Hatena::ブログ(Diary)

記憶の残滓 by arkibito

2018-04-03

『梅田哲也/hyslom 船・2017』パフォーマンス・クルーズ

ブログ停滞で少し時間が経ちましたが、

梅田哲也/hyslom 船・2017』パフォーマンス・クルーズについて。


以前から注目していたのだけど、

スケジュールがなかなか合わずにいたイベントにようやく参加できました。

日常のありふれたモノ・コトを使い、

環境や音、光、行動などについて新たな”現象”を引き起こす

ライブ・インスタレーションを行っている、

大阪在住のアーティスト梅田哲也さんと、

様々な冒険や旅を通じて得られた経験や新たなモノ・人との遭遇を

表現に昇華させるアーティスト集団・hyslomの面々が、

大阪の水路や河川・港湾で繰り広げる水上パフォーマンスクルーズです。


あいにく当日は寒の戻りと雨というバッド・コンディションでしたが、

20人ほどが屋根のない小さな船に乗り込んで

東横堀川にある本町橋船着き場を20時に出航しました。

乗客はヘッドホンを手渡され、

そこから様々なアナウンスとともに

言葉のパフォーマンスが流れるようになっています。


本町橋船着場

f:id:arkibito:20180320194747j:image:w360


↓乗船

f:id:arkibito:20180320195901j:image:w360


まずは、阪神高速高架橋に閉ざされた

薄暗い東横堀川をゆっくりと南下していきます。

大阪の水路はちょいちょい船で行き来しているので、

比較的なじみの景色ではあるのですが、

夜中に通るのは初めてなので、また違った味わいがありました。

ふしばらくすると前方にhyslom隊の小さなボートが出現し、

船を先導していきながら、

ライティングやもろもろのパフォーマンスを繰り広げていきます。


東横堀川を南下

f:id:arkibito:20180320201238j:image:w640


いくつもの橋をくぐり、

深緑に淀んだ水面に波紋を刻みながら進んでいくと、

不意に、梅田さんの無線の声が忘れられた水路の物語を紡ぎ始めます。

「ガタロ?何でんねん、そのガタロて…」

まるで怪談話のように低く垂れこめた声が脳天に直接流れ、

その薄気味悪さと、

目の前に広がる非日常の暗闇の世界

(煌びやかな陸の世界の裏側で、確かに存在する暗い水路)が相まって、

まるで異空間へと迷い込んだような錯覚を覚えてきます。

我々は今どこへ引きずり込まれようとしているのか。

まるで長い間川底で息をひそめていた亡霊が、

満を持して水面へ浮上して、

その深い業にまみれた姿を現そうとしているのだろうか。


梅田さんの念仏のような声が異空間へいざなう

f:id:arkibito:20180320201501j:image:w360


↓鈍色に反射する水面

f:id:arkibito:20180320201602j:image:w360


そうやって徐々に、

現実と幻想のあわいに堕ちててゆき

片道切符の黄泉の国への渡しを渡ろうかという矢先、

東横堀川はプツリと切断され、

矛先を直角に変えて道頓堀川へと続いていきます。

それまで明かりの刺さない薄暗い洞穴のようなところを

ぬるぬると滑り抜けていたのが、

日本橋を潜り抜けた瞬間に、

眩いばかりの光の世界へと放り込まれ、

ありったけの栄華を誇るネオンの輝きに、

ただただ魅了され、我を忘れる。

それはまるで三途の川を抜けた先にある

お花畑にたどり着いたのかもしれなかった。

走馬灯のように駆け巡る光と雑踏の渦のなかで、

耳元で念仏のように続く世迷言のような物語だけが、

現実と非現実の輪郭を保ち、

ワタクシという自我をどうにか繋ぎとめるのでした。


↓島之内から道頓堀

f:id:arkibito:20180320201723j:image:w640


↓一気にオモテ世界へ

f:id:arkibito:20180320202532j:image:w640


戎橋

f:id:arkibito:20180320202829j:image:w360


おとぎ話の竜宮城の如く煌く道頓堀の幻想が

儚い夢のように過ぎ去って、

目の前に冥界への入り口のように水門が現れました。

道頓堀川水門です。

道頓堀川は潮の満ち引きによって水位が変動してしまうので、

水位を一定に保つための調整弁として水門が設けられています。

門のこちら側と向こう側では水位が違うので、

船舶の通航時にはゲートを閉めて、

水位を調整する役割を担っています。


