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記憶の残滓 by arkibito

2016-06-22

Music Life にほんのうた

そろそろ音楽活動も復帰したいところだが、

まだ少し左手の違和感がぬぐえず、騙し騙し弾く感じ。

リハビリを兼ねて最近弾いているのが日本の古い歌。

年を取り、子を授かった心境の変化なのか、

最近は民謡とか童謡とかの素晴らしさに気づかされることが多い。


古くから伝わる民謡・童謡は、

必ずしも西欧の音階のルールに縛られるのではなく、

むしろ大和国独自のリズムや階調だったり音色がして、

日本人の心にダイレクトに響く。

また、商業的に創作された音楽ではなく、

生活風土の中から自然発生的に生まれ、

伝承されてきた歌というものには、

その土地に根ざした力強いメッセージが宿り、

極めてシンプルな音数で無駄がなく美しい。

それは日本の歌に限ったことでは決してなくて、

南米ボサノヴァタンゴ、南欧のフラメンコやファド、

ロマのジプシー音楽、ケルト音楽、サルサ・サンバ、

アメリカ南部のカントリーブルースなど、

音楽の根元に共通して流れている大きな何かだと思う。

それは、コード進行がどうだとか、

テクニックがどうとか表象的な話ではなく、

音楽というものの持つ本質的なもの、

つまり、歌やリズムがなぜこれほどまでに

人間を煽動し、欲情させ、熱狂させるのか、

という根っこの部分である。


上の娘もそうだが、下の娘はとても歌が好きなようで、

歌っている間は機嫌がよく、ギターの音も気になる様子。

それで最近はよく弾き語りをしてご機嫌を取ることが多い。

そこで今回紹介するのは、子守唄を2つほど。

子守唄は、まだ口のきけない赤子とお母さんを繋ぐ

大事なコミュニケーション手段です。

と同時に、音楽がこれほどまでに実際に作用を及ぼす(この場合、眠らせる)

