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「いき」の構造 他二篇 (ワイド版岩波文庫 37) 単行本 – 1991/6/26
九鬼 周造
(著)
日本民族に独自の美意識をあらわす語「いき(粋)」とは何か.「運命によって〈諦め〉を得た〈媚態〉が〈意気地〉の自由に生きるのが〈いき〉である」――九鬼は「いき」の現象をその構造と表現から明快に把えてみせたあと,こう結論する.再評価の気運高い表題作に加え『風流に関する一考察』『情緒の系図』を併収. (解説 多田道太郎)
- 本の長さ211ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日1991/6/26
- ISBN-104000070371
- ISBN-13978-4000070379
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
日本民族に独自の美意識を表わす言葉である、「いき(粋)」とは何か。著者は「いき」を現象面から明快にとらえる。再評価の気運の高い表題作に加えて、「風流に関する一考察」「情緒の構図」の2篇を収録。
登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (1991/6/26)
- 発売日 : 1991/6/26
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 211ページ
- ISBN-10 : 4000070371
- ISBN-13 : 978-4000070379
- Amazon 売れ筋ランキング: - 222,388位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 44位ワイド版岩波文庫
- - 310位日本の思想(一般)関連書籍
- - 313位東洋哲学入門
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2024年2月7日に日本でレビュー済み
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難しい。西洋哲学の素養、また九鬼周造が父と思っていた岡倉天心の著書などそちらを先に読んでから出直します。粋って遊郭の男女関係と関連してるんですね。
2023年4月16日に日本でレビュー済み
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けっこう有名な本だが、初めて手に取った。九鬼の父親は男爵九鬼隆一で、文部省や帝国博物館で岡倉覚三(天心)の上司であった。母親は初子(波津子、はつ)。京都の花柳界にいて隆一に見そめられて結婚したが、夫婦仲は良くなかったらしい。隆一が駐米特命全権公使としてワシントンD.C.に赴任した際に同行したが、周造を孕った時に体調を崩していた。その頃、ちょうど欧米視察から帰国の途に就いていた岡倉がワシントンの隆一のもとに立ち寄った際に、隆一から依頼を受けて初子を日本まで送り届けることになった。これを機に岡倉と初子が親しくなり、大きな波乱を引き起こすことになる。結局、初子は離縁されるのだが、その後も隆一の監督下に置かれ、精神病患者として巣鴨病院に強制的に入院させられる。以後、生涯を病院で過ごすことになる。岡倉が亡くなったときも入院させられたままであり、隆一が亡くなった昭和6年にようやく退院するが、退院後4ヶ月で初子も亡くなった。九鬼周造は、自分が岡倉の子ではないかと思った時期もあったらしい。しかし、終生、隆一と岡倉との仕事の上での信頼関係は変わらなかったという。
本書で言うところの「いき」は、よく日常会話に登場する「あのひとは、なかなかイキだよね」とか「これはまたイキな柄だねぇ」とかの「イキ」のことである。漢字では「粋」「意気」「生気」などと表記するが、関西では「粋」を「すい」と読むらしい。意味はほぼ同じようだが、音が違うのは何か内実にも違いがあるはずだ。そんなことより、「いき」が哲学上の考察の対象になることに驚いた、というか呆れた。いや、感心した、としておく。
本書で言うところの「いき」は、よく日常会話に登場する「あのひとは、なかなかイキだよね」とか「これはまたイキな柄だねぇ」とかの「イキ」のことである。漢字では「粋」「意気」「生気」などと表記するが、関西では「粋」を「すい」と読むらしい。意味はほぼ同じようだが、音が違うのは何か内実にも違いがあるはずだ。そんなことより、「いき」が哲学上の考察の対象になることに驚いた、というか呆れた。いや、感心した、としておく。
2019年12月22日に日本でレビュー済み
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興味を持って手に取りましたが、時代の違いからか共感できない箇所が多くあったのと、遠回しな表現が多かったので、記念碑的な解説書として受け止めるに留めようと思います。
2022年4月25日に日本でレビュー済み
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「いき」を哲学的に解説した本があると聞き、読んでみて驚きました。軽く手に取るような本ではありませんが、日本文化、日本人の美意識に興味のある人にお薦めです。
2017年5月23日に日本でレビュー済み
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冒頭は、「いき」の言葉としての説明があり、最初はとばしても構いませんよね?