この門をくぐれば、いよいよあの世の境地かと、

固唾をのんで水位の調整を見守っていましたが、

実はこの門は”アフリカ”への入り口でした。

温かいサバンナの風が髪をそっと撫でたような、

いや、まさか…


道頓堀川水門

f:id:arkibito:20180320204400j:image:w640


ゲートをくぐると、川の十字路へと躍り出ます。

今辿ってきた道頓堀川中之島から下ってきた木津川がクロスし、

一方は岩崎運河を経て尻無川、もう一方は木津川が南下して、

ともに南港の海へと注ぎます。

一行はそのまま直進して、岩崎運河へと向かい、

環状線の味わいのある鉄橋をくぐっていきます。


↓岩崎橋をくぐって尻無川へ

f:id:arkibito:20180320210025j:image:w640


この辺りはもう海が間近ということもあり、

雨と風が一層激しさを増してきました。

このしぶきを浴びながら、

ただ船舶の鈍いエンジン音だけを頼りに、

闇夜を切り裂いていく。

そこに自然と生まれる緊張感が、

この屋根のない低身の船をD-DAYの上陸用舟艇へと姿を変え、

今まさに死地へと赴くような錯覚を作り出し、

勢いを増す波の揺れとあべこべに高鳴る鼓動が加速してゆく。


ダンケルクかD-DAYのような緊張感

f:id:arkibito:20180320210333j:image:w640


せめぎあう住宅地の合間を抜け、

水路は徐々に幅を広げて、水面と夜空が溶け合う頃、

前方の暗闇におぼろげにアーチ型の水門が浮かび上がってきた。

それはまるで、輪廻の環を模ったような出で立ちで、

生ける場所からの離脱を告げる場所として存在していた。

我々はなす術もないまま、

銀河鉄道の夜がいよいよ石炭袋へと引きずり込まれていく要領で、

そちらへといざなわれてゆく。


↓尻無川水門。国内に3機しかないアーチ型水門

f:id:arkibito:20180320210717j:image:w640


いよいよ、結界を越境して、

河川から闇の海原へ解き放たれると、

どこからともなくhyslom船が現れ、

まるで黄泉の水先案内人のごとく、

まばゆい光線を発しながら波を繋いでゆく。

その光は実に心強く、そしてまた

夜闇に確かな方角を与える北極星のように愛おしい。

少しずつ歩みを速めて、その光へと近づいて行く。

激しい波しぶきに抗いながら、

光の道を絶やすことなく前進し続けてゆくhyslom船は

次第に後方へと小さくなってゆく。

そうしていよいよ、

流れの堰き止められた大正内港へと孤独に歩み出す。


↓アーチをくぐれば海

f:id:arkibito:20180320210209j:image:w640


↓hyslom船のおでまし

f:id:arkibito:20180320210330j:image:w640


↓躍動する発光船

f:id:arkibito:20180320210452j:image:w640


↓さよなら愛しい光

f:id:arkibito:20180320210610j:image:w640


そこはまるで、かつて栄華を極めた面影を

いまだに引きずり続ける廃墟のように

ただモノクロームの世界が広がり、

切り裂く波と、気張り続ける船のエンジン音以外には

何も聞こえない。

無名の画家の描きかけの風景画の中に

突如放り込まれたかのような、

非現実的な時間の淀みを掻き分けながら、

出口を求めて彷徨い続けていると、

黒々とした建造物の塊の一角に刻まれた僅かな隙間を見つけ、

そちらへと身をねじ込んでゆく。

ゆっくりと水をかいて、反対側へと頭を出すと、

そこには黙々と煙を吐いて呼吸する鉛の街が広がっていた。

夜行性の獣達が、

もはや生者でも死者でもなく得体のしれない我々の気配を察して

じろりと眼を光らせているかのように、

毒々しい蛍光の明かりがそこかしこで点滅し、

何処からともなく漂うケミカルな臭いが、

ここに長く留まることを拒絶している。

我々はできるだけ彼らをこれ以上刺激しないように、

忍び足で遥か彼方に見える一筋の光に向かって進む。

その道すがらに、この廃墟の王国のかつての英雄を祀る

墓標のごとくそびえる鉄骨のオブジェが何体も空を突き刺し、

よそ者の我々が二度と侵入しないように見守っている。


↓船町の工場地帯

f:id:arkibito:20180320211750j:image:w640


↓中山製鉄所

f:id:arkibito:20180320212118j:image:w360


↓鉛の墓標

