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記憶の残滓 by arkibito

2018-03-23

沈殿する水都

かつて八百八橋と称された水の都

煌びやかなネオンに包まれた陸の喧騒や、

街を切り刻むようにして四方へと触手を伸ばす高架線がもたらした

絶望的な影の世界、

あるいは欲望をむき出しにしたブルドーザーによって

容赦なく埋め立てられ、拡張してゆく鉛の街の片隅で、

川とともにあった暮らしの記憶は、

鈍い光沢をたゆらせるヘドロと化して、

忘れられた運河の奥底へとゆっくりと沈殿していった。

季節外れの強い雨と風が夜を切り裂いて、

きゅうきゅうと物悲しい叫び声をあげる闇に紛れ、

伝道師が念仏のように、物語を漕ぎ出せば、

水の記憶が亡者の如く具体を帯びはじめ、

発光船の放つ灯に導かれるようにして、

今ゆっくりと水面へと浮上する。

そう、ここはかつて八百八橋と称された水の都


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2018-03-12

Music Life 『しあわせ運べるように』『花は咲く』

ツイッターでは1週間前からアップしていましたが、

ブログは1日遅れになってしまいました。

3.11の追悼の意を込めて、神戸から「しあわせ運べるように」

そして東北から「花は咲く」の2曲。


どう頑張っても、途中でこみ上げる思いを抑えきれなくて

嗚咽してしまってなかなか最後まで歌いきれず、

何度もテイクを重ねました。


人の負った悲しみはなかったことにはならないし、

誰かが肩代わりすることもできない。

でも、悲しむ人に寄り添うことのできるのは

結局人しかいないのだと思うし、

寄り添うことこそ人の業なのだと思う。

自分一人が何かを変えたり、

起こしたりすることができない無力さを感じざるを得ません。

でも、そんな大袈裟なことをしなくても、

誰か一人でも安心や楽しさ、

あるいは逃げ道を作ってあげることができるなら

それで十分なのだと思います。

そうやって死ぬまで生きてゆくのです。


↓しあわせ運べるように

D


↓花は咲く

D

2018-02-05

NO MORE 広島の旅

随分時間が経ちましたが、

18きっぷ広島の旅の最終章を。


雨に沈む呉の町を後にし、

列車は広島湾をなぞりつつ、

活気あふれる広島タウンへと滑り込む。


↓呉を離れ一路広島へ

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昼過ぎには広島を離れて岐路に着かねばならないが、

それまでの数時間で観光と、

やっぱりお好み焼きを食べて帰らないと。

昨晩、ずいぶん贅沢をしたツケで、お財布が心もとなく、

お土産代とお好み焼き代をざっと勘定してみると綱渡り。

ここは経費削減とばかりに、

広電は使わず、徒歩で中心部へと向かう。

まだぽつりぽつりとは降っていたものの、

気になるほどでもなく、駅前大橋、稲荷橋と渡り、八丁堀へ。

そこからアーケードを伝って平和記念公園へ。


まず訪れたのは、原爆ドームのすぐ裏手にある島病院。

言わずと知れた広島原爆の爆心地。

この上空約600mで原子爆弾「リトルボーイ」がさく裂、

人類史上初めて実戦投入された原子爆弾の威力はすさまじく、

広島を瞬時に地獄絵図へと変えてしまいました。


↓原爆ドームの裏にある島病院

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↓爆心地

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そこからすぐのところにある原爆ドームへ。

