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記憶の残滓 by arkibito

2017-11-16

国立民族学博物館40周年記念公演 『めばえる歌〜民謡の伝承と創造〜』

土曜日は、長女と二人で

万博公園にある国立民族学博物館へ行ってきました。

いつも応援しているクレオールの歌姫・松田美緒さんのHPで、

民謡に関する研究発表があるとの告知があり、

大急ぎで申し込みをしたのでした。


万博記念公園

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みんぱく

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今回の発表は、国立民族学博物館准教授である

川瀬慈さんの映像プロジェクトで、

めばえる歌〜民謡伝承と創造〜』というテーマ。

かつては日本全国で、各地域の生活の場で歌われ

共有され、伝承されてきた民謡は、

その地域の暮らしぶりや生活、自然や風土

四季折々の生活の知恵や教訓、祈り、

仕事ぶりや遊びなどを伝えるれっきとした文化であった。

しかし、過疎化による担い手の衰退や、

高度成長期以降の生活様式の劇的な変化というものの影響を受けて、

生活の中から失われつつあり、

あるものは、土着の暮らしから完全に切り離されて、

観光資源の文化財として

”隔離(生活から切り離して保護される)”されたり、

あるいは自然消滅的に淘汰される運命にある。

そういった環境の中で、その地域社会の外部からやってきた歌手が、

忘れゆく民謡を掘り起こし、自らのやり方で咀嚼したうえで、

歌に新しい命を吹き込み、地域に還元してゆくという、

新しい伝承の事例が生まれてきた。

その”歌づきあい”に密着したドキュメンタリーとして、

第1幕では60分間の映像作品の上映、

第2幕では実際にその作品に登場する、井上博斗さんと、

松田美緒さん(+山口亮志さんのギター伴奏)のパフォーマンス、

そして第3幕では製作者・出演者によるトークセッションという、

3部構成で行われました。

今回のプロジェクトと研究発表はとても意義深く、

またそれを深く考察すべき対象として捉える必要があります。

ということで、研究発表で展開されたお話を

自分自身の解釈も交えながら、

できるだけ記録してみたいと思います。


国立民族学博物館40周年記念公演 めばえる歌〜民謡伝承と創造〜

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レジュメ

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まずは郡上八幡における『わらべうたの会』の活動を中心として、

郡上や揖斐川水系のわらべ唄や作業唄・踊り歌・祝い唄の

伝承ライフワークとしている井上博斗さん。

幼少のころから故郷の香川で祭りの獅子舞になじみ、

音楽に陶酔(トランス)する楽しみや、

繰り返される囃子のリズムに乗って

ループすることの気持ちよさを原体験としてもち、

大学生の頃から音楽家桃山晴衣さん・土取利行さんが主宰する

「立光学舎」で学び今に至るそうです。

その学びの中で、日本の歌のキホン、ルーツが

「わらべうた」にあるということに気づき、

地域のお年寄りの方々を訪れては、昔の歌を採集するなかで、

歌い継ぐこと、世代を超えて伝承することの重要性と難しさに直面し、

その橋渡し的な役割をライフワークに、

トンビの兄ちゃん”として引き受けるようになったそうです。


岐阜の歌で最もポピュラーな題材として扱われているのがトンビだそうで、

そういった自然や動物に向けて歌いかけるような歌、

その多くが生活の中から、自然と湧き上がってくるような、

つぶやきの延長のようなものほど、

それを歌う場も、人も失われて真っ先に滅んでゆくというのが現状だそう。

祭事や遊び、踊りといった行動を伴うわらべ歌や民謡は、

そういった催しの場で披露されることがあったり、

そういう文化の保存運動の一部分として保護されて、

かろうじて歌い継がれていくが、

そういうネイキッドな歌ほど絶滅の危機に瀕してしまっているというのは

非常に残念なことだと思います。

でも少し見方を変えれば、

その歌が、自然に生まれてきたのと同じ理屈で、

自然に消えていくというのもまた、決して悪いことではないのでは?と

個人的な経験に基づいて感じました。


個人的に、自分はよく鼻歌を口ずさんだり、

ぼわっとメロディに乗せてつぶやいたりという習慣が昔からあり、

今では特に子供のお世話をするときにはその傾向が強く出ます。

例えば、「はーみがーきしましょ♪」「お風呂にはいりましょ♪」

保育園に行きましょう〜♪」みたいな感じです。

日々のいろいろなことが節をまとって、

それが時にはちょっとした歌になったりします。

子どもたちが、「や〜め〜て〜」「あ〜そ〜ぼ」とメロディをつけて

語りかけるのと同じような感じです。

(つまりメロディをつけるというのは人間の普遍的な行動といえますね)

そして大体生活の行動に合わせて

お決まりのレパートリーが決まってきて、

何度も何度も生活の中で歌うことになります。

うちは上の娘と下の娘が結構年が離れているのですが、

下の娘が生まれたときに、それらの歌を思い出そうとして、

あれ?上の娘の時に歌ってた鼻歌ってどんなだっけ?という風になりました。

あの頃、あれだけ毎日口ずさんでいた歌なのに、

すっかり忘れてしまっているのです。

歯磨きやお風呂をするときに、

何か歌を歌ってたということは覚えていても、

実際にどんな歌だったかというのは全く思い出せないのです。

なぜならそれは、その行動をするために歌われるもので、

長女が大きくなって、それをする必要がなくなったからです。

(つまり、一人でお風呂に入り、一人で歯磨きできるようになった)

