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記憶の残滓 by arkibito

2017-04-28

信じられない

京都市右京中央図書館で、桑原武夫氏の遺族が京都市に寄贈した

同氏の蔵書1万421冊が無断で廃棄されたというニュース。

全く持ってあり得ない信じられないニュース。

個人の所管・管理では、

一般の人の利用に制限をかけざるを得ず利用価値が低下すること、

また、そもそも維持管理に限界があり、

貴重な資料として永劫保存しやすい環境が必要という観点

遺族が信頼して、図書館に寄贈したものを、

無断で廃棄するなんて言語道断。

知への冒涜だ。

まして、それを専門に管理し、利用を促すべき立場の人間が、

自らがその価値を十分に理解していない、

無知であるというだけで、

それをしてしまったというのは、全くプロ失格。

置き場がなく、目録で対応できると思ったというが、

それって知りたい人は本じゃなくネットで調べたらと言っているのと同じで

そんなこと言い出したら、そもそも図書館存在意義は何なの?

オリジナルのアーカイブであるということすら放棄するの?

市民からの問い合わせもほとんどなく影響はないと判断したそうだが、

一般企業なら、第一目的である営利に鑑みて、

在庫を処理するということもありえるだろうが、

公共の機関において、利用頻度だけを尺度に、

その歴史的価値をないがしろにするという行為はありえない。

じゃあ流行の本や雑誌だけ置くの?

他では見つけ出せないような

郷土の資料や古い歴史の資料はいらないの?

