Hatena::ブログ(Diary)

記憶の残滓 by arkibito

2018-04-23

夢叶う!憧れのキアプッチに会う!

土曜日。

かつてTVの前で「Allez!Allez!」と

必死で応援していた自転車少年の大きな夢が一つ叶いました。

な、な、なんと、山岳王の名をほしいままにしたイタリアのレジェンド、

クラウディオ・キアプッチさんと一緒に淡路島でライディング!!!

まさかまさかアンビリーバブル@@@

興奮冷めやらぬ!!


キアプッチさんは、80年代後半〜90年代前半にグランツールで大活躍した名選手で、

同時代のライバルとしては太陽王と称されたミゲール・インデュライン

無冠のアルカンシェル、ジャンニ・ブーニョ、

史上2人しかいないトリプル・クラウンを達成したステファンロッシュ、

元祖アメリンのグレッグ・レモンといった

錚々たるスターたちと激闘を繰り広げてきました。

グランツール総合優勝は残念ながら達成できませんでしたが、

ツール山岳賞2回、ツール総合2位2回、ジロ山岳賞3回、

ミラノ〜サンレモ1991優勝など輝かしい成績を残し、

山岳ステージで何度も繰り出される猛烈なアタックや、

大胆不敵なロングディスタンスの逃げなど、実に印象的で魅力的なスタイルで

ディアブロ(悪魔)」というニックネームで人気を博しました。

日本最高峰のロードレースであるジャパンカップでも3連覇を果たしていることもあって

日本でも大変な人気で、自分もその頃からの大ファンでした。


↓Oh!クラウディオ

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カレラCEOダビデ・ヴォイファバさんも、

元々は70年代に活躍したロードレーサーで、

現役時代「カニバル(人食い)」と恐れられ、

「カンピオニッシモ(チャンピオンの中のチャンピオン)」である

エディ・メルクスとチームメイト(モルテニ)として活躍し、

マリアローザを10日間着用するなど、現役30勝を誇る名ライダーでした。

引退後は、プロチームを立ち上げ、

自チームで使用するバイクを作るため、

ルチアーノ・バラキとともにCARRERAを設立

その後、チーム監督として、キアプッチやマルコ・パンターニ

イヴァン・バッソパオロ・ベッティーニなどの名選手を輩出、

500勝以上の勝利を獲得してきた名指導者でもあります。


↓カレラの創設者でもあり現CEOダビデ・ボイファバさん

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CARRERAバイクのオーナー限定のイベントのスペシャルゲストとして

キアプッチさんと、カレラの創設者&CEOダビデ・ヴォイファバさんが来日

総勢40人ほど、全てのバイクがカレラというレア集団で

一緒に淡路島の北部をライドし、途中、

下りのスペシャリストとしても名を馳せたキアプッチさんから、

2人一組になってダウンヒル講座。

そのあと、CircoloさんにてBBQパーティー♪

本当にカレラ冥利に尽きる大満足の1日でした。


↓じきじきにダウンヒル講座

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↓山の男は海も似合う

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キアプッチさんとは下手な英語ながら色々想いを伝えて、

またせっかく来ていただいたので、

何かお礼をと、手ぬぐいを手製してプレゼントしたこともあり、

とってもフレンドリーにずっと話していただきました。

もしタイムマシーンがあって、こどもの頃の自分に伝えれたら、

卒倒するだろうなあ。

いやあ、ほんと、つくづくフィブラ君が相棒でよかったなと

嬉しさを噛みしめておりまする@@

詳細はまた後日。


↓おみやに手ぬぐいをプレゼント(写真のは自分用の試作ver)

