Hatena::ブログ(Diary)

記憶の残滓 by arkibito

2018-05-15

カレーなる日々

ブログ、書けるものから随時!随時!

ということでまずはカレー


1軒目は職場の近所の新しいヤドカリ店舗。

夜は居酒屋の神無月さんが、

昼のランチをやめてスパイスカレーONLYに。

チキンキーマ&トマトひよこ豆カレーのあいがけ。

スパイスカレーのあいがけ大盛りで700円は

かなりリーズナブルかと。

味は普通のよくある感じ。


このお店に限ったことではないが、

最近のスパイスカレーはおもしろくない。驚きがない。

カレーなんてそれこそ無限大の組み合わせがあって、

もっとあんなこと、こんなことと広がりがあっていいはずなのに、

もはやスパイスカレーはこれです的な味ばかりの店になってきた。

もちろん、店舗によって個体差はありますよ。

でもそれ以上の個性がある店がない。

みんな同じ方向へ向いている。

わざわざ生活圏から離れた、

営業時間などの条件の厳しいお店に行くくらいなら、

近所のなじみの店でもええやんと。

スパイスカレーの世界ってそんな範囲狭いのかなあ?

そんな狭いとこの違いをちゃんと分かってる舌を持っている人が

果たしてどれだけいるんだろうか。

ある意味、スパイスカレーがそれだけ裾野が広がって

身近に市民権を得てきたということなのだろうけど、

かつてラーメンがたどってきたような普遍化の道を歩み始めてるなあと。


神無月

f:id:arkibito:20180416123453j:image:w360


↓チキンキーマ&トマトひよこ豆カレー700円

f:id:arkibito:20180416122333j:image:w640


続いては、おなじみ塩屋のワンダさん。

今回は18時以降の夜メニューのオムレツカレー

玉子ふぁっふぁっ。

卓上の謎のスパイスを少しかけ過ぎました。


↓ワンダカレーオムレツカレー

f:id:arkibito:20180421181812j:image:w640


続いて、梅湯さんの帰りに発見したasipaiさん。

フライヤーがレトロ印刷だ!

