『ブレイブ・ハート』

スカパー!で鑑賞。



【ストーリー】
スコットランドの英雄ウィリアム・ウォレスの一代記。


【見所】
派手な野戦。
スコットランドスコットランドだよね?)の大自然と、ケルト音楽。


【感想】
メル・ギブソン絶頂期の映画で、なるほどこれは面白い。スコットランドの英雄、ウィリアム・ウォレスを描いた物語で、だいたい史実に沿った内容になっている。有名なスターリング・ブリッジの戦い、フォルクカークの戦いが描かれるし、ロバート・ブルースをはじめとするスコットランド貴族との微妙な関係、長脛王エドワード一世のも踏まえている。さすがにエドワード二世の后と愛し合うのはどうかと思ったけれど。


Wikipediaを読んでみると、『ブレイブハート』の史実とフィクションの相違点が挙げられていて興味深かった。明らかにフィクションだと分かる后との恋愛はもちろんのこと、序盤の重要なキーワードである初夜権がなかったことや、スターリング・ブリッジの戦いなのに橋が出てこない(これはロケ地の関係で仕方がなかっただろうけれど)、さらには印象的な顔に青い塗料を塗る戦装束など、思ってもみない点もフィクションに上げられていた。『ブレイブ・ハート』のウィリアム・ウォレスって、最後のケルトの英雄という描かれかたをしているので、顔を青く塗っているのかもしれない。


ウィリアム・ウォレスは単純にヒーローとしての役回りだけれど、敵対するエドワード一世と、狭間で揺れ動くロバート・ブルースの造形が非常に優れていた。特にエドワード一世の、冷酷非情なイングランド王を上手く描けていると思う。権謀術数に優れ、戦争をさせても強い。さらには、エゴの塊のような人格で、弱りきったエドワード二世をたこ殴りにするシークエンスなど、エドワード一世が出てくるだけで観ているほうは笑顔になってしまう。悪役が魅力的なほど、ヒーローも輝くわけで、その点で名作映画への貢献は計り知れない。


また、ロバート・ブルースの、ウォレスの理想に共鳴しながらも、現実的な政治に揺れ動く姿も良かった。実際のロバート・ブルースは、もっと煮ても焼いても食えない、徳川家康みたいな人だったと思うけれど。そこは、ロバート・ブルースに理想と若さを、ロバートの父親と貴族たちに腹芸を使わせるという役割分担で、分かりやすく処理している。ロバート・ブルースの父親の造形は、明確に彼の暗黒面(もしくは現実)を象徴していると感じられた。


ウィリアム・ウォレスの時代はイングランドブリテン島での覇権を確立していく最中にあって、対スコットランドの重要な3つの戦いが描かれる。映画ではイングランド軍とスコットランド軍は正面から激突していたけれども、スコットランド軍はゲリラ戦を優先していたし、イングランド軍は長弓兵と騎兵の連携に苦労していた。対スコットランド戦争で、イングランド軍は長弓兵と下馬騎士の連携による必勝の戦術を編み出して、それが対仏百年戦争に繋がっていくのだけれど、この映画では正面激突を優先させている。


なので、「統制されたイングランド軍vs野蛮なスコットランド軍」という図式になっていて、それはそれで迫力満点なんだけれど、地形や用兵によって勝利する史実の面白さはなかったかなぁと。ただ、アイルランド軍がいきなり寝返る描写は面白かった。当たる当たる当たる〜というところで、いきなり握手という展開は笑えた。フォルカークの戦いはロングボウが大活躍した戦いで、劇中でもそのように描かれるけれども、もうちょっと脅威を強調してもよかったかなと。


ストーリーはフォルカークの戦いからの展開が冗長に感じられた。物語が内ゲバのほうに重点が移ってしまうからかもしれない。史実との兼ね合いがどうしても必要になるので、仕方ないといえば仕方ないのだけれど、もう少し描きようがあったような。前半は、ヒロインがいきなり死んでしまうところから、スターリング・ブリッジの戦いまでトントン拍子に続くだけに、フォルカークの戦いのあとは「どう終わらせるんだろう」と久々に心配になってきた。ただ、英雄が死に、その意志を継いだ人間が新たな戦いをはじめる終わりかたは『300』にも踏襲されている定番だなぁと感じられた。


