへはせ参じました。


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今回の作品は、1986年、バブル絶頂期に生まれた『夜の子供』の続編として、

バブル崩壊期の90年に上演されたもので、

今回、作者の生田萬さんが、

オーディションで選ばれた関西の若手演者たちとタッグを組んで、

演出に挑んだものです。


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20世紀(ニジッセイキ)最後の大晦日の夜。

とある売れない少女漫画家ヤスベーが、

東京オリンピックを目前に控えた1964年の夏の日を追憶しながら、

マンガを描いていくうちに、

現実の世界と虚構の漫画の世界の壁が徐々に崩れ去り、

あの年眩しかった少年少女たちの甘酸っぱくも苦々しく、

とにかく得体のしれないエネルギーがスパークするような日々の情景が、

にょきにょきと目の前に現れるのでした。


「われ思う、夢にわれあり」

「さよならニジッセイキ」

「お座敷小唄」

「僕があの日飲まなかったコカコーラ

「ペンシルキャップの宇宙ロケット

東京タワー舞妓さん付き灰皿」


ノスタルジックを掻き立てる極めて詩的な言葉の数々と

二次元的でダイナミックな表現方法。

2000年大晦日の現実と1964年の虚構を絶妙に行き来する

時代転換・舞台転換の面白さ。

そして何よりも、舞台に対する並々ならぬ熱意がビンビンと伝わる

なんともいえない生っぽさが、どうにもスバラシイ!

特に、主演のヤスベーを演じたサリngROCKさんのなんともいえぬ存在感が気になった。

ちょっとこれから演劇にも注目していきたいなあと思いました。

とにかく今はこの素晴らしい演劇に出会えた喜びを、

コカコーラで祝杯を挙げたいと思います!


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2016-07-20

記念日、宝塚にて

土曜日。

娘は午前中は学校の土曜授業。

昼から、プール。

この日はテスト日で、無事に昇格されておりました。


7/16は9年前に結婚式を挙げた日。

この間ニュースで、私たち夫婦が式を挙げた宝塚ホテルが、

将来的に歌劇付近に新築をし、

現在の建物は老朽化により取り壊されることが決まったと耳にした。

本当は10年の節目の時に盛大にと思っていたが、

ひょっとしたら来年にはなくなってしまう可能性もあるので、

記念日のディナーを予約。

4か月の赤ん坊が果たしておとなしくしてくれるかヒヤヒヤだったけど。


宝塚ホテル

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↓旧館の雰囲気が好き

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式場をここにしたのは、

武庫川水系にずっと暮らしてきた身としては

思い入れのあるホテルだということや

自分の祖父が末期で入院している病院から近かったことと

(結局式に出る前に亡くなってしまった)、

関係者とつながりがあってもろもろ段取りしやすかったことなどがあったが、

なんといっても旧館の趣と歴史を感じる雰囲気が素晴らしかったから。

今はティーラウンジになっている1Fので、総勢80名ほどを招待して挙式。

中庭でライスシャワーを浴びて、ブーケトスをして。

懐かしいなあ。


↓赤絨毯と古いしつらえ

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↓9年前を思い出す

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↓中庭

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↓中庭を上から

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食事の前に写真室の方で記念撮影をしてもらい、

それから仏蘭西料理「プルミエ」にてディナー。

赤ん坊がいるということで個室にしていただき少し安心できましたが、

「赤ん坊をうまくあやしながらフレンチを食べる」という新種目はなかなか大変。

奥さんと交代しながら、美味しい食事をいただきました。

大泣きしたり、大声を上げたりせずに、ご機嫌でいてくれたので親孝行です。

長女も初めての本格的なディナーの雰囲気に戸惑いながらも

楽しく食事をしてくれました。

最後のデザートの時に、9th wedding aniversaryのデコレーションがうれしや。


↓個室を用意していただきました

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↓フリュイ・ルージュとプティ・ポワのクレーム 菜園仕立て

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↓帆立貝のムスリーヌとコンソメヨードのジュレ ハーブ香り

