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記憶の残滓 by arkibito

2017-11-08

『京都で考えた』 by 吉田篤弘 トークショー at 恵文社一乗寺店

随分後回しになってしまいましたが10/17の火曜日。

仕事終わりで京都一乗寺恵文社さんへ。


自分が言葉の師匠として勝手に崇拝している人が何人かおられますが

そのうちのお一人が、作家兼グラフィックデザイナーである吉田篤弘さん。

奥様の浩美さんとのユニット活動である、

クラフト・エヴィング商會といえばわかる方もおられるかもしれません。

わが家の膨大な本棚の中で、この吉田篤弘さん(といしいしんじさん)だけが、

明確にコーナー化して、一角を担っています。

ある意味我が家の聖域。

そんな大ファンである吉田さんが、応援している小さな出版社・ミシマ社から、

京都で考えた』という本を出される、

その記念トークショーに行ってきました。


恵文社一乗寺店

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イベントはリリースからすぐに満席で大盛況。

来られているのは女性の方が圧倒的に多かったように思います。

まずはミシマ社の社長・三島さんのあいさつでスタートし、

お二人が登壇。

クラフト・エヴィング・ラジオと銘打って、

事前に参加者から得たアンケートを、

リスナーからのはがきと見立てて、

それに答える形でトークを展開していくというスタイルでした。

言葉を慎重に組み立てながら、精密なデッサンをするようにして話を進める

篤弘さんの紳士的かつ職人的な話しぶりと、

それとある意味対照的に、

音楽的なテンポで感情豊かに合いの手を挟む浩美さんとの掛け合いが

非常に軽快かつ心地よく。

また様々なヒントになりうるような内容で、

非常に有意義な時間でした。

話の順を追うのは、もうすでに結構時間が経過しているので難しいですが

気になったコトバや話題を書き留めておきたいと思います。

(一部、自分なりの解釈が混じっているので、

必ずしも100%ご本人の意図通りじゃないかもしれません@@)


トークショーです

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◆言葉は豊かになりましたか、軽くなりましたか?

