岩波現代文庫の2冊と内容はほぼ一緒だと思う。
が、ハードカバーのこの本の誌面の味わいは文庫とは異なった趣がある。
論語の日本語訳・解釈としては、宮崎氏のものが最も優れている。論語ファンなら絶対、所有すべき本である。
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論語の新研究 単行本 – 1974/6/20
宮崎 市定
(著)
論語の新研究
- 本の長さ388ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日1974/6/20
- ISBN-104000025503
- ISBN-13978-4000025508
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (1974/6/20)
- 発売日 : 1974/6/20
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 388ページ
- ISBN-10 : 4000025503
- ISBN-13 : 978-4000025508
- Amazon 売れ筋ランキング: - 321,814位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 124位中国の思想(一般)関連書籍
- - 445位東洋哲学入門
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2010年10月5日に日本でレビュー済み
宮崎市定の力量が遺憾なく発揮された研究書である。宮崎は論語の古い形式、解釈
を探求した。冒頭の「學而時習之」は、一般に「学問あるいは聖賢の道を学び、あ
とで復習する」と解されるが、宮崎は「礼を学び、時を決めて皆で集まり実演する」
と解する。孔子は礼の師であり、弟子に礼を教え諸侯の求めに応じ仕官させていた
からだ。(孔子から十数代ののち、司馬遷は魯の孔子旧宅で礼の実習を目撃した。)
論語には不明瞭な文がいくつかある。例えば、學而篇の「賢賢易色」。従来の解釈
は、「賢人を尊んで好色にかえよ」とか「賢人を賢人として美人を好むように」と
か、どれもしっくりしない。宮崎は、これを古典の引用と解し、「賢賢たるかな易
(トカゲ) の色や (蜴は周囲に応じて色が変わる)」と読む。そして 人間も環境によ
って孝子となり、忠臣となり、親友となると説く。これなら引用文の意味と本文の
つながりがよくわかる。
論語は儒教の聖典であり、本文の訂正は許されない。そのため、不自然な解釈が長
年にわたりまかり通ってきた。宮崎はあえてタブーを破り、誤字、句読の訂正に挑
んだ。厳密な史料批判の結果、すらすら意味が通るようになった箇所は十指に余る。
例えば、里仁第四の「不患無位。患所以立」は、シンタックス上から「患無以立」
に改めた。「地位を得るための正しい方法を気にかける」よりも「地位に立つだけ
の実力のないことを患うる」ほうがすっきりする。同様に「求為可知也」は「患無
可知也」のほうがよい。儒者からは異端視されるかもしれないが、一般読者にはわ
かりやすい。
を探求した。冒頭の「學而時習之」は、一般に「学問あるいは聖賢の道を学び、あ
とで復習する」と解されるが、宮崎は「礼を学び、時を決めて皆で集まり実演する」
と解する。孔子は礼の師であり、弟子に礼を教え諸侯の求めに応じ仕官させていた
からだ。(孔子から十数代ののち、司馬遷は魯の孔子旧宅で礼の実習を目撃した。)
論語には不明瞭な文がいくつかある。例えば、學而篇の「賢賢易色」。従来の解釈
は、「賢人を尊んで好色にかえよ」とか「賢人を賢人として美人を好むように」と
か、どれもしっくりしない。宮崎は、これを古典の引用と解し、「賢賢たるかな易
(トカゲ) の色や (蜴は周囲に応じて色が変わる)」と読む。そして 人間も環境によ
って孝子となり、忠臣となり、親友となると説く。これなら引用文の意味と本文の
つながりがよくわかる。
論語は儒教の聖典であり、本文の訂正は許されない。そのため、不自然な解釈が長
年にわたりまかり通ってきた。宮崎はあえてタブーを破り、誤字、句読の訂正に挑
んだ。厳密な史料批判の結果、すらすら意味が通るようになった箇所は十指に余る。
例えば、里仁第四の「不患無位。患所以立」は、シンタックス上から「患無以立」
に改めた。「地位を得るための正しい方法を気にかける」よりも「地位に立つだけ
の実力のないことを患うる」ほうがすっきりする。同様に「求為可知也」は「患無
可知也」のほうがよい。儒者からは異端視されるかもしれないが、一般読者にはわ
かりやすい。
2002年11月22日に日本でレビュー済み
原典に忠実に論語を解釈する。前半は論語原典とその解説書、それに伴う学問のの歴史を述べる。後半は白文、書き下し文、訳文。ところどころに著者の意見が述べてある。いままでいくつかの文庫の論語しか読んだことのないわたくしには人それぞれの読み方、解釈の仕方があるのを知って、とても新鮮であった。
正字、現代かな遣いなのが調和がとれていず、読みづらいし、見ため目も悪い。るびがふっていないのは少々つらい。
正字、現代かな遣いなのが調和がとれていず、読みづらいし、見ため目も悪い。るびがふっていないのは少々つらい。