そしてその歌は特に記憶にとどめておくようなものでもなければ、

歌い継ぐという意識もないから、

跡形も消え去ってしまったのです。

とはいえ、次女の時には次女の、同じような行動歌が生まれてきていて、

今では生活の一部となっていますし、

おそらくきっと、それらの歌もまた、そう遠くない将来に、

自然と消え去っていくのだろうと思います。

この現象というのは、ある意味で、

その歌がきちんと役割を終えて成仏したのだという風に

肯定的に捉えることもできるのではないでしょうか。

歌もまたある種生き物であり、そこには生も死もある。

そういう歌の在り方もまた、自然の成り行きではないかなと。

たとえ、歌が後世に伝承されていったとしても、

その歌と結びついた動作や遊びと切り離されて、

まるで延命装置を張り巡らされたような形で生き永らえたとしても、

それは本当の意味で生き生きとした歌とは決して言えないでしょう。


もちろん、歌い継ぐということも大事なことで、

井上さんや、次に紹介する松田さんの活動は、

単に現存するわらべ歌や民謡を掘り起こして、

冷凍保存するというのではなく、

現代の観点に則した価値観や役割、

地元民の視点ではなく外部のまなざしによって獲得される

可能性を新たに歌に吹き込むことで、

再び歌に命を吹き込むことに成功しています。

そのことを差して”めばえる歌”という風に

川瀬さんはテーマをつけたのかなと解釈しました。


しかし、このような歌の持つ寿命の短さを考えると、

よほど意識的に残すということをしなければ、

蜃気楼のようにいなくなってしまうということでもあり、

伝承の難しさの根源はここにあるように思います。

しかし、さらに言えば、そもそもそのような性質であっても

長らく歌い継がれ脈々と生きながらえてきた歌というのは、

それだけ魅力がある強い歌なのだろうし、

実際歌い継がれてきたからには

何か大きな根拠が隠されているような気がします。


そうやって、日々の生活の中で

自然に生まれ、自然に消えていく歌のサイクルのようなものが

正しく機能していればよいのですが、

この現代社会において、

”唄う”という環境やシチュエーションが

日常生活の中に実際にはそうありません。

商品としての音楽は街中にあふれていて、

それを歌うための施設(カラオケ)があったり、

学習としての音楽の機会、

学校での発表会などの”体系化”された音楽の場はあっても、

こういう素朴な意味で”唄う”ということはなかなか難しい。

町中や電車の車内でいきなり歌いだすような人はいませんもんね。

(自分はそれをちょいちょい無意識でしてしまって驚かれることがよくある@@)

そういう唄う場が失われると、

歌いたいという気持ちや動機が芽生るということもなくなってしまいます。


井上さんの会では、比較的若いお父さんお母さん世代の親子が参加されて

一緒にわらべ歌を歌うそうなのですが、

歌を覚える際に、大人は頭で覚えないと、覚えられない一方で、

子どもは単純に耳で、感覚で覚えてしまうそうです。

実際の会では、大人たちが一生懸命覚えながら声を出して歌う一方で、

子どもたちはマジメに歌ったりしません。

あちこちで、わーきゃーと騒いだり、遊んだりして、

一つも歌わずに帰ってしまうのだそう。

でも、それでも帰宅してみると、ちゃんと歌を覚えていて、

口ずさんでいたりということがよくあるそうです。

つまり、子どもたち、言い換えれば全ての人間の初期段階において、

歌は学習して習得するようなものではなく、

もっと身体的経験、感覚的なものとして吸収されるもので、

だからこそ、自然や日常から受け取ったものをそのまま歌にしてしまったり

(それは大人ではなかなかできなかったり、思いつかないもの)、

あるいは、世相をそのまま鏡のように返して、

戦争ネタを盛り込んだり(軍艦軍艦、沈没〜♪)、

誰それが殺された、死んだ、取られたといったように、

死や残酷な事柄をピュアに受け取って歌にしてしまうようなものがあったりします。

そうやって、ある意味で子供らが、

生活や自然からインプットした情報を、

ある種の成長・学習の通過儀礼としてアウトプットする一つの形態が

”唄う”ということなのでしょう。

しかし、先に述べたように、

歌う場が失われ、歌う機会をなくした現代の子供たちは

かつての子らが歌にしたためたような思いや感情を、

いったいどこに向けているのでしょうか。


↓井上博斗さんと

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もう一人が、土地土地に宿る地霊(ゲニウス・ロキ)を敏感に感じ取り、

