Hatena::ブログ(Diary)

記憶の残滓 by arkibito

2016-09-16

クレイジージャーニー

最近の気に入りのテレビが、

水曜深夜にやっている『クレイジージャーニー』。

とにかく登場する旅人のあまりのクレイジーぶりに毎回驚かされる。

自分はもう普通の範疇でアドベンチャー愉しみます、

勘弁してくださいという気分になります。


リアカーを曳いてサハラ砂漠を横断する人や、

ブラジルスラム街・ファベーラに住み着いて、

ギャングたちを撮影する写真家

アフリカ原住民に溶け込んで生活する女性とか、

小さなカヌー1つだけで、オーストラリアから日本までを航海する人、

ルーマニアの闇マンホールタウンへ突撃取材する人、

アメリで最凶最悪の刑務所に服役していた人などなど。

とにかくすごい人ばかり。


とにかく毎回毎回、

奇怪遺産、危険地帯、スラム街ドラッグ&銃の最前線など

フツーの人がなかなか行けない(行かない)場所へ

意を決してというよりもむしろ、ふらっと行っちゃう感じで、

世の中には本当にいろいろな人がいるなあと。

ただ家畜をぶった切って湯に入れて茹でただけで味付け一切なしのスープとか、

明らかに怪しい緑色をした得体のしれないジュースとか、

生きたコブラの心臓をレアで食べるとか、

大量の軍隊アリを水に放り込んで、それを絞ったジュースとか。

現地の食べ物を何の躊躇もなく食す人というのは本当に強いなあと感じる。


特に印象に残っているのは、住職(大阿闍梨)の塩沼亮潤さんの回。

この方は、吉野・金峯山寺1300年の歴史でたった2人しか達成できていない

「大峰千日回峰行」を成し遂げた人。

この修行は簡単に説明すると、

吉野山金峯山寺蔵王堂から大峯山山上ヶ岳頂上までの

片道24kmを往復(48km、標高差1,355m)を1000日連続で歩くという過酷なもので

行の期間が年間4か月と定められているので、約9年もの歳月がかかる大修行。

もう想像を絶します。

またこれとは別に「四無行」という修行も満行されています。

「四無行」とは、断食(食べず)、断水(飲まず)、不眠(寝ず)、不臥(横にならず)を

九日間続ける修行で、無事に生きて行を終える確率が50%といわれるとても危険な行。

本当に死の淵までたどり着かなければ

開くことのできない悟りの境地ということなのだと思いますが

宗教的な面はさておいても、もはや超人としか言わざるを得ない。


2016-08-18

Music Life 『ろっかばいまいべいびい』 by 細野晴臣

引き続いての弾き語り練習は、

敬愛する細野さんの『ろっかばいまいべいびい』。


1973年5月25日に発売されたファースト・ソロ・アルバム、

HOSONO HOUSE』で1曲目に、ギターの弾き語りで収録されている名曲

のちに、西岡恭蔵吉田美奈子にもカバーされた曲。

はっぴぃえんど解散後に結成したキャラメルママの面々と、

埼玉県狭山市にあるアメリカ村の自宅で

ホーム・レコーディングという形行われた録音は、

ゆったりのんびり、自由の空気が充満しています。

ここから細野さんのオリエンタルでワールドワイドな航海がはじまっていくのですな!


