アーカムなう。 (ミスカトニック大学留学日記) このページをアンテナに追加 RSSフィード


・このブログ内に登場する、マサチューセッツ州アーカム・ミスカトニック大学は、H.P.ラブクラフト(および他の作家)による、一般に「クトゥルー神話(クトゥルフ神話)」系と呼ばれている小説などに登場する架空の土地、大学であり、実在しません。また、ほかの架空の地名、 人物名、団体名などが言及されていることもあります。詳しくは[こちら]をお読みください。

・さいきん迷走してるような気もしますが、メインは「私」のミスカトニック大学留学記です。クトゥルー神話系の創作(二次創作?)も書いてます。主要/おすすめエントリのインデックスは[こちら]。創作作品はブクログのパブーでも公開しています。(http://p.booklog.jp/users/asahit)

・ご指摘、ご感想などいただけるとはげみになります。コメント欄、ウェブ拍手、またはメールでおねがいいたします。 [Web拍手を送る]
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2010-08-06

おしらせ

| 01:49 | おしらせ - アーカムなう。 (ミスカトニック大学留学日記) を含むブックマーク

以前このブログ上で連載していた二次創作っぽいクトゥルーもの中編『Monsters v.s. Deep Ones』は、一部改稿のうえ、「パブー」に完全に移動しました。(本編の冒頭と Deleted Scenes、および後日談だけは残しています。後日談は、今後「パブー」に転載していく予定です。) こちら (http://p.booklog.jp/book/1943) の作品ページから読んでいただくことができます。


PDF、ePub形式で電子ブックをダウンロードすることもできますし、はてなダイアリーの書式よりも多少読みやすくなってはいるとおもいますので、連載時に読まれていたかたも読み逃されたかたもはじめてのかたも、「パブー」で読んでいただけるとうれしいです。


『もし高校図書委員会の副委員長がH.P.ラブクラフトの「文学における超自然の恐怖」を読んだら』(http://p.booklog.jp/book/1701) とあわせて、よろしくおねがいいたします。(こっちは、いつのまにか、のべ130超ダウンロードをいただいていました。ありがとうございます。次エピソードをただいま準備中です。)



以下はWeb拍手コメントへの返信です。

> 7月31日の3時台にコメントくださったかたへ。(返信遅くなってすみません。)


どんななのでしょう。もし差し支えなければみてみたいです。

2010-03-22

家族プラン

| 20:59 | 家族プラン - アーカムなう。 (ミスカトニック大学留学日記) を含むブックマーク


「先輩ー、カメラの使いかた教えてください」

 麗 (うるわ) が、そう言いながら、部室の窓ぎわに置かれたソファーで文庫本を読んでいたニシちゃんの隣に、ぽふり、と腰をおろした。

「横についてるボタン押したら、ふつうに起動するんじゃないの」

「それは知ってるんですけど、なんかヘンになっちゃって」

「ああ、それは、マクロ撮影のスイッチがフタのところに……」

「りいちゃんー、急に目つき変えないでー」

 頭を寄せあってひとつの携帯電話を覗きこむニシちゃんと麗を横目で見ていたわたしに、カンバスの脇からひょっこりと顔を出した杏莉(あんり)から声がかかる。

「……あ、ごめん」

「長いことモデルしてもらってごめんねー。あとちょっとで仕上げちゃうから」


 部長、ニシちゃん。本名、西春穂 (にしはるほ)。2年生。体はちいさいけれど頭脳明晰、成績優秀、頼れるみんなのまとめ役。わたしの幼なじみで、二本お下げの眼鏡っ娘。

 ニシちゃんに話しかけにいった麗は、部員の中で唯一の1年生。上の名前は洞糸井 (ほらいとい)。肩のあたりまで伸ばした軽く縮れた髪の毛は亜麻色で、異国風ともいえる顔だちと、すらりとした手足がバランスよくマッチしている。

 イーゼルをあいだに、わたしとむかい合って座っているのが、杏莉。フルネームは植小草杏莉 (うえこぐさあんり)。2年生。いつでものんびり、ほんわか、ふんわりで、眉の上でまっすぐに切り揃えた前髪と、背中に流れる長い後ろ髪がトレードマーク。

 それに、わたし。比久間 (ひくま) りい。2年生。みんなからは、りいちゃんと呼ばれている。どうやってもまとまらない硬いくせっ毛と、スタイルがいいわけでも運動ができるわけでもないのに、やたら身長だけが伸びてしまったのが、ちょっとしたコンプレックスだ。

 もうひとり、ハナというあだ名で、中学校時代からの杏莉の親友の摩周花葉 (ましゅうはなは) は、今日は学校に来ていない。

 海坂徳育 (みさかとくいく) 女子高校美術部は、その5人だけが部員の、ちいさな部活動だった。

 いまは放課後。わたしは杏莉にたのまれて、デッサンのモデルになっていた。

 視線を前に戻し、姿勢を正して椅子にかけなおす。

 しばらくまっすぐをむいて座っていると、今度は、じゃらりーん、という、携帯電話に付属しているカメラのシャッターを切ったときに鳴る音が室内に響いた。

 ふたたびちらりと目をむけてみる。麗が、自分撮りの要領で、ニシちゃんとのツーショットを撮影したところのようだった。

「あ、ちゃんと撮れた。ありがとうございます」

 それで、これをメールに添付するのは、どうしたらいいんですか? 麗は重ねてニシちゃんに訊く。

 その口調が、わざと甘えようとしているもののように、わたしには聞こえた。

 

 麗が携帯電話を買ったのは、つい最近のことだった。

 はじめてそれを学校に持ってきた日、あ、あたしのとおんなじ機種だね、とニシちゃんに言われて、本当ですか? じゃあ、わからないことがあったら訊いてもいいですか? と喜んでいたのだけれど、その前の一ヶ月くらい、ニシちゃんが携帯を取りだすたびに、彼女の手もとを麗がちらちらと観察していたのにも、わたしは気づいていた。