その念が宿りし音楽を吸収し、それらを見事に表現してきた松田美緒さん。

色々な事情で祖国から遠く離れて暮らす人々、そしてその子孫たちが、

海を渡り、国を渡る日々の営みの中で、

祖国の文化と現地の文化を幾重にもミックスして編み出してきた

混合文化=クレオールに着眼し、

ポルトガルブラジルアルゼンチン、カーヴォベルデ、ギリシャなど

大西洋から地中海にいたる幅広いフィールドを舞台として、

様々な民族音楽民謡を高らか歌い上げてきた現代の吟遊詩人です。

彼女が、自らのルーツである日本という国に着目し、

全国各地から採取された膨大な民謡カセットテープの山の中から、

まるで運命の糸に導かれるようにしてたどり着いたのが、祖谷の民謡でした。

祖谷は平家の落人伝説が今なお息づく、

四国山地の極めて急峻で山深い集落ですが、

「粉引き歌」「花とり」「木びき歌」「草刈り節」など、

そこは民謡の宝庫と言われています。


松田さんの経験上、いい歌があるのは、

水田耕作のできない険しい土地が多いそうです。

そういった土地では、常に自然や天候に翻弄されるような営みがあり、

そういった自然に対しての祈りや恨み節、

あるいは過酷な農作業や山仕事の大変さを紛らわせるための、

ある意味、生活の知恵として民謡が生まれてきたということがあります。

しかし、高度成長期以降、

あらゆる農作業や山仕事が機械化されてしまい、

過酷作業から解放されたことや、業務の短縮により、

歌う必要性や、歌う間さえ失われてしまい、

そういった仕事歌はどんどん廃れてきてしまったそうです。

この祖谷の地域でもまた同じような時代の流れを受けてきたそうですが、

そういった民謡の良さや重要性を理解して

歌を記録してきた平石金雄さんのような存在がおり、

その記録が偶然にも松田さんとつながって今に至るという幸運に恵まれています。


映像では、松田さんが祖谷の歌い手たちを訪ね、

吾橋小学校の子どもたちや地元のお母さん方との交流を追っていきます。

最初は、松田さん自身も、その土地に根差した歌が、

別のところからやってきた人によって別の命を吹き込むということに対して、

地元の人たちの反応がものすごく怖かったと吐露されていましたが、

一緒に口ずさんだり、踊り始めたり、

極めて自然に受け入れられていく様は、

まさしく歌が新しい使命を帯びる決定的な瞬間だなと思います。

それがそのようにして受け入れられたというのは、

やはり同じ日本人として、

どこかに同じような音の原野が共有されているからなのだろうと思います。

祖谷にしても、郡上にしても、非常に山深く交通が不便な土地で

今と違って、わらべ歌や民謡が生まれてきた時代というのは、

人やモノが頻繁に行き来できたはずもなく、

よその土地から文化がどっと押し寄せることというのもなかったと思います。

それでも、日本全国各地で、同じようなものを題材にして、

ある一定の音階だったり、音律だったりを共有しているかのような歌が

同時多発的に育まれてきたということはまさしく、

その証拠になりえるのではないかと思います。


伝承という観点からいえば、

この映像の中で新しい可能性を感じさせる場面がありました。

小学校の担任の先生の発案で、子供たちがもっと自らの感覚や経験として

民謡を実感できるようにと「子ども民謡」なるものが行われたシーン。

昔の民謡は、つらい労働や環境を紛らわす術として歌われてきましたが、

例えば、背負った木材が重いとか、夜なべして粉を引くのは眠くて仕方がないとか、

現在ではもはや行われていない作業ばかりで、

子供たちは実際、それがどれだけ大変な作業なのかが実感としてわかない、

どういう思いで歌われてきたのかというところまで思いが至らない。

それならば、民謡のメロディーを拝借して、替え歌をするような形で、

自分たちが今実際にしんどいな、つらいなと感じるものを題材として

民謡を作って唄ってみようじゃないかという試みです。

子どもたちはそれぞれ、宿題が嫌だ〜とか、毎日急な坂道を登校するのはつらい〜だとか

唄う様は、とても面白かったと同時に、

しみじみと実感として歌われた歌は、実に生き生きと感じられました。

これが、プロのミュージシャンや研究家がトップダウンで指示するような形ではなく、

元々の地元の人たちから湧き上がってきたというところがまず、素晴らしいことで、

昔の民謡生活の中から生まれてきたのと全く同じようにして、

現代版の民謡が実感として”めばえて”きた瞬間でした。


松田美緒さんと

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今回の研究発表全体と映像作品についても。

こういう発表の場合には、つい、

民謡賛美、啓蒙といったような安易な結論づけをしてしまいそうですが、

そういった完成形を一方向的に投げかけるという乱暴なやり方ではなく、

伝承することの難しさや、紆余曲折、道のりを記録することを重視して、

じゃあどう伝承していけばよいのか、

あるいは伝承されないとしたらどういった風になるのか、

滅びゆく民謡をどう看取っていくのか、

という投げかけという形でまとめられているのが、

非常に大切な視点だと感じました。

つまり、この発表を単に一過性のイベントとして

消費するだけに終わらせてしまっては、あまり意味がないからです。

はからずも、映像作品の中で、

徳山村の踊りを伝承する年配の方がそれを指摘していました。

踊りの体験教室的なものは、よく学校訪問などをしているのだが、

結局それが続かない、根付かないのだと。

継続すること、伝承することの難しさこそ、

今回の発表で描くべきテーマなのではないか、

そしてそれが適切な形で表現されていた発表だと感じました。


これは個人的な意見というか直感なのですが、

最終的に日本人は音頭や民謡、わらべ歌に帰着するのだろうと思います。

実際、今回の松田さんや井上さんはもちろん、

大友さんも、細野さんも大滝さんも、みんなそこに帰っていった。

これらの歌というのは、いわゆるドレミファの西洋音楽のように、

後天的に教育されたり、訓練されたりするような、

「音楽」という明確にカテゴライズされるようなものではなく、

我々日本人が、何百年、何世代にもわたり、生活の一部として歌い継がれて

まさにDNAレベルで脈々と我々の肉体や魂に刻み込まれた体感(体幹)であって、

日本人の音の原野なのであろうと思います。


そもそも、音というのは人間にとってはとてもプリミティブな感覚で、