さて、この曲、タイトルもそうですが、

メロディー進行がとっても不思議です。

そう感じるのはきっと自分のボキャブラリーが足らないせいかもしれませんが、

こんなコード進行にこんなメロディーを乗っけるなんてと思うくらい、

上も下もよくわからない無重力の中を漂う曲なんです。

そのころから細野さんが傾倒していたヴァン・ダイク・パークスや、

細野さんの原風景的な50'S、60'sのアメリポピュラーソングの影響を受けつつ、

細野さん自身が醸し出すどこかオリエンタルでアジアンチックな香りが混ぜ合わさり、

これぞ細野節といえる一曲だと思います。


弾き語り練習


↓本家


【ろっかばいまいべいびい】

作詞・作曲:細野晴臣


むかしのメロディくちずさみ

ろっかばいまいべいびい

すてきなドレスに身をつつみ

ろっかばいまいべいびい

泣かないでさ これからは

ダイナ、君といつも一緒だよ


すてきな君、そのくちびる

ろっかばいまいべいびい

おかしな唄 このメロディー

ろっかばいまいべいびい

泣かないでさ これからは

ダイナ、君といつも一緒だよ


晴れた日はとても青い空 

花は咲き乱れ

そよ風に鳥はさえずり 

夜は青い月を見つめ

2016-06-22

Music Life にほんのうた

そろそろ音楽活動も復帰したいところだが、

まだ少し左手の違和感がぬぐえず、騙し騙し弾く感じ。

リハビリを兼ねて最近弾いているのが日本の古い歌。

年を取り、子を授かった心境の変化なのか、

最近は民謡とか童謡とかの素晴らしさに気づかされることが多い。


古くから伝わる民謡・童謡は、

必ずしも西欧の音階のルールに縛られるのではなく、

むしろ大和国独自のリズムや階調だったり音色がして、

日本人の心にダイレクトに響く。

また、商業的に創作された音楽ではなく、

生活や風土の中から自然発生的に生まれ、

伝承されてきた歌というものには、

その土地に根ざした力強いメッセージが宿り、

極めてシンプルな音数で無駄がなく美しい。

それは日本の歌に限ったことでは決してなくて、

南米のボサノヴァやタンゴ、南欧のフラメンコやファド、

ロマのジプシー音楽、ケルト音楽、サルサ・サンバ、

アメリ南部のカントリーブルースなど、

音楽の根元に共通して流れている大きな何かだと思う。

それは、コード進行がどうだとか、

テクニックがどうとか表象的な話ではなく、

音楽というものの持つ本質的なもの、

つまり、歌やリズムがなぜこれほどまでに

人間を煽動し、欲情させ、熱狂させるのか、

という根っこの部分である。


上の娘もそうだが、下の娘はとても歌が好きなようで、

歌っている間は機嫌がよく、ギターの音も気になる様子。

それで最近はよく弾き語りをしてご機嫌を取ることが多い。

そこで今回紹介するのは、子守唄を2つほど。

子守唄は、まだ口のきけない赤子とお母さんを繋ぐ

大事なコミュニケーション手段です。

と同時に、音楽がこれほどまでに実際に作用を及ぼす(この場合、眠らせる)