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走行距離:55.2km

TOTAL:244.7km

2018-02-05

NO MORE 広島の旅

随分時間が経ちましたが、

18きっぷ広島の旅の最終章を。


雨に沈む呉の町を後にし、

列車は広島湾をなぞりつつ、

活気あふれる広島タウンへと滑り込む。


↓呉を離れ一路広島

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昼過ぎには広島を離れて岐路に着かねばならないが、

それまでの数時間で観光と、

やっぱりお好み焼きを食べて帰らないと。

昨晩、ずいぶん贅沢をしたツケで、お財布が心もとなく、

お土産代とお好み焼き代をざっと勘定してみると綱渡り。

ここは経費削減とばかりに、

広電は使わず、徒歩で中心部へと向かう。

まだぽつりぽつりとは降っていたものの、

気になるほどでもなく、駅前大橋稲荷橋と渡り、八丁堀へ。

そこからアーケードを伝って平和記念公園へ。


まず訪れたのは、原爆ドームのすぐ裏手にある島病院。

言わずと知れた広島原爆の爆心地。

この上空約600mで原子爆弾リトルボーイ」がさく裂、

人類史上初めて実戦投入された原子爆弾の威力はすさまじく、

広島を瞬時に地獄絵図へと変えてしまいました。


原爆ドームの裏にある島病院

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↓爆心地

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そこからすぐのところにある原爆ドームへ。

当時、広島県産業奨励館としてモダンな佇まいを見せていた建物は

日光の数千倍の熱線と、

衝撃波を伴う秒速440メートル以上の爆風にさらされ

350万パスカルという爆風圧をほぼ直上から食らいました。

衝撃を受けた角度や、

窓が多く衝撃が外へ抜けやすい構造だったことなどから

その骨格だけは破壊をまぬかれ、

人類の負の遺産として残ることになりました。

灼熱の炎と想像を絶する衝撃にさらされた残骸は、

戦争の悲惨さや原爆の恐ろしさを伝える遺産でもあり、

ひいては平和を願うシンボルでもあります。

身の引き締まる思いがします。


原爆ドーム

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↓生々しい衝撃

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そこから見えている橋は相生橋

すずさんと周作が、ばけもんにさらわれて、

初めて出会った場所として描かれています。


相生橋

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相生橋

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平和記念公園へ足を踏み入れます。

かつてここには活気あふれる中島町という下町が広がっていました。

しとしとと涙色にくれる空の下、静かな緑の中を歩きます。

原爆の子の像のところには、全国各地、世界各地から届けられた

平和の祈りが込められた無数の折り紙の鶴が備えられています。

アメリ大統領として初めてこの地を訪問したオバマ大統領

千羽鶴を折ったことで、注目を浴びていますね。


平和記念公園

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原爆の子の像

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それから黙々と灯り続ける平和の灯へ。

あの日街を焼けつくした炎と同じ火。

でもこの日は、あの日の思いを灯し続け、

一井の人たちのささやかな暮らしを照らし続けるための火。

なんといってよいやら言葉もない。


↓平和の灯

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原爆慰霊碑

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さらに独特な静寂に包まれた公園を歩きます。

重たすぎる歴史がこの場所に根差しているのがひしひしと伝わる感じ。

1.17の東遊園地のあの感じを思い起こします。

そうして広島平和記念資料館に立ち寄ります。


広島平和記念資料館

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入ってすぐのところに、

原爆投下の様子を再現したCG映像があります。

かなり生々しくショッキングですが、

目を背けてはいけない事実。

動画を上げておきますが、

ぜひ一度現地で目の当たりにしてほしい。

あの日、あの場所で、息づいていた一井の人たちの暮らしが、

一瞬で跡形もなく焼き尽くされ、破壊されたのだ。


↓失われた人々の暮らし

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↓ショッキング

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核兵器の危険性(右は原爆投下命令書)

