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竹内好という問い 単行本 – 2005/5/28

4.5 5つ星のうち4.5 4個の評価

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竹内好という問い
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在庫あり。

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 岩波書店 (2005/5/28)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2005/5/28
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 321ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4000237640
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4000237642
  • カスタマーレビュー:
    4.5 5つ星のうち4.5 4個の評価

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孫 歌
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上位レビュー、対象国: 日本

2016年10月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
スピードは速い。本はちょっと古いけど。本の内容ははっきりとした。
2020年5月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
時事問題として、新型コロナウイルス関連の話題が盛りだくさんですが、それについては、『世界 2020年6月号』のAmazon「書評」に回します。言いたいことがたくさんありすぎて、本書の引用ができませんので。
安倍晋三と東京高検検事長の黒川弘務関連の法律改正もあります、ツイッターでは盛り上がっているようですが、何を今さら、という感じもします。「SNS民主主義」を私は信じていません、「SNS民主主義」≒「パブロフの犬的民主主義」≒「衆愚政治」、と思っていますので。「コロナ」と結びつけなくても、今までの発言・行状を見ていれば、安倍晋三は十二分に「悪徳政治屋」です。

孫歌(スングー)の著書は初めて読みましたが、非常に面白いです。

孫歌は、東京女子大学で2016年10月に行われた丸山眞男没後20周年記念国際シンポジウム「新しい丸山眞男像の発見 ―― その世界大の視圏と交流のなかで」のパネルディスカッションで、「丸山眞男の「三民主義」観」という題で発表を行っていました。その内容やその時の印象は忘れました。
この著書以外にもいくつかの論稿はネット等で読んでいますし、この後にAmazon「書評」を行おうと思っている、『「近代の超克」と京都学派 ―― 近代性・帝国・普遍性』(2010年刊、以文社)では、「「近代の超克」と「中国革命」」という論稿を書いています。ただし、この論考は書評者にとっては本書の要約のようで、本書ほどの新鮮味はありませんでした。酒井直樹や稲賀繁美、磯前順一の論稿の方が面白かったですね。

また、竹内好については、その著書は1冊も読んでいません。ただ、『丸山眞男座談』(全9巻、岩波書店)のいくつかの巻には、座談会のメンバーとして何回か出席していますので、その発言には接しています。書評者は、竹内好に関しては、どちらかというと「大東亜戦争肯定論」的観点の「関係者」かなという感じで見ていましたし、本書を読んでもその感じが「外れていない」という感想です。本書では別の面も強調されていますので、それについては理解「可能」ではありますし、竹内好自身が、多面的かつ複雑な人間であり、錯綜した主張を持っていますので、一筋縄ではいかないということも分かります。竹内好の戦前の「魯迅論」は読もうと思いますし、魯迅については、以前からずっと読みたいと思っていましたので、これを機会に読もうという気が、また、起きてきました(魯迅の文章の「意味」が理解できるかどうかは甚だ疑問ではありますが)。
ただ、竹内好には、毛沢東の「大躍進運動」や「文化大革命」等について、どう思っていたのかを聞きたかったですね、毛沢東や中国共産党を高く評価していたようですから(この書評者の言葉(「高く評価していた」)も「伝聞・推定」「空気」ですので、本当のところはよく分かりませんが)。

では、駄弁は止めて、本書(『竹内好という問い』(孫歌著、2005年5月27日 第1刷発行、岩波書店))から、2~3カ所引用します。ただ、引用箇所は、本書の要約的な部分ではありませんし、結論的な部分でもないと思っています。書評者の気に入った文章(本書には引用したい文章は、ごまんとあります)で、字数的に納まる文章というだけです。傍点、傍線、まるぼしは、≪ ≫で代替します。引用文全体は、【 】で囲みます。引用文中の引用は、< >で囲みます。