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↓ロマランの香り イベリコ・ベジョータ頬肉のコンフィ

ジャガイモとポロ葱のフォンダン

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ドーバー産 舌鮃のムニエールとアスペルジュ・ヴェルトの軽い燻製

ソース・シャンパーニュ

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↓ソルベ

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↓国産牛フィレのソテー ピストゥー風味

松の実のクロッカント タンンドン・ダシルのピカントを添えて

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↓お子様用コーンポタージュ

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↓お子様プレート

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↓お子様デザート

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↓デゼール

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↓デコレーションがうれしい

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正直、見るからに老朽化しているし、

自分が子供のころと比べて今や宝塚は特別なレジャーエリアから、

単なる郊外の住宅地となり、ホテルの周囲にもマンションが立ち並んで

雰囲気はずいぶんなくなってしまっている。

でも、あの阪急文化の1つの象徴的な空間がなくなってしまうのは

時代の流れとはいえ寂しい。

実際まだ具体的な移転は未定らしいので、

来年以降もできるだけ記念日ディナーを続けられたらいいなあ。

2016-01-21

1.17鎮魂ウォーク2016

今年もまた1.17を迎える。

去年20年という大きな節目を越えたが、

それで阪神大震災が終結したわけではない。

去年も地震だけではなく、

集中豪雨による堤防決壊や土砂災害、

竜巻被害や火山の噴火など、

自然災害による被害が出た。

当然、自然というあまりにも大きすぎる相手に対して、

あらがえない部分もあるかもしれないが、

事前の備えや十分な知識、防災意識があれば、

被害を最小限に抑えることはできるはずだ。

日々忙しい生活の中では、ついそんなことを忘れてしまうこともあるが、

せめてこの日だけは一度立ち止まって、

ゆっくりそのことについて考えをめぐらし、

記憶を呼び起こす。


前日はレッスンなどでとてもあわただしく、

そのなかでうっかり、プールでがっつり泳いでしまい、疲労がハンパない。

そして翌日の午前中にはコンクールが控えていて、

なかなかスケジュール的にも体力的にも厳しいのだが、

最終電車に乗って、今年も東遊園地までの震災ウォークへと向かった。

今年も去年に引き続いて、阪神西宮駅からスタートする。

毎年ルートは変えていて、今年は湾岸を歩いていこうと最初から決めていました。

去年まではどちらかというと

今なお残された震災の傷跡を辿るようなテーマでしたが

節目を越え、今年は過去を振り返るというより、

これからの希望、新しいものを発見してみたかったのです。


↓阪神西宮からスタート

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0:20に阪神西宮駅を出発する。

同じ電車から降りた乗客が、駅から暗方々へと散っていく。

ロータリーを過ぎて、西宮神社の参道を歩き、西宮戎にでる。

おなじみの「ひるね」さんのところからR43をまたぎ、

そのまま西宮浜のほうへと進んでいく。

去年は歩き始めから雨が降って相当寒かったが、

この夜は比較的暖かく歩きやすい。

テクテクとえべっさん通りを南下すると、白鹿の工場のところに出る。

震災時には酒蔵も相当ダメージを受けた。


↓西宮神社

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↓白鹿

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前浜町で県道193号をまたぐと、そこから先は堤防に仕切られた水辺を歩く。