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原子爆弾のモデル(ファットマンとリトルボーイ

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本当ならもっとじっくりと時間をかけてみて回りたかったが

そろそろ時間的な余裕がなく駆け足になってしまいました。

それでもこの場所で起こってしまった事の重みと、

子供たちや次の世代へ自分がやれることは何かという自問と、

にわかに物騒になりつつある今の日本への憂国心とについて

深く考えざるを得ない。

人類の歴史上唯一の被爆国でありながら、

核兵器禁止条約に参加しようとしない矛盾。

”想定外”の大地震によって深刻な被害を被りながら、

原発を推進・再開し、原発ビジネスに依存し、

他国に技術を輸出し続ける矛盾。

そして、芸能人とは仲良く会食するのに

核兵器廃絶国際キャンペーンICAN)の事務局長とは会おうとせず、

アメリの武器商人の言いなりで、

暴走を続ける現政権が、その危険が明らかなのに、

今もって権力の座を確固たるものにしてしまっている国民の意識の矛盾。

そろそろ本気で考えないといけないんじゃないかニッポン。


続いてお隣の国立広島原爆死没者追悼平和祈念館へ。

地下へらせん状に続いていく通路を折り、

静まり返った慰霊所でしばし佇む。

外国のツーリストが多数訪れていて、

熱心に解説を読んだり、

目をつむって黙とうしているような姿がとても印象的だった。

まぎれもなく起こってしまった事実を目の当たりにすれば

戦争が、そして核兵器が、いかに悲惨で残忍でどれだけ野蛮なのか、

万国共通で理解できるはずだ。

あれこれ机上の空論を戦わせて、

一見して、さも高尚な理念や理屈を振りかざしてみても、

結局は誰かが、他人の犠牲を払って、己が利益を優先しているに過ぎない。

そしてそれが可能なのは、

一般の市民ではなく、権力のある人間に限られる。

だからこそその権力ある人間を、あらゆる手段・方法を用いて、

常にウォッチし、精査し、批判しなければならない。

それが自由民主主義によってもたらされた権利であり義務であるはずが、

その根本を政治家はもちろん、多くの国民が忘れ去ろうとしている。

自分の都合さえよければ、自分の利益さえ確保できればそれでよし。

それではもはや公共理念は保てないし、国民国家の体をなしていない。

面倒なことは専門家に丸投げ、どうせ変わりようがないと投票を放棄して、

権利をドブに捨てているうちに、

実はそれが自らの意思で行使しないということだったのが、

いつの間にかその権利をはく奪されているということに、

巧妙にすり替わっていく静かなる恐怖。

それに気づいた時にはもうはや手遅れ、

などということにならなければよいが…


国立広島原爆死没者追悼平和祈念館

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戦没者リスト

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↓雁木

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平和記念公園で一通り見て回り、

色々な思いを胸に秘めてそろそろ帰り支度。

そのまま広島駅を目指し歩きつつ、

どこかでお昼ご飯を食べてから出立。

有名店はどこも昼時は観光客の行列で、とてもじゃないが待てない。

どうしようかと路地裏を歩いていると、

空いているお店があったので飛び込みます。

「みっちゃん太田屋」さん。

あの有名な方の「みっちゃん」とはたぶんあまり関係がないです。

地元の人たちが主なアットホームなお店。


↓みっちゃん太田屋

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↓やっぱ鉄板前はええです

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スペシャル(生イカ・えび・肉ダブル・玉子)のそばと、

ビールを注文。

鉄板のカウンターに座りながら、

たくさんのお好み焼きが焼かれていくのを眺めつつ。

大阪お好み焼きとは違って、広島のはほとんど生地がなく、

キャベツ焼きに近い感じ。

大きなコテでぎゅうぎゅう押し付ける焼き方も大阪とは全く違います。

ハフハフ言わせながら香ばしいキャベツと、

プルプルの麺を味わいました。


↓いただきます♪

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あっという間に食べ終えて、大急ぎで駅へ向かいます。

駅の売店でおみやげをチャチャッと買って、

混雑する糸崎行の列車に飛び乗ります。

帰りはなけなしの所持金で買った

カープハイボールとイカフライでチビチビやりつつ。

帰宅したのが20時ごろでした。


↓呑み鉄モードで帰ります

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↓かすむしまなみ海道

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尾道通過

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2018-02-02

『私が殺したリー・モーガン』 by ガスパー・コリン監督

1972年2月19日深夜、極寒のNY。

Manhattanの一角にあるJAZZCLUB「Slugs'」は猛吹雪にも関わらず盛況。

稀代のトランぺッター率いるクインテットは、

今日も熱狂的な演奏を続けていた。

ミッドナイトに差し掛かる頃、

濃密な空気が充満する室内に風穴を開けるように、運命のドアが開く。

吹き込む吹雪とともに、一人の女。

駆け寄る男たちを押しのけて、ステージへ。

おもむろに手がバックの中へと差し伸べられる。

そこにはスポットライトの真ん中で、

次の演奏までのつかの間の休息を楽しむ男。

そして振り向きざま…

聞きなれぬ乾いた音がこだまする。

外は依然として猛烈な雪。

凍り付いた街並みを切り裂ようにして響くサイレンの音。

夜の闇はいまだ深く、もう二度と朝はやってこない。

男の名は、LEE MORGAN。

世界を熱狂させた稀代のトランぺッター。

その成れの果て。


ジャズ史上最悪の事件として、

今なお深い傷跡を残し続けているリー・モーガンの射殺事件。

運命の引き金を引いた内縁の妻ヘレン・モーガンの

生前に残したカセットテープの独白と、

親交のあった様々なジャズミュージシャンたちの証言インタビューを軸に

33歳で突然、世界からフェイドアウトしてしまった

リー・モーガンの最期について迫るスリリングなドキュメンタリー。

全編に、都会の風を体現するような乾いた珠玉のトランペットが鳴り響き、

60’70’のアメリを切り取った印象的なショットの数々がスクリーンを飾る。

JAZZな男にふさわしいJAZZな作品でした。


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もはや説明不要なほど、ジャズ界の伝説的トランぺッターですが、

