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記憶の残滓 by arkibito

2016-11-28

カストロ死す

キューバ革命を起こしたフィデル・カストロ議長が亡くなりました。

それにしても、トランプという21世紀の”革命家”の到来によって

時代がまさに大きく変わろうというその只中で、

なんというタイミングだろう。

まさに一つの時代の終焉と、新たな時代の始まりを告げる象徴的な死です。

合掌。


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20世紀は良くも悪くも、アメリが世界の覇権を握り、

アメリスタンダードによって政治・文化・経済が回っていた時代。

しかしそこにはもちろん明と暗の側面が存在しています。

ソ連共産主義とのし烈な争いは、

世界各国で代理戦争を引き起こすわけですが、

その度にあの手この手で親米派傀儡政権を樹立させては、

手のひらを返したり、利権を吸い取ったり、

米帝はある意味、強者の理屈を強引に押し付け、

国家として安定を欠く国々からひどい搾取をしてきました。

特に、中南米政策はチリクーデター、グレナダ侵攻、パナマ侵攻etc、

やりたい放題をしてきて、

それらが結果的に反米意識を高めることになるのですが、

そういうアメリンスタンダードの世界に対して真っ向から立ち向かい、

独自路線で半世紀以上国家を運営してきたのがキューバという国であり、

フィデル・カストロという革命家なのです。

もちろん彼自身の独裁にも明と暗はありますが、

アメリ、そしてソ連いう絶対的な大国相手

堂々と渡り合ってきた器量というものは計り知れないもので、

間違いなく中南米アイデンティティを体現するカリスマだったと思います。

2016-11-10

ポスト冷戦レジームの終焉と谷間の時代の始まり

トランプさん大統領になりますねえ。

目の前にぶら下げられたニンジンに容易にぶら下がるというのは

どこの国でも同じことで、ある程度予想できた結果です。

でも、この結果で一番のはずれくじを引いたのは、

ヒラリーさんではなく、実はトランプさんご本人ではないだろうか?

正直、トランプさんにとって一番旨みがあったのは、

責任を取る立場にならず、いいたことだけ言いまくって、

国民の期待と希望だけを十分に吸って、

接戦で敗北することだったんじゃないだろうか。

そうすれば、半永久的に期待の人物としての偶像を獲得することができたのに、

これからはそれを実像として実践していかなくてはならなくなった。


これまでは、とにかく野望をむき出しに、

今の政治に言いたい放題言える立場であったし、

暴言をはこうが、スキャンダルを起こそうが、ブーイングを浴びようが、

全く立場的に痛くも痒くもなかった。

単純に言えばあの手この手で人気取りをして、

票を集めるというミッションを遂行していればよかったし、

大統領になるという明確なゴールがあって、

そこに邁進しさえすればよかった。

しかし、ここからはそういうわけにはいかない。

国民に対して常に成功と結果を与え続ける義務が生じる。

しかも、自ら国民を焚き付けた結果、

センセーショナルな形で大統領になったという経緯からしても、

国民が抱く期待値(それも明確なビジョンに担保されたものではない)は

いまだかつてないほどに膨れ上がっている。

そのバブルが崩壊した時に、破壊度は計り知れないものだ。

これからはその恐怖に常におびえる日々を送ることになるのだ。

そんななかで、明確な答えもゴールもない職務を全うして、

その期待に応えるだけの結果を残せるのか。

最大の懸念材料は本人が全く政治活動の経験がないということ。

確かに、自らの力でビジネスの世界で王国を築いたかもしれないが、

それは所詮自分のテリトリーの中で君臨してきただけのこと。

自らが王で、自らがルールという”ど”ホームでやってきたことが

これからは国内外問わず、完全アウェイの状況で通用するのか。

アメリ国内ではまだ多少やれるかもしれないが、

グローバルネットワークの中で、

いまだ世界の覇者としての役割を担うアメリの舵取りは

正直荷が重すぎるような気がしてならない。


なかにはトランプ勝利民主主義終焉ととらえる人も

いるようだが、自分はそうは思わない。

もちろんアメリ選挙メカニズムの問題は多々あるかもしれないが、

選挙という形で国民の声をダイレクトに反映した形で当選しているわけだし、

民主主義でもなければ、政治の世界(密室)のつながりも希薄で、

ただただたたき上げでビジネスの世界でのし上がってきた人間が

大統領になれるわけがない。

(もちろんナチス党だって選挙で選ばれているわけだから安心はできないが)


