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だれのための仕事: 労働VS余暇を超えて (21世紀問題群ブックス 9) 単行本 – 1996/3/16
鷲田 清一
(著)
愉しい仕事もあれば,辛い遊びもあるというように,現代都市生活では,旧来の労働と余暇の対比が無意味となることが増えている.われわれの活動とその価値はどのように方向づけられるのか.人間性の深みにおりて,労働観・余暇観の歴史をふりかえり,ポスト産業社会における人間活動の未来を予測する.
- 本の長さ181ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日1996/3/16
- ISBN-10400004429X
- ISBN-13978-4000044295
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (1996/3/16)
- 発売日 : 1996/3/16
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 181ページ
- ISBN-10 : 400004429X
- ISBN-13 : 978-4000044295
- Amazon 売れ筋ランキング: - 84,391位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 106位労働問題社会学
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2012年2月17日に日本でレビュー済み
鷲田は労働と遊びの二項対立の解体に取り組む。労働は苦役となって意義が見失われ、遊びは
労働の合間の余暇になり下がってしまった。この二項対立を克服するために鷲田は、目的論を
離れて労働そのものに意味を見い出すべきだと唱え、具体的な方法をふたつ提示する。家事と
ボランティアである。共通項は、自分が他人にとって意味があるということを確認させてくれ
ることだ。常に何かへ向かい、他人とかかわることで自分のアイデンティティを生成している
という感覚を得られる点に労働の意義が見出されるという。
本書の議論は納得がいくものだが、結論はものたりない。二項対立の一項「遊び」がないがし
ろにされているし、目的論(労働の手段化)ではなく生成途上の感覚に生の充実があるという
主張については、刹那主義に陥るのではないかという疑問がぬぐえない。
本書が1996年に岩波書店から刊行されて15年しか経っていない。しかし、景気のさらなる悪化、
9・11やグローバリゼーション、東日本大震災を経て、時代は変わってしまったという感がある。
こうした現状を踏まえてか、鷲田は本書を2011年に講談社学術文庫から再版するに当たり、
補章を加えて現代の事象に対する解説を行っている。たとえば若者は労働で「自分探し」
の欲望を抱いているが、労働は自分の能力の限界との格闘であり、労働の意味づけをたえず問
い続けることが重要だという。この補章の議論は、本書の議論とあまり整合性が取れていない。
非正規雇用や過酷な労働環境という現状で、ひとは「生きがい」や「自己発見・実現」を労働
に見出すことができるのだろうか。鷲田には、補章で示された現状認識を踏まえて、本書の主
張を改めて語り直して欲しかった。良書であるだけに、その点が惜しまれる。
労働の合間の余暇になり下がってしまった。この二項対立を克服するために鷲田は、目的論を
離れて労働そのものに意味を見い出すべきだと唱え、具体的な方法をふたつ提示する。家事と
ボランティアである。共通項は、自分が他人にとって意味があるということを確認させてくれ
ることだ。常に何かへ向かい、他人とかかわることで自分のアイデンティティを生成している
という感覚を得られる点に労働の意義が見出されるという。
本書の議論は納得がいくものだが、結論はものたりない。二項対立の一項「遊び」がないがし
ろにされているし、目的論(労働の手段化)ではなく生成途上の感覚に生の充実があるという
主張については、刹那主義に陥るのではないかという疑問がぬぐえない。
本書が1996年に岩波書店から刊行されて15年しか経っていない。しかし、景気のさらなる悪化、
9・11やグローバリゼーション、東日本大震災を経て、時代は変わってしまったという感がある。
こうした現状を踏まえてか、鷲田は本書を2011年に講談社学術文庫から再版するに当たり、
補章を加えて現代の事象に対する解説を行っている。たとえば若者は労働で「自分探し」
の欲望を抱いているが、労働は自分の能力の限界との格闘であり、労働の意味づけをたえず問
い続けることが重要だという。この補章の議論は、本書の議論とあまり整合性が取れていない。
非正規雇用や過酷な労働環境という現状で、ひとは「生きがい」や「自己発見・実現」を労働
に見出すことができるのだろうか。鷲田には、補章で示された現状認識を踏まえて、本書の主
張を改めて語り直して欲しかった。良書であるだけに、その点が惜しまれる。
2020年12月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
哲学者鷲田清一氏の卓越した持論で大変読みやすく世代に関係なく奨めたい内容です。
2023年9月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本作の内容は、さらっと言えば「自分らしいキャリアの築き方」、敢えてそれっぽい言い方をすれば「「労働」という概念における実存的間主観性の地平」、でしょうか笑
・・・
四章+補章の計五章の小品ですが、一章から三章は労働と余暇という二つの概念の分析で、いかにもテツガクっぽい話で、残念ながら私のサメ脳にはあまり入って来ませんでした。
おすすめは、四章と補章で、こちらはアツめで面白かったです。
・・・
そこでは、家事という無給の仕事をとっかかりに、ボランティアという無給仕事を対比させ、さらに阪神淡路大震災以降のボランティア熱の高まりから、労働に必要とされる新たな要素を抽出します。
これからの労働に必要なもの、それは、他者からの認知、ということでしょう。
給料が高いだけで人は満足を感じるわけでもなく、交換可能な歯車的な業務に対し、自分が仕事につく必然性を見出せないわけです。
家事もそうですが、まずもって他者からの認知がなく、蔓延する「やってあたりまえ」感。さらには金銭的報酬(認知)もない。自分である必然性は家事にもあるやもしれないですが、自己決定権と周囲からの感謝がなくては、ねえ。。。
・・・
もちろん、ボランティアであっても自分である必然性は見出せるとは限りません。が、少なくとも他者から認めてもらうという体験はきっと大きいのでしょう。
そうしたことから、終盤筆者は、他者との関わりの中から自分の立ち位置を見出す・形作るという責任を果たそう、というようなことを仰って終わりになります。
結論的には、あれですよね、先生?