我々は命を宿した時点から、

お母さんのお腹の中でお母さんの鼓動や息遣いの音を聞いて育ちます。

「見る」ということをするよりもずっと以前に、

まず音の世界から生命はスタートする。

生れ出てからも、赤ちゃんがお母さんの腕の中でねむくなったり、

子どもが不安な時にピタッとすり寄ってくるのは、

胎児の頃の安心感を得ようとするからだといわれています。

つまり、我々は音やリズムの世界に

安心感や幸福感を得る感覚をあらかじめ備えているのであって、

決して無音の世界では生きてゆくことはできない。

むしろ様々な音を敏感に感じ取り、

時にそれらを積み重ねたり、編み上げたりすることで、

様々な表現やコミュニケーションを形成するのが人間であり、

音楽というのは極めて原始的で自然な営みであり、

さらに本来は生活に密着した文化形態なのだといえます。

なので、アフリカではアフリカの、中東では中東の、

ロマにはロマ南米には南米の、

生活・文化様式によってそれぞれ育まれた独自の音の原野があり、

それらはみな等しく各地域の人たちのルーツと直結する重要な要素なのです。

そして我々日本人にとってのそれは、

まさしく盆踊りや音頭、民謡のに横たわるリズムやテンポなのだということでしょう。


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素晴らしい発表の後、井上さんと松田さんにご挨拶。

松田さんは5月の本町でお会いしたことを覚えていてくださっておりました。

また年明けにライブを企画しているそうなので、ぜひ。

そしてまた、11.26日の深夜25時から

日テレNNNドキュメントで放映される

移民のうた ー歌う旅人・松田美緒とたどる もう一つの日本の記憶ー』も楽しみです。


発表後は、閉館わずかに10分前でしたが、

せっかく来たので、ほんの一部だけでも民博みたいなあということで突撃。

おそらく中学生とかそれ以来ぶり。

こどもの頃は、よくわからないガラクタが

いっぱい置いてあるなあくらいの感じでしたが、

大人になってみると、民族学なんてロマンにあふれまくって面白過ぎるし、

これほどまでに貴重な品々が、

ご近所に収蔵されているなんていうのは本当に夢のような話です。

まるで地球がまるごとパッケージされた宝箱。

初めて訪れた娘にも、駆け足でしたが、色々と熱っぽく解説をして、

これはまたきちんと再訪せねばなりません。

そしてミュージアムショップ。あそこは危険すぎる。

あれもこれも、気になるものが多すぎて、だめだめとわかっていながら、

つい買い過ぎてしまいました@@


ざっとでしたが、民博のお宝を見て思ったこと。

民博には世界各地の生活の品々や

祭事の道具、楽器、衣装など様々なものがありますが、

祭り事というのは、まさしく生活に直結するもので、

自然に対して祈願する(雨乞いや五穀豊穣、天変地異を治めるなど)、

神や死者といった自分たちの世界のものとは別次元の存在と交信するための

重要な儀礼であり、

それが、どこか1つのオリジナルがあって、

それが世界中へ伝播したのではなく、

世界各地で同時多発的に文化として芽生えたことを考えれば、

人間は祭りをする動物だと言い切ることもできるでしょう。

そしてその祭りに際して、

神や死者や動物などと交信するための手段として用いられてきたのが

歌や踊りであり、それを行うにふさわしい衣装や仮面というものが

生み出されてきました。

半ば強引かもしれませんが、その文脈でいえば、

先日のアンサンブルズ東京多治見で、

被り物をするという行動自体は、あながち間違いではなかったのかなと。

つまり、祭りという非日常のハレの舞台に

ある意味最もふさわしい衣装だったのではないかなと思いました。


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さまざまな重要な示唆を与えてくれた万博公園と民博。

これから足を運ぶ機会が増えそうです。


太陽の塔

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↓EXPOCITY

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2017-11-08

『京都で考えた』 by 吉田篤弘 トークショー at 恵文社一乗寺店

随分後回しになってしまいましたが10/17の火曜日。

仕事終わりで京都一乗寺恵文社さんへ。


自分が言葉の師匠として勝手に崇拝している人が何人かおられますが

そのうちのお一人が、作家兼グラフィックデザイナーである吉田篤弘さん。

奥様の浩美さんとのユニット活動である、

クラフト・エヴィング商會といえばわかる方もおられるかもしれません。

わが家の膨大な本棚の中で、この吉田篤弘さん(といしいしんじさん)だけが、

明確にコーナー化して、一角を担っています。

ある意味我が家の聖域。

そんな大ファンである吉田さんが、応援している小さな出版社・ミシマ社から、

京都で考えた』という本を出される、

その記念トークショーに行ってきました。


恵文社一乗寺店

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イベントはリリースからすぐに満席で大盛況。

来られているのは女性の方が圧倒的に多かったように思います。

まずはミシマ社の社長・三島さんのあいさつでスタートし、

お二人が登壇。

クラフト・エヴィング・ラジオと銘打って、

事前に参加者から得たアンケートを、

リスナーからのはがきと見立てて、

それに答える形でトークを展開していくというスタイルでした。

言葉を慎重に組み立てながら、精密なデッサンをするようにして話を進める

篤弘さんの紳士的かつ職人的な話しぶりと、

それとある意味対照的に、

音楽的なテンポで感情豊かに合いの手を挟む浩美さんとの掛け合いが

非常に軽快かつ心地よく。

また様々なヒントになりうるような内容で、

非常に有意義な時間でした。

話の順を追うのは、もうすでに結構時間が経過しているので難しいですが

気になったコトバや話題を書き留めておきたいと思います。

(一部、自分なりの解釈が混じっているので、

必ずしも100%ご本人の意図通りじゃないかもしれません@@)


トークショーです

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◆言葉は豊かになりましたか、軽くなりましたか?