リー・モーガンについて少しだけ解説。

若干18歳で、ディジー・ガレスピーによって発掘された逸材で、

同年にジャズの名門ブルーノートからデビュー。

大先輩や大御所にも物怖じせず、果敢にプレイするスタイルは

瞬く間に熱狂の渦を作り出します。

しかし、他の多くのジャズメンがそうだったように、

ドラッグの深刻な罠に陥っていきます。

早世の栄光はもはやはるか彼方の遺物となりつつあるような

どん底の日々から彼を救ったのが、

NYのジャズメンの世話焼き姐さんとして慕われていたヘレンだった。

彼女との二人三脚の円満な日々によって立ち直ったモーガンは、

名盤『Sidewinder』で華々しくカムバックを遂げます。

時代はもはやJAZZからROCK全盛へと移り変わる頃。

ロックテイストをふんだんに盛り込んだ変速ブルースは、

一世を風靡しました。

しかし、ジャズ界きってのヤンチャ坊やは、

年上女房の不安をよそに

再び甘い甘い罠に手を染めてゆきます。

夜な夜なスポーツカーを乗り回しては、

どこかの街角で、どこかの女とドラックに興じる日々。

若いガールフレンドに破天荒な生活を続けるモーガンに対する

ヘレンの焦りといら立ち、

それを母親のようにしかりつけるヘレンを疎ましく感じるモーガン。

はたから見れば堅い絆で結ばれているかのような二人の間に

徐々に冷たいすきま風が吹き荒れてゆきます。

そうして運命の夜。

死へのカウントダウンはその前から始まっていました。

若いガールフレンドを乗せ、

「スラッグス」へ向かうフォルクスワーゲンが、

大雪に足を取られてスリップし、カーブを曲がり切れずに大破。

モーガンは楽器だけを抱え、身も凍る思いで店にたどり着きます。

一方、ヘレンは長らくモーガンの演奏場所へは顔を出すことがなかったが、

この日は別の店へ別の演奏を聴く道すがら、

「スラッグス」へタクシーを走らせました。

彼から護身用にともらったピストルをバッグに忍ばせて。

そして悲劇は起こったのでした。

普通に考えれば、女たらしでだらしのない男の哀れな末路。

よくある色恋沙汰なのですが、

そこはそれ。

JAZZによって彩られた悲劇は

一段とドラマチックに感じられます。


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ザ・サイドワインダー+1

ザ・サイドワインダー+1


2018-01-30

『ショローCLUBの回春行脚2018新春プチツアー』 at ムジカジャポニカ

待ちに待った金曜日の晩。

なんと、わが家のすぐご近所に、大友さんがやってくる!

これはもう見逃す手はないでしょうと、

手みやげに力餅のおはぎをもって馳せ参じました。


扇町公園のすぐそばの雑居ビルに、

何やらディープなライブハウスがあるのは知っていましたが、

「ムジカジャポニカ」さん、今回初めてお邪魔しました。

何やらアングラな空間が

現実から遠いアウターゾーンに来たような感覚に陥ります。

ただ、このビルが耐震問題で春で取り壊されるのに伴って、

移転されるそう。(といってもご近所らしい)


↓ムジカジャポニカ

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↓アングラ~

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今回は、大友さんと盟友のドラマー芳垣安洋さんと、

ベーシストの不破大輔さんとの、還暦目前トリオによる

ショローCLUBとしてのライブ。

いつもアンサンブルズで指揮をしている姿だったり

『ロング・グッドバイ』『あまちゃん』『 LIVE! LOVE! SING!』

といった映像作品にまつわるサントラを聴いて得るイメージが強いような

大友ファンとしてはまだまだペーペーの身なので、

ノイズやフリージャズのステージで、

ギターを炸裂させる”本業”の大友さんを

ようやく生で見ることができる絶好の機会となりました。


↓ショローCLUB参上!

