江藤淳は、1979年9月末から1980年7月にかけてワシントンの「ウィルソン国際学術研究所」で、GHQが戦後日本で行った「検閲」について調査した。その記録と江藤の所論は、「閉ざされた言語空間」「忘れたことと忘れさせられたこと」などにおさめられている。しかし、江藤が調べた「GHQによる検閲の研究」がその後大きく進展することはなかった。その理由は、後に法学、哲学の権威になった学者たちが検閲に関わっていたこと、8000人を超える日本人が郵便の開封や電話の盗聴に関わっていたこと、CCD、CIE、CICといった検閲、メディアへの宣伝工作、対ソ防諜に関わる機関の活動について、講和条約が締結されると日本人協力者は過去のこととして一刻も早く忘れてしまいたかったからであろう。
本書は、江藤の論究から30数年経って、ようやくまとめられた「GHQの検閲・諜報・宣伝工作」について本格的に論じた書物である。目次を一瞥しただけで、GHQ、SCAPが、日本人の精神構造を丸裸にして、そこに新しいアメリカ的価値観を洗脳していこうとしたか、よく理解できる。
戦後直接「検閲」を担当したCCD(Civil Censorship Detachment)は、全占領期間を通じて非公然の秘密機関だった。その存在がマスメディアには現れてはならない組織であり、その重要文書は全て占領末期に廃棄されて存在しない。しかし、CIE(民間情報教育局)とともにメディアへの教育工作と検閲で、見せしめに「同盟」「朝日」を発行停止に追いやり、「マッカーサーのための情報管理と世論操作」(7p)に果たした役割は大きい。
本書で驚くべきことの1つは、一般市民の信書の開封と検閲が日常的に行われていたことである。また、電話の盗聴も行われた。
マスメディアの検閲も巧妙に行われた。米兵の暴行や不祥事の報道が事前に禁止されたことはもとより、マッカーサーや占領軍の施政に好意的な記事を書く場合も、提灯記事になって現実感を欠くことがないように慎重に検閲した。
このような現実の中で、徳富蘇峰や永井荷風のような知識人は、予め「検閲」を予想し、抵抗を試みた。しかし、蘇峰が次第に「検閲されている新聞記事」の影響を受けていく過程を分析する著者の視点は鋭い。どのような知的巨人も、情報の物量攻勢の中で、己をより完全なかたちで持していくことは困難である。その意味で、永井荷風も孤独な闘いを試みた一人だった。
著者は言う。「CCDの検閲工作と、CIEの宣伝活動を通して分かることは、アメリカの日本に対する実質支配を完全に不可視化して、(その一方)啓蒙・指導の様相を可視化することで、日本人の改造工作をしていた実態である。日本のメディアはブラック化装置で縛られ、日本人はアメリカ人のブラック・プロパガンダに繰られていたのではなかったか。」(196p)
著者は、江藤の先駆的研究の意義を高く評価しながら、江藤の論究には限界もあったことを指摘する。
著者によれば、江藤は、短期的な研究から結論を急ぎすぎてセンセーショナルな考察を試みた。しかし検閲は、「右翼的な(江藤の表現では死者と共有する眼差し)もの」だけではなくて、占領中期からは「左翼的作品」への弾圧に移行した。また、著者は、江藤の調査が不十分であったためにCCDの役割に拘り、CIEの中長期的な洗脳工作を見落としたのではないかと批判する。
ところで、なぜ、GHQはかくも周到な検閲を「戦後日本」に対して行ったのだろうか?
