岩波書店の検証シリーズ4作目に当たります。
1999年「検証 経済失政」軽部謙介、西野智彦、2001年「検証 経済迷走」西野智彦、2003年「検証 経済暗雲」西野智彦、に続きます。
間に、「ドキュメント ゼロ金利」 軽部謙介2004を挟んでいます。
テーマを絞った読み応えのあるシリーズだと思います。
バブル失政というテーマは、時機を逸するかもしれませんが、その時代、政策を知るものとしては、興味あるものでした。
この時期の出版について、著者は、バブルの生成・崩壊のメカニズムは、アカデミズムの世界で多くの論考がされているとしたうえで、ジャーナリズムの立場から、「いつ、どこで、誰が、何を、なぜ、どのようにして」という解明が生命線である、と述べています。
そのため、本書は、日銀の金融政策、大蔵省の銀行行政について、具体的に、誰が何をやったか、やらなかったか、という具体的検証が主目的となります。
登場人物も多彩で、結果からは伺い知れない当事者各員の力関係、意図などが明らかにされています。
本書では、旧日銀法での日銀について、大蔵省の指揮下にあって、独立性はないに等しいという、かつては正面きって公言することがはばかられたことを、明確な事実として語っています。その中での日銀の三重野康氏の苦悩、いらだちの記述が印象深く感じました。
最も興味深く読んだところは、バブル期の 土地融資の総量規制発動に至るやりとりでした。
政治家と官僚、国土庁と大蔵省、銀行局とその他の局、銀行局長と銀行局事務方と、種々のレベルでの考え方・対応は、初めて知りました。
当時は、「また文書が出たか」 という程度の認識しかありませんでしたし、マスコミ論調も、効果があるという評価ではなかったと思います。
総量規制の効果に対する事前予想と事後の結果に対する関係者の反省・感想も面白いものでした。
エピローグで、失政の原因を短く総括しています。
正論です。しかし正論であるがゆえに違和感も残ります。。
本書は物語的要素は薄いので、当時を知らない人には、雰囲気が分らないのではないかという心配もあります。
(338)

無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
検証 バブル失政――エリートたちはなぜ誤ったのか 単行本 – 2015/9/26
軽部 謙介
(著)
「金融緩和の長期化がバブルの要因」と言われる。だが、具体的には誰が何をやったのか、あるいはやらなかったのか。圧倒的な取材力で独自に入手した日銀や大蔵省、さらにアメリカ側の公文書、日記、備忘録、150人以上にのぼる当局者へのインタビュー、極秘の部内でのオーラルヒストリーなどで、「あの時代」の金融行政の最前線を再現する。
- 本の長さ432ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日2015/9/26
- 寸法12.9 x 3 x 18.8 cm
- ISBN-104000244795
- ISBN-13978-4000244794
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2015/9/26)
- 発売日 : 2015/9/26
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 432ページ
- ISBN-10 : 4000244795
- ISBN-13 : 978-4000244794
- 寸法 : 12.9 x 3 x 18.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 361,602位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。

著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2017年8月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
私は、今まで、バブルの生成と崩壊は、日銀の金融緩和と金融引締のタイミングが各々合わなかったために起こってしまったものと漠然と考えておりました。そして、そうであるが故に、バブルの生成と崩壊の責任は、先ず日銀にあると考えておりました。
しかし、本書を読んでみて、考えが少し変わりました。本書に書かれてあることが正しいとすると、当時の日銀は大蔵省の監督下にあり、金融政策は実質大蔵省が担っていたということになるからです。そうであれば、バブル生成と崩壊の責任は、先ずは、大蔵省およびその上に立つ当時の政権にあるということになると思いました。
