「能」の将来。

「人間ドック」から帰って来た昨日の晩は、能楽小鼓方大倉流十五世宗家の大倉源次郎先生、シテ方観世流能楽師で「銕仙会」の馬野正基さん、長山桂三さん達と「神田いるさ」で食事。

残念ながら筆者は行けなかったのだが、昨晩は宝生能楽堂で「銕仙会」公演(観世銕之丞師の「隅田川」)が有り、その出演後一杯やろうと云う企画である。

前にも記したが、能楽師の方々は、ハードな公演後でも元気な方が多く(「元気過ぎる」方も珠にいらっしゃるが:笑)、昨日も皆良く食べ良く飲み、面白い話も次々と湧き出て来たのであった。

特に源次郎先生の、偶然出逢った「西表島」での「くろまた・しろまた」祭への神懸かった「お導き」の話や、「ハプスブルグ家と徳川家」の話等は、最高に面白かった!(超笑えるウィットに富んだ話だが、内容は内緒)。オシャレな帽子で登場の馬野さんも、「魚」と「能面」に関しては能楽界1、2の「コノワスール」で、特に能面に関して大変勉強させて頂いた。

さて食事も半ばになると、話題は「能の将来」へ。

源次郎先生は「古典中の古典」芸能である「能」を、「品格を崩す事無く」現代日本で如何にメジャーにするか、また後世に如何に「正しく」伝えて行くかを、常々真剣に考えて居られる方で、外部からの意見や若手能楽師の意見も、別け隔て無く聴かれる。以前にも何度か、この話題で白熱した事が有ったのだが、此れも能楽師の皆さんが真剣に「能の将来」を案じて居られるからに他ならない。

此処で昨晩議論の中で出た、また筆者が思う事を幾つか記し、皆さんの考えも伺いたいと思う。

先ず能楽界には「オピニオン・リーダー」が必要不可欠である。これは「『能』と云えば、この人」と云うレベルの人でなければならず、云ってみれば「能楽界の『イチロー』」である。こういう能楽師が居ることによって、「能」はより一般的に知らしめられるであろう。

能楽審議会」の設置。「横審」の様なモノだが、能楽師代表(シテ、ワキ、狂言、囃子各方)、学者、財界人や政治家(お稽古をしている人が望ましい)等、有識者によって構成され、能楽の技術向上、保存に関する意見・答申等を行う。

また、新たなる「日本能楽協会」を興して組織を強化し、プロの「プロデューサー」を雇い公演企画、広告、文化交流等を司る。

そして現行曲は多すぎるので、頻繁に演じられる曲を80曲程選び、重要度のランク付けをする…等々。

「能」は、日本が世界に誇るべき芸術である。そして日本人が「能」と云う芸術を正しく理解し、一曲でも「あぁ、この謡は聞いた事がある」と云える様な教育、啓蒙活動が必要だ。「芸の格」を落とさずに「普及」させるのは至難の技だと思うが、この教育啓蒙活動は必ずや実現せねばならない。

これらは未だアイディア段階であるが、こう云った「議論」から産まれる試行錯誤が、「能の将来」を決めるだろうし、「至高の芸術」として生き残る術に為るに違いない。

「能」は元来、「五穀豊穣」を祈念する「神事」である。そしてそれは、「能の将来」は「日本」と我々「日本人」の肩に懸かっていると云う事を意味しているのだ。