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自我の起原: 愛とエゴイズムの動物社会学 (岩波モダンクラシックス) 単行本 – 2001/9/7
真木 悠介
(著)
遺伝子理論・動物社会学に基づく自我の起原
- 本の長さ204ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日2001/9/7
- ISBN-104000266691
- ISBN-13978-4000266697
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
「人間的自我」の探究のために遺伝子理論・動物行動学・動物社会学の領域を探査する比較社会学者が、自我成立の前提と起原を探る。93年刊の再刊。
登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2001/9/7)
- 発売日 : 2001/9/7
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 204ページ
- ISBN-10 : 4000266691
- ISBN-13 : 978-4000266697
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,484,353位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 5,142位動物学
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2018年6月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本を読み始めたら、「銀河鉄道の夜」を読み返さずにいられなくなります。宮沢賢治の思想について、宗教や性愛について理解が深まりました。
2022年6月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
文章は難解である。
当初、トーキンスに批判的なのか、肯定的なのかを判断しかねて、かなり困惑した。その結果については
あえて省略するが、社会学者が、進化学(自然科学)を、とりわけ社会科学的でもある「進化心理学」に言及したと解したとだけ言っておいて好いかと思う。
自然科学界を生きてきた者にとって、これまで社会科学に興味・関心がなかったが、最近とみに、社会科学に興味をもち(理由は略)、宗教(とくに仏教)の入門解説書レベルから、各種経典(の現代語訳)、バラモン教、ヒンドゥー教、及び釈迦の生涯、釈迦のことばなど歴史的なことがらにも、専門研究書も含めて少なからず読んだ結果、法華経が理念・思想としては、「諸経の王」であることに合点はいったが、それは仏教の基本思想である、生老病死・四苦八苦の克服並びに、輪廻の解脱、涅槃の境地に、在家の者が至る理念のことであり、実際に自分が生きていくうえで、それをどう実践的に生かすのかについては、回答を得られたとは言えなかった。
その点に関して、本書は、誤解を恐れず言えば、この上で「自分なりに納得する生き方を見つけ、実践すれば好い」のだと考えたことを、後押ししてくれるもののように感じた。
思うに、これは宗教と哲学の違いであろう。いきおい宗教(とくに宗派にこだわる向き)には埒外外、関心の対象外のように思われるが、どう生きるかについて、哲学は自然科学を学ぶ者も含めた、人文・社会科学を学ぶ者の基礎として最重要であると認識できたことに、感謝する気さえする。
私の誤解かも知れないが、宮沢賢治の法華経に対する「狂者の拘束衣」の克服、あるいは『銀河鉄道の夜』の真意、または「ほんとうの神」、あるいは井筒俊彦氏の「正しい誤読」と考えることもできると思った。
ぜひとも本書に挑戦する人が今からでも一人でも多く現れれば好いのにと思う。
当初、トーキンスに批判的なのか、肯定的なのかを判断しかねて、かなり困惑した。その結果については
あえて省略するが、社会学者が、進化学(自然科学)を、とりわけ社会科学的でもある「進化心理学」に言及したと解したとだけ言っておいて好いかと思う。
自然科学界を生きてきた者にとって、これまで社会科学に興味・関心がなかったが、最近とみに、社会科学に興味をもち(理由は略)、宗教(とくに仏教)の入門解説書レベルから、各種経典(の現代語訳)、バラモン教、ヒンドゥー教、及び釈迦の生涯、釈迦のことばなど歴史的なことがらにも、専門研究書も含めて少なからず読んだ結果、法華経が理念・思想としては、「諸経の王」であることに合点はいったが、それは仏教の基本思想である、生老病死・四苦八苦の克服並びに、輪廻の解脱、涅槃の境地に、在家の者が至る理念のことであり、実際に自分が生きていくうえで、それをどう実践的に生かすのかについては、回答を得られたとは言えなかった。
その点に関して、本書は、誤解を恐れず言えば、この上で「自分なりに納得する生き方を見つけ、実践すれば好い」のだと考えたことを、後押ししてくれるもののように感じた。
思うに、これは宗教と哲学の違いであろう。いきおい宗教(とくに宗派にこだわる向き)には埒外外、関心の対象外のように思われるが、どう生きるかについて、哲学は自然科学を学ぶ者も含めた、人文・社会科学を学ぶ者の基礎として最重要であると認識できたことに、感謝する気さえする。
私の誤解かも知れないが、宮沢賢治の法華経に対する「狂者の拘束衣」の克服、あるいは『銀河鉄道の夜』の真意、または「ほんとうの神」、あるいは井筒俊彦氏の「正しい誤読」と考えることもできると思った。
ぜひとも本書に挑戦する人が今からでも一人でも多く現れれば好いのにと思う。
2009年2月18日に日本でレビュー済み
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サンタナのアルバム「キャラバンサライ」の1曲目「転生の永遠のキャラバン」Eternal Caravan of Reincanation から、「自我の形成をたどる旅」は始まる。
