タイトルは種痘伝来となっていますが、日本が開国前のころ、日本の西洋医学者(蘭学者)の最大の関心事は種痘を日本にいかに持ち込むことでしたから、この本は西洋医学の日本伝来そのものの様に私には思えました。
この本の最後の編「解説」に本書の要約があったので、その一部をまず引用します。
「18世紀末までの有力な天然痘対策は人痘種痘法であった。これは天然痘(人痘)ウィルスを人に接種して免疫を獲得させるもので、効果はあったが天然痘罹患のリスクも多かった。1798年、イギリスのジェンナーが牛痘種痘を開発する。効果があり、しかも人痘種痘法に較べてはるかに安全なこの種痘法は、イギリス国内はもとより、他のヨーロッパの国々にもたちまち伝わり、またヨーロッパ諸国から、アジアやアフリカにあった植民地にも伝わった。」
「19世紀初期、長崎の商館長を務めたドゥーフが牛痘種痘法を含む医学的知識を日本人に伝え、その後任のコック・ブロンコフは、バタヴィアから数回痘苗を取り寄せて日本人医師の前で牛痘種痘を試みた。」
「1849年、オランダ商館医モーニッケが、バタヴィアから長崎に取り寄せた牛痘痂を使って佐賀藩医楢林宗建の息子に種痘を行ったところ、善感(よく感染)した。これを起点に牛痘種痘は、たちまち九州・京都・大阪・江戸をはじめ、全国に伝わった。」
以上が「まとめ」ですが、以下にこの本で私が特に印象的だった箇所を抜書きします。
「1849年8月11日、スタート・ドルトレヒト号が長崎の港についた。バタヴィアの(オランダ)総督府は、牛痘材料を痘痂の形態で送って欲しいといいう佐賀藩医楢林宗建の要請に応えた。」
「1849年8月14日、商館医モーニッケは3人の日本人小児に種痘を行った。楢林宗建の息子楢林建三郎の牛痘種痘のみが『ついた』。」
これが、日本への種痘伝来の決定的な瞬間です。この過程に佐賀藩主鍋島直正が大きな役割を果たします。
「日本が牛痘種痘による恩恵を何十年も前の段階で手にすることができなかったために、天然痘による無駄な死、すなわち半世紀間にうまれた全ての子供のうち20%の死亡が結果として起こったのである」
天然痘はそれほど恐ろしい病気だったのですね。
「深刻な天然痘流行のあった1886年の罹患患者数は7万3337人、志望者数は1万1852人である。1905年の患者数は1万0704人で死亡者数は3245人である。」
明治初期でも、こんなに痘瘡の犠牲者が多かったとは、驚きです。
当時の西洋文化の偉大さ、西洋医学の偉大さがよく解りました。そして、日本の蘭学者の奮闘に感動しました。私、医師のはしくれにととって、魅力的な本でした。
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種痘伝来――日本の〈開国〉と知の国際ネットワーク 単行本 – 2013/12/19
1798年にジェンナーが発明し瞬く間に世界にひろがった種痘。しかし「鎖国」政策下の日本への導入には50年の歳月を要した。最新技術を日本に伝え、広めようとする苦闘のなかで形成されていった国内外の医師や学者の知的ネットワークを辿りながら、その後の日本の近代化を準備することにもなった彼らの営みを生き生きと描き出す。
- 本の長さ256ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日2013/12/19
- 寸法15.5 x 2.4 x 21.5 cm
- ISBN-104000259369
- ISBN-13978-4000259361
商品の説明
著者について
アン・ジャネッタ(Ann Jannetta)
1932年生まれ.ピッツバ―グ大学歴史学部名誉教授.日本近世史.著書Epidemics andMortality in Early Modern Japan, Princeton University Press, 1987ほか.
廣川和花(ひろかわ わか)
1977年生まれ.大阪大学適塾記念センタ―准教授.近代日本医学史・医療史.著書『近代日本のハンセン病問題と地域社会』(大阪大学出版会,2011年)ほか.
木曾明子(きそ あきこ)
1936年生まれ.大阪大学名誉教授.文芸学.著書THE LOST SOPHOCLES. Vantage Press,1984ほか.
