センセーショナルな「100歳」。

一昨日から、妻の実家の在る、萩に来ている。

天気も完璧、暑いが東京程の湿気も無く、何しろ空気が良くて、そして忘れてはならないが(って、忘れる訳が無いが)、飯が旨い(笑)…特に「魚」が、である。
昨日の昼飯は、明神池と云う美しい「海水池」の畔に在る、「いそ萬」と云う店で。この店は、一階が海産物のお土産屋で、二階が食事処と為っている、云ってみれば観光地に良く在るタイプの店である。

メニューは単純で、「お刺身定食」、「イカイカ丼」、「イカイカウニ丼」、「生ウニ丼」のみ。当然「生ウニ丼」と行きたい処だが、体内コレステロールと妻の猛反対に会い(笑)、と云うのは嘘で、オトナな筆者は自ら「イカイカウニ丼」を注文した…自分を誉めてあげたい(笑)。

人々が魚にやる為に投げ込むパンを、何羽もの大きなトンビが浚って行くのを(最近は「油揚げ」では無いらしい)、明神池を見下ろす窓から眺めていると、お膳が運ばれて来た。

見た途端に、ヨダレが出そうであった(笑)…白飯の上に載る、タップリのイカ、ウニと貝柱。サイドには小鉢、味噌汁、そしてゲソと野菜の天麩羅迄付いていて、ボリュームもスゴイ…しかも、これで1580円とは!
スリムな義姉が、何の躊躇も無く注文した「生ウニ丼」を横目に見ながら、一口目。味はと云うと、イカと貝柱はもう甘くてプリプリ、コリコリ、萩のウニは小粒だが、これもほんのりと甘く、ワサビと醤油を合えて頂くと絶妙の味となる。

あぁ旨い…旨すぎる!流石妻の祖父が、一時期通ったと云うだけの事は有る!そして夜は夜で、行き付けの「祇園寿司」で(萩なのに「祇園」とは、これ如何に)、何故か気の合う店主と互いに軽口を叩きながら、これまた超旨い魚を堪能、「ビバ、萩の魚!」であった。

興奮して、食べ物の話が長く為り過ぎた(笑)。此処からが今日のお題なのだが、話は昨日「いそ萬」に行く前の、午前中に遡る…妻と義母と共に、近くに住む妻の祖父を訪ねた時の事である。

そのお祖父さんとは、萩焼人間国宝、三輪壽雪(十一代休雪)。今年目出たく100歳になられた今も、少し耳が遠くなった以外は、数年前迄自転車を漕いでいた程、お元気だ。

「不走庵」「三輪窯」と彫られた石碑が立ち、水を打った玄関と土間、掛けられた書、思わずタイム・スリップをしたかと感じる家屋は、古き良き数寄屋造りで、客を迎える。声を掛けると、お嫁さんのMさんが出て来てご挨拶、客間(座敷)に通された。

筆者は何しろ、このこじんまりとした客間が大好きである。戸を外された客間から眺める、決して広大な訳でも無く、禅寺の様に手入れが行き届いて居る訳でも無いが、しかし、自然味溢れる庭には、池、石や燈籠、蹲等が紅葉等の樹々に囲まれて点在する。そして、その客間はと云えば、大事に使い続けられ、燻し銀の趣を呈する柱や欄間、涼しげに吊るされた御簾、然り気無く置かれた李朝家具、床脇には室町有ろうかと思われる能面が掛かり、床にはお祖父さん自作の「萩禾目水指」が置かれ、これも自身の書「龍虎」が掛かっていた。

筆者は仕事柄、日本を含めた世界中の色々な方のお宅に伺う…数から云えば、渡辺篤史と良い勝負なのでは無いか(笑)。しかし何時も思うのだが、このお祖父さん宅の客間と庭は、数多見た富豪や有名人達の家の何れよりも、「味」が有るのだ。これは決して金の問題でも、広さの問題でも無く、そして贔屓目でも無く、住む人の心の問題で有る…島津斉彬公曰く、「楼の上も 植生の家も 住む人の 心にこそは 貴き賤しき」と。
さて、お祖父さんがやって来た。客間に入って来るなり、筆者を指差し「おぉ!」と声を上げながら、ニッコリ…肌艶も良く、大変お元気そうである!100歳のお祝いを述べ、後は冷抹茶を頂きながら、四方山話に花が咲いた。そしてお祖父さんは、このお年になっても恐るべしユーモアのセンスをお持ちなので、決して気が抜けない(笑)。例えば、
「アンタは、美術品の仕事をしておったのう。あそこの能面は、儂は室町末期か桃山時代は有ると思うが、どうじゃろうか?」

「はい、正にその通りだと思います。」

すると、メガネの奥の眼を細め、「いやぁ、アンタ専門家じゃから、壽雪がまたバカな事云うちょると、思っとるんじや無いか?ワッハッハッ!」と可々大笑する。

そして話題は、床の間の「龍虎」の書に移った。

「あの『龍虎』は、自分でも気に入っておって、あれを展示した時には、書道家連盟から会員になってくれんか、と頼まれたもんじゃ。」

「いやぁ、確かに素晴らしいです!」

「ありゃあ、あん時はほんに『せんせえしょなる』な作品じゃった!」

「せんせえしょなる」?…「センセーショナル」か!その場に居た一同、もうビックリ仰天!100歳の、しかも海外に出た事も皆無、出来有る事なら萩からすらも動かない、お祖父さんの口から出た正確な意味での英語は、それこそ剰りにも「センセーショナル」であった(笑)。

お祖父さん、何時までもお元気で!

そして筆者は、萩の「楽しく美味しい」想い出を胸に、今日東京に戻る。