という点ではなかなかに興味深い。

ある意味究極のイージーリスリング、ヒーリング音楽ですね。


さて、1つ目は、「ゆりかごの歌」。

子守唄と聞けばこの歌を真っ先に思い出す人も多いのではないでしょうか。

大正10年に北原白秋が発表した唄です。

当時は多くの文人が童謡を制作していたらしく、

その中でも非常にわかりやすく丁寧な言葉づかいで人気だったそうです。

他にも「待ちぼうけ」「ペチカ」「あわて床屋」などを残しています。

ゆったりとしたテンポで、「ね〜んね〜こ♪」とやれば、

本当に心地よく眠りの世界へと落ちていきます。


↓ゆりかごの歌


続いては「竹田の子守唄」。

とても抒情的で深く美しい曲です。

京都の竹田地区で歌われてきた民謡で、

クラシック作曲家の尾上和彦によって再発見されたのち、

50〜60年代の政治・労働運動の一環として盛んとなったうたごえ運動や

のちのフォーク・ブームに乗り、

1969年に「赤い鳥」によって歌われたことで全国的に広まった曲。

この曲は時代や政治的な事柄によって翻弄されてきたという

とても悲しい歴史をもっています。

この歌の歌詞の中に「在所(ザイショ)」という言葉が出てきます。

意味としては、一般的な地方の田舎、または郷里を指すのですが、

それとは別に「ブラク」を指す言葉としても用いられることから、

それが当時のメディアから放送禁止歌として

長らく封印されるという憂き目にあってきたのです。

歌詞の意味としては、

奉公に出された子が、奉公先の赤ん坊の世話をするのだが、

この赤子がまたよく泣いて困るし、

お盆と言えば昔は楽しい思い出があるが、

今となっては楽しみなど1つもなく、ただただ痩せる思い。

早く奉公を終えてすぐ川向こうに見えている親の家に帰りたいが

こんなに近くても遠い存在だという内容。

もちろん赤ちゃんを優しくあやすための子守唄もたくさんありますが、

子守をする側のつらい想いを描いた子守唄というのも意外とたくさんあります。


↓竹田の子守歌


D

2016-02-04

パンターニ 海賊と呼ばれたサイクリスト

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マルコ・パンターニ。

スキンヘッドに口髭を蓄えた型破りな容姿。

魔の山に単騎突進し、

スーパーマンのようにヒルクライムを駆け抜けたその超攻撃的なスタイル。

豪快さと力強さに加え、どことなく漂う危うさと脆さを兼ね備え、

長いロードレース史上でも稀有なユニークさで、

世界中を魅了した愛すべき海賊(ピラータ)。

その栄光と影の歴史である。


90年代フジテレビが毎年放映していた時代に

もっとも熱狂的にロードレースに熱をあげ、

もっとも自転車にのめり込んでいた自分にとってはもちろん、

あの時代を知っている人ならおそらく誰でも

パンターニは憧れのヒーローの一人だ。

インデュラインの登場で、ロードレースは個人と個人のぶつかり合いから、

システマティックな戦術によって戦うという方式へと変わり、

その戦術はのちにランスによって不動の方程式となるのだが、

そういった形式的で、組織的なやり方ではなく、

情熱的で人情味にあふれ、

無鉄砲で型破りな一匹狼を人は愛するものだ。

時に後先も考えずに麓から容赦なくアタックを繰り返し、

ついには圧倒的な差で山頂ゴールをする。

独特の無茶な姿勢で自殺的とも思えるような猛スピードで山を駆け下りるその姿。

かと思えば山ではあれだけ無敵を誇りながらも、平地のTTはからきしダメという、

そういう欠点さえもがチャーミングに思えてしまう。

例えば、完璧なシューマッハよりも

セナやマンセルの方が魅力的だったりするのと同じで、

その人間臭さが誰もを魅了したのだ。

だから2004年に彼がオーバードーズで亡くなったと聞いたときは

かなりショックを受けたことを今でもはっきり覚えている。

それが直接の原因ということでもないけれど、

自分はちょうどこのころから自転車を降り、

30代になるまでの長い間自転車に興味を失ってしまうことになった。


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選手時代に果たして本当に彼がドーピングに手を染めていたかどうかはわからないし、

この映画もどちらかというと遺族側の視点に立っているので少し公平性を欠くから、

どうかははっきりしない。(でも、ないと信じたい)

時代背景を考えると、

98年にフェスティナ事件という未曽有の大スキャンダルが起こり、

そこから数年は異常とも思えるほどの

ドーピング対策&ドーピングスキャンダルの嵐だった。

ツール・ド・フランス自体が大会存続の危機に瀕し、

UCIもASOもクリーンなイメージを打ち出す必要性と、

自らの正当性をアピールする必要があったし、

そのためには見せしめ的に誰かを吊し上げる必要があったのも事実。

組織に準じないパンターニは絶好のカモだったともいえる。


そしてチーム。

ロードレースに限らず、スポーツには常に2つの側面が存在する。

ひとつは、純粋に個人あるいはチームとしての力量を比べ、

速さと技、強さを極限まで追求し、勝利を目指す競技としての側面。

そして、もう一つは、それらを運営し管理し、

利益を生み出していくビジネスの側面。

国際的に巨額のマネーが動き出せばロクなことはない。

スポンサー様のために勝つ=儲けるためには、あらゆる手段を使う。

そこで導き出した一つの答えが、ドーピングであり、

そのドーピングシステムはより巧妙により組織的に構築されてきたというのは

明確に暴かれた事実である。


そして悲しいかな結果的に当時の多くの有力選手たちが、こののち、

悪しきドーピングシステムに従って薬物に手を染めたことを告白し、

ある者はペナルティーを受け、

ある者は引退に追い込まれる事態になったのも事実。

主催者側も、チームも、個人も、

どのレベルにあっても当時(そして今も?)はグレーゾーンであり、

自己保身に躍起になっていた。

そんななかで、時のスターだったパンターニは

様々な面で矢面に立たされてしまうこととなる。


ドーピングの真偽はいったん置いておくとして、

結果的に当時のすさまじいドーピングバッシングの真っ只中に放り込まれ、

警察につけまわされ、マスコミに追い立てられ、

しまいには世間から裏切り者とののしられる日々の中で、

誰からも味方されず、

仲間であるはずのプロトンからも卑下され(ランスからのひどい悪態)、

愛すべき自転車への情熱さえも失って、

いかばかりの闇を抱え込んだのかと想像してしまう。

そしてついにはその弱さに漬け込む悪魔の誘いに乗って、

本当に薬に手を出してしまったことは

(ジャストタイミングの清ちゃんのニュースが泣ける…)