当時、広島県産業奨励館としてモダンな佇まいを見せていた建物は

日光の数千倍の熱線と、

衝撃波を伴う秒速440メートル以上の爆風にさらされ

350万パスカルという爆風圧をほぼ直上から食らいました。

衝撃を受けた角度や、

窓が多く衝撃が外へ抜けやすい構造だったことなどから

その骨格だけは破壊をまぬかれ、

人類の負の遺産として残ることになりました。

灼熱の炎と想像を絶する衝撃にさらされた残骸は、

戦争の悲惨さや原爆の恐ろしさを伝える遺産でもあり、

ひいては平和を願うシンボルでもあります。

身の引き締まる思いがします。


↓原爆ドーム

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↓生々しい衝撃

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そこから見えている橋は相生橋。

すずさんと周作が、ばけもんにさらわれて、

初めて出会った場所として描かれています。


↓相生橋

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↓相生橋

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平和記念公園へ足を踏み入れます。

かつてここには活気あふれる中島町という下町が広がっていました。

しとしとと涙色にくれる空の下、静かな緑の中を歩きます。

原爆の子の像のところには、全国各地、世界各地から届けられた

平和の祈りが込められた無数の折り紙の鶴が備えられています。

アメリア大統領として初めてこの地を訪問したオバマ大統領も

千羽鶴を折ったことで、注目を浴びていますね。


↓平和記念公園

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↓原爆の子の像

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それから黙々と灯り続ける平和の灯へ。

あの日街を焼けつくした炎と同じ火。

でもこの日は、あの日の思いを灯し続け、

一井の人たちのささやかな暮らしを照らし続けるための火。

なんといってよいやら言葉もない。


↓平和の灯

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↓原爆慰霊碑

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さらに独特な静寂に包まれた公園を歩きます。

重たすぎる歴史がこの場所に根差しているのがひしひしと伝わる感じ。

1.17の東遊園地のあの感じを思い起こします。

そうして広島平和記念資料館に立ち寄ります。


↓広島平和記念資料館

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入ってすぐのところに、

原爆投下の様子を再現したCG映像があります。

かなり生々しくショッキングですが、

目を背けてはいけない事実。

動画を上げておきますが、

ぜひ一度現地で目の当たりにしてほしい。

あの日、あの場所で、息づいていた一井の人たちの暮らしが、

一瞬で跡形もなく焼き尽くされ、破壊されたのだ。


↓失われた人々の暮らし

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↓ショッキング

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↓核兵器の危険性(右は原爆投下命令書)

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↓原子爆弾のモデル(ファットマンとリトルボーイ)