一方、本書を読み進んでいくうちに(今は一部工事中ですが)植栽と石畳がとても綺麗な日銀本店前を通る度に抱いた、スマートな日銀の印象が変わっていくのを感じました。
例えば、「これは日銀の俊英たちが今回の決定を経済的にうまく説明してくれたものだった。裏のドタバタはどうあれ、だ。」(145頁)の部分で書かれている日銀は、スマートな印象の日銀とは異なるものでした。
「Aを行わざるを得ない。理由はB」という状況でAを実施する時、不本意ながらもAを実施することに伴った辛さが発生することは往々にしてあるものです。しかし、様々なしがらみから「Aを行わざるを得ない。理由はBということにする」という状況でAを実施する時には、その様なAを実施することに伴った辛さ以外に、「理由はBということにする」ことに伴った辛さが発生します。
そして、不本意ながらも全力でAを実施し、理由についても、脳みそを総動員してBということにした後に、しばらくたってから、「何でAをやったんだ」などと言われると、言葉を失うことになります。なぜなら、Aは不本意ながらやったことであり、それにもまして、その理由がBであるとは自分自身でも全く思っていないからです。したがって、「Bだったから」と苦しまぎれに答えた後、「お前馬鹿か」と言われると、返す言葉も無くなります。
この様な時に感じるしんどさは、スマートな印象の日銀には無縁のものと考えておりましたが、結構その様なしんどさに当時の日銀はどっぷり浸かっていた様に思えます。そして、当時の日銀の方々(特に三重野元総裁)は、その後、回顧録等で当時のことを饒舌に語るということはなかったということなので、何とも言えない強い哀愁を感じてしまいます(しがらみに縛られ過ぎてしまい、何をどう語れば良いのか既に分からなくなってしまっているといったところだったのかもしれませんし、そもそも、もう思い出すのもイヤだといったところだったのかもしれません)。
バブルを考える上で、バブルの最中および前後の諸経済統計を分析することは正攻法であり大切なことであるかと思います。しかし、それとは別に、具体的な各当事者がどの様に考え行動したのかを追っていくことも、バブルを考える上でとても重要であると感じました。本書をお薦め致します。
しかし、本書を読んでみて、考えが少し変わりました。本書に書かれてあることが正しいとすると、当時の日銀は大蔵省の監督下にあり、金融政策は実質大蔵省が担っていたということになるからです。そうであれば、バブル生成と崩壊の責任は、先ずは、大蔵省およびその上に立つ当時の政権にあるということになると思いました。
一方、本書を読み進んでいくうちに(今は一部工事中ですが)植栽と石畳がとても綺麗な日銀本店前を通る度に抱いた、スマートな日銀の印象が変わっていくのを感じました。
例えば、「これは日銀の俊英たちが今回の決定を経済的にうまく説明してくれたものだった。裏のドタバタはどうあれ、だ。」(145頁)の部分で書かれている日銀は、スマートな印象の日銀とは異なるものでした。
「Aを行わざるを得ない。理由はB」という状況でAを実施する時、不本意ながらもAを実施することに伴った辛さが発生することは往々にしてあるものです。しかし、様々なしがらみから「Aを行わざるを得ない。理由はBということにする」という状況でAを実施する時には、その様なAを実施することに伴った辛さ以外に、「理由はBということにする」ことに伴った辛さが発生します。
そして、不本意ながらも全力でAを実施し、理由についても、脳みそを総動員してBということにした後に、しばらくたってから、「何でAをやったんだ」などと言われると、言葉を失うことになります。なぜなら、Aは不本意ながらやったことであり、それにもまして、その理由がBであるとは自分自身でも全く思っていないからです。したがって、「Bだったから」と苦しまぎれに答えた後、「お前馬鹿か」と言われると、返す言葉も無くなります。
この様な時に感じるしんどさは、スマートな印象の日銀には無縁のものと考えておりましたが、結構その様なしんどさに当時の日銀はどっぷり浸かっていた様に思えます。そして、当時の日銀の方々(特に三重野元総裁)は、その後、回顧録等で当時のことを饒舌に語るということはなかったということなので、何とも言えない強い哀愁を感じてしまいます(しがらみに縛られ過ぎてしまい、何をどう語れば良いのか既に分からなくなってしまっているといったところだったのかもしれませんし、そもそも、もう思い出すのもイヤだといったところだったのかもしれません)。
バブルを考える上で、バブルの最中および前後の諸経済統計を分析することは正攻法であり大切なことであるかと思います。しかし、それとは別に、具体的な各当事者がどの様に考え行動したのかを追っていくことも、バブルを考える上でとても重要であると感じました。本書をお薦め致します。