珈琲屋と兼務している路地裏の小さなお店。

鳥取の豚キーマカレー&エビカレーのあいがけをいただきました。

梅湯の周辺でセットで寄れるお店が増えてありがたし。


↓asipaiさん

f:id:arkibito:20180505125456j:image:w360


↓路地裏にひっそりと

f:id:arkibito:20180505132138j:image:w360


↓メニュー

f:id:arkibito:20180505125623j:image:w360


鳥取の豚キーマカレー&エビカレーのあいがけ大

f:id:arkibito:20180505130513j:image:w640


続いては木屋町の2Fにあるイグレック

名物野菜カレーをいただきました(キノコ抜きのオーダー)。

サラッサラのルーの甘みと、どっさり満点のお野菜、ええですねえ。

お話し好きのお父さんお母さんもいいスパイス。


↓イグレック

f:id:arkibito:20180513174354j:image:w360


野菜カレー

f:id:arkibito:20180513175325j:image:w640

幡野広志写真展『いただきます。ごちそうさま。』

少し時間が経ちましたが、先日の東京行の目的だった

写真家で猟師の幡野広志さんの

写真展『いただきます。ごちそうさま。』について。


SNSを通じて、その存在を知った時には、

幡野さんは末期の癌に侵されていたのだが、

死について、あるいは生き方について

非常にまっすぐなメッセージと素直な感情を

日々発信しつづけておられる。

そんな彼の導き出す言葉や写し取った写真に、

並々ならぬほとばしりや力強い説得力を感じ、

これは単にSNS上での情報や画像といったことではなく、

きちんと作品として生の感覚で受け止めたくて、

はるばる大阪から観に行ってきました。


f:id:arkibito:20180426194130j:image:w640


f:id:arkibito:20180426191009j:image:w360


場所は神田にあるego Art & Entertainment Gallery。

整然と並べられた写真の数々は

まさに生き死にの最前線を写し取った

生々しい匂いのするものばかりだった。

その一瞬を切り取るという写真行為にしても、

獲物に狙いを定めて引き金を引く行為にしても、

どちらも、刹那の瞬間にすべてが決まる真剣勝負という意味では

相通じる部分がある。

幡野さんの発する言葉に宿る混じりけのないまっすぐさは

きっとこの誤魔化しの効かない真剣勝負によって

磨かれてきたものだろうと思う。


一方で、幡野さんご本人の言葉によれば、

銃は命を奪うものだが、カメラは命を記録するもので、

命を奪ったさきには“生”があるが、

命を記録したさきにあるのは“死”であり、

狙いを定めて相手を捉える(捕らえる)という。

行動的には似ていても、本質的には真反対な行為だという。

自分は写真は撮ることはあっても、

銃口を覗いたことも引き金を引いたことがないが、

その両方の視点から見える世界のあちらとこちらを行き来することで

得られる生き死にに対するまなざしは、

日頃、そういう生々しい現場を存在しないかのようにして振舞いながら

実はその恩恵に切実に甘んじている我々の現代生活

強烈なアンチテーゼを投げかけてくる。


f:id:arkibito:20180426190926j:image:w640


f:id:arkibito:20180426191206j:image:w640


この地球では、世界規模からマクロ微生物の世界まで、

あらゆる生物は必ず自分ではない何かを栄養として取り込んで生命を繋いでいる。

捕食する能力を磨き、捕食されない能力を磨き、

まさしくリアルな生存競争の果てに、

進化するものがあれば、滅びゆくものがある。

そうやって生と死を絶えず交わらせながら、

命のバトンは脈々と続いてきた。

そういう実際の現場が巧妙に、システマチックに、

生活の現場のバックヤードに隠される現代社会においては、

その生々しさを感じられる瞬間や場面に触れる機会はそう多くない。

そういったものはもはや自分の生活、人生とは全く別のもの、

かけはなれたものという風に感じる人も少なくはないだろう。

しかし、生きるということは、そもそも純粋な意味で綺麗事ではない。

綺麗事のように感じて生きているのは、

間違いなく存在する綺麗事ではない部分をなかったことにして

直視しようとしていないか、

綺麗事ではない部分を誰かが担っているということに

思いが至らないだけのことだ。

誰か(何か)が満たされるという事は、

等しく誰か(何か)の犠牲の上に成り立っているという事である。

その犠牲や搾取に対して罪の意識や善悪を感じるのは,

ある意味人間的発想ではあるが、

そもそもそれがこの世界の原理原則であり、

忌むべきものでも、嫌悪することでもなければ、

不可避なものである。

それは個人の嗜好や価値観といったミニマムな視点では

到底覆らえることのない真理であるが、

そもそもそういうものの上に世界が成り立っているという事を

理解できないとしたら、それはれっきとした現代の病だろう。


f:id:arkibito:20180426192639j:image:w640


f:id:arkibito:20180426191126j:image:w360


f:id:arkibito:20180426191107j:image:w360


f:id:arkibito:20180426192504j:image:w640


わずかな時間でしたが、

匂い立つような写真の前に対峙して、

静かに思いを巡らすことができました。

2018-04-18

『火垂るの墓』 高畑勲監督

火垂(ほた)るの墓 [DVD]

火垂(ほた)るの墓 [DVD]


