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人間の境界はどこにあるのだろう? 単行本 – 2008/8/6

4.3 5つ星のうち4.3 5個の評価

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 岩波書店 (2008/8/6)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2008/8/6
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 208ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4000242571
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4000242578
  • カスタマーレビュー:
    4.3 5つ星のうち4.3 5個の評価

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フェリペ・フェルナンデス=アルメスト
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上位レビュー、対象国: 日本

2014年5月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「人間」とは何であるのか、という自明のような問題設定が実は難問で解答がないという衝撃的な話。何が人間で何が人間でないという境界が、いかにイデオロギーに満ちたものであるか。ピグミーが人間ではないということで、食べられてしまったり、逆にオラウータンが人間のように扱われたり。
遺伝子の取り扱い。今後、非常にセンシティブな問題。
人間じゃないものはもちろん人間としては扱わない。
胎児に人権がないことの問題性。どこから人間なのか。
知性ということが問題であるならば、将来人工知能なり、システムの内部に自立した知性が発生した時にどうするのか。
人権というもっとも重要なヒューマニズムが立っている基盤がこうもあいまいであることに驚いた。
映画「イノセント」で草薙素子は、身体がなく、ネットワークの中の知性として存在しているが、彼女が人間なのかどうか、人権があるのか、あらためて考えると大変な問題だ。
本書は過去の議論の経緯を検証しているが、本当に問題なのは今後の技術発展に伴って発生する課題だろう。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2009年1月30日に日本でレビュー済み
私自身が「日本人のアニミズム的な(あとがきで訳者の長谷川先生は仏教思想と書かれているが、どちらかというと土着的な八百万の神の思想の影響の方が大きいと思う)」「生き物と人間はほぼ同格であるという感覚」を潜在的にもっているので、何もここまで多彩な分野からアプローチするまでのこともなく、長谷川先生が呈した感想と同じように、日本人的には当たり前の「人間観」を説明していると思う面もあった。

本書は、学際的に「人間の境界」を浮き彫りにしようとしている。しかし広げ過ぎで知識の編集となっている感も否めない。とくに著者ご自身の分野ではない、自然科学である霊長類の研究成果に関するご本人の断片的な知識で論理を編み上げようとするのは説得力がないように思えた。こういうことはその分野の研究者がやるべきことだと思う。テーマが壮大であるから、学際的にならざるを得ないのだろう。

本書で読むべき点は、ある時代から西欧の二分する思想がどれほど現代にまで世界的に大きな影響を与えているのかの警鐘を示していることであろう。著者が警鐘を与える文明論として読むと、たいへん深いテーマである。西欧文明による価値観が我々の生活に知らず知らずに入ってきて、本来日本人がもっていた人間観に影響を与えられていたことに気がつく。そして、文明という視点から見ると、社会・政治・法律などのレベルにしたときの、制度における人間観や、社会での差別や区別しているものが何なのか、自分自身へ「あなたの考える人間とは何なのか」をつきつけられることに気がつく。一つの正解や視点を提供するのではなく、疑問を呈して、我々の固定観念へゆさぶり、考えることに誘ってくれる良書である。
英文タイトルはまさしく「 So You Think You're Human?- A Brief History of Humankind」である。

