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忘却のしかた、記憶のしかた――日本・アメリカ・戦争 単行本 – 2013/8/3
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冷戦の終焉や戦後50年という節目において、日米両国は、過去のアジア太平洋戦争をどう記憶し、忘却してきたのか──。歴史の複雑さをどのように直視し、現在と未来に生かすべきかを真摯に考察した、著者の本領発揮というべき論文集。1993年以降に発表した論文・エッセイを収録。各論文冒頭に、自身による書き下ろしの解題をつけた。
- 本の長さ384ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日2013/8/3
- 寸法15.5 x 3.1 x 21.5 cm
- ISBN-104000247832
- ISBN-13978-4000247832
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2013/8/3)
- 発売日 : 2013/8/3
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 384ページ
- ISBN-10 : 4000247832
- ISBN-13 : 978-4000247832
- 寸法 : 15.5 x 3.1 x 21.5 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 305,275位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2014年10月31日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
15年戦争を記憶する人はもう少数かと思いますが、私はそのしっぽのほうでわずかに記憶があります。この度の忘却のしかた、記憶のしかたを読んでそれぞれの人に忘却と記憶があると思いますが、私はどうだろうかとあらためて自分に問いかけています。
2018年1月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この翻訳文は、日本語文として不完全であり、続けて読む気にならないレベルである。翻訳者のスキルが低いものと推定されるが、発行元の岩波書店の監修もお粗末である。 以下に、P16の本文を示すが、これをどれだけの読者が理解できるであろうか?
「こうした見かたは、日本の体験そのものというより、だれがそうした見解を共有するのかということについて、多くを物語っている。というのも、近代日本の悲劇は、おもに戦間期のジレンマであり、半世紀の健全な発展のあとにおきたいわば「逸脱」であったという考えは、中国、台湾、韓国、朝鮮人の民族主義者には、けっして分かちあうことができない見かたであるからだ。」
このような翻訳を行って販売していることは、著者に対しても失礼ではないかとさえ感じるのである。
「こうした見かたは、日本の体験そのものというより、だれがそうした見解を共有するのかということについて、多くを物語っている。というのも、近代日本の悲劇は、おもに戦間期のジレンマであり、半世紀の健全な発展のあとにおきたいわば「逸脱」であったという考えは、中国、台湾、韓国、朝鮮人の民族主義者には、けっして分かちあうことができない見かたであるからだ。」
このような翻訳を行って販売していることは、著者に対しても失礼ではないかとさえ感じるのである。
2015年1月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
戦争の記憶は、住住にして、負の側面を排そうとする。海軍反省会では、やましき沈黙ともいわれた。真に支持すべきは「異議の声にたいする寛容さ、過去の悪に向き合う、それを乗り越える能力だ。
2014年7月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「敗北を抱きしめて」も素晴らしかったが、この本もなかなかの好著。とにかく引用文献の多さに感心。
2013年8月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