高畑勲監督の追悼で先日放映された『火垂るの墓』を観る。

小学生の頃に初めて映画館で見て(トトロと二本立て!)以来、

何度か観ているが実はちょっと苦手な作品である。

というのはどうにも感情が抑えられず、

相当なエネルギーを消耗してしまうから。

子供の頃は、自分にも妹がいるので、

どうしても清太に自分を置き換えて観てしまって、

あれこれと考えを張り巡らせたし、

阪神大震災を経験して以降は、

作中の焼け野原地震の光景がオーバーラップしてしまう。

そうして今では自分に小さな娘たちがいて、

彼女たちのことを想いながら見てしまったら、もうどうにも止まらない。

先日も、ずっとずっとこらえていたのだけど、

とうとう、どうしようもなく嗚咽していたら、

長女がそっと手を握ってくれて、涙腺が決壊してしまった。


そういう風に、どう頑張っても感情が圧倒的に押し寄せてしまって、

作品について、あるいは作中に描かれている事柄について

冷静な分析だったり、解釈が難しい作品だったのだが、

先日はできるだけ目を逸らさず、正面から受け止めることに努めた。


原作者の野坂さんも、高畑監督も、

戦争という忌むべきものに対しては、もちろん大反対だし、

それがもたらす様々な災い、

つまり親しい者たちとの死別や、

飢え、貧困、暴力、排除、無秩序、絶望といったものへの

嫌悪は言わずもがななのだが、

彼らが訴えたかったことのなかには、

戦争がもたらすものへのNOだけではなく、

戦争をもたらすものへのNOも含まれているのではないだろうか。

つまり、排他的な思考、

絶対的な権力が暴力的に国を支配するような状況、

あるいはそれらを着実に根付かせる思想的教育の恐怖について。

その重要なメッセージが、

スクリーンに映し出される悲しい物語に対する

激しい感情の高ぶりに隠れて

自分自身、今まであまり認識できていなかったように思う。

ただ単純に戦争はいけないということ以上に、

その異常な社会が異常でないように感じられるような

考え方や社会の在り様こそが、最も忌むべきものであるということだ。


そのメッセージを紐解くうえで、

自分が一番、この作品で着目した点は、

清太が叔母の家を出て、自活をすることを決めたことだ。

もちろん、叔母の言動には耐えがたい屈辱や嫌悪を感じざるを得ないし、

自分たちの居場所が極めて窮屈に感じるのは間違いない。

しかし、もし清太が本当にあの時代を生き延びるのだという

ゆるぎない意思があり、

なにより節子が無事に生きる、成長することを第1に考えるとしたら、

己がプライドを捨て、どれだけ我慢を強いられ、

地べた這いつくばってでも、

あの家に残ることを選択しただろうし、

あるいは農家のおじさんが諭すように、急に瀕した状態で、降参して

屈辱的であっても、家に戻るということができたはずだ。

もし自分が同じ状況ならというのを昔から何度も何度も考えたが、

やっぱりそれがあの状況では最善の選択だったろうというところに落ち着く。

しかし清太はそれをしなかったし、考えもしていない。

あれだけ大切な妹の生存を脅かしてまで、

何が彼をそこまで頑なにしてしまったのだろうか。

そこがずっと引っかかっていた。


もちろん精神的に複雑な青年期にある少年の純粋な強がりやエゴ、

大人への反抗心が働いたということもあるだろうが、

清太にその選択をさせなかったのは、

彼が軍エリートの一家に生まれた長男であるという点に

一番の要因があると思われる。

空襲により、母親が死に、孤児となって運命が一変してしまったが、

それまではむしろ裕福で、何不自由のない生活を送っていた。

連合艦隊の幹部としての父親に絶大な信頼と誇りを抱き、

大日本帝国勝利することを信じて疑わない姿勢が、

作中で随所に描かれている。

もし彼らが、普通の一般的な水準の家に生まれていたら、

戦時における日常においては、

すでにあれくらいの理不尽な出来事は

当たり前のこととして受け入れられたのであろうが、

彼らの育ちが、生き恥をさらして無様に生きるなら、

尊厳ある死を選ぶというような、

極端で誤った武士道めいたものへと導いてしまったのではないだろうか。

それはまさしく、当時の日本が誤った正義に邁進してしまったことと重なる。


一般的に、彼らの行動については

理不尽な大人の世界に反旗を翻したという評があるが、

自分から見ると、むしろ理不尽な大人の世界の理屈を信じて疑わずに

子どもながらに突き詰めてしまったからこその悲劇のように映った。

つまり、戦争という異常な時代の中で、その状況を異常とせず、

自らの生活に落とし込んだうえで、現実の戦争と同じ理屈で、

彼らなりの小さな戦争をしかけたのではないだろうか。

それも初めから負け戦とわかっていてである。

人によっては、あの選択をもってして、

自業自得だと切り捨てるような安易な結論を下す人もいるかもしれないが、

まだ自立もできないような少年少女にすらそういう思想が植え付けられ、

ああいう選択を強いられたという点や、

まだ未熟な者たちを正しい道へと導くことができない社会に

翻弄されたという点において、

やはり彼らもまた悲しい犠牲者だと言わざるを得ない。


この作品でせめてもの救いは、

彼らが死後、強い絆でもって

再び魂がひかれあって再会を果たしているという事が

描かれていることである。

それがたとえ、生きる者の願望が、

いいように想像してしまった産物であったとしても、

それがもしなかったら、もう自分は本当に心が張り裂けて

二度とこの映画を観れないかもしれない。

だからあのように描くことは、きっと、

高畑さんの心からの優しさなのだろう。


実際にあのような悲劇とほぼ同じようなことが、

たかだか70年前のこの日本で繰り広げられたこと、

そして依然として世界から戦争や紛争がなくならないこと、

また、その恐ろしい影がこの現代日本においても、

ひたひたと出番を伺うような不穏な空気が

少しずつ濃くなっていることを考えれば、

大人こそ、この映画をマジメに直視して観るべきだろう。

そして高畑さんが残したメッセージをつないでゆき

二度と同じ過ちを犯さないことが、

高畑さんへの、そして清太や節子への

一番の追悼になるのだと信じてやまない。

2018-04-13

VIVA!霊仙山!

ちょっと時間が経ちましたが、先日のお山の話をば。


このところの体調不良もしかりだが、

年なのか休日になかなか早起きできなくなってきていて、

お山やら自転車やらの出動が間に合わなくなって、

結局ダラダラとした休日を過ごしてしまうというのが続いていて、

そんな体たらくを棚に上げて、

やっぱり山へ行きたい、ロングライドに行きたいと

気持ちだけが先走っているのだが、

この週末は何が何でもお山に行くんだと気合十分で就寝し、

睡魔の誘惑を振り切って早朝の電車に飛び乗りお山へ。


今回のターゲットは、鈴鹿山脈の北限に位置し、

百名山の伊吹山と正面向かいにある霊仙山。

以前、真冬に雪山登山で訪れたのだが、

その時は6合目でホワイトアウトに遭い、

無念の途中下山で山頂を踏めずに、ずっと宿題になっていた。

本当ならもう少し早め、

一面雪の白い世界のうちに訪れる予定だったのだが

絶不調のコンディションでずれ込んでしまった。

これ以上遅い時期になるとヒル地獄として有名なお山なので

またしばらく登りそびれる恐れもあり、満を持してのタイミング。


6時台の快速に乗り、どんぶらこっこと米原まで。

そこで乗り換えて、1駅先の醒ヶ井駅に到着したのが8:35。

以前はここから醒ヶ井の養鱒場まで路線バスがあったのだが、

すでになくなってしまっているので、

仕方なくここから4kmほど歩きます。


↓醒ヶ井駅

f:id:arkibito:20180324083603j:image:w360


なかなかお天気が素晴らしいのだけど、

すぐに暑くなって上着を脱いでテクテク名水の集落を歩く。

40分ほどで養鱒場に到着。


↓養鱒場

f:id:arkibito:20180324091034j:image:w360


しかしここが登山口ではなく、

ここからさらに4kmも退屈な林道をひたすら歩く必要があります。

アプローチが遠いよ〜@@

単調な谷沿いの林道をとぼとぼと歩いていると、

何台かの車が通り過ぎていきます。

車だと登山口まではすぐだからいいよなあと愚痴りながら

黙々と長い長い舗装道路を詰め、

ようやく1時間30分ほどかけて榑ヶ畑登山口に到着。

この日は行楽日和というのもあって、

随分下の方まで路駐の車がズラリ。

小さな東屋で登山届を出して、ようやく山歩きスタート。


↓熊注意

f:id:arkibito:20180324092714j:image:w360


↓ひたすら林道を歩く

f:id:arkibito:20180324094452j:image:w360


↓榑ヶ畑登山口

f:id:arkibito:20180324095042j:image:w360


ゲートをくぐって、進んでいくと、

うっそうとした森の中に、

随分前に放棄された集落の残骸へと分け入っていきます。

雪解けの水が足元を腐らせてぐじゅぐじゅなので、

足の置き場を選びながら進んでいくと、

小さな山小屋かなやに到着。

越冬缶ジュースは残念ながら売り切れておりました。


↓山小屋かなや

f:id:arkibito:20180324095958j:image:w360


ここから湿っぽい谷底とさよならをして、

一気に急な登りを弓なりになぞり、

小さな尾根にぶつかるところで一気に直登で上まで。

汗拭き峠ではたくさんの人が一服を入れていましたが、

混雑を避けて、ここはスルーしていきます。

大所帯のパーティーに道を譲られながら回廊を伝っていきます。


↓汗拭き峠の急登

f:id:arkibito:20180324100453j:image:w360


↓登りきって回廊を行く

f:id:arkibito:20180324101002j:image:w360


小さな岩場を乗越てから先は

南側の斜面をなぞるようにして道は続く。

大洞谷源頭と呼ばれている、

下から合流するかのように沢がぶつかる地点で、

道は急に向きを変えてジグザグ折れてゆく。

そこそこペースを維持して登ってきたので、

オーバーヒートしてしまい、ここで上着を脱ぎます。暑い!