2015年10月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
僕は併読型だが、本作を読み始めると他の本は手に取らなくなった。臨場感溢れる一冊であり、金融に詳しくなくても
勉強になりつつ楽しく読めた。
僕自身がバブル世代であるので本作を比較的理解し易い年代かと思う。ある時期、日本が極めて自信過剰に
なっていたことを本書は忌憚なく描き出す。バブルの発生と崩壊は、その時代の固有で様々な要因に帰することも
可能だろうが、長い目で見た場合には、ある種の人間の業というものがそこにあると僕は思う。
日本の場合にはやはり「第二次大戦での徹底的な敗北」が産んだ劣等感と、「そこから這い上がってきた」
という優越感がバブルの端々に香っていたと思う。「盛者必衰の理」とは平家物語の一節だが、バブルの頃の
僕らは、平家物語を編んだ鎌倉時代の人たちよりも「理」が分かっていなかった。そう断じられても、ぐうの音も
出ないかもしれない。
この時代になぜ作者はバブルを論じているだろうかと考えることは重要だ。
一つには、時間が経ち、評価が定まってきたということもあるのかもしれない。バブルを
論じた本はバブル崩壊直後から沢山有ったと思う。どの本もある種の結論は出していたにせよ、
結局は「中間報告」に過ぎないという面もあったような印象を受ける。勿論本作もかような
「中間報告」の一冊になってしまうかもしれない。但し、それでも本作は貴重な歴史の証言
になるのでないかと思われる。
本書に登場する人々は、優秀な方ばかりだったはずだ。そんな優秀な「レミングたち」が
まっしぐらに水に向かって走っていった時代があったということなのだろうか。
勉強になりつつ楽しく読めた。
僕自身がバブル世代であるので本作を比較的理解し易い年代かと思う。ある時期、日本が極めて自信過剰に
なっていたことを本書は忌憚なく描き出す。バブルの発生と崩壊は、その時代の固有で様々な要因に帰することも
可能だろうが、長い目で見た場合には、ある種の人間の業というものがそこにあると僕は思う。
日本の場合にはやはり「第二次大戦での徹底的な敗北」が産んだ劣等感と、「そこから這い上がってきた」
という優越感がバブルの端々に香っていたと思う。「盛者必衰の理」とは平家物語の一節だが、バブルの頃の
僕らは、平家物語を編んだ鎌倉時代の人たちよりも「理」が分かっていなかった。そう断じられても、ぐうの音も
出ないかもしれない。
この時代になぜ作者はバブルを論じているだろうかと考えることは重要だ。
一つには、時間が経ち、評価が定まってきたということもあるのかもしれない。バブルを
論じた本はバブル崩壊直後から沢山有ったと思う。どの本もある種の結論は出していたにせよ、
結局は「中間報告」に過ぎないという面もあったような印象を受ける。勿論本作もかような
「中間報告」の一冊になってしまうかもしれない。但し、それでも本作は貴重な歴史の証言
になるのでないかと思われる。
本書に登場する人々は、優秀な方ばかりだったはずだ。そんな優秀な「レミングたち」が
まっしぐらに水に向かって走っていった時代があったということなのだろうか。
2016年1月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
確かに当時の政府内の動きがよくわかったが、もっと広く学会、経済界、メディアなどの
うごきを全体的に再検証してはどうかという思いが自分の後悔の念とともに湧いてきた。
しかし、当時の指導者が未だに影響力を持っているのは自身後悔していないのだろうか?
うごきを全体的に再検証してはどうかという思いが自分の後悔の念とともに湧いてきた。
しかし、当時の指導者が未だに影響力を持っているのは自身後悔していないのだろうか?
2019年5月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
プラザ合意後公定歩合を下げたのは円高による輸出経済の落ち込みと信じていたが、米から圧力相当のようなモノがあったことを知りました。
2016年2月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
日本銀行の限界と外圧や政治との絡みがよくわかりました。わかりやすいと思いました
2015年12月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
所詮、日本は米国に牛耳られているのかと認識できる一冊。自民党が継続する限り、第二のバブル、第三のバブルが発生し破裂するのだろう。理屈でわかっていても行動に移せない哀れな日本人。いつになったら大人になれるのだろう。