f:id:arkibito:20180320212534j:image:w640


しばらく静かな運河をゆっくりと遡上していくと、

前方が急に開けてゆく。

振り返れば、あの黄泉の世界の最前線に置かれた鉛の要塞が

少しずつ小さくなってゆく。

我々は再び生なる環を模したような橋をくぐって、

無事に生還を果たした。

しかし、一度目が覚めれば、もはや思いだせない夢のごとく

あの夜の世界はもはやなかったことのように記憶を抹消されてしまう。


↓夜の世界が遠くなる

f:id:arkibito:20180320212446j:image:w360


↓再び黄泉のアーチをくぐる

f:id:arkibito:20180320212539j:image:w360


煌々と照らし出された三軒家の水門が、

まるで迷子をしかりつけるような形相で我々を迎え入れ、

この小さな難破船は戻ってきた。

我々の無事を確かめるかのように、

hyslom船は水路の真ん中で役割を終えた光を水の中へと沈め、

今宵蘇らせた水都の記憶を手厚く供養する。

推進力を失ったhyslom船はこの後しばらくの間、力なく漂流したのち、

漆黒の海へと帰っていった。


↓三軒家水門

f:id:arkibito:20180320213651j:image:w640


沈殿する水都の記憶を頼りに、

普段立ち入ることのない水路をあてどなく巡る旅はこうして幕を閉じた。

伝道師の語りを道しるべに、頭の中で一夜限りの筋書きを浮かべて、

日々横たわっている風景を書き換えるというのは

とてもクリエイティブな作業で、

ただ単に風景を切り取ったり、工場萌えな写真を狙うのではない、

新鮮な境地を楽しむことができました。


大阪ドーム千代崎港にて下船

f:id:arkibito:20180320215339j:image:w360


↓運航ルート

f:id:arkibito:20180322111103p:image

2018-03-23

沈殿する水都

かつて八百八橋と称された水の都

煌びやかなネオンに包まれた陸の喧騒や、

街を切り刻むようにして四方へと触手を伸ばす高架線がもたらした

絶望的な影の世界、

あるいは欲望をむき出しにしたブルドーザーによって

容赦なく埋め立てられ、拡張してゆく鉛の街の片隅で、

川とともにあった暮らしの記憶は、

鈍い光沢をたゆらせるヘドロと化して、

忘れられた運河の奥底へとゆっくりと沈殿していった。

季節外れの強い雨と風が夜を切り裂いて、

きゅうきゅうと物悲しい叫び声をあげる闇に紛れ、

伝道師が念仏のように、物語を漕ぎ出せば、

水の記憶が亡者の如く具体を帯びはじめ、

発光船の放つ灯に導かれるようにして、

今ゆっくりと水面へと浮上する。

そう、ここはかつて八百八橋と称された水の都


f:id:arkibito:20180320202032j:image:w640


f:id:arkibito:20180320202741j:image:w640


f:id:arkibito:20180320204005j:image:w640


f:id:arkibito:20180320202831j:image:w640


f:id:arkibito:20180320210519j:image:w640


f:id:arkibito:20180320211431j:image:w640


f:id:arkibito:20180320205737j:image:w640

f:id:arkibito:20180320210916j:image:w640

f:id:arkibito:20180320211341j:image:w640

f:id:arkibito:20180320212212j:image:w640

f:id:arkibito:20180320212446j:image:w640


f:id:arkibito:20180320211316j:image:w640

f:id:arkibito:20180320212539j:image:w640


f:id:arkibito:20180320210352j:image:w640

2018-02-05

NO MORE 広島の旅

随分時間が経ちましたが、

18きっぷ広島の旅の最終章を。


雨に沈む呉の町を後にし、

列車は広島湾をなぞりつつ、

活気あふれる広島タウンへと滑り込む。


↓呉を離れ一路広島へ

f:id:arkibito:20180108094504j:image:w360


昼過ぎには広島を離れて岐路に着かねばならないが、

それまでの数時間で観光と、