ここで一眼レフを取り出しいつでもシャッター押せる状態に。

11月にスマホに変え、最初はiPhoneのカメラ機能って

意外といいかもと思っていたのだが、やっぱり所詮スマホのカメラだった。

iPhoneのカメラで撮った写真は一見発色がいいように見えるのだが

それはiPhoneのディスプレー上で見た時に限られ、

PCの大きな画面で見たり、プリントアウトすると、ザレザレで使い物にならない。

おそらく撮影の際に、自動的にISOを上げてくれているのだろうが、

そのせいで画質がひどい。

夜景など暗い場所で撮ったり、ズームアップ撮影には全く向かないことがわかった。

今回は初めからそれがわかっていたので、一眼レフをもってきた。

ただし小さなザックだったため、三脚を持ってこれず、

ちょっと苦戦してしまいました。


↓堤防沿いに歩く

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話を元に戻すと、そのまま堤防沿いに進んでいくと、

小さな船溜まりがあり、海の匂いがする。

そのまま堤防沿いに行くと、目の前に西宮大橋が伸び、

橋のたもとにはたくさんのヨットが停留するマリーナ。

この辺りは、芦屋の裕福層たちの海の遊び場として有名で

なんとなく雰囲気が違う。

マリンクラブの脇をかすめていくと、

その奥には小さいながら西宮浜のビーチがあり、

ビーチの脇にはリゾート感たっぷりのバーやレストラン、

アメリカンなトレイラーが立ち並ぶ異国情緒たっぷりな空間。

こんな面白そうなところがあるなんて、

やっぱり地足で歩くと発見があります。

近隣では珍しいサラサラの砂浜で色々と撮影。


↓西宮浜

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↓ヨットが多数

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↓ビーチ発見

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しばらくビーチで写真を撮り、そこから対岸の人口島へ渡ります。

堤防から内側の道路へ戻ると、西側に芦屋浜の有名なモンスターマンションが、

まるで水辺に浮かんでいるように暗闇の中に姿を現しました。

あそこは学生時代に自主映画を撮影したゆかりの地です。

昼間に訪れた方が実際不気味さのある建物ですが、

夜闇にきらめく遠景もまた別の味わいがあります。

三脚があればもうちょっと撮れたのだけど、それはまた別の機会に。


↓芦屋浜のモンスターを望む

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そこから道なりに進んでいくと、歩行者専用の小さな跳ね橋。

こんなところにこんな橋があるというのも発見です。

トコトコと渡って湾岸の人口島へ渡ります。

そのまま湾岸線の高架に出て西へ転じる。

途中、神戸新聞の配達工場があり、

あわただしく配達員がトラックに荷詰めをしているところだった。

震災の時に、この神戸新聞が果たした役割は非常に大きかったのは言うまでもなく、

神戸が誇るものの1つだと思う。


↓跳ね橋

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ここからは阪神高速湾岸線の側道的に並走する県道573号をトレースして行く。

この道はチャリンコでは何度も利用しているなじみの道。

人口島をいくつか繋いでおり、その度にアップダウンが伴うが、

その代り橋の上からは絶景が拝める。

まずは西宮浜から南芦屋浜まで1つ目の橋を渡る。

海沿いではあるがこの夜はとても穏やかで風はなく、寒さをあまり感じない。

パチパチと写真を撮るのだが、車が来るたびに橋自体が揺れて

うまくブレずに撮るのが難しい。ここは三脚があっても厳しい。

先ほど遠景にあった芦屋のモンスターマンションを対岸のそばに見ながら

次の深江浜まで進む。

ここは橋自体がかなり高度があり、登るのに一苦労する。

登りきると、前方には神戸の夜景が広がり、

そこからずーっと右へ視界をパンすれば、ひとつながりの街の明かりがあり、

その奥にはべったりと黒く塗りつぶされた六甲の山並みが見える。

もし21年前のあの日にタイムスリップしたとしたら、ここからきっと、

燃え盛る炎の嵐と、黒煙が幾本も立つ恐ろしい光景が広がっているのが見えるだろう。

橋の頂上からいよいよ神戸市に入る。


↓誰もいない

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↓いくつも湾岸の橋を渡っていく

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↓神戸市に入ります

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↓眠らぬ港湾

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深江浜に入ると、県道573号はおしまいとなり、山側へ戻らねばなりません。

