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イエスの宗教 単行本 – 2009/3/24
八木 誠一
(著)
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- 本の長さ254ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日2009/3/24
- ISBN-10400022168X
- ISBN-13978-4000221689
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2009/3/24)
- 発売日 : 2009/3/24
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 254ページ
- ISBN-10 : 400022168X
- ISBN-13 : 978-4000221689
- Amazon 売れ筋ランキング: - 218,423位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 5,447位宗教 (本)
- カスタマーレビュー:
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上位レビュー、対象国: 日本
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2021年11月19日に日本でレビュー済み
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八木誠一1冊目に選んだのは無謀だったか。
2011年12月29日に日本でレビュー済み
イエスとパウロの一致が眼目である以上、マタイ書のイエスは封印されもっぱらマルコ書とルカ書のイエスが対象となる。
マルコやルカには「娼婦が神の国に入る」「異教女性への称賛」などの反パウロ的記述はないため、イエスとパウロの一致には好都合である。それでもイエスとパウロの一致の根拠を両者の言葉に求めるのは困難である。そのためであろうか著者はパウロの「我が内に生きるキリスト」を論拠とする。明らかに最も根拠としてはならないものを根拠としたのである。「語っているのは私ではなく我が内なるキリストだ」ほどイエスが危惧したものはあるまい。「イエスの言葉を正しく伝える」ために12使徒を選んだのは、死後に出現するであろう「私の言葉はキリストの言葉だ」なる者への否定であったのだから。
イエスは旧約から多くの引用をするが箴言からは一切引用しない。同じように旧約から多くの引用をするパウロは当時ソロモンによるとされていた箴言を何十回と引用する。しかし、イエスの言葉は一つとして引用しない。明らかにイエスは箴言(=ヒエラルキーの言葉)を嫌悪し、パウロは箴言を愛したわけである。イエスの反ヒエラルキー性、パウロのヒエラルキー志向である。
この事実はパウロと箴言作者(ソロモン)との精神の一致を示すと同時にイエスとパウロの精神が相入れるものではない〜正反対であることを示す。それが「我が内なるキリスト」の一言で否定できるならこれほど楽なことなあるまい。口先だけの一致で実は一つとしてない。イエスが内にいれば、口から箴言など出てくることはない。
そのようなパウロの言葉をヨハネや使徒・直弟子たちはどのように聞いたであろう。はたして著者のような称賛をもって聞いたであろうか。イエスが忌み嫌ったソロモンの箴言が「パウロの内なるキリスト」によって頻繁に語られまた記されたのである。
実をもって「作用的一」というならまだ良いが、実のない「一致」は困ったものである。その結果「神の国」は幼子や娼婦から取り去られ「作用的一」を自覚した者つまり宗教者・敬虔なる者が入る場(著者の言葉では「神のはたらきの場」)となる。
p202「第一人者になりたいものは奴隷(仕える者)となれ」を教団の存在を暗示しているというが、とんでもない曲解であろう。この言葉はヒエラルキーの解体を意味するもので、教団の否定でしかない。もっとも口先だけで「私はみなさんに仕えています」という聖職者の手合いをも「仕える者」と看做せば教団の存在の暗示などという主張も可能であろう。パウロ同様に向ヒエラルキー的なマルコやルカがこの言葉を消さなかったのは著者のような歪曲した読みが可能だったからであろう。
護教学者による「迷い出た羊」との珍訳で指摘したように、イエスの教団否定の言葉も歪曲するかこじつければ教団の言葉、教団を暗示する言葉となるようである。