やっぱりお好み焼きを食べて帰らないと。

昨晩、ずいぶん贅沢をしたツケで、お財布が心もとなく、

お土産代とお好み焼き代をざっと勘定してみると綱渡り。

ここは経費削減とばかりに、

広電は使わず、徒歩で中心部へと向かう。

まだぽつりぽつりとは降っていたものの、

気になるほどでもなく、駅前大橋、稲荷橋と渡り、八丁堀へ。

そこからアーケードを伝って平和記念公園へ。


まず訪れたのは、原爆ドームのすぐ裏手にある島病院。

言わずと知れた広島原爆の爆心地。

この上空約600mで原子爆弾「リトルボーイ」がさく裂、

人類史上初めて実戦投入された原子爆弾の威力はすさまじく、

広島を瞬時に地獄絵図へと変えてしまいました。


↓原爆ドームの裏にある島病院

f:id:arkibito:20180108110714j:image:w360


↓爆心地

f:id:arkibito:20180108110733j:image:w360


そこからすぐのところにある原爆ドームへ。

当時、広島県産業奨励館としてモダンな佇まいを見せていた建物は

日光の数千倍の熱線と、

衝撃波を伴う秒速440メートル以上の爆風にさらされ

350万パスカルという爆風圧をほぼ直上から食らいました。

衝撃を受けた角度や、

窓が多く衝撃が外へ抜けやすい構造だったことなどから

その骨格だけは破壊をまぬかれ、

人類の負の遺産として残ることになりました。

灼熱の炎と想像を絶する衝撃にさらされた残骸は、

戦争の悲惨さや原爆の恐ろしさを伝える遺産でもあり、

ひいては平和を願うシンボルでもあります。

身の引き締まる思いがします。


↓原爆ドーム

f:id:arkibito:20180108111111j:image:w640


↓生々しい衝撃

f:id:arkibito:20180108111206j:image:w640


そこから見えている橋は相生橋。

すずさんと周作が、ばけもんにさらわれて、

初めて出会った場所として描かれています。


↓相生橋

f:id:arkibito:20180108111359j:image:w640


↓相生橋

f:id:arkibito:20180108111453j:image:w360


平和記念公園へ足を踏み入れます。

かつてここには活気あふれる中島町という下町が広がっていました。

しとしとと涙色にくれる空の下、静かな緑の中を歩きます。

原爆の子の像のところには、全国各地、世界各地から届けられた

平和の祈りが込められた無数の折り紙の鶴が備えられています。

アメリア大統領として初めてこの地を訪問したオバマ大統領も

千羽鶴を折ったことで、注目を浴びていますね。


↓平和記念公園

f:id:arkibito:20180108111533j:image:w640


↓原爆の子の像

f:id:arkibito:20180108111928j:image:w360


それから黙々と灯り続ける平和の灯へ。

あの日街を焼けつくした炎と同じ火。

でもこの日は、あの日の思いを灯し続け、

一井の人たちのささやかな暮らしを照らし続けるための火。

なんといってよいやら言葉もない。


↓平和の灯

f:id:arkibito:20180108112017j:image:w360


↓原爆慰霊碑

f:id:arkibito:20180108112208j:image:w640


さらに独特な静寂に包まれた公園を歩きます。

重たすぎる歴史がこの場所に根差しているのがひしひしと伝わる感じ。

1.17の東遊園地のあの感じを思い起こします。

そうして広島平和記念資料館に立ち寄ります。


↓広島平和記念資料館

f:id:arkibito:20180108112451j:image:w360


入ってすぐのところに、

原爆投下の様子を再現したCG映像があります。

かなり生々しくショッキングですが、

目を背けてはいけない事実。

動画を上げておきますが、

ぜひ一度現地で目の当たりにしてほしい。

あの日、あの場所で、息づいていた一井の人たちの暮らしが、

一瞬で跡形もなく焼き尽くされ、破壊されたのだ。


↓失われた人々の暮らし

f:id:arkibito:20180108112758j:image:w640


↓ショッキング

f:id:arkibito:20180108113055j:image:w640


D


↓核兵器の危険性(右は原爆投下命令書)

f:id:arkibito:20180108113538j:image:w640


↓原子爆弾のモデル(ファットマンとリトルボーイ)

