副題にある「近角常観」は知らなかった。読みも分からない。「ちかずみじょうかん」と読むとは本書を手にしてからだった。素人ながら仏教に関心があり、明治以降の近代日本仏教にも一定の知識があると思っていた。しかし、である。
本書が上梓されるとは岩波の『図書』で昨年夏に知っていた。題名にも惹かれた。しかし、入手はせず。副題にある名前が知らない人だったからだろう。これが鈴木大拙や清澤満之であれば、手を伸ばしたはず。
ところが1月、碧海寿広『近代仏教のなかの真宗 近角常観と求道者たち』法蔵館があると知って岩田の書を思い出し、2冊取り揃えてことの大切さを教えられた。両書は8月刊。
岩田の書は近角を核とした近代仏教の一画を窺うによく、碧海の書は近代仏教における真宗の「はたらき」を知るにいい。
ここでは岩田の書を短くレビューする。
近角常観、1870(明治3)年生まれ。1941(昭和16)年に没。真宗大谷派の寺に生まれ、大谷派の支援を受けて東京帝国大学を卒業。真宗大谷派の僧侶として活躍。
近角は西田幾多郎と鈴木大拙と生年が同じ、東大を正規には卒業しなかった西田と鈴木よりは順当に勉学した人。大拙がアメリカで貧乏書生をしていた時期の1900年に東本願寺が派遣した欧米視察団のひとりとして渡米、アメリカ、フランス、ドイツを歩いた。1902年に帰国後、「求道学舎」を開き、「日曜講話」を始めるなどして青年たちを育成した。「求道」は「きゅうどう」と読むと本書にあった。「日曜講話」は、キリスト教会の「日曜礼拝」に学んだものらしい。伝統を守りつつ新しい働きをも取り入れて仏教改革を志した人である。
その「改革」で宗門などと衝突、地を這う努力を強いられたと知った。その独自の伝道手法が近角の特色であり、それだけに宗門外で知られること薄かったのであろう。ただし、近角の伝道によって信心を知り、高めた人たちが多数いて、それが社会文化の一端を培う役割をしたと本書で知った。僕が少しは知る嘉村磯多、宮沢賢治、三木清に影響を与え、さらには精神分析の部門に波及するなどのことがあったという。
僕には第六章「信徒からみた常観の説教」が興味深かった。庶民の心に届く説教をし、教養人に「妙好人」を生むなどのことがあったと思われるからである。
専門的な研究書ながら、これからの仏教伝播に資すること多い書と思う。
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近代仏教と青年――近角常観とその時代 単行本 – 2014/8/29
岩田 文昭
(著)
歎異抄の存在を広く伝え、大正期を中心に多くの青年知識人に慕われた宗教者・近角常観。新資料の掘り起しによりその生涯と布教活動に新たな光を当てるとともに、若き日に常観と触れ合い、後に哲学・文学・精神分析の分野で独自の活躍をなした人々に見られるその影響を解読、近代日本精神史の中に位置づけ直す。新出「宮沢賢治関係書簡」を収録。
- 本の長さ336ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日2014/8/29
- 寸法13.5 x 2.7 x 19.5 cm
- ISBN-104000259881
- ISBN-13978-4000259880
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商品の説明
著者について
岩田文昭(いわた ふみあき)
1958年生まれ.京都大学文学部哲学科(宗教学)卒業.同大学大学院文学研究科博士課程満期退学.1986-87年ルーヴァン大学高等哲学研究所留学.京都大学博士(文学).専攻は宗教学・哲学.現在,大阪教育大学教授.
著書に,Religion and Psychotherapy in Modern Japan(共編著,Routledge),『宗教心理の探究』(共著,東京大学出版会),『九鬼周造の世界』(共著,ミネルヴァ書房),『ベルクソン読本』(共著,法政大学出版局)など,論文に,“Paul Ricœur et la philosophie réflexive”(Études Phénoménologiques No 20),「国公立学校における宗教教育の現状と課題」(『宗教研究』369号)などがある.
1958年生まれ.京都大学文学部哲学科(宗教学)卒業.同大学大学院文学研究科博士課程満期退学.1986-87年ルーヴァン大学高等哲学研究所留学.京都大学博士(文学).専攻は宗教学・哲学.現在,大阪教育大学教授.