決して許されるべきではない事実で、

言い訳にもならないのだけれど、

自転車と薬という切っても切れないロードレース界の闇の

スケープゴートになってしまったことは無念でならない。

そしてこの闇は今なおロードレース界に暗い影を落としたままなのだ…


この映画を見て決定的に悲しいのは、

作中に登場する人物のほとんどが薬物疑惑にまみれ、

実際に薬物使用によってペナルティーを受けることになる人たちばかりだということ。

1998年のあの忌まわしいフェスティナ事件のニュース映像で、

大粒の涙を流して悔しがったリシャール・ビランクも、

その騒動の最中、選手の代表として主催者側と毅然と戦ったローラン・ジャラベールも、

結局は猿芝居だったのだし、

当時(インデュライン時代とランス時代の狭間)総合を争ったライバルたち、

つまりヤン・ウルリッヒやビャルヌ・リースといった面々もみな

見せかけの強さを晒していたに過ぎない。

そして極めつけは、大金と名声に目がくらみ自ら進んで道化役を買って出た

忌まわしきランス・アームストロングという悪魔。

奴は白でさえも黒に染め、すべてを茶番へと陥れた。

極めて悲しいことだが、

これもまたロードレースの歩んできた紛れもない歴史なのだ。

歴史は歴史として受け止めざるを得ないが、

自転車を愛するものとしては心底悲しい事実である。


とはいえパンターニが残した超人的な記録、

つまりラルプ・デュエズ最速記録や、

史上7人目そして現時点では最後のダブルツール達成は今でも色あせることはない。

ただ…

もし、あのスキャンダルの中で一人でも支えれあげる人がいればどうだったろう?

もし、あの99年のジロで追放されずにマリアローザを獲得していたらどうだったろう?

もし、彼が欲望と疑惑にまみれたプロレーサーの道を進まなかったらどうだったろう?

大好きだった自転車競技を大好きなままでいてくれたであろうか。

邦題に、”ロードレーサー”ではなく”サイクリスト”と記されているところに、

製作側のパンターニへの厚い愛情を感じる。

つまり、純粋に速さと強さだけを追い求める自転車少年として…

享年34歳。

あまりに若すぎる、そして惜しい死だ。


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最後に、話は少しそれるけれど、一番の驚きは、

あれだけハイペースな戦いをしていて、

ガードレールもないダウンヒルであんな無茶な姿勢でスピードを出しているのに

当時はヘルメットなし!