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↓大友さんの愛器

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まずは、リーダー?芳垣さんのMCからスタート。

アンサンブルズのでの非常にストイックな様子を

伺ってからの勝手なイメージで、

何やら気難しくて鋭くて近寄りがたい方とお見受けしていたのだが

冗談も含めて非常に軽やかなにトークを進めていて、

びっくりしました。

ただ、大友さんも不破さんもおっしゃってた通り、

やっぱり、きっと誰も逆らえないんだろうと思います。(笑)


そうして演奏がはじまります。

芳垣さんの繰り出す

絶対的に力強く、微塵の迷いもないリズムと大胆な崩しに、

切れ味抜群の大友さんのギターが鳴きに鳴く。

その二人の殴り合いのようなセッションを

黙々とどっしり下支えするかのような不破さんの野太いビート。

あ、うんの呼吸でスパイラルを続けるトライアングルは、

どんどん、どんどん拡張し続け、トランスの境地へと羽ばたく。


いつでもかかってこい、ほら、もっと来いと言わんばかりに

芳垣さんのスネアが煽り続け、

それを冷静な面持ちで受けて立つ大友さん。

まるでギターが自分の意思を持ち出して、

あらん限りの声で叫び続け、フロア中にノイズが充満する。

その奥では、じっと目をつむり、

時折、唸り声をあげながら、

仙人のような面持ちでスラッピングを続ける不破さん。

ほとばしる汗。はじき出されるビート。破裂する音。

トリオであることの、相乗効果と絶妙な間合い、

その蜜月の関係性が可視化されたような

濃密な空気がフロアを圧倒する。

実にスリリング。実にクール。

大友さんカッケー!芳垣さんカッケー!不破さんカッケー!