↓大洞谷源頭

f:id:arkibito:20180324101522j:image:w360


↓四合目

f:id:arkibito:20180324102235j:image:w360


少しばかり急登を詰めると、

木立が並ぶ広々とした緩斜面に出て、

トレースに従って進んでいく。

しばらくすると北川が開けた見晴台と呼ばれる五合目に到着。

山の管理の方々が重い資材を下ろして休憩されていてご挨拶。

しばし、遠くに見える琵琶湖や長浜の町並みを眺めて、リスタート。


↓五合目・見晴台から琵琶湖・長浜の町並み

f:id:arkibito:20180324102801j:image:w640


ここから前方に立ちはだかる

こんもりとした山の塊に取り付いて、

大きく右側にトラバースするように

山肌を横切りながら山上を目指すのだが、

ここからただでさえ急斜面になるのに、足元の具合がすこぶる悪い。

冬の間にしっかりと積もった雪がすべて溶け込んで、

地面がまるでチョコレートフォンデュのように

ひどいぬかるみになっている。

足がとられたり、ドロドロになるのはまだいいとして、

足を差し出した瞬間に、スリップし、

斜面なので滑り落ちるような感覚をどうにか踏ん張ってこらえる始末。

まるで一人ローション相撲のような様相。

トレッキングポールを取り出して、それを支えに進むのだが、

それでも油断をしていると、

ズルッ、ツルンと転倒しかける。

思わぬトラップに大苦戦してペースは大幅にダウンしてしまいます。


↓泥地獄スタート

f:id:arkibito:20180324104116j:image:w360


ようやく急な斜面が落ち着いて、滑り落ちることはなくなったが

足元の状態は変わらずで、

登山靴にべったりまとわりついた泥が重みを増してゆく。

まるでスノーシューを履いて

ぺったんぺったんと前進するような足取りで、

どうにかこうにか中腹の6合目までやってきました。


↓六合目

f:id:arkibito:20180324104811j:image:w360


ここから先は大きない木々がなくなり、

低い芝と、点在する岩のフィールドをジグザグに詰めていきます。

足元の具合も、少しずつまともな土に変わっていき、

歩きやすくなってきました。

遠く北側に再び琵琶湖の姿が見え始めました。


↓急斜面を詰める

f:id:arkibito:20180324104933j:image:w360


↓徐々にカルスト地形に

f:id:arkibito:20180324105006j:image:w360


この急斜面が意外とあって、

ジグザグジグザグと岩の間を抜けながら登っていくと、

途中見覚えのある岩と木の姿が。

全開、深い雪の頃にアタックした際に撤退を決めた場所です。

あの時は雪に乗じて、6合目からほぼ直登してあそこまで詰めたのですが、

そこから先、完全なホワイトアウトで前後不覚に陥り、

無理をして先へ進んでしまったら、

もう絶対降り口を見つけられないと、後退しました。

このあと予想以上に広大な山上を目の当たりにして、

あの時の判断は間違っていなかったなあと改めて感じました。

雪の季節でなくても、悪天候でガスっていたら、

結構道迷いの危険が高いと思います。


↓前回は右手の木のところで撤退

f:id:arkibito:20180324105333j:image:w640


そこからもう少しだけ登ったところにお猿岩があり、

ここが七合目。いよいよ山上にやってきました。

前方を見ると、広大なフィールドが広がっていて、

低い芝の草原にぽつぽつと白い岩がむき出しに点在して

見事なカルスト地形を見せています。

予想以上のスケール感に足取りも軽くなります。

振り返れば、豊かな水をたたえる琵琶湖がぽっかりと浮かんでいて

まさしく絶景。

関西でこれほどまで気持ちのいいお山もなかなかないでしょう!


↓七合目・お猿岩

f:id:arkibito:20180324105858j:image:w640


↓山上は広大なフィールドが広がっていました!

f:id:arkibito:20180324105902j:image:w640


↓絶景かな〜

f:id:arkibito:20180324105914j:image:w640


↓長浜市街

f:id:arkibito:20180324110416j:image:w640


開放的な山上に出てからは悠々と歩きます。

いまだに残雪が名残惜しそうに横たわっているところでは、

雪をすくったり、足跡をつけたりしながら、進みます。

にょきにょきと映えるように点在する岩をかいくぐっていくと、

小さな池があり、そこが八合目。

そこから右に視線を振ると、

うっすらと白い雪を纏った大きな山の塊が見え、

そこが霊仙山のピークのようです。

トレースはそちらへは向かわず、

まず前方に連なる尾根の一番高いところ、

経塚山をめがけているのでそちらへと向かいます。


↓カルスト台地をさらに進む

f:id:arkibito:20180324110519j:image:w640


↓八合目・お池

f:id:arkibito:20180324111016j:image:w360


↓左手に経塚山、右が霊仙山

f:id:arkibito:20180324111137j:image:w640


↓残雪踏み踏み

f:id:arkibito:20180324111310j:image:w640


少しずつ上りをこなしながら

ゆっくりと大きくなっていく霊仙を仰ぎ見る。

まだあそこはかすかに冬が残っているようで、ワクワクする。

そうして振り返ってみれば、

ここまで歩いてきた山上の庭園がずらーっと広がっていて

これがまたたまらない。

これ、最高に晴れた真冬の日だったら、

一面の銀世界なんだろうなあ。

しかもすぐ向かい側には、伊吹山が堂々と鎮座しているし、

その脇から、白無垢の白山や御嶽山が

ひょっこりはんと顔を出している。

大阪からほぼ新快速一本で行ける範囲に

こんなアルプス感あふれるお山があるなんて!