 携帯電話だったら、杏莉もハナも持っている。使いかたを教えてもらいたいだけなら、別にニシちゃんと同じにする必要もないのに。

 わたしがぐるぐる考えているうちに、杏莉はデッサンを完成させたらしく、カンバスのむこうがわで腰を伸ばしながら立ち上がった。

「終わったよん。ありがとう。疲れたでしょ」

「あ、うん、別に」

「終わったの?」

 窓ぎわのソファーからニシちゃんが訊ねてくる。

「うん。今日はおしまいー」

 杏莉が答える。

 じゃあ、そろそろ帰ろうか。帰ろうか。

 そういうことになって、部室をひきはらい、校門を出て、バスターミナルまでを4人で歩く。

 その道すがら、杏莉はずっと携帯電話を開いたままだった。

 2、3分ごとに着信を告げているらしい振動があって、そのたびに親指がキーパッドの上を忙しく走りまわる。

「誰と? ハナ?」

「うん」

 ニシちゃんの質問に、杏莉は電話に片目をむけたままで返事した。

「なにしてるって?」

「ん? わかんない。それは訊いてないし」

 だったら、どんなメールしてるのよ? そうニシちゃんに言われた杏莉は、こんなの、と、ちょうど受信したばかりだった文章をわたしたちに見せる。

 画面に表示されていたのは、『ナンノ◞≼(◞≼⓪≽◟⋌⋚⋛⋋◞≼⓪≽◟)≽◟ヨウダ』という文字列だった。*1

「……どういう会話の流れで、そういう返事が来ることになるの」

 えっとねー、と杏莉はボタンをいくつか操作して、それからこうつづけた。

「ひとつまえにわたしが送ったのは、『<≡・人・≡>ごにゃにゃにゃーっ』ってやつで、それはニシちゃんの『にゃあ。』ってメールへの返事でー」

「通信料の無駄遣いだ……」

「そんなことないよ。大事なコミュニケーションだよう」

 そのとき、麗のブレザーのポケットから童謡のメロディが流れ、麗は、あっ、と嬉しそうに声を上げて電話をひっぱり出した。画面を開けてのぞきこみ、顔をほころばせる。

 それから彼女はキーパッドに両手を添えて、たどたどしく打鍵しはじめた。

 そして、杏莉よりもそうとう長い時間をかけて返信を書き終えると、満足そうな顔で送信ボタンを押す。

「クラスの友達?」

 ニシちゃんの問いに、麗は首をぶんぶんと横に振った。

「いえ。いまのは、うららからでした」

「えっ?」

「えっ、妹ちゃんもケータイ買ったの?」

 杏莉とニシちゃんが、驚いて聞き返す。

「そうなんです。家族プランっていうんですか? それだったら、もう一台が安く契約できるって教えてもらったので」

「あ、そうだよねー。うちのも家族契約で買ってもらったんだよ」

 と、杏莉。

「納屋に固定電話はあるんですけど、メールとか写真が使えるのは便利かな、って」

 そしたら、うららも、もっといろんなものを見ることができるようになると思いますし。

「あっ、そういえば、コレが、いま送ってきた写メールです」

 そう言って麗が掲げた画面には、送り主が自身の姿を撮ったものなのであろう、灰色のぬらぬらした肌の一部と、それを覆うフジツボのような形の突起、さらに、その隙間で見開かれ、こちらを見つめている黄色や赤の無数のちいさな眼が写った画像が表示されていた。


 ヤマナミヤ百貨店の前で杏莉と別れ、谷土経由木ノ楠湊行きのバスに乗ってからも、麗はニシちゃんに、壁紙の設定のしかたや着信音のダウンロードのしかたといった質問を矢継ぎばやにしつづけた。

 わたしは、ニシちゃんと麗が隣同士腰をおろしたののひとつうしろのふたりがけ席にひとりで座り、ずっと窓の外を眺めていた。

 麗が、わたしに対する悪意を持ってそのような行動をとっているのではない、というのは、よくわかっているつもりだ。

 彼女は、大人びた容貌から受ける印象とは反対に、幼くみえるふるまいをすることがたびたびある。

 今回のことも、子供っぽい無邪気な喜びのあらわれにすぎないのだろう。

 注目してくれるニシちゃんがいることと、携帯電話を手に入れたことが単純に嬉しいのだ。

 理解はできている。

 なのにどうして、わたしはこんなに不機嫌になっているんだろう。

 がくん、とちいさく揺れて、バスが停車する。

「あ、もう谷土ですよ」

 慌てたように麗が立ち上がって、比久間先輩、また明日です、と笑顔で会釈をしながら降車口にむかう。

 つづいて席を立ったニシちゃんが、ふだんはそんなことをしないのに、突然かばんを持っていないほうの手を伸ばして、わたしの頬を両側から指ではさみこむようにしてきたので、わたしはすこしうろたえた。

「な、なに?」

「なんでもない。じゃあね」

 ニシちゃんは、ぶにっ、とわたしのほっぺたを押してから手を離し、麗についてバスを降りていった。

 ばれてたのかな。

 感情の起伏は顔に出にくいほうだと、わたしは自分でも思う。

 だけど、わたしのことを昔からよく知っているうえ、洞察力にも優れたニシちゃんには、いつも見通されてしまっているような気になるのだ。


 夕ごはんのあと、お堂の地下の石貼りの部屋にひきとったわたしは、箪笥の上から朱塗りの文箱をおろした。

 幼いころから、大事な品物をとっておくのに使っている箱だ。

 一緒に住んでいるものたちが拾ってきたり、お堂のまわりの森で自分で見つけたりしたもの。それから、ニシちゃんにもらったもの。

 蓋を開けると、中にはビー玉や太い釘、緑青のふいた硬貨、黒ずんだ色の金属製の首飾り、動かない腕時計、花模様の指輪。それらにまじって、お札も数十枚、皺を伸ばして角をそろえて入れてある。

 500円札、夏目漱石の1000円札、聖徳太子の1万円札。

 もちろん、何回数えてみたって、携帯電話を契約して月々の支払いをしていくには、とても足りない。

 わたしが紙幣を箱に戻し、蓋を閉じようとしたとき、壁ぎわの床に直に置いてある黒電話が、じりんじりんと鳴った。

「はい」

 受話器を取る。

「もしもし、りいちゃん?」

 相手はニシちゃんだった。平日の夜にかかってくるのはめずらしい。

 どうしたの。わたしが訊くと、回線のむこうのニシちゃんは、ん、別に用はなかったんだけど、なんとなく声を聞きたいな、と思ったから、と言う。

「……わたしの声なんか聞いて、どうするの」

「どうもしないけどさ。ちょっと話し相手になってよ」

 天井からぶらさがった裸電球が、黄色っぽいあたたかい光を投げかけてきている。

 わたしは受話器を耳にあてたまま、箪笥を背にして座り、床に足を投げ出した。

 


(Monsters v.s. Deep Ones の本編/番外編のこれまでの更新ぶんはこちら。)


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*1インスマス面の顔文字は、@DHKNS (寺田旅雨) 様のこのTwitter投稿から借りさせていただきました。

2010-03-13

白くびよよんとした、細長い形のもの

| 19:02 | 白くびよよんとした、細長い形のもの - アーカムなう。 (ミスカトニック大学留学日記) を含むブックマーク

Monsters v.s. Deep Ones 番外編。2月14日ネタをやりましたので、いちおう対(?)になるものを。


(全文は「続きを読む」からお読みいただけます。)