江藤が「忘れたことと忘れさせられたこと」(1979) の中で、「その理由」を、アメリカの心理的な、そして内在的な論理について考察している。参考までに、要約してみよう。
「占領下におかれた日本人は、政府と国民が一体となり、『異常な平静さ』を保っていた。その姿は全世界に強い印象を与え、例えば中華民国外交部長王世杰(おうせいけつ) は、『威武不屈、秩序整然』と讃えた。しかし、これはアメリカには強烈な警戒感を与えた。国務長官バーンズは、日本の『精神的武装解除』を指示した。その理由は、第一に報復への恐怖であり、第二に『異文化への薄気味悪さ』であったに違いない。トルーマン、バーンズ等は、この異文化(日本文化)を破壊してアメリカ的価値観を強制しない限り、報復の危険は去らないと考えていたのである。」
こうして、日本人の精神構造を改造するために、アメリカの周到で徹底した検閲と宣伝工作が開始された。それは、ジョージ・サンソムをして「強力な政治的圧迫と高度に組織化された宣伝とによって、一つの文化が意図的に他の異文化に影響力を強制しようとしたのは、史上ほとんどその前例を見ることができない」と言わしむるほどのことであった。
著者の綿密で行き届いた調査を読み、江藤の考察を振り返ると、あらためて考えさせられることも多いのである。

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GHQの検閲・諜報・宣伝工作 (岩波現代全書) 単行本(ソフトカバー) – 2013/7/19
山本 武利
(著)
戦後の日本ではそれまでの内務省による検閲に代わり、GHQによる検閲と宣伝工作が展開された。アメリカで完全な形で保存されてきた検閲資料を丹念に調査し、検閲組織とシステムを明らかにしたうえで、朝日新聞とNHKといった組織や、緒方竹虎や永井荷風らが、占領下の検閲・諜報・宣伝活動に関わった実態を描き出す。
- 本の長さ272ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日2013/7/19
- ISBN-104000291076
- ISBN-13978-4000291071
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2013/7/19)
- 発売日 : 2013/7/19
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 272ページ
- ISBN-10 : 4000291076
- ISBN-13 : 978-4000291071
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2013年9月24日に日本でレビュー済み
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2018年12月26日に日本でレビュー済み
ここに書かれている方々は、現在の学者のように甲斐ゆずる(かいゆずる)氏の「GHQ検閲官」に言及していない この本こそ日本人が読むべきものです 江藤淳だけ取り上げるのは学者仲間でそうだよね?と傷を舐め合っていることだな?と私はいつも観察しています ま、甲斐ゆずる氏の本に言及することは禁止されている?と私は判断しています 「検閲局」という簡単な名称を日本人に知られて欲しくないのです
2013年8月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
著者50年の研究生活の総結集である。巻頭ではその華麗な経歴にはそぐわない軽薄に響くPOCAPONをコードネームに与えられた緒方竹虎の屈辱的なエピソードが語られ、GHQが検閲・宣伝・諜報の三者を連動させて日本支配を図ったかを認識できなかった彼の“無能さ”が暴かれる。
