はじめに
日本的いじめの特色
被害者の属性の違いの影響
◆確信派と付和雷同型
社会問題としてのいじめ
権威による正当化
いじめを許す意識の背後にあるもの
いじめは傍観者の数と相関する
傍観者の背景をさぐる
核家族における子ども中心主義
子どもへの過剰投資
就きたい職業なしの比率
傍観者タイプの典型とは
いじめを黙認するようになるまで
友好的中立を保つ傍観者
いじめを容認する二つのメカニズム
周囲の様子を見て態度を決める
◆雪だるま式の増加
認知的不協和の克服
傍観正当化への圧力
いじめにどう対処したらよいのか
ホッブズ
信頼感の有無と傍観者層の形成
受験競争といじめ
電脳メディアの影響
管理主義教育の影響
いじめが起きたあとの対処
慎重なクラス替え
いじめは誰にでも起こる
いじめ調査の動機
ブラックリストにのせられて
伝聞に基づく討議
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いじめを許す心理 単行本 – 1998/2/6
正高 信男
(著)
いじめはなぜ起こるのか? いじめの成立には加害者と被害者だけでなく,それを黙認する傍観者の存在が決定的な役割を果たしていることを,本書は実証的に明らかにする.そしてなぜ傍観的態度をとるようになるのか,その心理メカニズムを掘り下げ,いじめ問題解決への方途を探る.いじめに関する誤解を解き,新たな光を当てる1冊.
- 本の長さ218ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日1998/2/6
- ISBN-104000027832
- ISBN-13978-4000027830
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
日本的いじめの成立には、加害者と被害者だけでなく、それを黙認する傍観者の存在が決定的な役割を果たしている。なぜ傍観的態度をとるようになるのか、その心理メカニズムを掘り下げ、解決への方途を探る。
登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (1998/2/6)
- 発売日 : 1998/2/6
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 218ページ
- ISBN-10 : 4000027832
- ISBN-13 : 978-4000027830
- Amazon 売れ筋ランキング: - 855,863位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 3,050位教育学 (本)
- カスタマーレビュー:
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2006年10月28日に日本でレビュー済み
本書の秀逸な点は、いじめ問題に統計分析で斬り込んでいると言う点もさることながら、統計分析の考え方を統計分析の専門用語をほとんど全く使わずに説明している点である。そういう意味では統計学入門の参考書としてきわめて秀逸。
ただし逆に統計の専門用語が出ていこないので、統計学の勉強として読むには、統計学の入門書を横に置きながら、ここで説明していることは、統計学における××という概念だな、と確認しながら読んでいく必要があるが...
ぜひ復刊を期待したい
ただし逆に統計の専門用語が出ていこないので、統計学の勉強として読むには、統計学の入門書を横に置きながら、ここで説明していることは、統計学における××という概念だな、と確認しながら読んでいく必要があるが...
ぜひ復刊を期待したい
2005年1月11日に日本でレビュー済み
~いじめの問題が報道されると、コメンテータがやたら多いバラエティ崩れの報道番組では、「みんなで考えてゆかなければならない問題です」といったうんざりするコメントがだされることが多い。そのときに、「で、どう考えればいいんだろう?」と一度でも思った人は、必ず楽しめる本だ。アンケート調査を基に、いじめのパターンやいじめを見過ごす行為の背景、~~いじめを見過ごしやすい人の社会背景、またなぜいじめが止められたり止められなかったりするかが、しっかり描かれている。これがおもしろい。
さて、親の職業は「農林業」か「会社員」のとき、どちらがいじめを見過ごしやすい子供のどちらが多いか。では「核家族」と「非核家族」ではどうか。こういった情報が提示されている。考えさせられながら、時々納得~~させられる本。~
さて、親の職業は「農林業」か「会社員」のとき、どちらがいじめを見過ごしやすい子供のどちらが多いか。では「核家族」と「非核家族」ではどうか。こういった情報が提示されている。考えさせられながら、時々納得~~させられる本。~
2017年4月20日に日本でレビュー済み
※「霊長類研究所」所属の著者ですが、「ヒトの乳児のコミュニケーションをもっぱら調べている」(188ページ)とのことですから、ヒトの子どもは、歴とした研究対象なのでしょう。