色々な質問がある中で、

なんと自分が書いた質問も採用していただきました。

質問の内容は、

「以前と比べて、コトバは豊かになりましたか。

もしくは軽くなりましたか。(世間一般的に)」というものでした。

篤弘さんによれば、言葉は移り変わっていくものでそれでいいんです、

じゃんじゃん変わればいいんですよということでした。

ただし、最近の風潮として、

このセリフを言えばすべて伝わるだろう的な便利なフレーズに、

自分の本意を丸投げしてしまうようなことが往々にあって

それは決してコトバが豊かとはいえないのではないだろうか。

そういう風な風潮が生まれたのも、

でたらめだらけのネットを簡単に鵜呑みしたり

それを使って簡単に答えを得るというところがあって、

やはりちょっと思考的ではないということでした。


篤弘さん個人の移り変わりという点でいえば

篤弘さんは昔から小説家になりたい、絶対なると思っていたが

ある境から明確にプロの物書きになったというよりも、

いつの間にか小説家になっていたような感じで、

デビューしてからが大変な修行、下積みが始まったそうです。

なので、言葉との豊かさというものについても

徐々に積み重ねていったもので、

以前にはコトバを尽くして書くこともやってきたが、

今はシンプルなものを選び取ってシンプルに書きたいし、

シンプルにならざるを得ない。

言葉の一つ一つを吟味して研ぎ澄ましていくという意味では

個人的に言葉は豊かになっているように思うし、

そうありたいということでした。

篤弘さんの理想的な物書きの在り方として面白い例を挙げていて

ヴィム・ヴェンダース監督の名作『ベルリン天使の詩』に出てくる

天使のような存在になりうるものを書きたい、

つまり、自分の書いたものが、

一井の人たちにそっと寄り添い見守りながら、

元気づけたり勇気づけたりして、

その思いが成就すれば、また別の人へと移っていくような

そういうものになれたらということでした。

とても慈悲深い考え方だと思います。


◆デザインは”止めどころ”の連続

一方、奥様の浩美さんはデザインを主に担当されていて、アンケートで、

どうやったらそんなセンスのあるデザインが生まれますかという質問に対して、

デザインはそもそも制約だらけで、その制約をかいくぐり、

簡略化してどれだけ美しいかが問われるのが

デザインの本質だとお答えになられていました。

つまり、本の装丁でも、何かの商品の広告チラシでも、

実際の中身や製品から、その本質だけを抽出して、

それを万人に(あるいは特定のターゲットに)、

わかりやすく魅力的に伝えるのがデザインなのだから、

基本は引き算の作業で、それは突き詰めればいくらでもやれるわけで、

何を抽出するか、どこでよしとするかがデザインであって、

その”止めどころ”をいかにうまく決めるか、

というところがいわゆるセンスが問われるところ、

それを磨くには、やはり経験と、

あとは真似をすることが一番だということでした。


◆すべては台所のテーブルから始まる

吉田さんはご夫婦で、

クラフト・エヴィング商會というユニットとして活動されていますが、

その生活の様子などもたくさん話題に上りました。

デザインや物語の出発点は、自宅の台所で、

そこの壁に気になるコトバや素材を張り出して、

そこから物事を組み立てていったり、2人の価値観を共有したりするそうです。

篤弘さんはとにかくハンター気質だそうで、つまりは収集癖の人。

毎日自転車をこいでは、本とのめぐり逢いを求めて本屋へ行き、

大好きなスーパーマーケットをはしごしながら、

品質の良い食材を探し求めたり、

案外アクティブな生活を送っているようです。

一方、奥様の浩美さんは、

旦那さんが買い求めた食材を使って、

あれこれ料理するのが上手だそう。

こうやって、2人がそれぞれの個を持ちつつも、

交わる部分ではうまく交わっていくというのは

本当に理想的なパートナーだなあと思います。

わが家も、こんな高尚で文化的な活動とは程遠いですが

工作部隊としては同じようなパートナー関係なのかなと思ったりして。


◆夜にラブレターは書かない方がいい

ユニットとして活動する最大の恩恵は、

お互いをジャッジする存在が確保できることだそうです。

何かに熱中したり夢中になってしまうと、

逆にそのもの見えなくなってしまうようなことがあって、

そういう場合に、ポンと別の視点で指摘されて、

初めて誤りに気づいたり、”止めどころ”を得たりすることができる、

というのはものすごく実感として共感できます。

普通は、自分の中にもう一人の自分がいて、その役割を担うんだけど、

それが集中しすぎてうまく機能せず盲目になって、

気づいたら度が過ぎてしまうことってよくあります。

そういう時に冷静にこうじゃない?と気軽に指摘できる相手というのは

本当に貴重な存在だなあと思います。

なので、吉田さんのところでは、

デザイン作業をするPCは1台しか置かないようにしていて、

そうすると、どっちかが作業するとすれば、

おのずともう一方は作業できずに、

客観的俯瞰的に相手の作業を見ることになるので、

そういう関係性を維持できるのだそうです。

ナルホド〜。


◆本を買うということは未来と約束している行為

今回一番ハッとさせられたコトバかもしれません。

本を買うということは、つまり未来の自分を楽しませたい、

未来にすることをあらかじめ用意する行為で、

それはつまり前へ進む、極めてポジティブな行為なのだということ。

それはお弁当を作る、宿の予約を取る、なんでもいいのだけど、

つまり人間は、常に未来に向かって行動する生き物だということです。

至極当たり前のようなことのようですが、

改めてコトバで指し示られると非常に重たいコトバだと思います。

さらに、吉田さん曰く、図書館で本を借りるということはよくない。

なぜなら一度手に取った未来を返却することになるから。

さすが!


京都について

京都についての話題ももちろんありました。

京都に来るとこどもの頃の時間を考えるそうで、

それはご先祖が昔京都から出てきたと思われるいわれがあって、

その縁なのではないかということでした。

篤弘さんは東京では、どこへも基本自転車で移動するのが常らしいですが、

コンパクトな町、自分の中でおおよそを把握できる町が好きだということです。

そういう感覚は小説の中の町の描写や世界観にも

間違いなく反映されているように思います。


◆『京都で考えた』の出版の舞台裏

今回出された本は、ミシマ社の三島社長から6年も前に依頼されていたそうで、

それもまず、これくらいのサイズの厚みで、

持った時の感じはこんな風な本を書いてほしいと、

束(つか)見本を提示されて始まったそうです。

まあ普通そんな風にパッケージから入って

作品を組み立てるなんてことは聞いたことがありませんが、

その工程はまさにデザイン的な発想だなと思いました。

依頼が来た当初は、

現在、何もかもが東京一極集中物事が動く社会になっている日本で、

それによって生じる様々な問題や軋轢に対して憤りの念があり、

そのことを本にしようと思ったそうですが、そんな感情を書いたとて

読者はちっとも楽しくならないだろうということでやめたそうです。

そこで、文化的な発信基地として京都はまさにぴったりで、

出版業界も京都をベースとして回っていけば、

面白い風に回っていくのではないかと

ポジティブな方向へ向かっていったそうです。

自分も、仕事柄、地域活性や地方再生という

話題や取り組みに触れる機会が多いですが、

なにも東京でないとできないということは実際何もないし、

東京に対する劣等感とか、

格差という点から物事を発想するのではなくて、

その土地土地の特色や強みを

もっとポジティブに展開できるのではと思います。

文化の度合いでいえば京都は圧倒的に深く長い歴史があり、

利益追求型の経済的活動よりも

文化的な様式を重んじる風土や風潮が生活の隅々までに浸透していて、

ゆったりとした時間がはっきり流れていることを考えれば、

文化や出版といった分野が

一斉に京都に遷都するというのは自然な発想だと思います。


こういった具合に多岐にわたる質問に対して、

とても真摯に受け答えをされ、その端々に、

やはりコトバを生業にしている人ならではの重みだったり説得力を感じ、

非常に貴重な時間を過ごすことができました。

また本の世界ではもちろん、

こういった機会に直接お話を聞けたらなあと思います。


↓本を買うことは未来を買うこと!

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↓サイン

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さて、イベント後は、スタッフとして来ていた

ミシマ社のT居君と久しぶりにお会いしておしゃべり。

金曜日だけの本や営業にはなかなかお邪魔できないのだけど、

また遊びに行きます。


後日談。

せっかくならということで、お土産を持参したのですが

イベント後はお二人とも別用のためすぐに発たれてしまい

T居君にお預けしていたのだけど、

先日、ご本人から直々にお礼のメールをいただきました。

まさかまさか。

目の前でトークを聞けただけでも幸せ者なのに!

