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墓標なき草原(下) 内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録 単行本 – 2009/12/18
楊 海英
(著)
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- 本の長さ298ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日2009/12/18
- ISBN-104000247727
- ISBN-13978-4000247726
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2009/12/18)
- 発売日 : 2009/12/18
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 298ページ
- ISBN-10 : 4000247727
- ISBN-13 : 978-4000247726
- Amazon 売れ筋ランキング: - 707,837位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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5 星
毛澤東の文化大革命は内モンゴルから始まった
証言集『墓標なき草原――内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録』(楊海英著、岩波現代文庫、上・下)、『続 墓標なき草原――内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録』(楊海英著、岩波書店)を手にしました。この3冊のおかげで、●中華人民共和国の内モンゴル自治区(内モンゴル)と、モンゴル人民共和国(現・モンゴル国、外モンゴル)という2つのモンゴルが存在すること、●毛澤東の文化大革命が内モンゴルから始まったこと、●内モンゴルで行われた中国共産党による大虐殺の酸鼻を極めた実態――を知ることができました。「日本は満洲国を1932年に創った。満洲の広大無尽の黒い土に満足しなかった日本はさらに北上してモンゴル人民共和国やシベリアにも進出しようとした。内モンゴルの草原ノモンハンで1935年夏にソ連・モンゴル聯合軍と一戦を交えて大敗を喫した日本はその後、軍を中国全土に展開するようになった。拡大路線は少しずつ帝国の自壊につながった。・・・草原に進出していた日本人たちは1945年秋に列島にもどったが、モンゴル人たちの領土は分断された。一部がソ連の衛星国となり、一部は中国に占領されて自治区となった」。「物事を常に善悪という二項対立で思考しがちな中国において、共産党は『モンゴル人たちは対日協力者』だと断罪し、民族自決のための歴史も『祖国を分裂させようとした行動』だ、と建国後17年の歳月が経ってから批判しはじめた。モンゴル人たちが近現代において構築してきた歴史はすべて罪として再清算された。こうして、1967年から1970年にかけての3年間に、大規模なジェノサイド(民族の集団虐殺)が内モンゴルの草原で発動された」。「内モンゴル自治区は『モンゴル修正主義者の国』や『ソ連修正主義者』と国境を接する『反修正主義の前線』である。いざ修正主義者の軍隊が攻めてきたときのモンゴル人たちの動向も定かではないので、やはり事前にその精鋭を集団粛清するのが無難な防衛策だった。何しろ、精鋭たちは以前に日本に協力した過去をもっているのである」。「共産党政府と漢人たちがすすめた残忍非道な殺戮は規模が大きく、期間も長かった。内モンゴルの草原は名実ともに『殺戮の原野』に化していた。女性たちはレイプされ、国境地帯に住んでいた者は強制移住を命じられた。人々は母国語のモンゴル語で話すことも禁じられていた。・・・何万人ものモンゴル人が殺され、大勢の女性たちが強姦された文化大革命であるが、裁かれた漢人は一人もいなかった。被害者のモンゴル人たちに味方する正義は中国にはなかった。・・・大量虐殺は『モンゴル人同士の内紛』、すなわち『日本的な近代教育を受けた東部のモンゴル人たち』と『延安派モンゴル人たち』の『対立』が原因だった、と中国共産党は主張している」。