第一章ではGHQの工作全体像を解明。マスメディアに対しては1945年9月11日CCD(民間検閲局)が活動開始、19日プレス・コードを発令した。個人情報に対しては郵便・電信・電話の検閲が進められた。この時石井四郎軍医中将が率いた細菌戦の731部隊が要監視対象リストに上げられている(p8)が、後にエイズウィルス問題で浮上した日本医学界の暗部の始まりである。CCDは1947年7月には8763名もの要員を抱える大組織となった。1948年に日本共産党を中心とする左翼を対象とするインテリジェンス活動に転じるが、1949年10月31日に廃させるまで検閲は続けられた。他方CIE(民間情報教育局)は通信社、新聞社とNHK等のメディアを通じ「戦争罪悪感」工作を展開。CCD廃止後もプレス・コードによる規制は続けられ1950年6月の『アカハタ』発行禁止処分、マスコミ各社でのレッドパージと続き1952年までメディア監視と統制が貫徹されたのである。
第二章は検閲の実態。CCDで働いた日本人は実に8132人もおり、主として郵便検閲に携わっていた事実は余り知られていない。4年間余りで2億通の郵便を開封・検閲し「ファシズム国家でもなし得なかった全国規模の郵便検閲」(p46)であった。(電信は1億3600万通、電話は80万回盗聴)。
第三章では活字メディアの検閲。当初はゲラ刷りを事前に提出することを義務付けられ、しかも削除の痕跡は一切とどめないような修正を迫られたことは戦前日本の検閲が伏字や空白頁を許容したのと対照的であった。事後検閲に変わっても新聞各社は「当局の意向を忖度したコンテンツつくりに励み・・自主規制、社内検閲に励んだ」(p78)と記されているが、これは原発事故報道などを巡って今日でも該当するのではないだろうか。
第四章は放送・紙芝居・映画の検閲。内幸町にあったNHKのビルの三分の二はCCD他の米軍関係によって占拠され、NHKは3階と5階のみで放送せざるを得なかった。しかも事前に放送原稿を一字一句まで検閲され台本どおりの放送を命じられた。しかし元々逓信省や内閣情報局の検閲を受けていたNHKでは情けないことに抵抗する意思さえなかったのである。「本書として見逃せない事件」(p106)として大山郁夫の放送拒否事件の<真相>が明らかにされている。
第五章ではどのように日本人が検閲に対応したか。検閲した側で「50年の沈黙」を破り当時の検閲体験を語ったのはわずかに3名に過ぎない。検閲者に関する江藤淳の『閉ざされた言語空間』は先駆的な研究ではあったが資料によって検証されてはいない文学者的な“想像”を含むものに過ぎないようだ。前述したが新聞各社が「自己検閲」を進めた結果「朝日はGHQの機関紙である」(p150)と噂されるに至ったと批判的な判断である。(なお著者の朝日に対する厳しい眼の根拠は『朝日新聞の中国侵略』を参照のこと)。
興味を惹くのは日本共産党が『アカハタ』の存続を守るために巧妙に立ち回ったのに対し、下部組織の大阪府委員会発行の『大阪民報』がプレス・コード違反で軍事裁判にかけられ厳罰に処された事例(敦賀事件)である。他方、右翼側では徳富蘇峰や景山正治らの事例とは別に、児玉誉士夫が「アメリカ批判欠如」と断じられている所(p176)は著者らしい見識であろう。さらに永井荷風をとりあげ徐々に検閲回避のため自ら筆を収めるような妥協的な姿勢をとったことを若き遠藤周作の批判を引用して明らかにしている。
最終章は日本人がアメリカのブラック・プロパガンダに操られていたかを問う。メディアの背後にいたCCDは最後まで正体を消し、同時にニセ情報を本当だと思わせるテクニックを駆使したのである。「郵便の大量開封、大新聞の完全事前検閲は戦前の日本ではなされなかった巨大な企てであった」(p208)が結論であろう。それは「日本人によるアメリカ人のための日本のアメリカ化」であった。
評者自身も実業上すこしは関与したことがあるプランゲ文庫と米国立公文書館NARAに収められた貴重な資料を追跡し収集し解読・分析し、メディントMedintとよぶ新しい視角で論じた超一級の著書である。