いやあ、山を満喫してますよ。素晴らしい。


↓伊吹山越しの白山

f:id:arkibito:20180324112015j:image:w640


↓経塚山の中腹から山頂をのぞむ

f:id:arkibito:20180324112148j:image:w640


↓見事ですなあ

f:id:arkibito:20180324112319j:image:w640


↓ただっ広い!

f:id:arkibito:20180324112538j:image:w640


えっほえっほと登りを詰めて、

尾根のピークである経塚山に到着。

ここで少しだけ補給タイム。

何しろ朝はサンドイッチしか食べてなくて、

お腹がペコペコ。

もう山頂までは持たなそうなので、

ここでおにぎりを2つほどパクパク。

しばし休憩ののち、

目の前にどーんと構えている本丸へと出発します。


↓経塚山

f:id:arkibito:20180324113053j:image:w640


↓左が最高点、右が山頂

f:id:arkibito:20180324114121j:image:w640


この霊仙山はちょっと変わっていて、

双耳峰という扱いでもないのですが、

”山頂”と呼ばれるピークと、

”最高点”と呼ばれるピークの2つがあります。

どちらから行こうかと悩んで、

ひとまず左側にある最高点を目指します。

大きな雪渓を横目に、ほぼ直登するような形で斜面に取り付きます。

うっすらと雪のパウダーと、

そこからようやく顔を出した緑を踏みしめながら、

上り詰めて最高点に到着したのが11:55。

醒ヶ井の駅から出発して約4時間30分の行程でした。


↓残雪を横目に

f:id:arkibito:20180324114249j:image:w640


↓霊仙山最高点

f:id:arkibito:20180324115545j:image:w640


ここからの眺めもまた素晴らしく、

北側には伊吹山と右手に広がる大垣市街、

そして南東の奥には伊勢湾が山の間に横たわっている。

そこから南側には鈴鹿山脈が縦に連なっていて、

右手側に湖東の町並み。

いやあ、絶景です。


↓1098mの最高点にて。左手に伊勢湾が見える

f:id:arkibito:20180324115223j:image:w640


↓湖東方面

f:id:arkibito:20180324115324j:image:w640


↓遠く御嶽

f:id:arkibito:20180324115419j:image:w640


↓海老のしっぽの食べ残し

f:id:arkibito:20180324115508j:image:w360


しばらく景色を堪能したのち、

もう一方のピークへと向かいます。

一度鞍部まで下っていきますが、

案の定、足元が緩いので、スリップしないように慎重に下り、

そこから、まるで洋菓子のようなシルエットの”山頂”に向けて、

最後のひと登り。


↓続いてあちらのテッペンへ

f:id:arkibito:20180324115944j:image:w640


↓クグロフのような道を登りますヨ〜

f:id:arkibito:20180324120727j:image:w640


↓えっちらおっちら

f:id:arkibito:20180324120843j:image:w640


そうして、こちらの”山頂”も無事に到着。

さっきの”最高点”よりもこちら側の方が琵琶湖がよりはっきり見渡せます。

ちょっと時期的に遅きに帰した感があったのだけど、

こちらには低木にまだ樹氷めいたものが張り付いていて、

ちょっとしたオマケが嬉しかったり。

せっかくスケール抜群の絶景が広がっているのに、

あっさり下山ももったいないので、

さっきの補給で残していたカップ麺をいただきます。

インスタントでも、この絶景を前には十分なごちそう!


↓山頂とうちゃこ

f:id:arkibito:20180324120753j:image:w640


↓伊吹山方面

f:id:arkibito:20180324120803j:image:w640


↓琵琶湖方面

f:id:arkibito:20180324121044j:image:w640


↓冬の名残り

f:id:arkibito:20180324121343j:image:w640


↓プチ樹氷

f:id:arkibito:20180324121009j:image:w640


↓定番の昼飯

f:id:arkibito:20180324122340j:image:w360


20分ほど滞在をして、いよいよ下山をします。

雪渓で遊びつつ、経塚山まで戻ってきましたが、

また同じルートというのも味気なく、

あのドロドロの斜面を下るのは想像しがたいこともあり、

もう1つのルートである柏原コースへ向かうことにしました。


↓さて下山

f:id:arkibito:20180324123204j:image:w640


↓ズンドコ下ります

f:id:arkibito:20180324123932j:image:w640


↓雪の斜面

f:id:arkibito:20180324124108j:image:w640


経塚山の直下で道を折れて、雪渓を横断しつつ、

向こう側の山にポツンと立っている避難小屋へ向かいます。

中は本当に簡素な造りですが、

真冬や荒天時に雪や雨風を防ぐには貴重な避難所になります。


↓経塚山をおりたとこ

f:id:arkibito:20180324124937j:image:w360


↓霊仙山避難小屋

f:id:arkibito:20180324125510j:image:w360


小屋から少し進んでいくと、

その先が一気の激下り。

まだ足元がしっかりしているのでスリップの心配はないが、

慎重に下ります。

暗部に降り立つと道が分岐していますが、

谷山谷ルートは台風等で荒れ具合がひどいため

通行止めになっているので、そのまま向かいの起伏へと進みます。


↓四丁横崖の激下り

f:id:arkibito:20180324130226j:image:w360


↓八合目。谷山谷ルートは通行不可

f:id:arkibito:20180324130710j:image:w360


ここから、赤テープを頼りに、

ほとんど獣道寸前に頼りない道を進んでいきます。

夏ならばしっかりとトレースがあるんだろうけど、

まだ雪解け間もない時期で、

こちら側のルートを歩く人も少ないようで、

よくよく先を確認しながら進みます。

そのまま進んでいくと目の前を小さな沢が斜めに横切っていて、

ちょうどそこが日陰になっているせいで、

残雪がしっかりと溜まっている。

そこでルートを見失ってしまう。

雪だまりには登山者の踏み跡もついておらず、

沢の先を見渡しても赤テープらしきものは見当たらない。

そのまま横断していくのか、それとも右手に沢を登っていくのか、

あるいは左手に沢を下るのか???

