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豚を盗む 単行本 – 2005/2/4
佐藤 正午
(著)
- 本の長さ292ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日2005/2/4
- ISBN-104000246267
- ISBN-13978-4000246262
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2005/2/4)
- 発売日 : 2005/2/4
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 292ページ
- ISBN-10 : 4000246267
- ISBN-13 : 978-4000246262
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,136,205位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 16,562位近現代日本のエッセー・随筆
- - 101,383位ビジネス・経済 (本)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2010年10月17日に日本でレビュー済み
二十年近く前になると思うけれど、本の雑誌で北上次郎が何度も保留つきで佐藤正午の小説を推していたことが印象に残っていた。正確にいうと「正午」という名前の風変わりさが印象に残った。実際に小説を手に取ったのはつい最近で(図書館の本棚(海外作家ま行)を見ていたら不意に作者名が閃いた)、現代日本作家で村上春樹以来久しぶりに何度も読み返したくなる文章を書く作家を見つけたと思って続けざまに何冊も小説を読んで、いつしか新刊が出るのを待ち望む読者のひとりとなった。その延長線上で日ごろ読まなくなったエッセイだけれど本書を手に取った次第です。エッセイなのに「アンダーレポート」のように物凄く一文一文にこだわりを持って執筆しているような気がした。それが佐藤正午独特の文体というか癖があって、その癖を味わいと感じるか苦手と感じるか、読みやすいけれど読み難いというか、やっぱり風変わりです。ものがきの生き様というか執念が炙り出されているようなエッセイ集でした(小難しい話題はないけれど)。掌編小説が二話収録されているのにはびっくりしました。
2005年5月30日に日本でレビュー済み
「ありのすさび」「象を洗う」に続く第3弾エッセイ集。
2001年以降に書いた連載エッセイ2本、
1986年~2004年の間に単発で書いたさまざまな文章が約40本、
1990年代前半に書いた短編小説が2本、という内容です。
正午さんの本はどちらかというと小説よりエッセイのほうが好きです。
大きな出来事など起こらない何気ない日常が心地よく、安心して読むことができます。
ピリッと辛い独特のユーモアも相変わらず健在(笑)
平凡な毎日の中からでも何かを選び出し、面白く、興味深く描くことができるのはさすが作家の技ですね。
しかし、構成がどうも読みにくい。
古いものから新しいものまでさまざまな文章があるわけですが、
それが年代ごとに構成されているわけではなくバラバラに並べられているのです。
つまり、一編ごとに正午さんが30代になったり40代になったり・・・。
これはどうにかならなかったのか惜しいですね。
「十七歳」「叔父さんの恋」という2本の小説も古さもあり、いまいちインパクト不足。
特に「叔父さんの恋」はヘンに気障なのが気になりました。
以上のこともあり残念ですが、
この本は前の2冊のエッセイ集に比べると落ちるような印象を受けました。
2001年以降に書いた連載エッセイ2本、
1986年~2004年の間に単発で書いたさまざまな文章が約40本、
1990年代前半に書いた短編小説が2本、という内容です。
正午さんの本はどちらかというと小説よりエッセイのほうが好きです。
大きな出来事など起こらない何気ない日常が心地よく、安心して読むことができます。
ピリッと辛い独特のユーモアも相変わらず健在(笑)
平凡な毎日の中からでも何かを選び出し、面白く、興味深く描くことができるのはさすが作家の技ですね。
