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記憶の残滓 by arkibito

2017-03-22

ジョナス・メカス×いしいしんじ 『幸せな人生からの拾遺集』 / 『フローズン・フィルム・フレームズ―静止した映画 』

日曜日のメインイベントは、毎度おなじみの誠光社さん。

映像作家のジョナス・メカスの2012年の作品

『幸せな人生からの拾遺集(Outtakes from the life of a happy man)』の上映に合わせて

作家のいしいしんじさんが”その場小説”を乗せていき、

しかもそれをほぼ同時通訳という形で並べて投影し、

ブルックリンに住むボニー・エリオットさんが”その場翻訳”。

それをyoutubeで同時世界配信するというライブイベント。


↓誠光社

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ジョナス・メカスリトアニア出身の詩人でしたが、

ナチスロシアの迫害を恐れてアメリカへと亡命

たどり着いたニューヨークで16mmのゼンマイフィルムカメラを手に入れ、

そこに詩的かつ私的な日常の風景を撮り始め、

インディペンデントムービーの父と称される映像作家です。

自分が映画製作サークルで映画を撮りまくっていた頃に

とても刺激を受けたアーティストの1人。

今回はそこにおなじみのいしいさんが絡んでどんな化学反応が起こるのか、

とても興味があって参加しました。


↓その場小説中

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小さなスペースにぎっしりのギャラリー

そこに手製のスクリーンを張って、なんともインディペンデントな雰囲気。

いしいさんとも久しぶりにご挨拶。

時間となり、スクリーンに、メカスの映像、

そしていしいさんのタイプスクリーン、

それからエリオットさんの通訳スクリーンを重ね合わせる。

なんとも不思議な感覚でした。


↓いしいさん

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コトバにしても、歌にしても、映像にしても写真にしても、

不可逆的に流れる時間の流れの中で、

その瞬間をFIXして切り取るという行為自体が、

すでに高尚な芸術活動であると信じているが、

ジョナス・メカスの記録映画に映し出される映像の素晴らしさは、

その1シーン1シーンが

彼自身の極めて個人的な日常を切り取ったもので、

彼自身の経験から零れ落ちたものであるはずなのに、

この映像に接した人たち(人種や国や性別を問わない)の

誰もの遠い思い出の中に共通して浮かび上がるような、

記憶とかイメージにおける原始的な”何か”を、

フィルムの中にはっきりと封じ込めているからである。

それはあの日の風であったり、まばゆい光だったり、

子どもたちの甲高い無垢な笑い声だったり、

浜辺に打ち寄せられる波だったり。


何かの機会に、昔を振り返りながら古いアルバムをめくる時、

運動会や誕生日など、特別な行事やイベントの記録のために

撮られた写真たちよりも、

フィルムの余りを使い切るためにだけに

何気なくシャッターを押したショットに偶然に映し出された、

当時のただの日常の風景が切り取られたものに、

強烈なエモーションが湧き上がってくるという経験は誰しもあると思う。

その感覚に近いような映像体験


いしいさんは事前に映像を見ていなかったらしいのだけど、

ちょうど映画のキーワードとなる”波”というフレーズが、

シンクロするように浮かび上がってきて、

ちょっとした奇蹟のような夜でした。


↓翻訳をいただく

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2017-03-11

3.11

6年目の震災の日。

何かできることはないか、何かやってみたいと思って

何かやってみても、それはただの自己満足でしかなかったり

それでもいいから何かをやって、わずか足しになっても

それは寄り添うということ以上のことではなくて。

でもその寄り添うことって、

人間にとっても大切なことで、

誰かのために想うこと、誰かのことを想うこと、

誰かに想われること、必要とされることが、

誰かの背中を押したり、潰れそうな気持ちを支えたり。

幾つもの困難が津波のように押し寄せても、

私は一人じゃないんだということが、どれほど心強いことか。

忘れずに記憶すること、あの日あの時に思いを馳せること、

大切な誰かのことを想うこと、

それはいつでもどこでも誰でもできること。

そうやって、誰もが明日を生きてゆく。

2017-01-17

22年目の1.17

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22年目の1.17を迎えました。

この日ばかりは身が引き締まる思いがします。

毎年、前の晩から東遊園地へ歩いて向かうのですが、

週末からの体調不良が深刻で残念ながら今年は見送りました。

でも、追悼のつどいにはどうにか参加したいと、

始発電車に乗り込んで三ノ宮まで。

午前5時46分黙とう。

何とか今年も追悼することができました。


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今年は平日にあたりましたが、たくさんの方々が集まっていて、