教師として、実際の子どもたちの教育に携わっていない研究者が、「質問紙」の配布と回収という調査方法に頼った研究成果を中心に、「いじめ」の発生原因に迫っている、という点に、本書の問題点がみられます。この調査は、数値を出してグラフにしたものを見ながらの研究へと導くものですから、回答する子どもたちが、「調査されていること」に反感を持って、正直に回答していなければ、何の価値も生み出し得ない、というリスクがあります。
ですが、それと同時に、学校の生徒と教師にとっては、まったくの第三者である研究者ならではの分析結果にも、それなりの発見があることを示してくれている、という長所もあるように思われます。可能な限り、たくさんの中学校の了承を得て、授業終了後のホームルームの時間に「質問紙」を配ってもらえば、日本での調査結果と、イギリスやグァテマラなどの外国との差異が浮かび上がってきます。
「被害者」(いじめられる子)の特質が、「肥満」「優等生」「自分勝手」「嘘つき」の四類型(あるいはその混合型)だけに絞られている点については、理由もないのに、クラスのあらゆる子が、ロールプレイのように「被害者」にも「加害者」にもなる、「現代のいじめ」問題を解決するための資料にはなりづらいのではないか、と考えられますが、参考にはなる事例といえそうです。
いじめる子、いじめられている子、傍観者の三者がいるなかで、いじめが発生した当初、どれだけの傍観者が、いじめに反対する行動に出るのか、というパーセンテージが、いじめを止められるかどうかの目安になる、というのが、著者の結論であるようです。日本の場合は、自分の信念よりも、周囲の反応を見て、その多数派に付和雷同する傾向が強いそうです。いまでもこれは、大人の社会でまかり通っていることなのではないでしょうか。
新学期が始まるクラス替え直後、親しかった友達と同じクラスになれなかった場合に、その子が孤立したり、いじめに遭う可能性が高いことも、指摘しています。この点などは、中学校時代の自分にも覚えがあるので、共感できました。
本書は、1998年の刊行。当時から、たくさんの「いじめ」を扱った著作があるわけですが、本書のいちばんユニークなところは、最終章の「いじめは誰にでも起こる」のなかで、著者の同僚(新進気鋭の心理学者)が遭った「いじめ」の事例が、実に詳しく、順を追って、紹介されている点ではないか、と思われます。
研究者は、学会誌への論文投稿をおこない、掲載されることで、業績を伸ばしてゆくのですが、独創的な内容の論文ほど、掲載の可否を決める編集員の「誰か」から妬まれ、妨害されることが多いものなのです。他ならぬ、私自身も、何度か、その手のイジワルを体験したことがありますが、その都度、奮闘努力して、匿名の査読者が反論できないような反撃(より周到な修正・加筆など)を行なうことで、掲載にまでこぎつけたことがあります。
本書に登場する心理学者のA氏の論文(X氏との共著)は、残念ながら、編集委員会の「いじめ」傍観者たちが「誰か」の嫌がらせを止めなかったために、「却下」されてしまいました。前例のないテーマを扱った論文でしたが、それを快く思わない、たった一人のために!
いわゆる「学者の世界」には、世間の方々にはわかって頂けないダークな面があるのですが、それを、子どものあいだの「いじめ」に関する著書のなかで明かした著作は、日本では、本書が初めてなのではないでしょうか。
要するに、いじめは、子どもの世界にだけ発生するものではないのだ、という真実を突き付けて、本書は終わっているのです。
ならば、「学者の世界」以外の、あらゆる職場での「いじめ」についても、研究の余地がありそうです。
いまもなお、職場での「ハラスメント」問題については、それらを積極的に解決してゆこうという機運は、なかなか熟していないようです。その原因は恐らく、本書の著者がいうように、事なかれ主義で、保身にばかり熱心になる「傍観者」タイプの人間が、大勢を占めているからなのでしょう。
こどもの「いじめ」について書かれた本を読むと、大抵は、親は、大人たちは、子どもにどう接すればよいのか、というスタンスばかりが目立っているのですが、本書の場合は、上述したような、同僚の受けた「いじめ」にも、日本社会の病巣をみることによって、「いじめ」を大人たち相互の問題としても、掘り下げています。
20年も前の刊行物ながら、現代社会にも十分に通じる点が多く、昔の事例として、見過ごすことができない点が数多く指摘されています。第四章の、小説『蠅の王』(ウィリアム・ゴールディング著)や、ホッブズの社会契約論などとからめながらの論述などは、研究者ならではの興味深い内容になっています。
●目次を以下に写してみましょう(章ごとの多くの項目は、省略させていただきます):
はじめに
第一章 日本的いじめの特色
第二章 いじめを許す意識の背後にあるもの
第三章 いじめを黙認するようになるまで
第四章 いじめにどう対処したらよいのか
最終章 いじめは誰にでも起こる
おわりに
参考文献
●教育現場を経験していない研究者も、渾身の努力を試みれば、このような著作になるのだ、という一つの事例として、関心のある方々には、御一読をお薦めいたします。