1932年生まれ.ピッツバ―グ大学歴史学部名誉教授.日本近世史.著書Epidemics andMortality in Early Modern Japan, Princeton University Press, 1987ほか.
廣川和花(ひろかわ わか)
1977年生まれ.大阪大学適塾記念センタ―准教授.近代日本医学史・医療史.著書『近代日本のハンセン病問題と地域社会』(大阪大学出版会,2011年)ほか.
木曾明子(きそ あきこ)
1936年生まれ.大阪大学名誉教授.文芸学.著書THE LOST SOPHOCLES. Vantage Press,1984ほか.
登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2013/12/19)
- 発売日 : 2013/12/19
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 256ページ
- ISBN-10 : 4000259369
- ISBN-13 : 978-4000259361
- 寸法 : 15.5 x 2.4 x 21.5 cm
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2014年1月21日に日本でレビュー済み
感染率だけでなく致死率(少なくとも20%以上)も高い天然痘は1980年にWHOが根絶宣言を行うまで、人類にとって最も危険な伝染病の一つであった。しかも、天然痘に罹患した場合に有効な治療方法はなく、ジェンナーの牛痘による種痘の発明によって初めて人類は安全で有効な対策を手に入れた。
本書は、1798年にジェンナーがその研究成果を発表した種痘の伝播、さらにはそれが日本にどのようにもたらされ、日本国内でどのように伝播していくか、その伝播を担った人々たちとその人々を結びつけたネットワークについて描いたものである。基本的には医学史に属すると思うが、門外漢の私が読んでも、理解に困難を感じることはなかった。
ジェンナーが種痘を初めて行ったぐらいしか知らなかった私にとって、ジェンナーの発明以前の天然痘対策である人痘種痘法(人の天然痘ウイルスを利用したワクチン療法)はもちろんのこと、なぜ牛痘によるワクチン療法が画期的だったのか、1798年から1803年までの5年の間にヨーロッパの主要国でジェンナーの本が翻訳され、さらには植民地での接種も開始されているといった伝播のスピードなど、驚くことばかりであった。
さらに、日本にその情報がもたらされたのは、ヨーロッパと遜色のない1803年であったが、痘苗の搬送に幾度も失敗。バタヴィア経由での痘苗による種痘は、ようやく1849年になって成功する。しかし、ひとたび成功すると、ほぼ半年で日本全土で種痘が行われるようになっていく。これらの苦闘とともに、情報の到達から種痘の普及までの約半世紀の間に、増加した蘭方医と一部だが漢方医(合わせて7人の医師について特に具体的に書かれている)によって築かれたネットワークが、どのような形で貢献し関与したかが詳述される。
ジェンナーが種痘の技術を公開し、痘苗を請われるままに分け与えたこと、高名なヨーロッパの医学者たちがイギリスの一地方の開業医でしかなかったジェンナーの研究をいち早く評価したこと、オランダ商館長や商館医たちが天然痘を予防するために痘苗を日本に運ぼうと努力したこと、少なくない医学者が弾圧される危険がありながらも蘭方を志し、自らの近くにいる権力者である大名たちを説得し、その子に種痘を施したこと。そのどれもが、感動を呼ぶ。
もちろん個々の医師の中には功名心を動機としたものもいたかもしれないが、人の命、特に子どもの命を救うため、というのが根底にある動機であったことは間違いない。そういった人が持つ“善意”とともに、ある種の普遍的な知識(この場合は、医学)を基礎とした横(水平)に広がるネットワークが持つ素晴らしさを改めて実感することができた。
本書は、1798年にジェンナーがその研究成果を発表した種痘の伝播、さらにはそれが日本にどのようにもたらされ、日本国内でどのように伝播していくか、その伝播を担った人々たちとその人々を結びつけたネットワークについて描いたものである。基本的には医学史に属すると思うが、門外漢の私が読んでも、理解に困難を感じることはなかった。