ーーーーー


「今日がなんの日だか、おぼえてる?」

 ニシちゃんが言った。

 わたしたちは、ハナの家の、庭に面したテラスの中にいた。

 すぐ目のまえからはじまっている手入れのいきとどいた芝生の上に、細かい霧のような雨がやわらかく降りかかっている。

 その雨のせいで、庭のさらにむこう、赤向湾をへだてた先に浮かんでいる瑠璃江島の黒い稜線も、今日はぼんやりとにじんで見える。

 ニシちゃんの言葉は、ハナにむけられたものだった。

「えっ、今日? なんか、特別な日だったっけ?」

 そう答えながら、テラスの軒先ぎりぎりに置かれた椅子からふりかえったハナの口もとで、なにか、白くて細くて長いものが、びよよん、と揺れた。


 ニシちゃん。本名、西春穂(にしはるほ)。2年生。体はちいさいけれど頭脳明晰、学業優秀、頼れるみんなのまとめ役。二本お下げの眼鏡っ娘。

 彼女が質問をむけた相手、ハナのフルネームは摩周花葉(ましゅうはなは)。2年生。ベリーショートにした髪と、引き締まった体、見た目どおりの運動万能少女。

 ハナの隣では、植小草杏莉(うえこぐさあんり)がスケッチブックを広げていた。彼女の通称は杏莉。2年生。いつでものんびり、ほんわか、ふんわりで、眉の上でまっすぐに切り揃えた前髪と、背中に流れる長い後ろ髪がトレードマーク。

 それから、わたし。比久間(ひくま)りい。2年生。みんなからは、りいちゃんと呼ばれる。どうやってもまとまらない硬いくせっ毛と、スタイルがいいわけでも運動ができるわけでもないのに、やたら身長だけが伸びてしまったのがコンプレックス

 わたしたちは、海坂徳育(みさかとくいく)女子高校美術部の部員だった。

 もうひとり、ここにはあとから来ることになっている、洞糸井麗(ほらいというるわ)という名前の1年生部員がいるものの、それで全員、というちいさな部だ。

 今日は、杏莉が、瑠璃江島の写生をしたい、と言いだしたのだけれど、あいにくの天気になってしまい、それならば、と、島もよく見えて雨に濡れることもない、摩周邸にやってきたのであった。

 赤向湾に突き出した岬の端にあるこの洋館は、実際、豪邸と呼ぶにふさわしかった。

 いまはハナとハナのお母さま、それにお手伝いさんがひとり、ひっそりと住んでいるだけなのだけれど、先代までの摩周家は、海運業で大きな財を成し、そうとうに羽振りがよかったのだという。この家も、そのころに建てたものらしい。

 このテラスに置いてある金属製のテーブルや椅子も、貝や海棲生物をかたどった装飾がふんだんにほどこされた、重厚な品だった。

 それらの椅子のうちのひとつの上であぐらをかいて、口をもぐもぐ動かしながら、ニシちゃんに訊かれた質問の答えをぶつぶつ考えているハナからは、良家のお嬢さまという雰囲気は感じられないのだが。

「ええっと、今日は日曜日でしょ。んで、麗とうららの誕生日はこないだだったし、ニシちゃんとりいちゃんのはまだ先だし……」

 ハナはそこでつぶやくのをやめて腕を組み、首を何度かひねったあと、杏莉のほうをむいて訊ねた。あれ、杏莉は誕生日いつなんだっけ。

 その質問に杏莉は、手を動かしつづけながら、6月ー、と答える。

 杏莉の膝に置かれた画帳の上では、瑠璃江島の遠景が完成しつつあった。

 手前に広がる湾のおだやかな海面と、雨にけぶる島影が、鉛筆の黒一色で見事に表現されている。

 だが、描かれているのはそれだけではなかった。

 島の上空に寄り固まった、泡か眼球の集合体のようなもの。

 そこから離れて飛びまわっているらしい、いくつもの球体。(これらも単体の泡か眼球なのだろう。)

「あのさ、それは、写生をしてるんだよね?」

 やはり気になったのだろう、さきほど手もとを覗きこんだニシちゃんに、杏莉は指摘を受けていた。

「ん? あ、違うよ、コレは、夢に出てきたの」

 杏莉は、そう応じてから、ちょうど今日みたいな天気の日で、あのへんに、コレが浮かんでたんだよ、とつけくわえて、鉛筆のお尻で瑠璃江島の右斜め上あたりの空間を指し示したのだった。


「誰かの誕生日ではありません。思い出せない?」

 ニシちゃんの再度の問いかけに、ハナは首をぶるぶると振る。

「なんだっけ。ヒントは?」

 そう返事をしたハナに、ニシちゃんはおおげさに溜め息をつきながら、肩をすくめてみせた。

「あんなに心をこめた贈りものをしてもらったのに、おぼえてないの?」

 それからニシちゃんは、わたしのほうにむきなおり、芝居がかった口調でこうつづける。

「ほら、コイツは、こんな、純真な乙女心をもてあそぶような真似をするヤツだったんだよ。別れちまいなよ」

 ちょうどティーカップを口に運んでいた杏莉が、すすったばかりの紅茶を、ぶっと吹き出すのが見えた。

 ニシちゃんのその台詞ではじめて、わたし自身も、今日がなんの日だったのかにようやく思いあたった。

 そして、それが意識にのぼってくると、首から頬にかけてが、急にかあっと熱くなってくる。

「あ、ホワイトデー」

「……あの、別に、お礼を期待してあげたわけじゃないから」

 ハナがはた、と手を打ったのと、わたしがちいさく声を上げたのは、ほとんど同時のことだった。

「ニシちゃんは、ちゃんと準備してきたの?」

「もっちろん」

「しまったなあ。忘れてたわけじゃないけど、忘れてた」

 弁明になっているようでなっていないことを言いながら、ハナは困った顔をする。

「麗に電話して、なにか買ってきてもらったら。まだバスに乗るまえかもしれないよ」

「でも、自分で選ばないと」

 うーん、と、ハナはしばらく考え込んでいるふうだったが、やがて、あ、と顔を上げ、口にしていた白い細長いものを手にとって、わたしのほうに差し出してきた。

「とりあえず、これあげる」

「いらないって!」

 わたしが反応するよりも早く、ニシちゃんからツッコミが入る。もっとハナの近くに立っていたら、頭のひとつぐらい叩いていたかもしれない。

「だいたい、それ、食べかけでしょ。おもいっきり歯形ついてるし。汚い」

「こっちがわは食べかけじゃないから大丈夫。ほら、こうすれば……」

 と、ハナは、その白いものをもう一度くわえて、自分の口に入っていないほうの終端を手で支え、わたしにむけてくる。

「なんで、あんたとポッキーゲームなんかしないといけないのよ。しかも、チーズかまぼこで」

「ニシちゃんにあげるんじゃないよ」

「わかってるけど、誰だってイヤでしょ」

「ポッキーゲームって言うくらいだから、ポッキー使えばいいんじゃないかねー」

 それまで、両腕を伸ばしてスケッチブックを持ち上げ、自らの描いた絵と実際の風景を見比べるようにしていた杏莉が、横から会話に加わる。

「ポッキーならいいのか。それなら、キッチンにあったような」

 えっ、そういう問題じゃなくて……。

 わたしが反論しようとしたとき、玄関で、キンコン、とチャイムが鳴った。

「あ、麗かな」

 ハナは椅子から立って、テラスと建物をつないでいるガラス戸のほうへ歩き出す。

「ついでに台所からポッキー取ってくるー」

 さきほどまでのやわらかな雨はいつしか止み、まだ霞んだままの瑠璃江島の右上あたりで、雲が割れはじめていた。



(Monsters v.s. Deep Ones の本編/番外編のこれまでの更新ぶんはこちら。)