第一章ではGHQの工作全体像を解明。マスメディアに対しては1945年9月11日CCD(民間検閲局)が活動開始、19日プレス・コードを発令した。個人情報に対しては郵便・電信・電話の検閲が進められた。この時石井四郎軍医中将が率いた細菌戦の731部隊が要監視対象リストに上げられている(p8)が、後にエイズウィルス問題で浮上した日本医学界の暗部の始まりである。CCDは1947年7月には8763名もの要員を抱える大組織となった。1948年に日本共産党を中心とする左翼を対象とするインテリジェンス活動に転じるが、1949年10月31日に廃させるまで検閲は続けられた。他方CIE(民間情報教育局)は通信社、新聞社とNHK等のメディアを通じ「戦争罪悪感」工作を展開。CCD廃止後もプレス・コードによる規制は続けられ1950年6月の『アカハタ』発行禁止処分、マスコミ各社でのレッドパージと続き1952年までメディア監視と統制が貫徹されたのである。
第二章は検閲の実態。CCDで働いた日本人は実に8132人もおり、主として郵便検閲に携わっていた事実は余り知られていない。4年間余りで2億通の郵便を開封・検閲し「ファシズム国家でもなし得なかった全国規模の郵便検閲」(p46)であった。(電信は1億3600万通、電話は80万回盗聴)。
第三章では活字メディアの検閲。当初はゲラ刷りを事前に提出することを義務付けられ、しかも削除の痕跡は一切とどめないような修正を迫られたことは戦前日本の検閲が伏字や空白頁を許容したのと対照的であった。事後検閲に変わっても新聞各社は「当局の意向を忖度したコンテンツつくりに励み・・自主規制、社内検閲に励んだ」(p78)と記されているが、これは原発事故報道などを巡って今日でも該当するのではないだろうか。
第四章は放送・紙芝居・映画の検閲。内幸町にあったNHKのビルの三分の二はCCD他の米軍関係によって占拠され、NHKは3階と5階のみで放送せざるを得なかった。しかも事前に放送原稿を一字一句まで検閲され台本どおりの放送を命じられた。しかし元々逓信省や内閣情報局の検閲を受けていたNHKでは情けないことに抵抗する意思さえなかったのである。「本書として見逃せない事件」(p106)として大山郁夫の放送拒否事件の<真相>が明らかにされている。
第五章ではどのように日本人が検閲に対応したか。検閲した側で「50年の沈黙」を破り当時の検閲体験を語ったのはわずかに3名に過ぎない。検閲者に関する江藤淳の『閉ざされた言語空間』は先駆的な研究ではあったが資料によって検証されてはいない文学者的な“想像”を含むものに過ぎないようだ。前述したが新聞各社が「自己検閲」を進めた結果「朝日はGHQの機関紙である」(p150)と噂されるに至ったと批判的な判断である。(なお著者の朝日に対する厳しい眼の根拠は『朝日新聞の中国侵略』を参照のこと)。
興味を惹くのは日本共産党が『アカハタ』の存続を守るために巧妙に立ち回ったのに対し、下部組織の大阪府委員会発行の『大阪民報』がプレス・コード違反で軍事裁判にかけられ厳罰に処された事例(敦賀事件)である。他方、右翼側では徳富蘇峰や景山正治らの事例とは別に、児玉誉士夫が「アメリカ批判欠如」と断じられている所(p176)は著者らしい見識であろう。さらに永井荷風をとりあげ徐々に検閲回避のため自ら筆を収めるような妥協的な姿勢をとったことを若き遠藤周作の批判を引用して明らかにしている。
最終章は日本人がアメリカのブラック・プロパガンダに操られていたかを問う。メディアの背後にいたCCDは最後まで正体を消し、同時にニセ情報を本当だと思わせるテクニックを駆使したのである。「郵便の大量開封、大新聞の完全事前検閲は戦前の日本ではなされなかった巨大な企てであった」(p208)が結論であろう。それは「日本人によるアメリカ人のための日本のアメリカ化」であった。
評者自身も実業上すこしは関与したことがあるプランゲ文庫と米国立公文書館NARAに収められた貴重な資料を追跡し収集し解読・分析し、メディントMedintとよぶ新しい視角で論じた超一級の著書である。
2018年11月25日に日本でレビュー済み