色々な質問がある中で、

なんと自分が書いた質問も採用していただきました。

質問の内容は、

「以前と比べて、コトバは豊かになりましたか。

もしくは軽くなりましたか。(世間一般的に)」というものでした。

篤弘さんによれば、言葉は移り変わっていくものでそれでいいんです、

じゃんじゃん変わればいいんですよということでした。

ただし、最近の風潮として、

このセリフを言えばすべて伝わるだろう的な便利なフレーズに、

自分の本意を丸投げしてしまうようなことが往々にあって

それは決してコトバが豊かとはいえないのではないだろうか。

そういう風な風潮が生まれたのも、

でたらめだらけのネットを簡単に鵜呑みしたり

それを使って簡単に答えを得るというところがあって、

やはりちょっと思考的ではないということでした。


篤弘さん個人の移り変わりという点でいえば

篤弘さんは昔から小説家になりたい、絶対なると思っていたが

ある境から明確にプロの物書きになったというよりも、

いつの間にか小説家になっていたような感じで、

デビューしてからが大変な修行、下積みが始まったそうです。

なので、言葉との豊かさというものについても

徐々に積み重ねていったもので、

以前にはコトバを尽くして書くこともやってきたが、

今はシンプルなものを選び取ってシンプルに書きたいし、

シンプルにならざるを得ない。

言葉の一つ一つを吟味して研ぎ澄ましていくという意味では

個人的に言葉は豊かになっているように思うし、

そうありたいということでした。

篤弘さんの理想的な物書きの在り方として面白い例を挙げていて

ヴィム・ヴェンダース監督の名作『ベルリン天使の詩』に出てくる

天使のような存在になりうるものを書きたい、

つまり、自分の書いたものが、

一井の人たちにそっと寄り添い見守りながら、

元気づけたり勇気づけたりして、

その思いが成就すれば、また別の人へと移っていくような

そういうものになれたらということでした。

とても慈悲深い考え方だと思います。


◆デザインは”止めどころ”の連続

一方、奥様の浩美さんはデザインを主に担当されていて、アンケートで、

どうやったらそんなセンスのあるデザインが生まれますかという質問に対して、

デザインはそもそも制約だらけで、その制約をかいくぐり、

簡略化してどれだけ美しいかが問われるのが

デザインの本質だとお答えになられていました。

つまり、本の装丁でも、何かの商品の広告チラシでも、

実際の中身や製品から、その本質だけを抽出して、

それを万人に(あるいは特定のターゲットに)、

わかりやすく魅力的に伝えるのがデザインなのだから、

基本は引き算の作業で、それは突き詰めればいくらでもやれるわけで、

何を抽出するか、どこでよしとするかがデザインであって、

その”止めどころ”をいかにうまく決めるか、

というところがいわゆるセンスが問われるところ、

それを磨くには、やはり経験と、

あとは真似をすることが一番だということでした。


◆すべては台所のテーブルから始まる

吉田さんはご夫婦で、

クラフト・エヴィング商會というユニットとして活動されていますが、

その生活の様子などもたくさん話題に上りました。

デザインや物語の出発点は、自宅の台所で、

そこの壁に気になるコトバや素材を張り出して、

そこから物事を組み立てていったり、2人の価値観を共有したりするそうです。

篤弘さんはとにかくハンター気質だそうで、つまりは収集癖の人。

毎日自転車をこいでは、本とのめぐり逢いを求めて本屋へ行き、

大好きなスーパーマーケットをはしごしながら、

品質の良い食材を探し求めたり、

案外アクティブな生活を送っているようです。

一方、奥様の浩美さんは、

旦那さんが買い求めた食材を使って、

あれこれ料理するのが上手だそう。

こうやって、2人がそれぞれの個を持ちつつも、

交わる部分ではうまく交わっていくというのは

本当に理想的なパートナーだなあと思います。

わが家も、こんな高尚で文化的な活動とは程遠いですが

工作部隊としては同じようなパートナー関係なのかなと思ったりして。


◆夜にラブレターは書かない方がいい

ユニットとして活動する最大の恩恵は、

お互いをジャッジする存在が確保できることだそうです。

何かに熱中したり夢中になってしまうと、

逆にそのもの見えなくなってしまうようなことがあって、

そういう場合に、ポンと別の視点で指摘されて、

初めて誤りに気づいたり、”止めどころ”を得たりすることができる、

というのはものすごく実感として共感できます。

普通は、自分の中にもう一人の自分がいて、その役割を担うんだけど、

それが集中しすぎてうまく機能せず盲目になって、

気づいたら度が過ぎてしまうことってよくあります。

そういう時に冷静にこうじゃない?と気軽に指摘できる相手というのは

本当に貴重な存在だなあと思います。

なので、吉田さんのところでは、

デザイン作業をするPCは1台しか置かないようにしていて、

そうすると、どっちかが作業するとすれば、

おのずともう一方は作業できずに、

客観的俯瞰的に相手の作業を見ることになるので、

そういう関係性を維持できるのだそうです。

ナルホド〜。


◆本を買うということは未来と約束している行為

今回一番ハッとさせられたコトバかもしれません。

本を買うということは、つまり未来の自分を楽しませたい、

未来にすることをあらかじめ用意する行為で、

それはつまり前へ進む、極めてポジティブな行為なのだということ。

それはお弁当を作る、宿の予約を取る、なんでもいいのだけど、

つまり人間は、常に未来に向かって行動する生き物だということです。

至極当たり前のようなことのようですが、

改めてコトバで指し示られると非常に重たいコトバだと思います。

さらに、吉田さん曰く、図書館で本を借りるということはよくない。

なぜなら一度手に取った未来を返却することになるから。

さすが!