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2010-03-09

レッスン

| 00:09 | レッスン - アーカムなう。 (ミスカトニック大学留学日記) を含むブックマーク

ふたたび、Monsters v.s. Deep Ones の後日談です。(本編の登場人物が全員出てくるわけではないので、後日談というよりは外伝と呼んだほうが正しいかもしれませんが。)


全文は「続きを読む」からどうぞ。


ーーーーー


 俺は、短くなってきた煙草を右手の親指と人差し指でつまんで唇の間から抜くと、胸一杯に溜め込んでいた煙を、斜め上に向けて吐き出した。

 口を離れていった、白い、もやもやとした固まりは、暗くなりはじめたばかりの空に昇っていくわけでもなく、すぐに四散してしまう。

 ベランダの手摺にもたれかかり、もう一度、煙草をくわえる。

 近くにある商店街のアーケードで放送している音楽が、風に乗って聞こえてくる。

 深みも技巧もなにもない、機械が出力しただけの平板な調べだ。

 くだらない。


*****


 いっしょに暮らしている翼のあるものたちのうちのひとりが、毎日、日が暮れて空が藍色に変わりはじめるころに起きて、出かけていく。

 そのことに気づいたのは、つい最近のことだった。

 彼ら彼女らは、特に太陽の光が苦手、というわけではないのだけれど、姿を見られることを嫌って、主に夜中に行動する。

 住処にしているお堂のまわりの森で食料がみつからなかったときには、草木も眠るといわれる丑三つ時をみはからい、闇に紛れて、ふたり、三人と組をつくって飛び立ち、どこからか屍肉を調達してくる。

 そんな生活リズムだったから、昼間はたいてい洞穴の中で寝ている。

 日が落ちたばかりの、空にオレンジ色の光が残っているようなころあいは、彼ら彼女らにとっては、まだ早朝のような時間帯のはずだった。

 それに、ひとりきりでねぐらを離れる、というのも珍しい。

 どこに行ってるんだろう?

 ほかのものたちに訊ねても、皆、首を横に振るばかりだった。


*****


 俺は、まるで目的を見出すことができず、イライラを募らせるだけの毎日を過ごしていた。

 こんなことになっているはずではなかった。2年ほど前までは。

 5歳ではじめたヴァイオリン。

 すぐに俺は「神童」と称えられるようになった。

 コンクールに出場しだしてからは、優勝、また優勝の連続。

 高校生のときに挑戦した国際大会では、さすがに一位というわけにはいかなかったが、審査員の何人かは高い評価をしていた、と、後から人づてに聞いた。

 卒業後は、ヨーロッパの音楽院に進学することになっていた。

 けれども。

 高校の卒業まで、3ヶ月ほどに迫ったあの日。

 首都圏には珍しく、年内であるのに、夕方から雪が降った。

 滑って怪我をするといけない。濡れて風邪をひくといけない。そんなことを考えたのだろう。

 夜、レッスンを終えた俺を、父が車で迎えに来た。

 そうして、帰宅する途中。

 見通しは決して悪くない、住宅街の中の、ゆるいカーブになった対面通行の道路だった。

 父と俺が乗った車は、スリップして対向車線からはみ出してきたトラックに跳ね飛ばされ、ガードレールの支柱に突っ込んだ。

 その事故で、父は帰らぬ人となった。

 俺は、左腕前腕部の亀裂骨折だけで済んだ。

 それだけのはずだった。

 なのに、骨折が癒えてギプスが外れたとき、俺の左手は動かなくなっていた。

 どんなに力を入れても、それぞれの指がわずかに曲がるだけ。手を握ることができない。

 骨は完治している。

 リハビリをすれば前のように戻る。筋肉をほぐしていけば治る。マッサージで血行をよくすれば。心理的な原因があるのではないか。

 いろいろなことを言われ、いろいろなことを試したけれども、症状は改善しないままだった。

 ヨーロッパ行きは、あきらめることになった。

 当然、大学受験などはしていなかったので、高校を出た俺は、浪人生として予備校に通いだした。

 だが、すっぱり気持ちを切りかえて受験勉強に集中する、というのは無理な話。

 塾の先生と母が、俺が目標にするべき学校、学部の相談をしている傍らにいても、自分とは関係ない別世界のことが議論されているように感じるだけだった。

 ほんのわずかの希望を抱いて継続していたリハビリも、効果が出ているようには思えない。

 煙草の味を知ったのも、そのころだ。

 最初は、予備校からの帰り道にある公園のベンチで、こっそり吸うだけだった。

 やがて、母の目を盗んで、自室のベランダでも煙を吹かすようになった。

 目を盗んで、といっても、同じ家の中でのこと。臭いや落ちている灰で、すぐに気づいたはずだ。

 しかし、母は何も言わなかった。

 1年が過ぎて、受けた大学すべてから不合格通知が届いた後、母は俺に告げた。

「母さん、赤向 (あかむ) に戻って仕事を探そうと思うの」

 残って一人暮らしをして受験勉強をつづけてもいいし、赤向に着いてきてもいい。あなたが選びなさい。

 行き詰まっていた俺は、環境が変わればどうにかなるのかもしれない、と、母と赤向に帰ることにした。

 それは、正しい選択だったのだろうか。

 母の故郷であるこの町には、本当に何もない。

 小さな繁華街。フェリーターミナル。港の沖に浮かぶ、黒々とした色の火山島。目立つものといえば、それぐらい。

 腕がよい、という評判の整形外科が山のほうの字 (あざ) に一軒ある、と祖母と母が聞き込んできてくれたので、検査や機能回復訓練を受けるために、数週間に一度はそこに通っているのだが、そのほかは、マンションの最上階にある自宅からもほとんど出ず、煙草を吸って、ただぼんやりと毎日を過ごしている。

 そして、これではいけない、という思いだけがふくらんでいく。


*****


 わたしは夕暮れの空を飛んでいた。

 ほんのすこしだけ潮の香りがする風が正面から顔に当たり、髪をかきみだしていく。

 翼のあるものの毛深い腕に抱えられて宙に浮く感覚は、長らく味わっていなかったものだった。

 幼いころは、そうやってどこかに連れていってもらうことが、たびたびあったのだけれど。

 お互いに昔とは体型も変わってしまっているせいか、はじめのうちは、わたしも、わたしを背後から抱いて吊り下げている体の大きな翼のあるものも、なかなか飛行を安定させることができなかったのだが、10分もするとコツがつかめてきて、ミニチュアのように見えるバスや学校の建物を眺める余裕も生まれてきた。