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2022年12月6日に日本でレビュー済み
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遠い国 中国。 モンゴルの教科書より。
本書を読んでいる時に、モンゴルを知りたいと痛烈に思った。かつての記憶を
手探って、ようやくモンゴルで使用されている(正確には いた)教科書を思い
だし暫くぶりに引っ張り出した。「アジアの教科書に書かれた日本の戦争」の「東
アジア編」がそれ。そこにはモンゴルに住む(主にはモンゴル民族の)「中国観」
が表れている。ただしこの教科書は1987年のもので、もはや35年昔にさか
のぼる。
------------モンゴルの歴史教科書--------------
「五節 国際情勢の先鋭化とハルハ河会戦」では、はっきりとこう言いきってい
る。「一九三〇年代には、国際情勢が非常に悪化した。…日本の帝国主義勢力は、
朝鮮、満州、内モンゴルを侵略し…モンゴル人民共和国の…国境を脅かした。」
ここまでは何ともない表現なのだが、次の文章。
「毛沢東(敬称とは一切ない)は、以前から、モンゴルの独立に不満を抱いて
いた中国の高慢な分子たちと同じ考えをもっていた。彼は一九三六年に、アメリ
カのジャーナリスト、エドガー・スノーと会見したさい『モンゴルは、中国から
不法に分離させられたが、中国領土の一部である』と平然と答えていた。毛沢東
がこの態度をその後もとり続けていた事を、ここでふれておこう」。
はっきりとした「中国への敵対感情」がここにある。モンゴルの隣国であり、
(形式的だが)社会主義国であった中国がどのようにモンゴルの人々に映ってい
るのかの、その答えである。さらにソ連との関係が深く(つまりは中国への批判
的立場から)、以下のように記している。
「この時期には、モンゴル・ソビエト間の友好はますます強化され、一九三四
年十一月二七日には、ソ連・モンゴル相互援助口頭協定(ママ)が締結された…(さ
らに)相互援助議定書を締結した。…『もしもモンゴル、またはソ連が第三国に
攻撃された危機に遭遇した場合には、それぞれあらゆる援助、とくに軍事援助を
行う義務をもつ』と明示された」。当時の中国とはろくに条約を結ぶこともせず、
提携に乗り気でなかったことが読み取れる。
「ファシスト=ドイツ・イタリア・日本の帝国主義者などの侵略的な爪によっ
て…血による秩序が確立した。…帝国主義日本は、わが国(モンゴル)の国境を
連続して侵犯し…ハルハ河流域で大規模な攻撃を行った。この困難な時期に、モ
ンゴル・ソビエト軍は反撃に出て、日本軍を国境まで退却させた。」
ハルハ河とは、日本ではノモンハンとされる地域のこと。ノモンハンという呼
称自体モンゴルでは使用されていないことは、恥ずかしながら初めて知った。
また日本の「細菌戦」のことも記している。簡略に書けば、1941年ころか
ら日本軍は中国東北部に防衛施設を築き、細菌戦の準備をした。と記述してある。
これは「旧七三一部隊」が1936年に結成され、行動していたことと符合する。
以上のように、ソ連との連携にページを割いており、さらに
「困難な状況にありながらも、ソ連はわが国(モンゴル)の独立を守るために多
大な援助を行い、モンゴル側の希望で特別な軍隊をわが国領土内に駐留させ、日
本の侵攻からモンゴルを守っていた」。
「一九四五年…ファシストドイツが降伏文書に署名し…ソ連・ソビエト赤軍が
戦争において名誉ある行為を(なし)…一九四五年に行われたヤルタ、ポツダム
の両会談において咲いた採択された協定にしたがって…ソ連は日本に宣戦布告し
た。…モンゴルは日本に宣戦布告し…日本と交戦状態に入ったソ連とは相互援助
議定書を結んでいるので…ソ連の崇高な諸活動を援助することに努めた。対日戦
に於いて、モンゴル人民革命党は…進軍し…多くの町や村落を解放した。…内モ
ンゴル、バルガ地方、そして中国の解放された地域の人民は、ソビエト・モンゴ