ここは焦らずじっくりと見極めようと目を凝らすと、

左手前方に、うっすらとトレースのようなものが見える。

方角的にはちょっと違うような気もするのだが、

とりあえずそちらへと進んでいくと、

そこを進んでいくとちょっとした広場のようなところに出た。

トレースはうっすらながら先へ進んでいるのだが、

どう考えても谷山谷方面へと向かっているので、

一度ザックを下ろし、現在地を確認する。

幸い広場からは伊吹山も見えるし、

ふりかえればさっきの避難小屋も見えるので

地図と照らし合わせながら現在地を確定すると、

やはり柏原ルートから外れているようだった。

さっきのポイントまで戻ろうとすると、周辺の木立がざわつく。

もしや熊???と構えて、周囲を確認すると

何頭かの鹿が、一目散に逃げてゆくのが見える。

あのトレースは彼らの生活道だったようです。


↓ルートをロスとして、よくわからない鹿の広場に出た

f:id:arkibito:20180324130906j:image:w360


とりあえず、このまま進むわけにもいかないので引き返しますが、

山の形状から判断するに、そのまま戻るよりも

稜線へ直接向かった方が早かろうと、林の中をごそごそ進む。

足元をよく見ると、丸っこいチョコボールのような鹿のフンが辺り一面に。

しばらく登っていくとなだらかな部分に出て、

その前方に登山客の姿を発見!

ようやく正規のルートに戻れました。

やはりさっきの雪だまりの沢を登っていくのが正解のようでした。


↓迷いに迷ってようやくルート復帰

f:id:arkibito:20180324132429j:image:w360


復帰したポイントからは急な下りとなります。

ここら辺も雪が結構残っていて、

ルートが全く埋もれてしまっていますが、

はるか下に、小さな標識のようなものが見えているので、

どうにか行先がわかりました。

急な斜面の緩い箇所を選んで

尻セードでズシャーとやったのですが、

途中雪がボコッと陥没をしてはまってしまいました@@


↓七合目までの雪の急斜面を尻セードで

f:id:arkibito:20180324133218j:image:w360


エイホッと抜け出して、看板まで再び尻セードかけて降りる。

そこからは、東の養老方面へと続く山並みと、

そこに刻まれた林道のラインが見えてきました。

ちなみにあの林道は、

員弁方面へと出るための道で柏原方面へは行かないので

うかつにそちらへ行かないように注意が必要。


↓林道はあるが、三重へ行ってしまうので注意

f:id:arkibito:20180324133929j:image:w360


しばらく林道とランデブーするようにして登山道が続いていきます。

登山道が林道とサヨウナラをするポイントで、

正規のルートは反対の斜面へと続いていて、

それとは別に、もう一つ

そのまま稜線を上がっていく細いトレースを見つける。

恐らく電気関係の作業用のものだろうが、

ちょっと頭に入れておく。


正規ルートを進んでいくと、さらに分岐があり、

そこには標識が立っている。

そのまま斜面を下りるように進む河内道は通行止めになっていて、

斜面を下りずになぞっていく柏原道へ標識通り進む。


↓標識通り、柏原道へ行くが…

f:id:arkibito:20180324134049j:image:w360


しかし、この斜面に取り付けられた道が徐々に頼りなくなっていき、

本当にこれが正規ルートなの?と思うほど。

それでもさっきちゃんと標識もあった訳だし、進むしかない。

すると、広範囲にわたって雪がへばりついた斜面に差し掛かる。

その先のルートがどうなっているのか一切の目印が見当たらないうえに、

そのまま斜面を横切るにはあまりに危険な状況になってきた。

慎重に雪をかき分けて谷へ下るようにして横断するか、

あるいは、斜面を無理やり登り返して稜線へ出るべきか…

いずれにせよ、そのままのレベルで横切るのは、

雪がなくても険しすぎて難しい状況。

これ本当に正規ルートなの???

さっきの道迷いの件もあるし、とりあえず、

もう少し前進して、違う角度から周囲を見れば

ここから見えない位置に赤テープがあるかもしれないから

それで落ち着いて判断しようと、

目の前の雪だまりに足を踏み入れたのだが、

その瞬間、ごぼっと足元の雪が崩れて、2mほど落下。

ひや〜危ない!!

足を少しくじいてしまった以外には他にけがはなかったけど、

ちょっとヒヤリとしました。

どうにかさっきの場(そこまでは間違いなくルートとはっきりわかる地点)に戻り、

そこから雪の多い谷へ下るのをやめて、

稜線を目指して急な斜面をやみくもに上ります。

そういえば、さっき林道と別れる地点で、

作業道があったはずだから、

そこを一時的にたどれば正規ルートには戻れるだろうという判断。

道なき道をよじ登ってどうにか稜線に出ると、

一定間隔で作業用の赤い杭が打たれていて、

そこをなぞって稜線のピークに出る。

周囲を見渡すと、東に大垣の町並みが見え、北側には伊吹山。

この日は晴れていて進行方向がよく確認できるから、

まだ迷っても安心して、とりあえずこっち方面と進めるのだが

本格的にこの山塊に入るのは初めてだったし、

これが天気が良くなかったら、相当迷っていた危険性もあるなあ。


↓仕方なく斜面を登りなおしてどこかのピーク

f:id:arkibito:20180324135353j:image:w360


↓大垣の町並み

f:id:arkibito:20180324135651j:image:w360


ピークから、伊吹山の見える方角の斜面を下っていくと、

中腹で休憩をしている女性がいらして、

念のためこっちで合っていますと聞くと、正解ですとの答え。

彼女も、自分と同じポイントで正規ルートを断念して、

こちらに迂回してきたそうです。

そこからすぐ先にあるY字に枝分かれした松のある場所で

正規ルートに復帰しました。


↓特徴的な松

f:id:arkibito:20180324135738j:image:w360


そこから先は明瞭なトレースを伝って、六合目まで。

なんか八合目からの区間は、

迷いに迷いまくってとっても長く時間が感じられました。


↓六合目

f:id:arkibito:20180324135853j:image:w360


六合目から再び谷を下っていきますが、

ここでも依然としてまだらの雪面が残っていて、

トレースをかき消しています。

トレースなのか、雪解けの水が集まっている小さな沢なのか、

何本もの筋が谷から放射状に延びていて、

しばらくはでたらめに谷を下って行ったのだが、

知らぬ間にルートが左の尾根へと

離脱するのを危うく見逃してしまうところでした(汗)