これは民主主義終焉ということではなく、

むしろ1989年のベルリンの壁崩壊、1991年ソ連崩壊以降に構築された

”ポスト冷戦レジーム”が破綻した

決定的な瞬間だったと捉えるのが正確ではないだろうか。

つまりそれは、この30年近くの間、

比較的安定的に先進国によって運用されていた世界秩序が、

もはや構造的な疲弊によって音を立てて崩れ去り、

次の新たなレジームが構築されるまでの谷間の時代が始まりを告げたのである。

世界はますます内向的排他的思考と分断によって

激動の時代を迎えることになるだろうと懸念せざるを得ない。

イギリスEU離脱スコットランドの独立問題、

ISISというこれまでの国家という概念を無視した勢力の登場、

人民元の国際通貨化とAIIBの設立など中国の台頭、

フィリピンドゥテルテ大統領の親米から嫌米へのシフト…

これまでの常識(ポスト冷戦レジームの観点)からすれば

全くあり得なかったような事態が世界同時多発的に起こっているのは

決して偶然ではなく、これと同じベクトルの力が

今回アメリでも起こったということだろう。


歴史的に見て、世界がある一定の共通認識を構築し、

それを安定的に保てるのはせいぜい100年程度だろう。

今の時代、IT技術の発達やグローバルなネットワークの複雑化によって

世界のスピードは速くなっているから、

その間隔はそれよりもさらに短く30年単位としても不思議ではない。

永久不変のパーフェクトな体制などあり得ないし、

ある体制下で、誰かが富や名声を得る陰には、必ず泣く者が生まれ、

その格差は時間を追うごとに少しずつ広がり、

いつしかその不満が明確に大きなうねりとなって爆発し、

その体制が倒されて新しい秩序が再構築される。

人類の歴史は常にその繰り返しなのだ。

だから、トランプだのヒラリーだの騒いでも正直仕方がない。

世界秩序が大きく変わろうとしているこの激動の時代のただなかで、

どうやって生き抜いていくか。

潮目を注意深く見極め、しぶとくやっていくしかない。

2016-09-16

クレイジージャーニー

最近の気に入りのテレビが、

水曜深夜にやっている『クレイジージャーニー』。

とにかく登場する旅人のあまりのクレイジーぶりに毎回驚かされる。

自分はもう普通の範疇でアドベンチャー愉しみます、

勘弁してくださいという気分になります。


リアカーを曳いてサハラ砂漠を横断する人や、

ブラジルのスラム街・ファベーラに住み着いて、

ギャングたちを撮影する写真家、

アフリカ原住民に溶け込んで生活する女性とか、

小さなカヌー1つだけで、オーストラリアから日本までを航海する人、

ルーマニアの闇マンホールタウンへ突撃取材する人、

アメリで最凶最悪の刑務所に服役していた人などなど。

とにかくすごい人ばかり。


とにかく毎回毎回、

奇怪遺産、危険地帯、スラム街、ドラッグ&銃の最前線など

フツーの人がなかなか行けない(行かない)場所へ

意を決してというよりもむしろ、ふらっと行っちゃう感じで、

世の中には本当にいろいろな人がいるなあと。

ただ家畜をぶった切って湯に入れて茹でただけで味付け一切なしのスープとか、

明らかに怪しい緑色をした得体のしれないジュースとか、

生きたコブラの心臓をレアで食べるとか、

大量の軍隊アリを水に放り込んで、それを絞ったジュースとか。

現地の食べ物を何の躊躇もなく食す人というのは本当に強いなあと感じる。


特に印象に残っているのは、住職(大阿闍梨)の塩沼亮潤さんの回。

この方は、吉野・金峯山寺1300年の歴史でたった2人しか達成できていない

「大峰千日回峰行」を成し遂げた人。

この修行は簡単に説明すると、

吉野山金峯山寺蔵王堂から大峯山山上ヶ岳頂上までの

片道24kmを往復(48km、標高差1,355m)を1000日連続で歩くという過酷なもので

行の期間が年間4か月と定められているので、約9年もの歳月がかかる大修行。

もう想像を絶します。

またこれとは別に「四無行」という修行も満行されています。

「四無行」とは、断食(食べず)、断水(飲まず)、不眠(寝ず)、不臥(横にならず)を

九日間続ける修行で、無事に生きて行を終える確率が50%といわれるとても危険な行。

本当に死の淵までたどり着かなければ

開くことのできない悟りの境地ということなのだと思いますが

宗教的な面はさておいても、もはや超人としか言わざるを得ない。


2016-08-18

Music Life 『ろっかばいまいべいびい』 by 細野晴臣

引き続いての弾き語り練習は、

敬愛する細野さんの『ろっかばいまいべいびい』。


1973年5月25日に発売されたファースト・ソロ・アルバム、

『HOSONO HOUSE』で1曲目に、ギターの弾き語りで収録されている名曲で

のちに、西岡恭蔵や吉田美奈子にもカバーされた曲。

はっぴぃえんど解散後に結成したキャラメルママの面々と、

埼玉県狭山市にあるアメリ村の自宅で

ホーム・レコーディングという形行われた録音は、

ゆったりのんびり、自由の空気が充満しています。

ここから細野さんのオリエンタルでワールドワイドな航海がはじまっていくのですな!


