名随筆家としても誉れ高い科学者中谷宇吉郎氏の随筆集。自らの学術研究に関すること、昔日の思い出、師である寺田寅彦氏のこと、などが綴られています。繊細な描写力が光る文章が何と言っても素晴らしいです。
全体的に科学に関しての文章が多いのですが、科学とはどうあるべきか、その本質やあり方について言及している部分は、現代にも通じる普遍的なものを感じました。また寺田寅彦氏を心底敬愛していた様子も伝わってきました。
個人的に最も好きなのが「I駅の一夜」。これは絶品で、心にぽっと灯りを照らしてくれる戦時中のお話です。
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中谷宇吉郎随筆集 (ワイド版岩波文庫 267) 単行本 – 2006/3/16
- 本の長さ386ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日2006/3/16
- ISBN-104000072676
- ISBN-13978-4000072670
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2006/3/16)
- 発売日 : 2006/3/16
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 386ページ
- ISBN-10 : 4000072676
- ISBN-13 : 978-4000072670
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,046,619位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 263位ワイド版岩波文庫
- - 15,534位近現代日本のエッセー・随筆
- - 95,983位ビジネス・経済 (本)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2018年11月10日に日本でレビュー済み
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2018年11月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
出版年を考えればこの程度の日焼けは已むを得ないと思っています。他にも欲しい本が多々ありますが文字が小さい点が
70代には、難儀で注文渋っている次第です
70代には、難儀で注文渋っている次第です
2018年2月12日に日本でレビュー済み
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雪博士、中谷宇吉郎先生の抑制のきいた文章が好きで、この随筆集を遅ればせながら手にしました。師匠の寺田虎彦博士同様に物理学者らしい科学的なものの見方に感心させられます。
2013年12月21日に日本でレビュー済み
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このなかでも「「霜柱の研究」について」は、
女性研究者数名が取り組んだ霜柱形成の研究論文を題材にして、
研究というものの本質を明快に書き表している。
一部を引用すると:
「・・・良い研究は苦虫を噛み潰したような顔をしているか、
妙に深刻な表情をしていなければ出来ぬと思う人があったら、
それは大変な間違いである。・・・」
この研究がなぜ素晴らしいかを、順を追って説明した後で、
こういう研究ができるための要件として
「純粋な興味を持つこと」「熱心さ」「思いついたことをすぐに試みる」
「偶然に遭遇した現象をよくとらえ、それを見逃さないこと」
「新しい領域の仕事を始めるときに怖がらぬこと」を挙げている。
女性研究者数名が取り組んだ霜柱形成の研究論文を題材にして、
研究というものの本質を明快に書き表している。
一部を引用すると:
「・・・良い研究は苦虫を噛み潰したような顔をしているか、
妙に深刻な表情をしていなければ出来ぬと思う人があったら、
それは大変な間違いである。・・・」
この研究がなぜ素晴らしいかを、順を追って説明した後で、
こういう研究ができるための要件として
「純粋な興味を持つこと」「熱心さ」「思いついたことをすぐに試みる」
「偶然に遭遇した現象をよくとらえ、それを見逃さないこと」
「新しい領域の仕事を始めるときに怖がらぬこと」を挙げている。
2017年3月11日に日本でレビュー済み
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軽妙な文体にして深い内容。昔の著作とは思えない。ひまつぶしにも真面目な読書にもどうぞ
2011年6月27日に日本でレビュー済み
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「今までの物理学では、物が見えるというのは、物の方から光線が来てそれが眼に入るからで、眼から何かの線が出てそれが物に当たるから見えるのではない。眼ではなくて何か未知の機能で感ずるとしても、それを感じさせる作用は物から来るという考え方である。 」(千里眼その他)。
これは明治時代に起きた千里眼騒動に関する中谷の随筆からの抜粋である。物を見るということは確かに上記で中谷が言うとおりで、我々の眼球から何がしかの作用線が発出されて物体に衝突し、その反射線が再び眼球に到着することで物を見ているわけではない(コウモリは似たことをしているし、潜水艦のソナーもその類だが)。
僕らが物をみることに働いている力を考える上で、中谷の「南画を描く話」も大変に面白い。