著者の前書きを読むまでもなく、本書に収録された論文のほとんどは、すでに日本に紹介されており、先訳がある。唯一の例外は、E・H・ノーマンの評論選集(1975年刊)にダワーが編者として書いた序文であり、この書では巻頭に収められている。同文は、ダワーのハーバードの恩師であるライシャワーとその近代化論にたいする最初の痛烈な批判として知られる。せっかくの論文が、今回、本邦初訳であるのに、抄録でしかない。著者自身が抄録に留めたのは、同論文が引き起こした反響と、その後今日まで続く論争と関係があるかもしれない。これで同論文の全文が日本語読者の目に触れることはなくなったのだろうか。もしそうならば残念だ。
訳者自身が「至難に近かった」と認めているが、少なくとも(原著を読んだ私が吟味した)最初のほうは、翻訳が厳密に正確ではないところが多い。初歩的な間違いもある。第1章の最後のほうで、「もし日本が・・・であったなら、・・・」という仮定法で書かれた文章が、単純な過去形に訳されてしまっている(訳書17頁、原著p.11)。英語のessayを「随想」と訳したのは前訳から踏襲した可能性があるが、この分野では「小論文」と訳すべき、等々、気になる点があまりにも多い。残りの章について、先訳を「参照した」と断っているが、本書の出版者、編集者はなぜ先訳を採用しなかったのだろうか。万が一、先訳に問題がある、あるいは、本書に収録できない何かの理由があったなら、新訳者は「参照」せず一から訳すべきである。
明らかに専門の翻訳家ではない人が、先訳を「参照」だけして「意訳」するなどということが許されるとは信じられない。
訳者自身が「至難に近かった」と認めているが、少なくとも(原著を読んだ私が吟味した)最初のほうは、翻訳が厳密に正確ではないところが多い。初歩的な間違いもある。第1章の最後のほうで、「もし日本が・・・であったなら、・・・」という仮定法で書かれた文章が、単純な過去形に訳されてしまっている(訳書17頁、原著p.11)。英語のessayを「随想」と訳したのは前訳から踏襲した可能性があるが、この分野では「小論文」と訳すべき、等々、気になる点があまりにも多い。残りの章について、先訳を「参照した」と断っているが、本書の出版者、編集者はなぜ先訳を採用しなかったのだろうか。万が一、先訳に問題がある、あるいは、本書に収録できない何かの理由があったなら、新訳者は「参照」せず一から訳すべきである。
明らかに専門の翻訳家ではない人が、先訳を「参照」だけして「意訳」するなどということが許されるとは信じられない。
2013年9月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
今年8月に新聞の読書欄で紹介された本が9月に中古で500円安く、しかも説明通りきれいな本でした。
内容は予想通り満足するものでした。「敗北を抱きしめて」を読まれた方に是非お薦めです。
日本を欧米がどう観ているかを知る一助になります。
内容は予想通り満足するものでした。「敗北を抱きしめて」を読まれた方に是非お薦めです。
日本を欧米がどう観ているかを知る一助になります。
2013年12月30日に日本でレビュー済み
ダワーさんの本は、どうも初めてだったようだ。「敗北を抱きしめて」が有名で、読んだような気がしていたのだが。ともあれ、日本人として、日本の歴史について、新たな側面を気付かせてくれるということに感謝したい。日本の国際化は、このような世界に開かれた研究が推進するものなのだと思う。
だから、この本を紋切り型に片付ける書評を見ると、日本人の中にまだこのような人たちがいるのかと悲しくなる。そのような現実も、日本のある種のdiversityなのだと認める必要性はあるのだろうけれど。
一方で、本書は、ダワーさんの評論を集めて解題するというスタイルなので、読み方は難しい。私のような初見者は、これらを通読することで、ダワーさんに代表される米国の日本近代/現代歴史研究というものが、どのような位置にあるかを知ることができるという点で有益だったが、すでにダワーさんの著作に触れている人にとっては、冗長でもあり、新たな情報に欠けるおそれがある。
取り上げられている評論は、次のようなものである。
第1章 E.H.ノーマン、日本、歴史のもちいかた
第2章 二つの文化における人種、言語、戦争―アジアにおける第二次世界大戦
第3章 日本の美しい近代戦
第4章 「愛されない能力」―日本における戦争と記憶
第5章 被爆者―日本人の記憶のなかの広島と長崎
第6章 広島の医師の日記、五〇年後
第7章 真の民主主義は過去をどう祝うべきか
第8章 二つのシステムにおける平和と民主主義―対外政策と国内対立
第9章 惨めさをわらう―敗戦国日本の草の根の諷刺
第10章 戦争直後の日本からの教訓