大通りを北へと取り、深江大橋を渡る。

そのままR43も過ぎて、阪神電車に沿って歩くことにしました。

深江から青木の区間では線路の高架化の工事が行われている。

それは街の発展にとっては大事なことなんだろうけど、

ベルリンの壁のように地域と地域が寸断されてしまうようで悲しかったりもする。

魚崎、住吉とすぎ、御影まではずっと線路沿いに進んでいく。

誰もおらず町はひっそりと眠っている。


↓高架化の最中

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御影駅に到着して広場で缶コーヒーを買って少しだけ休憩。

駅の脇にある商店街を抜けて、澤之井と呼ばれる井戸へ寄り道。

ここは古来からの湧水で、御影の地の由来でもあり、

灘の酒(御影郷)を育んだ名水です。

震災を経た今なお、コンコンと豊かな水をたたえています。


↓阪神御影の高架下の商店街

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↓御影水

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御影からは味わい深い高架下を歩く。

この駅前には名物の立ち飲み屋がひしめいているので

また別でリサーチしてみよう。

徐々に駅前のネオンから離れていき、

眠る街へと再び戻っていこうとしたとき、ふと高架を見上げると、

真っ暗な闇の中に怪しく真っ赤な物体が目に飛び込み、

思わずぎょっとする。

よく見ると、御影でこの日の営業を終了した阪神電車の特急が停車していました。

なんとなくちょっと不気味さを感じて撮る。


↓高架は味わい深い

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↓突然火車が現れる

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↓少しホラー

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御影を過ぎ、石屋川まで来ると、そろそろお腹も減ってきて、

