『忘れられた日本人』

まず、この本の筆者について簡単に述べたいと思う。この本の筆者、宮本常一は、民俗学者であり、山口県大島郡東和町生まれ。大阪府天王寺師範学校卒業後、大阪府下小学校、奈良県郡山中学校教員歴任のかたわら近畿民俗学会で活躍。柳田邦夫渋沢敬三に認められ1939年に上京した。渋沢の主宰するアチック・ミューゼアム(後の日本常民文化研究所)研究所員となり、以来全国各地を調査、その足跡は日本の隅々に及ぶ。各地で農業および生活改善にかかわる教育指導を実践。またその調査研究は社会・経済・文化各領域にわたり、独特の民俗学を確立。さらに民具学、旅学、島嶼学を提唱した。一方、全国離島振興協議会、林業金融調査会、日本観光文化研究所等の設立運営に尽力した。1964〜77年武蔵野美術大学教授を務めた。文学博士である。
 
筆者は、自伝的な文章として、『民俗学への道』(岩崎書店、1955年)に収められた「あるいてきた道」と、それから20年ほど後に公刊された『民俗学の旅』(文藝春秋、1978年)を書いている。これは、自伝そのものといえるような文章であるそうだが、ここから筆者がどのように民俗学と関わり、この本を書くに至ったかに関して知ることができる。これらの自伝ともいえる文章をみると、筆者が権威をもつと考えられるこれまでの民俗学に対抗し、泥にまみれた庶民の生活そのものの中に、人の生きる明るさ、たくましさをとらえようとする自らの「民俗学への道」をもっていたということがわかる。そのような民俗学への筆者の姿勢から、この『忘れられた日本人』という本が書かれたのである。