つい、子供のようにはしゃいでしまいます。


正直言って、これほどエネルギッシュで破壊的で、

かっこいいことされたら、もうなすすべがありません。

ご本人たちは、自虐を込めて”ショロー”と名乗っていますが、

酸いも甘いも一切合切を駆け抜けてきたからこそ出せる

”味”と”深み”が沁みに沁みまくった音楽に対して、

若い世代の人は何やっても負けてしまうんじゃないかくらいに熱かった。

初老というよりも、むしろカッコよくて正しい大人という方が

言葉としては正しいような気がします。

こういう大人、先輩がいればこそ、

目指すべき人が道を指し示してくれるからこそ、です。

兎にも角にも”音”が”楽”をして、それにもう、

ダイレクトに胸を撃ち抜かれてしまいました。


1曲がおそらく20分以上だったと思いますが、

演奏する側もオーディエンス側も、一切集中力が切れることなく、

音の渦にどっぷりと浸かって、

気づけばもうこんなに時間が経ってたのかと

浦島太郎状態のような感じ。

そんなこんなの濃密な3時間でした。


アンコール含めて6,7曲くらいだったと思いますがその中でも、

チャーリー・ヘイデンがチェ・ゲバラに奉げた『Song for Che』

そしてチリの伝説的フォルクローレ歌手、

ビクトル・ハラの名曲『平和に生きる権利』がとても印象的だった。


音楽にはいろいろな意味や作用、役割がありますが、

根源的に、今生きていることの主張・表明なんだと思います。

それは誰かに想いを伝える恋の歌でも、

明日への一歩を踏み出す人への応援ソングでも何でもそうなのですが、

特に、音楽を通じて政治的なメッセージを訴える、

熱意や不満を表明するということは

一井の人々にとっての極めて重要な武器にもなりうるし、

心のよりどころにもなりうる。

そう考えれば、自己検閲によって

徹底的に滅菌殺菌された今日の日本音楽シーンがいかに陳腐であることか。

そして、この目の前にいるお三方が、まさに戦う音楽をしているか、

ということがひしひしと伝わってきました。


大友さんはちょうど年末に南米ツアーをめぐってきたところで、

そのみやげ話もいくつか披露されていましたが、

その中で、先述のビクトル・ハラさんの話も。

この偉大なチリの歌い人は、

歌を通じて社会変革を目指した「ヌエバ・カンシオン(新しい歌)」運動の

中心的な役割を担った人で、チリ国民に絶大な人気があったのですが

1973年、ピノチェト将軍による軍事クーデターで反逆者として祭り上げられ、

多くの市民が連行・監禁されたスタジアムで、大衆の前で射殺されました。

ちなみにこの政変を裏で操っていたのが、何を隠そうアメリという国で、

現地の国民の平和や幸福ではなく、アメリの国益のみを価値基準として

他国であらぬ暴挙に出るというのが、あの国の常とう手段です。

それはもはやトランプ個人がどうというよりも、昔からそうで、

中南米の国々や、中東、東南アジア各所で、

同じような過ちを繰り返してきました。

次は、日本を含む極東アジアがそうならないことを祈るばかりですが…。

その後のチリはというと、アメリ政府の庇護のもと、

独裁者ピノチェトによる長い軍政が敷かれ、

アメリによる搾取に国は疲弊することになります。

この歴史的事件については、

1982年にジャック・レモン、シシー・スペイセクが出演した

『ミッシング』という映画(パルムドール作品)で描かれていますので

興味のある方はどうぞ。


一旦中休みの際に、ステージ裏のトイレに向かうと、

休憩中の大友さんとバッタリ!

向こうから、あれえ?東京タワーの人!!と見つけてくださいました。

いと嬉しや!!

お土産と、娘から手紙を預かってるので、

後でお渡ししますとお伝え。


そして、ステージ終わりに、少しお話。

家が近くて、せっかく大友さんが近所に来ているので、

娘も会いたがっているとお伝えすると、

まだしばらくここで飲んで待ってるから、いいよと言ってくださり、

大急ぎで娘を迎えに行って、久々のご対面!!

プロジェクトFUKUSHIMA in TAJIMIで盆踊りを踊ってぶりです。

大友さんから開口一番「いい笑顔してるええ〜」と言われ、

娘はいつものようにふにゃふにゃに顔が溶けてしまいました。


↓大友良英 with チーム動物園

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いつもお会いしても

忙しいスケジュールの合間で

なかなかお話しする機会がなかったのですが、

この日は少しだけお話しすることができました。

ちょうどこの日の1週間前が1.17阪神淡路大震災の日で、

例の震災ウォークの話だったり、

『その街のこども』という作品でいかに救われたかということを

ご本ににお伝えすることができ、

ようやく直接お礼することができました。


大友さんも、あの作品は自分にとってもものすごく大切で、

あそこで、震災とどう向き合うかということを

大真面目に悩んで作り上げたことが、

東日本大震災とどう向き合うかに繋がって、

『あまちゃん』にも反映できたとおっしゃておられました。

あの作品の一番最初の放映の時は、ラストシーンが生放送で、

そこに何をどう音を乗せたらいいか、相当悩んだんだよなあと。

無難にインストだけでもよかったんだけど、

あそこはどうしても歌を入れたくて、結局ああなったそうで、

今思うとそれが一番最良の選択だったと思います。

20周年の時に初めて、1.17のつどいに出るため、

東遊園地を訪れたそうですが、

あまりの人と圧倒的な静寂の空気感に圧倒されて、

公園に入れなかったということでした。

また来年でもその次でも、ぜひ来てください。


すみません、なんかライブの話から逸れまくって

湿っぽくなってしまいましたが、

とにかく、とてつもないエネルギーをいただきました。

そして、今年は初っ端から大友さんにお会いできて、

なんだか縁起がいいぞぅ!!

今年もまたいろいろとお世話になります!!