という点ではなかなかに興味深い。

ある意味究極のイージーリスリングヒーリング音楽ですね。


さて、1つ目は、「ゆりかごの歌」。

子守唄と聞けばこの歌を真っ先に思い出す人も多いのではないでしょうか。

大正10年に北原白秋が発表した唄です。

当時は多くの文人が童謡を制作していたらしく、

その中でも非常にわかりやすく丁寧な言葉づかいで人気だったそうです。

他にも「待ちぼうけ」「ペチカ」「あわて床屋」などを残しています。

ゆったりとしたテンポで、「ね〜んね〜こ♪」とやれば、

本当に心地よく眠りの世界へと落ちていきます。


↓ゆりかごの歌

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続いては「竹田の子守唄」。

とても抒情的で深く美しい曲です。

京都の竹田地区で歌われてきた民謡で、

クラシック作曲家の尾上和彦によって再発見されたのち、

50〜60年代の政治・労働運動の一環として盛んとなったうたごえ運動や

のちのフォーク・ブームに乗り、

1969年に「赤い鳥」によって歌われたことで全国的に広まった曲。

この曲は時代や政治的な事柄によって翻弄されてきたという

とても悲しい歴史をもっています。

この歌の歌詞の中に「在所(ザイショ)」という言葉が出てきます。

意味としては、一般的な地方の田舎、または郷里を指すのですが、

それとは別に「ブラク」を指す言葉としても用いられることから、

それが当時のメディアから放送禁止歌として

長らく封印されるという憂き目にあってきたのです。

歌詞の意味としては、

奉公に出された子が、奉公先の赤ん坊の世話をするのだが、

この赤子がまたよく泣いて困るし、

お盆と言えば昔は楽しい思い出があるが、

今となっては楽しみなど1つもなく、ただただ痩せる思い。

早く奉公を終えてすぐ川向こうに見えている親の家に帰りたいが

こんなに近くても遠い存在だという内容。

もちろん赤ちゃんを優しくあやすための子守唄もたくさんありますが、

子守をする側のつらい想いを描いた子守唄というのも意外とたくさんあります。


↓竹田の子守歌

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2016-03-31

俳句はじめてみる

某バラエティ番組を見ていたり、

類さんや寺山修司穂村弘の影響もあって、最近俳句に興味あり。

別の形ではあるけれど、

歌で作詞をしているのでそちらにも十分通じるものがある。

ただ、届けたいメッセージやストーリーを

わずか5.7.5文字にエッセンスを凝縮するという作業

極めてクリエイティブで難解で、

本当にコトバの持つ意味や重み、

コトバ同志の相性や相乗効果をよくよく考え抜かないとできない芸当。

俳句が詠める人はすこぶる賢いと思うし、何より粋です。


類さんも言っていますが、作業的には17文字選べばいいだけなので

ヘタでもなんでもいいからとにかく詠ってみればいいのです。

また俳句というのは瞬間芸ではないとも言っておられましたから

じっくり時間をかければよいのです。

ということで見よう見まねで春の句をいくつかつくってみました。


『窓辺より 春らんまんを 去りし君へ』


ちょっと前に某バラエティで

教室の窓辺から見える桜の写真がお題になっていたもので一句。

ずっと窓辺から学生生活を見守ってきた木々たちが卒業生たちを

祝福するかのように満開の花を咲かせる様です。


『遠ざかる 車窓の花に 「ごめん」残して』


これも前に同じ番組でのお題。

菜の花が咲き乱れる中を、ローカル単線の電車が去っていく写真で一句。

写真からは、満開の花畑の美しさの一方で、

ローカル単線だけがポツンとあって、

なんとなくもの悲しさを帯びているところを表現したくなった。

華やかに咲く花たちに祝福されて旅立つ一方で、

地元を離れ都会へと去る後ろめたさとの対比。


『時継ぐる 野に千本の 花巴』


桜でまず思い出す地はやはり吉野。

そして花見と言えばやはり酒。

幾年の年月を経て咲き誇る吉野の千年桜と、

同じく古くから継承されてきた地元吉野の酒のかけあわせ。


添い寝する 幼子に咲く 花提灯』


子供の寝顔をみるほど平安な時間はありません。

その無防備な様や、子供のふっくらと柔らかく温かな頬の感じは

まさに春の穏やかさやのほほんとした雰囲気そのものだと思います。


これからちょこちょこ詠うというのを習慣づけていこうと思います。

2016-03-07

お七夜

土曜日はお七夜でございました。

生まれてからもう一週間も経つのか!