難点は、やはりウィリアム・ウォレスが完璧超人すぎるところか。崇高な理想を持った武闘派が、もっと政治的な穏健派に煙たがられるというのはありがちだけれど、もう少しバックボーンを詳しく描くか、複雑なパーソナリティにしてほしかった。もしくは、イングランド軍のほうにも、崇高な理想を持った人間を置くか。ある意味、王妃がその役目を担っているのだけれど、崇高な理想というよりも見境のない愛のように見えるし。メル・ギブソンは良かった。ちゃんと拷問受けるし(そこか)


というか、『ブレイブ・ハート』は二人の人物に、一つの属性の光と闇を代表させていると思った。ロバート・ブルースと父親、抑圧された王妃と奔放な侍女、冷酷なエドワード一世とバカなエドワード二世、ウィリアム・ウォレスとアイルランドの盗賊など。もう少し、詳しく鑑賞してみると面白いかもしれない。

『キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャー』

スカパー!で鑑賞。



【ストーリー】
第二次世界大戦中、貧弱なロジャースはアメリカ軍に入隊するために、人体実験を受けてキャプテン・アメリカになる。当初は、軍のマスコットだったが、ナチスの秘密組織ヒドラとの戦いに巻き込まれてゆく……


【見所】
普通の戦争映画とスーパーヒーローもの、という水と油な組み合わせを、どう料理するか?
または、料理しきれないか。


【感想】
『アヴェンジャーズ』の伏線のためだけの映画、という世評は、その通りなんだけれど、面白いところも多々あった。


アヴェンジャーズの中でも、コンセプトも能力も一番地味なキャプテン・アメリカのビギンズを描くという映画。『アヴェンジャーズ』のためにキャラを揃える必要があったにせよ、このキャラクターの映画を作るのは難しかっただろうなぁと思う。なにしろ、名前からしキャプテン・アメリカだし、コスチュームは露骨に星条旗を元にしている。身体能力も大したことがない。


いくら舞台が第二次世界大戦だといっても、このキャラクターを動かすのは難しいだろうなぁと思ったが、そこは現代の目から見ても納得できる相対化や皮肉によって、ある程度納得できるものになっている。「ある程度」というのは、ものには限度があるわけで、ロジャースがキャプテン・アメリカのコスチュームと盾を持ったまま、捕虜を解放するためにヒドラの基地に乗り込む場面は、さすがに違和感ありまくりだった。でも、全体的に言えば、そこそこバランスがとれていたと思う。


監督はジョー・ジョンストンスターウォーズの特殊効果を担当したり、『ロケッティア』や『遠い空の向こうに』などの監督をしている。SF描写とレトロ描写の両方ともに信頼できる人、という印象。『遠い空の向こうに』は良い映画だった。キャプテン・アメリカをこのバジェットで撮影するのであれば、全盛期のスピルバーグの次に名前が挙がる人物かもしれない。


ストーリーは、『アヴェンジャーズ』への伏線という課題をクリアしていくことを優先しているのか、中盤以降はかなりダイジェストな感じになっている。ヨーロッパ戦線の中でキャプテン・アメリカの活躍を描くという目的も、あまり上手く機能していないという印象。キャプテン・アメリカの部隊の立ち位置、ヒドラの立ち位置、なにをしているのか、なんで戦っているのかが、観ていてかなり分かり難いのは、ジョー・ジョンストンの仕事にしては、あまりよろしくなかった。もう少し、物語を要領よく纏めることができたはず。脚本の問題かもしれない。


また、これは、心ならずも国債購入キャンペーンのマスコットにされたロジャースのシークエンスが面白すぎるからかも。『父親たちの星条旗』みたいな描写だなぁと思ったけれど、実際にああいう感じだったのかもしれない。戦時国債購入キャンペーンのマスコットとして舞台に立つキャプテン・アメリカに、ヒトラーが後ろから忍び寄る場面で、子供たちが「後ろ後ろ〜」と声を掛けるところとか。志村か! と思うと同時に、アメリカでも定番のネタなんだねーと。