↓まだらの残雪が道を惑わせる

f:id:arkibito:20180324140539j:image:w360


そこから、再び稜線を歩くのだが、

通せんぼするかのように胸まである雪の塊が行く手を遮ったり

トレースを消してしまっている。

だが稜線上では、ルートを迷うこともないので、

そのままその雪を乗り越えて稜線をなぞってゆく。

しかし、これほど高度を下げているというのに、

まだこれだけの雪が残っているとは、

この辺は立派な豪雪地帯と言っていいのかもしれないなあ。

そうして五合目に到着。


↓五合目

f:id:arkibito:20180324140717j:image:w360


五合目を過ぎると、左手に管理された杉林が続き、

トレースもしっかりしたものになってくる。

時期に前方に黄色いコンテナが見え、

それが四合目の避難小屋。


↓四合目の避難小屋

f:id:arkibito:20180324141954j:image:w360


四合目から三合目までも

比較的穏やかなトレースをえっほえっほと下っていく。


↓三合目

f:id:arkibito:20180324142721j:image:w360


順調に高度を下げ、距離も詰めて、二合目まで下りる。

二合目のところはちょっと広場のようになっている。

次はどちらへ進むのかと思ったら、

倒木が行く手を塞いでいる谷底が正解のようだ。


↓小道を行けば〜♪

f:id:arkibito:20180324143018j:image:w360


↓二合目

f:id:arkibito:20180324144326j:image:w360


そのまま狭い川底にたどり着くのだが、

この冬の雪の重みのせいか、

斜面の上部から何本のもの木が倒れかけてきて、

沢を埋め尽くしているし、

足元もルートが明瞭についているわけではなく、

沢の中の安定している石をつないでいくような感じ。

これで本当に正規ルートなのかと思うほど荒れていますが

他に迂回できる余地はないので、

上からの落石や倒木に注意しつつ、慎重に抜けていきます。


↓大荒れじゃないか

f:id:arkibito:20180324145229j:image:w360


ようやくっまともな道に出てしばらく進むと一合目。

ようやく終わりが見えてきたのかなあと安堵しましたが、

しかし登山口まではまだまだ長い距離がありました。

未舗装の林道に出て、

そのまま牧場のようなところを横目にひたすら歩きます。

さらに林を抜けて、名神高速とぶつかるところが柏原登山口。

一合目から30分かかりました。

ふぃ〜。


↓一合目

f:id:arkibito:20180324145459j:image:w360


↓山道を抜けました

f:id:arkibito:20180324150120j:image:w360


↓登山口に下山

f:id:arkibito:20180324152652j:image:w360


しかし、ゴールはもちろんここではなく、

さらに10分ほど集落を歩いてJR柏原駅に到着。

いや〜下りは下りでは長い道のりでした@@

ということで約7時間の山行を終えました。


↓柏原駅

f:id:arkibito:20180324153413j:image:w360


長い長いアプローチは難儀ではあるけれど、

素晴らしいロケーションとスケール感のある山に大満足でございました。

2018-02-26

生活発表会

f:id:arkibito:20180224092826j:image:w640


土曜日は下の娘の初めての生活発表会。

バナナの帽子と衣装をまとってダンス。

下は本番になると、緊張で目が遠くなって

フリーズしてしまうことがよくあるので

どうかなあと思っていましたが、臆することなく、

先生と一緒にしっかり全部振り付け頑張って踊ってました。

すごいすごい!

演目終わりにお迎えに行くと、上手できたと満足そうなお顔。

頑張ったね!

2018-02-19

セイカ卒展

土曜日。

午前中の音楽教室ののち、

長女と一緒に岩倉にある京都精華大学へ

卒業発表展を見に行ってきました。

少し前からSNSで応援している

Saigetsuさんのイラストが気にいっていて、

それを目当てに。


おけいはんで出町柳まで。

そこでお昼を食べてから叡山電車に揺られて20分ほど。

やっぱり京都の寒さは一味違うなあと思ってたら、

結構吹雪いてきました。


↓京都精華大 卒展

f:id:arkibito:20180217140444j:image:w640


まずはでっかいタイヤキがお出迎え。

なんじゃこら〜と娘も興味津々。

何でもいいので、彼女が面白がって、

あれこれ感じてくれたらええですなあ。


↓でかいタイヤキ

f:id:arkibito:20180217140629j:image:w640


↓ファミマ?