それじゃTSUTAYAと一緒じゃん。

全く本の中身の価値を考慮せず、

単に在庫の1つとしてしか扱っていなかったということになる。

本当に「仕事」をせず、

ただ単に賃金をもらって「労働」しているからこうなる。

機能や効率や利便性だけを追求して、

クオリティや味わいや歴史を軽んじるからこうなる。

無知っておそろしい。

2017-04-21

カレーなる日々

ひっさびさの黄レンジャー報告書。

食べてないわけじゃないけどね。


まず1軒目はご近所にある「コバチ咖喱」。

ここは座席が広々してるんで、ベビーカー入りやすく

奥さんとのランチでも使えるので重宝します。

自分はキーマ2種のあいがけ大盛り。

奥さんは酒粕を使ったベジタブル。

少し後味が甘くて残るのが少しアレだけど、

十分なクオリティ

食後の珈琲もおいしい。


↓チキンキーマとラムキーマのあいがけ大盛り

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酒粕ベジタブルカレー

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続いては職場の近所2連発。

1軒目はナゾの上品そうなお母さんが一人で切り盛りする

「めんふくろう」さん。

インディ系の甘い⇒辛いのオオサカンスタイルなルーは

かなりおいしい。

ゆで卵にマヨのデフォルトの付け合せがなかなか仕事します。

庶民的ですが、実はこの界隈では1,2を争ううまさかも。

帰りにはコーヒー飴ちゃんくれます。


↓めんふくろうカレー

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続いて、一つ筋をちがえたところにある「おーるすぱいす」

一時期は結構この界隈でも注目だったけど。

あまり特徴という特徴に乏しいからなあ。

食後に飲むヨーグルトをいただけるのはありがたい。


↓おーるすぱいす

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ラストは、最近のお気に入り、★印プレゼンツの

「スパイスまるせ」さん。

ここは3種あいがけ(チキン/タイグリーン/ポークキーマ)の大盛り。

パクチーデフォルトでのっけでうまし。


↓スパイスまるせ

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2017-04-19

『音楽と美術のあいだ』刊行記念トークイベント 大友良英×小崎哲哉

時計の針を少し巻き戻して、金曜日の晩。

恵文社一乗寺店に本当に数年ぶりにお邪魔します。

学生時代からだからもう20年近く通っていますが、

昔はこういった本屋がここしかなかったんだけど、

今は身近にも増えてきて、

どうしても距離があるので足が遠のいてしまっていました。

前訪れた時は、店の西側に拡張していましたが

今回は東側も拡張されて、あたらしくイベントブースまで。

相変わらず本のラインナップも素晴らしく、品ぞろえ抜群です。


恵文社一乗寺店

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で、今回お邪魔したのは、

去年秋に参加させていただいた

「アンサンブルズ東京」の主催者であり、

音楽家・ギタリスト大友良英さんが新しい本を出版する

記念のトークショーに参加するためです。

単に音楽活動を行うだけではなく、

日本はもちろん世界各地で「アンサブルズ」プロジェクトを行い、

老若男女問わず、また音楽や芸術の垣根を越えて、

ムーブメントを起こしているすごい人です。

お相手は数々の芸術系雑誌の編集長を務め、

芸術プロデューサーとしても活躍の小崎哲哉さん。


↓『音楽と美術のあいだ』刊行記念トークイベント 大友良英×小崎哲哉

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トークスタート

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とにかくもう最初から最後まで大切なことだらけでした。

そこまでしっかり考えているということ、

そしてそれらを単に頭でっかちな理屈で終わらせるのではなくて

それらを実践することの偉大さをまざまざと実感しました。

色々多岐にわたる話題で、

なかなかうまく順序立ててまとめることができないけど、

ポイントだけおさらい。


結局、音楽や美術作品を作り出すということではなく

現象を作り出す、場を演出するということが大事で、

そういう意味では美術も音楽も科学も料理も根っこは同じ。

デジタルの時代では、それらを録音したりアーカイブ化して、

いつでもどこでも再生可能な技術が発達してしまったがために、

それらの現象的な側面、ライブ感という、

本来の醍醐味が軽んじられ、

単純に娯楽対象、消費対象として用いられてしまう。


音楽でいえば、PA技術の発達やオーディオ設備の充実で、

日々たくさんの音が溢れているけれど、

ほとんどは音の主要な部分を拾っているだけで、

実は細かな音を再現できていない。

それでは作り手の本当のこだわりだったり、

核心部分が正しく伝わらないのだけど

今の人たちはスマホのイヤホンの音しか知らないから

それで十分満足してしまう。

というより、それしか知らないから、

はじめからそういうものだとして認識されてしまう。

むしろ、そういうことにこだわるのは

一部のマニアの世界の話でしょと切り捨てられてしまう。

すると聴く側のクオリティが下がるのは当然で、

そうすると今度は作り手側のハードルも下がる、

その負のスパイラルが繰り返されてしまうのは

ホンモノを知らない、無知であるということに尽きる。

それは芸術の世界でもテレビの世界でも、なんでもそう。

大量消費、大量生産、デジタル技術が便利さを加速させる一方で、

簡略化により省かれた部分がそっくりそのまま衰退してしまう。