マルコやルカには「娼婦が神の国に入る」「異教女性への称賛」などの反パウロ的記述はないため、イエスとパウロの一致には好都合である。それでもイエスとパウロの一致の根拠を両者の言葉に求めるのは困難である。そのためであろうか著者はパウロの「我が内に生きるキリスト」を論拠とする。明らかに最も根拠としてはならないものを根拠としたのである。「語っているのは私ではなく我が内なるキリストだ」ほどイエスが危惧したものはあるまい。「イエスの言葉を正しく伝える」ために12使徒を選んだのは、死後に出現するであろう「私の言葉はキリストの言葉だ」なる者への否定であったのだから。
イエスは旧約から多くの引用をするが箴言からは一切引用しない。同じように旧約から多くの引用をするパウロは当時ソロモンによるとされていた箴言を何十回と引用する。しかし、イエスの言葉は一つとして引用しない。明らかにイエスは箴言(=ヒエラルキーの言葉)を嫌悪し、パウロは箴言を愛したわけである。イエスの反ヒエラルキー性、パウロのヒエラルキー志向である。
この事実はパウロと箴言作者(ソロモン)との精神の一致を示すと同時にイエスとパウロの精神が相入れるものではない〜正反対であることを示す。それが「我が内なるキリスト」の一言で否定できるならこれほど楽なことなあるまい。口先だけの一致で実は一つとしてない。イエスが内にいれば、口から箴言など出てくることはない。
そのようなパウロの言葉をヨハネや使徒・直弟子たちはどのように聞いたであろう。はたして著者のような称賛をもって聞いたであろうか。イエスが忌み嫌ったソロモンの箴言が「パウロの内なるキリスト」によって頻繁に語られまた記されたのである。
実をもって「作用的一」というならまだ良いが、実のない「一致」は困ったものである。その結果「神の国」は幼子や娼婦から取り去られ「作用的一」を自覚した者つまり宗教者・敬虔なる者が入る場(著者の言葉では「神のはたらきの場」)となる。
p202「第一人者になりたいものは奴隷(仕える者)となれ」を教団の存在を暗示しているというが、とんでもない曲解であろう。この言葉はヒエラルキーの解体を意味するもので、教団の否定でしかない。もっとも口先だけで「私はみなさんに仕えています」という聖職者の手合いをも「仕える者」と看做せば教団の存在の暗示などという主張も可能であろう。パウロ同様に向ヒエラルキー的なマルコやルカがこの言葉を消さなかったのは著者のような歪曲した読みが可能だったからであろう。
護教学者による「迷い出た羊」との珍訳で指摘したように、イエスの教団否定の言葉も歪曲するかこじつければ教団の言葉、教団を暗示する言葉となるようである。
2013年9月23日に日本でレビュー済み
言うまでもないが、イエスの宗教=キリスト教、ではない。キリスト教が付加したものを取り除いてイエスの実像に迫ろうとする試みは多く行われており、本書もその一つ。
福音書に記述されたイエスの言動からイエス死後の原始教会の状況の反映とみなされる部分を切り離すような通常の手続きは当然駆使されているが、滝沢克己『 仏教とキリスト教 』や仏教学者・久松真一との対話から多くの示唆を受けた本書の方法の中心は、より思弁的である。
「イエスの言葉は、自分がまさに自分であるとき、自分は自分を超えたはたらきによって成り立っている、という自覚の表現である。」(212頁)
「イエスの言行といえどもそれを直接の権威として神と人との間に介在させてはいけないことになる。イエスがいけないというから、いけないのではない。イエスは、それがいけないことを気づかせてくれるのである。」(217頁)
「イエスは、滝沢克己が言うように、ふつうの人間、ただし人間の可能性を典型的に実現した人間である。」(238頁)
「イエスは、『神→自己→自我→』として生きるという人の可能性を実現し、同時にこれがすべての人の可能性であることを示した。」(241頁)
新約聖書学の枠外の記述にやや不器用な印象があるが、終盤から引用を並べてみると、主張の中心はシンプルだし、真摯な思索の書として一読に値すると思う。
福音書に記述されたイエスの言動からイエス死後の原始教会の状況の反映とみなされる部分を切り離すような通常の手続きは当然駆使されているが、滝沢克己『 仏教とキリスト教 』や仏教学者・久松真一との対話から多くの示唆を受けた本書の方法の中心は、より思弁的である。
「イエスの言葉は、自分がまさに自分であるとき、自分は自分を超えたはたらきによって成り立っている、という自覚の表現である。」(212頁)
「イエスの言行といえどもそれを直接の権威として神と人との間に介在させてはいけないことになる。イエスがいけないというから、いけないのではない。イエスは、それがいけないことを気づかせてくれるのである。」(217頁)
「イエスは、滝沢克己が言うように、ふつうの人間、ただし人間の可能性を典型的に実現した人間である。」(238頁)
「イエスは、『神→自己→自我→』として生きるという人の可能性を実現し、同時にこれがすべての人の可能性であることを示した。」(241頁)
新約聖書学の枠外の記述にやや不器用な印象があるが、終盤から引用を並べてみると、主張の中心はシンプルだし、真摯な思索の書として一読に値すると思う。