“笑わせるひとたち”考

ボクの書架の片隅に60年代〜70年代に発刊された何種類かの季刊誌がある。多くは歴史・文学・芸術関係だがほとんど全てが長続きせず、廃刊されている。
その1つが『季刊藝術』。1967年春(昭和42年4月1日)に創刊された。毎刊定期購読したわけではないが、内容は芸術全般にわたり、筆者も当時のそうそうたる顔ぶれだった。
発行人は音楽評論家の遠山一行、編集人は作家の古山高麗雄、販売元は講談社だった。

創刊号の編纂後記に発行人、遠山さんが語っている--
「こうした雑誌を出したいという考えは、随分むかしからもっていた。批評という仕事が、美術だの音楽だのと枠をもうけてお山の大将になっているのは困るし、読者層が固定してしまうのも面白くない。そう思って、私には大した才覚もなかったが、同じような考えは、案外身近にあったもので、江藤・高階と、年来の友人との間で話がまとまってしまった。もっとも、それも、すでに数年前のことで、その後余り手ぎわがよかったとはいえないが、そのうちに編集実務担当者の古山高麗雄を得てやっと動き出した」
遠山氏から、発刊に遡ること3年前の64年夏『一緒に雑誌をやらないかという相談を受けた』江藤淳さんは、『遠山、高階と三人で、ああでもないこうでもないといいあっているうちに時間が経ち、話もだんだん大きくなって、漸くこういうかたちで雑誌が出ることになった。出すからには少なくとも五年、できれば十年は続けるつもりである』と意気込んでいた。
何しろ寄稿者が毎号30人は下らず、多士済々の文人・芸術家・文化人とくるから贅沢なものだ。B五版200頁余で創刊時は定価380円、年間購読料1,640円だった。が、この種の季刊誌は日本では長続きしない。江藤氏の願い以上に続刊されたが、惜しくも12年後の79年夏(昭和54年7月)、第50号をもって廃刊となっている。


いま手許にある69年夏号(第10号)を再読した。特集は「学問のすすめ」だが、なぜかその中に江国滋さんの落語論・喜劇論が掲載されている。タイトルは『笑わせる人たちへ』。短文だが面白いので転載しておく。


「たかが落語という、その『たかが落語』にしても、仔細に聞けばさまざまな色合いがあって、たとえば、大衆小説と中間小説と純文学といったような分類の仕方も可能なのである。文学の世界で、この三つのジャンルの境界線がはなはだ曖昧になってきたのと同様に、落語の場合も、同じ題材を扱いながら演者によって、中間小説であったり、純文学であったりする。それは何も、両性機微の沙汰をえがいた人情噺だから純文学というのではなく、八っァん熊さん与太郎ご隠居の、おなじみの愚行を思いっきり誇張してえがいた滑稽譚でも、往々にして純文学の領域に一歩も二歩も足を踏み込む場合が少なくない。いうところの、“文学性”が、落語の笑いを陰影あるものにしているのであって、これだけ広い層に愛されるゆえんもまたそこにあるのだが、同時に、落語が芸術の衣をまとったそのときから大衆芸能としての堕落がはじまることも事実である。
落語をまるで大文学・大芸術のようにもてはやす風潮が、演者と観客の両方を毒している。そこで、落語が文学ズキすぎたことへの反省と批判をこめて、ナンセンス落語を再評価しようという空気が出てきた。落語らしい落語、もとより結構である。おかしくって、バカバカしくって、どこやらあわれで、理屈ぬきでアハハと笑えるのが落語であって、それ以上でもそれ以下でもない。『それ以上』に文学ズイて肩ヒジはる傾向に棹さすあまり、『それ以下』の、つまり芸以前の芸まで過大に評価する意味合いが、近頃、ないでもない。ワキの下をくすぐってムリヤリ笑いを強要するような芸に、妙な意味づけをして珍重するのは、落語を大芸術としてあがめ奉るのと同じように滑稽である。『以上』でも『以下』でもないという、そこのところにこそ妙味があって、落語のおもしろさは、つまり雅俗混淆の面白さなのである。
似たようなことが、落語ばかりではなく、喜劇一般にもいえることではないか、と思う。
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他愛もないコメントも含めて、喜劇と云うものは、もう少し腰をすえて作るべきものだろう。
そのためにまず必要なのが、演出家の自信である。自信がなければ、俳優やタレントを自在に使いこなすことができない。山田洋次監督(松竹)が、ハナ肇渥美清をあれだけ見事に使えたのは、とりくむ作品と、おのれの才能に強い自信を持っているからにほかなるまい。・・・・」


今から40年以上前の落語論であり喜劇論である。江国さんのいう落語の王道をいく噺家はいまじゃ小三治さんだろう。
山田洋次監督の本格的喜劇は、本物の落語と相通じるものがあり一種の芸術品だといえよう。が、ハナ肇渥美清など本物の喜劇映画に取り組める名演者が次々と逝ってしまった。彼らに匹敵する役者なしには、古典として残るような本格的な喜劇映画も容易にお目にかかれまい。