キリスト教関連の本を35年読んできて、ぼくがもっとも大きな影響を受けた三つのうちのひとつが、このカール・バルトです。あとの二つも挙げれば、解放の神学と近代聖書学、ということになります。
けれども、ぼくは、バルト自身の著作は、じつは、「ローマ書」の一冊しか読んでいません。あとは、バルトの著作ではなく、バルトに「ついての」著作です。その中で、引用されたバルト自身の文章を読むことはありますが。
宮田先生のこの本は、そうしたバルト本の代表作のひとつになることでしょう。しかも、世界を見ればグローバリズムによる深刻な被害、日本を見ればヘイト、安保法制、米軍基地、民主主義を崩壊させる抑圧政権、反知性主義の時代において、この本は、警鐘であり、希望です。
若きバルトのデビュー作であり、かつ、決定打のひとつでもある「ローマ書」の基調には「神の《神たること》、人間にたいする神の固有の存在と主権の断乎たる主張」「人間の体験的信仰や文化的理想をふくむ被造物神化にたいする明確な否定」(p.9)があると宮田先生は的確に記しています。
さらには、人間による既成秩序においては、「その正義は、つねに掠め取り簒奪したもの」「いかなる合法性も、その根底において非合法的」「いかなる権威も・・・暴政」(p.10)というバルトのきわめてラディカルな指摘が紹介されています。これは、ナチス政権を背景にしていますが、普遍的である、とも言えるでしょう。
神ならぬ人間が神のごとく人間を支配し、多くの人びとを虐殺したというナチス・ドイツの歴史と死者たちの悲しみを経験したバルトの神学集大成「教会教義学」は、「教会内部の教理的議論」ではなく「同時代史の出来事に即した周到な対話から神学の根本問題まで考え抜いた《徹頭徹尾、政治的なテキスト》(Ch. フライ)」(p.34)である、と著者は評します。
たとえば、「国家とは異なった、国家より偉大なものが存在する。それは、約束された神の支配であり・・・地上の国家は、たかだか暫定的・過渡的な存在にすぎない」(p.61)、あるいは、「神がひとりであり、何ものも神に等しいものはない、という命題にまさって危険な革命的なものはない・・・・・神はひとりであるという命題の真理に出会って、アードルフ・ヒトラーの第三帝国は挫折するだろう」(p.124)という一節も、それをよく示しています。
「ローマ書」においては、神は徹底的に神であることが強調されていましたが、後期のバルトは、それを保持しつつも、「神の人間性」にも着目します。「神は、世界のため、人間のための神でありつつ、神である」(p.182)。
この「神の人間性」に基づいて、キリスト者が定義されます。「キリスト者は、《神は人間のためにおられる》ということの証人なのである。そこでは、『人間の権利・人間の生命・人間の自由・人間の喜び』が問われるであろう。キリスト者は、最初から『ヒューマニスト』である」（p.225）。
いわば、「神の人間性」によって、わたしたち「人間の人間性」（評者の表現）も促されるのです。
たほう、「神の神性」（評者の表現です）をもバルトは保ちます。「神の恩寵の客観性がさまざまな表現で指摘される。すなわち、神の恵みは『信ずると否とにかかわらず』妥当する普遍性をもつ」(p.141)、「バルトによれば、予定説は、すべての人びとに約束されたイエス・キリストの救いという普遍的に妥当する『福音の総括』を意味するものにほかならない」(p.185)。
つまり、神の救いにおいては、人間の行為や信仰さえも条件とならず、それらを条件としてしまう「人間の神性」（評者の表現です）は斥けられるのです。
このような神学を積み上げ、教会教義学は一万頁近くになるにも拘わらず、バルトは、天国でペトロに見せれば大笑いされるだろう、とにんまりわらったようです。
そして、バルトが宮田先生に宛てた手紙には「良い神学者は、いつも途上にあります。彼は、神の遠い山々、神の高い山々、神の無限の海原を、眼前に眺めます」(p.276)と記されていたとのことです。
神は神で人は人、を最後までわきまえた人生だったのではないでしょうか。
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