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本当ならもっとじっくりと時間をかけてみて回りたかったが

そろそろ時間的な余裕がなく駆け足になってしまいました。

それでもこの場所で起こってしまった事の重みと、

子供たちや次の世代へ自分がやれることは何かという自問と、

にわかに物騒になりつつある今の日本への憂国心とについて

深く考えざるを得ない。

人類の歴史上唯一の被爆国でありながら、

核兵器禁止条約に参加しようとしない矛盾。

”想定外”の大地震によって深刻な被害を被りながら、

原発を推進・再開し、原発ビジネスに依存し、

他国に技術を輸出し続ける矛盾。

そして、芸能人とは仲良く会食するのに

核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)の事務局長とは会おうとせず、

アメリカの武器商人の言いなりで、

暴走を続ける現政権が、その危険が明らかなのに、

今もって権力の座を確固たるものにしてしまっている国民の意識の矛盾。

そろそろ本気で考えないといけないんじゃないかニッポン。


続いてお隣の国立広島原爆死没者追悼平和祈念館へ。

地下へらせん状に続いていく通路を折り、

静まり返った慰霊所でしばし佇む。

外国のツーリストが多数訪れていて、

熱心に解説を読んだり、

目をつむって黙とうしているような姿がとても印象的だった。

まぎれもなく起こってしまった事実を目の当たりにすれば

戦争が、そして核兵器が、いかに悲惨で残忍でどれだけ野蛮なのか、

万国共通で理解できるはずだ。

あれこれ机上の空論を戦わせて、

一見して、さも高尚な理念や理屈を振りかざしてみても、

結局は誰かが、他人の犠牲を払って、己が利益を優先しているに過ぎない。

そしてそれが可能なのは、

一般の市民ではなく、権力のある人間に限られる。

だからこそその権力ある人間を、あらゆる手段・方法を用いて、

常にウォッチし、精査し、批判しなければならない。

それが自由民主主義によってもたらされた権利であり義務であるはずが、

その根本を政治家はもちろん、多くの国民が忘れ去ろうとしている。

自分の都合さえよければ、自分の利益さえ確保できればそれでよし。

それではもはや公共の理念は保てないし、国民国家の体をなしていない。

面倒なことは専門家に丸投げ、どうせ変わりようがないと投票を放棄して、

権利をドブに捨てているうちに、

実はそれが自らの意思で行使しないということだったのが、

いつの間にかその権利をはく奪されているということに、

巧妙にすり替わっていく静かなる恐怖。

それに気づいた時にはもうはや手遅れ、

などということにならなければよいが…


↓国立広島原爆死没者追悼平和祈念館

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↓戦没者リスト

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↓雁木

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平和記念公園で一通り見て回り、

色々な思いを胸に秘めてそろそろ帰り支度。

そのまま広島駅を目指し歩きつつ、

どこかでお昼ご飯を食べてから出立。

有名店はどこも昼時は観光客の行列で、とてもじゃないが待てない。

どうしようかと路地裏を歩いていると、

空いているお店があったので飛び込みます。

「みっちゃん太田屋」さん。

あの有名な方の「みっちゃん」とはたぶんあまり関係がないです。

地元の人たちが主なアットホームなお店。


↓みっちゃん太田屋

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↓やっぱ鉄板前はええです

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スペシャル(生イカ・えび・肉ダブル・玉子)のそばと、

おビールを注文。

鉄板のカウンターに座りながら、

たくさんのお好み焼きが焼かれていくのを眺めつつ。

大阪のお好み焼きとは違って、広島のはほとんど生地がなく、

キャベツ焼きに近い感じ。

大きなコテでぎゅうぎゅう押し付ける焼き方も大阪とは全く違います。

ハフハフ言わせながら香ばしいキャベツと、

プルプルの麺を味わいました。


↓いただきます♪

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あっという間に食べ終えて、大急ぎで駅へ向かいます。

駅の売店でおみやげをチャチャッと買って、

混雑する糸崎行の列車に飛び乗ります。

帰りはなけなしの所持金で買った

カープハイボールとイカフライでチビチビやりつつ。

帰宅したのが20時ごろでした。


↓呑み鉄モードで帰ります

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↓かすむしまなみ海道

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↓尾道通過