【 「 それは、バカはドレイを救うことはできず(なぜならドレイはそうした救いを拒否するから)、単にドレイを呼び醒まして、ドレイには道がないことを教えてやることしかできず、一方、賢人はドレイを救うことはできるが、しかしその方法とはドレイを呼び醒まさずに、そのまま夢を見させることであり、かくして、ドレイは救いのない絶望の境地に直面せざるを得ないのだ、というところにある。このとき、問題はすでにドレイは救い得るか否かにはなく、夢から醒めた後、行くべき道のない「人生でいちばん苦痛な」状態に耐えきれるかどうかにあるのだ。もし耐えきれなければ、自分がドレイであるという自覚を失い、幻想に浸ったまま引き続きドレイであり続けるだろう。もしも耐えきれるとすれば、ドレイであることを拒否し、同時に解放の幻想も拒否するに違いない。この次元においてはじめて、魯迅の「絶望の虚妄なるは、まさに希望とあい同じい」という言葉が具体的な意味内容をもちはじめるのである。そして前記の、絶望と抵抗との関係をめぐる竹内の見事な議論も、もはや禅問答ではなくなり、私たちは、『魯迅』の冒頭部で説かれた、魯迅は先覚者ではなく、それゆえにこそ中国の近代文学とつねに歩みを共にすることができたのだという命題とリンクさせることで、絶望と抵抗との関係についての竹内の考え方を理解することができ、さらにそこから東洋、そして中国におけるモダニティのあり方を、いっそう深く理解することができるのである。―― 魯迅は賢人ではないしバカでもない。確かに賢人を憎みバカを愛したけれども。魯迅はドレイその人なのだ。ただ、その作品の中で描き出されたドレイとは違っている。魯迅はあの夢から醒めた後に行くべき道のない、人生でいちばん苦痛な状態をこらえ、耐え忍ぶことのできるドレイなのだ。こうした魯迅の深い暗黒と比べれば、中国の近代文学の中で決裂と新生を代表するヒューマニスト作家を中国近代文学の代表と見なすことは(言い換えれば、文学という形態で中国近代の問題を体現することは)不可能であろう。ある意味で、これは中国近代文学の宿命ではなかろうか。」(P.71 ~ P.73) 】

魯迅の「絶望の虚妄なるは、まさに希望とあい同じい」という言葉を引用したくてその周辺の解説も含めて引用しました(解説があっても、含蓄がありすぎて難しい言葉です、「賢人とバカとドレイ」と同じように)。

【 「 ここまでの脈絡をふまえると、竹内好の「大東亜戦争と吾等の決意」を同情をもって理解することができるかもしれない。ただそれでもなお、それは誤った選択であったと指摘しておかなければならない。その誤りは時代の誤りであったかもしれず、個体がそれを担うのは重すぎたかもしれない。しかしながら、一人の思想家にとって、そのような言い逃れは意味がない。少なくとも、竹内好の戦争中の実践的立場と、戦後の一連の論争の着眼点を分析した今、しばしば見逃されがちな一つの問題を意識することができるだろう。ある思想家の特定の瞬間における判断やミスを歴史的に考察することは、決して後人が「前車の鑑」を手に入れるためではない。実のところ、思想家の誤った選択とは、通常想像されるような、後生の人が裁いたり弁護したりできるような「ミス」ではない。それは常に思想的緊張や内在的矛盾を含んでおり、そうした思想的緊張や内在的矛盾こそが、歴史に分け入るチャンスを後生の人に与える。ただ多くの後人は歴史に分け入るチャンスを捉えることができず、同じように、前人の錯誤が真の意味で後人にとっての「前車の鑑」となることもない。理由は簡単である。直観的な方法では、前人の錯誤を繰り返すことも、錯誤を避けることもできないからである。歴史上のあらゆる出来事は、後の時代に再生する際には、必然的に複雑な転換のプロセスをともなう。もし前人のミスを直観的に扱うならば、竹内好が歴史に分け入るために支払った努力は、政治的に正しい結論によって遮られてしまうだろう。

竹内好にとって、この宣言の意味は、それが正しいか否かにあるのでなく、歴史の重要な瞬間における個体としての参与の方法にあったと思われる。竹内好はこの方法によって、太平洋戦争を彼自身に、そして彼の事業に関連づけた。その関連づけは、さらに転じて、彼が自らの思想形成過程を見つめ直す契機につながった。それは、『中国文学』を廃刊し、『魯迅』を執筆したときに特別な経験として生かされたかもしれない。主体が歴史に介入する過程とは、こうした経験の中にこそ存在している。