間に合うかと思ってR2のもっこすへ向かったのだが、

タッチの差で3時閉店。

そこからR2を疲労感たっぷりで歩く。

西灘で脇道に入る。

岩屋の手前で阪神線が地下へ潜るポイントをまたぐ。

その先、JR灘駅の南側から、一本の遊歩道が伸びている。

これは神戸港まで貨物を運んでいた旧臨海線の線路跡を利用したもの。

マンション群を抜け、R2の上をまたぎ、HAT神戸までを繋いでいる。

R2の陸橋のところ辺りは、当時線路だったころの遺構がちらほらある。


↓旧臨海線を歩く

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臨海線を歩いたら、少し北側へ戻る。

春日野道の商店街を入り、そこから西へ折れて下町の生活道路をずんずん進む。

生田川を渡れば、まだ昔ながらの雰囲気を残した三宮の東側のエリア。

そうして4:30に三宮に到着しました。

阪急北側にある、この長らく仮設の売り場として活躍していた建物も

建て替えのため取り壊されると、つい先日ニュースになっていた。

まだ少し時間があったので、駅前の丼屋で休憩と補給を済ます。

そして30分前には東遊園地へと向かう。


↓春日野道の商店街

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↓おっぱい山

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去年は公園に入るだいぶ手前から人があふれて、

果たして入れるのかどうかというくらいの混雑ぶりだったが

今年は明らかに人手が少ない。

もっとも去年がすごすぎたのかもしれないのだけど。

すでに岳灯篭に入ったろうそくには火がともり、

キビキビと冷たい空気の中、不思議なほど静かに人が佇み、

その時を待っている。

自分は人ごみを分け入って、いつもの場所へ。

そうして、アナウンスと時報が鳴り始め、5:46を迎える。

黙とう。


↓竹灯籠

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↓祈りよ届け

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↓復興は続く…

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今年もまたこの地に立てたことをうれしく思いながら、

震災への想い、防災への意識を今一度はっきりと心に刻み、

慌ただしく家路に着いた。

2015-11-04

ちょっくら学祭

この休日はもういっちょ用事がありまして、

あっちょから学祭へ行かないかとお誘い。

嫁子は自分の山行の合間に北九州へ旅行へ出かけてフリーだし、

山行のダメージで遠出も難しいし、ちょうどいい余興。

卒業後も教授の付き合いとかでちょこちょこ大学に入っていたけど

それでも10年ぶりくらいに母校へと行くことになった。


昼前に関大前で待ち合わせ。

向こうは一家そろっての参加。

大学前の大通りは結構様変わりをしていた。

昔入り浸っていたゲーセンや雀荘、安食堂、

お世話になったコピー屋や古本屋などはほとんど姿を消し、

どこぞのフランチャイズやらコンビニやらに取って代わられた。

特に、そんなにいらんやろというぐらいラーメン屋ばっかりでびっくりする。

あそこにはアレがあったよなとか、ここであんなことあったよなと、

記憶をほじくり返しながら、あっちょと昔話に花が咲く。


↓久々の関大前

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↓わが母校

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そうしてようやく正門に到着。

たくさんのビラを持った各団体の客引きが待ち構えていて、

勧誘が次々と。

そこからはキャンキャンした若者たちがごった返す人ごみをウロウロ。

いやあ、しまった、

こういう祭のドンチャンを尻目に、

あえて隅っこで怪しく遊ぶアングラ気質の人間には、

こういう人ごみが一番苦手だった。


↓このメーン広場の芝生は在学時は学食&生協があった場所

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こうなるともう楽しみは、学生時代の面影を発掘すること。

ということで、4年間のほとんどを過ごした部室の様子を見に行く。

自分は怪しい自主映画サークルに入って、

3回生からは部長をしていたのだが

自分たちが卒業して10年くらいはサークルは存続していたのは確認していた。

だが、部室棟を建て替えるということになって、

そのタイミングで、正規のクラブとして大学側から承認を得ていない団体は

全て部室を明け渡すということになって以降、どうなってしまったのか。

少なくとも部室は召し上げられ、

たまり場がなくなった時点で自然消滅したのかもしれない。


↓クラブの部室棟の建物

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自分たちの部室は、

クラブ棟の建物の入って真正面という超好立地にありながら、

その怪しさで誰も寄り付かない真の巣窟のようなところで、

部屋全体が真っ黒に塗り固められ(上映のために光を遮断するため)、

ヒジョーにあやしかった。

その部屋いっぱいにビールケースが敷き詰められ、

その上にベニヤ板で高床がこしらえてあり、

部屋の中央に会議用のテーブル。

隣は工学ラグビー部の部室となっていたのだが、

実は大会議室を無理やりベニヤ板で間仕切りしただけだったなあ。

ほとんど講義にも出ずにここでマリオカート大会したり、

映画製作をしたり、どんちゃん酒盛りしたり、

本当に大学4年という貴重な時間のすべてが詰まった部屋でした。

久しぶりに訪れてみると、当時の面影はなく、

真っ白な壁に塗り替えられて、建物の管理室になっていました。

なんとも寂しや。


↓わがサークルの部室は様変わりして管理室になっていた…

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↓見覚えのある風景にほっとする

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2時間ほどプラプラしてあっちょ一家とお別れし、

戻りつつ出店を見るが、結局何にも手を付けずに正門を出る。

とはいっても昼過ぎで小腹が減っているので、思い出の飯で腹ごしらえ。

ということで、学生時代に大好物で足しげく通っていたカフェ・ゲリラへ。

怪しい雑居ビルの奥2Fにあるお店で、当時のまんまでした。

ここのドライカレーがとてもおいしくて、

ドライカレーなのに、ルーまでかかってダブルでおいしく、

つけあわせの山盛りのサラダと一緒くたに食べるのだ。

12年ぶりに食べたけどやっぱりうまし。


↓相変わらず賑やかな学生街もなじみの店が少なく…

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↓カフェ・ゲリラ

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↓名物のドライカレー。青春の味がする

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大学からいったん帰宅し、頃合いを見て、嫁子のお出迎えに。

時間も余っているし、ちょっと神戸でいきたい店があったので、

新大阪ではなく新神戸から乗り込んでびっくりさせてやろうと一計。

1時間半前には到着して、元町の気になっていた立ち飲み屋さんに寄る。

なかなかええ店でつい長居をしてしまい、気づいたら新幹線の時刻が!