また、戦争中であるにもかかわらず、博覧会を開くアメリカの超大国ぶりも新鮮だった。日本だと「悲惨な戦争、悲惨な銃後」という感じに描かれがちだけれど、アメリカは豊かな空気を保ったままのように見える。もちろん、言論統制を厳しく強いて、戦争の現実を知らせないようにしていたらしいし、「悲惨な銃後」の描写はベトナム戦争インパクトが強いから、「古き良き」を描きやすいのかも。


キャプテン・アメリカが盾を持ったキャラクターだということもあって、ことあるごとに盾的なものを構える描写が多い。また、誰かの盾になる、身を挺して庇うキャラクターだという設定はよく描けていた。スーパーヒーローは時代時代ごとの価値観に強く影響されるわけで、その中で「バットマンにおけるダークナイト」のように、新しいヒーロー像を提示することによって、キャラクターの刷新を図ることは多いと思うが、キャプテン・アメリカのように「古き良き」を体現するキャラにも一定の需要はあるのだろう。それを観客が飲み込める工夫も随所にあった。


一方、その対比となるべきレッドスカルが、あまり魅力的ではないことが映画の一番の難点だ。なんというか、ナチスなのに格好良くない。超兵器とか、世界征服とか、オカルトと科学の融合とか、魅力的になる要素はいくらでもあるのに。これはストーリーが中盤以降ダイジェスト化してしまった悪影響を、露骨に受けたからだろう。


というか、ナチスがレーザーを撃つのはいかがなものか、と思ってしまった。ナチスで許されるのはサイボーグまで。ちなみにレッドスカルが「砂漠で発掘……」と言っているのは、『レイダース』オマージュだよね。ナチスの科学者ドクター・ゾラが印象的だし、レッドスカル役のヒューゴ・ウィーヴィングも悪かなったのに。


あと、エンドロールの第二次世界大戦風ポスターのデザイン! あのトーンでキャプテン・アメリカを観たかったなぁ。

『きっと、うまくいく』

名画座で鑑賞。パンフレットは、この映画単体のものでなかった(『4ボリウッド』という括りのパンフレットだった)ので購入していない。


【ストーリー】
インドの工科大学に入学した男は、驚くべき才能とユニークな考え方で、大学に波乱を巻き起こすが、彼には秘密があった……


【見所】
インドってなにもかもデカい!
と感じた映像美。優れたエンターテイメント映画で、満足度も高い。


【感想】
うん、良かった。
80点!


素晴らしいという評判は以前から聞いていたので、鑑賞するのが楽しみだった作品。久しぶりに休憩中断のある映画を見た(といっても、観たのは『七人の侍』だけ)し、インド映画を本気で鑑賞したのはこれが初めてだと思う。インド映画について僕が持つ浅はかなイメージ、「歌と踊りでとにかく楽しそう」というのは、実際そうだったけれども、それ以上に深い内容だった。インド映画と言えば「スーパースター」ラジニカーントしか知らないので、とにかく面白いという評判だけで観ることができたのも良かった。


教育を題材とした映画。発展途上のインドらしく創造性よりも暗記や就職を重視する工科大学で、天才が入学してきて波乱を巻き起こすという内容。「きっと、うまくいく」というのは、天才学生ランチョーの口癖。暗記教育中心の学校で、天才がいろいろな騒動を起こすというストーリー自体は、これまでハリウッドでも日本映画でも、漫画でもたくさん描かれてきた。発展途上国であるインドが、先進国になろうと葛藤するところで、創造性を獲得しようと頑張っている最中に、この映画が登場したのかなと。そういう意味では、「日本ではこの頃の話かなぁ」と連想しながら観てしまうし、現代的な普遍性も感じられた。


インド映画なので歌と踊りが要所要所で入るけれども、今作に関してはかなり控え目。この映画は、ランチョーを探す「現在」のパートと、ランチョーが大学で騒動を巻き起こす「過去」のパートの二つがあって、歌と踊りは過去の部分に限定されている。過去の部分に歌と踊りがあるということは、ファルハーンとラージュにとって楽しい思い出であることを表現しているのかなと思った。歌と踊りが挿入されるという「お約束」にも、ある程度の法則があるのは良い。