f:id:arkibito:20180217140721j:image:w360


↓ライブペインティング

f:id:arkibito:20180217140816j:image:w360


まずは、おめあてのものをということで、

デザイン学部のスペースである体育館へ。

人によって題材も、表現方法も、色合いも、

当然全然違っていて、完成されているというよりはむしろ

迷ったり、悩んだり、勢いでぶっつけという、

粗削りで未完成なエネルギー

青春の青っぽさが会場にプンプンと充満していて、

それだけでもう、おっちゃんにはいい刺激。

限られた時間では1つ1つを丁寧に見ることはできないので、

自分のアンテナに引っかかったものを中心に見て回ります。

娘も、ああだ、こうだ、ニヤニヤ。


↓グラフィックデザイン

f:id:arkibito:20180217141121j:image:w360


↓グラフィックデザイン

f:id:arkibito:20180217141130j:image:w360


↓かにぱん広告代理店

f:id:arkibito:20180217141201j:image:w360


↓重なり具合が面白い

f:id:arkibito:20180217141556j:image:w360


↓ながいさんの猫

f:id:arkibito:20180217141754j:image:w640


↓気になる色使いとタッチ

f:id:arkibito:20180217141944j:image:w360


そして体育館の一番奥を陣取って

Saigetsuさんの作品がありました。

彼女の絵は、どこかで見た日常の風景でありながら、

その日常からふわりと抜けだして、

現実のすぐ裏側にくっついてるもう一つの世界を覗き見るような

浮遊感があり、それが実に心地よい。

一番の特徴は、独特のファジーな色合いで、

それはファンタジーのようでもあるが、

決してフィクションではなくて、

遠い青春の記憶を呼び覚ます時に、

頭の中で妙にノスタルジックな味付けをした時のような、

そういう甘酸っぱさと言うのか、くすぐったさと言ったらいいのか。

ちょっと熱に当てられて、ポオっとした感じ。

そういう明確にこれと指し示られないような、

感情・感覚の色を出せるのって

やはりセンスなんだろうなと思います。


↓Saigetsu作『誰かの本当』

f:id:arkibito:20180217142158j:image:w640


現実をただ忠実に模倣するのではなく、

そこにストーリーやエモーションを味付けして、現実を越えて行く。

それこそが本当のクリエイティブ だと思うのですが、

彼女の絵からは、単にスゴイとかキレイとかではなく、

描かれているものの先まで思いを飛ばせるような

イマジネーションを感じます。

例えば、1枚目の絵などは、

路地にチョークで描きなぐった想像の風船が、

子どもの世界ではまさにリアルに飛び立とうとしている様で、

ただ単に情景を描くのではなくて、

そこにはストーリーが生まれている。

2枚目の絵は、ただ風景を切り取った絵で、

そこに登場人物は描かれていないのだけど(猫はいるけど)、

その描かれていない人物だったり、

絵の外の世界を想像させるような奥行きがあり、

”不在”がとても効いている。


↓Saigetsu

f:id:arkibito:20180217142243j:image:w640


↓Saigetsu

f:id:arkibito:20180217142315j:image:w640


展示の脇には、スケッチノートが置いてあって、

恐らく実際の場所でスケッチをしたモノクロの絵が並んでいたのだが

そこから完成品までのイマジネーションの飛躍を垣間見れたので

とても興味深く拝見しました。

やっぱり純粋にこの絵が好きなので、

頑張ってほしいですね。


↓Saigetsu

f:id:arkibito:20180217142418j:image:w640


↓Saigetsu

f:id:arkibito:20180217142325j:image:w640


↓Saigetsu

f:id:arkibito:20180217142319j:image:w640


娘が一番食いついたのが、建築コースの模型。

去年の夏休みに、我々も町の模型を造りましたが

それをまたやりたいそうで、

より精巧に作られた模型たちを見ながら、

あれはどうやってるんやろうとか、興味津々でした。


↓建築コース

f:id:arkibito:20180217143515j:image:w360


↓建築コース

f:id:arkibito:20180217143643j:image:w360


製品プロダクトもジャンルとしてはなかなか興味深い。

デザインをより生活の身近なところで展開する、

生きた使えるデザインという分野はやりがいあるだろうなあ。


↓プロダクトデザイン

f:id:arkibito:20180217143913j:image:w360


↓プロダクトデザイン

f:id:arkibito:20180217144328j:image:w360


デザイン学部をあとにし、

芸術学部の日本画、洋画、テキスタイルなどを見てまわる。

よりストイックに芸術に向かう大学生活は、

もうそれだけで羨ましい。

その間にはものすごい葛藤や創造の苦しみがあるとは思うけど

それを全力でぶつけられる環境はやっぱり羨ましい。


↓日本画コース

f:id:arkibito:20180217151001j:image:w360


↓洋画コース

f:id:arkibito:20180217152504j:image:w360


↓洋画コース

f:id:arkibito:20180217152620j:image:w360


↓洋画コース

f:id:arkibito:20180217152747j:image:w360


このセクションで特に気になったのは版画コース。

わが家も去年あたりから

ご近所のレトロ印刷でいろいろな遊びしていますが、

版画ってすごく幅が広くて手軽で可能性を感じるなあ。


↓版画コース

f:id:arkibito:20180217153109j:image:w360


↓今流行りの切り絵

f:id:arkibito:20180217153453j:image:w360


この日はおしりの時間が決まっていたので、

見学はこれまで。

グッズが売っているマーケットで

気になった作品のカードやらを購入しました。

すると、ちょうどSaigetsuさんが店番で立ってられたので

少しだけお話しできました。

応援してますよ〜。


↓おみや

f:id:arkibito:20180217182333j:image:w360


↓おみや

f:id:arkibito:20180217182416j:image:w360


色々、自由で軽やかな空気の中で、

若者のエキスを浴びていい刺激になりました。

ただ1つ気になったのは、どの分野でも、

いわゆる2次元キャラの世界がどんどん浸食しているという風潮。

村上隆や奈良さんの登場以降くらいから、

現代アートの1つのメインストリームとして確立しているし、

昨今、アニメーションや”kawaii”文化がもてはやされて、

アートという固い垣根がどんどん崩れていっているというのはわかるんだけど。

果たしてそれは純粋に自分が表現したいアートと言えるのか、

ただのワレの趣味の丸出しなのか、

そこの線引きを作者自身がきちんと設定できていないように感じるものが

とても目立ったような気がします。

確かにキャンバスにはキャラが描かれているけれど、

そこに”人”が描かれているという深みが感じられなかったり、

どこかカルチャー文化の中で消費しつくされたような

タッチや色使い、テーマのものが少なくなかった。

アートとは、技術とか美しさとかそういう表象のものではなく、

ほとんどすべて「意味」でできていると思っているので、

あくまでアートという視点で考えるならば、

既存の価値観や、確立された文化をぶち破るエネルギー

あるいはそれとは真逆で

あえて道を極限まで極めるというような心意気が欲しいものですが、

自分の生活スタイルや時代の波に丸まま飲み込まれて、

その小さい現実の中からしかテーマや表現方法を見つけらていない、

というのはちょっといただけないだろうと。

それは別に2次元や、キャラもの自体を否定しているのではなくて、

もし現代アートの本流がそういう流れなのだとしたら、

あえてそれとは別の流れを作り出す、

あるいはその流れに逆らって突き進むというような発想にまで

思いが届ければ、またアートが前へと進むのになあと感じました。