f:id:arkibito:20180108113819j:image:w640


本当ならもっとじっくりと時間をかけてみて回りたかったが

そろそろ時間的な余裕がなく駆け足になってしまいました。

それでもこの場所で起こってしまった事の重みと、

子供たちや次の世代へ自分がやれることは何かという自問と、

にわかに物騒になりつつある今の日本への憂国心とについて

深く考えざるを得ない。

人類の歴史上唯一の被爆国でありながら、

核兵器禁止条約に参加しようとしない矛盾。

”想定外”の大地震によって深刻な被害を被りながら、

原発を推進・再開し、原発ビジネスに依存し、

他国に技術を輸出し続ける矛盾。

そして、芸能人とは仲良く会食するのに

核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)の事務局長とは会おうとせず、

アメリカの武器商人の言いなりで、

暴走を続ける現政権が、その危険が明らかなのに、

今もって権力の座を確固たるものにしてしまっている国民の意識の矛盾。

そろそろ本気で考えないといけないんじゃないかニッポン。


続いてお隣の国立広島原爆死没者追悼平和祈念館へ。

地下へらせん状に続いていく通路を折り、

静まり返った慰霊所でしばし佇む。

外国のツーリストが多数訪れていて、

熱心に解説を読んだり、

目をつむって黙とうしているような姿がとても印象的だった。

まぎれもなく起こってしまった事実を目の当たりにすれば

戦争が、そして核兵器が、いかに悲惨で残忍でどれだけ野蛮なのか、

万国共通で理解できるはずだ。

あれこれ机上の空論を戦わせて、

一見して、さも高尚な理念や理屈を振りかざしてみても、

結局は誰かが、他人の犠牲を払って、己が利益を優先しているに過ぎない。

そしてそれが可能なのは、

一般の市民ではなく、権力のある人間に限られる。

だからこそその権力ある人間を、あらゆる手段・方法を用いて、

常にウォッチし、精査し、批判しなければならない。

それが自由民主主義によってもたらされた権利であり義務であるはずが、

その根本を政治家はもちろん、多くの国民が忘れ去ろうとしている。

自分の都合さえよければ、自分の利益さえ確保できればそれでよし。

それではもはや公共の理念は保てないし、国民国家の体をなしていない。

面倒なことは専門家に丸投げ、どうせ変わりようがないと投票を放棄して、

権利をドブに捨てているうちに、

実はそれが自らの意思で行使しないということだったのが、

いつの間にかその権利をはく奪されているということに、

巧妙にすり替わっていく静かなる恐怖。

それに気づいた時にはもうはや手遅れ、

などということにならなければよいが…


↓国立広島原爆死没者追悼平和祈念館

f:id:arkibito:20180108115614j:image:w360


↓戦没者リスト

f:id:arkibito:20180108115718j:image:w360


↓雁木

f:id:arkibito:20180108120229j:image:w360


平和記念公園で一通り見て回り、

色々な思いを胸に秘めてそろそろ帰り支度。

そのまま広島駅を目指し歩きつつ、

どこかでお昼ご飯を食べてから出立。

有名店はどこも昼時は観光客の行列で、とてもじゃないが待てない。

どうしようかと路地裏を歩いていると、

空いているお店があったので飛び込みます。

「みっちゃん太田屋」さん。

あの有名な方の「みっちゃん」とはたぶんあまり関係がないです。

地元の人たちが主なアットホームなお店。


↓みっちゃん太田屋

f:id:arkibito:20180108131425j:image:w360


↓やっぱ鉄板前はええです

f:id:arkibito:20180108124949j:image:w360


スペシャル(生イカ・えび・肉ダブル・玉子)のそばと、

おビールを注文。

鉄板のカウンターに座りながら、

たくさんのお好み焼きが焼かれていくのを眺めつつ。

大阪のお好み焼きとは違って、広島のはほとんど生地がなく、

キャベツ焼きに近い感じ。

大きなコテでぎゅうぎゅう押し付ける焼き方も大阪とは全く違います。

ハフハフ言わせながら香ばしいキャベツと、

プルプルの麺を味わいました。


↓いただきます♪

f:id:arkibito:20180108125109j:image:w640


あっという間に食べ終えて、大急ぎで駅へ向かいます。

駅の売店でおみやげをチャチャッと買って、

混雑する糸崎行の列車に飛び乗ります。

帰りはなけなしの所持金で買った

カープハイボールとイカフライでチビチビやりつつ。

帰宅したのが20時ごろでした。


↓呑み鉄モードで帰ります

f:id:arkibito:20180108150355j:image:w360


↓かすむしまなみ海道

f:id:arkibito:20180108150828j:image:w360


↓尾道通過

f:id:arkibito:20180108151705j:image:w360

2018-01-29

梅湯にて

某日。

仕事終わりに野暮用で京都まで。

あっさり終えて、向かったのは京都五条のサウナの梅湯。

京都自体が久しぶりなので少し空きましたが、

その合間にも、年末年始のオールナイト営業やら、

銭湯啓蒙活動で、ダンナの湊君は大忙し。

年始の早いうちに挨拶をと思っていたのだが、気づけば1月駆け込み。

遅ればせの祝いの酒をお渡しし、しばし雑談。

銭湯好きとしては、

イケイケイどんどんで頑張る梅湯を応援していきたいです。

風呂はちょうど客がはけたところで、しばし独占。

せっかくなのでサウナ・水風呂ループ。

個々のサウナはほかより3割増しくらいで熱い!!

これがたまりません。

ええお湯いただきました。


↓サウナの梅湯 (湊君写ってる)

