■目次
はじめに
1.男と女の狭間
「性アイデンティティをめぐって」小川眞理子(フェミニスト)
【対談】小川×池田清彦(生物学構造主義者)
2.教育のパラドックス
「『ハズれ』を敬う教育」正高信男(京大霊長類研究所教授)
【対談】正高×池田
3.心の在り処
「二分法の呪縛」計見一雄(精神科医)
【対談】計見×池田
4.「いのち」を誰が決めるのか
【対談】立岩×池田
「自由は優生を支持しないと思う」立岩真也(社会学者)
内容を大雑把にいうと、
1→身体の性・心の性・文化的社会的性…はどう決まるか?
2→発達障害に対し教育システムはどうあるべきか?
3→"心"は遺伝子で決まるか?
4→遺伝子診断は是か非か?誰が決定するのか、そのルールは?
■筆者の立場
「人間の全ての形態や行動は、遺伝子の突然変異+自然選択で進化した」という〈ネオダーウィニズム〉は、有性生殖で遺伝子の組合せはばらばらになることから、否定される。形質(器質、病気、才能など)の発現は遺伝子と環境(胎児環境&発育環境)との相互作用(コラボレーション、"ガラガラポン")によるもので、両要因は等価である。即ち、遺伝子レベルには還元できない(遺伝子の機能は一意には決まらない)。よって、遺伝子解析は統計的傾向しか言えず、”相互作用”の因果関係を解析するのはあまりにも要素が多すぎて不可能だという。
■総評
相互作用という著者の考えは、システム論(system science)でいうところの創発現象(emergency)を指し、
一般システム思考入門
などでのシステム論の知識があることが望ましい。また非常に学際的な内容で、1章はジェンダー論、2章は発達障害、3章は精神疾患一般についての知識がないと、読みづらい。
対談相手は、話の合う後輩研究者を選んでいるようである。自称「リバタリアン」(自由至上主義者)の自然科学者である著者、および対談相手の主張がそれぞれの分野の研究者達からどう評価されるか期待したい。浅学の評者には、その資格はないだろう。
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遺伝子「不平等」社会: 人間の本性とはなにか 単行本 – 2006/5/26
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- 本の長さ231ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日2006/5/26
- ISBN-104000050524
- ISBN-13978-4000050524
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2006/5/26)
- 発売日 : 2006/5/26
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 231ページ
- ISBN-10 : 4000050524
- ISBN-13 : 978-4000050524
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,307,414位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 621位遺伝子・分子生物学
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著者について
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たていわ・しんや 専攻:社会学 1960年佐渡島生、新潟県立両津高校卒、東京大学文学部社会学科卒、同大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。この辺り、河合塾で働く。1990年~日本学術振興会特別研究員も。1993年~千葉大学部文学部、1995年~信州大学医療技術短期大学部を経て、2002年~立命館大学。現在同大学大学院先端総合学術研究科教授。同大学生存学研究センター、その雑誌『生存学』(生活書院刊)、『Ars Vivendi Journal』(オンラインジャーナル)、ウェブサイト『arsvi.com』(→「生存学」で検索)に関わる。最初の共著書が『生の技法』(1990、藤原書店)→2012:第3版を文庫版で生活書院より。最初の単著が『私的所有論』(1997、勁草書房)→2013:第2版を文庫版で生活書院より。電子書籍の自販も試行中→http://www.arsvi.com/ts/sale.htm
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2010年8月22日に日本でレビュー済み
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2015年1月19日に日本でレビュー済み
他のレビュアーさんも指摘していますが、著者の池田氏は人間の性質が先天的なものに
由来するという見方を否定しています。それは良いのです。
ただ、~は間違い、~は合理的ではない、という文章にあまり合理的な理由をつけていません。たとえばレイピスト遺伝子の話では先天説が完全に間違いだと否定する一方でその根拠を示せていない。人間が猿から進化する過程で毛を失った話もそう。~の説は間違い、まではいいのですが理由を示さない。。そんなに先天的に人間の特質が決まるのが嫌なんだろうか?