これで乗り遅れたらそれこそ元も子もないので、

酒でフラッフラになりつつ、元町から来た野坂の激坂をダッシュして、

どうにか3分前に新神戸駅に到着。ゼエゼエ。

すっかり酔いも覚めてしまったわい。


↓新神戸なう

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無事に新幹線に乗り込み、嫁子をすぐに発見。

しばらく背後から怪しく様子をうかがってから、声をかけると、

案の定ええリアクション。

まあこれがやりたかっただけっす。

あと、まあ身重なので乗り降りのかばん持ちしないといけないのでね。

ということでドッキリ大成功。

2015-01-19

1.17鎮魂ウォーク

今年もまた1.17がやってきた。

改めてあれから20年も経ったのかと思うと、

長かったような短かったような。

1つだけはっきりしているのは、

あの日のことを一度も忘れたことがないということだ。

忙しい日々の中でいちいち記憶の表層に上がってくるわけではないけれど、

完全に自分の体の一部に浸み込んでいるというか。

忘れてはいけない。忘れたくない。

忘れずにいること、そしてあの瞬間を経験した記憶を次の世代にも引き継いでいくこと、

それが今となっては一番大きな役割のような気がしている。


毎年この時期は体調が悪く、去年は相当にひどくて断念したのだが、

今年はまた東遊園地まで歩くことにした。

今回もスタートは西宮から。

前にもその理由を書いたが、震災後に電車が通じていたのがそこまでだったから。

前回は山手幹線沿いをメインに歩いたので、今回は浜側を歩こうと思い、

最終の阪神特急に乗り込む。

スタート地点に降り立ったのが、0:30。

この日は寒さはきびしくなく、比較的暖かいのだが、ちょっと空模様が微妙。

しかしもうすでに退路は絶ったし、何が何でもたどり着かねばならない。

よしっ!と軽く気合いを入れて歩き始める。


↓阪神西宮駅からスタート

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まずはR43に出る。すぐに西宮戎前に出た。

ここはほんの数日前に福男を決める恒例のバトルが繰り広げられたところだ。

当然この夜はヒッソリ寒としていた。


↓先日激闘が繰り広げられた西宮戎

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旧国道を少し歩いて香櫨園駅のところで夙川を渡る。

そして一旦R43に戻る。

それにしても、これだけ強大な構造物である阪神高速が

いとも簡単になぎ倒されてしまったあの光景は本当にショックだった。

人の想像をたやすく超えてしまう自然の驚異。

それはこの地球上のどこかでまたいつか必ずやってくるのだ。


↓阪神高速

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打出辺りから、単調なR43を外れて、

阪神線の一本北側にほぼ一直線に続いている生活道路を歩くことにした。

宮塚公園のあたりからポツポツと雨が降ってきた。

レインウェアを羽織りひたすら歩き続けるが、

芦屋川を渡るころには結構本格的な雨になってきた。

大急ぎで、駅前のコンビニに飛び込んでビニール傘を購入。

この状態ではカメラが濡れてしまうので、撮影はあきらめてザックに仕舞いこみ、

とにかく前進することにする。

真夜中の雨は冷徹に冷たい。


↓On the road

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深江を少し過ぎたところで、名も知らない小さな川が出現する。

こういうのには思わず興味が出てきて、少しだけ寄り道。

阪神間の川はおおむね、六甲山からほぼストレートに神戸湾に流れ込むのだが、

この川はなぜかわざわざ阪神線の手前で一旦大きくシケイン状に蛇行をしている。

もちろん何か理由があるのだろう。(まさか神戸大のキャンパスを避けるため?)