今なら完全にありえないだろうなあ。


↓第七藝術劇場

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さて、今回久々に十三にある第七藝術劇場を訪れたのだが、

ここは思い入れのある映画館。

自分が学生のころは、

「トレスポ」「アメリ」といったミニシアター系映画がヒットし、

小劇場が盛況だったのだが、そのブームも去るころになると、

体力のない劇場が次々と閉鎖に追い込まれた。

この第七藝術劇場も一時休館に追い込まれたのだが、

その間、貸しスペースとして提供されていて、

何度かイベントをさせていただいた。

複数の大学の団体と一緒に学生映画の自主映画祭などもして、

自分の作品もこのスクリーンで流されたこともある。

あの時はゲストに犬童一心監督が来ていて、コメントももらった気がする。

立地的にはちょっと怪しいところにあるのだが、

細々とでもずっと営業を続けているのは素晴らしいですね。

2016-01-21

1.17鎮魂ウォーク2016

今年もまた1.17を迎える。

去年20年という大きな節目を越えたが、

それで阪神大震災が終結したわけではない。

去年も地震だけではなく、

集中豪雨による堤防決壊や土砂災害、

竜巻被害や火山の噴火など、

自然災害による被害が出た。

当然、自然というあまりにも大きすぎる相手に対して、

あらがえない部分もあるかもしれないが、

事前の備えや十分な知識、防災意識があれば、

被害を最小限に抑えることはできるはずだ。

日々忙しい生活の中では、ついそんなことを忘れてしまうこともあるが、

せめてこの日だけは一度立ち止まって、

ゆっくりそのことについて考えをめぐらし、

記憶を呼び起こす。


前日はレッスンなどでとてもあわただしく、

そのなかでうっかり、プールでがっつり泳いでしまい、疲労がハンパない。

そして翌日の午前中にはコンクールが控えていて、

なかなかスケジュール的にも体力的にも厳しいのだが、

最終電車に乗って、今年も東遊園地までの震災ウォークへと向かった。

今年も去年に引き続いて、阪神西宮駅からスタートする。

毎年ルートは変えていて、今年は湾岸を歩いていこうと最初から決めていました。

去年まではどちらかというと

今なお残された震災の傷跡を辿るようなテーマでしたが

節目を越え、今年は過去を振り返るというより、

これからの希望、新しいものを発見してみたかったのです。


↓阪神西宮からスタート

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0:20に阪神西宮駅を出発する。

同じ電車から降りた乗客が、駅から暗方々へと散っていく。

ロータリーを過ぎて、西宮神社の参道を歩き、西宮戎にでる。

おなじみの「ひるね」さんのところからR43をまたぎ、

そのまま西宮浜のほうへと進んでいく。

去年は歩き始めから雨が降って相当寒かったが、

この夜は比較的暖かく歩きやすい。

テクテクとえべっさん通りを南下すると、白鹿の工場のところに出る。

震災時には酒蔵も相当ダメージを受けた。


↓西宮神社

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↓白鹿

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前浜町で県道193号をまたぐと、そこから先は堤防に仕切られた水辺を歩く。

ここで一眼レフを取り出しいつでもシャッター押せる状態に。

11月にスマホに変え、最初はiPhoneのカメラ機能って

意外といいかもと思っていたのだが、やっぱり所詮スマホのカメラだった。

iPhoneのカメラで撮った写真は一見発色がいいように見えるのだが

それはiPhoneのディスプレー上で見た時に限られ、

PCの大きな画面で見たり、プリントアウトすると、ザレザレで使い物にならない。

おそらく撮影の際に、自動的にISOを上げてくれているのだろうが、

そのせいで画質がひどい。

夜景など暗い場所で撮ったり、ズームアップ撮影には全く向かないことがわかった。

今回は初めからそれがわかっていたので、一眼レフをもってきた。

ただし小さなザックだったため、三脚を持ってこれず、

ちょっと苦戦してしまいました。


↓堤防沿いに歩く

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話を元に戻すと、そのまま堤防沿いに進んでいくと、

小さな船溜まりがあり、海の匂いがする。

そのまま堤防沿いに行くと、目の前に西宮大橋が伸び、

橋のたもとにはたくさんのヨットが停留するマリーナ。

この辺りは、芦屋の裕福層たちの海の遊び場として有名で

なんとなく雰囲気が違う。

マリンクラブの脇をかすめていくと、

その奥には小さいながら西宮浜のビーチがあり、

ビーチの脇にはリゾート感たっぷりのバーやレストラン、

アメリンなトレイラーが立ち並ぶ異国情緒たっぷりな空間。

こんな面白そうなところがあるなんて、

やっぱり地足で歩くと発見があります。

近隣では珍しいサラサラの砂浜で色々と撮影。


↓西宮浜

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↓ヨットが多数

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↓ビーチ発見

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しばらくビーチで写真を撮り、そこから対岸の人口島へ渡ります。

堤防から内側の道路へ戻ると、西側に芦屋浜の有名なモンスターマンションが、

まるで水辺に浮かんでいるように暗闇の中に姿を現しました。

あそこは学生時代に自主映画を撮影したゆかりの地です。

昼間に訪れた方が実際不気味さのある建物ですが、

夜闇にきらめく遠景もまた別の味わいがあります。

三脚があればもうちょっと撮れたのだけど、それはまた別の機会に。


↓芦屋浜のモンスターを望む

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そこから道なりに進んでいくと、歩行者専用の小さな跳ね橋。

こんなところにこんな橋があるというのも発見です。

トコトコと渡って湾岸の人口島へ渡ります。

そのまま湾岸線の高架に出て西へ転じる。

途中、神戸新聞の配達工場があり、

あわただしく配達員がトラックに荷詰めをしているところだった。

震災の時に、この神戸新聞が果たした役割は非常に大きかったのは言うまでもなく、

神戸が誇るものの1つだと思う。


↓跳ね橋

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ここからは阪神高速湾岸線の側道的に並走する県道573号をトレースして行く。