師匠の寺田の墨画を手に入れた中谷が自分でも画を描き始めるという話である。墨画というものは濃淡で立体的にした上で、必要な線をできるだけ削り省略していくものらしい。中谷は雪の結晶を描きはじめるのだがなかなかうまくいかない。ある日新聞の集合写真を見てハタとひらめいた。沢山の人の顔が小さく写っているその写真は、よくよく詳細に見てみると黒と白の斑点で成り立っていて濃淡などはない。黒い斑点のカタチも白い斑点のカタチもほとんどの顔で同じようなカタチでしかないのに、皆の顔には特徴が出ていて表情までわかる。これは一体どういうことなのか。
「そういうことが可能である所以は、描かれたものの形や色にあるというよりも、むしろ見る人の眼と頭とに具有されている各種の要素の差についての総合認識作用にあるのであろう。絵の良し悪しの責任は、半分は見る人に負わせられることになる。特に墨絵のように簡単な線と一色の濃淡だけしか遣わないものでは、この見る人の眼と頭との作用を極度に利用する必要がある。・・・結局東洋画の真髄は観者を共同製作者にするにあるという昔からの言い旧された言葉を、妙な理屈で解説しただけのことだといわれるかも知れない。」
これを踏まえた上で具体的な技術としてどう描いていくべきか。中谷は墨画の名人がリンゴを描く場面に注目する。
「津田さんは初めに皿を描いて、その上に林檎を描かれたのであるが、じっと林檎を眺めながら、輪郭の一部を描き、ついで特有な縦の凹みに当たる部分に一本の線を入れられたのであるが、その線をひくのに、津田さんは余所眼にも見える位極めて慎重であった。そうしたらただの線が急に林檎になった。・・・要するに人間というものは誰でも、すべての物について、単にいくつかの要素を抽象した像だけを頭の中に持っているらしい。それでそういう像を頭の中に再現してやれば、それで満足するのではないかと思ってみた。そうすると、観者を共同製作者とするための一つの技術は、観者の頭の中にある沢山の線の中の一本をぴんと鳴らしてやればそれで良いので、後は共鳴現象に似た作用で、観者が初めからもっている像が再現され、それが立派な絵に見えるものらしい。」
墨画を描きたくなる大変興味深い話だ。一旦我々が成立させた全体像は、それを構成する諸細目のどれか一つを「ぴんと鳴らしてやれば」即座に実在として全体性が再現されるのである。この、全体像の記録(記憶)−再現の機序・プロセスを多少なりとも脳生理学的に解明していくことができるなら、それもまた大変に面白い話になるだろう。
これは明治時代に起きた千里眼騒動に関する中谷の随筆からの抜粋である。物を見るということは確かに上記で中谷が言うとおりで、我々の眼球から何がしかの作用線が発出されて物体に衝突し、その反射線が再び眼球に到着することで物を見ているわけではない(コウモリは似たことをしているし、潜水艦のソナーもその類だが)。
僕らが物をみることに働いている力を考える上で、中谷の「南画を描く話」も大変に面白い。
師匠の寺田の墨画を手に入れた中谷が自分でも画を描き始めるという話である。墨画というものは濃淡で立体的にした上で、必要な線をできるだけ削り省略していくものらしい。中谷は雪の結晶を描きはじめるのだがなかなかうまくいかない。ある日新聞の集合写真を見てハタとひらめいた。沢山の人の顔が小さく写っているその写真は、よくよく詳細に見てみると黒と白の斑点で成り立っていて濃淡などはない。黒い斑点のカタチも白い斑点のカタチもほとんどの顔で同じようなカタチでしかないのに、皆の顔には特徴が出ていて表情までわかる。これは一体どういうことなのか。
「そういうことが可能である所以は、描かれたものの形や色にあるというよりも、むしろ見る人の眼と頭とに具有されている各種の要素の差についての総合認識作用にあるのであろう。絵の良し悪しの責任は、半分は見る人に負わせられることになる。特に墨絵のように簡単な線と一色の濃淡だけしか遣わないものでは、この見る人の眼と頭との作用を極度に利用する必要がある。・・・結局東洋画の真髄は観者を共同製作者にするにあるという昔からの言い旧された言葉を、妙な理屈で解説しただけのことだといわれるかも知れない。」
これを踏まえた上で具体的な技術としてどう描いていくべきか。中谷は墨画の名人がリンゴを描く場面に注目する。
「津田さんは初めに皿を描いて、その上に林檎を描かれたのであるが、じっと林檎を眺めながら、輪郭の一部を描き、ついで特有な縦の凹みに当たる部分に一本の線を入れられたのであるが、その線をひくのに、津田さんは余所眼にも見える位極めて慎重であった。そうしたらただの線が急に林檎になった。・・・要するに人間というものは誰でも、すべての物について、単にいくつかの要素を抽象した像だけを頭の中に持っているらしい。それでそういう像を頭の中に再現してやれば、それで満足するのではないかと思ってみた。そうすると、観者を共同製作者とするための一つの技術は、観者の頭の中にある沢山の線の中の一本をぴんと鳴らしてやればそれで良いので、後は共鳴現象に似た作用で、観者が初めからもっている像が再現され、それが立派な絵に見えるものらしい。」
墨画を描きたくなる大変興味深い話だ。一旦我々が成立させた全体像は、それを構成する諸細目のどれか一つを「ぴんと鳴らしてやれば」即座に実在として全体性が再現されるのである。この、全体像の記録(記憶)−再現の機序・プロセスを多少なりとも脳生理学的に解明していくことができるなら、それもまた大変に面白い話になるだろう。
2022年10月28日に日本でレビュー済み
中谷宇吉郎氏の随筆は、とても静謐で、心にしみわたる。
師匠の寺田寅彦氏の薫陶を受けているのだろう、その師への尊敬の念なども、そこかしこに感じられる。
科学者としての純粋さを感じられる名著の一つ。
師匠の寺田寅彦氏の薫陶を受けているのだろう、その師への尊敬の念なども、そこかしこに感じられる。
科学者としての純粋さを感じられる名著の一つ。
2009年3月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
きれいな状態で、すばやく納品いただきました。申し分ございません。