2006-06-14 魂萌え
始め読み始めたものの、ずっとこの本の主人公の敏子さんに共感を持てずに読み進むこととなってしまった。
それは、とりもなおさず私自身が、彼女の何歩か先を歩いており、この話が、将来もしかしたら誰にでも起こりうるこどではなく、実際私自身に起こったことにも似ているので、どうしても批判的にしか見ることが出来なかったからなのかもしれない。
結婚生活36年、いつも自分のことを後回しにして考えてしまう控えめな敏子が夫の急死によって始めて一人で生きるということに立ち向かうわけなんだけど、
夫が生きていたときの敏子さんは自分でも「何も知らず気楽に暮らしてきた。」と言ってるし、
「由佳里も彰之も、辛い時期を迎えているのだ。敏子は相槌を打つのも忘れ、自分たち夫婦にそんな危機があっただろうか、と考えている。だが子育てに時間がとられたことや、隆之の両親が病気になったことを除けば、恙無い暮らしを続けてこられた。と言うのも、隆之の仕事が順調で、どちらも健康だったからなのだ。自分たち夫婦の危機は、隆之の死そのものにあった。」
というくらい、幸せな生活を送っていたわけで、
その上、
貯金は1千万、保険が1千万、家を売れば3千万、ゴルフ会員権 500万、
年金15万は黙ってても入ってくる。
私から見れば、それなのに何が不満なの?と言いたいくらい恵まれている。
夫が急死したと同時に、10年間も裏切られていたことを突然知るのだけど、
「10年間も気がつかなかったの?マジ!!ありえないんじゃない?」とも思う。
裏切られていたという、喪失感にとらわれる前に、相手のことを何らかの形、凄く愛しているでも、ただ嫉妬深いでも、そういう気持ちがあったなら、気がつかない方がおかしいんじゃないかと思う。
妻って、微妙な夫の言動で、そういうことって本当にピンと来るものだと思う。
敏子さんの夫に対する気持ちがその程度だったということでしょう。
助けになるはずの子供達は、それぞれの人生、生活で手一杯で、母の力になるどころか、
特に8年振りにアメリカから帰ってきた殆ど音信不通だった長男は、自分たちの窮状を救うべく、母へ同居を迫り、それを断られると財産分与を要求してくる。
子供だって、30代、自分の家族がいれば、目の前の生活に精一杯。
今時、自立することも出来ず親に依存している子供も多い。
それに比べれば、敏子さんの子供達は、自分の力でなんとか生きていこうと懸命だし、同居して欲しいと言ってきたのだって、思いあまって母に甘えてきている所もあると思う。子供の身勝手さと甘えは同じことなのかもしれない。
あの息子の言動は、思いやりや優しさの欠けらもないけど。
そうそう、敏子さんには、介護の必要な親もいないようだし。
何も重科を抱えているということがないんだから、ほんと気楽。
息子と争って家を出た敏子が向かったカプセルホテル。
そこで敏子は幸せに暮らしてきた自分とは違う人生を垣間見ることになった。
敏子はここでの経験で自分が恵まれているということに気がつくのだけど、
その気づき方も、自分より不幸せな人を見て、
「この人達の人生に比べれば、私って幸せ!」という気がつき方。
そこで知り合った老婆に敏子は、
「あのう、私にとって一番怖いことって何なのか、考えてみたんですが、それは歳を取ることなんだと気付いたんです。だから歳を取るってどういうことかと思って」
と残酷な質問を無神経にする。
敏子はどういう答えを期待していたのか。
野田の事情は敏子には判っていなかったとはいえ、初対面の野田に自分の窮状を
「私、どうしたらいいんでしょうか」と尋ねる。
野田の口調に怒気が籠もっているように感じられたのだ。
私が読み進めていく内に、感じた反感は、敏子の話を聞かされた野田の立場に似ているのかも知れない。
でも桐野さん、この小説は計算も充分されて、書かれていると思う。
敏子の話を聞かされた野田、フロ婆さんの心もきちんと表現されているし、細部に神経が行き届いている。