由来するという見方を否定しています。それは良いのです。
ただ、~は間違い、~は合理的ではない、という文章にあまり合理的な理由をつけていません。たとえばレイピスト遺伝子の話では先天説が完全に間違いだと否定する一方でその根拠を示せていない。人間が猿から進化する過程で毛を失った話もそう。~の説は間違い、まではいいのですが理由を示さない。。そんなに先天的に人間の特質が決まるのが嫌なんだろうか?
2011年10月30日に日本でレビュー済み
生物学者で「反ネオダーウィニズム」を標榜する池田氏の対談集である。
「はじめに」は氏の持論に基づくいわば基調講演である。その後に4人の学者との対談がなされるが、各論に先立って該当分野に対する池田氏の見解がさらに示される。内容は他のレビュアーも記しているので省くが、4つの対談を読んで、自然科学としての生物学と人間洞察を基盤とする社会学や教育学との較差が如何に大きいかを印象づけられた。「餅は餅屋」というが、4人の専門家の発言には流石に重いものがあった。そのような対話を引き出した池田氏を評価して☆3つとした。
ところで、リバタリアンを自称する池田氏は、「子どもを親と引き離して育てればポル・ポトの思い通りの人間となる」と考えた共産主義者を批判するのは理解できるが、「東京都の教育委員会の面々は隠れ共産主義者なのかもね」と揶揄するのは如何なものか?「子どもは社会が育てる」という理念のもとに強行された「子ども手当」を氏はどう評価するのだろうか?
以下、本書のレビューとは少し離れるが付記する。
実は、先に池田氏の「「進化論」を書き換える」を読んで、その研究内容をもう少し知りたくて取り敢えず、手に入った氏翻訳のD.S.ムーア「遺伝子神話の崩壊」と本書を読んだ。クリックによりセントラル・ドグマが提唱されたのが1958年、その完成は1960年代中葉。動物発生学に遺伝子発現の概念が取り入れられてからの歴史はまだ浅い。発生にゲノム以外の初期条件(卵の細胞質など)や母体を含めた環境が影響することは当然であり、形質や性質の発現が遺伝子と環境の協働の結果であることに異存はない。従ってジェノタイプ(遺伝子型)とフェノタイプ(表現型)があることは理解している。
氏はネオダーウィニストを頻りに非難するが、残念ながら進化における自説のメカニズムを明確にしていない。小生の理解力の不足によるのかも知れないが、是非、進化学者として納得できるネオダーウィニズムに変わる理論を明確に提示して欲しい。
「はじめに」は氏の持論に基づくいわば基調講演である。その後に4人の学者との対談がなされるが、各論に先立って該当分野に対する池田氏の見解がさらに示される。内容は他のレビュアーも記しているので省くが、4つの対談を読んで、自然科学としての生物学と人間洞察を基盤とする社会学や教育学との較差が如何に大きいかを印象づけられた。「餅は餅屋」というが、4人の専門家の発言には流石に重いものがあった。そのような対話を引き出した池田氏を評価して☆3つとした。
ところで、リバタリアンを自称する池田氏は、「子どもを親と引き離して育てればポル・ポトの思い通りの人間となる」と考えた共産主義者を批判するのは理解できるが、「東京都の教育委員会の面々は隠れ共産主義者なのかもね」と揶揄するのは如何なものか?「子どもは社会が育てる」という理念のもとに強行された「子ども手当」を氏はどう評価するのだろうか?