f:id:arkibito:20180124190959j:image:w360

2018-01-24

『この世界の片隅に』聖地巡礼

先日の呉のはなし。

『この世界の片隅に』の舞台となった呉の町を歩いて、

すずさんたちの暮らしぶりを偲ぶというのが旅のメインでしたが、

時間の関係でまずは灰ヶ峰への山登り。

(山登り記事→http://d.hatena.ne.jp/arkibito/20180115/1516008181

下山して、宿への道すがらに、

山の手側の聖地巡礼スポットをめぐることにします。


ちなみに呉駅やインフォメーションには、

映画のロケ地マップが掲示されていて、便利です。

ある時期まではMAPを配布していたようだけど、

この時は見つけられなかったので、

ひょっとしたらもう品切れかもしれませんね。


ちなみに聖地巡礼の記事を上げる際は必ずお断りしていますが、

各施設は決して観光スポットや商業施設ではなく、

地域住民の生活の場ですので、

むやみに大勢でどしどし訪れたり、大きな声で騒いだり

近隣の迷惑にならないようにくれぐれも

マナーを順守してください。

ちなみに写真のキャプションの番号は

一番下の場面一覧と一致しています。


↓ロケ地MAP

f:id:arkibito:20180107132844j:image:w360


↓インフォメーション

f:id:arkibito:20180108093319j:image:w360


↓バス停にて。三ツ蔵までの案内

f:id:arkibito:20180107133121j:image:w360


登山口からまずはすずさんたちが住んでいたとされる

某地区へ向かいます。

呉の町は、四方を山に囲まれた小さな平野部で、

そこに向けて灰ヶ峰をはじめとする山々から、

四方に枝分かれした支尾根が海へ向かって伸びており、

その起伏にへばりつくようにして住宅街が広がっています。

ちょうど映画でも周作さんが説明しているように、

山が四方を取り囲んでいて、

九の嶺(山)=九嶺(きゅうれい)が訛って、

呉という地名の由来になったともいわれています。

なので、呉の町を横断しようとすると、

いくつもの支尾根をまたいでいくことになるので、

何度もアップダウンが続きます。


↓呉は坂の町

f:id:arkibito:20180107161625j:image:w360


難儀しながら、階段をこなしていくと、

進行方向に鉢巻山の山並みが見えます。

すずさんが、畑から自宅から何度も仰ぎ見た空と山の景色。

ある時は、あの山を旋回する戦闘機の空爆が、

色とりどりの噴煙をあげ、

ある時は、あの山の向こう側に、

今までに経験したことのないような眩い閃光が走り、

おどろおどろしいキノコ雲が沸き起こったのです。


↓鉢巻山の向こう側で原爆が…

f:id:arkibito:20180107162527j:image:w640


映画で描かれていたすずさんたちの住まう地区は、

相当に山の高いところで、

その斜面を削り取って家屋や田畑を造成していましたが、

実際にこの辺りは相当な急斜面。

そこにしがみつくようにして建物がひしめき合っています。

現在ではたくさんの建物が立って、

当時とは全く違う景色でしょうが、

恐らくこの地形だけはそのまま変わっていないと思います。

呉の町とこちらと、荷物を担いで徒歩で行き来するというのは

それだけでも結構な重労働だったろうと思います。


↓すずさんの集落

f:id:arkibito:20180107162749j:image:w640


↓西教寺

f:id:arkibito:20180107164118j:image:w360


↓こういう急斜面に暮らしてたのかな

f:id:arkibito:20180107164407j:image:w360


個人的な経験則として、

坂道のある町にはドラマがある。

大好きな尾道もそうだし、長崎もそうだし、塩屋もそう。

そしてこの呉の港町もそうだ。

平地に比べて、登ったり降りたり、

”道のり”というものがより実感として伝わるからかもしれない。

その距離的なもの、地理的なものが

町の印象に奥行きを与えるからだろう。

そして、その奥行きによって生み出される

様々な暮らしのドラマを1つ1つ垣間見るというのは、

旅の醍醐味でもある。


↓(1)辰川バス停

f:id:arkibito:20180107163012j:image:w360


↓すずさんの生活道

f:id:arkibito:20180107163042j:image:w360


↓すずさんの生活道

f:id:arkibito:20180107163153j:image:w360


↓(2)畝原自治会館

f:id:arkibito:20180107163121j:image:w360


↓(3)旧辰川小学校

f:id:arkibito:20180107163828j:image:w360


いくつか近辺に描かれているスポットを見て回り、

そのまま海側に向かって降りていく。

途中、聖地巡礼のシンボル的なスポットに出ます。

「三ツ蔵」と呼ばれていますが、

国の重要文化財「旧澤原家住宅」で、

中国地方を代表する大規模商家の暮らしぶりを今に伝えています。

すずさんが呉の町へ出るシーンで何度か登場し、

とても印象に残る特徴的な建物です。

それにしても映画の描写は実物そのまんまです。

思わず、すずさんの暮らしていた時代の呉の町へとタイムスリップ。


↓(4)三ツ蔵

f:id:arkibito:20180107164631j:image:w640


↓三ツ蔵

f:id:arkibito:20180107164731j:image:w640


山間から呉の中心部へと下ってきました。

ちょうど降り立った地点から少し進むと、

遊女のリンさんと出会う朝日遊郭のあった朝日町。

もはや当時の面影は全く残されていないが、

付近に流れる堺川の橋に「朝日橋」の文字が刻まれている。


↓(5)帰りの目印の郵便局のあったところ

f:id:arkibito:20180107165619j:image:w360


↓(6)遊郭のあった朝日町

f:id:arkibito:20180107165653j:image:w360


↓朝日町

f:id:arkibito:20180107165847j:image:w360


↓朝日橋

f:id:arkibito:20180107170329j:image:w360


何か痕跡らしいものは残っていないかしらんと

散策していると、妙なものを見つける。

バスが通る並木道には等間隔で電信柱が並んでいるのだが

そのうちの1つだけ、どうも形状がおかしい。

近づいてみると、

何か元あった一回り大きな土台の上?中?に電信柱が伸びている。

場所的に、ひょっとしてこれは

遊郭の入り口に立っていた楼門の一部なのかもしれない。

確証は得られないので、間違いかもしれませんのであしからず。


↓(7)遊郭の裏門

f:id:arkibito:20180107170343j:image:w360


↓おや?