興味をそそられたのが、「いき」な「色」と「音楽構造」。
日本人として「いき」な感覚と感性は、持ち続けたいです。
良い本なので繰り返し読みます。
興味をそそられたのが、「いき」な「色」と「音楽構造」。
日本人として「いき」な感覚と感性は、持ち続けたいです。
良い本なので繰り返し読みます。
2018年5月12日に日本でレビュー済み
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真面目に読むと疲れるので、面白そうな所を拾い読みしたけど、感覚的なものを理論にするってすごい事だと思いました。
2011年3月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この九鬼周造『「いき」の構造』は、日本人が古来より持てる感性のひとつである「いき」について考察した名著である。本書はいろいろな言語に翻訳され、世界的にも広く読まれているようだ。
英語では『The Structure of "Iki"』、フランス語では『La structure de l'iki』、ドイツ語では『Die Struktur von "Iki"』、イタリア語では『La struttura dell'iki』である。いずれも「いき」は「iki」としか訳すことができず、そこからも「いき」が日本特有の美観であることがよくわかる。あえて「いき」と言う言葉を他国語に翻訳しようとするのならば、英仏語の場合だと「chic」あるいは「elegance」となり、それすなわち「シック」、「エレガンス」のことである。これはいただけない。ちなみに支那語では「精粋」になるようであるがこれもしっくりこない。
九鬼によると、畢竟、「いき」とは、「垢抜け=諦め」、「色っぽさ=媚態」、「張り=意気地」が織り成す、日本人固有の情緒、感性であるという。「諦め」は仏教に、「意気地」は武士道に、それぞれ由来する。
英訳の『「いき」の構造』の中には、タイトルを「The Structure of Detachment: The Aesthetic Vision of Kuki Shuzo」とするものもある。すなわち「Detachmentの構造: 九鬼周造の美学観」である。この場合「Detachment」とは、「世俗からの超然」や「無関心」を意味するのであろうが、九鬼の謂う処の「いき」において、この「無関心」すなわち「諦め」こそが大きなウェイトを占めている。
また九鬼は「趣味の直六面体」なる図形を用いることで、複雑で微妙な、言葉を以ってしてでは巧く言い表すことのできない「いき」をはじめとする日本人特有の心的傾向の構造をみごとにチャート化し、可視化させている。
蓋し名著といえる。
英語では『The Structure of "Iki"』、フランス語では『La structure de l'iki』、ドイツ語では『Die Struktur von "Iki"』、イタリア語では『La struttura dell'iki』である。いずれも「いき」は「iki」としか訳すことができず、そこからも「いき」が日本特有の美観であることがよくわかる。あえて「いき」と言う言葉を他国語に翻訳しようとするのならば、英仏語の場合だと「chic」あるいは「elegance」となり、それすなわち「シック」、「エレガンス」のことである。これはいただけない。ちなみに支那語では「精粋」になるようであるがこれもしっくりこない。
九鬼によると、畢竟、「いき」とは、「垢抜け=諦め」、「色っぽさ=媚態」、「張り=意気地」が織り成す、日本人固有の情緒、感性であるという。「諦め」は仏教に、「意気地」は武士道に、それぞれ由来する。
英訳の『「いき」の構造』の中には、タイトルを「The Structure of Detachment: The Aesthetic Vision of Kuki Shuzo」とするものもある。すなわち「Detachmentの構造: 九鬼周造の美学観」である。この場合「Detachment」とは、「世俗からの超然」や「無関心」を意味するのであろうが、九鬼の謂う処の「いき」において、この「無関心」すなわち「諦め」こそが大きなウェイトを占めている。
また九鬼は「趣味の直六面体」なる図形を用いることで、複雑で微妙な、言葉を以ってしてでは巧く言い表すことのできない「いき」をはじめとする日本人特有の心的傾向の構造をみごとにチャート化し、可視化させている。
蓋し名著といえる。