ジェンナーが種痘を初めて行ったぐらいしか知らなかった私にとって、ジェンナーの発明以前の天然痘対策である人痘種痘法(人の天然痘ウイルスを利用したワクチン療法)はもちろんのこと、なぜ牛痘によるワクチン療法が画期的だったのか、1798年から1803年までの5年の間にヨーロッパの主要国でジェンナーの本が翻訳され、さらには植民地での接種も開始されているといった伝播のスピードなど、驚くことばかりであった。
さらに、日本にその情報がもたらされたのは、ヨーロッパと遜色のない1803年であったが、痘苗の搬送に幾度も失敗。バタヴィア経由での痘苗による種痘は、ようやく1849年になって成功する。しかし、ひとたび成功すると、ほぼ半年で日本全土で種痘が行われるようになっていく。これらの苦闘とともに、情報の到達から種痘の普及までの約半世紀の間に、増加した蘭方医と一部だが漢方医(合わせて7人の医師について特に具体的に書かれている)によって築かれたネットワークが、どのような形で貢献し関与したかが詳述される。
ジェンナーが種痘の技術を公開し、痘苗を請われるままに分け与えたこと、高名なヨーロッパの医学者たちがイギリスの一地方の開業医でしかなかったジェンナーの研究をいち早く評価したこと、オランダ商館長や商館医たちが天然痘を予防するために痘苗を日本に運ぼうと努力したこと、少なくない医学者が弾圧される危険がありながらも蘭方を志し、自らの近くにいる権力者である大名たちを説得し、その子に種痘を施したこと。そのどれもが、感動を呼ぶ。
もちろん個々の医師の中には功名心を動機としたものもいたかもしれないが、人の命、特に子どもの命を救うため、というのが根底にある動機であったことは間違いない。そういった人が持つ“善意”とともに、ある種の普遍的な知識(この場合は、医学)を基礎とした横(水平)に広がるネットワークが持つ素晴らしさを改めて実感することができた。
2015年1月13日に日本でレビュー済み
文献を収集し、時系列で追っていく本は数あれど、
ともすれば自己満足的、研究成果を羅列的に並べがちなのも、歴史ものには
多い傾向がありますが、これは、ちょっと違います。
日本人ではないという、前提が、研究という部分に違う視点と思考を絡ませている
からなのかもしれませんが、あくまでも、「異国の歴史」というスタンスがあるので
非常に第三者的な視点で書かれている部分が、真実味と、客観性の裏づけをしてます。
疫学的な記述はほとんどありません。
それは、画期的な発明ではなく、世界中に散見された経験知が、いくつものルートを通って
統合編纂され、伝播していくという情報ネットワークの伝播に焦点をあてるためにあえて
疫学的な部分は除き、情報の伝播を中心に記述されているところが非常に興味をもって読めます。
ネットなど存在しない19世紀に、どのような経路で、どのような方法で情報が伝播し、
天然痘のワクチン療法が広まっていったかという事実をつぶさに研究し、
追跡していく様はドキュメンタリーを見ているかのような臨場感を覚えました。
ページ数がそれほど多くない割りに、中身が重厚なのは、史実研究が緻密で細部にまで
いたっており、さらにそこから情報の加除をしていく中で、適切な情報の選別が行われている
からだと思われます。
お値段は張りますが、十分に見合うだけの中身はあります。
ともすれば自己満足的、研究成果を羅列的に並べがちなのも、歴史ものには
多い傾向がありますが、これは、ちょっと違います。
日本人ではないという、前提が、研究という部分に違う視点と思考を絡ませている
からなのかもしれませんが、あくまでも、「異国の歴史」というスタンスがあるので
非常に第三者的な視点で書かれている部分が、真実味と、客観性の裏づけをしてます。
疫学的な記述はほとんどありません。
それは、画期的な発明ではなく、世界中に散見された経験知が、いくつものルートを通って
統合編纂され、伝播していくという情報ネットワークの伝播に焦点をあてるためにあえて
疫学的な部分は除き、情報の伝播を中心に記述されているところが非常に興味をもって読めます。
ネットなど存在しない19世紀に、どのような経路で、どのような方法で情報が伝播し、
天然痘のワクチン療法が広まっていったかという事実をつぶさに研究し、
追跡していく様はドキュメンタリーを見ているかのような臨場感を覚えました。
ページ数がそれほど多くない割りに、中身が重厚なのは、史実研究が緻密で細部にまで
いたっており、さらにそこから情報の加除をしていく中で、適切な情報の選別が行われている
からだと思われます。
お値段は張りますが、十分に見合うだけの中身はあります。