泣きながら一気に書きました

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『R-1ぐらんぷり2011決勝』感想

どうも優勝した芸人がその後いまいち売れてなかったり、急に今年からトーナメント形式を導入してみたり、審査員席に秋元康をねじ込んできたりと不安要素満載ではあったが、終わってみれば良い部分も悪い部分もいつもどおりの割合で含まれており、ちゃんと発見のある大会で良かった。

全体としてクオリティが高いとは言い難いけれど、こういう大会はひとつでも発見があればそれで充分で、逆に言えばそれ以上の収穫は期待せず観るほうがいい。

特にピン芸の場合は、それぞれ方向性がバラバラなため、ひとつの方向に面白さを覚えると他がつまらなく見える傾向にある。観ている側も評価軸を定めるのが難しく、自然とインパクトの強かったところに軸を置いて観ることになる。そう考えると、インパクトは上手さよりも確実に上位に来る要素だろう。

以下、それぞれについて登場順に。

【キャプテン渡辺】
いかにも『R-1』らしいあるあるネタなのだが、「〜だよ」という語尾以外は、特に飛躍もなく地に足の着きすぎたあるあるに終始していた。

こういう語尾あるいはリズムの面白さでひっぱるネタはよく見かけるが、結局のところ内容にあるあるを超えた狂気がないと確実に埋もれてしまう。というパターンの典型。

COWCOW山田與志
早口言葉をもじるという設定のネタだが、何よりも早口言葉が結構言えていることに観客が感心してしまい、笑いよりも拍手と歓声が大きいという、この大会にしては妙なねづっち的状況が生まれていた。どうも感心してしまうと上手く笑えないのが人間というものらしい。

二本目は早口言葉に鉄板の田中邦衛キャラを乗せてきたが、これはちょっと守備的すぎる戦略だったように思う。むしろ例年の田中邦衛ネタの一環と見えてしまい、せっかく導入した早口言葉という新境地が薄くなってしまった。そして結局のところ、いつもの邦衛紙芝居が観たいと思ってしまう。ここらへんの按配は本当に難しい。観る側はことほど左様に本当に勝手なものなので。

【AMEMIYA】
歌ネタもまた本大会の定番だが、「冷やし中華はじめました」等のワンフレーズからその裏にある物語を勝手に想像して歌う、という手順には新鮮な驚きとわけのわからぬ悲哀がある。

ただ、一本目は思いのほか客席の反応が悪く、このネタの面白さからすると最悪の立ち上がりだったと言っていい。歌詞の中に盛り込まれた悲惨な現実とAMEMIYAのハスキーな叫びに観客が変に揺さぶられてしまい、本気で引いていたり悲鳴のような声さえ上がっていて、途中までは客席がリアクションに困っているように見えた。

だが尻上がりに観客の心を掴み、二本目は同系統ながら途中に無理くり英詞を挟むなどして飽きさせない工夫も。自分のことをAMEMIYAと呼ぶネタ後のトークもかなりハマっていた。

問題は最終決戦の三本目。さすがに同じパターンの三連チャンは厳しい。今年からトーナメント方式を採用したことにより、最後まで勝ち抜いた者は計三度ネタをやることになったわけだが、やはり短時間で同パターンのネタを観るのは二本が限度だと感じさせた。

バッファロー吾郎 木村】
何よりも、ピン芸に対する思い入れの違いというものを感じた。どうも片手間のやっつけ仕事にしか見えず、ボケの質も量も物足りなかった。他の芸人たちが徒手空拳、あるいは手作りの道具や演奏で勝負しているのに対し、堂々とモニターや音響を導入している点もサボっている感じで印象が悪かった。

しかし雨上がりとの絡みはさすがに面白く、この段階ではネタよりも、その後のフリーな絡みのほうが面白い番組になってしまうのでは、という危惧も抱いた。

【ナオユキ】
味のあるぼやき漫談ではあるが、想定内の、しかもだいぶ手前にあるオチか、それをあえて言わないでスカすかの二択しかボケの選択肢がなく、物足りなさばかりが残った。それを余韻として楽しめるかどうかが鍵なのだと思うが、どうも関西人の基準値を超えるものが感じられぬまま終わった。

スリムクラブ真栄田】
コンビでやっているときには、相方・内間のヌルいツッコミを見るたび、「ツッコミというより笑ってるだけじゃないか」とか思うが、こうして真栄田をピンで観ると、どうにもあの無差別な笑顔が欲しくてたまらなくなるというパラドックス

異常な人間というキャラは真栄田にフィットしているが、小道具や言動に見える異常性が限界を超えていない印象で、すっかり限界を超えている野性爆弾・川島とついつい比べてしまい、「削いだ耳とか出てこないのかな(もちろん本物ではないが)」とか変な期待をしてしまう。

とりあえずスリムクラブのあのスローなグルーヴを生み出すには、相方の笑顔で引っぱる時間帯が必要不可欠だと痛感。

佐久間一行
今回の発見。

キャラを背負ったことにより完全に化けた印象で、まず一本目の井戸が歌うネタが設定からトチ狂っていて素晴らしかった。妙なリズム感や繰り返しの箇所、そしてことあるごとに「システム」というまったくその珍妙な雰囲気にそぐわないワードを繰り出してくるセンスが抜群で、子供の悪ふざけを極限まで研ぎ澄ましたようなバカバカしさが炸裂。

これは二本目どんな歌で来るのかと思いきや、予想外のインディアンフリップネタで登場。まったく違うスタイルに驚いたが、こちらもインディアンという現実から遠いキャラを背負っているという意味では一本目に通じる部分があり、伊集院光言うところの「ないないあるある」(設定は「ないない」だが、その状況下での言動は「あるある」)ということになるだろうか。

と、こちらもAMEMIYAと同じく、問題は三本目。AMEMIYAとは逆に、三本すべてを違うタイプのネタで戦うその姿勢は攻撃的で素晴らしいが、さすがにそれで上手くいくほど甘くはない。学ラン姿で出てきた時点で嫌な予感はしたが、地に足が着いた設定になるとわりと普通のあるあるネタに終始してしまい、これまでの佐久間一行に戻ってしまった。彼はキャラを背負うことで照れを払拭し弾けるタイプのように見えるので、やはり突飛な設定は必要不可欠だろう。

しかし一、二本目は本当に素晴らしかった。ダントツの優勝と言っていいと思う。雨上がりとの絡みを見る限り、フリートークが心配だが…。

ヒューマン中村
オーソドックスなあるあるネタの域を出ず。あえて肝心なところを言わないことによる効果は感じるが、もう一歩踏み込んだところまで触れてほしい。

あるあるの中にも、誰もが考えつくあるあると、その人にしか考えつかないあるあるというのがあって、前者の領域に留まっていると単なる共感に終わってしまい違和感を生み出せない。「その人にしか考えつかないあるある」というのは一見矛盾しているようにも思えるが、そういうものは確かに存在していて、佐久間一行がやったような「ないないあるある」もその一種だと思う。

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