中でも学生など若い人たちが多かったような印象があります。

きっと、22年前の震災を知らないであろう世代だとは思いますが、

興味本位でもいいので、こういう現場に足を運んで、何かを感じて、

同じ思いに馳せるだけでも大変意味のあることだと思います。


今年の遺族代表の方がお話しされていましたが、

22年という歳月はもはや歴史の世界のことのようになってきています。

でも、自然の猛威は日常のすぐ隣り合わせにあります。

去年も、熊本や鳥取で地震による大きな被害が出ました。

北海道では台風の被害も甚大でした。

それ以外にも、震度3や4といった、

昔ではびっくりするような大きな地震が、

当たり前のように全国各地で頻繁に起こり、

なんだか麻痺してしまっているような感覚を覚えることも正直あります。

神戸、東北を経験し、耐震技術や防災意識が格段に上がり、

人も建物もずいぶん強くなって、

被害の程度は軽減されては来ていると思います。

でも、自然はいつだって人間の想定を簡単に超えてくるのです。

それを絶対に忘れないためにも、

1.17を風化させないこと、思いを繋ぐことは大切です。


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2017-01-16

からほりへ

木曜日あたりからどうもノドの奥辺りがチクチクし始め、

そっからどんどん具合が悪くなり、

金曜の晩も酒も飲まずに寝床へ一直線。

土曜日は丸一日寝床で安静で少しましになる。


日曜日。家族で谷九へ観劇(これについては別記事)。

その帰りに近いので、ひさびさに空堀へと寄り道。

このエリアは、自分が院生時代に大分深く入り込んで関わった場所。

もう10年以上前の話になりますが、

都心部の再生、リノベーションというのを修士のテーマに、

地元の建築家や、地域住民のみなさん、

古い町並みに惹かれてやってきた新進の芸術家やデザイナー、

店舗の方々と一緒に、このエリアの再活性化を実践的に行いました。

おかげさまで、「からほり」という町がちょっとした話題のエリアとなり、

そのあとも、中崎町と並んで、大阪の都心部における

古くて新しい町として認知されるようになりました。


社会人になって以降は、近いんだけど微妙な距離で

なかなか足を運ぶ機会がなく、今回も5,6年ぶり。

ちょっと寒すぎて町歩きはほどほどに、

町の中心的な施設である「練」へ。

クレープ屋さんで休憩してから、

有名チョコレート屋さんのエクチュアさんでお買い物。


↓からほり練

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↓エクチュア蔵本店

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それから向かったのはずいぶんとお世話になった雑貨の「ひなた」。

毎年お年賀のやり取りはしているのだけど、

本当に久々にお会いしましたが、

変わらずほっこりした雰囲気で、

マキさんにお出迎えいただきました。

お店も当時の感じそのままで、なんか安心します。

長女は可愛らしいものがたくさん並んでいて、

ワクワクしながらショッピング。

30分ほどまったりさせていただきました。

また遊びに行きます。


↓ごぶさたの「ひなた」にて

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↓「みんなのHappyNewYear2017」

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2016-09-20

現代演劇レトロスペクティヴ<特別企画> AI・HALL+生田萬『夜の子供2 やさしいおじさん』

それは偶然が偶然を呼び、

生まれた小さな奇跡だったのかもしれません。


土曜日の深夜にたまたま見ていたバラエティ番組に、

片桐はいりさんが出ていて、ちょうど流れで、

元々の出身はどこ?という話になり、そのとき発せられた言葉、

それが「ブリキの自発団」!