f:id:arkibito:20180107170442j:image:w360


↓表門の跡?

f:id:arkibito:20180107170500j:image:w360


朝日町を後にし、付近を散策。

ここから少し山間へ戻ると、千福さんがあります。

「千福一杯いかがです〜♪」のCMでおなじみの

呉の銘酒・千福を醸す三宅本店さん。

以前、呉を訪れた際に、工場を見学させていただいたことがある。

ちなみに呉の地酒には、この「千福」のほかに、

最近勢いのある「雨後の月」や「華鳩」、

「白天龍」「水龍」「宝剣」「音戸の瀬」「三谷春」とあり、

広島きっての酒処でもある。

それもそのはず、先ほど上った灰ヶ峰の湧き水が呉の町の出発点であり、

名水を求めて港が造られ、酒が造られる。

土地と暮らしはいつでも一体なのだ。


↓千福

f:id:arkibito:20180107134740j:image:w360


さて、そろそろ街へと戻ろう。

朝日町を抜け、相生橋のたもとへ。

堺川から一筋入った何の変哲もない路地を歩く。

ここはすずさんが、砂糖を求めて出かけた

「東泉場」と呼ばれる闇市が開かれていた場所。

これより海側は歓楽街だったり、海軍の工場地帯で、

ここが呉市民の台所として栄えていたのである。

その一角はには今の地元を支えるスーパーが建っていて、

やはり場所の役割は時代を経ても引き継がれている。

と、よく目を凝らしてみると「とうせんば」の文字を発見。


↓(8)砂糖を買いに行った東泉場のあった一帯

f:id:arkibito:20180107170830j:image:w360


↓今は三和ストアー

f:id:arkibito:20180107170949j:image:w360


↓とうせんば!

f:id:arkibito:20180107171009j:image:w360


そのまま駅方面へ進んで、中央橋に出る。

振り返ると、夜の帳にひっそりとフェイドアウトしようとしている

灰ヶ峰の黒いシルエット。

映画のラスト、戦争孤児となったヨーコをおぶって、

広島から戻ったすずと周作がぽつぽつと家路につくシーンそのままだ。

帰る場所がある。

それが幸せの第一歩だとでもいう風に。

思い出すだけでも泣けてくる。


↓(9)帰り道

f:id:arkibito:20180107171525j:image:w360


この日の最後は堺川にかかる小春橋。

当時、市電が通っていた目抜き通りの堺橋のひとつ上流の橋です。

忘れ物をとどけてくれるようにと周作から電話を受けたすずさんは、

珍しくお化粧をパンパン。

周作には白すぎると言われてしまいますが、

そこがまたすずさんのかわいらしいところ。

せっかくだからと映画デートへ繰り出すも、

ちょうど艦艇が寄港していて町は大混雑。

仕方なく映画をあきらめて、

2人がたどり着いたのがこの小春橋でした。


↓(10)小春橋

f:id:arkibito:20180107203300j:image:w360


ということで、

ひとまず1日目の巡礼はここでおしまい。

翌日の朝に海側をめぐります。


翌日8時に宿を出て、呉の海側へ向かいます。

空はどんよりと雲が垂れ込め、しとしとと冷たい雨。

なんとなく物悲しさを帯びた呉の町。

宿は本通りに面していて、

少し歩くと「四ツ道路」の交差点。

この言ったには呉で一番大きな闇市が建った場所だそうです。

今は当然その面影もありません。


↓四ツ道路

f:id:arkibito:20180108082037j:image:w360


そのまま本通りを進み、

JR線をくぐるところが「めがね橋」という交差点。

めがね橋はJR線の高架の橋を指すのではなく、

ここには昔本当にアーチ形のレンガ橋が水路に架けられ、

一般市民と海軍との区域の境界線としての役割を果たしていました。

(今でもひっそりと地下に埋められているらしい)