ドタバタドタバタとあっという間でした。

お七夜は、その名の通り生まれて七日目に行う赤ちゃんにとって初めてのお祝い事で、

健やかな健康を盛大に願うと同時に、

命名披露をして一族・社会の一員の仲間入りをする大事な儀式。

どうやら平安時代からある習わしだそうです。

この日は毎度贔屓にしている仕出し屋さんから料理を取って、

一族そろってお食事会。

そこで正式にお名前を披露して、手形と足型もどうにか取れました。

こうやってみんなに見守られながら、慌てずゆっくりと成長してほしいものです。

この日は赤ん坊を含め4人の子供たちが勢ぞろいして、かなり賑やかな夜になりました。


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子供のころはよくわからず、面倒だなあと思っていましたが

こういう節目節目の催しとか、季節のイベントって

本当に大事なことだなあと、大人になるにつれ、ひしひしと実感するようになりました。

こういうところにちゃんと気を使って生活できるかできないかというのは

精神的にも経済的にもゆとりがあるかどうかということにつながります。

また、周囲の人間としっかりとしたコミュニティを築くということにもなります。

何より人生において要所要所で節目を作るということが本当に大事だと感じます。

人生というのは一方向に絶え間なく流れ続けるもので、

ただその流れに身を任せてダラダラと日々を浪費するのではなく、

季節が変わるごと、あるいは人生のターニングポイントできちっと区切りを設けて

キビキビと生活することは、とても健全なことだと思います。


話はちょっとそれますが、古くから代々、

何十年と何百年と引き継がれてきた伝統が非難されたり、

中身を変更させられたりするようなことが多くなりました。

時代を越えて、長い年月受け継がれてくるものたちというのは、

その事実自体がすでに重い価値を持っているわけです。

その長い年月の間には、価値観が一変するような変革や、

文化の波が幾度も押し寄せてきて、

その度にそれらを乗り越えて現代まで続いてきているわけです。

それを、たった半世紀そこそこしか経験していない人間が、

無駄だとか、意味がないとか、その存在に異議を唱えるというのは、

本当に低俗な暴力でしかないと思います。

そういう人間に限って価値観の多様化とか、時代にフィットさせるだとか、

もっともらしい理屈をすぐに振りかざしているけど、

実際はその伝統に対して己が無知だったり、関心がなかったり、面倒なだけでしょう。

そんな個人の怠惰・堕落によって伝統が損なわれるのは悲しいことですね。

そういう馬鹿ほど、SNSというでかい拡声器で目立っているだけなのにね。

声のでかい奴が正義でも主流でもなんでもないのに。

おかしな世の中になりました。


個人において、こういう伝統と格式を重んじる人というのは

やっぱり粋ですし、品格があります。(ちなみに教養と品格は金では買えないものです)

家族においても、きちっとこういう習わしを大切に生活しているご家庭は

夫婦円満だったり、健やかなお子さんが間違いなく多い。

地域でも、日本古来の風習や伝統が今なお生活の中に息づいているようなところ、

例えば熊野などは本当に素晴らしいですよね。

こういうことっていうのは、

単にいるかいらないかというような価値観(あえて言い換えれば0か1かのデジタル)

の範疇を越えたところにあるように思います。

今はやりの”ルーティン”もこの一種かもしれません。

それ自体するもしないも大した意味はないかもしれないが、

物事を行う準備だったり、心構えだったり、生活のリズムを作るというか、

物事を組み立てる方法をしっかり築けるかどうかということですね。

結果や成果、答えや利益だけを追い求め、損得勘定するような生き方よりも、

プロセスや組み立て方を重んじるような丁寧な生き方をしたいものです。

2016-03-04

4人家族

昨日は無事、母子ともに退院。

いよいよ4人家族の生活がスタート。

長女は、ふわふわと心細そそうな優しい表情の女のことでしたが

次女はちょっとのことにも全く動じない芯の強そうな感じ。

はっきりとした二重瞼で、眼力があり、

時々まじまじと目線をそらさずに見つめてくるとドキっとしてしまいます。


昨日はお雛祭りということで、一族そろって退院祝いを兼ねてパーティー。

食事後はお風呂に入れました。

何しろ、長女以来なので入れ方がわからず、

アワワワ〜っとなりながらも無事に沐浴させることができました。

大人3人4人が、慌てふためいている中でも、全く意に介することなく、

気持ちよさそうにうっとりとされておりました。

初日の夜も思ったほど夜泣きはなく、結構がっつり寝るタイプの子かもしれません。

2016-02-29

オメデトウゴザイマス!

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2/27の午前に、無事第2子が生まれました。

これほどうれしくて感動するものはないですね。

母子ともにすこぶる元気!


お産も、念のために早めに病院には入りましたが

実際陣痛が始まってものの1時間弱の短期決戦でした。

学校も仕事もない絶好のタイミングで出てきてくれました。

長女もずっと緊張の面持ちで立会いをして、

へその緒もチョキンと切ってもらいました。

もうすっかり妹のトリコのようです。

ちょうど記憶に残る年頃で妹の出産に立ち会えたので

ずっとこの大切な出来事を覚えていてほしいなあ。


次女の顔は本当に長女の生まれた時とうり二つで、とっても可愛らしいですが

長女よりお転婆そうな予感。

前日の検診では2800ちょいと聞いていたのに、

実際には3200を超えていてびっくり!

長女の時と同じく、髪ふっさふさです。


長らく待ち望んで、色々な大変なことを経て新しい、

かけがえのない命を授かり、

これからがまた大変なのは承知の上で、

2人とも一生かけて守ってあげなければと気持ちを改めました。

無事に元気に生んでくれた奥さんに感謝感謝。

また4人家族としての新たな生活が始まるぞぃ!