教師として、実際の子どもたちの教育に携わっていない研究者が、「質問紙」の配布と回収という調査方法に頼った研究成果を中心に、「いじめ」の発生原因に迫っている、という点に、本書の問題点がみられます。この調査は、数値を出してグラフにしたものを見ながらの研究へと導くものですから、回答する子どもたちが、「調査されていること」に反感を持って、正直に回答していなければ、何の価値も生み出し得ない、というリスクがあります。
ですが、それと同時に、学校の生徒と教師にとっては、まったくの第三者である研究者ならではの分析結果にも、それなりの発見があることを示してくれている、という長所もあるように思われます。可能な限り、たくさんの中学校の了承を得て、授業終了後のホームルームの時間に「質問紙」を配ってもらえば、日本での調査結果と、イギリスやグァテマラなどの外国との差異が浮かび上がってきます。
「被害者」(いじめられる子)の特質が、「肥満」「優等生」「自分勝手」「嘘つき」の四類型(あるいはその混合型)だけに絞られている点については、理由もないのに、クラスのあらゆる子が、ロールプレイのように「被害者」にも「加害者」にもなる、「現代のいじめ」問題を解決するための資料にはなりづらいのではないか、と考えられますが、参考にはなる事例といえそうです。
いじめる子、いじめられている子、傍観者の三者がいるなかで、いじめが発生した当初、どれだけの傍観者が、いじめに反対する行動に出るのか、というパーセンテージが、いじめを止められるかどうかの目安になる、というのが、著者の結論であるようです。日本の場合は、自分の信念よりも、周囲の反応を見て、その多数派に付和雷同する傾向が強いそうです。いまでもこれは、大人の社会でまかり通っていることなのではないでしょうか。
新学期が始まるクラス替え直後、親しかった友達と同じクラスになれなかった場合に、その子が孤立したり、いじめに遭う可能性が高いことも、指摘しています。この点などは、中学校時代の自分にも覚えがあるので、共感できました。
本書は、1998年の刊行。当時から、たくさんの「いじめ」を扱った著作があるわけですが、本書のいちばんユニークなところは、最終章の「いじめは誰にでも起こる」のなかで、著者の同僚(新進気鋭の心理学者)が遭った「いじめ」の事例が、実に詳しく、順を追って、紹介されている点ではないか、と思われます。
研究者は、学会誌への論文投稿をおこない、掲載されることで、業績を伸ばしてゆくのですが、独創的な内容の論文ほど、掲載の可否を決める編集員の「誰か」から妬まれ、妨害されることが多いものなのです。他ならぬ、私自身も、何度か、その手のイジワルを体験したことがありますが、その都度、奮闘努力して、匿名の査読者が反論できないような反撃(より周到な修正・加筆など)を行なうことで、掲載にまでこぎつけたことがあります。
本書に登場する心理学者のA氏の論文(X氏との共著)は、残念ながら、編集委員会の「いじめ」傍観者たちが「誰か」の嫌がらせを止めなかったために、「却下」されてしまいました。前例のないテーマを扱った論文でしたが、それを快く思わない、たった一人のために!
いわゆる「学者の世界」には、世間の方々にはわかって頂けないダークな面があるのですが、それを、子どものあいだの「いじめ」に関する著書のなかで明かした著作は、日本では、本書が初めてなのではないでしょうか。
要するに、いじめは、子どもの世界にだけ発生するものではないのだ、という真実を突き付けて、本書は終わっているのです。
ならば、「学者の世界」以外の、あらゆる職場での「いじめ」についても、研究の余地がありそうです。
いまもなお、職場での「ハラスメント」問題については、それらを積極的に解決してゆこうという機運は、なかなか熟していないようです。その原因は恐らく、本書の著者がいうように、事なかれ主義で、保身にばかり熱心になる「傍観者」タイプの人間が、大勢を占めているからなのでしょう。
こどもの「いじめ」について書かれた本を読むと、大抵は、親は、大人たちは、子どもにどう接すればよいのか、というスタンスばかりが目立っているのですが、本書の場合は、上述したような、同僚の受けた「いじめ」にも、日本社会の病巣をみることによって、「いじめ」を大人たち相互の問題としても、掘り下げています。
20年も前の刊行物ながら、現代社会にも十分に通じる点が多く、昔の事例として、見過ごすことができない点が数多く指摘されています。第四章の、小説『蠅の王』(ウィリアム・ゴールディング著)や、ホッブズの社会契約論などとからめながらの論述などは、研究者ならではの興味深い内容になっています。
●目次を以下に写してみましょう(章ごとの多くの項目は、省略させていただきます):
はじめに
第一章 日本的いじめの特色
第二章 いじめを許す意識の背後にあるもの
第三章 いじめを黙認するようになるまで
第四章 いじめにどう対処したらよいのか
最終章 いじめは誰にでも起こる
おわりに
参考文献
●教育現場を経験していない研究者も、渾身の努力を試みれば、このような著作になるのだ、という一つの事例として、関心のある方々には、御一読をお薦めいたします。