JR線をくぐると、映画で特徴的な風景として残っている

旧海軍下士官兵集会所(通称・青山クラブ)の建物が見えます。

軍港が入港時に、下士官と水平の滞在用の施設として立てられたもので、

丸いコーナー部分がユニーク。

耐震問題で、取り壊しが検討されていましたが、

多くの市民の要望が叶って、つい先日、

全面保存に方針が転換されました。

これも映画の影響が多分にあったと思います。

この辺りはすでに、海軍の敷地内で、

すずさんが忘れ物を届けるシーンで登場します。


↓(11)めがね橋のところ

f:id:arkibito:20180108082424j:image:w640


↓(12)集会所前

f:id:arkibito:20180108082629j:image:w360


入船山公園を右手に、緩やかな坂道を登っていくと、

ドンツキに階段があります。

径子と晴美ちゃんが元夫の下関の家へ向かうため

駅に来たのだが、すごい混雑で待たされる間、

空襲で負傷した義父・延太郎が入院していた

海軍病院へとお見舞いに行きます。

その病院がこの階段の先にあり、

今でも医療センターが建っています。

ちなみにこの階段は現在は通行禁止になっています。


↓(13)病院への階段

f:id:arkibito:20180108082604j:image:w640


さらにそこから、坂道を進んでいきます。

現在、高校の敷地となっているところが、

映画で、突然の空襲警報ですずさんと晴美ちゃんが

逃げ込んだ共同防空壕のあったところです。

駅にいるお母さんを心配し、不安がる晴美ちゃんのため、

すずは得意の絵を地面に描いて落ち着かせます。

空襲が止み、外へ出た2人は防火用水用の水でのどを潤します。

そして…


晴美「ねえ すずさん、あっち見てってええ? 

何の船が居りんさったか お兄さんに教えてあげるん」

すず「えー見えるかね?」

晴美「ちいとだけ ちいとだけね?」


2人は、駅とは反対の方向へと歩き出してしまいます…


↓(14)防空壕のあったあたり

f:id:arkibito:20180108083724j:image:w640


たどり着いた高台。

普段は遮蔽壁が張り巡らされて、

軍港の様子を覗き見ることはできません。

しかし、あの日、

空襲によって1か所だけぽっかりと穴が開けられてしまいました。

晴美ちゃんは無邪気にそちらへと駆けてゆく。

すずさんも手を引っ張られてついて行く。

そこからは海と港の様子がすっきりと見渡すことができました。

しかし、その瞬間、悲劇が二人を襲いました。


ほんの少し気づくのが早ければ。

あるいはもう少し近づくのが遅ければ。

寄り道をせずに、駅へ向かっていれば。

あの日お休みをせずおとなしく学校へ通っていれば。

でも、もう時間は巻き戻りません…。


晴美ちゃんはただ、お船が見たかった。

下関のお兄ちゃんへのみやげ話に。

すずさんはただ、その気持ちに応えてあげたかった。

ただそれだけのこと。

ただそれだけのことだったのに。


戦争はすべてを奪う。

世界の片隅のささやかな日常でさえも。

得るものなど何一つない。

ただ残酷で悲惨な愚行。

それでも、今日もなお世界から戦争はなくならない。

そしてこの日本でさえも、

その恐怖がひたひたと現実味を帯びている。

戦争はいけない。戦争はいけない。

すずさんや晴美ちゃんのような悲劇を二度と生み出してはいけない。

そんな反戦への気持ちを新たにしつつ、

晴美ちゃんとすずさん、

そして実際に空襲に遭われた呉の人々、

戦争で亡くなったすべての方々を思って、

そっと手を合わせました。


すずさん、空が泣いています。


↓港が見渡せる高台

f:id:arkibito:20180108083938j:image:w640


↓(15)悲劇の場所

f:id:arkibito:20180108084042j:image:w640


ここからは呉の港の様子がよく見渡せます。

ちょうどこの日は、呉港をベースとしている

護衛艦「加賀」がドック入りをしていました。


↓ドックが見えます

f:id:arkibito:20180108084245j:image:w640


↓護衛艦「加賀」

f:id:arkibito:20180108084901j:image:w640


↓見応えあります

f:id:arkibito:20180108085014j:image:w640


↓立派な産業遺産

f:id:arkibito:20180108085241j:image:w640


しばらく留まっているうちに

随分と雨が強くなってきました。

悲しくてやりきれない気持ちを引きずりながら、

とぼとぼと海自の呉地方総監部へと下ってきました。

そこから自衛隊の敷地を抜けて、

中央桟橋に到着。

いよいよ呉の旅の終着点です。

現実の世界と映画の世界、

2018年と1945年、

時代と世界を頭の中で行き来しながら、

とても印象的な街めぐりをすることができました。


↓中央桟橋

f:id:arkibito:20180108091725j:image:w360


↓中央桟橋より

f:id:arkibito:20180108091936j:image:w640


↓中央桟橋より

f:id:arkibito:20180108092135j:image:w360


↓オマケ(てつのくじら館)

f:id:arkibito:20180108092918j:image:w640


次の目的地、広島へ向かうため駅へ。

電車まで少し時間があったので、駅の売店をのぞくと、

いくつか関連のグッズがありました。

娘にはタオルや文房具、自分みやげにお酒を購入。

お酒は特製ラベルの千福。

きっと北条家でも祝いの時に飲まれていたことでしょう。

このお酒は次の8月6日まで大事に取っておこうと思います。


↓『この世界の片隅に』ラベル

f:id:arkibito:20180108194355j:image:w360


↓千福さんのお酒です

f:id:arkibito:20180108194440j:image:w360


f:id:arkibito:20180116133036j:image:w360