竹内好の一生の中で、「大東亜戦争と吾等の決意」が特別な位置を占めているわけではない。「事件」としては、初期の支那学者との論戦、『中国文学』の廃刊、1960年の辞職といった出来事に、象徴性においても実質性においても遠く及ばない。しかしこの出来事には、他では代替できない思想的意味が附与されている。この宣言に示された「決意」は、時局に対する偽りの判断のもとでなされたが、同時代の他の偽りの判断と比べると、鮮明な個性を有していた。それは、時代の誤った前提や思考の中に自己を投入し、そこからできる限り≪自分の文化 - 政治性を鍛える≫態度である。すなわち、時局に対する一般的世論にとらわれず、自分なりの政治的判断を打ち出す。いうまでもなく、このような「政治性」を可能にしたのは、時代と共存する過程においてであったが、しかし同時に、時代を超越する可能性も生み出している。竹内好が時代を超越したのは、彼が正しかったからではない。彼が時代の課題に介入した際に、もっとも難しい問題を決して避けなかったからである。かくして、彼は政治的正しさを獲得するチャンスからはますます遠ざかった。しかし、彼は人間の思考が現実政治に回収されない形で政治性をもつことを可能にしたのだ。

ここに述べた錯誤の中の選択、決断の瞬間の内在的緊張こそが、竹内好が生涯かけて行った「紙一重」のところで思想課題を練り上げるという思想行動を支えたのであり、これこそが彼の行動を理解する確実な手がかりになる。そういう意味においてはじめて、「大東亜戦争と吾等の決意」は誤った選択としてではあれ、歴史性を刻印されたものとなったのである。」(P.134 ~ P.136) 】

孫歌の竹内好への「思い入れ」にもかかわらず、彼がこの「大東亜戦争と吾等の決意」を戦後になっても否定しなかったというところに、彼の小林秀雄たちとの親近性を感じます。アジア・太平洋戦争に対する、小林秀雄の言葉として伝えられている、例の「賢い人はうんと反省すればいい、私は馬鹿だから反省などしない」という立場とともに。

最後に、西尾幹二著『国民の歴史』に対する、孫歌の批評の文章を引用します、その節の後半の文章です。

【 「 イデオロギー的に考えても学術的に見ても、あるいは資料の使い方から言っても、この本の欠陥は明らかである。しかし進歩的エリートが一顧だにしないこうした著作こそが、日本知識人の批判的立場が直面しているアポリアを浮かび上がらせる。『国民の歴史』は、日本の知識界が『近代の超克』以来織りなしてきた近代の衝撃をめぐる思想建設に対する全面的な反動である。竹内好が「アポリア」と語った日本の主体建設の問題は「有言の不服従」の中に徹底的に解消された。『国民の歴史』は、第二次世界大戦中の日本人の創傷体験と日本民族に対する英雄主義的エクリチュールを基礎として、厳しく批判され脱構築され続けてきた日本をめぐる想像を、もっとも単純な方法によって再縫合してみせた。そして否定された記憶に訴えかけることで、日本人の「日常経験」を再構築しようとした。それが意味するのは、進歩的知識人が西洋の思想資源によって行ってきた日本ナショナリズム批判の有効性が問い質されたということである。私たちは今日はじめて、竹内好が「火中の栗をひろ」おうとした理由を理解できるかもしれない。そして、竹内好による日本の主体建設の試みが抽象的なナショナリズム批判によって簡単に解消された結果がもたらされたマイナスの効果を、今日はじめて知ることができるのかもしれない。『国民の歴史』は竹内好が最も望まなかった方法によって彼の予言を現実化した。民族主義は、「それが無視されたときに問題となる性質のものである。民族の意識は抑圧によっておこる」。

竹内好は「近代の超克」の整理に着手したとき「健全なナショナリズム」を見出すことを目指していた。竹内好にとって「近代」とは自己否定と自己更新の契機であり、実体化可能な対象ではない。竹内好の一連の論述にはある危機感が終始一貫していた。戦争の歴史の内部に分け入らなければ、そして戦争中の日本人の複雑な精神や心情を実際に体験しなければ、真の批判的主体は生まれず真の可能性も出現しないと彼は感じていた。竹内が「近代の超克」の結びに書いたとおり、戦争に投入された全エネルギーが浪費であって、継承不可能であるならば、伝統による思想形成も不可能になる。伝統によらない思想とは竹内好の言うところの「自力」でない思想であり、既成秩序の主流イデオロギーと思想的結論によって権威づけられたものである。それを竹内は「エセ知性」と呼んだ。竹内好の言い方は「日本主義者」もしくは「反近代主義者」との誤解を受けやすいかもしれない。しかしそうした浅薄な誤読を取り除くことができれば、竹内好の行っているのが東洋対西洋、伝統対近代などといった二項対立における抽象的な議論ではなく、現実の状況の中での思考であることが見て取れるだろう。