著書に,Religion and Psychotherapy in Modern Japan(共編著,Routledge),『宗教心理の探究』(共著,東京大学出版会),『九鬼周造の世界』(共著,ミネルヴァ書房),『ベルクソン読本』(共著,法政大学出版局)など,論文に,“Paul Ricœur et la philosophie réflexive”(Études Phénoménologiques No 20),「国公立学校における宗教教育の現状と課題」(『宗教研究』369号)などがある.
登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2014/8/29)
- 発売日 : 2014/8/29
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 336ページ
- ISBN-10 : 4000259881
- ISBN-13 : 978-4000259880
- 寸法 : 13.5 x 2.7 x 19.5 cm
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- - 4,368位仏教 (本)
- カスタマーレビュー:
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上位レビュー、対象国: 日本
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2014年10月1日に日本でレビュー済み
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数年前、比叡山に徒歩登山し、根本中堂を訪れたことがあります。根本中堂の重苦しい闇の中から外へ出てまぶしい周囲を見渡すと、近くに一つの石碑を発見しました。石碑の詳細な文面は忘れてしまいましたが、おおよそこんな内容でした。
・・・宮沢賢治は、若くして「法華経」に触れ、その熱心な信奉者となった。一方、彼の父はかねてより真宗の篤い信者であり、必然的に、親子間に信仰上の亀裂が生じ、生家の二階では賢治による「お題目」が響き、階下では父が称える念仏の声が絶えることがない、という有様であった。肉親どうしの反目の重圧に堪えきれず、賢治は東京へ出奔。一人で不自由な生活をしていた賢治を気遣った父が彼の下宿先を尋ねあて、父子和解の旅へと賢治を誘った。その際に、回った聖地のひとつがこの延暦寺である・・・
刻まれた文字をなぞりながら、わたしは、何かを感じ取りました。平安初期に最澄によって開かれたこの山で、鎌倉初期に同じく天台宗の修行を重ねた親鸞と日蓮。彼らによって掘り当てられた、異なった信仰の目覚め。それぞれが、遠く、明治期の岩手の一家族にまで波紋を広げ、結果として家族分裂の危機をもたらした。そうした目には見えない思想の長い時間をかけた展開が、現実に及ぼした衝撃に、ある種のおどろきを覚えました。生じた亀裂の修復のため、父子はふたりが懐く信仰の発祥の地に戻ったのでしょうか。周知のように賢治の作品は、「法華経」の描く壮大な宗教的ビジョンに強い影響を受けています。その石碑との出会い以降、真宗の空気に育まれた賢治が法華宗の信仰に身を捧げることとなった動機と経緯が、私には、一つの謎となっていました。
岩田氏の「近代仏教と青年」(近角常観とその時代)は、こうした私の疑問を掘り下げていく上で、一つの鍵を与えてくれます。
主人公は、近角常観という、琵琶湖を挟んで比叡山とは向かい合った湖北の地に誕生した、真宗の僧侶です。現在では、宗派内でも彼のことを知る者は少なく、「忘れられた思想家」と評してよい存在でしょう。明治期に欧州に留学、西洋哲学を深く学びながら、途中から哲学的思索は断念し、もっぱら真宗の近代化とその教えを広めることに専念する生涯を送っています。