 ただ、今日は、ひさかたぶりの空中散歩を楽しむのが目的ではなかった。

 20メートルくらい前方の斜め下を、別の翼のあるもの――彼ら彼女らの基準でいうと、比較的背が高く、やせ形の一体だ――が飛んでいる。

 わたしたちは彼を、ねぐらの森から追跡してきたのだ。

 毎日、日も暮れきらないうちからひとりで出かける理由を探るために。

 彼は、湾を目指してしばらく飛んだあとで進行方向を変えた。

 高度を上げながら、赤向の中心街のほうにむかうようだった。


*****


 どこからか、なじみの深い音色が流れてきて、俺は顔を上げた。

 生のバイオリンの音だ。

 細いその響きは、ときおり雑音に消されてしまい、そのせいもあって、どの曲のどの箇所を弾いているのかは判別できない。

 だが、聞き取ることのできる部分だけを聴いているうちに、俺は、自分の心がざわついてくるのを感じた。

 決して上手な演奏ではない。

 曲にも、頻繁に調を無視した音階が混ざる。

 けれども、その調べには、言葉にしがたいなにかが含まれていて、胸の中にすとん、と落ちてくるような、かとおもえば極限まで不安をかき立てられるような、そんな不思議な精神状態になるのだった。

 もっと近くで聴きたい。

 俺は聴覚に全神経を集中し、音の出どころを探ろうとした。

 しかし、刻々と吹きかたの変わる夕方の風と下の道路の喧噪に惑わされ、演奏されている場所を特定することができないうちに曲は終わってしまった。

 それから煙草を5本吸い切るまでベランダで粘ってみたけれど、その晩はもう、おなじ音色が聞こえてくることはなかった。


 翌日の夕暮れどき。

 俺は悪態をつきながらマンションの階段を上っていた。

 字谷土 (あざたにつち) にある整形外科で、いつものようにリハビリを受けて帰ってくると、エレベーターに『故障中』の貼紙がされていたのだ。

 最上階までの道のりは長い。

 6階と7階の中間の踊り場で、俺は呼吸を整えるために立ち止まった。

 半屋外になっている踊り場に吹いてくる風はまだまだ冷たいものだったけれど、日頃の運動不足もたたってか、額からは汗が吹き出している。

 それを手の甲でぬぐい、あと3階半ぶんを上りきってしまおうと段に足をかけたそのときだ。

 あれは。

 俺は、耳をすまして聞き入った。

 昨日のバイオリンの調べだ。

 近い。

 気づいたときには、俺はもう次の階にむかって駆け出していた。

 音は、7階の南角の一室から流れてくるようだった。

 その部屋の前に立つと、音量が一段と大きくなる。間違いない。

 迷うことなく、俺は呼び鈴を押した。

 演奏が止まる。

 しばらくして、中で柔らかい足音がしたかと思うと、扉が開いた。

 あらわれたのは、ひとりの少女だった。

 バイオリンの弓を持った右手でドアを支え、不審そうな目を俺のほうにむけてくる。

 少女は、やや栗色がかった髪を頭の上でふたつに結い、学校の制服なのだろう、白い長袖ワイシャツと、紺色のスカート、それに濃紺のハイソックスを身につけていた。肌が一見不健康にも思えるほど白く、髪の毛と同色の眉と瞳とあいまって、異国風の顔立ちのようでもある。

 彼女の制服の胸ポケットのところには、開かれた本を月桂樹の葉の枠で囲んだ意匠の校章が暗い青色で印刷されていた。

 一瞬の間考えて、それがどの学校のものであったのかを思い出す。

 海坂徳育 (みさかとくいく) 高校。この町で一番歴史があるといわれている私立の女子校だ。

 リハビリに通っている整形外科医のところのひとり娘がおなじ制服を着ているのを見たことがあり、記憶に残っていたのだった。

「なにかご用ですか」

 固い声で少女に問われて、俺は、それまでの熱にうかされていたような状態から我に返った。

 見知らぬ男が突然訪ねてきたのだ。警戒するのも無理はない。

 俺は、彼女の左手に握られた楽器に視線を落とした。

 うるさい、と苦情を言われると思ったのか、少女の表情がさらに曇る。

 とっさに、俺はこう口走っていた。

「演奏を聴かせてくれないか」

「え?」

「あなたのバイオリンを、間近で聴いてみたいんです」


*****


 追跡していた翼のあるものの影が、ヤマナミヤ百貨店のそばの10階建てくらいの高さのビル――おそらくマンションだ――の壁に沿って回りこんでいったあとで、消えた。

 わたしたちは彼の姿を探すため、建物の屋上を見下ろせるくらいの高度を保ったままで周囲を旋回する。

 すぐに、途中の階の角部屋のベランダに入りこんでいた彼の翼の生えた黒い背中を発見することができた。

 ただし、飛びながらでは彼がなにをしているのかまではわからなかったし、長い時間滞空したまま観察しているわけにもいかない。

 わたしは自分を運んでくれている翼のあるものに合図をして、すぐ隣にあるおなじくらいの高さのビルの給水塔の横に着陸してもらった。

 着地点からほんのすこし移動するだけで、ちょうどベランダの中を覗きこむことができる位置が見つかった。

 手摺や梯子が邪魔になって、あちら側からはこちらを見通されることもなさそうな、格好の場所だ。

 もっとも、相手に発見されてしまう心配は無用であった。

 彼は、注意を完全に部屋の中にむけているようだったからだ。

 ベランダに面したサッシのむこうにはカーテンがおろされていて、わたしたちのいるところからは、その奥の様子を知ることはできなかった。

 誰かが出てくるような気配もない。

 わたしたちが追ってきた彼は、黒い胴体を丸めるようにしてベランダに横向きに座り、膝に顎をうずめるようにして、じっと動かずにいる。

 いったい、何をしているのかな。

 首をかしげたわたしの肩を、わたしを運んできてくれた翼のあるものが、ちょいちょい、とつつく。

 わたしが顔をむけると、彼女は、自らの細長い指を、とがった黒い耳の根元あたりに当てるような仕草をした。


*****


 両親が不在なので、家にあがってもらうわけにはいかないのですけれど。

 そう言って少女は、玄関を入ってすぐの狭い廊下に立ったまま、曲をひとつ弾いた。

 俺は、上がり框に腰を下ろして、それに耳をかたむけた。

 よく練習に使われる曲で、芸術的でも、テクニックが優れているわけでもなかったが、そういうレベルの奏者なのだと考えれば、特に文句をつける箇所があるわけでもない、そんな演奏だった。