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2018-01-17

1.17鎮魂ウォーク

年に一度、あの日がまたやってくる。

あれから23年目。

忘れられぬ一日。1.17。


かれこれ10年ほど、体調不良で断念する年もありつつ、

毎年この日を自分なりのやり方で追悼している。

西宮から神戸三宮までの約15km、夜通し歩いて、

追悼セレモニーが行われる東遊園地に向かい、

地震発生時刻の5:46に祈りをささげる鎮魂ウォーク。

今年も行ってきました。


年によって歩くルートを変えながら、

今なお残る震災の傷跡や、

復興を遂げた阪神間の街並みをめぐってきましたが、

決まって西宮を出発の地としてきました。

それは、当時、地震によってあらゆる交通網が破壊・寸断され、

鉄道で最も神戸に近くに入れる地点が西宮だったからです。

JRが再開したのが4月の時点で、

阪急・阪神は被害が大きかったこともあり6月に復旧しました。

その驚異的なスピードでの復旧は

被災者にとって大きな希望をもたらしましたが、

それまでの間、あの地獄のような被災地から脱出する人、

救援物資をもって被災地に駆けつける人はみな、

西宮から徒歩で神戸を目指すしかありませんでした。

その道のりを今一度、自分の足で歩いて追体験し、

当時の人たちの心に寄り添い、神戸の街に思いを馳せながら、

追悼の地にたどり着く、ということが自分なりの鎮魂となっています。

人によっては夜通し歩いて

何の意味があるんだと馬鹿にする人もいるでしょう。

確かに、夜通し歩いたからと言って誰も救うこともできません。

でも、そうすることが、

あの日亡くなっ方々や、生活を失った方々への

自分なりの祈り方なのです。

これは決して、自分の中では遊びでもイベントごとでもなくて、

極めて個人的な一種の儀式。

誰から強制されるわけでもなく、ただ自然と歩きたい。

そうすることで、なんだか自分自身が救われるような気がするのです。


これは余談ですが、2011年にNHKで、

阪神大震災を経験した当時の子供が

大人になったその後を描いた『その街のこども』というドラマがあります。

劇中、佐藤江梨子と森山未來演じる2人の若者が、

夜通し、ただ神戸の街を彷徨い歩くのですが、

そうすることで彼らは震災という呪縛からほんの少し救われていきます。

そのラストシーンは、ドラマ放送当時、

そこだけリアルタイムの放送で、

主人公の女性がセレモニーが行われる東遊園地に向けて

信号を渡ってゆくところで物語は終わります。

これを観たとき、ああ、これはまさに自分のことだ、

自分のような祈り方があっていいんだと、

安堵にも似たような感覚を覚えました。

そして、はっきりと、

この鎮魂ウォークを自分のライフワークにしようと決めました。

ちなみにこの音楽を担当していたのが大友良英さんで、

実はすでにこのころから大友さんには救われていたのだなと

今更になってしみじみ感謝しています。


さて、歩きについて。

自宅を出たのが23:30。阪急の乗り場に着くと、

次の電車が0:00発。

15分ほどで西宮北口駅に到着すると、

各改札には駅員さんがスタンバイをしていて店じまいを始めていました。

いそいそと改札を出て、北口に出ます。

予報通り、しとしとと雨が降っている。

毎年の経験でいえば、1月16日の未明には

必ずどこかでさっと降られることが多いのだが、

さすがにこれほどの本降りは珍しい。

冷たい雨は難儀だが、幸い気温は高く寒くはない。

傘をさして、駅を飛び出し、神戸へと歩き出す。

時刻は0:20。リミットは約5時間。


↓阪急西宮北口駅

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北口を出て細かい路地を縫っていきます。

ここ一帯は昔から進学塾のメッカみたいなところで、

自分も小中学校の頃、電車に乗って通っていました。

路地を抜けると津門川に出て、

そこから先は一転して静かな住宅街。

駅方面からどんどんタクシーが追い抜いていく中、

静かで暗い夜道を淡々と進みます。

すでにはっきりと雨が降りしきっています。

御手洗川を渡り、さらに進むとR171にぶつかる。

幹線道路は避けたいので、阪急の高架下まで下っていく。


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越水でR171をまたいだ先から、

高架下がアーケードになっていて、

雨をしのぎながら進む。

いつもは歩きながら、夜の街を撮影するのだが、

前がひどく、傘もさしているので、

なかなかカメラの出番がなく、黙々と進むだけ。

次の夙川駅に着いたのが1時ちょうど。

誰もいない。


↓阪急夙川駅

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夙川まで来て、そこからルートを思案。

最近は海側の方へ寄り道することが多かったので、

今回は山の手を進むことにする。

駅のロータリーを過ぎ、いったん阪急線をくぐる。

すぐに左折をして高級住宅が立ち並ぶ雲井町を進む。