なにより、「笑って泣いて」という映画に求められる機能が全開になっているところも良かった。「親を敬う」という部分がかなりクローズアップされているのは、インド的な価値観の現れだろうか。また、「優秀であれば成功はついてくる」という主題が貫かれていることが、ご都合的な展開でも違和感なく観られる原動力になっている。ただ、ランチョーが余りにフリーダム過ぎるところは、個人的にはマイナス点だった。特に、チャトゥルに対する、スピーチの差し替えの話は、ちょっとあんまりじゃないかと思う。モラルの高さと、リテラシーの低さ、というマイナス点は、昔の映画や途上国の映画では多々観られる。


映像的な見所は、インドの風光明媚な景色がバンバン映るところ。特に、ラストの湖の美しさはとんでもなかった。インドといえば、コルカタの街並みとタージマハルしかイメージになかったけれど、大国に相応しい自然豊かな土地で、それを観るだけでも楽しい。大学もとんでもなくデカいし。


あと、最大の問題点としては、この映画のストーリーが世間を騒がせている「STEP細胞」を連想させるところにある。主人公が天才だから、このストーリーの帰結がハッピーエンドで終わったけれども、未熟であれば小保方氏になるのでは? 特に、卒業試験の問題をランチョーたちが盗むところは、それが意味するところは博士論文のコピペ以上のものがあるだけに、観ていて微妙な気分になった。もちろん、これは僕の中の問題なのだけれど、悪役として描かれる学長のほうが、人間としてまともじゃねーかと。『きっと、うまくいく』はインドの現在的な問題を描いているけれども、その解決として提示されていることにも問題があるよねぇ。


ただ、映画自体は本当に満足度が高くて、笑いあり涙あり、波乱万丈な展開で一瞬も飽きなかった。同時上映の映画もあったけれど、それを観る体力がなかったくらい。インド映画に興味があったら、一番最初に観るべき映画かもしれない。

『ウルフ・オブ・ウォールストリート』

映画館で鑑賞。パンフレットも購入。


【ストーリー】
90年代のウォール街を舞台に、詐欺同然の株式仲買人の、ドラッグ! セックス! 金儲け! の乱痴気騒ぎを描く。


【見所】
ドラッグ!
セックス!
金儲け!
つまりこの映画は全てが見所。


【感想】
100点!


超面白かった。71歳のマーティン・スコセッシが出してきた史上最高のパーティー映画。


前評判の高さと、タマフルの映画評を事前に聴いていたので、面白い映画なんだろうな〜と思って観ていたら、最初から最後までハイテンションで進むエクストリームな乱痴気騒ぎにお腹いっぱいになった。たぶん、ここ数年で一番笑った映画かもしれない。悪趣味、下品、羨ましい! それを3時間も観させられると、観ている側も壊れてくるよね。しかし、心地よい壊れ具合。満腹で、良いもん観たわ〜という帰り道だった。


監督はマーティン・スコセッシ。言わずとしれた『タクシードライバー』や『グッドフェローズ』の監督で、ほとんどレジェンドな人物なんだけれど、こんなに下衆で楽しい映画を作るとは! 本当に、老人が撮った映画で、こんなに知能指数の低いシーンを延々と観せられるとは思わなかった(ほめ言葉)。最初の小人を使った人間ダーツから、「この映画は徹底してこんな調子です」というテンションで、それが最後まで続くという極上さ。久々に観ないと人生を損するレベルの映画と出会えた。


とにかく、この映画は顔を真っ赤にしていきり立った、レオナルド・ディカプリオのやりすぎ演技を観るだけ。でも、ここに描かれるのは、堅実さや平等とは掛け離れてはいても、別の世界の頂点だ。なんにせよ、究極を観るのは超楽しい。


株式ブローカー、ジョーダン・ベルフォードが舌先三寸で電話を掛けまくり、クズ株でボロ儲けして、社員を鼓舞し、無茶苦茶なことをしまくる。その狂乱といってもいい世界に鑑賞していると自分も揉まれる気持ちになる。男も女もウォール街の祭典に熱狂して、DJであるディカプリオが「ファック!」とか「マザーファッカー!」と言うほどに、社員が全員「うぉおおおお!」と雄叫びを上げる。あれを観ると、誰でもカンフル剤を打たれたみたいになるはず。なんというか、ロックスターのステージを観るような感覚だ。