『国民の歴史』はこうした状況を見事に示した。半世紀を経て、この著作は再び「近代の超克」の封印を解き、通俗的かつ挑戦的なポーズで戦後日本の進歩的知識人たちを全面的に否定してみせた。そして立場や傾向がさまざまな批判的知識人を「現実が見えない知識人」と一括りにし、彼らに対して「政治には政治の道を歩かしめよ。学問はどこまでも学問の領分を守るべし。学問の名において政治に空想を持ちこむな。戦前も戦後も現実が見えない教養派の政治空論はもうそろそろ打ち切るにしくはなし」と警告した。この批判に妥当性は無いが、竹内好が日本のマルクス主義知識人に向けた批判を半面から実証している。戦後の「近代の超克」をめぐるさまざまな議論を結びつけて考えるならば、『国民の歴史』の出現は思想伝統の形成の方法を考え直す契機となるかもしれない。批判を廣松渉式の歴史の裁きによって単純に位置づけたり、あるいは荒正人式のインターナショナリズムによって単純に理解すると、一つの重要な問題が視野から漏れてしまう。日本人の「日本人」としての文化アイデンティティを否定的な批判のみによって解消することは不可能であり、何らかの再構築の形や思想の可能性が与えられないと、それは「無言の不服従」もしくはより破壊的な形で突然表出する。「日常経験」の次元における文化アイデンティティの問題は理論分析よりもはるかに複雑である。日常経験とはイデオロギーや理論の視野の外へと常に排除されているものであり、それゆえ理論的な正しさは日常経験とくに感情経験の「正しさ」を保証できない。日常経験での無言とは存在しないことと同じではない。それがひとたび爆発すると、理論はしばしば有効な対応ができず、ましてそれを簡単に変革させることはできない。こうした状況は、批判理論と保守的現実のあいだに存在しているばかりでない。進歩的知識人たち自身が直面しているアポリアでないと誰が言えようか。

日常経験を小林秀雄の意味ではなく竹内好の意味で重視するとき、「火中の栗をひろう」ことの必要性が生じる。日本ロマン派が拾い出したのは亡骸だけであったが、竹内好は生命の養分を取り出すことを目指した。「火中の栗をひろう」ことに伴う危険性は「政治的正しさ」を失うリスクである。「近代」が日本や東アジアにもたらした最大の衝撃はこの危険であったのかもしれない。近代以来の東アジアにおいて西洋の理論的資源はある種の革命的要素にしばしば転換された。この複雑な転換はたいてい、さまざまな単純化とそこから生じる政治的正しさを伴っていた。いわゆる「伝統対西洋」といったモデルの出現はこうした転換中に生じた単純化の帰結である。同じように、伝統の発掘にもさまざまな単純化がまとわりついた。西洋近代の衝撃に応答するという大前提のもとで、自国の文化は「西洋」に対する対立概念へと実体化され、その結果自国の思想資源の発掘は保守あるいは反動のポジションとしばしば結びつけられた。実際に、保守や反動がいわゆる「本土文化」に拠りがちだったことも確かだった。こうした状況下で自国の思想資源を発掘するには、各種の保守勢力と一線を画する必要があるばかりでなく、「時代の潮流におくれる」危険をも引き受けなくてはならなかった。この作業の難しさは以下の点にあった。直観的かつ実体化された自国のイメージと常に衝突しなければならず、同時に、時代に半歩遅れるポーズをとって「西洋」と「自国」の思想資源を融合させ、二元対立の単純なモデルを打破し続けなければならない。こうした二面作戦にもたらされる直接的なリスクとは、「自己が自己であるためには、自己を失う危険も冒さなければならぬ」というものであった。その結末は外在的に政治的正しさを失うことよりもさらに深刻である。しかしながら、東アジアの各民族が自分たちの近代の思想伝統を形成するためには、このリスクを引き受けることが避けられない選択であった。