一方、この著書には、別の主人公が存在します。急速に西欧化し、多様な価値観が錯綜する近代日本の中で「煩悶する」知識青年です。「人生不可解」の言葉を残し華厳の滝に投身自殺した「煩悶青年」の代表、藤村操に関して、著者は一切触れていません。しかし、この著書の中でしばしば出会う「煩悶」の言葉に、おそらくたいていの読者は、藤村操を連想するでしょう。谷川徹三・三木清など多くの「煩悶」を抱えた知識青年が彼のもとを尋ね、彼の教えを受けることで、その「煩悶」(それは、程度の差こそあれ「人生不可解」という藤村の煩悶に類似したものであったでしょう)に、なんらかの解決を見出していきます。彼らは、「絶対」に出遇うという体験と信仰に生きつつ、世俗的にも貢献を果たす生を歩むことになります。
しかし、近角の人柄にも教えにもひかれ、彼を人生の師と仰ぎながら、最後は、彼から離反せざるをえなかった人たちにも、著者はスポットを当てます。その代表が、私小説家の嘉村磯多、賢治の妹・宮沢トシです。トシは、賢治とは一種の精神共同体を形成していました。賢治自身が、直接、近角の教えを受ける機会があったのかどうかは確認されていませんが、父が近角の大きな感化力の中にあり、賢治は間接的にその教えを受ける立場にあったといえます。
旧来の価値観が意味喪失する変換期において、近角の教えに導かれ「絶対」の慈悲に出遇うことで安心と人生の意義を見出そうとした「煩悶青年」の生き様がこの論文集の経糸とすれば、緯糸をなすのは、近代日本における「家族」のあり方でしょう。前近代の「家族」は、個人を外の世界からの圧力から防御すると見えながら、実態は、為政者による統治の末端機関として封建道徳を押し付ける機能も担っていました。近角は、そうした家族制度を脱し、妻や義母とともに新しい家族のあり方を模索するのに努めました。近角じしんを含め、嘉村、賢治、トシは、父親たちが身に着けた倫理・道徳の世界に共感を覚えています。(その極端な現れが、近角が一種の家族制度たる、宗派の「法主」制度の擁護に奔走し、それによって心身を消耗させたことです。)しかし、彼らは、なんらかの形で、父親たちの世界からの脱出を図らんとして、煩悶し苦闘しました、賢治の法華宗への帰依は、真宗をはじめとする父を取り巻く世界からの離脱願望が大きな要因だったという解釈に著者は賛同しています。
S,フロイトは、西欧社会において、家長たる父親(その背後には「神」が隠れています)との葛藤(エディプス・コンプレックス)を通じ「超自我」が形成され、個人の自律性や内面的道徳を支えるのだとの解釈を示しました。そうした自律性や内面的道徳が欠如した日本人は、外聞や恥を価値基準の中心に据えるゆえ、集団主義に陥り「空気」に流されるのだというような議論がどこまで正しいのか、私にはわかりません。ともかく、西欧家族における、父と子の対立のあり様は、われわれに一つのモデルを与えてくれます。著者は、近代日本における家族も問題を掘り下げるためでしょうか、フロイトの議論に学びつつ、母と子の葛藤とも説く独自の精神分析ともいうべき「アジャセ・コンプレックス」論を展開した古澤平作の生き方を取り上げます。古澤の議論が、実は、近角が与えた宗教的感化の中で造形されたものであったことを解明します。さらに、古澤の教えを受けた小此木啓吾との見解の相違(「絶対」との出遇いの有無)に論を進め、そこにも、父にも比すべき存在からの離反のストーリーを見出します。
われわれは、「絶対」を見失った意味喪失の時代に生き、極限にまで核家族化した希薄な人間関係にさらされていると言っても過言ではないでしょう。対立すべき「父親」を見出すことすら困難になっています。明治・大正・昭和期において、近角と彼を取り巻く人々が織りなした思想のドラマは、もはや郷愁を催させる類いのものです。しかし、この思想の物語は、私じしんにも突きつけられながら、日常性と世俗性に埋没する中で、忘却してしまっている存在の課題への自覚を厳しく促しているのかもしれません。