もしくは、『ヘルシング』の少佐の演説を聴いている雰囲気。



これが3時間続く、というのが一番近いと思う。


見所や、語りたくなるシーンは山ほどあって、ジョーダン・ベルフォードの先輩(マシュー・マコノヒー)が昼飯中に「んーん、んーん」と歌いながら株式ブローカーの仕事について語るところや、筋弛緩剤でグダグダになったディカプリオがランボルギーニに乗ろうとするところ、ボールペンを売ってみろと言うところなど、誰もが印象に残る場面はあるけれど、その他にも印象に残るシーンが誰にも1つ2つ〜5つくらいはあるはず。なにしろ、この映画は全編見所だけで作られた怪作なのだから。ディカプリオは役者としてとんでもない境地に入りつつあるとしみじみ思った。ジャック・ニコルソンみたいなキレ演技がとても素晴らしい。


僕が好きなシーンは、「ディカプリオがヴェニスというSM嬢にお尻にロウソクを突っ込まれて責められるシーン」「船上パーティーで、みんなで手を左右に振るシーン」「ディカプリオの引退撤回スピーチ」の3つは超良かった。前の2つは、よくもまあこんなバカなシーンを臆面もなく撮れるよなぁというスコセッシの凄み。後者の1つは人間の心を鼓舞するというディカプリオの凄みがあった。しんみりとしたスピーチから、引退を撤回して、あの「んーん、んーん」を全社員で胸を叩くという。アドレナリンが振り切るというのは、こういうことを言うんだろうなぁ。あと、フォーブス誌にこき下ろす記事を載せられた直後に、入社希望者が殺到するというシーンも笑えた。そりゃあ、社内でストリッパーが踊りまくる会社だったら、1ヵ月だけ働いてみたいと思うもの(1年働いたらたぶん死ぬ)


俳優陣はみんな良かった。脱ぎまくる女性たちのおっぱいの形の良さも最高。金魚を食べるジョナ・ヒルと、父親役のロブ・ライナーも印象深い。ディカプリオとロブ・ライナーの親子が、社長室で真剣な顔で「今の女は眉毛から下はツルツルで……」と話す場面のアホさにも爆笑した。ラストのセミナーのシーンに、司会者としてジョーダン・ベルフォード本人が出てくるけれど、その軽薄な感じも面白かった。ああいう顔じゃないと、こういうバカ騒ぎはできないよねぇ。パンフレットを読むと、ジョーダン・ベルフォードとレオナルド・ディカプリオは、意気投合して2人で遊びにいったりしたとか。


欠点はほとんどない。3時間もの映画は、観る前は尻込みしてしまうし、観ていて中だるみを感じるときも多々あるけれど、この映画に関してはまったくそう言うことを感じなかった。たぶん、相性が良かったという面が大きいとは思うけれど。予告編にあったような、スコセッシといえば思い浮かぶような犯罪映画っぽさは、意外になかった。もちろん、人間を宙吊りにしたりもするものの、そう言うのが見せ場にはなっていない。見せ場は、とことんディカプリオの独演会だ。そして、「狼は生きろ、豚は死ね」的な世界観にどれだけ乗れるかが試される。スコセッシはパンフレットで現代批評性のある映画のように語っているけれど、どう考えてもそんなつもりで監督していないのは明白だ


とにかく主張もなにもないし、ドラッグ・セックス・金儲けだけの映画。なのに最高! バーホーベンの専売特許だった下品さ下衆さを、スコセッシが奪い取った作品として記憶に残るはず。日本で、同年代の映画監督がこの映画を撮影できるだろうか? と考えると、スコセッシは相当ぶっ飛んでいる。宮崎駿が描く『ウルフ・オブ・ウォールストリート』とか考えられないし。そして、「ファック」と劇中に500回も言ってるだけあって、それに見合う破格な映画になったと思う。ただ、18禁映画だし、女性がこの映画を鑑賞して楽しめるかと言うと微妙かも。でも、男は漢になれる映画だ。そして、男なら、今すぐ『ウルフ・オブ・ウォールストリート』を観て、地下鉄で帰る人生にパンチを打ち込むべきだ。