京都について

京都についての話題ももちろんありました。

京都に来るとこどもの頃の時間を考えるそうで、

それはご先祖が昔京都から出てきたと思われるいわれがあって、

その縁なのではないかということでした。

篤弘さんは東京では、どこへも基本自転車で移動するのが常らしいですが、

コンパクトな町、自分の中でおおよそを把握できる町が好きだということです。

そういう感覚は小説の中の町の描写や世界観にも

間違いなく反映されているように思います。


◆『京都で考えた』の出版の舞台裏

今回出された本は、ミシマ社の三島社長から6年も前に依頼されていたそうで、

それもまず、これくらいのサイズの厚みで、

持った時の感じはこんな風な本を書いてほしいと、

束(つか)見本を提示されて始まったそうです。

まあ普通そんな風にパッケージから入って

作品を組み立てるなんてことは聞いたことがありませんが、

その工程はまさにデザイン的な発想だなと思いました。

依頼が来た当初は、

現在、何もかもが東京一極集中物事が動く社会になっている日本で、

それによって生じる様々な問題や軋轢に対して憤りの念があり、

そのことを本にしようと思ったそうですが、そんな感情を書いたとて

読者はちっとも楽しくならないだろうということでやめたそうです。

そこで、文化的な発信基地として京都はまさにぴったりで、

出版業界も京都をベースとして回っていけば、

面白い風に回っていくのではないかと

ポジティブな方向へ向かっていったそうです。

自分も、仕事柄、地域活性や地方再生という

話題や取り組みに触れる機会が多いですが、

なにも東京でないとできないということは実際何もないし、

東京に対する劣等感とか、

格差という点から物事を発想するのではなくて、

その土地土地の特色や強みを

もっとポジティブに展開できるのではと思います。

文化の度合いでいえば京都は圧倒的に深く長い歴史があり、

利益追求型の経済的活動よりも

文化的な様式を重んじる風土や風潮が生活の隅々までに浸透していて、

ゆったりとした時間がはっきり流れていることを考えれば、

文化や出版といった分野が

一斉に京都に遷都するというのは自然な発想だと思います。


こういった具合に多岐にわたる質問に対して、

とても真摯に受け答えをされ、その端々に、

やはりコトバを生業にしている人ならではの重みだったり説得力を感じ、

非常に貴重な時間を過ごすことができました。

また本の世界ではもちろん、

こういった機会に直接お話を聞けたらなあと思います。


↓本を買うことは未来を買うこと!

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↓サイン

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さて、イベント後は、スタッフとして来ていた

ミシマ社のT居君と久しぶりにお会いしておしゃべり。

金曜日だけの本や営業にはなかなかお邪魔できないのだけど、

また遊びに行きます。


後日談。

せっかくならということで、お土産を持参したのですが

イベント後はお二人とも別用のためすぐに発たれてしまい

T居君にお預けしていたのだけど、

先日、ご本人から直々にお礼のメールをいただきました。

まさかまさか。

目の前でトークを聞けただけでも幸せ者なのに!

本当に、つくづく、つながるということを噛みしめております@@

2017-10-04

耳すまごっこ

ワークショップを終えたのが15時。

帰りの新幹線が21:10発の便なので、

その間にもうひとつお遊びをしに行きます。

皆さんに挨拶をして宮益坂を下りて渋谷駅を目指すが、

渋谷は町全体が再開発中なので、ようわからん!

京王井の頭線にようやくたどり着き、明大前で乗り換え。

どこもかしこもエライ人だかりで、やっぱり東京は疲れる@@

そうして16時過ぎごろに、目的地である聖蹟桜ヶ丘駅に到着。

ここは前回の東京遠征でも来ましたが、

ジブリ映画『耳をすませば』の舞台となった町のモデル。


↓詳しくはこちらの記事

http://d.hatena.ne.jp/arkibito/20170314/1489459971


長女がこの映画をいたく好きで、それなら一度連れて行ってあげようと。

ついでに、娘に月島雫になってもらって、

映画に登場したシーンを再現してみることにしました。


まずはトイレで服を着替えて駅周辺で、

角川アニメージュ本と現場を見比べながら、写真をバシバシ。

行き交う人からは、あらかわいいねえという声も聞こえて、

娘もノリノリ。


月島雫現る!?