本当に、つくづく、つながるということを噛みしめております@@

2017-09-13

Music Life 『気のいい男』 by 三田明

なかなか忙しすぎて、ギターを弾く時間が減ってしまっている。

オリジナルの楽曲も、あとアレンジ待ちが3曲スタンバイしたまま1年が経つ…

いかんなあ、いかんなあと思いつつ、

身一つ1日24時間でできることには限りがある。

追われてやることではないのだけど、

だからこそ後回しになってズルズルしてしまうし、

やらなければ確実に衰える。


今週末は雨予報だし、今年はもうほとんど遠征はあきらめモード。

なので、家でできることの優先順位を上げて、切れ目なく遊ぶ。

ということで、まずはギターだっ!!と、

昨日ひさびさにコピー弾き語りをアップしました。


御三家といえば、橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦だが、

これに三田明を加えると四天王となる。

その三田明さんの芸能生活55周年&古希70歳を記念した楽曲が

この『気のいい男』。

この作詞を手がけたのが、われらがカンザス・シティ・バンドのリーダー下田卓!

しかも演奏はカンザスメンバーということで、

先日のライブでもお披露目されました。

「この町と仲間たち、それが俺のしあわせ

 ありがとうのつもりさ 飲もうじゃないか」

なんてスッバラシイ歌なんざんしょ。


2017-08-14

田切駅→伊那市駅 1hour Bicycle Tour the 6th ”轟天号を追いかけて”2017/第六天魔王降臨

はてさて、ずいぶん時間が空いてしまいまったが、

いよいよ本題に突入します。


千畳敷カールから大急ぎで下山し、

駒ヶ根駅からこの時間帯、2時間に1本しかない電車に乗り込む。

レンタサイクルのために自転車屋へ向かうには、

もう1つ向こうの伊那北駅が便利なのだが、

そこは無人駅なので、あえて1つ前のターミナル駅・伊那市駅に下車。

ここでまず帰りの電車の手配と、

ライドに向けて不要な荷物をロッカーに預ける作戦。

何しろ、翌日学校行事があるので、

本日中に帰阪せねばならないのだが、

イベントの終了時間と自転車の返却等々を考えるとギリギリの行程。

帰りは岡谷から塩尻に出て

最終の特急しなのの予定で無事に手配できたが、

残念ながらロッカーはキヨスク廃止とともに撤去されてしまったそうで、

荷物は自転車屋さんに預かってもらうことにします。

30分ほど歩いて、今回お世話になるCLAMPさんに到着。


↓レンタサイクルします

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まずは手続きをして、荷物を預け、マシンをお借りします。

娘のマシンはGTのMTB、自分はBRUNOのミニベロです。

何気にミニベロに乗るのは初めて。

敷地内で、サドルの調整や、

シフトの具合を見たりセッティングを済ませ、

ヘルメットもお借りして、いざ出発!


まずは、来た道を戻って、

伊那市駅前のロータリーを通過します。

この一角にゴール地点が設けられます。

イベントの際、R153が最短で早いルートにはなるのだが、

交通量が結構あったり、路肩の轍がひどいことは

3年前のライドでわかっているので、

娘を安全に走らせる裏道を確認しながら

スタート地点となる田切駅を目指します。

飯田線と並行するように進む県道146号を南下します。

若干アップダウンがありますが、交通量も少なめだし、

森の真横を通過するのですがすがしくて走りよい。


↓いざ出発!

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一旦、沢渡でR153に合流しますが、

次の交差点で県道221号に折れます。

小さな川をまたいで西春近の集落に入るところで上り。

この辺りで一瞬パラリと通り雨が降る。いや〜止んでくれ〜。


↓雨!!

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赤木のところで線路をまたぎ、

宮田の比較的整備された町並みを抜け、

駒ヶ原の交差点。

そこにあったセブンイレブンでさっとお昼ご飯にします。

雨はすっかり止んで、一転カンカン照りで暑い@@@

駒ヶ原からはR153に合流して大田切橋までずしゃーっと下る。

北の原から、脇道に入ろうか迷ったが、

伊南バイパスは広めの歩道が整備されているので、

そのまま直進することにしました。

広大な伊那谷と、その両脇にそびえるアルプスの山々を眺めつつ

快調に進んでいきます。

福岡南からは再び下りを慎重に片づけて、大きな川を渡り、

登り返しの中腹で脇道に入ると、田切に到着!

無事に受付時間の1時間前には到着できました。


↓記念撮影

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↓伊那谷

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まずは、田切駅で記念撮影。

実はですね、

今でこそアニメやドラマ・映画の撮影スポットをめぐる、

いわゆる”聖地巡礼”という旅のスタイルが一般的になってきましたが、

実はその元祖は、この田切駅なのです。

1991年にリリースされたOVA版の舞台として、その直後から、

この伊那の無人駅に全国からファンが駆けつけ、

それがアニメ聖地巡礼発祥と言われています。

そしてそれを記念すべく記念碑建立計画も発動され、

2018年に田切駅開業100周年を迎えるのに合わせて建立予定になっています。

(我々もささやかながら寄付させていただきまった!)


↓田切駅

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↓切符回収箱

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↓たぎりYOY!

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まだまだ開会まで時間があるので、

駅を少し下ったところにある元下村商店さんへお邪魔。

ここでは、田切駅を愛してやまない、

有志「田切ネットワーク」のみなさんによる

写真や資料が展示されていまった。

このイベントの特徴は、

なんといっても地元の皆さんと一緒に盛り上がるというところ。

他所からやってきた謎のコスチュームをまとった人々が、

ウロウロして地元民が困惑するという現象

全国各地では見られる昨今ですが、

このイベントはいまや田切の夏の風物詩として定着し、

何なら、地元民の方がガチじゃねーの??というくらい

熱気にあふれています。

駅前の広場・聖徳寺駐車場では、今年も田切の住民の皆様から

スイカやキュウリの振る舞いがされ、本当に感謝感謝ですね。


↓資料館にて

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↓なかなかの出来栄え

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↓ぬはっ

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駅前の広場まで戻り、受付を待っている間にも、

どんどん参加者が集まってきます。

我々、工作部隊もダンボールに、

絵を描いてヘルメットに装着して待ち受けますが、

もうそんなものが全く歯が立たないほど、

ガチな大人たちが続々と田切駅に集まってきます。

娘は大真面目で遊ぶ大人たちに驚愕しておりました。


↓あーる君来たァ〜!(byさんご)

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↓鳥坂せんぱいも登場!とーぜんであーる!