 昨日、ベランダで聴いたものや、さきほど階段まで漏れてきていたものと比べると、むしろ技術的にはより完成されているともいえる。

 だが、それらの調べにはあった、体の中に直接響いてくるようななにかが、その演奏には欠けていた。

「違う」

 そう呟いた俺に、彼女は何度めかの不思議そうな眼差しをむけてくる。

「さっきまで弾いていた曲を、俺が階段のところで聴いた曲をやってくれませんか」

 俺が言うと、彼女は驚いた顔になった。

 あれは、楽譜もなにもなくて、遊びで適当に弾いていただけですから。

 重ねて俺が頼んでも、彼女はそう答えて、首を横に振りつづける。

 結局、目当てのものを聴くことはできないまま、俺は彼女の家を後にした。

 廊下に出て、ふと閉じられたばかりのドアのほうを振りかえったとき、その横に掲げられている表札がはじめて目に入った。

 表札には、漢字で一文字「張」とあり、その上にはローマ字で "Zhang" と書かれていた。

 それが彼女の名字であるらしかった。


 張 (チャン) さんは、香港の生まれ。

 エーリカ、というのが彼女のファーストネーム。

 そして、第一印象で、俺が彼女の外見を異国風と感じたのは、あながち的はずれでもなかったようである。

 彼女の母親はドイツ人なのだ。

 父親のほうは香港人だけれども、ビジネスの関係で、張さんが小学5年生のころから一家で日本に住んでいる。

 これらのことを、俺は彼女の家に何度も通ううちに知った。

 最初は、彼女も彼女の両親も、とまどいと警戒の混ざった目で俺のことを見ていたように思う。

 けれども、俺がしばらく前までバイオリンをやっていたこと、音楽学校への進学も考えていたことなどを話すと、厳しい視線はやわらいでいった。

 二度め以降の訪問は、必ず両親のどちらか (か両方とも) が家にいるときにしていたので、彼らとも親しく会話を交わせるようにもなった。

 俺が体中から煙草の臭いを立てて部屋に入っていくと、彼女が厭そうな顔をすることにもあるとき気がつき、それからは、すくなくとも彼女のところへ行く直前だけは、煙草の本数を減らすように心がけることにした。

 ちゃんとレッスンを受けていたのは中学の途中まで、そのあとは自己流でやっているだけ、というわりには、彼女は多様な曲を弾きこなすことができた。

 だが、何回彼女のもとを訪れても、あの曲だけは、あの日俺がベランダで聴き、その翌日外階段のところで聴いた調べだけは、決して演奏してくれないのだ。

 理由を訊ねても、ちゃんとした曲ではないから、と言われるだけだった。


*****

 

 目をつぶって耳をすましてみると、ちいさなちいさな弦楽器の響きが聞こえてきているのがわかった。

 たぶん、バイオリンの音なのだと思う。

 ともすれば、町の喧噪に完全にかき消されてしまいそうな、か弱いものではあったけれど、糸を引くように伸び、春の海の穏やかな波のように寄せてはかえり、かえっては寄せる。

 しばらくその流れに身を任せてから、目を開いてベランダのほうを見下ろすと、そこにしゃがみこんだ翼のあるものも、音に合わせて、黒い毛におおわれた体を揺らめかせているようだった。

 やがて曲は途切れ、それからほんのすこしの間があったあと、ベランダに面した窓の奥に人影があらわれた。カーテンを脇に寄せ、サッシを大きく開けはなつ。

 翼のあるものは、と視線をむけると、逃げようとする様子もなく、なにかに魅入られたかのように、その場にとどまっている。

 見つかってしまう!

 わたしは思わず手摺の上に身を乗り出した。

 けれども、窓を開けた人物は、あきらかに彼の姿が目に入っているはずなのに、取り乱すこともなく、それどころか彼のいるほうへ一礼すると、手にしていた楽器を肩に乗せ、弓を構えた。

 距離も離れているし、日の光もだんだん弱くなってきているせいで、顔までは、はっきり見てとることができなかったが、その人物は年若い少女のようだった。

 白いワイシャツを着て、濃い色のスカートと長靴下をはいている。

 わたしがなおも彼女のほうを凝視していると、突然、わたしを運んでくれた翼のあるものが、わたしの胸もとをを指さしてきた。

「どうしたの?」

 訊ねてすぐに、彼女がなにを指摘しようとしたのか、わたしは気づく。

 わたしは学校の制服のまま、ここまで連れてもらってきていた。

 ブレザーの下には胸元に校章の入った白いワイシャツを着ていて、スカートは紺色、靴下は濃紺。

 着ているものがいっしょだ、と彼女は言っているのだ。

 それほど特徴のない制服ではあるけれど、もともと町に高校がすくないこともあって、まったく同一の組み合わせを採用しているところはひとつもなかったはずだ。

 おなじ学校なのかな。

 少女は弓を弦に当て、曲を弾きはじめる。

 窓を開けたためか、さきほどよりもわずかに大きな音量で流れてきた調べは、前の曲とはうってかわって不安定なものであった。

 音が急に高下したり、なめらかにつづいていたかと思ったら、突然途切れたり。

 けれども、聴いていると、気持ちが動揺するのと同時に、おだやかな気分にもなれるようにも感じられる。

 そして、旋律が高まってくると、ベランダにいる黒い影は演奏者のほうにむきなおり、感極まったように背中の翼を動かしながら、ふつうの人間には発することも知覚することもできない声で歌いはじめた。

 彼の声とバイオリンの音色は、はじめのうちはバラバラなように聴こえたけれど、しだいに絡みあうようになり、そして、ついにはひとつに溶けあって、もうすっかり暗くなった赤向の空に流れてゆくのだった。

 なるほどね。


*****

 

「弾いているあいだは絶対に入ってこないでください」

 リビングのソファーに腰をかけた俺に強い口調で告げると、彼女は自分の寝室に入っていき、ドアをばたり、と閉める。

 「えーりか」と刻まれた木彫りのネームプレートが扉の上で音を立てて揺れた。


 今日は俺の誕生日だった。

 そのことを話すと、彼女は、じゃあ、なにか曲をプレゼントしましょうか、と言った。

「なにがいいですか」

 正直なところ、彼女が演奏する普通の曲の中に、特別聴きたいというほどのものはない。

 それに、バイオリンは、俺にとって、もう、彼女のもとに通いつづけるための口実でしかなくなっていた。

 君が弾いてくれるんだったら、なんでも。そう返事しようとして、ある可能性に思いあたり、俺は逆に彼女に問いかけた。

「どんな曲でも弾いてくれる?」

「私が弾ける曲だったら、どれでも」

 だったら、あの曲がいい。俺がリクエストすると、彼女は困惑した表情になった。

「どの曲でもいいと言っただろう?」

 でも、あの曲は。彼女は言葉に詰まる。

 そのとき、部屋にさしこんできていた夕暮れの光が一瞬かげり、それに反応したのか、それとも無関係になのか、彼女は視線をそらして窓の外をちらりと見た。

 そして、俺のほうにむきなおると、さらに困ったような顔をして、しかたがないですね、と答えた。

 でも、そのかわり……。

 

