民主党時代に国民的議論を行い、世論調査の結果、圧倒的多数が2030年代に原発ゼロを選んだ。そして、以後の世論調査でもつねに70%前後の人びとが脱原発を望んでいる。他方、2015年4月28日経産省はエネルギーミックスの方針において原発を重要なベースロード電源と位置付け、2030年の原発割合を20~22%とした。
この乖離は何なのか。
原発を選ぶかどうかというとき、政府の「専門家」は、「経済上欠かすことのできない電源だ」という。他方、一般市民の目から見ると「福島の人びとの痛み」は目を覆うものがあり、明日は我が身かと思えば、電気代の高低を論じている場合ではないだろうと思う。経済問題と事故リスク(被害当事者になるか受益側になるかも含めて)を比較することは、英語の慣用句でいう「リンゴとオレンジを比較する」(性格の違うものを比べる)に近く、簡単に合意が得られない。もちろん立場性が顕著にあらわれる。
それで、民主主義的手続きが重要になるが、日本のエリートがかつて自発的に民主的手続きや情報開示をしたことはない。
粘り強い闘いが必要であるが、この本はどの方向に向かうべきかを示す優れたガイドの役目をしてくれる。
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科学者に委ねてはいけないこと――科学から「生」をとりもどす 単行本(ソフトカバー) – 2013/9/26
3・11後、「科学の信頼が失墜した」「科学は敗北した」といわれるが、「科学が信頼を失う」とはどういうことか? 雑誌『科学』より、3・11から二年間の論考を精選。これらを通して科学者のことばを問い、科学の不確実性に向き合い、原則に立ち返って根本から考え直す。今後の科学と科学者と、社会のあり方を展望する。
- 本の長さ160ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日2013/9/26
- 寸法18.5 x 1.3 x 26.5 cm
- ISBN-104000052187
- ISBN-13978-4000052184
商品の説明
著者について
尾内隆之(おない たかゆき)
1968年群馬県生まれ.立教大学大学院法学研究科博士課程満期退学(修士(政治学)).立教大学法学部助教などを経て,現在,流通経済大学法学部准教授.
共著書に『現代政治理論 新版』(有斐閣),『語る――熟議/対話の政治学』(風行社)などがある.
調 麻佐志(しらべ まさし)
1965年東京都生まれ.東京大学大学院博士課程中退,1998年博士(学術).信州大学専任講師などを経て,現在,東京工業大学大学院理工学研究科准教授.
共著書に『ポスト3・11の科学と政治』(ナカニシヤ出版),共編著書に『科学技術をよく考える』(名古屋大学出版会)などがある.
1968年群馬県生まれ.立教大学大学院法学研究科博士課程満期退学(修士(政治学)).立教大学法学部助教などを経て,現在,流通経済大学法学部准教授.
共著書に『現代政治理論 新版』(有斐閣),『語る――熟議/対話の政治学』(風行社)などがある.
調 麻佐志(しらべ まさし)
1965年東京都生まれ.東京大学大学院博士課程中退,1998年博士(学術).信州大学専任講師などを経て,現在,東京工業大学大学院理工学研究科准教授.
共著書に『ポスト3・11の科学と政治』(ナカニシヤ出版),共編著書に『科学技術をよく考える』(名古屋大学出版会)などがある.
登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2013/9/26)
- 発売日 : 2013/9/26
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 160ページ
- ISBN-10 : 4000052187
- ISBN-13 : 978-4000052184
- 寸法 : 18.5 x 1.3 x 26.5 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 664,732位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 4,788位科学 (本)
- - 60,032位科学・テクノロジー (本)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2014年1月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
3.11後、原発事故の報道や論評に接して、私は「言葉がその価値を失うとき」といった感覚を、多くの専門家の言動から受けてきた。
私のその疑問を、本書では複数の執筆者が、「信頼」という言葉を軸にして分析を進めていく。科学者への信頼を失った原因を、リスクの隠蔽や安全神話の形成といったものに焦点を当て、それがどのように行われてきたかについて論じる。さらに、「ただちに影響はない」、「正しく恐れる」、「パニック」、「風評被害」という言葉を駆使する科学者たちの欺瞞にもメスを入れていく。
私が専門家に対して抱いていた違和感は、次の逆説的な表現が言い当てていた。『放射線をめぐる多くの専門家の逸脱は、「医学・公衆衛生学を歪めることなしに原発は存在しえない」 ということを立証しているように思えてならない。』 4章P.91。
その他、示唆に富む多くの論文に接することができた。 「国会事故調で一部調査しながら報告書には盛り込めなかった大きな問題の一つである放射線教育」の3章P.63や、「リスク・コミュニケーションのあり方」 について論じた5章P.104等。同じ岩波書店から出されている 「福島原発で何が起きたか−安全神話の崩壊」 も合わせて読むことをお勧めしたい。