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↓成

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おなじみの轟天号は、なんと炊飯器装着で、

しかも出発前にタイマーをオン!

果たして、飯は炊けるのか!?炊けないのか!?

乞うご期待????


↓轟天号ならぬ漏電号!

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↓飯を炊く!

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受付時間を待っている間に、何やら雲行きが怪しくなり、

大丈夫かなあとみんな心配しているうちに、

バケツをひっくり返したような激しすぎる雨が襲来。

みんな大慌てで近くのテントへと逃げ込むが、

あまりの雨脚の強さに、テントの屋根に水が一気に溜まって、

それがズシャーっと溢れる@@@

ほんまにライドできるのか、心底心配するくらいの大雨。

しかし我々は伊那まで自転車を絶対に返さなくてはならず、

その日中に帰阪しないといけないため、

どんだけ雨が降ろうと、イベントが中止になろうと

走りきらねばならない運命…

頼むから止んでくれ@@@

周囲では雨雲レーダーを起動して雨の様子をうかがっているので

それを見せてもらう。(この時点でスマホは復活してなかった)

すると、画面に現れたのは、衝撃の画像。

なんと、雨が降っているのはこの田切駅の周囲1km以内だけ!

しかも雨雲レーダーが真っ赤に染まっている形が、

田切駅を中心にハート形に浮かび上がっている!!!

なんたる!!!

我々あーる君マニアの熱気が天をも揺るがしたのか!?


↓超局所的豪雨襲来!!!!

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1時間弱ほど徹底的な雨に降られ、

受付開始も30分ほど後ろ倒しになりましたが、

奇蹟的に雨がやみ、受付開始。

一番ノリで受付をしてもらいました♪

堂々、NO.1のナンバリング。

このOVAのスタンプラリーを模したスタンプ帳の最後の枠に、

18時までにゴールのスタンプを押してもらうのです。


↓受付開始!

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↓いっちばーん♪

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開会式まで、まだまだ続々、参加者がやってきます。

やっぱり一番多いのは学ラン姿のあーる君と、

ロン毛にグラサンで決めた鳥坂センパイが多いですが、

意外と人気なのが成原教授。

中にはマニアックに、コミック版でしか出てこない

バスガイドの毛利さんとかイルカの曲芸部の方、

あとはあーる君には関係ないけど、

とにかくゆるキャラや別のアニメのコスプレで

全身全霊を傾ける大人たち。

青春、だな。


↓毛利さんと埼玉県の地図をもって

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↓新手現る

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↓やあ

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↓春風部 通称 イルカの曲芸部

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↓動くぜっ!

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↓このスッカタ〜ン!!

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電車が田切駅に到着するたびに、猛者が増えますが、

この電車たちは我々の格好の獲物となります。

光画部、あーる君マニアにとって、

お見送りは万歳三唱と決まっておりまして、

電車の発着に合わせて会場の面々が一斉に

「万歳!万歳!」。

気の利く車掌さんなんかは、それにリプライをしてくれますが、

フツーは事情を知らない乗客たちは一斉にぎょっとするのです(笑)


↓電車入線

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↓一同で出発をお見送りしてバンザ〜イ!

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さあて、いよいよ開会式です。

部長さんのお決まりの「やあ」の挨拶からスタートし

注意事項等の説明。

それから町長さんの熱い熱い元気玉を浴びて、

いよいよスタートです。

スタートは数人ずつブロックで分かれていて、

隔分ごとに出発していきますが、

われわれは一番最初のA班です。

スタート前に、インタビューがあり、

今回の最年少ということで娘が受けておりました。

そして健闘祈り、参加者全員から娘に万歳三唱(笑)

いやあ、日常生活で万歳三唱されることなんて、

まあないですからね。

娘よありがたく頂戴しておけいぃ!!


↓開会式

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↓部長は例によって紅の豚です

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↓みなぎる町長!

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↓出発前にインタビュー

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はてさて、時間となりました!

皆さんに再び万歳三唱でトップバッターで出発です!

みんな、達者でのおお〜。


↓一番乗りで出発!

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とりあえずルートは往路でしっかりと頭に入っているので

後はそれを安全に進んでいくばかり。

まずはR153に合流し、川までズシャーっと下ります。

そこから福岡南まではしんどい登り。

おそらくこのルートで一番しんどいところ。

娘は全体の先頭に立って、しっかりと踏んでじっくり登り、

足つきなしでクリア。

そこから伊南バイパスを北上していきますが、

後からスタートした人たちが続々追い越していきます。

みな娘の姿を捉えると、ガンバレ!ガンバレ!とエールをいただいたり、

「ご安全に♪」と合言葉をかけてくれます。

コスプレのみなさんも続々と来られて、

その度に娘も上機嫌で後を追います。

北陸新幹線はやっぱ速かったなあ〜。


↓炊飯器背負ってますね

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↓こちらはおにぎり

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↓北陸新幹線!!

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大田切を過ぎると再び上りがあり、

そこをガンガン踏んで登りきる。

駒ヶ原からは裏道へはいり、淡々と進みます。

何度かあるアップダウンも足つきなしで頑張っていると、

うしろから、選挙カーのごとく手を振って、

「ご安全に〜♪」と毛利さんからのエール。

沢渡からの裏道あたりで、娘もそろそろしんどくなってきたようでペースダウン。

どこかで休憩を入れたかったが、

18時までに何とかゴールしたいということで

我慢して我慢して騙し騙し進む。

そうして、ついに伊那市の駅前になだれ込む。

スタッフや先の到着している面々の大歓声に迎えられて

ついにゴール!やりました!

さっそく西園寺ツーリストのスタンプを押してもらい、

無事に完走です!