以下、本書のレビューとは少し離れるが付記する。
実は、先に池田氏の「「進化論」を書き換える」を読んで、その研究内容をもう少し知りたくて取り敢えず、手に入った氏翻訳のD.S.ムーア「遺伝子神話の崩壊」と本書を読んだ。クリックによりセントラル・ドグマが提唱されたのが1958年、その完成は1960年代中葉。動物発生学に遺伝子発現の概念が取り入れられてからの歴史はまだ浅い。発生にゲノム以外の初期条件(卵の細胞質など)や母体を含めた環境が影響することは当然であり、形質や性質の発現が遺伝子と環境の協働の結果であることに異存はない。従ってジェノタイプ(遺伝子型)とフェノタイプ(表現型)があることは理解している。
氏はネオダーウィニストを頻りに非難するが、残念ながら進化における自説のメカニズムを明確にしていない。小生の理解力の不足によるのかも知れないが、是非、進化学者として納得できるネオダーウィニズムに変わる理論を明確に提示して欲しい。
2007年7月28日に日本でレビュー済み
池田氏の「遺伝子には決定されたくない論」に沿って対談が進む。
遺伝子に自己を決定されたくないとは、まぁ誰しも感じることだろう。
だが願望と事実は別だ。池田氏は「遺伝子に決定されない」と主張するなら実際
の研究の知見に基づいてすべきなのだが、本書においても自説を補強する研究結
果を提示することはない。根拠となっているのは彼の「願望」ではないだろうか。
私は専門家ではないので、遺伝子がどの程度人間に影響を与えるかを正確に判断
することはできないが、根拠無き主張(or願望)と根拠のある主張の違いくらい
は分かる。
彼は、人間は遺伝子と環境の「ガラガラポン」であるという。ではガラガラポン
とは何か。マッド・リドレーは「氏か育ちか」問題をまるまる一冊の本で論じた。
池田氏は「ガラガラポン」という意味不明の単語一つで表し、何の説明もしない。
さらにもうひとつ問題なのは、彼と意見を異にする進化生物学者を「遺伝決定論
者」であるかのように仕立て上げて批判するところにある。現在、まともな生物
学者で遺伝子決定論者などいるのだろうか?いや、いない(反語)。
私はリドレーの著書の一節、「遺伝子検査によって将来犯罪を犯す可能性が高い
と判断された場合に、本人や、未来の被害者のためにも投薬や遺伝子治療を施す
べきなのだろうか。それとも誰もそのような検査を受けるべきではないと主張す
べきなのだろうか。知る手段がある以上、無知を装う(遺伝子からは何も分から
ないと主張する)のは公平な立場とは言えない」に深く考えさせられた。
池田氏は遺伝子に決定されたくないという信念から無知を装おうとしているだけなのではないか?
遺伝子に自己を決定されたくないとは、まぁ誰しも感じることだろう。
だが願望と事実は別だ。池田氏は「遺伝子に決定されない」と主張するなら実際
の研究の知見に基づいてすべきなのだが、本書においても自説を補強する研究結
果を提示することはない。根拠となっているのは彼の「願望」ではないだろうか。
私は専門家ではないので、遺伝子がどの程度人間に影響を与えるかを正確に判断
することはできないが、根拠無き主張(or願望)と根拠のある主張の違いくらい
は分かる。
彼は、人間は遺伝子と環境の「ガラガラポン」であるという。ではガラガラポン
とは何か。マッド・リドレーは「氏か育ちか」問題をまるまる一冊の本で論じた。
池田氏は「ガラガラポン」という意味不明の単語一つで表し、何の説明もしない。
さらにもうひとつ問題なのは、彼と意見を異にする進化生物学者を「遺伝決定論
者」であるかのように仕立て上げて批判するところにある。現在、まともな生物
学者で遺伝子決定論者などいるのだろうか?いや、いない(反語)。
私はリドレーの著書の一節、「遺伝子検査によって将来犯罪を犯す可能性が高い
と判断された場合に、本人や、未来の被害者のためにも投薬や遺伝子治療を施す
べきなのだろうか。それとも誰もそのような検査を受けるべきではないと主張す
べきなのだろうか。知る手段がある以上、無知を装う(遺伝子からは何も分から
ないと主張する)のは公平な立場とは言えない」に深く考えさせられた。
池田氏は遺伝子に決定されたくないという信念から無知を装おうとしているだけなのではないか?