長年頭の中に漂っていた最後のミステリーの一つが、

ついに解き明かされた瞬間でした。


自分の文化的な嗜好に一番影響を与えてきたのが

実は母親だったというのがこの年になってよく思い知らされます。

うちの母親は音楽とか映画とかかなりマニアックな面があって、

いつもステレオからは、ジャンゴ・ラインハルトや、ピアソラ、

ムスタキなんかの曲が流れていましたし、

そういうのをまだ自己の記憶がはっきり形成される前、

小学生低学年の頃から、無意識の表層に植え付けられてきたようで、

それらが自分の原風景として今になってふっと湧き上がってくるのです。

ただそれらの中には、当然おぼろげなイメージだったり、

ほんのわずかな断片としてしか思い出せないものもたくさんあり、

その正体が何だったのか、誰の、何の作品だったのか、

検索しようにもそのとっかかりとなるようなヒントすらわからないものが

いくつもあります。


その中で、長年そのイメージだけが何度も押し寄せては増幅し、

その正体をつかみたいと思いながら、

全く手がかりのなかったもの。

それは、昔、母に何度も見せられていた演劇だったのだけど、

怪しげな仮面や衣装を着けた人たちがぞろぞろと練り歩く様子、

「全自動オートメーション工場」というフレーズ、

真夜中に子供たちが奇想天外な旅をするという話だったか、

とにかく誰が演じていて、どんなあらすじで、

どんな作品かは全く分からないまま、

そういったおぼろげなイメージだけが、

ずっと頭の中にモヤモヤとあったのです。

その作品はまさに、

80年代の小劇場ブームを席巻した劇団「ブリキの自発団」による

『夜の子供』という作品だったのです!

ちょうど観た映画『君の名は』のように

大切な存在だけど、夢が目覚めてしまえば思い出せない

その相手の名前・存在にやっと巡り合えたかのようでした。


一気に謎が解けて、あまりにうれしくなって、

さっそくネットでいろいろ検索をしていたら、なんと!

この週末に伊丹のAI・HALLで、

ブリキの自発団の主宰だった生田萬さんが、

『夜の子供2 やさしいおじさん』という作品を上演中というではないか!

30年来の謎が解けたちょうどそのタイミングで、

地元の劇場で、後継作品がやっているなんて、

これはもう行くっきゃない!

さっそくチケットを手配して伊丹のAI・HALLへはせ参じました。


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今回の作品は、1986年、バブル絶頂期に生まれた『夜の子供』の続編として、

バブル崩壊期の90年に上演されたもので、

今回、作者の生田萬さんが、

オーディションで選ばれた関西の若手演者たちとタッグを組んで、

新演出に挑んだものです。


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20世紀(ニジッセイキ)最後の大晦日の夜。

とある売れない少女漫画家ヤスベーが、

東京オリンピックを目前に控えた1964年の夏の日を追憶しながら、

マンガを描いていくうちに、

現実の世界と虚構の漫画の世界の壁が徐々に崩れ去り、

あの年眩しかった少年少女たちの甘酸っぱくも苦々しく、

とにかく得体のしれないエネルギーがスパークするような日々の情景が、

にょきにょきと目の前に現れるのでした。


「われ思う、夢にわれあり」

「さよならニジッセイキ」

「お座敷小唄」

「僕があの日飲まなかったコカコーラ」

「ペンシルキャップの宇宙ロケット」

東京タワー舞妓さん付き灰皿」


ノスタルジックを掻き立てる極めて詩的な言葉の数々と

二次元的でダイナミックな表現方法。

2000年大晦日の現実と1964年の虚構を絶妙に行き来する

時代転換・舞台転換の面白さ。

そして何よりも、舞台に対する並々ならぬ熱意がビンビンと伝わる

なんともいえない生っぽさが、どうにもスバラシイ!

特に、主演のヤスベーを演じたサリngROCKさんのなんともいえぬ存在感が気になった。

ちょっとこれから演劇にも注目していきたいなあと思いました。

とにかく今はこの素晴らしい演劇に出会えた喜びを、

コカコーラで祝杯を挙げたいと思います!


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