地形や町割の成り立ちは探ってみるとおもしろいのだが、

調べてみてもよくわからなかった。


↓名もなき川

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そこから元の道の戻り、西へと進んでいく。

青木を過ぎたところで北側を見ると、高校と光を放つアーケードが見えた。

ここが甲南本通で、東灘区でも特に被害が大きかったところ。


↓甲南本通

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この辺りで時刻は2:30。

2時間ほど歩いたせいもあり、結構空腹感を感じてきました。

雨のせいで体が冷えて疲労も溜まってきたので、

ちょっとどこかで腹ごしらえをすることにする。

コンビニでは外で補給となり寒いので、できれば温かいものを。

そうなれば無性にラーメンが食べたくなり、R2をひたすら西へ進んで、

御影公会堂の向かいにある「神戸もっこす」さんへ。

3時クローズのギリギリ10分前に飛び込みセーフで、中華そばをいただく。

中から温まり元気が出ました。


3時を少し回ってリスタート。

R2を渡って石屋川駅から阪神の高架沿いを歩く。

この先に阪神の車庫があり、そこも震災直後に、

ひどい脱線の様子が印象的に映し出されていました。

そこも写真を収めようと思ったのだが、上から見渡せるような場所がなく、

下から仰ぎ見てもよくわからないので断念して先を急ぎます。

新在家を過ぎると、雨はいったん小康状態。

そのまま大石まででます。

この駅の直下を流れる都賀川に降りてみます。

ここは15周年に制作されたNHKドラマ『その街のこども』でも出てきました。

数日前に再放送されていましたが、やはりジーンとくるものがあります。

前にのレビューを書きましたが、

震災直後の悲惨な状況や、救助活動にスポットを当てるのではなく、

震災を経験した普通の人たちのその後を描くという視点はとても新鮮で、

主人公たちの心情が自分にもぴったりとあてはまります。


↓都賀川

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ドラマのことを思い出したこともあり、あの公園へ行ってみようと思い立つ。

あの公園とはそのドラマで、主人公の女の子(佐藤江梨子はいい女優になったと思う)が、

震災で亡くなった同級生のお父さんのマンションを訪ねる重要なシーンで出てくる公園である。

現在地からどう向かうかわからなかったので、コンビニで地図を確認。

少し来た道を戻らねばならないのだが、やはり行ってみたい気持ちが勝り、バックする。

R2を東へとバックし、山手幹線まで進むとありました、六甲風の郷公園です。

この公園もまた震災復興によって造成された公園です。

ここで結構雨脚が強くなってきたのだが、ここまで十分に撮影もできなかったので、

せめてここでがんばろうと三脚を出してちょっと遊んでみました。

やってみると簡単そうでなかなか難しい。


↓六甲風の郷公園

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↓1.17

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公園を出発したのが4時過ぎ。

三宮まではまだ7kmほどあり、ちょっと急ぐことにします。

山手幹線に出てペースを上げて進んでいきますが、

向かい風が強くてビニール傘が押し戻されてなかなかしんどい。

王子公園を過ぎて神戸高速線の高架下をなぞって進んでいきます。

予想外の雨もあって、思った以上に疲労しながら、どうにか三宮に到着します。

そこからフラワーロードで東遊園地を目指しますが、

例年以上に多くの人たちが向かっていて、すでに軽い行列のようになっています。

ここ数年でこれほどの人出は見たことがありません。

20年目という節目ということや、

土曜日で休みの人が多いということが影響しているのだろうと思います。

おそらく直接的に震災を経験していないであろう若い人たちも数多くいました。

なかにはお祭り気分で騒いでいるようなのもいましたが、

それでも自分たちの住む町でこんなことがあったんだということへの関心が

少しでもあって、セレモニーに出てみようという気持ちなったことは大切です。

東遊園地の入り口で記帳と募金、それから献花をいただき、公園内へ。

するともう、前後左右身動きできないくらいぎゅうぎゅうの人だかりでした。

すでに竹筒の蝋燭への点火は済んでいて、ゆったりと暖かな火が揺らめいていました。


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人ごみを少しずつ進んで、いつもの場所にたどり着き、

そこで時が来るのも待ちます。

これだけの人たちがひしめいているのに、周りは驚くほど静かで、

独特の張りつめた空気が漂っていました。

そうして時報がアナウンスされ5:46を迎えました。黙とうを捧げます。


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黙とうを終えると、献花セレモニーのために大移動が始まります。

しかしあまりの人数でほとんど身動きができない状態で、

場内整理のスタッフもいないため、出入り口付近は大混雑していました。

自分は奥さんが仕事に出かける前に帰宅せねばならないので、

セレモニーの出席はあきらめて帰ろうとするのですが、

この大移動にはまって公園から脱出するのに30分以上かかりました。

そうして三宮から阪急に乗って帰宅したのが7時を少し回ったところでした。

思った以上に疲労が出てしまいましたが、

今年は無事にお参りができてよかった。

そうしてまた一歩、前へ進んでいこうと思います。