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もう西の空が赤く染まりはじめ、日没サスペンデッドが近いので

とりあえず、桜ケ丘の高台にあるロータリーまでタクシーで移動。

そこは、地球屋がある設定のところ。

一角にファンが集う喫茶店があり休憩したかったが、

もう30分で日が暮れてしまうので断念し、

駅まで戻りながら撮影を優先します。

本と比べっこしながら、娘にポーズを指示してバシバシ。

撮影してわかるのは、やはり2次元の動きは、

アクションがはっきりわかるように相当デフォルメされていて、

実際にそのポーズをしてみると、手の動きとか足の向きとか、

なかなかハード。

足を上げながら、娘も「早く〜!!」と苦しい声をだしながらも

頑張って雫になりきっていました。


↓その1

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↓その2

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↓その3

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↓その4

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↓その5

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↓その6

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↓その7

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↓その8

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↓その9

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↓その10

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↓その11

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駅に戻ってくることにはすっかり日が暮れてしまいましたが、

それなりに満足のいく撮影ができました。

娘も大好きな映画の舞台に来ることができて

相当うれしかったようで何よりでした。

2017-09-25

レトロ印刷JAM

土曜日は、昼からレトロ印刷さんへ。

いろいろご相談と発注。

ここで作業する必要もあって半日仕事。

ええ感じになればええなあ。


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2017-09-15

帝国劇場 ミュージカル『レ・ミゼラブル』

ちょうど30年前。まだ小学生だった自分が、

よくわからないまま母親に手を連れられて、初めて観に行ったお芝居、

それが日本初演の『レ・ミゼラブル』だった。

『ああ無情』というタイトルで出ていた

子供向けの世界文学をすでに読んではいたものの

お芝居が何たるか、芸術とは何たるかなどという高尚なことを

思い浮かべることさえままならないような少年ではあったが、

それでも、その時見た圧倒的なエネルギーと心震えるような感覚は

今でもはっきりこの肉体に宿っている。

サントラを買ってもらって、

その後ひたすら「民衆の歌」を聞いて歌っていた時期があった。

今でもソラで歌える。

「戦うものの声が聞こえるか、鼓動があのドラムと響き合えば

新たに熱い 生命が始まる 明日が来たとき そうさ明日が!」


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30年という月日を経て、昨日、母親と、

そして自分が観劇した年と図らずも全く同じ年齢の娘と一緒に、

再び感動の世界を目の当たりにした。

生のオーケストラの、時に力強く、時に繊細に奏でられる音の渦、

ほとばしる汗や、激しい息遣いさえも伝わってくるほどの

役者たちの躍動的な歌とお芝居、

天高く届けとばかりに、突き上げられた深紅の旗。

魂が震える感動とはまさしくこのこと。


願わくば、あの時の少年が、その時の詳細な記憶は失っても

その時受け取ったエネルギーの残滓、感動の断片だけは

30年たった今でも心の片隅に大事に大事に残し続けているように

娘の心の中に、何かの火が灯って、

それがずっと残り続けてくれたら、

これほどうれしいことはない。

母から私へ、私から娘へ、つながれていく想いと感動。


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2017-09-14

『全体主義の起原』 by ハンナ・アーレント