この道はチャリンコでは何度も利用しているなじみの道。

人口島をいくつか繋いでおり、その度にアップダウンが伴うが、

その代り橋の上からは絶景が拝める。

まずは西宮浜から南芦屋浜まで1つ目の橋を渡る。

海沿いではあるがこの夜はとても穏やかで風はなく、寒さをあまり感じない。

パチパチと写真を撮るのだが、車が来るたびに橋自体が揺れて

うまくブレずに撮るのが難しい。ここは三脚があっても厳しい。

先ほど遠景にあった芦屋のモンスターマンションを対岸のそばに見ながら

次の深江浜まで進む。

ここは橋自体がかなり高度があり、登るのに一苦労する。

登りきると、前方には神戸の夜景が広がり、

そこからずーっと右へ視界をパンすれば、ひとつながりの街の明かりがあり、

その奥にはべったりと黒く塗りつぶされた六甲の山並みが見える。

もし21年前のあの日にタイムスリップしたとしたら、ここからきっと、

燃え盛る炎の嵐と、黒煙が幾本も立つ恐ろしい光景が広がっているのが見えるだろう。

橋の頂上からいよいよ神戸市に入る。


↓誰もいない

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↓いくつも湾岸の橋を渡っていく

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↓神戸市に入ります

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↓眠らぬ港湾

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深江浜に入ると、県道573号はおしまいとなり、山側へ戻らねばなりません。

大通りを北へと取り、深江大橋を渡る。

そのままR43も過ぎて、阪神電車に沿って歩くことにしました。

深江から青木の区間では線路の高架化の工事が行われている。

それは街の発展にとっては大事なことなんだろうけど、

ベルリンの壁のように地域と地域が寸断されてしまうようで悲しかったりもする。

魚崎、住吉とすぎ、御影まではずっと線路沿いに進んでいく。

誰もおらず町はひっそりと眠っている。


↓高架化の最中

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御影駅に到着して広場で缶コーヒーを買って少しだけ休憩。

駅の脇にある商店街を抜けて、澤之井と呼ばれる井戸へ寄り道。

ここは古来からの湧水で、御影の地の由来でもあり、

灘の酒(御影郷)を育んだ名水です。

震災を経た今なお、コンコンと豊かな水をたたえています。


↓阪神御影の高架下の商店街

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↓御影水

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御影からは味わい深い高架下を歩く。

この駅前には名物の立ち飲み屋がひしめいているので

また別でリサーチしてみよう。

徐々に駅前のネオンから離れていき、

眠る街へと再び戻っていこうとしたとき、ふと高架を見上げると、

真っ暗な闇の中に怪しく真っ赤な物体が目に飛び込み、

思わずぎょっとする。

よく見ると、御影でこの日の営業を終了した阪神電車の特急が停車していました。

なんとなくちょっと不気味さを感じて撮る。


↓高架は味わい深い

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↓突然火車が現れる

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↓少しホラー

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御影を過ぎ、石屋川まで来ると、そろそろお腹も減ってきて、

間に合うかと思ってR2のもっこすへ向かったのだが、

タッチの差で3時閉店。

そこからR2を疲労感たっぷりで歩く。

西灘で脇道に入る。

岩屋の手前で阪神線が地下へ潜るポイントをまたぐ。

その先、JR灘駅の南側から、一本の遊歩道が伸びている。

これは神戸港まで貨物を運んでいた旧臨海線の線路跡を利用したもの。

マンション群を抜け、R2の上をまたぎ、HAT神戸までを繋いでいる。

R2の陸橋のところ辺りは、当時線路だったころの遺構がちらほらある。


↓旧臨海線を歩く

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臨海線を歩いたら、少し北側へ戻る。

春日野道の商店街を入り、そこから西へ折れて下町の生活道路をずんずん進む。

生田川を渡れば、まだ昔ながらの雰囲気を残した三宮の東側のエリア。

そうして4:30に三宮に到着しました。

阪急北側にある、この長らく仮設の売り場として活躍していた建物も

建て替えのため取り壊されると、つい先日ニュースになっていた。

まだ少し時間があったので、駅前の丼屋で休憩と補給を済ます。

そして30分前には東遊園地へと向かう。


↓春日野道の商店街

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↓おっぱい山

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去年は公園に入るだいぶ手前から人があふれて、

果たして入れるのかどうかというくらいの混雑ぶりだったが

今年は明らかに人手が少ない。

もっとも去年がすごすぎたのかもしれないのだけど。

すでに岳灯篭に入ったろうそくには火がともり、

キビキビと冷たい空気の中、不思議なほど静かに人が佇み、

その時を待っている。

自分は人ごみを分け入って、いつもの場所へ。

そうして、アナウンスと時報が鳴り始め、5:46を迎える。

黙とう。


↓竹灯籠

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↓祈りよ届け

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↓復興は続く…

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今年もまたこの地に立てたことをうれしく思いながら、

震災への想い、防災への意識を今一度はっきりと心に刻み、

慌ただしく家路に着いた。