ル軍を熱く歓迎し、喜びと感謝の意を表していた…モンゴル人民共和国英雄が輩
出した。」
結びには、「日本軍国主義(ママ)を粉砕する際、ソ連はその中心的役割を果た
した。ソ連は日本軍の主要な戦力であった関東軍を撃破したことは…決定的勝利
であった」。こういう総括をしている。
日本側から見れば、中国軍の長期戦計画のもの日本軍は徒に戦力を失った。そ
のことが日中戦争・太平洋戦争の敗因となったと思われるが、見事に中国戦線に
は触れていない。
このモンゴル側の、一種「反中国的」な中国への冷たい視線があり、中国とは
全く歴史認識が異なる。
中国の「モンゴルは中国の一部」という認識と、この「中国に背を向けるモン
ゴル」は同じ歴史を共有していない。
まさにそのことが、本書に描かれている。
本書を読んでいる時に、モンゴルを知りたいと痛烈に思った。かつての記憶を
手探って、ようやくモンゴルで使用されている(正確には いた)教科書を思い
だし暫くぶりに引っ張り出した。「アジアの教科書に書かれた日本の戦争」の「東
アジア編」がそれ。そこにはモンゴルに住む(主にはモンゴル民族の)「中国観」
が表れている。ただしこの教科書は1987年のもので、もはや35年昔にさか
のぼる。
------------モンゴルの歴史教科書--------------
「五節 国際情勢の先鋭化とハルハ河会戦」では、はっきりとこう言いきってい
る。「一九三〇年代には、国際情勢が非常に悪化した。…日本の帝国主義勢力は、
朝鮮、満州、内モンゴルを侵略し…モンゴル人民共和国の…国境を脅かした。」
ここまでは何ともない表現なのだが、次の文章。
「毛沢東(敬称とは一切ない)は、以前から、モンゴルの独立に不満を抱いて
いた中国の高慢な分子たちと同じ考えをもっていた。彼は一九三六年に、アメリ
カのジャーナリスト、エドガー・スノーと会見したさい『モンゴルは、中国から
不法に分離させられたが、中国領土の一部である』と平然と答えていた。毛沢東
がこの態度をその後もとり続けていた事を、ここでふれておこう」。
はっきりとした「中国への敵対感情」がここにある。モンゴルの隣国であり、
(形式的だが)社会主義国であった中国がどのようにモンゴルの人々に映ってい
るのかの、その答えである。さらにソ連との関係が深く(つまりは中国への批判
的立場から)、以下のように記している。
「この時期には、モンゴル・ソビエト間の友好はますます強化され、一九三四
年十一月二七日には、ソ連・モンゴル相互援助口頭協定(ママ)が締結された…(さ
らに)相互援助議定書を締結した。…『もしもモンゴル、またはソ連が第三国に
攻撃された危機に遭遇した場合には、それぞれあらゆる援助、とくに軍事援助を
行う義務をもつ』と明示された」。当時の中国とはろくに条約を結ぶこともせず、
提携に乗り気でなかったことが読み取れる。
「ファシスト=ドイツ・イタリア・日本の帝国主義者などの侵略的な爪によっ
て…血による秩序が確立した。…帝国主義日本は、わが国(モンゴル)の国境を
連続して侵犯し…ハルハ河流域で大規模な攻撃を行った。この困難な時期に、モ
ンゴル・ソビエト軍は反撃に出て、日本軍を国境まで退却させた。」
ハルハ河とは、日本ではノモンハンとされる地域のこと。ノモンハンという呼
称自体モンゴルでは使用されていないことは、恥ずかしながら初めて知った。
また日本の「細菌戦」のことも記している。簡略に書けば、1941年ころか
ら日本軍は中国東北部に防衛施設を築き、細菌戦の準備をした。と記述してある。
これは「旧七三一部隊」が1936年に結成され、行動していたことと符合する。
以上のように、ソ連との連携にページを割いており、さらに
「困難な状況にありながらも、ソ連はわが国(モンゴル)の独立を守るために多
大な援助を行い、モンゴル側の希望で特別な軍隊をわが国領土内に駐留させ、日
本の侵攻からモンゴルを守っていた」。
「一九四五年…ファシストドイツが降伏文書に署名し…ソ連・ソビエト赤軍が
戦争において名誉ある行為を(なし)…一九四五年に行われたヤルタ、ポツダム
の両会談において咲いた採択された協定にしたがって…ソ連は日本に宣戦布告し
た。…モンゴルは日本に宣戦布告し…日本と交戦状態に入ったソ連とは相互援助
議定書を結んでいるので…ソ連の崇高な諸活動を援助することに努めた。対日戦