第11章 日本のもうひとつの占領
これらは、日本に向けられてというよりは、米国に向けられたものであり、私が感じた最初の感想は、歴史というものは、「今、ここで」どうあるべきかを論じるためのものである、という、まあ、これまた当たり前のことだが、日本の歴史がいかに米国の現在に関わるかを改めて感じた。第11章は、9・11後のイラク戦争について、日本の占領後の変貌がイラクについても可能ではないかという問いに、それは無理だと答えた後、類似しているのは、日本の満州国建国とその後の失敗であるという指摘である。前半のところは、他でも見た覚えがあり、歴史的類似事例というものが、いかに希望的観測によるものかという例だと、自分でも思っていた。
しかし、この後半部分は、なるほどと思うと同時に、日本国内で、なぜ、「満州国」の経営がうまくいかなかったかの議論が少ないなとも感じた。戦前から戦中の日本での満州国の重さを思うと、日本の政治史や社会史の中でこの失敗事例は、もっと調べていい課題の一つだろう。
面白いと思ったのは、第9章。「敗北を抱きしめて」の補遺ということだが、三条河原の落首のパロディを始め、替え唄やいろはかるた、そこに示される日本の伝統に潜むたくましさと、戦後の窮状のなかで、何が問題であったか、また、今後どうするかの道筋、それらを、2013年の今現在で見るときの、喪失感に似た感覚。日本の伝統の中にある、この騒々しいばかりの笑い。今一度、身の回りで、見直したいところだ。
第5,6章は原爆の問題。「ヒロシマ日記」の存在は、本書で初めて知った。3・11後の議論で気になったことの一つは、放射能被害の詳細な情報がいまだに、米軍による広島長崎の記録しかないという報道だった。多くの人が、3・11の後で、原爆と原子力発電とを結びつけたのだが、今再開されようとしている、日常の中で、原爆を問い直すことは、広島にゆかりのある自分にとっても重要なことになっている。
第3章は、戦時中の着物の図柄から、日本の美意識を問うものだが、知りませんでした。ダワーは、これらが近代的な美意識を表していること、それがどのような背景で使われたかということを抜きにすれば、美術品としての高い価値をもつことを示している。戦争が、こういった創作活動をも包含する営みであることを、僕らはどのようにして意識できるのだろう。技術史家にとっては、戦争は常に技術革新の契機だった。
具体的な個所を思い出せないのだが、印象に残ったことの一つは、戦後の総括の一つが、「科学技術において日本は負けた」ということだった。それが、科学技術立国という方向に向かわせ、日本の科学者、技術者が、軍事以外の科学技術の発展とその応用に邁進したということである。この辺りも「そう言えば」というところで、鉄腕アトムの歌にも「科学の子」という一節があったことを思い出した。
今皮肉なことに、3・11が科学技術に対する深刻な疑念を巻き起こしていること、科学技術系の人々が、収入面においては、文系、医学系に比べて恵まれていないことを考えると、この辺りも時代と、それぞれの時代における制約を改めて考えざるを得ない。
本書を読んで、現代史の醍醐味は、忘却も含めて記憶に残っているところだなと思うに至った。技術史に関して、林晋さんから、関係者がまだ活躍中は歴史にならないからと言われたことがあったのだが、これからの現代史家は、まだ燃えカスが熱い状態の歴史に切り結ぶ可能性があるのかもしれない。読者のほうは、第三者としての立場だけでなく、実際に演じる場に引き出されることを覚悟しなければいけないのかもしれない。自分の今現在の行動を時空を超えて、歴史的にどう評価するかを考えていかねばならないというのが、本書のメッセージだろう。
だから、この本を紋切り型に片付ける書評を見ると、日本人の中にまだこのような人たちがいるのかと悲しくなる。そのような現実も、日本のある種のdiversityなのだと認める必要性はあるのだろうけれど。
一方で、本書は、ダワーさんの評論を集めて解題するというスタイルなので、読み方は難しい。私のような初見者は、これらを通読することで、ダワーさんに代表される米国の日本近代/現代歴史研究というものが、どのような位置にあるかを知ることができるという点で有益だったが、すでにダワーさんの著作に触れている人にとっては、冗長でもあり、新たな情報に欠けるおそれがある。
取り上げられている評論は、次のようなものである。
第1章 E.H.ノーマン、日本、歴史のもちいかた
第2章 二つの文化における人種、言語、戦争―アジアにおける第二次世界大戦
第3章 日本の美しい近代戦
第4章 「愛されない能力」―日本における戦争と記憶
