11月15日、土曜日。(その12: 終)
その週が終わるころになって、私はすこしずつ回復してきた。
けれども、まだ本調子にはほど遠く、そのあとも1週間、寝たり起きたりをくりかえした。
楽しみにしていた感謝祭の休暇も、ボストンへの買い出しも、すべて棒にふることになってしまった。
魚人に追われる悪夢も、あいかわらず夜ごとに襲ってくるのだった。
感謝祭休暇が終わる日曜日。
昼過ぎ、ニシちゃんが買い物に出かけたのをみはからって、私は布団から抜け出した。
夏に楼家島に事前調査に行った際にとった記録、そのあとに書いた報告書や論文のたぐい。さらには、撮影した写真のプリントと、ネガフィルム。ベスネル氏とやりとりした手紙。机の引き出しや、ファイルから、なにかにとり憑かれたようにそれらのひとつひとつを探し出し、まとめると、私はアパートの中庭に向かった。
中庭には、住人がバーベキューにでも使えるように、ということなのだろう、煉瓦とコンクリートで野外炉がつくられている。
私は、上につもった落ち葉を払いのけ、持ってきたものをすべて、炉の中につめこんだ。
台所で見つけてきたマッチを擦って、そこに落とす。
2本、3本、と落としていくと、やがて、火がめらめらと燃えはじめ、プリント用紙や印画紙は、ただの黒い灰に変わっていった。
それから私は自室に帰り、デスクにあったノートパソコンを手に取った。
自分の頭より高いところまで持ち上げて、そこから、床に叩きつける。
パソコンは、コンクリートの表面に薄いカーペットをしいただけの床に当たって、わずかに跳ね返る。
外殻はおもっていたよりも堅牢で、一度では、目に見える変化はなかったけれど、同じことを何度かくりかえしているうちに、プラスチックが割れ、キーボードが吹き飛び、中身の基盤類が露出した。
私は、収納庫から出してきた金槌を手にして、転がり出てきた銀色のケースに入っているハードディスクに狙いを定め、何回も何回も、振り下ろした。
しばらくしてニシちゃんが帰ってくるまで、私はノートパソコンの残骸を前に、放心状態のまま、座りこんでいた。
月曜日。
私は重い頭を枕から引きはがし、シャワーを浴びて、学校に行った。
指導教官に会い、いま行っている研究をやめることと、もしかすると大学院もやめるかもしれないことを告げた。
教授はいつもどおりの、援助を惜しまない姿勢で、研究テーマを変えても博士課程をつづけることの大切さを説いてくれた。
大学院には、とどまるとおもう。
教授の言うとおり、ここでキャリアを変えてしまうのは、もったいないことだ。
けれども、楼家島にかかわる研究、自分自身の祖先に対する興味からはじめたこの研究に手をつけることは、もう二度とないだろう。
私には、知ることが許されていないのだ。
すべての秘密を知ることができるようになる日は、いつか来るのかもしれない。
兄や、インスマスで会ったあの女性のように、私が海に招かれる日が来ることも、あるのかもしれない。
しかし。
インスマスでの夜、廊下の声が言っていたように、私に流れているのは、薄い血でしかないようなのだ。
顔にあらわれている「インスマスの外見」の特徴も、ひと目見ればそれとわかりはするけれども、あの女性や兄ほど顕著なものではない。
だから、もしかすると私は、ずっと陸の上で生きていかなくてはならないのかもしれない。
「人」とは明らかに異なった、この容貌を持ったまま。
同じ血が流れているはずの同胞と一緒になることも、彼らの中で受け継がれている伝統に触れることも、許されないまま。