最後に著者への要望。著者は、宗教哲学が専門です。ところが、この著書においては、新資料の発見と紹介に相当の勢力を割いており、どちらかと云うと、この研究は、事実の検証作業の色彩を帯びています。それ自身は学問的意義があるのでしょうが、望むらくは、賢治、トシらが真宗の教えに漬かりながら「法華経」の世界に転向せざるをえなかった(それは、賢治と近角の死後、彼らの父の転向へつながります)、その信仰構造と内面心理のヒダにまで立ち入った解釈を示してほしかった。そのためには、「法華経」と真宗信心への深くかつ内在的な理解と宗教哲学な分析が求められることになるでしょう。もし、著者がすでにそうした研究に着手しておられるならば、最後の批判は評者の不明としてお詫びしたい。
・・・宮沢賢治は、若くして「法華経」に触れ、その熱心な信奉者となった。一方、彼の父はかねてより真宗の篤い信者であり、必然的に、親子間に信仰上の亀裂が生じ、生家の二階では賢治による「お題目」が響き、階下では父が称える念仏の声が絶えることがない、という有様であった。肉親どうしの反目の重圧に堪えきれず、賢治は東京へ出奔。一人で不自由な生活をしていた賢治を気遣った父が彼の下宿先を尋ねあて、父子和解の旅へと賢治を誘った。その際に、回った聖地のひとつがこの延暦寺である・・・
刻まれた文字をなぞりながら、わたしは、何かを感じ取りました。平安初期に最澄によって開かれたこの山で、鎌倉初期に同じく天台宗の修行を重ねた親鸞と日蓮。彼らによって掘り当てられた、異なった信仰の目覚め。それぞれが、遠く、明治期の岩手の一家族にまで波紋を広げ、結果として家族分裂の危機をもたらした。そうした目には見えない思想の長い時間をかけた展開が、現実に及ぼした衝撃に、ある種のおどろきを覚えました。生じた亀裂の修復のため、父子はふたりが懐く信仰の発祥の地に戻ったのでしょうか。周知のように賢治の作品は、「法華経」の描く壮大な宗教的ビジョンに強い影響を受けています。その石碑との出会い以降、真宗の空気に育まれた賢治が法華宗の信仰に身を捧げることとなった動機と経緯が、私には、一つの謎となっていました。
岩田氏の「近代仏教と青年」(近角常観とその時代)は、こうした私の疑問を掘り下げていく上で、一つの鍵を与えてくれます。
主人公は、近角常観という、琵琶湖を挟んで比叡山とは向かい合った湖北の地に誕生した、真宗の僧侶です。現在では、宗派内でも彼のことを知る者は少なく、「忘れられた思想家」と評してよい存在でしょう。明治期に欧州に留学、西洋哲学を深く学びながら、途中から哲学的思索は断念し、もっぱら真宗の近代化とその教えを広めることに専念する生涯を送っています。
一方、この著書には、別の主人公が存在します。急速に西欧化し、多様な価値観が錯綜する近代日本の中で「煩悶する」知識青年です。「人生不可解」の言葉を残し華厳の滝に投身自殺した「煩悶青年」の代表、藤村操に関して、著者は一切触れていません。しかし、この著書の中でしばしば出会う「煩悶」の言葉に、おそらくたいていの読者は、藤村操を連想するでしょう。谷川徹三・三木清など多くの「煩悶」を抱えた知識青年が彼のもとを尋ね、彼の教えを受けることで、その「煩悶」(それは、程度の差こそあれ「人生不可解」という藤村の煩悶に類似したものであったでしょう)に、なんらかの解決を見出していきます。彼らは、「絶対」に出遇うという体験と信仰に生きつつ、世俗的にも貢献を果たす生を歩むことになります。
しかし、近角の人柄にも教えにもひかれ、彼を人生の師と仰ぎながら、最後は、彼から離反せざるをえなかった人たちにも、著者はスポットを当てます。その代表が、私小説家の嘉村磯多、賢治の妹・宮沢トシです。トシは、賢治とは一種の精神共同体を形成していました。賢治自身が、直接、近角の教えを受ける機会があったのかどうかは確認されていませんが、父が近角の大きな感化力の中にあり、賢治は間接的にその教えを受ける立場にあったといえます。