著者の主張は最後の方に僅か。ほとんどがデータを淡々と述べられている印象。もっと言えば、読者のことは考えられていない。自分が調べたことをまとめ上げただけ。自己満足の書。正直面白くないが、一応全部目を通した。そもそも読者にはプレスコードを含む3点を先に読むべきように促すのが筋だろうが、著者はそうしない。著者にとっては当たり前で、そういった他者への考慮が抜け落ちたまま、筆が進んでいる。なお、論文であれば、コード三点は原文が望ましい。
最後まで行ったところで著者の名前に既視感を持つ。間違えでなければ現代メディア論だったか、緑の表紙の本を大学時に教科書として購入している。中身の記憶はない。
最後まで行ったところで著者の名前に既視感を持つ。間違えでなければ現代メディア論だったか、緑の表紙の本を大学時に教科書として購入している。中身の記憶はない。
2013年12月25日に日本でレビュー済み
江藤淳の『閉ざされた言語空間は、上梓以来多くの日本人はGHQによる陰湿な検閲と「戦争罪悪感植え付け(WGIP:ウォー・ギルド・インフォーメーション・プログラム)」の存在を知った。敗戦後、開戦4年目となる昭和20年12月8日、GHQは主要な新聞にGHQ監修『太平洋戦争史』の掲載を開始し、CCD(民間検閲局)による検閲や東京裁判などと相俟って日本人に「自虐史観」を植え付けた。江藤は占領が終わって約35年経っても報道の自己規制という形でのGHQの呪縛が解けない姿を明らかにした。
江藤淳の時代と比べるとメリーランド大学のプランゲ文庫や米国国立文書館の資料の整備が進み、本書がGHQの対日思想工作の詳細を明らかにしたことは大いに評価したい。朝日新聞とNHKが当時、GHQにとって優等生といえる報道機関であったことは興味深かった。ところで、著者は、江藤淳の先駆的な研究を評価しつつ「江藤淳の限界」として、(1)GHQの左翼的作品への弾圧の無視と(2)メデイアのしたたかな異民族の検閲への対処に気付かなかったことを挙げている。(1)については、占領初期のGHQ自身による行過ぎた共産党員の解放などの反省によるものだったのではないか? また、江藤が「CCDを戦略的な宣伝機関と誤認し、CIE(民間情報教育局)を等閑視した」と論難するが、CIDの活動の実態の解明については江藤の後継の研究者が果すべき重要な課題なのではないか? 本書は、CIEの個々の活動の詳細を伝えるのみである。
サンフランス条約から70年、「戦後レジームからの脱却」が視野に入るようになってきた現在、本書には江藤の『閉ざされた言語空間』に比べて詳細な研究は進んだ成果があるものの江藤淳のようなGHQの占領に対する指弾の切実さが感じられない。本書の出版に関連して日本記者クラブでの講演(12月9日、司会:春名氏)のYouTubeをみたが、あまり得ることはなかった。折角の研究であるが少し、残念である。
江藤淳の時代と比べるとメリーランド大学のプランゲ文庫や米国国立文書館の資料の整備が進み、本書がGHQの対日思想工作の詳細を明らかにしたことは大いに評価したい。朝日新聞とNHKが当時、GHQにとって優等生といえる報道機関であったことは興味深かった。ところで、著者は、江藤淳の先駆的な研究を評価しつつ「江藤淳の限界」として、(1)GHQの左翼的作品への弾圧の無視と(2)メデイアのしたたかな異民族の検閲への対処に気付かなかったことを挙げている。(1)については、占領初期のGHQ自身による行過ぎた共産党員の解放などの反省によるものだったのではないか? また、江藤が「CCDを戦略的な宣伝機関と誤認し、CIE(民間情報教育局)を等閑視した」と論難するが、CIDの活動の実態の解明については江藤の後継の研究者が果すべき重要な課題なのではないか? 本書は、CIEの個々の活動の詳細を伝えるのみである。
サンフランス条約から70年、「戦後レジームからの脱却」が視野に入るようになってきた現在、本書には江藤の『閉ざされた言語空間』に比べて詳細な研究は進んだ成果があるものの江藤淳のようなGHQの占領に対する指弾の切実さが感じられない。本書の出版に関連して日本記者クラブでの講演(12月9日、司会:春名氏)のYouTubeをみたが、あまり得ることはなかった。折角の研究であるが少し、残念である。