「絶対に、入ってきたら駄目ですからね」

 閉めたドアをもう一度細めに開けて、彼女は俺に念を押す。

 俺はソファーの上から彼女にうなずきを返した。

 数分後、演奏は唐突にはじまった。

 導入も、主題も、つなぎもない混沌とした旋律。

 拍子を完全に無視して長く伸び、短く切れる音。

 調から外れて挿入される半音。

 即興音楽の枠さえも超えた、破天荒な曲だった。

 けれども、ただ無茶苦茶に弾いているのではない、という気にさせる、不思議な統一感がそこにはあった。

 不安。安心。停滞。高揚。恍惚。覚醒。

 とりどりの感覚と感情が一度に押し寄せてくる。

 特にその中の一種の衝動が、自分の内部でむくむくと大きくなっていくのを俺は感じていた。

 俺は立ち上がり、鼻息を荒くしてリビングをうろうろと歩きまわった。

 そうしながら、腕を組み、頭を抱えこみ、両手を突き上げて呻き声を漏らした。

 それでも、その気持ちがおさまることはなかった。

 見たい。

 この冒涜的な演奏をしている彼女の姿を。

 どうしても、ひと目見たい。

 気がつくと俺はネームプレートの下がったドアの前に立ち、ノブを握っていた。

 幸いに、というべきか、不幸なことにというべきか、さきほどまでリビングにつづいたダイニングとキッチンで立ち働いていた彼女の母親はほかの部屋に行っているらしく、俺のその行為を咎める者は誰もいなかった。

 彼女との約束を破るのか。

 頭のどこかでちいさな声がささやいたけれど、俺の体はもう動いていた。

 俺は、ノブを回し、扉を押し開けた。

 その瞬間、耳に突き刺さった音は、バイオリンが高音を打った響きだったのか、あるいは彼女の声だったのか。

 生臭い突風が俺の顔に吹きつけ、視界に入っている範囲のあらゆるところに黒い羽毛か獣毛のようなものが舞い散った。

 巻き上げられた楽譜が、ばらばらの紙片になってつむじを描く。

 そのただ中に立つ、バイオリンを構えた彼女の後ろ姿。ふだんきつく結っている長い髪が解け、宙をのたうつ。

 彼女のむこう、開け放たれた窓のあたりから、漆黒の影が大きく広がる。そして……。


*****


 いっしょに暮らしている翼のあるものたちの一体が、今日もねぐらを抜け出して、たそがれどきの空にひとり飛び立っていく。

 わたしはお堂の前の崩れかけた段々に腰かけて、ちいさくなっていく黒い影を見送った。

 


(Monsters v.s. Deep Ones の本編/番外編のこれまでの更新ぶんはこちら。)


ーーーーー

というわけで、わかるかたには途中でバレていたとはおもいますが、『エーリカ・張 (チャン) の音楽』という駄洒落が言いたいだけの掌編、でした。おあとがよろしいようで。ありがとうございました。


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2010-02-14

黒くどろどろとした、名前を持たぬものたち

| 03:38 | 黒くどろどろとした、名前を持たぬものたち - アーカムなう。 (ミスカトニック大学留学日記) を含むブックマーク

Monsters v.s. Deep Ones の後日談、第3弾です。今回も時節ネタ。

(全文は「続きを読む」からどうぞ。)


*****

Oh! Such an unnamable being,

The shapeless, sleepless, nameless thing!

That which creeps up on me in the darkness of the night,

The one that ought to be named not.


「なに、これは?」

 入ってくるやいなや、詩の一編らしきものが書かれたカードを手渡されたニシちゃんは、困惑したような表情になった。

「麗がもらったんだって。英語だし、よくわかんないから、ニシちゃんが来たら読んでもらおうとおもって」

 ハナが説明する。


 ニシちゃん。部長。本名、西春穂(にしはるほ)。2年生。体はちいさいけれど頭脳明晰、成績優秀、頼れるみんなのまとめ役。二本お下げの眼鏡っ娘。

 彼女に答えたのは、ハナ。摩周花葉(ましゅうはなは)。2年生。ベリーショートにした髪と、引き締まった体、見た目どおりの運動万能少女。

 それから、わたしの隣に座っているのは杏莉。フルネームは植小草杏莉(うえこぐさあんり)。2年生。いつでものんびり、ほんわか、ふんわりで、眉の上でまっすぐに切り揃えた前髪と、背中に流れる長い後ろ髪がトレードマーク。

 杏莉の向かいがわの席についているのが麗(うるわ)。上の名前は洞糸井(ほらいとい)。1年生。肩のあたりまで伸ばした軽く縮れた髪の毛は亜麻色で、異国風ともいえる顔だちと、すらりとした手足がバランスよくマッチしている。

 最後に、わたし。比久間(ひくま)りい。2年生。みんなからは、りいちゃんと呼ばれている。どうやってもまとまらない硬いくせっ毛と、スタイルがいいわけでも運動ができるわけでもないのに、やたら身長だけが伸びてしまったのがコンプレックス

 わたしたちは、海坂徳育(みさかとくいく)女子高校美術部の、たった5人の部員だった。


 2月14日。

 日曜日だったけれど、誰が言いだしたともなく、わたしたちは学校の近くのキングバーガーに集まっていた。

「うーん」

 ニシちゃんは、コートも脱がずに椅子に腰かけて、しばらくのあいだ眉根をよせて文字列とにらみ合っていたが、やがて顔を上げ、わたしたちに訳を披露した。


 かようにも名状し難きものが存在するのか

 定まった形を持たず、安らぎを知らず、名付けられることもない

 深い闇に紛れて訪れ、私の眠りを毎夜のように妨げる

 名で呼ぶこと能わざるものよ


「……。で、これを、麗がもらったの?」

「直接受け取ったわけじゃないんですけど。金曜日の放課後、靴箱を開けたら入っていたんです」

 いっしょに、これも入っていました。

 そう言いながら麗は、バッグから、赤色の包装紙に包まれた手のひらぐらいの大きさのハート形の物体を出した。

「なーんだ、バレンタインのチョコか」

 あっさりと結論が出て気抜けした、というふうに、杏莉がテーブルに突っ伏す。

「あ、なんだなんだ。それなら、これはラブレターだ」

「へ? そんな、おどろおどろしい文面で?」

「たしかに不気味な言葉を使ってはいるけど。定まらない。名前をつけられない。夜も寝られない。そのあたりが、恋してしまった気持ちを表しているのだとしたら、そう解釈しても、おかしくはないとおもうよ」