でもその省かれた部分が実は大切なものだったりする。

つまり、何に重きを置くのか。

効率やコストなのか、クオリティなのか、

価値観の問題にぶちあたる。


芸術家や音楽家は

そもそも社会の通底にある価値観や常識を一変させたり、

別の角度からの視点を示唆したり、

あるいは全く新たな価値観を創造する類の

アクションやモーションを起こす人たちなので

そういった傾向や時流に対して、

彼らが起こそうとしているのは

ヴァルター・ベンヤミンが提示した

アウラ=一回性」の復権なんじゃないかと思いました。

つまり、今や何もかにもが大量にコピーされ、均一化され、

時代の早すぎる流れのなかで、

すぐに別のものに簡単に置き換えられてしまうような

モノやコトではなく、

その日その場所でたった一度しか体感できない

”経験”こそがホンモノであり、

それに気づかせるための1つの方法として、ということでしょうか。

そのもっとも有効的な方法の一つが、

ハレとケの交わる”祭り”であり、

大友さんが手がける「アンサンブルズ」プロジェクトなのでしょう。


また本のタイトルの意義について述べられている部分も

なかなか興味深かった。

「音楽と美術のあいだ」ということですが、

その「あいだ」というのは

2つの中間に属する何かを指し示しているのではなくて、

音楽と美術とのつながり、間柄という意味で、

この2つは長らく交わりそうで交わらないような

明確な境界が存在してしまっていたのだけど、

それらを越境したり、

行き来したりするような動きがどんどん出てきている。

これはこのお題にかかわることだけじゃなくて、

その世界・業界の中だけで成立するような評価体系の中だけでは

そのものの真価は図ることができないし、

一側面的な偏った見方に陥りかねない。

常に大事なのは、他者の存在、他者視線

これは、とても大事な投げかけです。


そもそも自分がどんなジャンルものか、

どういった系統に属するかなんて言うことは

本来どうでもよくて、むしろそれは評論家や歴史家の仕事。

ただ、世間を知らない若者が知らずにパクッている場合に、

大人がきちんと怒る必要があり、

その根拠としての体系化の作業とその教示は大切なことであるという

小崎さんのキュレーター然としたコメントはなかなかうなずけました。


色々な話を伺って、ナルホドと思わせることだらけでした。

つまり”型”ではなく”型破り”なんだと。

自分も音楽をやっている端くれの端くれですが、

コードがあったり、AメロBメロサビといったフォーマットがあったり、

ある型に従って構成されていて、

それらを忠実に演奏する、上手に間違わずに弾くということだけに

どうしても頭が行きがち。つまり型にばかりこだわってしまう。

でも人の心を動かしたり、

世代や時代を越えたムーブメントを起こす本当の要素というのは、

そういったものを越えたところにあるもの、

つまり”型破り”なんだと気付かされました。

これは音楽に限らず、美術でも、スポーツでも何でもそうかもしれません。

もちろん、それをはっきりと口にできるのは、

何よりもまず”型”を知っていることが大前提で、

”型”もできない者がそう主張したとて、

何の説得力も持ちえないということは言うまでもない。

文字通り、型があってこその型破りであって、

それもまた他者の存在の話につながってくる。

うーん、納得。


とにかく、何事も自分で考える、

よく考えるということの大切さ。

ホンモノっていうは決して偶然の産物ではなく、

すべて必然であって、

そしてホンモノはえてして面白い。

本当にこの夜はとても素晴らしい勉強になりました。

そして先日の本屋トークの話ともやっぱり繋がる話で、

とても収穫の多かった。

(これを何か形にできればいいんだけど…)


↓すごい大事なことしゃべってます

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トークショーの後はサイン会。

アンサンブルズ東京で●●駅から参加しましたというと、

覚えていていただけてました。

しかし、これほどの方と一緒の舞台で歌って踊ったというのが

今になって本当に奇跡というか、ありえないことだなあと改めて。

娘にとっても一生の財産になったろうし、

本当に大友さんには感謝しかありません。


↓大友さんと記念撮影

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↓サインいただきました

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この日のトークショーの内容を

ぎゅっと凝縮したのがこの一冊なので

これから読み込もうと思います。

バイブル必至だな。


↓必読!

2017-03-16

ご近所めんライフ 「ラーメン東大」「光龍益」「麺屋青空」「ティーパン」

ひさびさに麺記事。


まず1軒目は十三にある徳島ラーメンのお店。

徳島ラーメンのフランチャイズとしては最も有名な系列かも。

玉子無料なのが嬉しいけど、写真撮る前に割れてしまった…

不覚。

徳島ラーメンの特徴は、時にスキヤキ風味と言われる

濃い味、甘辛い味と、生卵のセッション。

単体では濃いので白ライスが要りますね。

まずまずおいしいけど、喉が渇く。


↓ラーメン東大

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2軒は、ひっさびさに南方の光龍益。

単純に響かないから近いけどいかなかったけど、

やっぱりダメ。

今回はつけ麺にしたけど、

やっぱりここのスープ妙な生姜風味と

しつこい甘だるっこさがいつまでも不快。

ギトギトの鶏白湯の臭みを消すための努力とか工夫ではなく、

別のものを追加して隠しているような感じに受け取れる。

部屋の臭いにおいを消すのではなく、

芳香剤撒いて、余計臭くなるみたいな。

チャーシューの代わりの煮豚?