17kmとはいえ、そこそこアップダウンのあるコース。

最後ちょっとしんどかったけど、弱音を吐かずよく頑張りました!


↓GOOOOAL!!

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↓やったね♪

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ゴール地点から、閉会式の会場となる広場まで移動して、

みなが無事にゴールするまで待機します。

すでにお祭り騒ぎが始まっていて、熱気ムンムン。

あ、そういえば、あの米は炊けたのか???

炊けてる!!!!!!


↓な、何!?飯が炊けただとぅ!?

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↓大成功!

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本当なら閉会式もラストまで参加したかったのですが、

電車の時間を考えると、そろそろ時間切れ。

部長さんに先に失礼しますとご挨拶をすると、

拡声器で、娘ちゃん無事完走しました!

今から帰られますとアナウンスしていただき、

完走者全員からまたまたバンザイ三唱でお見送りいただきました。

来年はぜひオーラスまで参加したいと思います。

でわでわ、達者でのお〜。


↓バンザイでお見送り

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後ろ髪をひかれる思いで会場を後にし、

さらに少しだけ走って、自転車屋さんへ。

お礼を言って荷物をピックアップしたら、

大急ぎで駅まで戻ります。

スマホがないので、駅前の公衆電話で奥さんに電話。

お昼に電車が20分ほど遅れていたので、ダイヤが心配だったが、

無事定刻通り伊那市駅を出発。終点の岡谷で乗り換えなのだが、

ここでも3分遅れでひやひやしたが、

乗り継ぎの電車が待っていてくれてセーフ。

塩尻では少し時間があったので駅そばでもと思ったらすでに

営業時間が終わってました…

特急しなのが6分遅れで入線。そこからは2人とも爆睡。

結局この遅れも解消されず、

乗り継ぎの新幹線に乗れなかったが、

代替の席を案内してもらい、ラス2の新幹線でどうにかこうにか帰阪。

朝からなかなかハードなスケジュールでしたが、

娘はハキハキとクリアしてくれました。


↓おみや

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2017-05-25

『松田美緒 エーラ(έλα)』発売記念+CHOVE CHUVA16周年特別ライブ!」 at CHOVE CHUVA

土曜日の晩。家族4人そろって、

“歌う旅人”松田美緒さんのライブに行ってきました。


去年だったか、おととしだったか、深夜に、

『ニッポンのうた “歌う旅人”松田美緒とたどる日本の記憶』という

ドキュメンタリー番組をやっていたのを偶然見た。

自分と同い年の松田美緒さんが、

日本の農村や漁村で語り継がれてきた

子守唄や●●節、盆踊りといった、

生活の中から自然発生的に生まれてきた歌を発掘し、

それを後世に歌い継いでいくという

プロジェクトを追ったものでした。

その文化人類学的なアプローチの面白さと、

松田さんの母なるヴォイスとでもいうような

力強くのびやかな歌声、

そして、土に深く根差した歌のもつ

根源的な生命力と美しさはもちろん、

時に残酷で、もの悲しい歴史を帯びた調べの

虜になってしまいました。


ぜひ一度生でその歌声を聴いてみたいと、

夫婦そろって機会をうかがってたところ、

新盤リリースの記念で大阪であるということで即予約。

靭公園に面した「CHOVE CHUVA」という

老舗のブラジリアン・カフェでのライブです。

ちょうどお店の周年記念も兼ねているということもあり、

店内は超満員でした。


↓靭公園にあるCHOVE CHUVA

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↓異国にトリップ

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↓Marcelo Sakuma(VIVARIO) によるブラジルポルトガル料理も!

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今回は、ニッポンの歌ではなく、新盤からの曲がメイン。

松田さんの活動の舞台は日本だけではなく、

自身が第二のふるさとと呼ぶ、バルカン半島や、

ギリシャ・トルコといった地中海

そしてポルトガル大西洋、あるいは南米

様々な民族音楽、つまりファドやジプシー音楽、

クレオール音楽、オスマン音楽、

ボザノヴァ、サウダージなどを

現地の言語で抒情的に歌い上げます。


例えば最後の曲『サイコー』では大盛り上がりで、

あちらこちらから「サイコーだよ♪」と声が上がり、

カーニバルのような熱気でした。

ちなみにこの『サイコー』は、西アフリカの沖合、

大西洋にポツンとある島で今でも歌い継がれている漁業歌。

1960年代に、ニッポンの漁船がマグロを追ってこの地まで遠征しており、

日本人が発する「最高」という言葉の響きが面白いということで、

現地の人がその言葉を残したのです。

そういう雄大でロマンあふれる物語がそこかしこにあふれていて

それが音楽という共通言語によって

時代や場所を越えて繋がっていくというのが

本当にすごいことだなあと思います。


↓超満員でライブスタート

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松田さんの生歌は初めてでしたが、

まるで大いなる母の声で、ものすごく説得力があり、

一気に引き込まれてしまいましたし、

ギター・ブズーキを担当した山口亮志さんの

粘りつくようなギターも、

太田恵資さんの、リズミカルで饒舌なヴァイオリンと、

まるでモスクの祈りのような

しゃがれたコーラスがたまりませんでした。

このトリオ編成はホント最高の組み合わせだと思います。

スバラシイ!


↓海外のバルに迷い込んだような熱気

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時に哀愁を多々酔わせ、時に小気味良いステップを踏み、

そして会場全体からたくさんの手拍子と、

思い思いに体や机を叩いてリズムを刻む音のうねりが

会場を包み込み、

まるでイベリア半島のバルに迷い込んだような熱気に包まれました。

娘も楽しそうに手拍子で囃し立てておりました。

これはもうおとぎ話のような夜で、

ほんの2時間ちょいでしたが、

疑似世界旅行を楽しむことができました。


↓力強い歌声

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ライブ後は即席のサイン会で、

いろいろお話をさせてもらいました。

長女の名前をいたく気に入ってくれて、

娘もとてもうれしそうでした。

同じ年の人が、こんなにも素晴らしいことを実践しているというのは

とてもうれしいことで、これからも応援していきたいと思います。


↓記念撮影

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↓サインいただきました

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↓こちらにも

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エーラ

エーラ