そこそこアップダウンがあって、

上ったり下りたりしているうちに、

方向感覚がわからなくなってきた。

住宅街を進んでいくと前方が開けるところがあり、

見渡すと明らかに山の方へと進んでしまっている。

とはいえうかつに道を折れてしまって、

住宅街の袋小路から抜け出せなくなると厄介なので、

ある程度大きな道に出るまで、雲井通を進む。

すると、見覚えのあるトンネルが出てきた。

岩園隧道だ。

ここは短いながらきつい上り坂があることで有名で、

地元ローディーにとってはちょっとした腕試しのスポット。

そこをエイヤと登り、隧道直上の休憩所から西宮の街を見下ろす。

平和な町が静かに眠っている。


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↓岩園隧道

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隧道を越え、そのまま一般市道をなぞってゆく。

高台からゆっくりとカーブしながら、

そのうち阪急線まで下ってきました。

そこからは線路わきの道を詰めていきます。

一度、線路保守の車両が、

ゴロゴロと鈍い音を立てて脇をかすめていく。

しばらくして見慣れた駅前にたどり着く。

芦屋川駅到着が1:50。

少し回り道をし過ぎてしまったようだ。

さすがにこの時間にハイカーの姿はおらず、ひっそり閑。


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↓阪急芦屋川駅

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駅を過ぎて、そのまま阪急の北側の道をなぞってゆく。

雨が一段と激しくなってきた。

2時間ほど歩いて、少し空腹を覚えたのと、

どこかで腰をお付けて休憩を入れるため、

甲南山手の当たりで、山手幹線へと下るが、

あいにくこの辺りには店がなく、

とぼとぼと摂津本山まで向かう。


↓JR摂津本山駅

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駅前にあった牛丼屋さんでようやく休憩を取る。

空腹を満たし、汗と雨の混じった不快感をぬぐう。

店内では酔っぱらったサラリーマンのグループが、

大きい声で騒いでる。

これも平和のうちかと思いつつ、

そそくさと退散。

再出発したのが2:40。

そこからまず阪急岡本駅まで戻る。

震災直後に阪急が未復旧だった間、

この岡本駅と摂津本山駅で阪急⇔JRの乗り換えが行われていたので、

復興において一定の役割を果たした町でもあります。

その名残で、今もこの小さな岡本駅には特急が停車します。


↓阪急岡本駅

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岡本駅から目抜き通りを進み、

川を渡ると、再び静かな住宅街。

そこを抜けていくと、住吉川にぶつかる。

阪急線のすぐ北側の橋で渡り、

線路沿いの道を進んで、

御影駅にたどり着いたのが3:16。

そろそろ眠気が襲ってくる。


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↓阪急御影駅

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小綺麗な駅前を抜けて、線路沿いをひたすら進む。

小さな川にぶつかって道なりに下っていくと、

デルタ地帯に出る。

ここで2つの川が合流して石屋川となって海へと注ぐ。

このように阪神間は六甲山から幾筋もの短い川が流れ出ている。

そのまま住宅街を抜け、六甲へと登っていくバス通りを詰めて

阪急六甲駅に到着。3:44。

そろそろ朝刊を配る新聞配達の原付がちらほらと動き出した。


↓阪急六甲駅

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六甲駅からも線路沿いの道を進んでいくが、

時間を追うごとに雨脚がひどく、

それを嫌って、いったん南下し、

水道筋商店街のアーケードへと逃げ込む。

朝が早いパン屋さんや魚屋さん、豆腐屋さんが

既に店を開けて、あわただしく準備をしている。


↓水道筋商店街

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アーケードの屋根は時期に途絶え、再び雨の中へ。

果てしなく続く商店街の外灯にいざなわれて、

王子公園駅にたどり着く。

時刻は4:12。


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↓阪急王子公園駅

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駅前の大通りを跨ぐ原田拱渠を渡り、

そのまま近代建築遺産である

神戸高速鉄道の高架軌道をなぞっていく。


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やはりこの辺りでも雨脚が強いので、

大通りをいったん渡って、

大日商店街へとエスケープ。