に於いて、モンゴル人民革命党は…進軍し…多くの町や村落を解放した。…内モ
ンゴル、バルガ地方、そして中国の解放された地域の人民は、ソビエト・モンゴ
ル軍を熱く歓迎し、喜びと感謝の意を表していた…モンゴル人民共和国英雄が輩
出した。」
結びには、「日本軍国主義(ママ)を粉砕する際、ソ連はその中心的役割を果た
した。ソ連は日本軍の主要な戦力であった関東軍を撃破したことは…決定的勝利
であった」。こういう総括をしている。
日本側から見れば、中国軍の長期戦計画のもの日本軍は徒に戦力を失った。そ
のことが日中戦争・太平洋戦争の敗因となったと思われるが、見事に中国戦線に
は触れていない。
このモンゴル側の、一種「反中国的」な中国への冷たい視線があり、中国とは
全く歴史認識が異なる。
中国の「モンゴルは中国の一部」という認識と、この「中国に背を向けるモン
ゴル」は同じ歴史を共有していない。
まさにそのことが、本書に描かれている。
2023年7月27日に日本でレビュー済み
証言集『墓標なき草原――内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録』(楊海英著、岩波現代文庫、上・下)、『続 墓標なき草原――内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録』(楊海英著、岩波書店)を手にしました。
この3冊のおかげで、●中華人民共和国の内モンゴル自治区(内モンゴル)と、モンゴル人民共和国(現・モンゴル国、外モンゴル)という2つのモンゴルが存在すること、●毛澤東の文化大革命が内モンゴルから始まったこと、●内モンゴルで行われた中国共産党による大虐殺の酸鼻を極めた実態――を知ることができました。
「日本は満洲国を1932年に創った。満洲の広大無尽の黒い土に満足しなかった日本はさらに北上してモンゴル人民共和国やシベリアにも進出しようとした。内モンゴルの草原ノモンハンで1935年夏にソ連・モンゴル聯合軍と一戦を交えて大敗を喫した日本はその後、軍を中国全土に展開するようになった。拡大路線は少しずつ帝国の自壊につながった。・・・草原に進出していた日本人たちは1945年秋に列島にもどったが、モンゴル人たちの領土は分断された。一部がソ連の衛星国となり、一部は中国に占領されて自治区となった」。
「物事を常に善悪という二項対立で思考しがちな中国において、共産党は『モンゴル人たちは対日協力者』だと断罪し、民族自決のための歴史も『祖国を分裂させようとした行動』だ、と建国後17年の歳月が経ってから批判しはじめた。モンゴル人たちが近現代において構築してきた歴史はすべて罪として再清算された。こうして、1967年から1970年にかけての3年間に、大規模なジェノサイド(民族の集団虐殺)が内モンゴルの草原で発動された」。
「内モンゴル自治区は『モンゴル修正主義者の国』や『ソ連修正主義者』と国境を接する『反修正主義の前線』である。いざ修正主義者の軍隊が攻めてきたときのモンゴル人たちの動向も定かではないので、やはり事前にその精鋭を集団粛清するのが無難な防衛策だった。何しろ、精鋭たちは以前に日本に協力した過去をもっているのである」。
「共産党政府と漢人たちがすすめた残忍非道な殺戮は規模が大きく、期間も長かった。内モンゴルの草原は名実ともに『殺戮の原野』に化していた。女性たちはレイプされ、国境地帯に住んでいた者は強制移住を命じられた。人々は母国語のモンゴル語で話すことも禁じられていた。・・・何万人ものモンゴル人が殺され、大勢の女性たちが強姦された文化大革命であるが、裁かれた漢人は一人もいなかった。被害者のモンゴル人たちに味方する正義は中国にはなかった。・・・大量虐殺は『モンゴル人同士の内紛』、すなわち『日本的な近代教育を受けた東部のモンゴル人たち』と『延安派モンゴル人たち』の『対立』が原因だった、と中国共産党は主張している」。
この3冊のおかげで、●中華人民共和国の内モンゴル自治区(内モンゴル)と、モンゴル人民共和国(現・モンゴル国、外モンゴル)という2つのモンゴルが存在すること、●毛澤東の文化大革命が内モンゴルから始まったこと、●内モンゴルで行われた中国共産党による大虐殺の酸鼻を極めた実態――を知ることができました。