↓サインいただきました

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2018-01-15

灰ヶ峰登山

呉駅到着が13:26。

今回の主目的は映画『この世界の片隅に』の舞台の町を歩くことだが、

その前にどうしてもやっておきたいことが。

暮れの街並みを見下ろすかのように背後に構えている

灰ヶ峰に登って、呉の街並みを一望すること。

すでに昼を過ぎているし、日没までに下山を考えると、

真っ先にそれに取り掛かる必要がある。


↓呉駅

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灰ヶ峰へは駅から歩いて行ってもよいのだが、

時間があまりないので、最寄りまではバスを利用して時間短縮。

駅前のバスターミナルから11系統(広方面)に乗り込み、

呉越峠の手前の西畑バス停に降り立つ。


↓西畑バス停

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↓ここから県道174号へ入る

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バス通りから県道174号へと折れると、

急斜面にひしめき合う住宅街の細い道をくねくねと進みます。

もうこの辺りは呉市街地の一番はずれの辺りで、

少しずつ高度を上げていくと徐々に展望が開けてきました。


↓うねうねと登りが続く

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↓すでにこの高さ

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クネクネと登っていくと、

平原浄水場をぐるっとなぞるようにして道は進んでいき、

浄水場の上部に来ると、路肩に登山道の標識を発見します。

ここから県道174号を右に折れるのだが、

いきなりえげつない直線の激坂が続いており、

その目線の先に目的地である灰ヶ峰の頂上にあるアンテナが見えます。

しかし、のっけからとんでもない斜度の上り。

おそらく暗峠の序盤くらいの感じです。

灰ヶ峰の標高が737m(呉市の郵便番号上3桁と同じだそうで)で、

現時点が100mほど。

頂上までわずか3.0km弱(最短ルート)で標高差600mですから、

なかなかに急なのもうなずけます。

ひーひー言いながら激さかをやっつけます。


↓登山口の標識

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↓いきなしの激坂

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住宅街を抜けると、東側の斜面が開け、

田畑の向こう側に広の町と海が見えてきました。

少しずつ斜度を寄るめてなおも登っていくと、

墓地の入り口のようなところに出て、

そこに中国自然歩道の看板を発見。

ここから呉の町が緑の奥に垣間見えるのだが、

その構図がなんだか、

すずさんが水原さんの代わりに絵を描いた

白うさぎの海を眺める高台を彷彿としていて、

ちょっとドキっとしてしまう。

実際には、あの場面は広島の江波地区なので、

全然違うのだけれど、呉の町に入ってから、

もうずっとそういうモードに入ってしまっていたので。


↓呉越峠方面。奥に広の海

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↓中国自然歩道

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↓場所は全然違うけど、白波のウサギが見えた場所に似てる?

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舗装道路を離れてトレイルへ分け入ります。

道の周囲にお墓が転々としている林は、

さっきの激坂に比べるとゆったりとした斜度で、

落ち葉を踏みしめながら、進んでいきます。


↓いよいよ山道

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しばらく進むと、大きな看板があり分岐点。

左側は、正面登山コースとあるので、

最短で尾根伝いに登っていく道。

右側は七曲りコースとあり、

道中に水場があることから、沢を伝っていく道。

面白そうなのはもちろん後者ということで右をチョイス。


↓分岐。左が正面登山コース、右が七曲りコース

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しばらく山肌をなぞるようにして平たんな道が続き、

しばらく進むと小さな沢にぶつかる。

その沢の脇にずんずんと石段が続いている。

えっちらおっちら登っていくと、

ぽっかりと開けたところに出て、

さらに進んでいくと銀明水と呼ばれる水場に出ます。

古くから名水が湧き出る水場で、

この天然の清らかな水が呉の繁栄の礎になっているのです。


↓小さな沢伝いの上りに

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↓銀明水

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そこからさらには山肌をなぞっていくと、

沢の上部の道になります。

そこをてくてく進んでいくと、

金明水への分岐を示す標識。

この標識に従えば、金明水を経て山頂への道ということなのだが、

まっすぐ進む道が正規なのでは???

というのも、谷筋へと急に切れ込んでいく左手の道は

ほとんどトレイルが消えかかり、

谷に向かってかなり危うい感じ。

ここが正規ルートだとしたら、事故頻発だろう。

しかし、ここは標識を信じて、左手に折れます。


↓えっ?こっち?

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ほとんど足場があってないような頼りない道を、

その道を塞いでいる枝木をサポート代わりに、

急速に谷へと下ります。

本当にあっているのかと不審になってきたころに、

金明水の看板があり、谷底の岩場に水を牽くパイプを発見。


↓金明水

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さっきの道を喉るのはかなり難儀だし、

さっきの標識通りなら、この先山頂までのトレイルがあるはず。

ということで、それらしい場所を選びながら、

ずんずん谷底を進んでいくと、空が開けた広い沢に出る。

しかし、その時点ではトレイルらしいトレイルもなく、

もしあったとしても、おびただしい雑草とツタで一面覆われて

もはやどこがトレイルなのかわからない状態。

人が足を踏み入れなくなって久しいというのは間違いなく、

かといって引き返すのもそろそろ難しい段階になってしまいました。

どうしたもんじゃろと周囲を見渡すと、

さっき分岐したもう一方の道が右手の谷の中腹に続いているのが見える。

あそこまでこのまま無理やり登りきればよいだろうと、

そこから道なき道を突進。

ところが、突然の訪問者に容赦なく牙をむく

トゲトゲやくっつき虫に悪戦苦闘。チクチクと皮膚を刺されながら、

どうにかこうにかトレイルに復帰できました。

下山時に、林道からこの辺りを見下ろせば、

このまま無理やり突進していたら、完全にどん詰まりだったので、

途中で意を決して離脱して正解でした。

しかしあの標識は紛らわしい…


↓道、どこ!?