竹内好が深い関心を寄せた魯迅の「歴史的中間物」意識とは、東アジアの民族がこのリスクを引き受ける一つの道筋にほかならなかった。竹内好は中国の近代文学の伝統について述べたときこう語っている。「「文学革命」以前から最後まで生き残ったものは、魯迅ただ一人である。 ・・・・なぜ彼が、この長い生命を得たのであるか。魯迅は先覚者ではない。」中国の知識人が思想伝統の形成といった課題をあつかう際に直面する具体的な問題は、日本の知識人とまったく同じではないとしても、「火中の栗をひろう」ことは同じように必須の手続きである。魯迅は先覚者ではない。竹内好も先覚者ではない。しかし先覚者が時代によって一人一人と淘汰されたあと、「歴史的中間物」は少しずつ存在の重みを増していく。伝統と歴史はこのように私たちの思考に深い影響を与えるが、しかし直接的に継承できるような伝統は存在していない。歴史的中間物がそれ自身の「掙扎(そうさつ)」を通じて示した立場は、『近代の超克』の文学者たちのような伝統の代言者のポーズとはまったく異なるものである。『国民の歴史』のような伝統を単純化し実体化する思考ともまったく異なるものである。さらにある種の批判的知識人のような先覚者の立場とはいっそう異なるものである。掙扎を通じて現れたこの立場は、主体の内在的自己否定の原理に基づいて、思想伝統の建設に力を注ぐものであった。竹内好が中国の近代と日本の近代の差異を強調し、日本の優等生文化を激しく非難したとき、彼は日本にとっても東アジアにとってもなじみのない一つの原理を語っていた。近代化の衝撃は、政治・経済・軍事的な侵略として東アジアの外部から到来したのは確かであるが、モダニティの衝撃は、原理的な必然として東アジアの内部において生れるはずである。竹内好は、抵抗のないところに近代はないと語る。抽象的概念の次元で竹内好の近代観を理解すると、彼はヘーゲル式歴史主義モデルから抜け出ていないように見えるだろう。しかし歴史の状況の中において、論争の中において、さらには座談の中において理解するならば、新しい問題が浮かび上がってくる。竹内好がたゆまず求めた「抵抗」を媒介とする東アジアの「近代」は、「近代の超克」のような歴史的出来事を再認識し再整理する中にこそ存在するのではなかろうか。抵抗の契機が右翼・保守知識人の日本イメージに回収されたり、抵抗の可能性が左翼知識人の先覚者のポーズに解消されたりするとき、竹内好は私たちに教えてくれる。「火中の栗をひろう」試みをやめてしまったら、私たちは自己の近代を失うことになるかもしれない、と。」(P.276 ~ P.281) 】
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レポート
2020年5月26日に日本でレビュー済み
名著『魯迅』をはじめとして中国文学にまつわる数多くの業績を残した竹内好は、日本の思想的伝統の分析でも独創的であった。座談会「近代の超克」や60年安保反対運動においてプレゼンスを示し、アメリカからの独立を一貫して主張して、日本と中国の自立を求めたのが竹内好だったが、その言説は平明とは程遠いものであった。竹内は中国では誰よりも魯迅を評価したが、魯迅自体が難解な作家であり、思想家であった。その魯迅と中国を尊重し、日本の鏡として敬い、日本の知識人の奴隷根性、自立なき米ソへの迎合、あるいはナショナルな遺産への惑溺を批判した竹内の営みは、鋭く分析され、難解な言説に表現された。本書の著者、孫歌は、丸山真男や丸山門下の政治思想史家に学び、硬質の竹内好論を書き上げたのである。私はこのほどやっと通読する機会を得たのであるが、本書の分析の、また文体の難解さに辟易したが、本書が類まれな独創的作品であることを理解し、著者の努力に敬意を表したい。登場する思想家たちへの辛口の批評も稀に見るレヴェルのものであるが、それは著者の求める思想の崇高さの帰結であろう。
2009年5月4日に日本でレビュー済み
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今自分も竹内好氏を研究中です、

この本から、大変な価値をもらえ、

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