ひらめきみたいに、「ああ俺の天職はこれだ」という決まり方はきっとしないんですよね。
不安や疑心の中でキャリアを恐る恐るスタートさせ、経験や人間関係のなかから何がしかの方向性を見出しなさい・作り出しなさい、ってことでいいんですよね、鷲田先生?
・・・
ということで、分かったような分からないような理解(つまり分かっていない)でありました。ごめんなさい。
どこぞの高校の受験問題に出ていて、それをきっかけに購入しましたが、これは高校生にはちょっと難しいと思います。
小難しいのが得意な高校生以上、社会思想系好きは大学生、キャリア関連・人事関連業務のかた、教育関連の方は手にとってもらっても良いかもしれません。
キャリアのことをよりプラクティカルに考えるのならばより良い本は沢山あると思います。労働という概念やその歴史をさらっているところあたりに、きっと本作の価値は多く存すると思います。
・・・
四章+補章の計五章の小品ですが、一章から三章は労働と余暇という二つの概念の分析で、いかにもテツガクっぽい話で、残念ながら私のサメ脳にはあまり入って来ませんでした。
おすすめは、四章と補章で、こちらはアツめで面白かったです。
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そこでは、家事という無給の仕事をとっかかりに、ボランティアという無給仕事を対比させ、さらに阪神淡路大震災以降のボランティア熱の高まりから、労働に必要とされる新たな要素を抽出します。
これからの労働に必要なもの、それは、他者からの認知、ということでしょう。
給料が高いだけで人は満足を感じるわけでもなく、交換可能な歯車的な業務に対し、自分が仕事につく必然性を見出せないわけです。
家事もそうですが、まずもって他者からの認知がなく、蔓延する「やってあたりまえ」感。さらには金銭的報酬(認知)もない。自分である必然性は家事にもあるやもしれないですが、自己決定権と周囲からの感謝がなくては、ねえ。。。
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もちろん、ボランティアであっても自分である必然性は見出せるとは限りません。が、少なくとも他者から認めてもらうという体験はきっと大きいのでしょう。
そうしたことから、終盤筆者は、他者との関わりの中から自分の立ち位置を見出す・形作るという責任を果たそう、というようなことを仰って終わりになります。
結論的には、あれですよね、先生?
ひらめきみたいに、「ああ俺の天職はこれだ」という決まり方はきっとしないんですよね。
不安や疑心の中でキャリアを恐る恐るスタートさせ、経験や人間関係のなかから何がしかの方向性を見出しなさい・作り出しなさい、ってことでいいんですよね、鷲田先生?