旧来の価値観が意味喪失する変換期において、近角の教えに導かれ「絶対」の慈悲に出遇うことで安心と人生の意義を見出そうとした「煩悶青年」の生き様がこの論文集の経糸とすれば、緯糸をなすのは、近代日本における「家族」のあり方でしょう。前近代の「家族」は、個人を外の世界からの圧力から防御すると見えながら、実態は、為政者による統治の末端機関として封建道徳を押し付ける機能も担っていました。近角は、そうした家族制度を脱し、妻や義母とともに新しい家族のあり方を模索するのに努めました。近角じしんを含め、嘉村、賢治、トシは、父親たちが身に着けた倫理・道徳の世界に共感を覚えています。(その極端な現れが、近角が一種の家族制度たる、宗派の「法主」制度の擁護に奔走し、それによって心身を消耗させたことです。)しかし、彼らは、なんらかの形で、父親たちの世界からの脱出を図らんとして、煩悶し苦闘しました、賢治の法華宗への帰依は、真宗をはじめとする父を取り巻く世界からの離脱願望が大きな要因だったという解釈に著者は賛同しています。
S,フロイトは、西欧社会において、家長たる父親(その背後には「神」が隠れています)との葛藤(エディプス・コンプレックス)を通じ「超自我」が形成され、個人の自律性や内面的道徳を支えるのだとの解釈を示しました。そうした自律性や内面的道徳が欠如した日本人は、外聞や恥を価値基準の中心に据えるゆえ、集団主義に陥り「空気」に流されるのだというような議論がどこまで正しいのか、私にはわかりません。ともかく、西欧家族における、父と子の対立のあり様は、われわれに一つのモデルを与えてくれます。著者は、近代日本における家族も問題を掘り下げるためでしょうか、フロイトの議論に学びつつ、母と子の葛藤とも説く独自の精神分析ともいうべき「アジャセ・コンプレックス」論を展開した古澤平作の生き方を取り上げます。古澤の議論が、実は、近角が与えた宗教的感化の中で造形されたものであったことを解明します。さらに、古澤の教えを受けた小此木啓吾との見解の相違(「絶対」との出遇いの有無)に論を進め、そこにも、父にも比すべき存在からの離反のストーリーを見出します。
われわれは、「絶対」を見失った意味喪失の時代に生き、極限にまで核家族化した希薄な人間関係にさらされていると言っても過言ではないでしょう。対立すべき「父親」を見出すことすら困難になっています。明治・大正・昭和期において、近角と彼を取り巻く人々が織りなした思想のドラマは、もはや郷愁を催させる類いのものです。しかし、この思想の物語は、私じしんにも突きつけられながら、日常性と世俗性に埋没する中で、忘却してしまっている存在の課題への自覚を厳しく促しているのかもしれません。
最後に著者への要望。著者は、宗教哲学が専門です。ところが、この著書においては、新資料の発見と紹介に相当の勢力を割いており、どちらかと云うと、この研究は、事実の検証作業の色彩を帯びています。それ自身は学問的意義があるのでしょうが、望むらくは、賢治、トシらが真宗の教えに漬かりながら「法華経」の世界に転向せざるをえなかった(それは、賢治と近角の死後、彼らの父の転向へつながります)、その信仰構造と内面心理のヒダにまで立ち入った解釈を示してほしかった。そのためには、「法華経」と真宗信心への深くかつ内在的な理解と宗教哲学な分析が求められることになるでしょう。もし、著者がすでにそうした研究に着手しておられるならば、最後の批判は評者の不明としてお詫びしたい。
2016年9月30日に日本でレビュー済み
註記が見開きのページ毎に付されていて確認し易いのだが、内容もいい。
例えば、古澤平作と土居健郎の複雑な師弟関係や、近角常観と暁鳥敏の交友関係、はたまた常観の三井甲之への影響や三木清の宗教観に関する先行研究のレビューなど、近・現代日本の宗教史に関心のある者にとっては、参照価値の高い記述ばかりである。
概して、関連文献の紹介がまるで編み物をするかのよう入念になされており、未見の重要文献を多く教えられた。著者の先行研究の厳密な調査・紹介には、敬服すべきものがあると思う。
本書を繙いたなら、須く註記を熟読すべきである。
例えば、古澤平作と土居健郎の複雑な師弟関係や、近角常観と暁鳥敏の交友関係、はたまた常観の三井甲之への影響や三木清の宗教観に関する先行研究のレビューなど、近・現代日本の宗教史に関心のある者にとっては、参照価値の高い記述ばかりである。
概して、関連文献の紹介がまるで編み物をするかのよう入念になされており、未見の重要文献を多く教えられた。著者の先行研究の厳密な調査・紹介には、敬服すべきものがあると思う。
本書を繙いたなら、須く註記を熟読すべきである。