私のその疑問を、本書では複数の執筆者が、「信頼」という言葉を軸にして分析を進めていく。科学者への信頼を失った原因を、リスクの隠蔽や安全神話の形成といったものに焦点を当て、それがどのように行われてきたかについて論じる。さらに、「ただちに影響はない」、「正しく恐れる」、「パニック」、「風評被害」という言葉を駆使する科学者たちの欺瞞にもメスを入れていく。
私が専門家に対して抱いていた違和感は、次の逆説的な表現が言い当てていた。『放射線をめぐる多くの専門家の逸脱は、「医学・公衆衛生学を歪めることなしに原発は存在しえない」 ということを立証しているように思えてならない。』 4章P.91。
その他、示唆に富む多くの論文に接することができた。 「国会事故調で一部調査しながら報告書には盛り込めなかった大きな問題の一つである放射線教育」の3章P.63や、「リスク・コミュニケーションのあり方」 について論じた5章P.104等。同じ岩波書店から出されている 「福島原発で何が起きたか−安全神話の崩壊」 も合わせて読むことをお勧めしたい。
2015年12月20日に日本でレビュー済み
3.11以降に、まとまった問題提起のできる月刊誌の中で、継続的に、「原発」や「被曝」についての記事が最も多かったのは、岩波書店から刊行されている『科学』と『世界』です。岩波書店は脱原発の書籍しか刊行しません。両者とも、 3.11前には、1万部以下の経済性の成立しない出版物でしたが、岩波書店の顔的存在であるため、経済性度外視での出版ではないかと思っています。 3.11以降、最も潤ったのは、岩波書店でしょうか。
本書は、3.11以降の2年間、『科学』に掲載された記事を体系化・再録したものであるため、読み物としてのインパクトは、薄れていますが、体系化して、世の中に残しておく価値は、あるのではないだろうか。そのテーマには、新しさは、まったく、ありませんが、再議論には、時代背景を考慮すれば、大きな意味があるように思えます。
科学者は、あえて、大きく分類すれば、自然科学者と人文社会科学者に二分され、一口に言えば、専門的研究者のことです。本書の表題の「科学者」は、両者を指して
いるわけではなく、むしろ、前者の特定専門分野の自然科学を研究する研究者やエンジニアのことでしょう。本書で、批判している人達は、後者の科学者と考えてよく、自身は、科学者でなく、正義の「市民」との意識が高いと思われます。
本書の内容は、その「市民」が、3.11後に、「原発」と「被曝」についての政府と東電と原子力分野の関係者の社会対応や専門的解説の不適切さを高い目線から吟味し、不適切さの根源を摘出し、好ましい科学社会のあり方を探るというものです。
原子力のような社会的影響力の大きな分野については、原子力関係者だけでなく、「市民」を含む他分野の専門を有する関係者にも情報を開示し、討論や問題提起ができる社会システムが不可欠です。原子力だけでなく、社会的影響力の大きな専門分野に対し、指摘されてきたことであり、新規性はありませんが、福島第一原発事故の致命的問題を直視し、再議論してみようという気持ちは、大切にしてゆきたいものです。
専門集団依存主義では、効率性が高い半面、集団に好都合な条件しか作られず、逆に、「市民」や専門外研究者まで含めれば、客観性は増しますが、効率性が劣り、では、両者の欠点を取り除けるあり方は何かという問題が残ります。その解決策は、見出せず、結局、党派性の強い「市民」と専門外研究者のガス抜き装置としての公聴会のように、誰でも参加でき、なんでも主張できる社会制度くらいしか実現できないのではないでしょうか。
本書は、3.11以降の2年間、『科学』に掲載された記事を体系化・再録したものであるため、読み物としてのインパクトは、薄れていますが、体系化して、世の中に残しておく価値は、あるのではないだろうか。そのテーマには、新しさは、まったく、ありませんが、再議論には、時代背景を考慮すれば、大きな意味があるように思えます。
科学者は、あえて、大きく分類すれば、自然科学者と人文社会科学者に二分され、一口に言えば、専門的研究者のことです。本書の表題の「科学者」は、両者を指して
いるわけではなく、むしろ、前者の特定専門分野の自然科学を研究する研究者やエンジニアのことでしょう。本書で、批判している人達は、後者の科学者と考えてよく、自身は、科学者でなく、正義の「市民」との意識が高いと思われます。
本書の内容は、その「市民」が、3.11後に、「原発」と「被曝」についての政府と東電と原子力分野の関係者の社会対応や専門的解説の不適切さを高い目線から吟味し、不適切さの根源を摘出し、好ましい科学社会のあり方を探るというものです。
原子力のような社会的影響力の大きな分野については、原子力関係者だけでなく、「市民」を含む他分野の専門を有する関係者にも情報を開示し、討論や問題提起ができる社会システムが不可欠です。原子力だけでなく、社会的影響力の大きな専門分野に対し、指摘されてきたことであり、新規性はありませんが、福島第一原発事故の致命的問題を直視し、再議論してみようという気持ちは、大切にしてゆきたいものです。
専門集団依存主義では、効率性が高い半面、集団に好都合な条件しか作られず、逆に、「市民」や専門外研究者まで含めれば、客観性は増しますが、効率性が劣り、では、両者の欠点を取り除けるあり方は何かという問題が残ります。その解決策は、見出せず、結局、党派性の強い「市民」と専門外研究者のガス抜き装置としての公聴会のように、誰でも参加でき、なんでも主張できる社会制度くらいしか実現できないのではないでしょうか。