敏子は夫の死によって、始めて自立することを促され、時間や経験、そしてやはり友人の力を借りながら、
敏子自身が自省し成長していく。
力を溜めて行くに従って、自分一人で生きていくことを決心し、前向きに生きて行くこと、そして人生を楽しむことにも気がつく。
敏子が孤独と共に手に入れた自由、手始めは、お洒落や男性とのお付合い。
女性が暗い落ち込んだ気持ちを浮き立たせる最初にできる方法は、綺麗な服を着たり、お化粧をしたりすること。
私も気持ちが落ち込んだときに一番手軽にできるのが、明るいマニキュアを塗ること。
自由ということの答えが、不倫かと初めは苦々しく思ったのだが、この辺も桐野さん、計算の内でしょう。
もうすぐ60歳という女性が、人との肌のぬくもりで寂しさを慰めるといことは、私から見たら何も不自然ではないのだが、20代、30代の人から見ると「びっくりです!!」ということらしい。
敏子さんが、単に性的な繋がりだけを望んでいたのではないことは文中で充分表現されているが、それをこの年代の人が目的にしたところで何の不思議もない。
桐野さん、この辺のことを伝えたかったのではないのだろうか。
人生を生きる、単に女、男を生きるということにしても、20代、30代、そして、60代になったってそう変わりはない。
年齢は重なるし、老化もする。
でもそう中身は変わってる訳じゃない。
魂は萌えている。
しかし、要するに、私が夫の庇護の元、幸せに暮らす主婦の経験がなかったから、夫が生きていた頃の敏子さんを理解することができないのだと気がついた。
なにか、それも寂しいものである。
でも敏子さん、家は売らない方が良いと思うよ。
それにねえ、亡くなった旦那さんのこと、「早死にしちゃって可愛そう」って、
自分の孤独に囚われるばかりでなく、少しは思ってあげようよ。
〔文中の太字は引用です。〕
「魂萌え」 桐野夏生 作 毎日新聞社刊
2005-12-12 コンビニ・ララバイ
(本を、まだ読まれていない方はネタばらしがあるのでご注意)
町の小さなコンビニ、そこの主人と従業員、そしてそこを訪れる客たちの触れ合いが暖かな眼差しによって描かれている。
コンビニの主人は息子を轢き逃げされ、妻もまた車に轢かれ失っている。失意の中、やる気も無いままコンビニを従業員に支えられながら、なんとか営んでいる。
客たちもそれぞれの人生の重荷を抱え、悩みながら生きている。
この主人は、その人々を、受け入れその優しさで包みこみ癒していく。
だが人は自分が希望や目的を失い、生きる力を失っている時、主人公の様に人を受け入れることができるのであろうか。
人に優しくしたり、人の重みを受け取るには、その人自身が自分を受け入れ、十分な余裕がなければ出来ないような気がするのだが。
自分の悩みや内面だけを見つめている人は、それに囚われてなかなか外のことまで心を馳せることができない。
主人公は、そんな状態ながら、人々を優しさで包み込む。それはコンビニ主人の持って生まれた優しさ?なら、何故奥さんを傷つけるようなことができたのか。
作家は最後をファンタジーにして、亡くなった奥さんと息子を登場させ、主人公に許しを与えた。
コンビニ主人が自分に罪があると思っているのなら、その罪は許されるものなのだろうか。だれが与えたものでなく、自分自身が自分に与えている罪なのだから、それは誰にも許されるものではない。
許すとしたら自分自身なのだが、許すはずもないから自分自身を罪としているのだから。
というわけで、自分自身の中で身動きとれなくなってしまう。
だからこの主人公が幸せになってはいけないというのではない。
人は間違いや罪を犯す。法律や人には、刑に服したり、許されることがあるが、自分自身の罪の思いはありのままを受け入れるしかない。
受け入れ、重荷を背負いながら、それでも前向きに生きることは人間にはできるし、そうして欲しい。
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