「日本は満洲国を1932年に創った。満洲の広大無尽の黒い土に満足しなかった日本はさらに北上してモンゴル人民共和国やシベリアにも進出しようとした。内モンゴルの草原ノモンハンで1935年夏にソ連・モンゴル聯合軍と一戦を交えて大敗を喫した日本はその後、軍を中国全土に展開するようになった。拡大路線は少しずつ帝国の自壊につながった。・・・草原に進出していた日本人たちは1945年秋に列島にもどったが、モンゴル人たちの領土は分断された。一部がソ連の衛星国となり、一部は中国に占領されて自治区となった」。
「物事を常に善悪という二項対立で思考しがちな中国において、共産党は『モンゴル人たちは対日協力者』だと断罪し、民族自決のための歴史も『祖国を分裂させようとした行動』だ、と建国後17年の歳月が経ってから批判しはじめた。モンゴル人たちが近現代において構築してきた歴史はすべて罪として再清算された。こうして、1967年から1970年にかけての3年間に、大規模なジェノサイド(民族の集団虐殺)が内モンゴルの草原で発動された」。
「内モンゴル自治区は『モンゴル修正主義者の国』や『ソ連修正主義者』と国境を接する『反修正主義の前線』である。いざ修正主義者の軍隊が攻めてきたときのモンゴル人たちの動向も定かではないので、やはり事前にその精鋭を集団粛清するのが無難な防衛策だった。何しろ、精鋭たちは以前に日本に協力した過去をもっているのである」。
「共産党政府と漢人たちがすすめた残忍非道な殺戮は規模が大きく、期間も長かった。内モンゴルの草原は名実ともに『殺戮の原野』に化していた。女性たちはレイプされ、国境地帯に住んでいた者は強制移住を命じられた。人々は母国語のモンゴル語で話すことも禁じられていた。・・・何万人ものモンゴル人が殺され、大勢の女性たちが強姦された文化大革命であるが、裁かれた漢人は一人もいなかった。被害者のモンゴル人たちに味方する正義は中国にはなかった。・・・大量虐殺は『モンゴル人同士の内紛』、すなわち『日本的な近代教育を受けた東部のモンゴル人たち』と『延安派モンゴル人たち』の『対立』が原因だった、と中国共産党は主張している」。
証言集『墓標なき草原――内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録』(楊海英著、岩波現代文庫、上・下)、『続 墓標なき草原――内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録』(楊海英著、岩波書店)を手にしました。
この3冊のおかげで、●中華人民共和国の内モンゴル自治区(内モンゴル)と、モンゴル人民共和国(現・モンゴル国、外モンゴル)という2つのモンゴルが存在すること、●毛澤東の文化大革命が内モンゴルから始まったこと、●内モンゴルで行われた中国共産党による大虐殺の酸鼻を極めた実態――を知ることができました。
「日本は満洲国を1932年に創った。満洲の広大無尽の黒い土に満足しなかった日本はさらに北上してモンゴル人民共和国やシベリアにも進出しようとした。内モンゴルの草原ノモンハンで1935年夏にソ連・モンゴル聯合軍と一戦を交えて大敗を喫した日本はその後、軍を中国全土に展開するようになった。拡大路線は少しずつ帝国の自壊につながった。・・・草原に進出していた日本人たちは1945年秋に列島にもどったが、モンゴル人たちの領土は分断された。一部がソ連の衛星国となり、一部は中国に占領されて自治区となった」。
「物事を常に善悪という二項対立で思考しがちな中国において、共産党は『モンゴル人たちは対日協力者』だと断罪し、民族自決のための歴史も『祖国を分裂させようとした行動』だ、と建国後17年の歳月が経ってから批判しはじめた。モンゴル人たちが近現代において構築してきた歴史はすべて罪として再清算された。こうして、1967年から1970年にかけての3年間に、大規模なジェノサイド(民族の集団虐殺)が内モンゴルの草原で発動された」。
「内モンゴル自治区は『モンゴル修正主義者の国』や『ソ連修正主義者』と国境を接する『反修正主義の前線』である。いざ修正主義者の軍隊が攻めてきたときのモンゴル人たちの動向も定かではないので、やはり事前にその精鋭を集団粛清するのが無難な防衛策だった。何しろ、精鋭たちは以前に日本に協力した過去をもっているのである」。
