この本の前半を森銑三が書き、後半を柴田宵曲が書いている。すべての項目に「良書とは何ぞや」「書評」「書斎」「蔵書家」「愛書家」などの見出しがつき、2~3ページにまとめてあるので、読みやすい。
それぞれが一遍のエッセイを成していて、世の読書家、愛好家にとっては、たまらないほど楽しい。
例えば「書物の貸借」。誰もが経験していると思うが、本の貸し借りは厄介である。良い書物を知ったら。人にも勧めたいし貸してやりたい。しかし美しい書物を汚損せられてはたまらない。貸した本が返らないことも多い。だから人に向かってやたらに本を貸せというのは慎むべきだろうと説く。なるほど、やはり本の貸し借りはやめた方がいいのだ、という知恵を授けてくれる。
書斎を持ち、立派な本棚を備え、そこに高価な書物を揃えていて、机の上も整理整頓ができている。そんな人もいるらしい。しかし、本来、本当の読書好きの書斎は足の踏み場もないほど乱雑に書物が散らばっているはずだ、という説は痛快である。
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書物 (ワイド版岩波文庫 175) 単行本 – 2001/1/16
- 本の長さ342ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日2001/1/16
- ISBN-104000071750
- ISBN-13978-4000071758
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
森銑三・柴田宵曲の両碩学が、書物・読書・出版について長年の蘊蓄を傾けた随想集。対照的な2人の文章から「書物への愛」があふれている。
登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2001/1/16)
- 発売日 : 2001/1/16
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 342ページ
- ISBN-10 : 4000071750
- ISBN-13 : 978-4000071758
- Amazon 売れ筋ランキング: - 549,719位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 96位ワイド版岩波文庫
- - 3,694位本・書誌学
- - 8,950位近現代日本のエッセー・随筆
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2021年4月25日に日本でレビュー済み
敬愛する練達の読書家・書評家である谷沢永一が『人間通になる読書術・実践編』(谷沢永一著、PHP新書)で、絶賛している『書物』(森銑三・柴田宵曲著、岩波文庫)を手にしました。
森銑三と柴田宵曲の書物を巡るエッセイ集であるが、さすがに森の言葉は胸に響きます。
「どのような凡書愚書悪書からも、摂取すべきものを十分に摂取し得る人は、最もすぐれた読書家であらねばならぬ」。
「書物の問題は直ちにその著者の問題となる。良書を知ろうと心懸くる人は、まずよき著述家を知ることを心懸くべきである。そして己に適応した良書を知り、その著者の他の著述をも漁り読み、延いてはその著者の推奨するところの同時代の書物、または過去の書物を読む。かくしてその人の読書生活は、際限なく深められ、かつ拡められて行くであろう。それに依ってまた方面を異にする書物に対しても、良否の識別が容易に下されるようにもなって行くであろう。そしてまた別方面の良書を知り、それよりして更につぎつぎと良書をも知るに至るであろう。・・・私等もまた誠実な心を以て、常に良書を知ろうと心懸くべきである。そして良書を求める心が切実ならば、それに対して必ずや感応するところがあるであろう」。
「私の繰返して主張して置きたいと思うのは、書物愛護の精神の徹底である。書物愛護の精神を十分に把持しているならば、その精神を他へも及ぼして、天物を暴殄するようなことはすまじとも心懸けようし、人を愛敬する心持を自ら養うにも至るであろうし、延いては敬虔な心持をも持するに至るであろう。人間としてしみじみとした心持を有する人にもなるであろう。書物の愛好もそこまで行きたいものである。書物愛護の精神は、これを子供の内から植えつけたい」。
森銑三と柴田宵曲の書物を巡るエッセイ集であるが、さすがに森の言葉は胸に響きます。
「どのような凡書愚書悪書からも、摂取すべきものを十分に摂取し得る人は、最もすぐれた読書家であらねばならぬ」。
「書物の問題は直ちにその著者の問題となる。良書を知ろうと心懸くる人は、まずよき著述家を知ることを心懸くべきである。そして己に適応した良書を知り、その著者の他の著述をも漁り読み、延いてはその著者の推奨するところの同時代の書物、または過去の書物を読む。かくしてその人の読書生活は、際限なく深められ、かつ拡められて行くであろう。それに依ってまた方面を異にする書物に対しても、良否の識別が容易に下されるようにもなって行くであろう。そしてまた別方面の良書を知り、それよりして更につぎつぎと良書をも知るに至るであろう。・・・私等もまた誠実な心を以て、常に良書を知ろうと心懸くべきである。そして良書を求める心が切実ならば、それに対して必ずや感応するところがあるであろう」。
「私の繰返して主張して置きたいと思うのは、書物愛護の精神の徹底である。書物愛護の精神を十分に把持しているならば、その精神を他へも及ぼして、天物を暴殄するようなことはすまじとも心懸けようし、人を愛敬する心持を自ら養うにも至るであろうし、延いては敬虔な心持をも持するに至るであろう。人間としてしみじみとした心持を有する人にもなるであろう。書物の愛好もそこまで行きたいものである。書物愛護の精神は、これを子供の内から植えつけたい」。