パンフレットは値段に見合った内容。コラムが3つあるのはお得。


【おまけ】
意外に他のブログや感想を読んでみると、「倫理的にどうか」という内容が多くて驚いてしまった。たしかに、この映画に倫理は求められないのだけれども、実際『ウルフ・オブ・ウォールストリート』の世界は、別の惑星の物語のようなもので、もはや倫理などを超越していると言っても過言ではない。また、昨今の格差やオキュパイド・ウォールストリートのニュースなどから、スコセッシが金持ち側を描くことに疑問を持つ向きもあるが、この映画は「生き方」についての映画であり、社会批評性を持たないのは、被害者側を最後の最後まで描かないことからも明らかだろう。


また、この映画はウォール街に生きる「狼」の生態を、普通ならまったく接点のない下々が観ることができるという意味で、非常に価値がある映画だと思う。敵を知ることこそ、戦いで勝利する唯一の道。そして、ビルのてっぺんで乱痴気騒ぎをしている様を暴露することは、最も効果的な抵抗であるとも言えるのでは?

『アメリカン・ハッスル』

映画館で鑑賞。パンフレットを購入。


【ストーリー】
FBIが詐欺師を雇って、悪徳政治家の収賄現場を撮影した「アブキャズム事件」を脚色して映画化。



【見所】
70年代テイスト。
先の読めないストーリー。
クリスチャン・ベールのメタボハゲぶり。


【感想】
80点!


かなり王道なコン・ゲームを題材にした映画。実際にあった事件「アブキャズム事件」をかなり脚色している。アメリカのほうでは、この事件の知名度ってどれくらいなんだろう? 日本で言えばロッキード事件リクルート事件のようなものか。当時は大きく世の中を騒がせたけれども、今では過去のものになっている……みたいな。大まかな概要は知られているけれども、詳細は知られていない話というのは、映画向きな題材のように思える。


監督はデビッド・O・ラッセル。この人の映画は『スリー・キングス』を見たくらいで、コメディ・ドラマの名手というイメージがある。僕の評価は高い。傑作映画の黄金年だった1999年でも、屈指の名作だった『スリー・キングス』の監督だけあって、『アメリカン・ハッスル』も面白いだろうなぁと期待感高めに鑑賞した。前評判やアカデミー賞の賞レースのことも知っていたし、前年の『アルゴ』など、1970年代テイストの知的な映画がきているという感じもあったし。


題名が『アメリカン・ハッスル』で、映画の内容は全然ハッスルしていないのだけれど、これは邦題をもっと頑張ったほうが良かったように思える。調べてみると、ハッスルという言葉には「ごり押し」とか「不正な手段で金儲け」という意味があるらしい。なるほど、そういう意味であれば、この映画の題名としてピッタリだ。でも、題名の『アメリカン・ハッスル』をその通りに読み取れる日本人が、そんなにいるとは思えない。ここは、安易なカタカナ邦題が足を引っ張っているようにも感じられた。


というか、この映画はアメリカの裏社会についての知識がちょっとくらいあったほうが面白いと思う。つまり、日本人では面白さも半減かな? 中盤から「ランスキーの右腕」という人物が出てくるけれども、ランスキーが誰か分からないと、どれくらいヤバい相手なのかが理解できないだろうし。


ストーリーは、禿散らかしたクリスチャン・ベールが、カツラや髪の毛を動かして、ふさふさに見えるようにセットする場面からはじまる。登場一発目で詐欺師のイカサマや、虚飾を暴露する演出は上手いと思った。その彼がクリーニング屋を経営しているというのも、いろいろと示唆的。他人の服を綺麗にする、他人のものを着服する、サイドビジネスイカサマ画商をしているというのも同様に。豊かさや華やかさに憧れて、そこに本当の自分があると考える主人公と愛人の痛々しさが身に染みた。


キャスティングはあまり気にせずに鑑賞したので、クリスチャン・ベールのメタボハゲ演技は本人であることに最初三十分くらいは気付かなかったほど。サングラスとかヒゲとか生やしているし、パーティーの場面の臆面もなく出てくるぶよぶよな肉体は、デニーロ・アプローチ的にスゴいと思った。もちろん、肉襦袢みたいなものを着けているのだろうけれど、似合うように全体を増量しないといけないから。