第5章 被爆者―日本人の記憶のなかの広島と長崎
第6章 広島の医師の日記、五〇年後
第7章 真の民主主義は過去をどう祝うべきか
第8章 二つのシステムにおける平和と民主主義―対外政策と国内対立
第9章 惨めさをわらう―敗戦国日本の草の根の諷刺
第10章 戦争直後の日本からの教訓
第11章 日本のもうひとつの占領
これらは、日本に向けられてというよりは、米国に向けられたものであり、私が感じた最初の感想は、歴史というものは、「今、ここで」どうあるべきかを論じるためのものである、という、まあ、これまた当たり前のことだが、日本の歴史がいかに米国の現在に関わるかを改めて感じた。第11章は、9・11後のイラク戦争について、日本の占領後の変貌がイラクについても可能ではないかという問いに、それは無理だと答えた後、類似しているのは、日本の満州国建国とその後の失敗であるという指摘である。前半のところは、他でも見た覚えがあり、歴史的類似事例というものが、いかに希望的観測によるものかという例だと、自分でも思っていた。
しかし、この後半部分は、なるほどと思うと同時に、日本国内で、なぜ、「満州国」の経営がうまくいかなかったかの議論が少ないなとも感じた。戦前から戦中の日本での満州国の重さを思うと、日本の政治史や社会史の中でこの失敗事例は、もっと調べていい課題の一つだろう。
面白いと思ったのは、第9章。「敗北を抱きしめて」の補遺ということだが、三条河原の落首のパロディを始め、替え唄やいろはかるた、そこに示される日本の伝統に潜むたくましさと、戦後の窮状のなかで、何が問題であったか、また、今後どうするかの道筋、それらを、2013年の今現在で見るときの、喪失感に似た感覚。日本の伝統の中にある、この騒々しいばかりの笑い。今一度、身の回りで、見直したいところだ。
第5,6章は原爆の問題。「ヒロシマ日記」の存在は、本書で初めて知った。3・11後の議論で気になったことの一つは、放射能被害の詳細な情報がいまだに、米軍による広島長崎の記録しかないという報道だった。多くの人が、3・11の後で、原爆と原子力発電とを結びつけたのだが、今再開されようとしている、日常の中で、原爆を問い直すことは、広島にゆかりのある自分にとっても重要なことになっている。
第3章は、戦時中の着物の図柄から、日本の美意識を問うものだが、知りませんでした。ダワーは、これらが近代的な美意識を表していること、それがどのような背景で使われたかということを抜きにすれば、美術品としての高い価値をもつことを示している。戦争が、こういった創作活動をも包含する営みであることを、僕らはどのようにして意識できるのだろう。技術史家にとっては、戦争は常に技術革新の契機だった。
具体的な個所を思い出せないのだが、印象に残ったことの一つは、戦後の総括の一つが、「科学技術において日本は負けた」ということだった。それが、科学技術立国という方向に向かわせ、日本の科学者、技術者が、軍事以外の科学技術の発展とその応用に邁進したということである。この辺りも「そう言えば」というところで、鉄腕アトムの歌にも「科学の子」という一節があったことを思い出した。
今皮肉なことに、3・11が科学技術に対する深刻な疑念を巻き起こしていること、科学技術系の人々が、収入面においては、文系、医学系に比べて恵まれていないことを考えると、この辺りも時代と、それぞれの時代における制約を改めて考えざるを得ない。
本書を読んで、現代史の醍醐味は、忘却も含めて記憶に残っているところだなと思うに至った。技術史に関して、林晋さんから、関係者がまだ活躍中は歴史にならないからと言われたことがあったのだが、これからの現代史家は、まだ燃えカスが熱い状態の歴史に切り結ぶ可能性があるのかもしれない。読者のほうは、第三者としての立場だけでなく、実際に演じる場に引き出されることを覚悟しなければいけないのかもしれない。自分の今現在の行動を時空を超えて、歴史的にどう評価するかを考えていかねばならないというのが、本書のメッセージだろう。
2013年9月13日に日本でレビュー済み
さすが岩波、731舞台や慰安婦を朝日新聞よろしく史実として現代日本を皮肉る。
このように日本人が苦手な高名な白人を連れて来てまで姑息な手を使うとは呆れて…
これからも監視して行かなくてはいけない。
組織率低下一途の日教組、京都辺りに残された左翼の残党学者が暇潰しに読むレベル。
このように日本人が苦手な高名な白人を連れて来てまで姑息な手を使うとは呆れて…
これからも監視して行かなくてはいけない。
組織率低下一途の日教組、京都辺りに残された左翼の残党学者が暇潰しに読むレベル。