読後は「続編」があるといいと思った。他分野の学者たちとの討論集を期待したい。この壮大なテーマでは討論の方がかえって広がりが出て自然なのではないだろうか。
7人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2011年6月13日に日本でレビュー済み
前半部分の生物学的な検討が、さらに一層突っ込まれて、分類検証に使用されている手法とその差違の程度に具体的に踏み込んだものに記述されていれば、本当に良いと思いました。読んでいて、どうも中途半端な表面的検討に流されている感じがしました。 訳文の問題ではなく、原文がそうなのでしょうが、見た目で分かり易い言い回しではないと思います。 高校生の頃は結構複雑な構文で、文章中に反語や疑問提示、横道、かなり詳しい細部解説を入れた文章でも平気でしたが、最近は歳の所為と、平易で単純な言い回しになれてしまったので、文意がすっきり頭に入らずに困りました。 意味がわかってから読み直すたときには、流れる思考に沿った文章に思えるのですが、最初に読み進むときには、大変に読みづらかったです。
訳者あとがきで長谷川さんは、日本文化と西欧文化の生き物と人間の分離的/汎的と耐え方を持ち出して解説しているけれども、このような視点を含めてこの本を読むのには、私は賛成できない。そうした文化の差を持ちださないで、厳格に分類がどこまで可能か、どこに境界を引くことができるのかを、最新の科学的(化学も含めて)ロジックで追求して欲しかった。
1冊の本にするために、精神や遺伝子組み換えなどのテーマも組み込んで、それらしくまとめようとしてしまったために、かえって中途半端になった気がする。
(そんなに古くないが)絶滅してげんぞんしていないと思われている人間に近い生物と、現在の人間(実に多様です)、ホモ属に限定せず、サル類の生物的な違いや近似をしっかりと提示することだけでも、この本の1〜2冊分になるでしょう。 ぜひそうしていただきたかった。
その後、シリーズを続けて、価値判断を含めないで、人種と言われているようなもの、あるいは同じ人種とされている中での遺伝的家系もの、欧州やアフリカに残った人とアメリカで数世代を経た人、日本人で言えば大正時代と平成時代の人間の近似と差、疾病障害を持ちやすい人とそうでない人との遺伝的生理的な差などを、淡々と提示していただきたかった。
人間は平等だとか、人権の概念、受精卵胎児出生児、障害者、老人、遺伝的に弱さを持つ人にも気を使うような視点を入れてしまったら、せっかくの科学的な態度が浅薄な思考や、人間を大事にしようという道徳論に消えてしまう。
そうした意見や思想を持つのも自由だが、決めつけ的人間第一とか生命平等主義を横に置いて、科学的・技術的に判明している事実を提示することに徹底していただきたかった。
それにしても、類書を知らないので、前半はとても新鮮でした。
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2009年1月27日に日本でレビュー済み
人間であるとはどういうことか? 果たしてゴリラやチンパンジーは人間と言って良いのだろうか? 逆に問う。「なぜ彼らを人間と扱ってはいけないのか?」

古くは人間とは、二足歩行し、道具を使い、文化を共有し、自意識を持っている…といった「定義」が成されてきたが、それはあくまで人間が人間としての領域をかたくなに守り続けるための線引きでしかなかった。実際、上に挙げた種々の「定義」は現在ではヒト以外の多くの霊長類に広く見られることが常識となっている。研究が進めば進むほど、ヒトの特権とされてきた領域が狭まり、その境界があいまいになっていることに気づくのである。結論として、現行のデータから考えると、「ヒトとサルとの境界はない」。

著者は上記の結論を提出するのだが、これに対して強い抵抗感を示す人々が非常に多いことにももちろん言及している。特に西洋世界では、ヒトは神の姿に似せて作られた、最高の創造物であるという思想がしみこんでいるので、なおさら受け入れにくい土壌がある。しかし、事実を突き詰めて考えれば、原人や猿人はいわずもがな、サルも同じ仲間であるとしか言いようがないと解説する。

しかし、だからと言って単純にサルをヒトとして扱えば、それはそれで新たな問題が発生するとも述べる。当然のことながら、その問題とは、人間の矜持の崩壊などと言う一方的傲慢に基づくものではない。例えば、権利の問題がある。サルをヒトとして扱うということは、冒頭で述べたような、「自意識があって、道具を使って…」と言うヒトの定義が拡張できる動物に対してヒト同様の権利を認めるということである。では、その場合、胎児や植物人間はヒトではないのか? もちろんそんなことはないだろう。では、彼らをも含めた「境界線」はどうすればよいのだろう? そういった新たな「線引き」の問題が現出するだろうと筆者は問題提起している。

きちっとした定義や線引きで割り切りたいというのは、西洋人特有の考え方だと片付けてしまうのはあまりにも乱暴である。権利の話でわかるように、明確な定義が必要とされる場合もある。それに対して我々「ヒト」はどう向き合っていけば良いのか? 軽快なテンポで非常に読みやすく書かれているが、考えされられる問題は非常にディープである。人間という境界が含む諸問題をわかりやすく提示して見せてくれる良書。
6人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2009年2月10日に日本でレビュー済み
人間とそうでないものの境界を問うとは、種とは何かを問うことである。けれども筆者は人間という種の位置を考慮して、この問いの代わりに人間の歴史を振り返り、その中で人間という種がどのように認識されてきたかをひもといていく。これはなかなか遠回りなやり方だが、同時に興味深い内容でもあった。かくして人間の歴史を長々と述べてたどり着いた筆者の結論は「人間であり続けたいならば、神話を捨てるよりは、神話を生きることを始めたほうがよいのだろう」である。あらためて人間という生物が生き残ることの難しさを思わずにはいられない。
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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