ストーリーは、巻き込まれ型のコン・ゲーム映画の王道のように進む。ケチな悪党が、危ない橋を渡らされそうになって、その危なさが加速度的に巨大になってしまう……という内容。イケイケのFBIの捜査員や、聞き分けのない主人公の妻、思ったよりも市民のことを第一に考えている市長などに囲まれて、にっちもさっちもいかなくなるが一発逆転の手段を思いつく。ストーリーはかなり整理されたものになっていて、突飛な展開などはほぼないのに、どんどん先行きが不透明に予測不能になるのは良かった。


印象深かったのは、意外に清廉で市民のことを一番に考えている政治家カーティス。最初はエルヴィス・プレスリーのパチモンみたいな人だったのに、騙すにはちょっとどうかというくらいに政治家として立派な人なのは、これまでの映画にない新鮮な視点だった。というか、実際もこういう政治家が大半だと思う。逆に言えば、そうでなければ政治家としてやっていけないはずだ。で、そのカーティスの熱意や善意を利用して、アブキャズムを仕掛けるFBIはさすがにやりすぎのように思えた。この辺りのことは、実際のアブキャズム事件でも大問題になったらしい。


あと、主人公の愛人を演じたエイミー・アダムスと、妻役を演じたジェニファー・ローレンスが良かった。ジェニファー・ローレンスのパーなビッチ役は最高だった。しかも、若いのに滲み出るおばさん臭とか。『007 死ぬのは奴らだ』の音楽にあわせて踊り狂う場面も良かった。この映画は70年代の音楽が効果的に使われているけれども、その中でもテンション的にもバカっぽさ的にも最高な場面だったと思う。


見終わって思ったのは、「政治がグレーな部分に手を突っ込んだらダメだなぁ」ということ。カーティス市長は雇用を生み出すためにカジノを誘致しようとするが、その志は結局FBIとマフィアの両方を引き寄せてしまう。清濁併せ持つというよりも、清濁を飲まざるをえない状況を作ったカーティス市長のカジノ計画が、そもそもダメだったのだろうなぁと。で、現実を観てみると、日本でもカジノ計画があって、ヤクザを関わらせない仕組みを作ることや、莫大な経済効果が謳われているけれども、そんなことが果たして可能なのかという気がしてくる。公営ギャンブルのノウハウがあるから、上手くいくかもしれないけれど。


点数については、良い映画なんだけれど、コン・ゲーム映画としてのカタルシスが弱いのでこの点数。アカデミー賞にノミネートされるのは妥当だけれど、受賞はしないのでは? と思ったり。アメリカ人であれば、この映画の機微のようなものが、もっと堪能できたかもしれない。


パンフレットは、料金以上の内容があったと思う。町山智浩氏の解説が入っていると、グッと読み応えがあがるよね。

『スノーピアサー』

映画館で鑑賞。パンフレットも購入。


【ストーリー】
すべてが凍結した世界で唯一走る列車版ノアの方舟『スノーピアサー』で、最後尾の虐げられた人々が反乱を起こす。



【見所】
涙ぐましい貧乏人描写。
むかつく金持ち描写。
そして、笑える不条理描写。


【感想】
85点!


面白い映画だった〜というのが一番の感想。


フランスのバンドデシネが原作の映画を、韓国映画界の巨匠と言ってもいいポン・ジュノが監督・脚本した異色作。クリス・エヴァンスとかエド・ハリスが出てくるので、てっきりハリウッド資本の映画かと思ったら、制作がパク・チャヌクだし、企画自体がポン・ジュノから出ているみたい。韓国は国内シュアが小さいので、最初から世界戦略を練らないといけない環境にあるらしく、この『スノーピアサー』はその中でも海外戦略を重視している作品のように思える。ほとんど英語だしね。