「うわっ、恥ずかしっ」

「ラブレターというのは、そういうものでしょ」

「あのっ。あのっ。ちょっと、いいですか!」

 当事者である自分をおいてけぼりにして進んでいきそうになったハナとニシちゃんの会話を、麗が、あわててさえぎった。

 その声が大きかったので、ハナとニシちゃん、それに杏莉もが、麗のほうを向く。

 おもいがけず注目を集めてしまった麗は、こころもち頬を紅くして、ちいさな声で、こうつづけた。

「あの、バレンタインデーというのは、女子が男子にチョコレートを渡す日ですよね」

「世間一般では、そうじゃなー」

 だらん、と机の上に上半身を投げ出したまま、杏莉が答える。

「なのに、なんで、私がもらうんですか?」

「別に、変じゃないと思うけどな」

 去年は、ハナもニシちゃんも、けっこうもらってたよ、と杏莉は言葉を継いだ。

「え? だって……」

「スポーツできるひとは、やっぱりトクだよね。ニシちゃんは学級委員やってたし、小動物っぽいし……」

 今年はどうだったの? 杏莉は体を起こして椅子に深く座りなおしながら、ふたりに訊く。

 ニシちゃんとハナは、そろって首を横に振った。

「今年のクラスでは、なんにも役職ついてないしね」

「私は、なんでゼロなんだろー」

「さぼってばっかりだから、忘れられちゃったんじゃないの?」

「さぼりたくて休んでるんじゃないってば」

 学校という、それなりに限られた空間とはいっても、鱗におおわれてしまった顔や肌を見られるのは嫌なのだろう。

 いや、閉じられた場所だから、なおさら、なのかもしれない。

 夏休みが終わったあとのハナは、学校を休みがちになっていた。

 登校してきたときも、制服のブレザーの下に着込んだスウェットのフードをかぶりっぱなしのことが多い。

「月曜日に行ったらもらえるかなあ」

「遅れるよりは早めに、なんじゃないの。麗も、金曜日にもらったんでしょ」

「はい」

「そっかー。じゃあ、今年は、ひとつもなしか」

 フードをかぶった頭のうしろで手を組んで、ハナが、いとも残念そうにつぶやく。

 その様子を見て、隣の席から、杏莉がわたしに目くばせを送ってきた。

 わたしは唇の端をすこし動かして、それに答える。

 そして。

「じゃっじゃーん」

 音とともに、包みが四つ、テーブルの上に並ぶ。

 透明なフィルムでふんわりとラップされ、ピンク色や金色のリボンがかけられたそれらを取り出したのは、杏莉だった。

 効果音はもちろん、彼女が自分で歌ったのだ。

「はい、これとこれは、麗と妹ちゃんに」

 そう言いながら杏莉は、4個のうちのちいさめのふたつを、真向かいに座っている麗のまえに移動させる。

「あ、ありがとうございます」

「それはチョコレートケーキね。昨日、りいちゃんと作ったんだよ」

「ええっ?」

「りいちゃんも?」 

 ニシちゃんとハナが、目を丸くして身を乗り出してくる。

 麗も、驚いた、という表情になっていた。

「うちで、いっしょに作ったんだよね。ね」

 杏莉が、わたしのほうに顔をむける。

 わたしは、頬がかあっと火照ったようになるのを感じた。

 まったくやりつけないことをしているせいか、実はというと、さっきから心臓もばくばくしっぱなしだったのだ。

 口を結んだまま、ちいさく首を縦に振るのが精一杯だった。

「んで、こっちのふたつは、特別製なのです」

 杏莉が、残った2個の包みを右手にひとつ、左手にひとつ持つ。

「これがハナの。こっちがニシちゃんのね」

 胸の動悸が、さらに激しさを増してきて、そう話している杏莉の声が、どこか遠くのほうから聞こえてきているようにも思えた。

「特別製って、どのへんが特別?」

 ハナが、さっそくリボンをほどき、がさがさとビニールを開ける。

 ほっぺたの熱っぽさが首筋から耳の先あたりにまで広がってきた気がして、わたしは顔色が変わったのを悟られないように、そっとうつむいた。

「生チョコがオマケで入ってまっす。ね、食べてみてよ」

 杏莉がうながす。

 しばらくまわりをきょろきょろ見まわしていたハナは、店員さんがわたしたちのほうに注意を払っていないことを確認したのか、包みからココアの粉のまぶされたかたまりをひとつ取り、素早く口に放りこんだ。

「ん、うまい」

 ほっ。

 知らず知らずのうちに溜めていた息が、わたしの唇の隙間からこぼれ出る。

「ほらね。おいしくできてるから大丈夫だって、言ったじゃない」

 笑いながら、杏莉がわたしの髪の毛をぐしゃぐしゃっとしてくる。

「そっちは、作りはじめのへんを、りいちゃんがひとりでやったんだよ。自分から、やってみたいって言いだしたわりには、できてから、失敗したんじゃないか、不味いんじゃないかって、うじうじ悩んででさ――」

「なんか様子がヘンだと思ったら、そういうことだったのか」

 ニシちゃんがつづく。

 ふだんどおりにしていようと頑張っていたのだけれど、やっぱり彼女にはお見通しだったようだ。

「ハナがおいしいって言うんなら、味は大丈夫そうね」

 ニシちゃんは、そうつぶやいて、それからわたしたちのほうを見て微笑んで、あとで大事にいただくね、ありがと、と付け加える。

「いいなあ、私も比久間先輩の手作りチョコ、食べたかったです」

「ごめんねー。思ってたよりも、量ができなくてさ」

 麗に弁解するところまで、杏莉は代行してくれた。

「麗は、ほかのひとから本命チョコもらったんだから、文句言わない」

「ほ、本命なんかじゃないですよ」

「そういえば、それ、誰からのものなのか、心あたりはあるの?」

 ニシちゃんが訊ねる。

 送り主の署名がどこにもされていないのは、すでに確認済みだった。

 麗は、テーブルの上に開きっぱなしだったカードにちらりと視線を送る。

「この英語の字、見覚えがあるような気はするんですけど……」

 どこで見たのかは思い出せないんです。

「うちらの誰か、ってことはないよね」

 首をひねっている麗に、杏莉が訊く。

「それだったら、ニシちゃんが見たときに気がつきそうじゃない?」

 と、ハナ。

「それもそっか」

 みんなで腕を組んで、うーん、と考えてみても、答えは出るわけでもなく、やがて話題は、いつもどおりの他愛もないものに移っていくのだった。


 まだまだ短い日が暮れるころ、わたしたちはキングバーガーをあとにした。

「そういえば、今日は町営温泉でチョコレート湯やってるらしいよ」

「うげ、なにそれ」

 ニシちゃんとハナが、ふたり並んで先に立ち、電燈の灯りはじめた商店街を歩き出す。 

 わたしは、すぐまえにいた杏莉のコートの裾を、つ、とつかんで、彼女を引き止めた。

「あの……」

 ありがとう。

 わたしが、ふりかえった杏莉に向かってその言葉を口にするより早く、彼女の右手が伸びてきて、わたしの左頬を、むにゅっとつまむ。

 暖かい店内から出てきたばかりなのに、もう、すこし冷たくなっている杏莉の指が、まだかすかに上気したままのわたしの肌に触れた。

 それから彼女は、はにかみながら、なーに、いいってことよ、と言うと、わたしのほっぺたをぐにぐにと2、3回、強めに引っ張った。


 どこをどう間違えたのかはわからないけれど、昨日わたしが杏莉の家のキッチンで融かしたチョコレートと生クリームを調合したところ、できあがったのは、どちらかというと液体に近い半固形の物質だった。

 妙に粘度はあるものの、冷やしてもなにをしても、決して固まろうとしない。

 杏莉は、そこにあれを足し、これを足しして、きちんと「生チョコレート」と呼べるものに仕上げてくれた。

 黒く、どろどろとした、名前のない、そのままでは手渡すことのできないもの。

 わたしひとりでは、どうにも手に負えなかったもの。

 彼女はそれに、形を与えてくれたのだ。


*****


(Monsters v.s. Deep Ones の本編/番外編のこれまでの更新ぶんは(こちら。)



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