Suu Kyi女史のカリスマ性の源は・・・?

Aung San Suu Kyi女史を偽善者だと週刊誌などで徹底批判している反英米保守派元産経記者などがいる---


曰く「スーチーはミャンマー人のことを思って民主化を主張しているわけではない。1つの権力闘争だ。ミャンマー人の顔をしているが英国人だ。家族もみんな英国に住んでいる。スーチーの目論見は英米式の民主国家づくり、傀儡政権だ。14年以上自宅軟禁された悲劇のヒロイン扱いされているが、全て罪状は自国の法令違反だ。それにしては刑罰はどれも軽いものだ。父親のアウンサン将軍が救国の英雄だったお蔭だろう。自宅軟禁といってもスーチーの自宅は日本のウサギ小屋とは大違い。どこにいるのか分からない宮殿のようなものだ。秘書もいるし使用人が多く、これが自宅かだ」


スーチーに関する全国紙の取り扱いは、真実を知らない“ベタ記事”だと酷評しているが、スーチー女史の先日のThe Nobel Peace Prize受賞記念演説の次の一節を聞いてanti-Suu Kyiの御仁は批難できるか?

“Absolute peace in our world is an unattainable goal. But it is one towards which we must continue to journey, our eyes fixed on it as a
traveler in a desert fixes his eyes on the one guiding star that will lead him to salvation.”(完全な平和な社会は得難い目標だが、私たちは救いの星に導かれる砂漠の旅人のように平和を目指して旅を続けなければならない」--詩人・哲学者を彷彿させる名言である。

6/21(現地時間)Westminster Hallで国会議員を前にSuu Kyi女史が演説に立った。外国人女性としては初めてある。2000人の聴衆のスタンディング・オベーションのなか冒頭で場内を笑わせた。


“....I understand that there was some debate as to I would speak here in this splendid setting, or elsewhere within the Palace of Westminster. I welcome that debates and discussion; it is what Parliament is all about.”(私がこの光輝溢れる舞台で、あるいはウェストミンスター・ホールのどこかでスピーチする資格があるかどうか、大いに議論のあるだろうことはよく理解しております。論争と議論は大歓迎です。なにしろ国会はそういうところですから)


Suu Kyi女史がWestminster Hallで最も訴えたかったのは次の一節だろう--
“Our own determination can get us so far; the support of Britain, and of the people around the world, can get so much further. ”(私たちの確固たる決意が私たちをここまで導いてくれた。英国の人々や、世界中の人々のご支援があればさらに私たちを前進させてくてくれるでしょう)

Suu Kyi女史67歳。スピーチライターなどいない。自ら原稿を書く。背筋をピーンと伸ばし、直裁的に語る誠実で凜とした姿に裏も表もないはずだ。