あれが、繊維に沿わずに切られて出てくるから

全然全く噛み切れない。

口の中で悪戦苦闘してくちゃくちゃやってると、

ドロドロスープもベタついて食べててもイライラ。

なぜここが評価高いのか全く分からない。

これは同行者の皆さん全くの同意見でした。

これなら天一でいいじゃん。

たぶんもう行かない。


↓光龍益

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続いては、まだ南方界隈では新米の部類に入る青空さん。

オープン当初は結構行列ができていましたが、

最近は早くも飽きられている様子。

その理由がわかる気がします。

この界隈はラーメン激戦区だけど、

博多トンコツ系は他にはないので、

環境的にはやっていけそうだと思ったが、

やはり肝心のラーメンのクオリティが向上してこないと、

お客さんの舌は肥えてるからすぐわかる。

麺もスープもあまり特徴もなく、

食後いつまでもベタベタとした感じだけが残る。


↓麺屋 青空

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ラストはお口直しに、安心のティーパン。

味噌ラーメン550円+ライス150円で、

このボリューム、早さ、味。

昼飯にはもってこい。

それがわかってるから近くの会社員はこぞってここに飛び込む。


↓ティーパン みそラーメン

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2017-03-14

本屋Title at 荻窪 / 『本屋、はじめました―新刊書店Title開業の記録』 by 辻山良雄

聖蹟桜ヶ丘を後にして、いったん新宿へ戻り、

そこから中央線で向かったのは荻窪。

先日の、スタンダードブックストアでの本屋トーク

本当にたくさんのヒントを得た気がしていて、

そこで登壇されていた本屋Titleというお店に行ってみたくなりました。

新刊書籍を扱うお店、それも大型店舗ではない個人経営のもので

新規でオープンするということ自体がこの時代大変珍しいこと。

本屋トークでもやはり文化の発信基地、

知と人がコミュニケートする場としての可能性について議論されていましたが

理屈としてわかっていても、

こうやって実践することは実際問題なかなか難しいことです。

せっかく本屋トークで得た”何か”を、実や花として育てていくためには

その現場を見て、味わって、空気を感じることが大事だと思ったのです。

本当は前日までの予定では、プランに組み込むのが厳しそうだったのだけど、

予定よりも早く朝出発できたことで、

合間ではありますがなんとかねじ込んでみました。


↓荻窪の本屋さんTitle

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で、てっきり11時オープンだと思って、

それなら1時間弱はいられそうだと思っていたのだが、

勘違いで、実は12時オープンだった(汗)