さて、この曲、タイトルもそうですが、

メロディー進行がとっても不思議です。

そう感じるのはきっと自分のボキャブラリーが足らないせいかもしれませんが、

こんなコード進行にこんなメロディーを乗っけるなんてと思うくらい、

上も下もよくわからない無重力の中を漂う曲なんです。

そのころから細野さんが傾倒していたヴァン・ダイク・パークスや、

細野さんの原風景的な50'S、60'sのアメリンポピュラーソングの影響を受けつつ、

細野さん自身が醸し出すどこかオリエンタルでアジアンチックな香りが混ぜ合わさり、

これぞ細野節といえる一曲だと思います。


↓弾き語り練習


↓本家


【ろっかばいまいべいびい】

作詞・作曲:細野晴臣


むかしのメロディくちずさみ

ろっかばいまいべいびい

すてきなドレスに身をつつみ

ろっかばいまいべいびい

泣かないでさ これからは

ダイナ、君といつも一緒だよ


すてきな君、そのくちびる

ろっかばいまいべいびい

おかしな唄 このメロディー

ろっかばいまいべいびい

泣かないでさ これからは

ダイナ、君といつも一緒だよ


晴れた日はとても青い空 

花は咲き乱れ

そよ風に鳥はさえずり 

夜は青い月を見つめ

2016-06-22

Music Life にほんのうた

そろそろ音楽活動も復帰したいところだが、

まだ少し左手の違和感がぬぐえず、騙し騙し弾く感じ。

リハビリを兼ねて最近弾いているのが日本の古い歌。

年を取り、子を授かった心境の変化なのか、

最近は民謡とか童謡とかの素晴らしさに気づかされることが多い。


古くから伝わる民謡・童謡は、

必ずしも西欧の音階のルールに縛られるのではなく、

むしろ大和国独自のリズムや階調だったり音色がして、

日本人の心にダイレクトに響く。

また、商業的に創作された音楽ではなく、

生活や風土の中から自然発生的に生まれ、

伝承されてきた歌というものには、

その土地に根ざした力強いメッセージが宿り、

極めてシンプルな音数で無駄がなく美しい。

それは日本の歌に限ったことでは決してなくて、

南米のボサノヴァやタンゴ、南欧のフラメンコやファド、

ロマのジプシー音楽、ケルト音楽、サルサ・サンバ、

アメリ南部のカントリーブルースなど、

音楽の根元に共通して流れている大きな何かだと思う。

それは、コード進行がどうだとか、

テクニックがどうとか表象的な話ではなく、

音楽というものの持つ本質的なもの、

つまり、歌やリズムがなぜこれほどまでに

人間を煽動し、欲情させ、熱狂させるのか、

という根っこの部分である。


上の娘もそうだが、下の娘はとても歌が好きなようで、

歌っている間は機嫌がよく、ギターの音も気になる様子。

それで最近はよく弾き語りをしてご機嫌を取ることが多い。

そこで今回紹介するのは、子守唄を2つほど。

子守唄は、まだ口のきけない赤子とお母さんを繋ぐ

大事なコミュニケーション手段です。

と同時に、音楽がこれほどまでに実際に作用を及ぼす(この場合、眠らせる)

という点ではなかなかに興味深い。

ある意味究極のイージーリスリング、ヒーリング音楽ですね。


さて、1つ目は、「ゆりかごの歌」。

子守唄と聞けばこの歌を真っ先に思い出す人も多いのではないでしょうか。

大正10年に北原白秋が発表した唄です。

当時は多くの文人が童謡を制作していたらしく、

その中でも非常にわかりやすく丁寧な言葉づかいで人気だったそうです。

他にも「待ちぼうけ」「ペチカ」「あわて床屋」などを残しています。

ゆったりとしたテンポで、「ね〜んね〜こ♪」とやれば、

本当に心地よく眠りの世界へと落ちていきます。


↓ゆりかごの歌


続いては「竹田の子守唄」。

とても抒情的で深く美しい曲です。

京都の竹田地区で歌われてきた民謡で、

クラシック作曲家の尾上和彦によって再発見されたのち、

50〜60年代の政治・労働運動の一環として盛んとなったうたごえ運動や

のちのフォーク・ブームに乗り、

1969年に「赤い鳥」によって歌われたことで全国的に広まった曲。

この曲は時代や政治的な事柄によって翻弄されてきたという

とても悲しい歴史をもっています。

この歌の歌詞の中に「在所(ザイショ)」という言葉が出てきます。

意味としては、一般的な地方の田舎、または郷里を指すのですが、

それとは別に「ブラク」を指す言葉としても用いられることから、

それが当時のメディアから放送禁止歌として

長らく封印されるという憂き目にあってきたのです。

歌詞の意味としては、

奉公に出された子が、奉公先の赤ん坊の世話をするのだが、

この赤子がまたよく泣いて困るし、

お盆と言えば昔は楽しい思い出があるが、

今となっては楽しみなど1つもなく、ただただ痩せる思い。

早く奉公を終えてすぐ川向こうに見えている親の家に帰りたいが

こんなに近くても遠い存在だという内容。

もちろん赤ちゃんを優しくあやすための子守唄もたくさんありますが、

子守をする側のつらい想いを描いた子守唄というのも意外とたくさんあります。


↓竹田の子守歌


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