大好きな番組に、NHK教育でやっている「100分で名著」という番組がある。

25分×4回/月で、取り上げた著書を掘り下げて解説するというもので、

進行役の伊集院光さんが、専門家の解説を誰にでもわかりやすい言葉に変換したり、

示唆に富む論点や視点を提供してくれたり、

その考察力と解説力に毎回脱帽する。

自分の中で、最も難解かつ底知れぬ深さを持っていると感じる文章の1つに、

宮沢賢治の『春と修羅』の序文があるのだが、

その時の回のあまりのわかりやすさに、

この番組はすごいと感じたのでした。



今月の題材は、20世紀を代表する政治哲学者である

ハンナ・アーレントの名著『全体主義の起原』。

自分が彼女の著作に触れたのは、大学時代の研究課題として

20世紀をテーマとして取り組んでいた際に、

ホロコーストとそれを指揮していたナチスの親衛隊の

アドルフ・アイヒマンについて学ぶ機会があり、

そこで彼女の著書『イェルサレムのアイヒマン』を読んだのが最初。

そこでは、ホロコーストという人類史上まれにみる犯罪を行ったのは

決して特異な悪魔の仕業ではなく、

淡々と己の業務をこなす官僚的で陳腐な小役人であり、

残忍極まりない処刑器具や兵器ではなく、

書類とペンだけで大量殺戮が実践されてきたことを暴露した。

普遍的で凡庸な人間が、自らの罪を意識することなく、

残忍な行為に加担するメカニズムや社会的潮流といったものに、

鋭く迫った名著である。


その彼女が一躍脚光を浴びることになったのが

この『全体主義の起原』である。

自らがユダヤ人として生まれ育ち、

ある時からドイツ国内で明確に異分子であるとして

迫害され、祖国を追われることになったという視点から、

ナチスドイツに代表される「全体主義」がなぜ世界を征服し、

ホロコーストという「あってはならないこと」をもたらすに至ったのか、

国民国家(nation-state)という枠組みが社会的に成立した時代背景や、

第1次世界大戦の敗戦によって生れ出た大量の難民と

拡大する貧富の差がもたらした社会的緊張、

あるいは文化的、民族的背景を丁寧に検証しながら、

追究した名著。


なぜ、いまこの著書が改めて評価され、クローズアップされるのか。

それは昨今の世界情勢、そしてまさにこの日本国内でも、

”外敵”の存在によってたきつけられた

民族主義的な発想や全体主義のきざしが影を落としているからである。

単純なスローガンで大衆を扇動し、

国内外に明確な外敵を作り出すことで目標を単純化し、、

評価を得ようとする指導者と、

わかりやすい政治を求め、

白黒はっきりとモノ言う”強い””頼れる”人物に

仮想のヒーロー像を重ねる大衆との利害関係が一致したとき、

世論は一気に一方へと傾く。


そもそも政治や外交といったたぐいのものは、

わかりやすいものでも簡単なものではない。

その複雑怪奇で難解な仕事をいかにやってのけるかというのが、

政治家たる手腕が本来問われるべきところで、

国民もまたその複雑さや困難さを理解したうえで

彼らを評価すべきところを、双方がその関係性を放棄し、

既得権益の傘、世論の動向、突発的なムーブメント、

ネームバリューといった、

決して政治の本質的ではない部分、

だが、誰もがとてもカンタンに採点できる部分でのみ評価が下される。


本質が置き去りにされてしまった後は、

ただ「勝つ・負ける」「やる・やらない」「変える・変えない」といった

単純な2者択一の世界になり、

つまりそれは右か左かといった極端な構造として定着する。

そのどちらか一方が力をもって一方を駆逐した暁には、

強靭な全体主義が形成され、それが現実化した時点で

もはや思考は停止される。

それは決して、強い結びつきで結託した一枚岩という状態ではなく、

強きものが弱きものを従え、持つべき者が持ち、持たざる者が泣きを見る

いびつな社会である。


アメリカでは、トランプ政権への反対運動が時間を経るにつれて大きくなっている。

また、ヨーロッパでの右翼系の政党や立候補者への警戒が強まっている。

それはある意味、これまで人類が歩んできた歴史を顧みるにつれて、

今の風潮が続けば起こりうるであろう不幸

(それはすでに人類が経験してきたもの)を予測して、

ある意味、必然的に生れ出てきた良心の現れであろう。


一方、わが日本国はどうだろうか。

政治的なものに対するアレルギーがひどい国民性、

ムラ社会としてはぐくまれてきた国家的な性質から脱却できない日本では

政治的な発言や、政治思考をひけらかすだけでも、拒否反応を起こされる。

これではいつまで経っても、政治的に国家は成長できない。

そんな国民をあざ笑うかのように、

様々な政策が失敗しても、様々な疑惑や不祥事が起こっても、

またそれらについてほとんど明快な反省や検証、弁明もされぬまま、

北朝鮮や中国といった野蛮な隣人がいるおかげで

アベさんがいまだに生き残り続けているというのはなんとも皮肉だ。