・・・
ということで、分かったような分からないような理解(つまり分かっていない)でありました。ごめんなさい。
どこぞの高校の受験問題に出ていて、それをきっかけに購入しましたが、これは高校生にはちょっと難しいと思います。
小難しいのが得意な高校生以上、社会思想系好きは大学生、キャリア関連・人事関連業務のかた、教育関連の方は手にとってもらっても良いかもしれません。
キャリアのことをよりプラクティカルに考えるのならばより良い本は沢山あると思います。労働という概念やその歴史をさらっているところあたりに、きっと本作の価値は多く存すると思います。
2015年8月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
私は書籍をネットで購入できるようになって読む本の幅が広がりました。そしてこうして古本を綺麗な状態で売ってもらえて読書量も格段に増えました。世間では本は書店の棚で探すべきだと主張する人もいますが、ネットでなら購入できる量が増えることのメリットの方が大きいです。
2014年3月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
文庫版があるのは承知でしたが、もっと目にやさしい文字の大きさの本があれば手に入れたいと思っていました。ありがとうございました。
2012年10月20日に日本でレビュー済み
ふだん働いている職場はみなちがう。環境は異なる。目標も目的も異なる。
まして、あなたとわたしは異なる。
勤め人の場合は会社という対象のなかで働いている。
そこでたとえば経営活動にあたる。利益の追求に走る。売り上げ増加に血道を費やす。
『これでよいのか』『ほんとうに大丈夫か』『ちがう選択があったのでは』
日常の中でおきる数々の疑問。おおくはたわいもなくまして職場では片づけることができない。
ほんとのところがよくわからない。
なにか理解できなくても納得だけはしておきたい。
自分がここにいる、いた、という事実を。 そう希う(ねがう)のは欲ばりなことだろうか。
筆者は答える:<わたし>のなかの<遊び>として。
他者との関係の中で編まれていく<わたし>のストーリーが
仕事のよろこびに欠かすことができない達成感というものを裏打ちしているのだし、
それ自体において楽しいものだという感情をはぐくみもするのだと。
なまじビジネス書の範疇ではなく、まして指南書ではとうていありえない。
営業成績本意の労働の中で、それをつうじてなにか大切な価値を生み出しているという手応えはない。
行き先よりも途中の旅を楽しもう。
わからないことをわからないながら考えていく。
膨らむ思いをかかえながらそれと付き合い日常生活を続ける。
ふつうのひとにふつうに読んでもらえるといい。 好著。
まして、あなたとわたしは異なる。
勤め人の場合は会社という対象のなかで働いている。
そこでたとえば経営活動にあたる。利益の追求に走る。売り上げ増加に血道を費やす。
『これでよいのか』『ほんとうに大丈夫か』『ちがう選択があったのでは』
日常の中でおきる数々の疑問。おおくはたわいもなくまして職場では片づけることができない。
ほんとのところがよくわからない。
なにか理解できなくても納得だけはしておきたい。
自分がここにいる、いた、という事実を。 そう希う(ねがう)のは欲ばりなことだろうか。
筆者は答える:<わたし>のなかの<遊び>として。
他者との関係の中で編まれていく<わたし>のストーリーが
仕事のよろこびに欠かすことができない達成感というものを裏打ちしているのだし、
それ自体において楽しいものだという感情をはぐくみもするのだと。
なまじビジネス書の範疇ではなく、まして指南書ではとうていありえない。
営業成績本意の労働の中で、それをつうじてなにか大切な価値を生み出しているという手応えはない。
行き先よりも途中の旅を楽しもう。
わからないことをわからないながら考えていく。
膨らむ思いをかかえながらそれと付き合い日常生活を続ける。
ふつうのひとにふつうに読んでもらえるといい。 好著。
2011年12月30日に日本でレビュー済み
ロック、アダム・スミス、マルクス等によって理論化された、労働主義=勤勉の論理が遊びにまで浸透した現在、労働に価値を見出すためには、他者の他者として存在する自己に対する「他人の承認」をキーワードにするしかないだろうという筆者の主張には共感できる部分がある。とりわけ、「人間の活動が労働として普遍化し」「より効率的な生産を目指さなければならないという強迫観念、もはや『禁欲』としてすら意識されないこのインダストリー(勤勉・勤労)の心性は」「<労働>フェティシズム」であり、業績主義である。このような考え方においては「『遊び』は時間のたるみ、時間の浪費として意識される」のであり、「<労働>が人生の軸とな」り「活動のモデルとなる。」(P50〜52)というくだりにはハッとさせられた。他にもハッとさせられる記述が沢山あり、久しぶりに考えさせられる本、面白い本に出会えたという印象である。ウェーバー、ロック、フーコー、アレント、ボードリヤール、リースマン等の言説を参照しつつ説得的な議論が展開されている。それでいて、文章は大変分かりやすく、脱帽する以外にはない。原本は1996年刊とのことだが、最近書かれたと思われる30ページ弱の「補章」もある。この補章も、単なる後日談やあとがきではなく、その後の社会状況に合わせて、著者の思考を展開したものではなく一読の価値がある。個人的には労働を他者の承認に全面的にかからしめてしまうというのが著者の趣旨だとすれば、やや違和感を禁じえない点もある。しかし、労働や働くこととは何かを考えたい人、働くことに関し悩んでいる人には広くお勧めできる。著者の本はこれで2冊目だが、他の著書も読みたくなった。また、本書で引用されている本の中には読んだことがあるものもあったが、著者のような観点からの読み方もできるのだと気づかされた。