これぞ「反骨」

保守政治家の中に硬骨漢がめっきり少なくなった。反骨たるべきジャーナリストが萎縮している。
「社会の木鐸」と「無冠の帝王」の誇りを持っていた明治人ジャーナリスト桐生悠々は「自分のペンは祖国の危機を救う」ことを信じて疑わなかった。
1934年(昭和9年)『他山の石』を発刊した。その2年後に2・26事件が起きた。日米開戦の前年,1940年9月20日号の『他山の石』--
「世界観国家観に稍目ざめていても。人生観には無智なる手合だ。臣民道徳観でごまかし得ても。全体としての人間を知らなければ。一切の方面において<闇>を見る」--特高の検閲により全文削除された。
1941年(昭和16年)9月10日桐生は亡くなった。享年69歳。「他山の石廃刊の辞」発禁命令を霊前につきつけられた。9/12、自宅で憲兵・私服警官の立会いのもと仏式により葬儀が行なわれた。
この年の10月東條内閣が成立、12/8未明真珠湾攻撃となった。
反骨のジャーナリストの壮絶な姿を偲ぶ。現在は平和時か?
<平和>とは『国際関係について、2つの戦争の時期の間に介在するだまし合いの時期を指して言う』(Ambrose Bierce:THE DEVIL'S DICTIONARY)。
こんな定義は信じたくないが・・・・。まさに<他山の石>--要警戒だ。