しかし、構成がどうも読みにくい。
古いものから新しいものまでさまざまな文章があるわけですが、
それが年代ごとに構成されているわけではなくバラバラに並べられているのです。
つまり、一編ごとに正午さんが30代になったり40代になったり・・・。
これはどうにかならなかったのか惜しいですね。
「十七歳」「叔父さんの恋」という2本の小説も古さもあり、いまいちインパクト不足。
特に「叔父さんの恋」はヘンに気障なのが気になりました。
以上のこともあり残念ですが、
この本は前の2冊のエッセイ集に比べると落ちるような印象を受けました。
2005年3月13日に日本でレビュー済み
「ありのすさび」「象を洗う」に次ぐ佐藤正午・待望のエッセイ集第三弾。いえ、もちろん「待望」というのは私の主観でしかありませんが。
著者は巻頭の「転居」でいみじくもこう綴ります。
「生きることの大半は繰り返しである。」
その昨日と変わらぬ今日の中に、それでも著者はわずかな変化を嗅ぎ取ります。かつて20代だった駆け出しの作家も40代の中年小説家になった今、その歳月の積み重ねこそが可能にする力で変化を切り出し、そこに意味を見出して読者に提示してみせます。読者は、そして、そうか私が握っている箸や私がたたいているワープロにだって見ようと思えばそんな見方も許されるんだ、と何かひとつ得した気分になれるのです。
ただし、今回は二つの前作エッセイ集に比べると大人しくなっているという印象を持つのですが気のせいでしょうか。前の二冊にはエッセイと銘打ちながら実は完全なフィクションであるような文章がいくつも混じっていて、虚実ないまぜの幻惑的な一冊になっていましたが、今回は読者に対するそんな挑戦的な試みが見られないのです。その点が少々肩透かしを食らった感じが残りました。
いや、ひょっとしたらあれは架空の人物ではないでしょうか。ほら、高校時代の同級生で佐世保市内で喫茶店を経営しているというあの女性。幾度か本書の中に登場する人物ですが、彼女も小説家の創造の産物なのではないかな、とふとそんな気がしてしまうのです。そんな深読みを私に強いるほど、前の二作が強烈だったということなのでしょう。
著者は巻頭の「転居」でいみじくもこう綴ります。
「生きることの大半は繰り返しである。」
その昨日と変わらぬ今日の中に、それでも著者はわずかな変化を嗅ぎ取ります。かつて20代だった駆け出しの作家も40代の中年小説家になった今、その歳月の積み重ねこそが可能にする力で変化を切り出し、そこに意味を見出して読者に提示してみせます。読者は、そして、そうか私が握っている箸や私がたたいているワープロにだって見ようと思えばそんな見方も許されるんだ、と何かひとつ得した気分になれるのです。
ただし、今回は二つの前作エッセイ集に比べると大人しくなっているという印象を持つのですが気のせいでしょうか。前の二冊にはエッセイと銘打ちながら実は完全なフィクションであるような文章がいくつも混じっていて、虚実ないまぜの幻惑的な一冊になっていましたが、今回は読者に対するそんな挑戦的な試みが見られないのです。その点が少々肩透かしを食らった感じが残りました。
いや、ひょっとしたらあれは架空の人物ではないでしょうか。ほら、高校時代の同級生で佐世保市内で喫茶店を経営しているというあの女性。幾度か本書の中に登場する人物ですが、彼女も小説家の創造の産物なのではないかな、とふとそんな気がしてしまうのです。そんな深読みを私に強いるほど、前の二作が強烈だったということなのでしょう。
2005年3月15日に日本でレビュー済み
この人の描く恋愛小説はなぜか私の肌に合う。
今回のエッセイ集は1991年から最近のものまでずいぶんと時間の幅があるのだが、エッセイもだいぶ上手になっているのがよくわかる。
もっとも小説は未だデビュー作の永遠の1/2を超えるものがでていない気もするが。
カトラリーをカラトリーと誤解していたくだりは、私もそうだっただけに笑えた。
今回のエッセイ集は1991年から最近のものまでずいぶんと時間の幅があるのだが、エッセイもだいぶ上手になっているのがよくわかる。
もっとも小説は未だデビュー作の永遠の1/2を超えるものがでていない気もするが。
カトラリーをカラトリーと誤解していたくだりは、私もそうだっただけに笑えた。