「わたしたちの個体とその<自我>はこの永劫のキャラバンの一期の宿(サライ)」である。隊商たちの行きかう結節点であったサライは<都市>として主体化し、逆に隊商たちを支配する。
「生命の歴史の中でこの<都市>の形成と比定しうる事件は、<個体>」の出現である、その「主体化」つまり「自我」の起源を、遺伝学・動物行動学・動物社会学等でたどるのが本書である。
「私という現象」は、という詩句で有名な宮澤賢治(詩人・科学者と著者は呼んでいる)にささげているように、「他者やあらゆるもの」とつながることのできた賢治のように、私たちは生きることができるのかという問いが、本書のモチーフである。
「近代的な自我とは、他者との一体感の喪失」(松本健一)との引き換えに追求される。一体感を取り戻すために、自己の解体書として本書を読むことも可能である。すべてに包まれるノスタルジアにいたらないまでも。
「わたしたちの個体とその<自我>はこの永劫のキャラバンの一期の宿(サライ)」である。隊商たちの行きかう結節点であったサライは<都市>として主体化し、逆に隊商たちを支配する。
「生命の歴史の中でこの<都市>の形成と比定しうる事件は、<個体>」の出現である、その「主体化」つまり「自我」の起源を、遺伝学・動物行動学・動物社会学等でたどるのが本書である。
「私という現象」は、という詩句で有名な宮澤賢治(詩人・科学者と著者は呼んでいる)にささげているように、「他者やあらゆるもの」とつながることのできた賢治のように、私たちは生きることができるのかという問いが、本書のモチーフである。
「近代的な自我とは、他者との一体感の喪失」(松本健一)との引き換えに追求される。一体感を取り戻すために、自己の解体書として本書を読むことも可能である。すべてに包まれるノスタルジアにいたらないまでも。
2009年10月21日に日本でレビュー済み
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何という広大な、壮大な視野なのだろうか。社会学者の見田宗介=真木悠介の仕事にはいつも驚かされる。この人はいったい何ものなのだろうか。
『時間の比較社会学』『気流の鳴る音』『社会学入門』『現代社会の理論のために』『宮沢賢治−存在の祭りの中へ』などなど。激しく、そして先鋭な問題意識がほとばしり出るように、それが境界線を引くことを許さぬようにさまざまな領域を駆けめぐるようにして移動しながら、近代と自我の牢獄から解放された<交響するコミューン>を彼方に透視しようとする。
題名に惹かれて購入した。そして驚いた。?細胞?え?著者名を間違えたかとすら思った。
そして読み進めるうちに切り開かれる世界に再び驚いた。まさか真木悠介に、微細で原始的な細胞から、進化を経て今ここで自我の確執に拘泥する私たちの世界までを展望する地点に連れてこられようとは思ってもみなかった。
生物学者・動物学者からみたこの本の評価はわからないけれども、<私>が私であることにぶつかりもがいている人に、そうした若い世代の人に読んでもらいたい。導入部分で驚き、ちょっと忍耐がいるかも知れないけれど、じっくりとたどっていく意味は十分にあります。ひょっとすると救いがあるかもしれない。
『時間の比較社会学』『気流の鳴る音』『社会学入門』『現代社会の理論のために』『宮沢賢治−存在の祭りの中へ』などなど。激しく、そして先鋭な問題意識がほとばしり出るように、それが境界線を引くことを許さぬようにさまざまな領域を駆けめぐるようにして移動しながら、近代と自我の牢獄から解放された<交響するコミューン>を彼方に透視しようとする。
題名に惹かれて購入した。そして驚いた。?細胞?え?著者名を間違えたかとすら思った。
そして読み進めるうちに切り開かれる世界に再び驚いた。まさか真木悠介に、微細で原始的な細胞から、進化を経て今ここで自我の確執に拘泥する私たちの世界までを展望する地点に連れてこられようとは思ってもみなかった。
生物学者・動物学者からみたこの本の評価はわからないけれども、<私>が私であることにぶつかりもがいている人に、そうした若い世代の人に読んでもらいたい。導入部分で驚き、ちょっと忍耐がいるかも知れないけれど、じっくりとたどっていく意味は十分にあります。ひょっとすると救いがあるかもしれない。
2022年2月22日に日本でレビュー済み
きれいにまとめただけで何を言っているのかがわからないです。
2011年1月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
大変面白い本だと思いました。生物学の成果を利用して、人間の自我の基盤を探った本です。遺伝子が徹底的に利己的なものと仮定しても、なお生物は外界に「誘惑」され自己が裂開していくように出来ていることを実証しています。別に彼自身が生物学者であるわけではないので、他の生物学者の批判を目的としているわけではなく、彼らが提供してくれたデーターをもとに、彼らの解釈にしたがったり、真木氏が独自の再解釈をしたりしているという感じです。たとえば、部分的だけど、面白いなと思ったのは、「女王蜂」という言葉に対する解釈です。「女王」という言葉を使うと、まるで偉くて幸せみたいだけど、花から花へ暖かい日差しの中、蜜を集める「働き蜂」と、暗い巣の中に閉じ込められて一生卵を生むことだけをさせられる産卵蜂を比べたら、働き蜂の方が幸せなのではないかと、真木氏が問います。こういう所は社会学者だからこその感性だな、と感心しました。ただし日本語としては分かりにくい表現を使うことが多いので、分からなくなったら、大沢氏の解説を参照し、大体の全体像を把握するのが良いかと思います。
2017年6月29日に日本でレビュー済み
用語の選択に注目した。そこから事象の射程が深くなっていて、生命現象と「個」の把握の次元が一気に跳躍して「普遍」に触れている、ように思う。「愛」の深さを思う。
2017年12月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
読書が苦手なので、字が細かく、難しくて読む気がしなかった…残念