「共産党政府と漢人たちがすすめた残忍非道な殺戮は規模が大きく、期間も長かった。内モンゴルの草原は名実ともに『殺戮の原野』に化していた。女性たちはレイプされ、国境地帯に住んでいた者は強制移住を命じられた。人々は母国語のモンゴル語で話すことも禁じられていた。・・・何万人ものモンゴル人が殺され、大勢の女性たちが強姦された文化大革命であるが、裁かれた漢人は一人もいなかった。被害者のモンゴル人たちに味方する正義は中国にはなかった。・・・大量虐殺は『モンゴル人同士の内紛』、すなわち『日本的な近代教育を受けた東部のモンゴル人たち』と『延安派モンゴル人たち』の『対立』が原因だった、と中国共産党は主張している」。
この3冊のおかげで、●中華人民共和国の内モンゴル自治区(内モンゴル)と、モンゴル人民共和国(現・モンゴル国、外モンゴル)という2つのモンゴルが存在すること、●毛澤東の文化大革命が内モンゴルから始まったこと、●内モンゴルで行われた中国共産党による大虐殺の酸鼻を極めた実態――を知ることができました。
「日本は満洲国を1932年に創った。満洲の広大無尽の黒い土に満足しなかった日本はさらに北上してモンゴル人民共和国やシベリアにも進出しようとした。内モンゴルの草原ノモンハンで1935年夏にソ連・モンゴル聯合軍と一戦を交えて大敗を喫した日本はその後、軍を中国全土に展開するようになった。拡大路線は少しずつ帝国の自壊につながった。・・・草原に進出していた日本人たちは1945年秋に列島にもどったが、モンゴル人たちの領土は分断された。一部がソ連の衛星国となり、一部は中国に占領されて自治区となった」。
「物事を常に善悪という二項対立で思考しがちな中国において、共産党は『モンゴル人たちは対日協力者』だと断罪し、民族自決のための歴史も『祖国を分裂させようとした行動』だ、と建国後17年の歳月が経ってから批判しはじめた。モンゴル人たちが近現代において構築してきた歴史はすべて罪として再清算された。こうして、1967年から1970年にかけての3年間に、大規模なジェノサイド(民族の集団虐殺)が内モンゴルの草原で発動された」。
「内モンゴル自治区は『モンゴル修正主義者の国』や『ソ連修正主義者』と国境を接する『反修正主義の前線』である。いざ修正主義者の軍隊が攻めてきたときのモンゴル人たちの動向も定かではないので、やはり事前にその精鋭を集団粛清するのが無難な防衛策だった。何しろ、精鋭たちは以前に日本に協力した過去をもっているのである」。
「共産党政府と漢人たちがすすめた残忍非道な殺戮は規模が大きく、期間も長かった。内モンゴルの草原は名実ともに『殺戮の原野』に化していた。女性たちはレイプされ、国境地帯に住んでいた者は強制移住を命じられた。人々は母国語のモンゴル語で話すことも禁じられていた。・・・何万人ものモンゴル人が殺され、大勢の女性たちが強姦された文化大革命であるが、裁かれた漢人は一人もいなかった。被害者のモンゴル人たちに味方する正義は中国にはなかった。・・・大量虐殺は『モンゴル人同士の内紛』、すなわち『日本的な近代教育を受けた東部のモンゴル人たち』と『延安派モンゴル人たち』の『対立』が原因だった、と中国共産党は主張している」。
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2016年11月1日に日本でレビュー済み
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贈った相手の方はとても満足をしていました。書店では見つからず助かりました。
2019年1月2日に日本でレビュー済み
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中国共産党政権がどれだけ酷い事をしてきたか、を改めてよく分かる内容です。
2015年5月9日に日本でレビュー済み
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現在進行中のモンゴル・ウイグル・チベット。いかに悲惨な状況か勉強になりました。一人でも多くの日本人に読んでいただきたい。特に沖縄の人達、明日は我が身ですよ!