そのまま春日野道まで濡れずにたどり着く。


↓大日商店街

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↓阪急春日野道駅

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春日野道からは再び高架線沿いに進んで、

生田川を渡り、三宮に到着したのが5時ジャスト。

今回はほとんど撮影のチャンスがなく、

雨のせいで寄り道もできずに、ほぼ最短で歩いたので、

思ったよりも早い到着でした。


↓阪急神戸三宮駅

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三宮駅でトイレ休憩や身支度を済ませたら、東遊園地へ。

平素は、ここもファミリーが憩う緑のスペースなのだが、

この日だけは、なんともピリッとした空気が張りつめて

身が引き締まる思いがする。

この雨で、平日なので、きっと人が減っているだろうなあと思ったが、

予想以上の人出。

なかには、当時のことを知らないであろう若者や

小さな子供たちの姿も多数あり、

神戸の復興がわずかでも間違いなく、

次の世代へと受け継がれているのがわかる。

まずはテントに寄付を収め、ロウソクを1本いただく。

そして雨でぬかるんだ地面に苦戦しつつ、

自分はいつものポジションへ。


↓1.17のつどい at 東遊園地

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ところが、どうも様子が違う。

いつもなら、あの温かくも身の引き締まる思いに駆られる竹灯籠の灯。

夜の闇を煌々と照らし出すあの一面の灯がほとんど点灯していない。

付近で明かりを回している人に尋ねると、

どうも昨夜からの雨で、ろうそくの芯が湿気てしまったり、

竹筒の中に雨水が溜まりすぎて、火が一向に着かず、

ようやく付いたとしてもすぐに消えてしまって、

困っているとのこと。

これでは時間までに到底間に合わないので、

自分も加勢して、手当たり次第に火を分けるのだが、

1つ付ければ、1つが消えるといった風でらちが明かない。

これはもうすべてを回るのは難しいので、

せめて自分の付近のものだけはと、傘をかざして火を守る。


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そうこうしているうちに、会場に時報のアナウンスが鳴る。

5:46。

静かに祈ります。

安らかに安らかに。そして、僕らを見守りください。


↓黙とう

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黙とうを済ませたら、足早に会場を後にします。

本当はセレモニーにも出て、献花したいのだけど、

娘の保育園の送りがあるので、それまでに帰宅しないといけない。

確かに感じたあの日への思いと、

間違いなく再びやってくるであろう大災害への改めての意識とを

大事に持ち帰りました。


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あれから23年

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あれから23年。

つい先日のように生々しい記憶が呼び起こされるが、

もうそんなに長い年月が経った。

今年社会人として旅立つ人達でさえ、

もはや歴史上の出来事でしかない阪神淡路大震災。

当時に比べれば、耐震技術も格段に向上した。

東北や熊本の大地震、

毎年のように襲い掛かる台風の被害などを経て、

我々の防災意識も高くなった。

それでも、時として猛威を振るう自然の驚異は、

容易に我々の想定を超えてくる。

だからこそ、あの日のことをいつまでも語り継いでゆく。

かつてこの町で、たくさんの命が奪われ、生活が奪われ、

希望の灯が失われたことを。

そしてそこから、人々が手を取り合って、

たくましく這い上がってきたことを。

それが、未曽有の大災害に遭いながら、

運良くも生き残ることができた者の最低限の使命として。

2018-01-16

さよなら楽天食堂

連休前に、アニキから一通のメール。

あの楽天食堂が閉店するとのこと。

ええ〜!?マジですか…。

夏場にバテバテで食が進まない時や、

メンタルが弱っている時には、必ずお邪魔をして、

滋味深い麺や点心に救われていたのだけど、

それももうできなくなってしまうのか。

せめて最後にお邪魔をして、

もう一度あの味をいただいて、

ご苦労様とお伝えしたい。


とはいえ、会社勤めの身としては、

ランチにはお邪魔することができないうえに、

夜の営業が曜日が限られてしまっている。

結局、閉店の2日前にようやく尋ねることができたのだが、

なんと、すでに店じまいされてしまっていた…

が〜ん。

どうも、閉店の情報を聞きつけたたくさんの常連客の方が

昼間にドドドっと訪れて、

ランチですべての食材を使い切ってしまったようでした。

別のアニキのブログでも、その盛況ぶりのすごさが伝わって、

いやあ困った…


↓楽天食堂