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↓トゲトゲ、くっつき地獄

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↓彷徨ってた斜面(下山時撮影)

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無事にまっとうなルートに躍り出て、

そこから何度か急斜面をジグザグ蛇行しつつ進んでいくと、

上部に林道のガードレールがあり、そこまでたどり着くと、

小さな東屋がありました。

そこからは呉の街並みが望めました。

そこそこ高度を上げてきましたね。


↓東屋からの眺望

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そこから林道を右に進んでいくと、

ほどなくして山頂までのトレイルの入り口を発見。

ふたたび山道に入りますが、2つのトレイルが並行しています。

1つはきれいに丸太で階段状にしてある道で

山頂まではこちらがイージーそう。

もう一つは元々の道で、林道に沿いながら進んでいく様子。

ここはやはり古い道を選択します。


↓林道をまたいで最後の上り

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↓一番古い道を登る

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ラストの登りはなかなかどうして骨が折れ、

急坂をえっちらおっちらと登っていきます。

急な階段が終わるところを過ぎると、

展望台を兼ねた休憩所がありましたが、

もう山頂はそこだし、休みを入れずに写真だけ撮って、

一気に山頂まで。

そうして15:20に灰ヶ峰の山頂に到着。


↓広方面

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↓いよいよ山頂

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山頂には、気象レーダーの施設と、展望台があります。

これは戦時中、呉の軍港を空襲から守るための

海軍の高射砲施設の遺構。

そこからの眺めは360度の大パノラマ。

すぐ眼下には呉の街並みがミニチュアのように見え、

右手側には遠く広島市街や宮島方面が広島湾に浮かんでいる。

翻って見れば、背後に熊野町や東広島の山並み、

南東部には、広の街の向こうに瀬戸内の海。

ちょうど正面に安芸灘大橋がかかっていて、

そこからとびしま海道の島々が続く。

空模様はどんよりと沈黙を保ち、それに応えるようにして、

瀬戸内の島々が幾重にも身を寄せ合っているかのよう。

山上は少し風が吹いていて、

あっという間に汗まみれの体を冷やしてゆくが、

お構いなしにシャッターを切り続けた。

来たよ、すずさん。呉の町が見えるよ。


↓灰ヶ峰展望台

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↓呉の街並み

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↓アップで

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↓宮島方面

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↓とびしま海道。遥か奥に石鎚山系

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アングルを求めて山頂を少しうろうろしてみたが、

背後には金網があっては入れない。

よく見ると、ここは米軍の管轄区域で立ち入り禁止の文字。

すずさんの街のてっぺんが、

今もってアメリの占領下におかれているのかと思うと、

少し悲しい気持ちになった…。


↓いまだにアメリの占領下に…

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↓呉

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すずさんのこと、呉の人々のこと、

戦争のこと、原爆のこと、そして今の日本のこと、

目の前に広がる景色を眺めながら、

色々な思いが駆け巡り、

いつも見る山からの絶景とは少し違う気分に駆られる。

15:30を過ぎ、名残惜しいがそろそろ下山せねばならない。

また、折に触れて登りに来よう。


山頂からは林道も含めて方々に道が枝分かれしている。

どうせなら違うルートを通りたいが、

間違って、呉市街とは反対側に降りてしまうと後が難儀。

初めての山で、しかも日没までに聖地巡礼もしないといけないため、

ここでのルートミスは致命傷。

なので、とりあえずはきた道を戻る。

途中の展望所からは別のルートを使ったが、

結局林道までに同じ道に戻る。


林道に出て、金明水の道はスルーして、

そのまま少し舗装道路を進む。

途中、ロードバイクで苦しそうに上がってくる人がいて、

頑張れ!とハッパをかける。

少し進んでいくと、別の休憩所があり、

その近くのガードレールの切れ目に、ルートを発見。

そこをずんずんと下っていく。

ルートは一直線に下っており、なかなかの急斜面。


↓正面登山コースへ

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そのうちに、見たことのある分岐に出る。

一番最初の分岐だ。

そこからさらに下って、無事に登山口に到着したのが16:13。

約2時間の山行でした。


↓無事下山

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↓山行ルート

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<山行記録>

14:03灰ヶ峰登山口→14:11舗装道終わり→14:24分岐→

14:33銀明水→14:42金明水→15:00東屋→

15:20灰ヶ峰山頂15:35→15:51直登コース→16:13灰ヶ峰登山口