地球温暖化対策で、冷却化する物質を空に撒いたら氷河期になったという、やぶ蛇な近未来で、世界を一年掛けて一周する列車スノーピアサーは現代のノアの方舟として走り続けていた……という世界観からして、心躍るものがある。でも、実際のところ、この「列車版ノアの方舟」というアイデアは、かなり実写にする上で難しいものだったと思う。列車という空間をいくらでも巨大に描くこともできただろうけれど、そこをギリギリ現実的なサイズに収めつつ、山あり谷ありなストーリー展開ができるようにするには、かなり周到な計算が必要だったはず。冷静に考えれば、あれだけの設備で18年も走りつづけるというのは、無理な気もするけれど。


ストーリーのほとんどは、「弱者が立ち上がり、強者を倒すために前に進む」ということだけに費やされる。列車という舞台設定が、「格差・階級」をどうしても連想させるものになっていて、そこが映画的に十分表現できるかが勝負の分かれ目と言える。で、この点に関しては、ポン・ジュノが監督と脚本まで担当しているので、本当に上手いとしか言いようがない。とにかく、最後尾車両に住む貧乏人乗客たちと、最前列に住む金持ち乗客たちの対比が上手い。ソン・ガンホが煙草を吸うときに、煙をみんなで吸い込む描写は最高だった。


一方で、むかつく金持ち描写も良くて、それはほとんどメイソン総理を演じたティルダ・スウィントンが背負っている。怪演といってもいいほど印象強いキャラで、『スノーピアサー』の人物造形として漫画っぽい部分も担っている。このキャラクターがいるからこそ、キャラクターごとの行動原理や「実はこうでした」な真相も、リアリティのハードルを低く観ることができるようになっている。あと、小学校のむかつくクソガキと先生のパッパラパーぶりも良かった。オチを考えると、あの子供たちも全員死ぬんだよねー。金持ち死すべしな展開は実にスカッと爽やかな気持ちにさせてくれる。


ラスボスであるエド・ハリスの、「色々説得力あることを言ってるけれど、やってることは児童労働」という問答無用な悪の描写も良かった。やっちゃいかんだろうと、一瞬で正気に戻る主人公(笑)とか。あれ、子供やプロテイン作りの男とか、ロボトミー手術を受けているという裏設定があったのでは?


個人的に良かったところは、斧軍団との激突のシークエンス。扉が開いてからの、列車を埋め尽くす斧軍団→(なぜか)鯰の腹を切り裂く斧軍団→激突→いきなり新年のカウントダウン→メイソン総理登場→暗闇の戦い→聖火ランナーの登場から大逆転……の展開は超テンションが上がる。ここでボルテージがMAXになってしまって、それ以降の展開がちょっとダレていると感じたくらい。でも、この後も「金持ち車両」に移って、寿司を食べたり、小学校のクソガキに憤慨したりと、見せ場は多い。


逆に、ちょっとなぁと思ったのは、金持ち車両の退廃的な描写。バーくらいまでは良かったけれど、クラブから阿片窟みたいな場所にいたって最前列のエンジンルームに到着ってどうなんだと。あそこにいる人々も無意味に多く感じられるし。最後尾の人々よりも最前列の人々のほうが数が多そうというのも、ちょっとだけ気になった。あと、クロノールで扉を爆発して外に脱出って、別に先頭に行かなくても(扉じゃなくても)できるよね……と思ったり。ソン・ガンホは扉を爆破して外に出るつもりだったけれど、走行途中の列車から飛び出るのは無理じゃないかなぁと。


最後に、この内容を日本映画で作ることができるのか、ということを考えさせられた。アニメ映画であれば、描けるはずだけれど、実写映画では不可能じゃないか。英語と韓国語が交差する描写を最後まで貫く、演出の確かさと、脚本の妙、そして王道のエンターテイメントを堂々と世に出す監督力のどれをとっても、日本映画と韓国映画の差は開いたなぁと実感した。国内市場があるということは、クリエイティブに関してプラスに働くことが多いけれど、一方で「ぬるま湯」的な状況も生み出すのでは? と思ったり。



パンフレットは、もう少し列車を意識したルックにするとか、いろいろとやりようがあったような気がする。内容的にはギリギリ及第点といった感じか。ここは、映画のほうは最高だったから、パンフレットも力を入れてほしかった。原作のバンドデシネも読んでみたいと思う。