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↓ガ〜ン…

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翌日、土曜日。

やっぱり、諦めきれず、ラストチャンスにかけることに。

下の娘を保育園に預けて、

長女の音楽教室の帰りに、阿波座まで足を延ばす。

すると…

12時の開店の15分前というのにものすごい行列。

外はもちろん、2階へ続く階段にも待ち人が並んでいます。

そんなに大きなお店ではないし、

ご夫婦お二人ですべてをされているので、時間もかかるし、

これは少なくても1時間は待たないと…

自分一人ならいいが、娘をこの寒空の下で待たせるのは…

どうしよう。

と思っていると、最後なんやろ、待とうよと、

娘からありがたいお言葉(涙)

後ろの予定もないので、行列に並ぶことにしました。

といってもビル風吹きすさぶ日陰のところで待つのは

なかなかシビアで、すぐに全身が凍り付きます。

娘も寒さに震えているので、

カイロをベタベタと貼りまくり、

ありったけの衣類を纏って防寒したのだが、

寒さと疲労で娘はこっくりこっくり落ちてしまいました。

もうれっきとした遭難。

可哀そうなことに晩から熱を出して1日寝込んでしまい、

申し訳なかった…


↓翌日

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↓最後の日

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↓大行列@@@

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食べ終えた人、途中止む無く離脱する人がぽつぽついるものの、

なかなか列は進まず、

結局、2Fに続く階段にたどり着くまでに1時間半もかかりました。

それでも風が当たる屋外にいるよりはよっぽどましで、

狭く急な階段で身を寄せ合ってさらに30分待ちました。

その間にも外では列が伸びているようなのですが、

さすがにもう出せる分量が決まっているため、

奥さんが泣く泣くお断りをいれて、

今階段にいる人たちまでで売り切れクローズされていました。

ギリギリセーフ@@@


↓2時間待ってようやく中へ

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ようやく着席して、注文。

すでに餃子は売り切れていたので、豚まん。

豚まんも2個1セットなのだがもう数がなくて、

最後の1個だけとのこと。

もちろん。楽天食堂最後の1個をありがたく頂戴します。

それから娘と自分で麺を1つずつ。

あわただしく作業されるお二人を見ながら、

もう少し待ちます。


↓辛抱強く待ちます

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↓まだかなまだかな〜

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そうして、まずは豚まんがやってきました。

ふくよかで惚れ惚れするフォルムですね。

ラス1の豚まんを娘と半分こ。

んんんん、ほかほかで美味しい@@@

ジューシーな餡と、

それを優しく包み込む自家製の皮の天然の甘み。

ありがたや。ありがたや。


↓ラス1の豚まん

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しばらくして麺もやってきました。

娘はチャーシューが入ったシンプルな湯麺(タンメン)。

これがまた素朴で滋味深い。


↓湯麺

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自分は、もう楽天食堂といえばの熱帯麺。

最初は確か夏限定メニューだったはずだけど、

あまりの人気にレギュラー化された麺。

ココナッツミルクのほの甘さと、ピリッと来る辛み、

そして酸味の3つの味覚が一度に刺激され、

そこにパクチーやセロリといった香味野菜の香りが混ざり合って、

一口スープをすすれば、一気に目の前が、

東南アジアの猥雑で底抜けに明るい屋台へとワープしてしまう。

この味はここでしか味わえないのです。

ああ、素晴らしき熱帯麺。


↓熱帯麺

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ということで、あっという間に平らげてしまいました。

まだまだ、食べたい。いつまでも食べたい。

でももうそれも叶いません。寂しいな。

でも、このお店に出会えたことだけでも、

ラッキーだったのだと、今となってはそう思うしかありません。

お会計の際にお二人に感謝とねぎらいの言葉をかけて

店を後にしました。

ありがとう楽天食堂。さよなら楽天食堂。


↓ごちそうさまでした

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↓さよなら楽天食堂

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