12:30の電車には乗らないと次の予定に間に合わないのだが、

駅から10分ほど離れた場所にあるため、

駅までの時間も勘定すると10〜15分くらいしかいられませんでした。

本当なら、のんびりゆっくりと、

選ばれた本やその場の空気と向き合えればよかったのですが…


本のラインナップとしては、

まず地元向けの人たちの普段使いの本屋として雑誌や新刊書籍があり、

それからテーマごとに目利きの効いた本や、

小さな出版社や地元で発行されているようなここならではの本が並んでいます。

新書、文庫、雑誌という風な形式ごとに並んでいるのではなく、

近しいテーマや、関連性によって本棚が形作られているので

見ていても楽しいし、本との出会いを探し出す楽しみがあります。

レジは少し奥まったところにあるので、店の人の目線を感じずに

思い思いに本と向き合える環境になっていて、

奥にはカフェもありました。

2階は小さなギャラリーとなっていて、

この日は『未明01展』というのをしていました。


↓開店しました

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↓二階のギャラリー

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ほんのわずかの時間でしたが、

そんななかでも自分の中での掘り出し物がいくつかあり、4点お買い上げ。

2階ギャラリーにも飾られていた黒坂麻衣さんの絵がとても心に残り画集を。

それからちょうど、この行きの新幹線で読み始めた

スティーブン・ミルハウザーの去年復刊されたものを発見して飛びつく。

あとは奥さんにお土産として絵本を一つ、

井上奈奈さんの『くままでのおさらい』を。

それから、MARIOBOOKSの安達茉莉子さんの

『猫と惑星に名前をつけようとしてくれた君へ』。

やはり自分らしい傾向が現れるラインナップでした。


↓本日のお買い上げ

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先日の本屋トークでは体調不良で

2次懇談会を早退してしまい、お話しできなかったので

レジで辻山さんと少しだけお話し。

やはり理屈で知っているのと実践していることの

地力の差、コトバの持つ説得力というものを実感しました。

それはこれまでの経験に裏打ちされたホンモノですね。

本が売れない時代に、ネット通販や大型書店と勝負し、

本や本にまつわる文化をどう発信していくか、

またそのコミュニケーションの場としての可能性について

ある意味1つのたどり着いた答えがこの本屋titleさんなのです。


このことは、ちょうど自分の今やっている仕事にも

そのまま当てはまります。

つまり、今やネット上に大量に、しかも無料で、24時間体制で、

情報やデータが提供されている時代に、

わざわざ紙媒体という、手間もコストもかかり、

物理的なボリュームの制約があるもので勝負し、

しかもそれをお客様にお金を払ってもらって

手にしてもらうにはどうすればよいか、

その”勝負の綾”の居所を探るということと同じだなと。

それは確かに簡単な課題ではありませんが、

本が売れない売れないと悲観的になることでも意外とないんだなと。


例えば、最近深刻な問題となっている

運送宅配業者の困窮状態などでも明らかなように、

一見便利なネットやデジタルな世界の裏側で、

それを支えているのは結局、人の手だったり、

物理的な労力だったり、アナログだったり時間だったりするわけで、

それらのプロセスの部分を

消費者の目から巧妙に裏方へと隠しているだけで、

結局はホンモノの便利さではなくハリボテの便利さでしかないんだなと。

便利、便利といっても、それは消費者の狭く小さな視点でしかすぎず、

もっと大きな視点、つまり消費活動サイクル全体でみれば、

実はとても不便な世の中になってしまっているかもしれないし、

実際自分が働いて供給の側にいる時間帯のストレスやプレッシャーは

以前と比べてずっと増えているかもしれない。

そうだとしたら、丸1日のエネルギーに換算したら、

本当に便利になったか、ハッピーになったかは安易には言えないはずだ。

無料、無料といっても、そこには確かに

誰かの手掛けた時間があり、手間があり、

それに対してのなんらかの対価が支払われるべきなのであって、

それが消費者のお財布からというのを直接的に意識させなくても

どこかで、それが気づかぬうちに徴収されているかもしれない。

(例えばユーザーを囲い込むだけのポイントとかマイルとか)

つまり、自分の便利さや幸せは、

結局誰かの(自分の?)手を煩わせたり

悲しませたりして成り立っている、

そのことの想像力だったり、

いくつの視点で物事を考えるかということが大事なのであって、

そのことは、つい前の晩にN氏と深く話したことでした。

結局のところ、それで満足できる範疇のものというのは、

所詮その程度のもので、

人間の豊かさとか教養とかまでには深く及ばないのだろう。

また、そういった幸福や知恵・知識を得るのに

別に本じゃなくても構わないのと同じで、

別にネットやデジタルじゃなくてもかまわない。

つまりネットやデジタルは決して絶対的なものじゃなくて、

要は選択肢の一つでしかない。

選択の余地があれば、戦い方次第では、

強敵じゃないんだなと最近感じ始めています。

(共存だって可能でしょう)


せっかくなのでさらに議論を進めるとすれば、

例えば写真なんかでもそうでしょう。

ポジやフィルムからデジタル主流の世の中になり、

誰もがそれなりの写真を好きなように撮ることができ、

それを幅広い人に知ってもらったり、

共有したり簡単にできるようになりました。

間違いなく昔に比べたら、写真の世界はより身近になり、

何より便利になりました。

でも、それによって大量の画像が氾濫する世の中になって

果たして本当に人に感動を起こさせたり、

目に留まるようなホンモノの写真がいったいどれだけあるでしょうか。

自戒の念を込めて言えば、

フィルムの時代に一撮入魂で撮影した写真は

今見返してもその熱量がしっかりと印画されていて1枚1枚が愛おしい。

ところが、今デジカメで撮ったものは、

確かに昔と比べて気軽に大量に残りはしますが、

それは写真というよりただの記録に過ぎない。

(写真を撮っているのではなく、画像を収集しているだけ)

作業的には便利になりました。

でもそれがクオリティや豊かさを押し上げてくれているかというと

一概には言えません。

つまり、何をもって良しとするのか、

質なのか量なのか、便利さなのか豊かさなのか。

そのことを選択できるということは素晴らしいとは思いますが、

もしその選択基準となる価値観さえもが、

均一化してしまっているのだとしたら、

これはちょっと怖いような気がしてなりません。

自分自身の価値観に照らし合わせてみれば、

ツール・手段は所詮方法でしかなく、

要はそれらを使って伝えるものの中味だったり、

伝えることの熱量だったり、本質を追求するということです。

それが実践できるかできないかは難しいところではありますが

少なくとも安易に便利だからとか無料だからと

飛びつくようなことはしたくないし、

考えるということ、コトバにするということは続けていきたい。


これらの根幹にある問題の本質は皆同じです。

そしてそのことをきちんと踏まえたうえで、

こういった先駆者がきちっと根を張って

実践していただいているというのが本当に心強いところです。


今回は本当にわずかな滞在時間でしたので

また次の機会にゆっくりとお邪魔しますとご挨拶をして

店を後にしました。

そこからダッシュで駅まで。

なんとか予定の時間の電車に飛び乗ることができました。